2008年5月15日 (木)

「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」

Kakusitoride (2008年・東宝/監督:樋口 真嗣)

「椿三十郎」に次ぐ、黒澤明監督作品の再映画化。但し、リメイクではなくリボーン(再生?)だそうな。

森田芳光監督「椿三十郎」公開の際には、私はかなり厳しく批判をした(作品評はこちら)。…しかし、黒澤作品のリメイクは絶対ダメ、と言ってるわけではない。早い話、「姿三四郎」や「赤ひげ」、「野良犬」なんかはテレビも含め何度かリメイクされており、それぞれ出来映えも悪くはなかった。

問題なのは、「椿三十郎」リメイクに際しては、簡単に述べると3つの大きな過ちを犯しているからである。
①「三十郎」のキャラクターは、三船敏郎という豪快なチャンバラ・スター自体をイメージして創造された、日本映画史に残るスーパー・ヒーローであり、三船の存在なくしては産み出されなかった。分かりやすく言うなら、渥美清のキャラから生まれたフーテンの寅のような存在である。寅さんが、渥美清以外の誰が演じてもサマにならないのと同様、三船に匹敵するサムライ・スターが登場でもしない限り、リメイクには向いていないのである。即ち、まず題材の取り上げ時点で間違っているのである。
②それなのに、よりによって織田裕二に三十郎を演じさせた。…三船とはまるで容貌もキャラも違い、そこらの兄ちゃんにしか見えず、豪快な太刀回りすらもやった事もない役者を選んだ時点で、これも失敗である。
③さらに、本来三船敏郎のキャラに合わせて書かれたシナリオを、ほとんど一字一句元のままで使用したのも間違い。…せめて、織田のキャラクターに合わせてシナリオを大幅に改定しておればまだしも…。よって映画は、織田が三船の物真似を必死で演じるという珍妙な出来になってしまったのである。

 
そこで今回の「隠し砦の三悪人」であるが、
①「三十郎」とは違ってこちらは、昔からよくある、“戦さで敗退し、落ち延びた残党が軍資金と世継ぎを守り、お家再興を果たす”という、典型的な講談調・波乱万丈冒険大活劇(中村錦之助主演の「笛吹童子」はその種の代表作)であり、主演のキャラで持つ作品ではない。
②三船が演じた真壁六郎太は、これまでにも痛快チャンバラ活劇の主役を勤め、サムライ・スターの風格もある阿部寛が演じており、これも悪くない。
③さらに、元のシナリオを劇団☆新感線の座付き作者・中島かずきが大胆に脚色、なんと!六郎太と雪姫以外の主要人物を、役名も含め、ガラッと入れ替えている。六郎太は、主役ですらなくなっている。基本設定だけを拝借し、ほとんどオリジナルと言っていいくらいにまで改変してしまっているのである。まさに、RE-BORNである。

こんな具合に、同じ黒澤リメイクでも、こちらは「椿三十郎」における3つの問題点をことごとくクリアしていると言える。出来はともかくとして、戦略としてはこれは正解である。…森田も、せめてこれくらいのチャレンジはして欲しかった。

 
さらに、オリジナルはその面白さゆえ、ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ/EP4」(77)として巧妙に焼き直しているのは周知の通りだが、本作はその「スター・ウォーズ」からいくつかの要素を逆輸入しており、どちらかと言えば本作は、“「スター・ウォーズ」のリメイク”と言った方が正解のような出来なのである。

「スター・ウォーズ」では、「隠し砦-」のキャラクターについて、真壁六郎太→オビワン、雪姫→レイア、太平→R2D2、又七→C3PO…という具合に巧妙に移行されているが、ルーク・スカイウォーカーに当たる人物はオリジナルにはない。

本作では、そのルークを彷彿とさせる、松本潤扮するイケメンのヒーローを主役に据え、クライマックスで大活躍をさせている。さらに、黒澤作品では不在であった、敵対する悪玉・鷹山刑部(椎名桔平)を新たに創造し、ダース・ベイダーそっくりの扮装をさせている。

これによって、本作は黒澤作品よりもさらにエンタメ性を増し、SFXもフルに駆使して、ラストは敵の要塞(=デス・スターに匹敵する)の大爆破→ハッピー・エンドに至る娯楽大活劇に仕上がっている。

樋口真嗣演出は、これまでの監督作(「ローレライ」「日本沈没」)においてもいろんな娯楽活劇へのオマージュが散見されているが、本作でもさまざまなオマージュ、パロディがふんだんに盛り込まれ、楽しませてくれる。

敵の砦の造形は、「スター・ウォーズ」の要素もあるが、同じジョージ・ルーカス製作の「インディー・ジョーンズ/魔宮の伝説」の悪の巣窟も連想させる。武蔵(松本潤)と雪姫(長澤まさみ)の手と手を取っての逃避行は、ちょっぴり深作欣二監督「里見八犬伝」の要素も入っている。…そしてラストは言うまでもなく「ローマの休日」である。

本家、黒澤「隠し砦-」における名シーンについても、そのまま再現されているものもあれば、巧妙に捻っているものもあり、そういう意味では、これは本家、黒澤版を先に観ていると、思わずニンマリ出来て余計楽しめるようになっている(鷹山刑部の顔の疵が、黒澤版の田所兵衛(藤田進)のそれとソックリである所も注目)。普通はリメイク作品の場合、旧作は見ない方が良いのだが、本作に関してはDVDで予習しておくのも悪くはないと思う。

 
そんなわけで、もともと期待していなかっただけに、思っていたよりは上出来であった。何より、あの痛快な黒澤作品を、オリジナルのイメージを損なわない範囲で大胆な改変を行い、旧作を知らない若い観客は無論のこと、旧作を知っている人が観ても、十分楽しめる娯楽活劇に仕上げている点は大いに評価したい(その功績の多くは、冒険活劇のツボを心得た、中島かずきの脚本によるところが大きい)。

少なくとも、「椿三十郎」よりはかなりマシである(しつこいかな(笑))。
リメイクするなら、せめてこのくらい、いろんな工夫をすべきである。

 
しかし、手ばなしで褒めるわけには行かない。まだまだ難点や突っ込みどころが多い。もう一押し、脚本を練り直せば、もっと面白くなるだけに惜しい所である。
多分、指摘する人も多いであろう、あのラストの大爆発からどうやって逃げられた?しかも馬まで用意出来るか…くらいはご愛嬌で、この程度なら笑ってすませられる。

困るのは、女衒に売られる所を助けた女が、姫をかばって死んで行くシーン、敵が斬りかかって六郎太がピンチなのに、メソメソ泣いてる場合じゃないだろう。著しくテンポがそがれるこんなシーンは不要である。

それと、あの名セリフ「裏切り御免!」の使い方はないだろう。無理があってシラける(しかも何回も出すぎ)。本来このセリフは、味方から敵に、又は敵から味方に寝返った場合に使うものである。オマージュにしても、これは不要。

さらに、エンドロールに流れる主題歌、まったく不要(だから、「裏切り御免」の使い方、間違ってるだろうが!)。

逆に、オリジナルにはなくて、考えたな…と思わせるのが、“雪姫と、名もなき民衆との信頼関係”を強調した部分で、助けた民衆から恨みがましい視線を受けてたじろいだり、後半の大きなポイント=金塊輸送方法にまつわるくだりなどは、“国の統治は、国民との信頼関係なくしては成り立たない”というテーマを際立たせ、現在の、支持率低迷にあえぐ政治状況への痛烈な皮肉になっている。

