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2006年1月30日 (月)

「単騎、千里を走る。」

Tankisenri (2005年・東宝/監督:チャン・イーモウ/降旗 康男)

 かねてから、高倉健主演の映画を撮りたいと望んでいた中国の巨匠、チャン・イーモウの永年の夢がかなった作品(健サンは中国で凄く人気があるらしい)。

 息子と仲違いし、ずっと疎遠だった父・高田(高倉健)が、息子がガンで余命いくばくもない事を知り、息子が以前中国で知り合った舞踊芸人と、次に訪れる時に撮ると約束していた仮面劇『単騎、千里を走る』を息子の代りに撮影する為に中国へ旅立つ…というのが物語の発端。

 息子は、わざわざ病院まで来た父にも会おうとしない。それほどまでに深い確執の原因は何か、映画の中では語られないが、健サンのこれまでに演じて来た役柄(寡黙で、仕事一途で家庭を省みて来なかった男というイメージ)から、彼の背中を見て推察せよという事なのだろう。こういう役柄は、従って健サン以外には演じられる役者はいないだろう。

 中国に渡り、目当ての芸人・李加民を探すと、彼は刑務所に服役中だという。現地のガイドは他の芸人でも同じだと言うが、高田は頑として李にこだわる。ここでも、寡黙だがこうと決めたら梃子でも動かない健サンのキャラクターが生かされている(むしろこうした健サンのイメージに合わせてストーリーを考案したように思える)。

 こうして、仮面劇をビデオに撮る…という目的を達する為に、高田は刑務所へ、さらに息子と会わないと踊れないと言う李加民の為に、その息子を探してさらに中国奥地へと向かうこととなり、そのプロセスで高田と、ガイドや現地の中国人たち、李の息子・ヤンヤンとの心の交流が美しい中国奥地の風景をバックに描かれて行く。

Tankisenri2  ヤンヤンも、父には会いたくないと言い、逃げたヤンヤンを追って道に迷った高田とヤンヤンはいつしか心を通わせて行く。言葉が通じなくても気持ちは通い合う。それは、高田と息子との確執や、今も続く日中国家間の過去のわだかまり-等を解消する一つの道なのではないか。―それがこの映画のテーマなのだと思う。

 思えば、健サンが数多く演じて来た任侠映画の中でも、言葉はなくても見詰め合うだけで相手の心意気を理解し、無言で共に殴り込みの死地に向かう-というシーンを幾度見て来たことか(任侠演歌の「兄弟仁義」の歌詞に「俺の目を見ろ、なんにも言うな」というくだりがある)。チャン・イーモウ監督は、そうした健サンの役柄の重みを知ったうえでこの物語を作ったのだとしたら大したものである。

 現地の中国人出演者たちは、全員演技経験のない素人だそうで、これはチャン監督の傑作「あの子を探して」と同じ手法である。その素朴さ、親しみ易さがいい雰囲気を出している。ストーリーはよく考えたら、やや無理はあるのだが、この映画の見どころは物語よりも、雄大な大自然に包まれて生活する中国の人々のおおらかな生き方(日本人残留孤児を育ててくれたように、村人が孤児のヤンヤンを育てて来た事にも象徴される)や、人生の黄昏どきに差し掛かってもなお子供への思いの為に行動する寡黙な父親の姿から、何かを学び取って欲しいという点にあると私は思う。

 -それにしても、冒頭とラストで、鉛色の海に向かって立つ健サン、雄大な中国の山々をバックに立つ健サンは実に絵になっている。これはチャン・イーモウ監督が、敬愛の意を込めて作った健サンと、健サンファンの為の素敵なプレゼントなのである

 (採点=★★★★☆

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2006年1月28日 (土)

「博士の愛した数式」

(2006年・アスミック・エース/監督:小泉 尭史)

 読売文学賞、本屋大賞等を受賞し話題となっている小川洋子のベストセラー小説の映画化作品。

 事故の影響で、80分しか記憶が持たない天才数学者と、彼の家政婦として雇われたシングルマザー杏子(深津絵里)とその息子との心の交流を描く…というストーリーなのだが、観る前はなんだか小難しそうな作品かな?…とあまり気が進まなかった。たまたま同じく天才数学者とその娘の話「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」を観たばかりで、こちらはつまらなかったからでもある。これも同じく頭のおかしくなった数学者の実話の映画化「ビューティフル・マインド」は、感動的ではあったがややシンドい内容でもあったし…。しかし監督が「雨あがる」「阿弥陀堂だより」のお気に入り、小泉尭史なのでシブシブ観る気になったのである。

 観終わって、やっぱり先入観は良くないと思った。予想に反してとても楽しく、面白くて、そして最後にジワーッと感動が広がった。これはお奨めである。

 とにかく、数学がこんなに面白い学問とは思わなかった。例えば、初対面でいきなり靴のサイズを聞かれ、24センチと答えると、これは4の階乗で潔い数字なのだと言う(1×2×3×4=24)。杏子の息子には、すべてを受け入れるという意味の「ルート」という綽名を付けたりする。他にも、友愛数とか、完全数とか、素数とかいう数学用語が、実はとても人間的で、温かいマインドを持っていることも教えられる。さらにそれらを、原作者もファンだという阪神タイガースの選手の背番号とも関連づけて語ってくれるのだから、阪神ファンである私には特に楽しかった(村山の背番号11は、孤高の素数であるとか、江夏の28は完全数であるとか…)。

 この映画の素晴らしい点は、小泉監督の前2作とも共通する、淡々とした日常描写の中に、人間同士の素朴な心の触れ合い、人を思いやる心の大切さ、静かに語りかけている点である。息子との二人暮らしに疲れている杏子は、博士と過ごすことで心が癒され、博士も杏子と息子との交流を通して(文字通り)心に空いた穴を埋めて行くこととなる。過去の博士との経緯から心を閉ざしていた浅丘も、やがて心の扉を開放して行く。人は誰も孤独のままでは生きて行けないのである。

 そうした物語を、成長したルート(吉岡秀隆)が数学教師となって、生徒たちに数学の授業をするという設定で、博士の数式について分かり易く解説を加えると共に、博士と過ごした至福の時の想い出を語る…という構成(これは原作にない)が実にうまくはまっている。見事な脚本である(脚本も小泉自身)。

 出演者がみな素敵である。博士役の寺尾聰、博士の義姉役・浅丘ルリ子、家政婦役・深津、その息子役・斎藤隆成、成長後の吉岡秀隆、いずれも好演。博士は原作のイメージ(原作者は寺尾の父・宇野重吉を想定したという)とはちょっと違うが、観終わって、家政婦が心を寄せる相手としてはやはり寺尾で正解だったと思う。前作と同様、四季の風景を丁寧に織り交ぜた演出も小泉監督らしい誠実さが出てて良かった。小泉監督は、1作ごとに師匠黒澤明の弟子というイメージを離れ、独自の世界を持った名監督になりつつある。次回作が楽しみである。

 (採点=★★★★★

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2006年1月22日 (日)

「THE 有頂天ホテル」

Uchoutenhotel (2006年・東宝/監督:三谷 幸喜)

 売れっ子脚本家、三谷幸喜の監督3作目の作品。大晦日のカウントダウン・パーティを控えた一流ホテル内のてんやわんやを、多彩な登場人物を巧妙に配して描いたコメディ。

 とにかく、登場人物が凄く多い。ホテルの従業員だけでも副支配人、接客係、客室整備係、ベルボーイ、それに(そういう係がいることを初めて知った)筆耕係などがおり、泊り客も種々雑多、トラブルを撒き散らす芸人、マスコミから逃げている疑惑の国会議員や、追い出されてもしぶとく潜り込むコールガール、等々…。それらを絶妙に交通整理し、しかも物語は現実時間と一致して進行する。そうした込み入った物語を、ダレることなくテンポよくまとめた演出と脚本はさすがにお見事である。興行的にも大ヒットしているようで、まずはめでたいことである。

 しかし、内容には不満が残る。笑わせようとするあまり、現実にはあり得ない展開が目立つからである。

 例えば、顔にドーランを塗ったままでホテル内を逃げ回る支配人(伊東四朗)。ホテル内は知り尽くしているはずだろうに。逃げ込むにしても、洗面所に入って携帯掛ければ済む話(石鹸だってある)。あれではただのバカである。客室係の松たか子が制服の上から客のコートや宝石を着用するだけでも問題なのに、そのまま客になりすましてホテルのロビーで芝居するに至っては引いてしまった。副支配人の新堂(役所広司)が、別れた妻に見栄を張ってマン・オブ・ザ・イヤーのゲストになりすますあたりもちょっと無理があるし、またあんまり面白くもない。新米従業員ならともかく、副支配人があそこまでウソをつけば問題になるよ。