…ただ、樋口演出が一本調子の為か、本来なら感動が盛り上がるはずの100人の民衆との対面が、全然そうなっていないのは大いに反省の余地あり。それと、命の恩人である武蔵に、(オリジナルにあったように)姫から賞金を与えるシーンは入れるべきだった。

ともあれ、いろいろアラはあろうとも、予想以上に楽しませてくれた、その努力には敬意を表したい。従って、採点も大マケしておく。     (採点=★★★

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(さて、お楽しみはココからだ)

黒澤作品では太平又七だった2人の下層庶民の名前が、新作では武蔵(タケゾウ)と新八に変更されている点に着目したい。

これはそのネーミングからして、あの吉川英治原作「宮本武蔵」武蔵(本作と同じく、最初の頃は“タケゾウ”と読む)と又八のコンビを意識したものだろう。
やはり戦乱の世、出世を夢見て関ヶ原の戦いに赴き、負け戦さでホウホウの体で戦場を彷徨う武蔵との姿は、まさに本作の武蔵との姿にダブる。

―そう考えれば、本家黒澤作品の方の冒頭、太平(千秋実)と又七(藤原釜足)が負け戦さでボロボロになり、グチりながら歩くシーンもまた、吉川版宮本武蔵のプロローグからインスパイアされたのかも知れない。相方の名前がと、1字違いなのも偶然ではないだろう。

Kakusitoride2 もう一つ、本作のイラスト・ポスターの原画を描いたのが、井上雄彦。…即ち、吉川英治原作「宮本武蔵」のコミック版「バガボンド」の作者である。絵の方も、驚くほど「バガボンド」の武蔵に似ている。

この起用からしても、樋口監督が「宮本武蔵」を意識している事は明らかだろう。

悪玉、鷹山刑部が、決闘シーンでなぜか二刀流で六郎太と対峙していたが、あるいはこれも、宮本武蔵を意識してのこと?(笑)

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2008年5月11日 (日)

「さよなら。いつかわかること」

Sayonaraituka (2007年・米/監督:ジェームズ・C・ストラウス)

映画は、ゴテゴテと話を詰め込んだものよりも、シンプルであってもストレートにテーマを訴えた作品の方が心を打つ場合がある。

本作も、ストーリーを要約すれば、
“母が亡くなった事を、幼い娘たちに伝えるまでのお話”…たったそれだけである。1行で終わりだ(笑)。上映時間も85分と短い。

しかし、そのラストに至るまでの、主人公の心の揺れを、丁寧で繊細な語り口で描き、観終わって心が温かくなる。

これは、そんな、素敵な感動の秀作である。映画ファンなら、たまにはこういう地味な作品も、しみじみと味わって欲しい。

 
主人公スタンレー・フィリップス(ジョン・キューザック)は、12歳と8歳の娘を持ち、妻はイラク戦争に単身出征している。

ある日、妻・グレイスが戦死したとの報せが届く。動揺するスタンレー。

スタンレーは、娘たちにどうやって母の死を伝えるべきか悩む。言い出せないままに、彼は2人の娘を自動車に乗せ、次女ドーン(グレイシー・ベドナルジク)が以前から行きたがっていた、フロリダの遊園地に行くことにする。

幼い次女は無邪気に喜んでいるが、長女ハイディ(シェラン・オキーフ)は突然の父の行動に不審を抱く。

映画は、そうした父と娘たちの、家を出てフロリダに着き、とうとう母の死を伝えるまでの数日間の出来事を淡々と描く、一種のロード・ムービーになっている。

母のいない家庭で、どことなくギクシャクしていた家族が、心を寄せ合い、男にとっては妻を、子供たちにとっては母を失った悲しみを乗り越え、やがてこれまで以上に家族が深い絆で結ばれて行く。

これがデビュー作だという新人監督、ジェームズ・C・ストラウスは、短いエピソードをさりげなく積み重ね、スタンレーが、妻の分まで子供たちを愛して行こうと決断するまでの心の変遷を見事に描いている。

子供たちの演技も自然でとてもいい。特に、多感で、最初は父に反撥していたハイディが、直感で母の死を悟り、動揺してフラフラとあてもなく外を彷徨ったり、大人へと背伸びしたりするうちに(これらのシーンで、私はロベール・アンリコ監督の傑作「若草の萌える頃」を思い出した。分かる人は分かるよね)、やがて父との間に心の絆を取り戻して行く、そのプロセスがとてもうまく描かれている。

脚本も見事(ストラウス自身が手掛けている。サンダンス映画祭の脚本賞受賞)だし、演出も新人とは思えないほど落ち着いている。
特に、留守番電話の使い方が巧みである。スタンレーがこれを使うシーンでは泣けた。他にも、ドーンが母との心の交流に利用するアラーム時計など、いろんな小道具の使い方がうまい。

しかし私がもっとも感心したのは、妻の回想シーンを一切入れていない点である。

これが最近の日本映画だったら、これでもかとばかりに妻との至福の時の回想をベタベタと入れて泣かせようとするだろう。しかし監督はそれを排除し、スタンレーの行動だけを綿密に描いている。…それによって、観客がスタンレーと同化し、彼の心の中に、よりストレートに入って行けるのである。このストイックな演出姿勢を成功させた所に、この新人監督の非凡な才能を感じ取る事が出来る。

イラク戦争に出征した女性兵士…という切り口もいい。正月に観た「勇者たちの戦場」でも女性兵士が登場したが、これをテーマに取り上げる事によって、女性まで駆り立て、残された家族に何重もの悲劇を生む、国家が始めた戦争の空しさがより際立つ様になっている。同時にまた、離婚が極端に多いアメリカ国民に、家族が揃って暮らす幸せの大切さを訴える…という副次的なテーマも見え隠れしているとも言えるだろう。

音楽と主題歌作曲を担当したのがクリント・イーストウッドというのも驚きである。この映画のプロデューサーでもあるジョン・キューザックがイーストウッドに依頼し、作品のテーマに感動したイーストウッドが快く引き受けたとの事である。「父親たちの星条旗」などで戦争の愚かしさを鋭く追及したイーストウッドらしいエピソードである。ギターとピアノを中心とした、しみじみとしたこの音楽も作品にマッチし、素晴らしい効果を挙げている。

 
特に山場もなく、静かで、淡々とした描き方に物足りなさを感じる人もいるかも知れない。

しかし、観ている間は楽しいが、観終わった後に何も残らない映画よりは、こうした作品にこそ真摯に向き合って欲しい。
こういう映画に何かを感じるようになる事こそ、大切な事だと私は思う。

多くの人に観て欲しい、爽やかな小品佳作である。お奨め。      (採点=★★★★☆

(付記)
もう一つ感心した事。

旅を続けるうちに、1日ごとにキューザックの無精ヒゲが濃くなって行く。…何でもないようだが、こういうリアリティを疎かにしない点もストラウス監督、エラい。
そういう事に無頓着な作品が多過ぎるのである。

北野武監督の「菊次郎の夏」という作品がある。これも大人と子供が旅をするロード・ムービーなのだが、途中バス停などに野宿しているのに、たけしのヒゲが全然伸びていない。髭剃りなんて持ってないはずだから、3日も旅したら無精ヒゲがかなり目立つはずである。
お話は悪くないのだが、そういう手抜きがある為、作品にも感動出来なかった。

そういう事もあったから、本作には余計感動出来たのである。…まあ、本来は当たり前の事なのですがね。

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2008年5月 7日 (水)

「相棒-劇場版-」

Aibou (2008年・東映/監督:和泉 聖治)

テレビで人気を博した「相棒」の劇場版。テレビについての感想は昨日UP済。

正確な題名は「相棒-劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン」…あきれるほど長ったらしいタイトル(笑)からして、出自の「土曜ワイド劇場」並みだが、映画の方も、あれやこれやと盛り込み過ぎで、散漫な出来になっている。

部分部分を取ってみれば、それぞれのパーツはテレビ版を彷彿とさせる所もあり、テレビ版各話のセミレギュラーも沢山出演しているようなので、テレビシリーズを見続けている人には楽しめるかも知れないが、“映画作品”として観るなら、物足りない出来である。

一番いけない所は、犯人像が支離滅裂である点。

まず、猟奇的な殺人事件が起き、それらの被害者と殺害方法がインターネットのSNSサイトに掲載されている事が判明。

このサイトでは、気に入らない人間について有罪・無罪の投票を行い、有罪が多数を占めれば“死刑宣告”を行う…というタチの悪い遊びをやっているのだが、それを現実に実行する…という点で浮かび上がる犯人像は、現実と空想の境い目の区別がつかないネットオタクか、「羊たちの沈黙」に登場するような狂ったサイコパスか…いずれにしても普通じゃない異常性格者で、こんな犯人には同情のカケラも与えられないだろう。

ところが、犯人は現場に暗号めいた数字記号を残しており、それがチェスの棋譜であり、杉下とチェス・ゲームをやり始める辺りから犯人像が食い違って来る。これでは、犯人は「ダ・ヴィンチ・コード」まがいの暗号パズル好きの知能犯という事になり、先ほどの、頭の悪い犯人像とは明らかに異なる。

それだけでも???と疑問符が浮かぶのに、その次には東京シティマラソンに爆弾を仕掛け、3万人のマラソンランナーと15万人の観衆を人質に取る―という展開。スケールは大きいが、そうなると今度は、フットボール・スタジアム観衆を巻き込んだ「ブラック・サンデー」とか、その作品を換骨奪胎した韓国映画「シュリ」のような、大規模な過激派組織が犯人だった映画を思い出す。つまり、またまた犯人像が違って来るのである(ついでだが、「羊たちの沈黙」と「ブラック・サンデー」の原作者は、偶然にもどちらもトーマス・ハリス)。

まあどっちにしても、警察を振り回して面白がってる、人騒がせなバカが犯人である事は確かだろう。

―ところが、最後に明らかになる犯人には唖然。…前半のゲーム的な、お騒がせ犯人像とはまるで違うじゃないか。

テレビ版には、確かに暗号を使ったゲーム的犯人とか、重い題材を扱った社会派的テーマも出て来るようだが、それらは作品ごとに異なるはずで、1つの作品において、両方のテーマを同時に盛り込んだらおかしくなるのは当然のこと。

後半のような、シリアスな題材をテーマにするのなら、犯行も、例えば松本清張作品(「砂の器」とか)のように地味目にすべきだし、タイトルのように派手な劇場型犯罪を主軸にするなら、犯人は愉快犯的な軽薄なヤツにすべきだろう。

以下ネタバレ。観た方のみドラッグ反転してください。
犯人は、例の海外で人質となってバッシングを受けた人たちをモデルにしているようだが、題材が重過ぎるうえに、犯人の目的が、バッシングした著名人に復讐したかったのか、それともSファイルの存在を訴えたかったのか、どちらなのかがはっきりしないのは問題。

主犯の木佐原(西田敏行)が、仲間だった塩谷(柏原崇)を時限爆弾で殺そうとする意味も不明。それに結局自分の娘を危険な目に会わせてしまってるし。だいたい、末期ガンで余命いくばくもない木佐原役を、丸々と太ってる(笑)西田が演じる事自体ミスキャスト。痩せ細ってないとおかしいだろう。笹野高史あたりが適役ではないか。

Sファイルを作成した元首相(平幹二郎)と、犯人と、杉下の3者が、そろってチェス好きだったというのもあまりにご都合主義である。そんな偶然って、確率何億分の1?
↑ネタバレここまで

前半のゲーム的展開もスリリングで面白いし、後半の社会派的テーマを打ち出すのも悪くはない…。
だが、その2つを、1本の作品の中でやってしまったところが、この作品の致命的ミスである。役者の演技も、演出のテンポも悪くないだけにもったいない。上トロの寿司に、チョコレートを乗せてソースをぶっかけたようなものである。別々に食ったらおいしいはずなのに…。

 

最近のテレビ局製作映画作品、「少林少女」といい本作といい、あれもこれもと詰め込み過ぎて、却ってつまらなくしている。中味を濃くする事と、何でもかんでも寄せ集める事とを完全に混同している。

脚本の戸田山雅司は、「メッセンジャー」(馬場康夫・監督)がとても面白くて注目したのだが、最近は「阿修羅城の瞳」(05)、「UDON」(06)と駄作、凡作が続いている。テレビ版1作目を始め、秀作が多いと聞く輿水泰弘に何故脚本を書かせなかったのか…。もったいない事である。
それでも、興行的には、最近の東映作品では数年ぶりの大ヒットだそうで(実際、私が観た時も超満員だった)、反省はしないんだろうな。困ったものである。      (採点=★★

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(付記)
「砂の器」の話が出たが、よく考えればあれも、熱血直情の若手刑事(森田健作。まさに熱血型だ(笑))と、ベテランの沈着冷静型刑事(丹波哲郎)とのバディ・ムービーだった。

松本清張原作ものでは、他にも昨年テレビ放映の「点と線」における、若手熱情型の三原刑事(高橋克典)と、ベテランでコロンボ並みの観察眼と推理を発揮する鳥飼(ビートたけし)というコンビもあった。テレビの鳥飼はすぐカッとなって暴れたが、原作では温厚で沈着型である。

こうしてみると、「相棒」のキャラクターは、昨日挙げた、黒澤明監督「野良犬」や、松本清張の前記2本の秀作に代表される、(最近はほとんど見なくなった)クラシックとも言える正統派刑事ものパターンの、現代的な復活…と言えるのかも知れない。面白いのも当然と言えるだろう。
それだけに、映画版はもっと丁寧に作って欲しかった。刑事ものの秀作がここ数年登場していないだけに、余計そう思う。残念!