 そんなこんなでゴチャゴチャしてて、本来クライマックスとなるべき、売れない歌手(YOU)がパーティで歌って喝采を浴びるシーンが意外に盛り上がらない。「グランド・ホテル」の出演者の名をつけたスィートルームについても、よっぽどの古い映画ファンでないと何のことやら分からないだろう。これはちょっと懲りすぎ。

 まあ観ている間は楽しいし、いろいろお遊びもあるので観て損はないと思う。個人的には、アヒルの腹話術師役で、旧日活映画ファンには懐かしい榎木兵衛さんが元気な姿を見せてくれているのが嬉しかった。だが、監督1作目の「ラヂオの時間」の面白さには遥かに及ばない。本作は、単に騒々しいだけで観終わっても心に残らない…と言えば厳しすぎるだろうか。
少なくともあの1作目には、全員で力を合わせて計画を成し遂げる高揚感と至福感が漲っていたと思う。三谷監督には、あの頃の初々しく、ひたむきで誠実な演出ぶりを思い起こして欲しいと願う。 

 (採点=★★★☆

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2006年1月14日 (土)

「フライトプラン」

Flightplan (2005年・タッチストーン/監督:ロベルト・シュヴェンケ)

 高度1万mの飛行機の中で、突然娘が消え、誰も姿を見なかったと言う。母親(ジョディ・フォスター)は必死で機内を探すが見つからない。それどころか、搭乗記録もないし、調査報告では娘は数日前に死んでいると聞かされる。いったい真相は?。あるいは娘がいるというのは、母親の妄想なのか・・・。

 ストーリーだけ聞くと、昨年の問題(?)作「フォーガットン」が思い出される。あれはヒドい映画だったが、こちらは大丈夫かいな…と不安になる。こういう展開の作品は、ヒッチコックの名作「バルカン超特急」が代表作として有名であり、本作はどうやら「バルカン超特急」をかなりヒントにしているフシがうかがえる。予告編にも出て来るのでネタバレにはならないと思うが、娘が実在していた証拠をフォスターがみつけるくだりも「バルカン-」そのまんまである(それにしても、あの劇場予告編、ストーリーをバラし過ぎである。全体の2/3まであれ見て分かってしまった)。

 うーむ、いったいどんな謎又は陰謀が隠されているのだろうか…と、途中まではワクワク、ドキドキさせられた。

 ところが、である。後半に突入すると、途端に話が雑になる。ほとんど偶然が重ならないと無理な、お粗末なトリックである。多分、「バルカン-」からヒントを得て前半のストーリーを考案したものの、後半のアイデアが浮かばなくて苦し紛れにデッチあげたような脚本である。ラストに至ってはフォスターはもはや女ランボーか、「エイリアン」のリプリーか…というメチャクチャな展開で、あいた口がしばらくふさがらなかった。よくまあこんな脚本を採用したものである。

 「フォーガットン」といい、最近のハリウッド映画の脚本レベルはかなり酷い。とことん書き直させるプロデューサーもいないのだろうか。おまけにラストで(ネタバらすけど、こんなの隠す値打ちもない!)ヒロインの近くの席にいた子供が「だからあの子を見たといったのに」とほざいている。それなら苦労して隠蔽してもぶち壊しではないか…と突っ込みたくなる。
機内にいたアラブ人をフォスターが犯人扱いするあたりもどうかと思う(その後のフォローも全くない)。

 まあお馴染み、母親の子供を思う愛の強さ―というテーマはちゃんとあるが、だからと言って許されるものではない。私としてはお奨め出来るシロモノではないが、ハリウッドらしい見せ場はいくつかあるので、お暇ならお好きなように…とだけ言っておこう。 

 (採点=

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2006年1月 4日 (水)

「お父さんのバックドロップ」

Farthesbackdrop(2004年・シネカノン/李 闘士男 監督)

軽妙なエッセイや、長編小説「ガダラの豚」で知られる、中島らもの原作小説の映画化。ミニシアターのレイトショーで観たのだが、これは見事な快作である! 楽しくて、微笑ましくて、そして最後に素晴らしい感動が待っている。これぞ、誰が観ても泣けて感動できる、エンタティンメントの王道である。大衆娯楽映画としては、本年屈指の力作である。おススメ。

主人公は2流プロレス団体に所属する中年プロレスラー、下田牛之助(宇梶剛士)。彼には10歳になる息子・一雄(神木隆之介)がいるが、年中巡業で、妻が死んだ時にも帰ってやれなかった為、一雄からは嫌われている。興行が思わしくない所属団体の危機を救う為、髪を金髪に染め、ヒール(悪役)に転向した父の姿を見て、一雄はプロレスも父もますます嫌いになる。そんな一雄の反抗心を見た牛之助は、息子の信頼を取り戻す為、折から来日した極真カラテのチャンピオン、ロベルト・カーマン(エヴェルトン・テイシェイラ)に無謀な挑戦状を叩きつける。年齢的にも、体力的にも、とても勝ち目のない相手にコテンパンに痛めつけられながらも、それでも牛之助は必死で戦いを挑む。その姿を見た一雄は、初めて父を応援する気になり、会場に向う。そして、映画は感動のクライマックスを迎える…。

物語としては、昔からよくあるパターンで、「チャンプ」や、「ロッキー」や、ロバート・アルドリッチの快作「カリフォルニア・ドールス」あたりを立ちどころに思い起こすことが出来る。そして何より、“ショボくれたチームが、明らかに劣勢な状況の中で、最後の最後で大逆転勝利する”―という、私の大好きな、正しい娯楽映画の王道パターンをきちんと踏んでいる点がいい。しかもそこに愛らしくけなげな子供を絡ませ、泣かせる要素をうまく取り入れている。これが娯楽映画のツボである。本作はさらに、舞台を関西に持ってきて、松竹新喜劇ばりの、下町の人情噺の味わいも含ませている。私は主人公たちの行きつけの焼肉屋で、母を手伝い甲斐甲斐しく働く、一雄と同い年の少年(阪本順治監督「ぼくんち」でも好演の田中優貴)を見て、はるき悦己のマンガ「じゃりんこチエ」を思い出した(この少年の役名が、テツであるのは偶然か(笑))。

この映画が泣けるのは、そうした要素をバックに、仕事一筋に打ち込んで家庭を顧みなかった中年男が、勝ち目のない戦いに果敢に挑み、その姿を愛する息子に見せる事によって、父親としての威厳を回復して行く、そのひたむきな姿に心打たれるからである。子供を持つ中年世代にとっては、これはまさに身につまされる話である。打たれても、血みどろになっても、その度に立ち上がって来る牛之助の姿に、リング席の観客の間から“牛之助”コールが巻き起こって来る。これは感動的である。映画の観客である我々も、つい立ち上がり応援したくなるくらい胸打たれ、そして涙が溢れて来るのである。無論私も泣いた。ポロポロ泣けた。パターンだと分かっていても、これは泣ける。そして、我々も、家族のために頑張らなければ…と思うのである。仕事に疲れた人、親子の対話に悩む父親は、是非この映画を観て欲しい。きっと元気になれるはずである。

牛之助を演じた宇梶剛士が、映画初出演とは思えない快演を見せる。一本気で、人情家で、体力の衰えを隠せない年代になっても、プロレスに一途に打ち込む中年男の哀愁を体で表現している。そして息子を演じた神木隆之介クンが素晴らしい。天才である。これほど観客の心を掴む子役が登場したのは何年ぶりだろう。大事に育って欲しい。これが監督第1作となる新人、李闘士男、お見事。今後の活躍も期待したい。なお、脚本を書いたのは「血と骨」などの売れっ子、鄭義信。個人的には本年度脚本賞を与えたい。

原作者の中島らもが、散髪屋の役でカメオ出演している。惜しくも突然の事故で急逝したが、亡くなる前にこの映画を観て、とても感動したとの事であり、何よりである。冥福を祈りたい。

それにしても残念なのは、これほど感動出来る力作(掲示板でも感動の声が多い)が、何故ミニシアターで、細々と公開されなければならないのか。これは全国規模で、是非多くの人に観せるべきである。こうした作品がヒットし、多くの観客を呼ぶようになってこそ、日本映画は面白くなるはずである。    (採点=★★★★☆

(2004年12月3日)

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2006年1月 3日 (火)