 

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2008年5月 6日 (火)

「相棒」 TV版第1回

Aiboutv 映画「相棒-劇場版-」公開にタイミングを合わせて、テレビドラマ「相棒」の初回放送分(2000年製作)が放映された(5月3日)。

私は、テレビドラマはほとんど観ないのだが(昨年観たのは黒澤リメイク2本と「点と線」だけ。で、なんとか及第点は「点と線」だけだった)、「相棒」は評判が良かったようなので、映画を観る前の予習として観る事にした(裏番組がビデオ必録の黒澤「椿三十郎」なのがもったいない。どうでもいいが、昨年観た3本もこれも全部テレビ朝日作品ばかり(笑))。

簡単に言えば、2人組の刑事の活躍を描く刑事ドラマ。いわゆる“バディ(相棒)ポリスもの”と呼ばれるジャンルであるので、題名はまさにピッタリ。

刑事ドラマでは定番で、古くはアメリカ・TVドラマ「刑事スタスキー&ハッチ」などがあり、日本では松田優作・中村雅俊「俺たちの勲章」から「あぶない刑事」に至るまで多数ある。映画でも「リーサル・ウエポン」シリーズとか、ジャッキー・チェンの「ラッシュアワー」などが目新しいところ。…しかし原典を辿れば、黒澤明監督の「野良犬」(1949)に行き着く事になる。やっぱりクロサワは偉大である。

本作がちょっとユニークなのは、2人のキャラクターがまったく対照的な事。水谷豊扮する杉下右京は、いつも冷静沈着で頭脳が冴えるクール型。一方の寺脇康文扮する亀山薫は、よくあるタイプの直情型熱血漢で、ややおっちょこちょいのホット型…。言ってみれば、古畑任三郎と、あぶデカの大下(柴田恭兵)がコンビを組んだようなものである。この設定が、これまでのバディ刑事ドラマとは一線を画している。

しかし、黒澤の「野良犬」も、よく考えれば熱血直情タイプの村上(三船敏郎)と、ベテランで沈着冷静な佐藤(志村喬)というコンビだったので、製作側にも、黒澤作品が頭にあったのかも知れない。

そう思っていたら、本作の冒頭、亀山刑事が指名手配中の犯人に逆に捕まり、人質となった時、杉下が携帯で亀山にアイデアを授け、見事犯人を逮捕するシーンがあるが、これは黒澤の「七人の侍」で、島田勘兵衛が人質を取って立て篭もる強盗を見事な策略で退治するシーンを彷彿とさせる。奇しくも、沈着冷静な勘兵衛を演じたのがやはり志村喬。…う~む、やっぱり本作は黒澤オマージュなのかも知れない(笑)。

で、このツカミで2人のキャラクターを際立たせ、亀山が左遷されて杉下のいる“特命課”に配属されるきっかけともなる。この出だしもなかなか快調。

ドラマが本筋に入ると、亀山が殺人事件に巻き込まれ、謎を解明するうちに、杉下の頭脳と見事な観察眼によって、意外な黒幕が明らかになる。この謎解きシークェンスも、古畑任三郎、もしくはその原典である「刑事コロンボ」を思わせる。

亀山の軽妙なセリフ回し、彼と、いつも飄々としている杉下との掛け合いも楽しいし、そして彼らを取り巻く脇役陣もなかなか多彩で、しかも、(1作目を観る限りだが)警察内部の不正・腐敗に対する批判も込められているようで、凡百の「土曜ワイド劇場」ドラマの中では抜きん出た存在である。人気を博して6シーズン、8年も続く人気ドラマ・シリーズとなったのも分かる気がする。見逃していたのが、ちょっともったいない。今からでも追いかけて観たくなる。

ただ、テレビドラマとしては面白いが、映画化しても面白いかどうかは未知数である。淡々とした、渋い人間ドラマが持ち味であるように思われるし、どちらかと言えばテレビサイズでこそ魅力が引き立つ素材のような気がする。その点が懸念材料ではある。―映画化するとすれば、例えば、同じく水谷豊が刑事を演じた、市川崑監督による佳作「幸福」のような味が出れば良いのだが…。

ともあれ、劇場版「相棒」に期待いたしましょう。

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2008年4月27日 (日)

「少林少女」

Shourinshoujo (2008年・フジ=東宝/監督:本広 克行)

ポスターが、「少林サッカー」とほとんど同じユニフォームを着た柴咲コウがラクロスのスティックを握り、タイトル・ロゴまで「少林サッカー」とそっくり。エグゼクティブ・プロデューサーがチャウ・シンチー。

これは、どう見ても、「少林サッカー」のラクロス版…しかし、なんだか場当たり的企画の匂いがするなぁ…といやな予感がしたが、映画はその予感を遥かに超える出来損ないの珍作になっていた。なんじゃーこれは…と喚きたくなった。

はっきり言う。今年のワーストワン候補の駄作である。フジテレビ、最近酷い。快作「ガチ☆ボーイ」をまともに売らずにコケさせて、反面、こんな駄作をテレビで派手に宣伝して観客をガッカリさせてる。出来が良いか悪いかのまともな判断も出来なくなってるのか。ちっとは恥を知れと言いたい。

本広克行監督は、前作「UDON」でも感じたが、とにかくあれもこれもと詰め込み過ぎて収拾がつかなくなり、全体のバランスを著しく壊してしまう悪いクセがあるのだが、今回もまた前作と同じ失敗を繰り返している。懲りない人である。

まず冒頭、主人公の桜沢凛(柴咲コウ)が、中国で3,000日の修行をして日本に帰って来る。目的は日本に少林拳を広める為。…が、祖父の道場は廃墟と化し、門弟たちも散り散り。凛は知り合った中国人留学生、ミンミンの助けを借りて、道場再興の為、弟子を集めるべく尽力を開始する。

…とまあ、ここまでは悪くない。    が、そこから、凛が大学のラクロス・チームに参加するところから話はおかしくなる。

凛が、チームプレー無視して勝手に走りまくり、しかしまるでゴールに入らず試合はボロ負け。チーム仲間から総スカンを食らう。

元道場の高弟でもあった岩井(江口洋介)が何故かコーチになり、チームプレーの大事さを説く…のは、最初からスポーツ青春ドラマだったなら分からんでもないが、少林拳の話はどうなった?
この辺りから、作品の方向性が見えなくなって来る。

いったい、道場を再興し、少林拳を広めるのが本筋なのか、大学のラクロス・チームが強くなり、試合に勝つ…というパターン通りのスポーツ青春ドラマが本筋なのか、中途半端ではっきりしない。

で、仲間はずれになった凛とチーム仲間が、いつの間にか仲良くなり、いつの間にかラクロス部全員が少林拳道場に入門し、少林拳を学ぶようになる…???? このプロセスが全然描かれていない。あまりにもイージー。これをちゃんと描かなかったら、主人公たちに感情移入出来ないだろうが。

だいたい、ラクロスの練習だけでも大変なのに、他の武術の鍛錬なんかやってるヒマないだろう。少林拳の技をラクロスに応用する…とするなら、それは邪道。それなら、ポスターから受けるイメージの、「少林サッカー」並みの、おバカ・ナンセンス・コメディに統一し、例えば相手が卑怯な手を使う悪者で、それに対抗する為こちらも奥の手を使う…というのなら話は分かるのだが。

しかし、スタートから40分ほど経過したこの時点でも、おバカ・コメディの要素はほとんど感じられない。どう見ても青春学園スポコン・ドラマ路線のままである。

さらにワケが分からないのが、この学園の学長・大場(仲村トオル)がどうも胡散臭く、ルポライターに何か嗅ぎつけられ、対策を指示するシーンが出て来る(その後ルポライターは抹殺された模様)。ところが、この学園がどういう悪事を働いているのか、いつまで経っても画面に出て来ない。学生たちを洗脳してる様子もない。やっと後半になって、突然脈絡も伏線もなく、黒づくめの集団が登場するが、それでも悪事の正体は不明。ここもやたらシリアスで、前記ともともマッチしない。