「五線譜のラブレター DE-LOVELY」

(MGM=20世紀フォックス:アーウィン・ウィンクラー 監督)

数々の名曲を世に送り出した作曲家、コール・ポーターの伝記映画。

音楽家の伝記映画と言えば一時は盛んに作られていた(ジョージ・ガーシュイン=「アメリカ交響楽」、エデイ・デューチン=「愛情物語」「グレン・ミラー物語」等々)。最近はあまり作られなくなっていたように思う。で、コール・ポーターと言えば、「夜も昼も」、「ビギン・ザ・ビギン」、「オール・オブ・ユー」、そして「インディー・ジョーンズ・魔宮の伝説」の冒頭のミュージカル・シーンに使われた「エニシング・ゴーズ」などで広く知られた作曲家であり、またMGMを中心としたミュージカル映画「踊るアメリカ艦隊」「踊る海賊」「キス・ミー・ケイト」「上流社会」「絹の靴下」などにも楽曲を提供しており、ミュージカル映画ファンには特になじみの深い伝説の作曲家であるとも言える。ちなみに、既に1946年に、「夜も昼も」という題名でコール・ポーターの伝記映画が作られている(ポーターに扮したのはケーリー・グラント)。この時はまだポーターは存命で(没年は1964年)、いわゆる半生記であった。

で、本作は、死を目前にしたポーターが、友人の案内で劇場において彼自身の半生のドラマを眺める…というちょっと変わった趣向。ポーターに扮したのは名優ケヴィン・クライン。最愛の妻リンダを演じたのはアシュレイ・ジャッド。基本としてはポーターと妻の深い夫婦愛をしっとりと描いているのだが、「夜も昼も」と違うのは、ポーターが実はゲイであった事を暴露している点で、このあたりはいかにも今ふうである。しかしまた、妻も深く愛しており、リンダの死を看取るシーンは感動的であった。ラストは、ポーターの孤独感が悲痛で、胸を締め付けられる。

監督のアーウィン・ウィンクラーは、'70年代に「いちご白書」「ひとりぼっちの青春」等の傑作青春映画、そして「ロッキー」シリーズを製作した名プロデューサーであり、最近では「海辺の家」「勇者たちの戦場」等、しみじみとした佳作の監督としても活躍している。本作も見応えのある作品に仕上がっている。

映画ファンとして楽しいのは、舞台や街頭で歌い、踊るミュージカル・シーンがふんだんに登場する場面で、よく考えればこの映画の製作会社はかつてミュージカル映画の傑作を量産していたMGM!。中でも「ピエロになろう」(Be a Crown)という楽しいミュージカル・ナンバーは、MGMミュージカルの大傑作「雨に唄えば」の中でドナルド・オコナーが歌った"Make 'em Laugh"を思い起こさせ、特に感慨深かった。ポーター・ファンや、とりわけMGMミュージカル・ファンは必見であるとお薦めしておく。       (採点=★★★★

(2004年12月7日)

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連句アニメーション「冬の日」

Fuyunohi_2(2003年・IMAGICAエンタティンメント:
川本 喜八郎 総合監修) 

これは、非常に珍しい(と言うより世界初の)連句アニメーションである。

連句とは、複数の歌人が前の人の下の句を受け、自分の句を鎖のようにつなげていく合作の文学形式…というものである(最初に詠まれる「発句」が独立して「俳句」になったといわれている)。中では、松尾芭蕉による七部集「冬の日」が有名であり、本作のタイトルはそこから取られている。

この作品は、その連句の形式で、世界中の錚々たるアニメ作家に、既存の連句を元に短編アニメを作ってもらい、それらを繋げて1本のアニメ作品として完成させたものである。

Fuyunohi2 中心となり、企画・監修したのは、日本のみならず世界的にも名高い人形アニメ作家の川本喜八郎氏。氏の呼びかけに、世界中から35人のアニメ作家が集まり、連句にインスパイアされた映像を競い合っている。集まった作家は、「話の話」などで知られるロシアのユーリ・ノルシュテイン、「老人と海」でアカデミー賞受賞のアレキサンドル・ペトロフ、「火童」が高い評価を受けた中国の王柏栄、「頭山」がアカデミー短編賞にノミネートされた山村浩二、そして名前を聞けば思い当たる日本有数のアニメ作家たち、久里洋二古川タク林静一小田部羊一高畑勲…等々であり、Fuyunohi3 アニメに興味のある人ならこれらの名前を聞くだけでもワクワクして来ることだろう。そして、作品を観たなら、アニメファンのみならず、アニメに関心のない方でも、その豊かなイマジネーションの広がりには感嘆するに違いない。それほど、1本1本の作品は(平均して1分前後のごく短い作品であるにもかかわらず)実に丁寧な作りで見応えがある。

単にアニメと言っても、実にさまざまな手法がある事が作品を観れば分かって来る。普通のセルアニメ以外にも、人形アニメ、切り絵アニメ、クレイ(粘土)アニメ、油絵アニメ、水墨画アニメ、CG、ピンスクリーン(無数の釘を出したり引っ込めたりして白黒を表現する)等々・・・まさに職人芸であり、見事な芸術である。公式サイトの予告編に、ノルシュテイン作品や川本氏の人形アニメがワンシーン出て来るが、風にそよぐ着物の動きだけを見てもその見事さの一端を窺い知る事が出来る(注:現在公式サイトは閉鎖。残念である)

35人による36本(川本氏が2本)のアニメそのものは45分程度だが、後半はそれら作家たちへのインタビューや製作過程を追ったメイキング編となっている。これがまた面白い。ノルシュテインのあの繊細な絵はどうやって作っているのかが見れるだけでも興味深い。

本作は、文化庁メディア芸術祭アニメ部門の大賞、毎日映画コンクールで大藤信郎賞(日本で一番権威のあるアニメ賞)を受賞し、キネマ旬報文化映画ベストテンでも3位に入るなど、さまざまな賞を受賞し、高い評価を受けている。残念ながら劇場公開は東京、大阪、名古屋のごく一部の劇場でのみの上映であり、あまり多くの人の目に触れられていない(私は家の近くで上映していたので幸運にも観る事が出来た)。
ビデオは出ているが、その繊細な描写は大きなスクリーンで隅々に至るまでじっくり見るのが望ましい。ともあれ、アニメに興味のある方は必見であり、また俳句・短歌に興味のある方も是非観ることをお薦めする。個人的には本年のベスト3に入れたいし、出来うるなら手元に置いて何度も眺めたい、これは素晴らしいアートの秀作である。    (採点=★★★★★

(2004年2月22日)

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「東京ゴッドファーザーズ」

Tokyogodfarthers(2003年:ソニー・ピクチャーズ/監督:今 敏 )

これまで、「パーフェクト・ブルー」「千年女優」という、いずれも優れたアニメーションを監督して高い評価を受け、海外にもその名を知られる今敏が、またも傑作アニメを作り上げた。これは恐らく、アニメとしては本年度の最高作であるばかりでなく、日本映画全体の中でも屈指の傑作だと思う。

東京の街中で暮らすホームレス3人組が、クリスマスの日にひょんな事から捨て子の赤ん坊を見つけ、その親を捜し求めるうちに騒動に巻き込まれて行く…という物語。

笑いあり、涙あり、アクションもあればスリリングなサスペンスもありと、あらゆる娯楽的要素が盛りだくさん。特に、それぞれ心に深い傷を持つ、まったく縁もゆかりもない3人の男女が、行きがかりで一緒に赤ん坊の親を捜すうちに、次第に家族にも似た心の絆を強めて行く…という展開が心を打ち、単なるエンタティンメントに終わっていない。

この3人、ギャンブルにのめり込み、妻と子を棄てた中年男ギン(声:江守徹)に、おカマのハナ(梅垣義明)、家出した娘ミユキ(岡本綾)という組み合わせが父と母と子のようでもあり、言わば擬似家族を構成しているように見える(実際、ミユキの夢の中ではこの3人は本当の家族なのである)。物語の中には、さまざまな“家族”が登場し、それぞれに悩みを抱え、本当の家族像を模索し、苦闘する姿が描かれ、よく見ればなかなか奥が深い。そう言えば、ホームレス、捨て子という本筋以外にも、在留外国人犯罪者、ホームレス狩りの若者たち、ヤクザ…等が登場し、これはまた現代の日本が抱えるさまざまな病巣をもしたたかに描いた問題作でもあるのである。

しかしトータルでは前述のように、スリリングなエンタティンメントとしてうまくまとめており、ラストではギンもミユキもそれぞれ自分の家族の絆を取り戻すであろう事もさりげなく匂わせ、爽やかな余韻を残して映画は終わるのである。