つまり、今度は強大な悪の組織の存在と、それに立ち向かうヒーロー…という、また別のドラマの要素が紛れ込み、お話はますます混乱する。

もっと驚くのが、凛には常人にない、“気”を内在しており、その力を“闇の世界(ダークサイド)”に取り込まれる事を岩井が心配している…という話。
???それって、「スター・ウォーズ」の安っぽいパロディじゃないの?で、結局大して物語りに絡まないし…。

とにかく、いろんな要素が場あたり的に継ぎはぎされてるだけで、それらが物語として有機的に繋がっておらず、どれも中途半端でまとまりがない。“少林拳は戦う技ではない”と言っときながら、ラストでは結局戦ってるし…。

で、クライマックスは、もどこかに置き忘れて、「燃えよドラゴン」「死亡遊戯」「キル・ビル」「カンフーハッスル」を適当にゴチャ混ぜにしてるだけ。しかし、CG技術はチャウ・シンチー作品にすら及ばず稚拙、アクションは香港と違ってショボく、柴咲コウは1年間特訓したそうで、よく頑張ってはいるが、基礎が出来てる香港アクション・スターの本格格闘演技には到底及ぶべくもない。

本広演出は、ここに至るも、おバカ・ナンセンスにも徹し切れず、シリアス・本格アクションにも徹し切れず、最後まで中途半端のまま。
いったい、何がやりたかったのか

ラストではまた腹が立った。ここも脈絡なく、ラクロス大会の場となり、しかもユニフォームも、ボールが地面にめり込んだりのナンセンス・ギャグも「少林サッカー」そのまんま。当然対戦相手はかなうわけもなく、大差で勝ってしまう。…おいおい、相手はフツーのチームじゃないの。完全に反則である。そんな勝ち方したって、観客のカタルシスには繋がらないだろう。…結局、ここでも場あたり的に元ネタの物真似をやってるだけに過ぎない。おマケに、彼女たちチームは、国際星館大学とかいう、悪の巣窟の看板を背負って戦うわけだから、ますます気分が悪い(その悪の親玉だった仲村トオルが、江口洋介と談笑してるラストには口アングリ)。
しかも、それらのシーンをエンド・クレジットのバックでやってるのには唖然とした。

エンド・クレジットというのは、出演者、スタッフの紹介であり、私なんかはこれを楽しみにしている。映像を流すなら、ジャッキー・チェン作品のようにNG集とか、後日譚とか、メインのハイライト・シーンとか…要するに物語が終わった後で、本筋とは離れていなければならない。そうでないと、落ち着いてスタッフの名前を確認できない。ポスターに大きく描かれていて、見る前は本筋だと観客が期待していたシークェンスが、エンドロールのバックにしか登場しない、かつ反則技とは…。これでは詐欺である。

 
馬鹿馬鹿しいシーンがあるのは構わない。私もおバカな映画は大好きである。…しかし、バカバカしくとも、それらを真摯に作り上げて欲しい。…少なくともチャウ・シンチーの「少林サッカー」「カンフーハッスル」や、前回取り上げた「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」等は、馬鹿馬鹿しい話を、観客の共感を得るべく、心を込めて真剣に作っている。

本作には、残念ながら、おバカに真摯に向かい合う心が欠落している。ただ、こういう要素を適当に盛り込めばヒットするだろう…というスケベ心が見え透いている。…それでは観客の心を掴むことは出来ない
特に、制作に名を連ねているROBOTの代表・阿部秀司さん、…こんな映画を作ってしまって恥ずかしくないですか。数々の名作・良心作を送り出して来た、ROBOTの名を汚す、こんな駄作は2度と作って欲しくない。フジテレビ、本木監督ともども、猛反省を促したい。  (採点=

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(おマケ)
柴咲コウ主演作と言えば、1昨年の「映画秘宝」誌ワーストワン「日本沈没」があり、昨年はこれも「映画秘宝」に新設された、第1回はくさい映画賞(トホホ映画賞)の最低作品賞に「どろろ」が選ばれるなど、ワースト賞づいている。もし本作が今年のワーストワンになれば(その可能性大)3年連続ワースト作品賞受賞…という、珍記録を作る事になる(笑)。彼女のせいではないんですがねぇ。

 

チャウ・シンチーの笑える傑作DVD。お口直しにどうぞ。

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2008年4月23日 (水)

「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」

Bokuchuu2 (2008年・アットムービー/監督:塚本 連平)

ケータイ小説の次はブログ小説…。

正直言って、又か…と思い、最初は観る気はなかったのだが、レビュー等で結構評価が高かったので、
半信半疑のまま、期待せずに観てびっくりした。

なんと、予想をいい意味で裏切って、とっても楽しくて、笑えて、熱い友情あり、初恋あり、最後はホロリとさせられる、まさに王道的娯楽映画になっていた。

これは、本年屈指の、お奨めの快作である。

 
時代は1979年、場所は栃木の片田舎。7人の高校生と地元の駐在さんが繰り広げるイタズラ戦争を描く青春コメディー。

イタズラの中には、法律違反まがいのものもあるが、全体の演出がコントか、サイレント・スラップスティック・コメディ(分かり易く言えばチャップリンなどのドタバタ・コメディ)タッチであるので、これはギャグマンガのようなものだと割り切ってしまえば気にならなくなる。…そう言えば、チャップリンに代表されるサイレント・コメディには、警官と主人公との追っかけっこがギャグになっているものが多数あったはず。

高校生たちのイタズラは実にくだらないし、それにムキになって対抗する駐在(佐々木蔵之介)もおとなげない…と片付けるのは簡単だが、笑いのテンポと間合い、セリフの掛け合いが絶妙で、何度も大笑いさせられた。こういうセンスは、日本映画には珍しい。

時代が'70年代末期という事もあって、全体にのどかで、おおらかで、あの時代には大人たちにも、少年たちの他愛ないイタズラを大目に見る空気があった事を匂わせている。

駐在さんも、規則には厳格で、少年たちのイタズラには容赦しないが、しかしどこかに少年たちと一緒になって楽しんでいる風情が感じられる。
少年たちのイタズラに対し、報復として焼きソバに唐辛子をたっぷり仕込んだり、パトカーで山の中に少年たちを置き去りにして嬉々としている辺り、どっちが子供なんだか分からない(笑)。このあたり、駐在を演じる佐々木蔵之介が絶妙の快演。

私はこれを見て、青春映画の傑作、「けんかえれじい」(66・鈴木清順監督)を思い出した。

戦前の旧制中学生たちの、おおらか、かつバカバカしいまでの喧嘩ぶりが描かれる。その喧嘩のアイデアも楽しいが、最後に喧嘩に勝った主人公に、校長先生が言う。「人生には、後で考えれば馬鹿馬鹿しいと思うが、その時には命を張ってやる事がある。それが男だ」

そう、若い時代は二度とやって来ない。バカバカしい事に夢中になれるのも青春なのである。…そうやって、泣いたり、笑ったり、さまざまな経験を積み重ねて、少年たちは大人になって行くのである。

そんな、素敵な時代が、'70年代までは確かにあったのかも知れない。この映画の舞台が1979年というのも重要である。
1980年代になって、バブルが増殖し、世の中はカネが万能になって行く。…それと共に、人々は心のゆとりを失い、殺伐とした世の中になって行く。イタズラは、陰湿なイジメに変貌して行き、おおらかさ、心の豊かさを、大人も、子供も、今では失ってしまったかのようである。

1958~9年を舞台とした「ALWAYS 三丁目の夕日」に人々は感動したが、それは単なるノスタルジーだけではなく、今では失われてしまった、貧しいけれども人情味に溢れた、人々の温かい心の触れ合いが、あの頃には確かにあった…その事に涙したからに他ならない。

その時代から丁度20年を経た本作もまた、あの映画にも共通する、人々の心の豊かさとおおらかさと、他人を思いやる温かいハートに満ちている。…それ故に、笑えるだけでなく、最後には素敵な感動が用意されているのも、当然と言えるかも知れない。
そういう意味では、本作は「ALWAYS-」とも共通する、昭和ノスタルジー青春映画―の秀作と言えるだろう。

 
(以下ネタバレ、読みたい方はドラッグ反転してください)

前半の演出は、前述のようにドタバタ・コメディ・タッチで楽しいが、後半は心臓病の手術を受ける少女・ミカの願いを聞き入れる為、悪ガキたちが大奮闘、一転して泣ける感動のドラマとなって行く。この緩急自在の配球具合もいい。…そして、前半では、単に融通の利かない堅物と思われていた駐在が、実は人情味のある、やさしい心根の持ち主である事が判明する。
悪ガキどもに対する厳しい対応も、実は彼らに対する愛情が込められているのである。これにはジンと来た。

しかしラストでは、相変わらず悪ガキとのバトルを繰り返している。これもまた、「男はつらいよ」において、表向きはケンカばかりしている寅さんとリリーだが、実は深い絆で結ばれている、あの二人と共通する要素が両者にあると見るべきだろう。

ちょっとだけ残念なのは、手錠をはめた少年たちを、ミカのいる病室に連れて来る所。少女にその姿を見せれば、花火の奇跡が少年たちの犯罪によるものである事がバレてしまい、少女の夢を壊す事になるではないか。あそこは配慮して欲しかった。

駐在が花火代金を、自腹を切るのもいい話だが、初任給が今の1/3くらいのあの時代の40万円は大きい。ヘタしたら借金せねばなるまい。
私なら、駐在が自腹を切った事を聞きつけた町の人たちが(みんな花火を楽しんだはずだから)、一人、また一人と駐在所を訪れ、駐在に5千円、1万円…とカンパして行き、それを見た駐在が嬉し泣きをする―というエピソードを追加する。…て、これじゃまるでキャプラの「素晴らしき哉、人生!」まんまですが(笑)。

↑ネタバレここまで。

ラストの、自転車にロープのイタズラは、これも青春ノスタルジー映画「アメリカン・グラフィティ」における、パトカーにワイヤ括りつけ、ガックンとなるイタズラシーンを連想した。作者たちは多少あの映画にオマージュを捧げているのかも知れない。当時の歌謡曲をふんだんに流しているし…。その上に、あの頃のポスターやアイテム等の小ネタも沢山登場するので、当時を知っている人には懐かしいだろう。

スタッフは、監督がテレビ「時効警察」等の塚本連平であるのはともかく、脚本が映画「逆境ナイン」の福田雄一、プロデューサーが、映画「ロッカーズ」「シムソンズ」などの森谷雄である点にも注目したい。いずれも、日本映画らしからぬ、カラッと明るく、元気で楽しい作品を手掛けて来た人たちである。 

 
思えば、日本映画は、一時は(特に映画の舞台となった70年代においては)、洋画と比較され、“暗い、ダサい、元気がない”と若者から散々バカにされ、どん底時には邦画興行収入シェアが25%程度にまで落ち込んだ事もあった(つまり洋画が75%)。

それが、ここ数年、元気のいい日本映画が増加し、観客も戻って来て、一昨年には邦画シェアが50%を超える所まで回復した。

この作品は、そうした流れに乗って、昔の“暗い、ダサい、元気がない”とは正反対の“明るく、スマートで、元気ある”新しいタイプの日本映画になっているのである。イチ押しする所以である。

私が観た劇場では、(少ない客にもかかわらず)かなり笑い声が起きていた。これも珍しい事である。遠慮はいらない、どんどん笑えばいい。お祭騒ぎのように、観客が笑い、拍手し、盛り上がればさらに相乗的にノッて来て、ライブ感覚で余計楽しめる。そういう意味では、この作品は大勢の観客がいる劇場で観てこそ楽しめるのである。是非、劇場で観て欲しい。お奨め。   (採点=★★★★★

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2008年4月21日 (月)

「ノーカントリー」

Nocountry (2007年・パラマウント=ショウゲート/監督:ジョエル&イーサン・コーエン)

本年度アカデミー賞の作品・監督・脚色・助演男優の4賞を獲得した、コーエン兄弟によるクライム・サスペンスの秀作。原作は、コーマック・マッカーシーの「血と暴力の国」(扶桑社刊)

1980年代のテキサス、麻薬取引のトラブルで銃撃戦となり、生存者が1人しかいない現場に遭遇したベトナム帰還兵のルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)は、現場に残された200万ドルの大金を持ち逃げするが、その為に組織の差し向けた冷血非情な殺人者シガー(ハビエル・バルデム)に追われる身となってしまう。

お話そのものは、“普通の人間が、大金を手にしたばかりに人生が狂い、破滅の道を歩む…”という、昔からよくあるパターンである。詳しくは後記“お楽しみはココからだ”を参照して欲しいが、昔は単純なB級映画が多かった。最近では、コーエン兄弟とも縁が深いサム・ライミ監督「シンプル・プラン」のように、語り口や演出で、奥の深い人間ドラマにもなっている問題作が増えて来たように思う。

本作においては、不気味な殺し屋、シガーの存在が出色である。ほとんど無表情で、淡々と仕事をこなす。ただ、コーエン兄弟らしいのは、殺しの道具が銃でなく、肺気腫を患っている病人が持つような酸素ボンベ。このホースを相手に向け、圧搾空気を発射して殺す…という、なんとも人を食った方法。ヤラれる方も何だか分からないうちに絶命するし、警察が調べても、貫通していないのに銃弾が残っていないから、凶器が分からず面食らう。これによって、シガーという男の、トボけているのか凶暴なのか、その不思議な存在感、得体の知れなさが余計に際立つこととなるのである。

物語は終局において、モスのあっけない最後(ほとんど死に際の姿が見えない)、さらにシガーの予想を裏切る衝撃の事故に至るのだが、ここでもシガーの行動は人間離れしている。…なにしろシガーは、骨が露出するほどの重傷でありながら、表情一つ変えず、少年から譲ってもらったシャツを三角巾代りにして悠然と去って行くのである。

暴力性と日常性の境い目すら曖昧になってしまったかのような、このラストは、アメリカという国が、暴力性を体質として内在させ、どんどん荒廃して行く、その姿をシンボライズしているかのようである。

事件を追って来た老保安官、エド(トミー・リー・ジョーンズ)がつぶやく、諦めにも似たモノローグが、時代の変化によって、もはや老人には住めない国になってしまったアメリカの闇(原題"NO COUNTRY FOR OLD MEN"はその事を示す)を更に強調させ、深い余韻を残す。

そこまで深読みせずとも、この映画は、追う者と追われる者との緊迫した対決をスリリングに描いたサスペンスとしても十分楽しめる。

一昔前なら、よく出来た犯罪映画…で、賞なんかとは無縁だったろうが、これがアカデミー賞を取ってしまうとは…。良いことなのかどうか、考え込まざるを得ないのである。     (採点=★★★★☆