観た人の間では、エンディングに向けてあまりにも偶然が重なり過ぎる…との不満の声もあるようである。しかしこれは、クリスマスの日に起きた奇跡…と考えれば十分納得できる。現実離れしたファンタジーの世界では、何が起きたって不思議ではない。クリスマスとの関連で言えば、フランク・キャプラの傑作ファンタジー「素晴らしき哉、人生!」をも思い起こせばよい。丁寧に作られ、感動さえさせてくれれば、どんなに都合よく物語が進んだって納得できるのである。

題名のゴットファーザーズとは、マフィアにあらず(笑)、ジョン・フォードの秀作「3人の名付親」原題"Three Godfathers"。3人の悪党が赤ん坊を町まで届ける話)から来ている。テーマやストーリーもこの作品からいろいろとヒントを得ていると思われる。

デビュー作「パーフェクト・ブルー」はサイコ・スリラー、「千年女優」は戦前戦後を生きた伝説の女優の半生記…と、1作ごとにまったく違うジャンルに挑戦しながら、いずれも成功させた今敏監督は、今やポスト宮崎駿を狙える、アニメ界のみならず、日本映画界のホープであると言えると思う。しかも1作ごとにエンタティンメント度を高めている。大人から子供まで、誰が観ても楽しめ、なお且つ考えさせられる、これは本年ベストを狙えるお薦めの傑作である。 
(採点=★★★★★

(2003年11月29日)

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「ゼブラーマン」

Zebraman (2004年:東映/監督:三池 崇史)

 日本一忙しい監督・三池と、日本一忙しい脚本家・宮藤官九郎とが初めてコラボレーションを行い、これもまた映画にVシネマに大忙しの哀川翔が主演した、まさにユニークな組み合わせにふさわしい快作が出来上がった。

 主人公市川新市(哀川翔)は風采の上がらない小学校の教師。学校でも家でも影が薄い。しかし彼は、子供の頃に放映されていたテレビ特撮番組「ゼブラーマン」の隠れた大ファンで、自らミシンで作った手製のコスチュームをまとっては1人悦に入ってる…という、ややオタクな男。前半はこの市川のなんとも情けない、ドジで子供っぽい行動がコミカルに描かれて笑わせられる。 ところが中盤から、人間の体を乗っ取り、地球を侵略しようと企む宇宙人が正体を現わし、これに気付いた市川は次第に地球を守るヒーローになるべく、努力を重ねて行くのである。

 時々難解な作品を作ってしまう三池にしては、ごく判り易い正攻法の演出で、後半に向けてグイグイドラマを引っ張って行く。宇宙人に乗っ取られかけた自分の息子を救った事から、気の弱かった市川は息子にも励まされ、夢見るだけでしかなかった正義のヒーローに本当になろうと決意する。

 かつてのテレビドラマでは、ゼブラーマンは空を飛べなかったから負けた事を知った市川は、無謀にも空を飛ぶ特訓を積み重ねる。何度も何度も墜落し、コスチュームはボロボロになって行く。しかし息子の「お父さん、頑張って!」の声や、マドンナ、可奈(鈴木京香)にも励まされ、やがて彼は遂に本当の闘うヒーローに変身してしまうのである。このあたりは泣ける。

 可奈の息子で、足の悪い晋平が「勇気を出せば出来るんだ」と必死で立ち上がって見せようとするシーンにも胸が熱くなるし、その晋平が宇宙人に校舎から落とされた時、彼を救う為、遂にゼブラーマンが空を飛ぶ…このシーンはあの「E.T.」で自転車の少年たちが空に舞い上がるクライマックスを思い起こして涙が溢れそうになった。「信じれば、夢はかなえられる」というセリフが出て来るが、まさにこれは夢を信じ続けた男が、究極の夢を実現してしまう奇跡の物語なのである。

 「なぜ市川が空を飛べるのか分らない」なんてヤボを言う人はこの映画を楽しむ資格はない。映画そのものが現実にはありえない夢の世界を映像化する装置なのだから。
誰もがスクリーンに夢を投影し、そして我々と同じ等身大の普通のお父さんが、子供の為に、家族の為に戦い、奇跡のヒーローになれる…。それが映画である。子供の頃にスーパーヒーローが戦うドラマに夢中になった経験があり、大人になっても子供の頃の夢を忘れていない、子供を持った、ちょっと疲れたお父さんならきっと涙してしまい、そして元気になれる、これはそんな素敵な映画なのである。見るべし!     (採点=★★★★☆

 (2004年3月14日)

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2006年1月 2日 (月)

「人狼 JIN-ROH」

Jinrou_22000年・日本/配給:バンダイビジュアル=メディアボックス
監督:沖浦啓之
演出:神山健治
原作:押井 守
脚色:押井 守
キャラクター・デザイン:沖浦啓之、西尾鉄也
エグゼクティブ・プロデューサー:渡辺 繁、石川光久 

「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」で世界に名をとどろかせたジャパニメーションがまたまたやってくれた。前作ではそのタイトなアクション描写とダークな世界観に賛辞が集まり、「マトリックス」を始め多くの映画作家に影響を与えることとなった。その「攻殻-」の監督である押井守が原作・脚本を書き、同作のキャラデザイン・作画監督を担当した沖浦啓之が初監督に挑戦したのが本作である。期待と注目が集まるのは当然であるが、沖浦監督、そのプレッシャーをはねのけ、見事な傑作に仕上げてみせた。

作品の流れとしては、「紅い眼鏡」「ケルベロス・地獄の番犬」に続くケルベロス3部作の最終作に位置付けられる。従って本当は前2作を先に見ておく方がいいのだが、本作のみを見ても十分面白い。何より、パラレルワールドとしての昭和30年代が舞台という設定が秀逸。実際の歴史では30年代後半から高度経済成長の道をひた走った日本は、平和ボケにバブル崩壊ととんでもない袋小路に陥ってしまうのだが、押井は「あの時代から歴史は折れ曲がってしまったのだ」とばかりに、もう一度戦後史をやり直そうとするかのようにもう一つの30年代を描いたのである。そして、そうした混沌の中で出会った男と女の愛の彷徨を、押井が敬愛してやまないアンジェイ・ワイダの「灰とダイヤモンド」の物語そのままにしっとりと描いている。

そう、戦争と体制の謀略に翻弄され、悲劇的な結末を迎えるという共通点から見てもこれはまさに押井版「灰とダイヤモンド」なのである。この映画がワイダ作品へのオマージュであるのは、前半の下水道内のシークェンスがワイダのもう一つの傑作「地下水道」そっくりであるのを見ても分かるだろう。これらの物語展開や迫真の都市ゲリラ戦、実写では到底再現不可能な30年代の東京下町のリアルな風景描写も含め、すべてのシーンがクオリティが高く、密度の濃い映像が凝縮されている。こういう完成度の高い映画を作ったのが、弱冠33歳!の新人監督であるというのも驚きである。

しかしこの監督・沖浦啓之のフィルモグラフィを見てまたまた驚いた。なんと16歳でアニメ界に飛び込み、19歳!で「ブラックマジックM-66」(注1)(「功殻機動隊-」の士郎正宗原作・脚本・監督)という、当時アニメファンの間ではカルト的な人気を博した傑作OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)の作画監督を担当(本稿を書く為押入れから出して再見したのだが、今見てもまったく古さを感じさせない、「ブレードランナー」+「ターミネーター」とでも言うべき力作である)。
その後も21歳で「AKIRA」、24歳「老人Z」、26歳「機動警察パトレイバー2」(注2)「MEMORIES」のそれぞれの原画を担当、28歳で前述の「攻殻機動隊」と、よく見ればこれすべて海外で高い評価を得ているジャパニメーションの傑作ばかりなのである。強運なのか、彼の参加によってクオリティが上がったのか、とにかくスゴい経歴の持主であり、押井が本当は自分で監督したかった本作を彼にまかせる気になったのもこれなら頷けるだろう。興行的にもまずまずだったし、何より海外の反響がすごい。宮崎駿の後継者はなかなか出てこないが、押井守の後継者は彼に決まりだろう。次回作は是非オリジナル作品を監督して欲しい。素晴らしい新人監督の誕生に惜しみない拍手を送りたい。    (採点=★★★★☆

(注1)ちなみにこの作品(「ブラックマジック-」)、わずか45分という短さにもかかわらずセル枚数は35,000枚!に達したという。その為、動きが実に滑らかで、全編たたみかけるアクションの連続に興奮させられる。なお士郎正宗と共同で監督を担当したのが「老人Z」の北久保弘之。後の傑作ジャパニメーションの精鋭が結集しているという点でもこの作品の歴史的価値は大きい。もっと評価されるべきではないか。

(注2)「パトレイバー2」は、キャラクター・デザインが1作目(原作コミックとほぼ同じキャラ・デザイン)とまるで違って顔に影がかかったり、すごくリアルなデザインとなっている。何故かよく分からなかったのだが、「人狼」のキャラクター・デザインが「パトレイバー2」とそっくりであったところからして、多分沖浦啓之の参加が影響しているのではないかと私はにらんでいる。(沖浦は1作目には参加していない)

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「ミリオンダラー・ベイビー」

Milliondollarbaby (2005年:ワーナー/監督:クリント・イーストウッド)

 クリント・イーストウッド監督・主演で、アカデミー賞作品賞他4部門に輝いた秀作。

 最初予告編を観た限りでは、これは貧乏だった女性ボクサーが、苦難の末にチャンピオンになるまでのシンデレラ・ストーリーだとばかり思っていた。―それなら、エンタティンメントとしては面白いが、あのイーストウッドが、そんな単純な娯楽映画を作るのかな…とちょっと疑問には思った。

 観てみてビックリした。やはりイーストウッドはただ者ではない。なるほど、これはやられた。そんな物語だったとは想像がつかなかった。さすがは「許されざる者」「ミスティック・リバー」のイーストウッドである。

 どんな映画であるかは、これ以上語らない方がいい。とにかく素晴らしい傑作である。できるだけ余計な情報を入れずに見るべし。

(以下ネタバレ)
 前半は、プア・ホワイトの貧しい環境から必死に這い上がろうとするマギー(ヒラリー・スワンク)が、めきめき腕を上げ、連戦連勝で、遂に世界タイトル戦に挑戦するまでを快調なテンポで描く。そんなにいきなり強くなれるのか…という疑問も湧くが、そんな点は映画を観ておればどうでもいい事だと気付く。

 そのチャンピオン戦でマギーは、相手の反則が元で首の骨を折り、半身不随になってしまう。映画はここから、ガラッとペースを変えて、死なせて欲しいと望むマギーと、老トレーナー、フランキー(イーストウッド)との、心の葛藤、ストイックな愛、そして最近のイーストウッド映画に共通する“贖罪”をめぐる、重厚な人間ドラマが織り成されて行くのである。

 フランキーが、自分の娘に対して送り続け、そして送り返されて来る手紙のエピソードにも、娘に対してフランキーが何らかの罪の意識を感じている事が伺えるが、その理由を映画はあえて語らない。またジムで働くスクラップ(モーガン・フリーマン)にもフランキーは、彼の片目を失わせたという罪を感じている。彼は自分では“許されざる者”と感じているのだろう。しかしスクラップも、そしてマギーもフランキーを心から許しているに違いない。

 “許す”とは、どういう事なのだろうか。フランキーの娘が手紙を拒否し続けているのは、むしろフランキーに会いに来て欲しい―と望んでいるからではないだろうか。フランキーがマギーに寄せるせつない思いが、娘に対する思いとも重なり、この映画は、人間が生まれながらに背負う、“業”―罪の意識の深さ―それを究極で許すのは、人間の深い愛なのではないかと訴えているのである(それらをもっと理解する為には、フランキーが信ずるカトリック教義をより深く知るべきかも知れないが)。

 “尊厳死”というありふれたテーマではこの映画の真価は図れない。そこをさらに突き抜けた、もっと奥深い、人間の運命、心の絆そのものに迫った問題作なのである。

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 それにしても、イーストウッドは不思議な人である。本来ならマネーメイキング・スターとして、単純明快ななアクション映画に出ているだけで稼げるのに、自分で監督をするようになってからは自分のプロダクションで、異色の、ほとんど儲からないような作品を積極的にプロデュース・演出している。
 監督3作目にして、早くも「愛のそよ風」(73)なる、初老の男と少女とのピュアなラブストーリーを演出し、見事にコケている(わが国では劇場未公開)。

 その後も、売れないカントリー歌手の死に様を描いた「センチメンタル・アドベンチャー」(82)だとか、チャーリー・パーカーの生涯を描いた「バード」(88)だとか、映画「アフリカの女王」製作の裏話を描いた「ホワイトハンター・ブラックハート」(90)だとか、社会派ミステリー「真夜中のサバナ」(97)だとか、ほとんど客の入らない地味な映画を多く監督している(わが国ではそれらはことごとく2番館とかミニシアターでひっそり公開された)。

 本作も、大手のワーナーが出資を渋り、別のプロダクション(レイクショア)が資金提供してやっと製作に漕ぎ着けた。それほど、企画としては地味な作品である。それが出来がいいせいもあって、最近のイーストウッド作品では久しぶりのヒットとなったのはまことに喜ばしい。

 そして、本作品の底流に流れるのは、以上に挙げた“儲からない作品”に共通するテーマ―何かに突き動かされるように、ひたむきに生き急ぎ、そして死に急ぐ人たちの生きざま(「センチメンタル-」「バード」)であったり、目的の為には手段を選ばない、ファナティックな男の人生(「ホワイトハンター-」)であったりするのである。そうしたイーストウッド作品をずっと観て来ておれば、本作の素晴らしさはより理解できるだろう。これ以上は書かない。劇場で確かめていただきたい。

 イーストウッド自身の作曲によるシンプルなギター・メロディも忘れ難い。何度も観たくなる、本当の傑作である。    (採点=★★★★★

(2005年6月7日)

 

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「殺人の追憶」

Memoriesofmurder (2003年:韓国/監督:ポン・ジュノ)

 最近好調の韓国映画界から、またまた衝撃的な傑作が登場した。

 1986年から91年にかけて実際に起きた、女性ばかり10人の未解決連続殺人事件を題材に、「ほえる犬は噛まない」で注目された新進気鋭のポン・ジュノ監督がダイナミックに演出。「シュリ」「反則王」などの人気俳優、ソン・ガンホが主役の地元刑事・パクを演じる。

このソン・ガンホ、容姿も小太りで愛嬌のある顔で、パク刑事のキャラクターも、実績はあるのだが乱暴だし(容疑者に飛び蹴り食わす尋問にびっくりする)、どこかピントがズレていて、しかしなんとなく憎めない…という設定がユニークで、妙なリアリテイがある(「現場に陰毛が落ちていないのは、犯人が無毛症だからだ」と銭湯で張り込むという、笑える場面もある)。

 やがてソウルから、若手の腕利き刑事・ソ(キム・サンギョン)がやって来て、細かい矛盾点を追求したり、鋭い観察眼を示すあたり、スリリングな展開で飽きさせない。軍事政権下であった当時の状況(灯火管制があったり、デモ鎮圧に手が取られて張り込みの人員が足らない…等)もうまく取り入れており、刑事ものとしてはわが「天国と地獄」「砂の器」などの傑作にも引けを取らない緊迫感が漂い、見応えがある。

 だが出色なのは、それまで冷静に真実を見つめていた―と思っていたソ刑事が、自分が知っていた女学生が犠牲になった事を知ると、理性を失って容疑者に凄惨な暴力を加える…という展開で、欠点がないと思われていた人間ですら凶暴な一面を露呈してしまう、人間そのものの弱さ、脆さを鋭く見つめた脚本・演出の見事さには唸ってしまう。

 ラストも素晴らしい。数年後の現在、最初の事件があった現場にやって来たパクが、そこで出会った少女から聞く目撃談を通して感じる、むなしさと人間の不可解さ…。空はどこまでも青く美しい。見事な幕切れである。これは現在までに観た今年の映画の中で、群を抜く最高作であり、韓国映画の質の高さを証明した、お薦めの傑作である。必見!      (採点=★★★★★

(2004年3月7日)

 

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「十五才・学校Ⅳ」

Juugosai (2000年:松竹/監督:山田  洋次)

 このシリーズ、1作目はまずまずだったものの、以降1作ごとにボルテージが落ちて来たように思える。今回はガラリ、スタイルを変えてロードムービー仕立てにしたのが成功し、山田作品としても近来にない秀作となった。

 学校とは、本来どうあるべきなのだろうか。毎日面白くもない授業を受け、重苦しい受験勉強をして大学に受かればそれで事足れリでいいのだろうか・・・。主人公の少年はそれに疑問を感じ、不登校の末に家を飛び出し旅に出る。