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(さて、お楽しみはココからだ)
本作と同パターンの作品は、昔のB級映画の中にいくつか見る事が出来る。

ドン・シーゲル監督の傑作アクション、「突破口!」(73)のストーリーは、“たまたま手に入れた大金(銀行強盗で得たものだが)が組織のものだった為に、組織の差し向けた殺し屋に追われる”…というものであり、お分かりの通り、本作とよく似ている。

ジョー・ドン・ベーカー扮する殺し屋が、実に冷酷、かつ凶暴でコワかった。この辺りも似ている。映画としては、典型的なB級ムービーであった。

で、わが国にも似た作品がいくつかある。ほとんどは低予算のB級プログラム・ピクチャー。

「悪魔の札束」(1960年・東映・監督:関川秀雄)。
実直なトラックの運転手が、昔の同僚と偶然出会い、男は運転手の車に便乗するが、検問にぶつかってバッグを置いたまま逃げ出す。そのバッグには男が強盗で奪った現金400万円が入っていた。金に困った主人公はつい金に手をつけてしまい、故郷に逃げようとするが犯人に執拗に追い詰められ、銃で撃たれてしまう…というお話。

子供の頃に観たが、ハラハラドキドキで凄くコワかった。“善人なのだが、金の誘惑に負け、悪者の金をつい持ち逃げした為に悪者に追われ、最後は破滅する”という展開が本作と似ている。ちなみに主人公の運転手を演じたのが黒澤映画で有名な木村功。

もう1本。これも東映作品、「恐喝」(63年・監督:渡辺祐介)。
暴力団の幹部、矢吹(高倉健)は、パクられた融通手形千六百万円の取り戻しをボスに頼まれるが、手形を強奪して姿を消す。ボスは敵対する組と手を結んで失吹を追いつめ、凄じい銃撃戦の末、矢吹はボロ屑のように殺される。

こちらも、大金の誘惑に魅入られ、持ち逃げするが、組織に追われて惨めな末路を迎える…という点で共通する。まだ仁侠映画でブレイクする前の高倉健が好演。

どちらも東映東京撮影所作品で、当事の東映東撮はフィルム・ノワール・タッチの佳作がいくつかあったが、興行的にはさっぱりで、しかも1960年代の映画全盛期、毎週替りで無数に量産されていたB級プログラム・ピクチャーであるが故に、これらはテレビで放映される事もめったになく、ビデオですら多分出ていないと思うので、知ってる人はほとんどいないのではないかと思う。が、捨て難い味わいの佳作である。

もしどこかの名画座(これもほとんど無くなったが)で上映されるか、あるいはスカパー等で放映された時には、観ておいて損はないと思う。お奨めしておきたい。

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2008年4月17日 (木)

「うた魂♪」

Utatama (2008年・日活/監督:田中 誠)

合唱部の活動をテーマとした青春ものである。

こうした、いわゆる“部活もの”と呼べるジャンルの映画は、これまでに「青春デンデケデケデケ」を嚆矢として、女子ボート(がんばっていきまっしょい)、男子シンクロ(ウォーターボーイズ)、女子ジャズバンド(スウィングガールズ)など、数多く作られて来たので、やや食傷気味とも言える。今年も、大学プロレス部を舞台とした快作「ガチ☆ボーイ」があったばかりだし…。

これらの作品は、いずれも感動の秀作として評価が定まっているが、その要因としては、ほとんどが“ふとしたきっかけでスポーツや音楽に触れてたちまち魅了され、仲間を集め、必死の努力の末に成功を収める”、というパターンであり、最初はヘタクソだが、練習を積み重ね、次第に上達して行くプロセスが丁寧に描かれているが故に、それが青春前期の、不器用だがひたむきな行動ぶりと相まって、ラストが感動的に盛り上がる仕掛けになっていた。

本作が、それらの作品と異なるのは、主人公は最初から歌も上手で、チームも全国大会に何度も出場している…という前提で、言ってみれば、前掲パターンのような物語が完結したところから本作の物語が始まっている…という事になる。

これは、ある意味冒険で、お決まりの感動パターンをすっ飛ばしているわけだから、ハンディとも言える。よほど脚本を練らないと面白くならないだろう。

そこで取り入れたのが、“歌っている顔がヘンだと言われて落ち込む主人公が、真剣に歌う事の大切さに気付き、励まされて元気を取り戻す”というお話である。

その展開自身は悪くないのだが、やはり脚本がピシッと決まっていない。そもそもこうしたお話は、グループの群像ドラマである色合いが濃く、主人公を取り巻く脇の人たちが個性的に、丁寧に描かれていなければならない(前掲作はいずれもそこがきちんと描かれている)。

本作はそこがおざなりである。主人公、荻野かすみ(夏帆)ばかりが目立ち、合唱部メンバーのキャラクターの描き分けが出来ていない。その他の人物も類型的で、彼女の家族など全然かすんでいる。かすみに影響を与えるべき祖父は、もっと飄々としたうまい役者を起用すべきだが、間寛平では荷が重過ぎる。だいたい、蛾を殺すエピソードが、何の為に出て来たのか不得要領である。

他にも、出て来るエピソードがブツ切れで、後の伏線にもなっておらず、有機的につながっていないのである。前半のバス運転手とヤンキー・グループとの絡みは、それだけで終わっているし、急ブレーキで男子生徒が宙を飛ぶギャグを見ると、ドタバタ・コメディかな…と思ってしまうがそれも後が続かず、後半では影を潜めてしまう。権藤が感動した、尾崎豊を歌うストリート・シンガーについても、これまた正体が分かってもさっぱり盛り上がらないのには参ってしまう。

ツッパリ・学ランスタイルのヤンキーたちが、実はソウルフルな合唱グループだった…というエピソードは面白い。が、リーダーの権藤(ゴリ)が尾崎豊の歌に心酔するのはいいとしても、その他のヤンキーアンちゃんたちが、どうやって権藤に同調し、あれだけ歌が上手になったのか…が全然描かれておらず、その為せっかくの面白いキャラクターであるにも関わらず、単なる点景以上の存在になっていない。彼らが地区大会に出場するまでには、相当の苦労や周囲の抵抗があったはずなのだが(大体、学校が出場させないと思うのだが)…。

どちらかと言えば、権藤たちヤンキー・グループが、合唱に目覚め、さまざまな抵抗や障害を乗り越え、全国大会に出場するまでをメインにした方が、“男がシンクロ?”と同じくらいユニークで楽しく、かつ感動的な映画になったかも知れない(キャッチコピーは「ヤンキーが合唱団?」でどうか)。
…が、それでは“夏帆主演の青春映画”にはならないし、客も呼べないだろうな(笑)。

ともかくも、メインとなる主人公にまつわるお話が単調で、ドラマとしての盛り上がりに欠けるのが問題である。そもそも、かすみ一人が抜けたところで、彼女の所属する高校の合唱団はぜんぜん困らないし、例年通り全国大会に出場出来るだろうに…。それでは実もフタもないが(笑)。

それでも、クライマックスの合唱コンクール・シーンはなかなか感動的であり、ジーンと来てしまったのは確かである。…しかしそれはあくまで、歌の力によるものであって、映画が良く出来ていたからではないのである