 何の疑問も抱かず登校しているだけの普通の中学生に比べれば、彼の問いかけの方がよっぽど真摯だし正しいと言える。少年は旅の途中、さまざまな大人たちのさまざまな人生と出会い、人の善意に涙し、自然の怖さを知り、大人のエゴに怒り、学校では絶対に学んでこなかった体験を経てちょっぴり成長する。旅こそが彼にとっての本当の学校となったのである(この間見たチャン・イーモウ監督「あの子を探して」ともテーマとして共通するものがある)。

 再び戻った学校が彼にとって面白いものになったはずはない。だけど少年は感じる。つらいこと、いやなことがあってももう逃げない。それもまた人生であり勉強なのだ、と・・・。久しぶりに山田洋次の本領を発揮した、本年屈指の力作である。家庭内にいろいろな悩みを抱える人ほど見て欲しい。きっと元気になれるはずである。

 振り返ってみると、山田洋次作品のうちの秀作と呼べるものにはロードムービーが多い。「家族」(70)、「幸福の黄色いハンカチ」(77)という2大傑作はいずれもロードムービーだし、寅さんが日本中を放浪する「男はつらいよ」もある意味でロードムービーと言える。ちなみに寅さんシリーズの「ぼくの伯父さん」は、満男が大学受験に失敗し、親とケンカして家出するという、本作とそっくりなお話で、最後に家に帰った満男に対する両親のリアクションもよく似ている(ついでに、旅に出て最初に出会う、イヤな大人がどちらも笹野高史という点も共通している(笑)。それと、旅の最後に出会う大人の前田吟(寅さんシリーズの満男の父親役)の役名がなんと“満男”なのには笑わされた)。

 そう思えば、本作の主人公の少年を演じた金井勇太は、風貌、喋り方も満男役の吉岡秀隆とよく似ている。吉岡は寅さんシリーズ以外でも「虹をつかむ男」で同じく家出し旅に出ている。つまりはこの作品、山田洋次がずっと描き続けて来たお話の集大成であるとも言えるのである。山田映画を見続けて来た人は余計楽しめる、素敵な秀作である。    (採点=★★★★☆

(付記)
山田洋次はインタビューで、この作品の題名を「家族Ⅱ」にしてもよかったと言っている(キネマ旬報11月下旬号)。で、思い起こせば、「家族」('70)でも前田吟はやはり“老いた父親を地方に残して都会で働いているサラリーマン”を演じていた。30年経ってもまったく同じ役柄を演じているというのも珍記録ではなかろうか?!

  (2000年12月4日)

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「パッチギ!」

Pacchigi(2005年:シネカノン/監督:井筒 和幸)

 1968年の京都を舞台に、日本の高校生と、朝鮮人の少女との恋を描いた青春映画の秀作。

 原作は、松山猛の「少年Mのイムジン河」。当時、「帰って来たヨッパライ」を大ヒットさせたフォーク・クルセダーズが第二弾としてレコードを吹き込んだのが「イムジン河」。ところがこれが朝鮮分断の悲劇を歌った内容であった事が政治問題化し、レコードは発売中止となってしまった。私は当時フォークソングが大好きで、フォークルのレコードも持っていた。「イムジン河」はフォークルが解散記念に作った自費出版レコード(映画の中にもそのアルバム・ジャケットが登場する)の中に収録されていたもので、ラジオでも何度か流れて好きな歌だった。これをストリングスも入れて吹き込み直したものが問題の曲で、実は発売直前にラジオに流れた事があり、テープに録音しておいたら発売中止になってしまい、これは私のお宝となった(その後行方不明になってしまったが(笑))。
 そんな事もあってこの曲には愛着がある。ちなみに松山猛氏はこの「イムジン河」の訳詩者でもある。

 映画は、原作を下敷きにしてはいるが、ほとんど井筒監督の自由な発想に基づき、喧嘩に明け暮れる朝鮮高校の若者たちの姿と、朝鮮高校に通う少女キョンジャ(沢尻エリカ)と日本の高校生・康介(塩谷瞬)との恋を並列して描いている。そして、二人を繋ぐのが「イムジン河」の歌なのである。河をはさんで分断され、同じ朝鮮民族なのに敵味方に分かれて対立しなければならない悲劇と、在日朝鮮人と日本の若者との民族の壁に隔てられた、まるでロミオとジュリエットのような恋とが、それぞれにこの歌の内容を象徴しているかのようである(対岸のキョンジャに会う為に、康介が鴨川を泳いで渡るシーンにもその寓意が込められている)。

 しかし何と言っても面白いのは、「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」を思い起こさせる、井筒映画らしいケンカ・シーンの迫力で、そのエネルギッシュでパワフルな演出は健在である。冒頭の観光バスを横倒しにする過激なシーンも、いかにも井筒監督らしい。全編、そうした青春のダイナミズムと、そして若者たちの爽やかな恋とがクロスし、見事な青春映画たり得ている。

 チラリと社会的なテーマ(強制連行)も盛り込んではいるが、それはあくまで点景で、中心となるのはいつの時代においても普遍的な、恋と喧嘩が火花を散らす若者たちの青春群像である。左翼かぶれの教師(これがなんと、やはり恋と喧嘩の青春映画の快作「博多っ子純情」で主人公の高校生を演じた光石研というのがおかしい)に対する皮肉も笑える。若手俳優たちの溌剌とした演技も素敵だし(沢尻エリカが可愛らしい)、そして何より、名曲「イムジン河」である。今聴けばどうってことない、あの程度の曲(最近やっとCDで発売された)ですら事なかれ主義で発売禁止にした、あの時代の空気も痛烈に批判し、そしてさまざまな障壁を越えて、明日に向って恋をはぐくむ若い二人の後姿に元フォークルの北山修と加藤和彦が歌う「あの素晴らしい愛をもう一度」がかぶさるラストシーンには、懐かしさも相まって涙が溢れた。

 人によっては、朝鮮人側にウエイトを置いた展開に反感を感じる方もいるかも知れない。しかし「冬ソナ」を中心とした韓流ブームの現在、もはやそんなわだかまりを抱く時代は終わっている。素直に青春映画として楽しみ、感動すればいいのである。井筒監督のこれまでの最高作であり、本年を代表する秀作としてお薦めしたい。    (採点=★★★★★

(2005年2月1日)

 

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2006年1月 1日 (日)

「アニマトリックス」 (DVD)

Animatrix (2003年・ワーナー/監督:アンディ・ジョーンズ・他)

 話題の「マトリックス」シリーズで描き切れなかったエピソードを、9編からなる短編アニメーションで表現した、もう一つの「マトリックス」ワールド。劇場では、エピソード1(ファイナル・フライト・オブ・ジ・オシリス)のみ、「ドリーム・キャッチャー」(ワーナー作品)の本編前に上映されたので、観た方もあるだろう。その他の作品は劇場公開されず、ビデオ初見参となる。

 もともと「マトリックス」は、ウォシャウスキー兄弟が「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」(押井守監督)や「AKIRA」(大友克洋監督)などのジャパニメーションに多大の影響を受けて作った作品であり、そんなわけでエピソードのいくつかはウォシャウスキー兄弟が脚本を書いてはいるが、全体的には日本の気鋭のアニメーター・監督に、基本コンセプトを守る以外はほとんど自由に作らせた、実質ジャパニメーション…とでも言うべき、短編アニメ作品集になっている。「マトリックス」ファンは必見であるが、日本のアニメーションの水準の高さを知らしめる意味でも、その作られた意味は大きいと言える。

 くわしい作品の内容は次のサイトを参照していただきたいが、
→ http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=3969
Animatrix3_2  この中で注目して欲しいのは、エピソード5「プログラム」で、監督・脚本は私の敬愛する川尻善昭。内容は、なんと!時代劇である。戦国時代らしき舞台で、馬に乗った女武者が黒づくめの敵と一大チャンバラ・バトルを展開する。さすがあの傑作「獣兵衛忍風帖」を作った川尻善昭だけあって、スピーディかつダイナミックな格闘シーンはすごい迫力。9編中一番面白い!。無論「マトリックス」エピソードであるから、Jubee すべてはコンピュータ内部の仮想現実であったというオチになっているが、敵の武者を実は密かに愛していたにもかかわらず、殺さざるを得ないヒロインの悲しみが的確に表現された、独立した短編アニメとしても見応えのある作品になっている。その他の作品も、9編中7編が川尻を含め、日本の新進アニメ作家が監督を手掛けている。

 ちなみに、エピソード1も日本のゲームソフト会社が製作した全編CGアニメ「ファイナル・ファンタジー」のアニメ監督でもあるアンディ・ジョーンズが監督したCGアニメであり、これも楽しい出来。これは「マトリックス」の1と2をつなぐエピソードである。またエピソード2と3は「マトリックス」1の序章の位置にあり、人類が何故機械に支配されるようになったかをくわしく描いている。本作を見れば、複雑な「マトリックス」3部作の不明だった部分がある程度見えて来るようにもなっている。

 それにしても…これ観て、川尻善昭はやっぱり凄い作家だと思う。誰か、彼に予算をたっぷり与えて、痛快なアクション・エンタティンメントを作らせてくれるプロデューサーはいないだろうか。     (採点=★★★★

(2003年10月8日)

 
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「GO」

Go (2001年:東映/監督:行定 勲)

 第123回直木賞を受賞した金城一紀のベストセラーの映画化。原作もなかなか面白いが、在日朝鮮人を主人公にしているので、映画化するにしても、なんか硬いものになる気がしていた。ところが、原作の持ち味をうまく生かした宮藤官九郎の脚色もいいし、演出の新人・行定勲が、これをさらにMTVのような感覚で斬新な映像と語り口を見せ、パワフルに疾走する素晴らしい青春映画の傑作が出来上がった。

 冒頭から、目まぐるしいくらいにカメラがよく動く。それにハイスピードとスローモーションを自在に組み合わせたモンタージュが絶妙(ガイ・リッチーの「スナッチ」の影響あり)。まずここで観客をノセてしまう。ケンカのシーンもテンポよく(鈴木清順の「けんかえれじい」のおおらかさと元気さを想起させる)、青春の一断片をザックリ切り取ったような演出は荒々しいようで、実は計算が行き届いている。

 主演の窪塚洋介がいいし、彼に好意を寄せる柴崎コウ(「バトロワ」の快演も記憶に新しい)がまたも好演、破天荒な両親役を演じた山崎努・大竹しのぶも実にうまい!その他でも、級友の山本太郎、細山田隆人(「五条霊戦記」でかわいらしい義経の替え玉を演じていた)なども好演。すべてのアンサンブルがいいのである。

 演出の切れ味は、地下鉄駅構内で行われるスーパー・グレート・チキン・レースのシーンでも如何なく発揮される。実際の地下鉄(フィルム・コミッション制度により神戸の地下鉄が協力)でロケしたこのシーンは、スリリングで凄い迫力である(こういうシーンが撮影出来るようになった事だけでも素晴らしい)。こうした、何者にも捕らわれない主人公の行動を追う事によって、深刻になりがちな、在日の問題についても、「国境」も「差別」も「それがどうした」とばかりに蹴散らして行く。それが爽快である。

 後半は一転、主人公は、彼に好意を寄せる少女・桜井に自分が在日である事を打ち明けるかどうかで悩む。ヘタをするとここで映画は失速してしまいかねないが、ここでも父親との対決をはさむ事によって深刻になるヒマすら与えず、物語は一気にラストに向かい、爽やかな幕切れで映画は終わる。ここはやや甘いという声も聞かれそうだが、あらゆる困難も悲しみも爽快に弾き飛ばして来た主人公たちは、これからもどんな困難があっても軽々と乗り越えて行くだろう事を予感させる…それでいいのである。

 暗い、ダサイと言われ続けて来た日本映画のイメージを180度変えてしまう…そんな素晴らしい青春映画が登場した。傑作である。必見!      (採点=★★★★★) 

(2001年10月1日)

 

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「顔」

Kao1 (2000年:松竹/監督:阪本 順治)

 阪本順治はようやく自己のスタイルを確立して来たようだ。デビュー当初は、勝負の世界(「どついたるねん」、「鉄拳」、「王手」、「BOXER JOE」)や復讐の物語(「トカレフ」)において、男たちの熱い闘いぶりを描いて来たが、「傷だらけの天使」2部作あたりから、どうしようもなく堕ちて行くダメ人間たちの生きざまをじっくり描くようになって来た。

 今回、初めて女性を主人公に据えてはいるが、スタイルは前2作と同じである。特筆すべきは藤山直美の圧倒的な演技力である。
 最初の頃は思いっきりダサい服装にモッサリした動きで登場し、妹にもバカにされていたが、母の急死を境に妹を殺し、逃亡生活を始めることになる。そのプロセスでさまざまな人に出会い、他人との付き合い方を学んで行き、ほのかに人を愛するまでになる。それにつれて服装も次第に身について行き、どんどん可愛らしくなって来るのである(最後の浴衣姿の可愛らしい事!)。

Kao2  彼女もまた堕ちて行くダメ人間なのだが、最初はまさに死んだような人生であったのに、堕ちて行くにつれ、逆に生き生きとした人間に生まれ変わって行く。人間とは他人とかかわり合わなくては生きては行けないのだ。それが最も象徴されているのが最後の離れ小島で老婆の身の周りを世話し、島の人たちからも慕われている姿である(警官までもが彼女を頼りにしているのだ)。

 しかもここでも手配写真が回り、安住の地ではなくなる。ラストでは、彼女はさらなる希望に船出したのか、それとも死出の旅に漕ぎ出したのか、それは分からない。…ただ一つ、朝日に向かう彼女の“顔”は、間違いなく輝いている

 藤山直美は素晴らしい女優である。今後も映画に次々出て欲しい。本年度の主演女優賞は決まりである。      (採点=★★★★☆) 

(2000年9月3日)

 

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「スペース・カウボーイ」

Spacecowboys_2 (2000年:ワーナー/監督:クリント・イーストウッド)

 男たちはいつも夢を見続ける・・・。40年前、宇宙飛行士として訓練を重ね、月に行く事を夢見続けていた4人の男たちは、NASAの都合でその夢を打ち砕かれてしまった。
 そのNASAが40年後、またも勝手な都合で当時の飛行士の一人、フランク(イーストウッド)にロシアの通信衛星の修理を依頼して来た事から、フランクはNASAに無理矢理あの4人組を宇宙に行かせろと交渉する。こうして、今や70歳前後の老人となった男たちが、かつての夢の実現に向けて動き出す…。うーむこういうストーリーを聞くだけでもわくわくして来る。

 これは老人になっても、いつまでも子供のような夢を持ち続ける男たちのロマンを高らかに描いたファンタジーである。実際に70歳になってしまったイーストウッドでなければ作れない映画である。それだけでも面白いのに、後半そのロシアの通信衛星にとんでもない秘密が隠されており、結果としてチームの一人、トミー・リー・ジョーンズが犠牲となって地球を救うという結末を迎える。ここはやや「アルマゲドン」してるが、あれと違うのは、ジョーンズが命と引き換えに、月に行きたいという40年来の夢をかなえる点である。ラストシーンには泣けた。ああいう風に死ねたら最高だろう。

 題名に「カウボーイ」とあるが、4人がNASAに意気揚揚と乗り込んで行くシーンはサム・ペキンパーの傑作西部劇「ワイルドバンチ」を思い起こさせる。あれもまた至福の死に様を見せる老人たちの映画であった(ペキンパーは他にも「昼下りの決闘」という、老人たちが無法な若者たちと対決し死んで行くという西部劇を作っている)。テレビ西部劇「ローハイド」が出世作であると同時に、最後の西部劇スターでもあるイーストウッドは、ひょっとしたらこの作品を亡きペキンパーに捧げたのかも知れない。イーストウッド作品の中では大好きな秀作である。      (採点=★★★★☆) 

(付記)
 
思いっきりマニアックな事を書かせていただく。この作品に出ているジェームス・ガーナーの代表的な西部劇作品に「夕陽に立つ保安官」「地平線から来た男」があり、監督はどちらもバート・ケネディ。で、このケネディの出世作「モンタナの西」「ランダース」、ペキンパーの「昼下りの決闘」、イーストウッドが師と仰ぐドン・シーゲル監督とイーストウッドの初顔合せ作「マンハッタン無宿」、及びシーゲルがアラン・スミシーという変名で監督した傑作西部劇「ガンファイターの最後」・・・これらは皆、リチャード・E・ライオンズという同一プロデューサーの作品である。不思議なつながりがあるのである。

(2000年12月5日)

 

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「たそがれ清兵衛」

Tasogareseibei_2 (2002年:松竹/監督:山田 洋次)

 傑作である。…観終わった後でも、しばらくは余韻に浸り、席が立てなかった。今年の収穫であるだけでなく、ここ10年来に作られた時代劇の中でもベストに入る出来だと思う。「忠臣蔵外伝・四谷怪談」「雨あがる」などよりもずっと完成度が高い。その上に、心に沁みるだけでなく、ラストに大迫力のチャンバラ・シーンを用意したエンタティンメントとしても一級品に仕上がっている。山田洋次監督71歳!。年令を感じさせない、その映画作家としての旺盛な活動ぶりにはただただ感服。恐れ入りました…と言うほかない。