まあそんなわけで、駄作ではないが秀作でもなく、昨年の「天然コケッコー」でブレイクした夏帆ファンか、尾崎豊のファンにはお奨め出来る程度の、普通の青春映画である。

 
ただ、この映画の中で唯一の見どころがある。中盤、喫茶店において、針の飛んでしまったエノケンのレコードに代って、かすみたちが「私の青空」(マイ・ブルー・ヘヴン)を歌うシーンである。―歌というのは、このように気軽に楽しむものである事を的確に表現した、素敵なシーンで、私も思わず口ずさみそうになった。“女子高生がなんでエノケンを知ってるんだ?”なんてツッ込むのはヤボと言うもの。こういう、微笑みたくなる楽しい場面がもう少し欲しかった。…てなわけで、このシーンで一つおマケしておこう。   (採点=★★★

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2008年4月12日 (土)

「クローバーフィールド HAKAISHA」

Cloverfield (2008年・パラマウント/監督:マット・リーヴス)

ネットで話題になり、全米で大ヒットを記録した謎?の映画。

まあ観る前から予想はついていたが、我が「ゴジラ」にオマージュを捧げた“怪獣映画”だった。

従って、「ゴジラ」映画が大好きな人にはお奨めであるが、単なる怪獣パニックものには終わっておらず、観終わってからもいろいろと考えさせられる問題作に仕上がっている。以下その点について書いてみたい。

 
映画は全編、素人の若者が撮ったハンディカム・ビデオ映像の再生…という体裁になっており、故に画面は不規則に揺れ動き、アングルもカットも素人っぽいうえに、画像もやや荒い。…無論これはわざとそう見せているフェイク映像であり、前半で人物関係をテキパキと紹介して行き、怪獣が現れてからは、ビル倒壊で取り残された恋人を救出に向かうスリリングな展開があるかと思えば、軍隊の攻撃シーンも要領よく網羅されており、観終わってみればきちんとしたストーリー・テリングのドラマになっている事が分かるだろう。

手ブレ映像は、人によっては気分が悪くなる場合もあるかも知れないが、時間が進むにつれて、カメラマンが慣れて来たのか?(笑)、揺れも少なくなって観やすい画になって行くので心配する事はない(この辺りもなかなか考えてある)。

それよりも、この手法を採用する事によって、映画はむしろドキュメンタリー映像(例えばイラク戦争の従軍カメラマンが撮ったような)に近く、怪獣映画を観ている…と言うよりはむしろ、我々がその現場にいるかのような臨場感を感じることが出来る。ビデオの割には、迫力あるドルビー・サウンド(笑)が体を揺さぶるのも効果的。従ってこれはDVDなんかより、是非音響効果のいい劇場で観る(=参加する)べきである。

製作のJ・J・エイブラムスは、どうやらかなりの「ゴジラ」ファンであるらしい。エンド・クレジットでは明らかに伊福部昭作曲の「ゴジラ・マーチ」を彷彿とさせる音楽が流れるし、“ドキュメンタルな臨場感”というコンセプト自体が、1954年に作られた1作目の「ゴジラ」の基本構想なのである。

これをもう少し詳しく説明すると、1作目は、人間の目線に近い、低い位置から仰ぎ見るアングルが多用されており、緊迫したアナウンサーの実況音声、さらにはモノクロのやや荒れ気味(フィルムの感度が良くない当時では、日本映画はみんなそんな感じだが)の映像が、あたかもニュース映画を見ているかのようなリアル感があった。重傷者が収容された病院の様子や、まるで東京大空襲!を思わせる破壊後の東京の風景も、戦後の後遺症がまだ残る当時の人たちには、フィクションとは思えないリアリティがあった事だろう。

同様な事が、9.11の悪夢が覚めらやぬアメリカ人にも言えるわけで、実際に建物が倒壊し、噴煙が街を覆う、9.11そっくりの映像が登場する本作から受ける衝撃は、1954年に「ゴジラ」を観た当時の日本人が受けたそれに匹敵するものがあると思われる。

ラストに至るも、怪物の正体が一切不明である結末も、この怪物が“日常生活を襲う得体の知れない恐怖”のメタファーであると考えれば納得出来るし、そういう意味では本作は、地震等の災害や同時多発テロ・戦争(=空襲を受ける側)の悪夢をもシンボライズさせた、一種の“ディザスター・ムービー”にもなっており、怪獣映画ファン以外の人も観ておいて損はない問題作であると言えよう。

ブレるビデオ映像の中における、ほとんどCGである事を感じさせない臨場感溢れるSFX効果もお見事。企画の勝利である。
また時おり、一時録画を止め、リプレイした事を示す、上書き前の過去に録画された、平和な昼間の日常風景(遊園地、コニー・アイランドで遊ぶ恋人たち等)が挟み込まれている点も芸が細かい。日常生活に割り込んだ不条理を強調するテクニックとして、ホームビデオ機器のメカニズムを最大限に活用しているのである。うまい。

ただ、続編の企画が持ち上がっているようだが、私は止めた方が賢明だと思う。怪物の正体を明かすような話になるなら、本作の衝撃並びに感銘がぶち壊しになる可能性があるからである。衝撃の傑作「マトリックス」が、つまらない続編が製作されたおかげで、1作目の感動が薄れてしまった、あの轍を踏まない事を祈るのみである。      (採点=★★★★

(お楽しみはココからだ)
さて、ここからはおマケ。

東宝「ゴジラ」1作目には、実は元ネタになった作品がある。

Beast_2 1953年の米映画「原子怪獣現わる」(ユージン・ルーリー監督)がそれで、コマ撮り人形アニメで名高いレイ・ハリーハウゼンの出世作でもある本作を日本公開前に見た東宝プロデューサー・田中友幸が、これをそのまま(悪く言えば)パクッて作り上げたのが、「ゴジラ」である。

“核実験によって氷河の中の恐竜が蘇えり、放射能を帯びた恐竜はニューヨークへ上陸、街中を恐怖に陥れる…”というストーリーを聞けば分かる通り、基本コンセプトはほぼ同じである。
が、被爆国、日本の核に対する恐怖を前面に打ち出した戦略と、見事な円谷英二特撮のおかげで、「ゴジラ」は本家よりもずっと有名になり、アメリカからもリスペクトされる不朽の名作になった。

で、この本家「原子怪獣-」のラストで、怪獣退治のクライマックスとなる舞台が、コニー・アイランドなのである。…即ち、新作で恋人たちが無邪気に遊ぶ、あの遊園地である。

ついでながら、新作の中で、人々がマンハッタンから逃げる為に向かう、ブルックリン橋…これもまた、「ゴジラ」のアメリカ版リメイク「GODZILLA」(ローランド・エメリッヒ監督)のラストで、怪獣が倒されるクライマックスの舞台となったのは周知の通り。

これから判断すると、ゴジラ大好きと思われるJ・J・エイブラムス、本家「ゴジラ」だけでなく、元ネタ作品と、エメリッヒ版ゴジラのそれぞれにも、こっそりとリスペクトしたのではないだろうか。

そう考えると、本作のラストでやっと全身が現れる怪獣(というよりは人に近い)の姿、ゴジラ元ネタ作品の特殊効果担当のレイ・ハリーハウゼン特撮作品、「シンドバッド7回目の航海」(1958)に登場する一つ眼怪人、サイクロップスと、なんか、よく似ている気がするのだが…。考え過ぎかな?

Sycrops

 

 

 

 

 

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ノヴェライズ本

レイ・ハリーハウゼン作品2本

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