 しかし、それだけでは批評にならないので(笑)、以下感じた事を書く。

 まず、原作の選定がいい。藤沢周平の沢山の短編小説から、「たそがれ清兵衛」、「竹光始末」、「祝い人(ほいと)助八」の3編を選び、1本の長編にまとめて脚色しているが、これがまるで最初から長編であったかの如く、話運びに実に無理がない。さすが多くの秀作映画を作って来た山田洋次と朝間義隆コンビ、見事なものである。短編小説を映画化する時のお手本のような素晴らしい脚色である。
 やはり今年映画化された、山本周五郎の2つの短編から黒澤明が脚色した「海は見ていた」が、ただ2つのエピソードを繋いだだけのように見えるのとは大きな違いがある。脚色に関しては、山田洋次チームの勝ちであろう。

 ストーリーの骨子は主に「祝い人助八」(悪臭で殿に注意されるくだりと朋江に関するエピソード)がメインであり、これに「竹光始末」から余吾善右衛門(田中泯)との対決を挿入している。意外にもタイトルである「たそがれ清兵衛」からは、たそがれ時になるとそそくさと帰る…という、ストーリーラインとは関係ない部分のみ採用している。―いずれにせよ原作を読めば、如何に見事に脚色されているかがよく分かる。是非一読をお奨めしたい。

 そして、原作に無く、脚色で追加されたのが、二人の娘と老母の登場と、お家騒動、そして幕末の騒然とした状況などである。これらもうまく物語りにはまっている(ただ、お家騒動は他の藤沢作品には登場する)。

 うまいのは、二人の娘と清兵衛とのしみじみとした親子愛で、これが貧しいけれどもつつましく生きる庶民の哀感を伝えて、小津安二郎以来の松竹大船映画の伝統を継承する、まさに山田洋次映画になり得ているのである。ちょっとボケが始まっている老母(これが「Shall We ダンス?」の草村礼子さんです)や、少し頭の弱い下男(こういう役はハマリ役の神戸浩)をコメディ・リリーフ的に使って、暗くなりがちな物語に笑いを挟んだ作り方も、いかにも山田らしい。…つまり、これまでの山田映画とは違うジャンルに挑戦したかに見えるが、これもまたまぎれもなく山田洋次世界なのである。

 剣の腕を知られた事から、藩命で余吾善右衛門を討ち取らざるを得なくなる展開も、原作よりもずっと丁寧な描き方である(夜、刀を研ぐシーンが素晴らしい)。善右衛門の描き方は原作とは大きく異なる(原作ではそれほど強くないのである)。これが映画初出演となる田中泯(本職は世界的に有名な前衛舞踏家)の圧倒的な存在感が見事。このキャスティングは大正解である。
 長い放浪の果てに娘を死なせた、その悔悟を語るシーン、そして娘の骨を齧るシーンの鬼気迫る演技が凄い(「仁義の墓場」の渡哲也を思い出した)。彼も又、清兵衛と境遇はほぼ同じである。ただ、恩義のある上司が勢力争いに負けた…それだけで切腹を命ぜられた、その理不尽さに抵抗しているに過ぎない。こうした描き方が、飢饉で飢え死にした死体が川を流れるシーンとも合わせ、武士道社会や政治体制の冷酷さに対する痛烈な批判ともなり、この映画が、殺陣の迫力を描くエンタティンメントであると同時に社会派的な拡がりも持った優れた作品としても成立していることを示しているのである。見事と言うべきである。

 末の娘の(成長後の)ナレーションを入れているのもいい。これによってこの映画が、家族の為に苦闘する父親を娘の視点から見た物語にもなっているのである。剣の達人なのに、それをひけらかさず、常に控えめで、子供たちの成長を生き甲斐とする清兵衛の誠実で凛とした人生は、これこそ高度成長と繁栄の陰で日本人が失ってしまったものではないだろうか・・・と山田洋次は問い掛けているのだろう。

 役者としては、アクションも出来る真田広之がやはり絶妙。そして朋江を演じた宮沢りえも素晴らしい。演技指導にもよるのだろうが、武家の妻としての立ち居振舞いの鮮やかさは驚嘆に値する。時として、私には彼女が東映任侠映画全盛期の藤純子に重なって見えた。これまであまり好感を持っていなかったが、一辺で好きになった。

 語りたい事はまだまだあるが、キリがないのでこの辺で…。とにかく今年最高の傑作である。私の本年度ベストワンは、「阿弥陀堂だより」を逆転して本作に決まりである。 

(採点=★★★★

(2002年11月2日)

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「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ、アッパレ!戦国大合戦」

Kureshin_sengoku(2002年:東宝/監督:原 恵一)

 前作「モーレツ!オトナ帝国の逆襲」は、私の想像以上に批評家や一般映画ファンにも好評だったようで、早くからこの作品を誉めていた私は、なんとか友人にバカにされずに済んだ(笑)。やれやれである。

 しかし、前作であれだけ見事な世界観を構築してしまった以上、当分前作を上回るような作品は作れないだろうと思っていた(事実、前々作「嵐を呼ぶジャングル」は今ひとつだった)…のだが…。

 そんな不安を抱きつつ、今回の新作を、またも恥を忍んで見に行った。そして、またまた感動してしまった。なんと!前作をさらに上回る傑作だったのである。

 今回は、しんのすけが戦国時代にタイムスリップし、そこで戦国武将や美しい姫に出会い、さまざまな冒険をするという物語であるが、芯となるのは、その戦国武将(井尻又兵衛)と、彼が仕えるお城の姫君・廉との、せつなくも悲しいラブストーリーである。

 廉姫は隣国との戦さを避ける為、そこの殿と政略結婚をさせられようとしている所であるが、家臣であり、幼馴染の又兵衛にほのかに恋心を抱いている。又兵衛も姫を密かに愛しているが、身分が異なる以上それはかなわぬ恋である。しかし未来から来たしんのすけから、未来では自由に恋愛が可能な事を知り、やがて毅然と政略結婚を断る。これがきっかけで隣国との壮絶な合戦が始まることになる。

 …以上のストーリーから分かる通り、この物語はきわめてシリアスである。又兵衛や廉姫のキャラクター・デザインもしんちゃん一家のマンガっぽいデザインとは異なり、かなり端正であるし、後半の合戦シーンでは、驚くことに極めてリアルでハードな戦闘シーンが描かれる。おそらく、これまで日本映画に登場した、どんな戦国合戦シーンよりも壮絶で、ダイナミックである(冗談でなく、黒澤明の「影武者」よりも凄い)。なんせ、バタバタ兵士が倒れ、火薬が炸裂し、次々と死人が増えて行くのである!(ギャグアニメでこれだけ人が死ぬのは前代未聞!)銃弾が至近距離を飛び交うドルビーデジタル音響効果も凄い(これ、絶対劇場で見るべきである。ビデオではこの臨場感は伝わらないだろう)。

 そして、ラストは、とてもせつない。ここでは場内ほとんど(子供たちも)泣いていた。勿論私もボロボロ泣いた。…アニメでこんなに泣いたのは「となりのトトロ」「火垂るの墓」以来である。

 廉姫の、報われぬと知りながらも又兵衛の身を案じるけなげさと気丈さ、又兵衛の、武将らしい男のダンディズムにも感動する。ラブストーリーは「タイタニック」、戦闘シーンは「ジャンヌ・ダルク」(リュック・ベッソン監督)あたりからのリスペクトもあるが、それらの洋画にも匹敵する素晴らしい出来である。

 子供向けアニメで、ここまでやってしまうというのは反則のようにも思えるだろうが、このシリーズは毎回SF、アクション・スペクタクルとしてもグレードが高く、かつ1作ごとにオトナの鑑賞にも耐える要素が増えて来ているから、このシリーズがここまで到達したのも必然ではあったろう。むしろ、実写ではとてもこんな作品は作れないのが今の日本映画の実情であり、それでも、“こんな映画が見たい”という原恵一監督の思いが、何でもあり…のしんちゃん映画を利用して実現したという事なのである。
 この戦略は、押井守が「うる星やつら」の世界を借りて「ビューティフル・ドリーマー」というシュールな傑作を作り上げた経緯とも似ている。しかし「ビューティフル・ドリーマー」があまりにもシリーズの世界から逸脱し、シリーズファンから反発を食らったのに比べ、こちらは長い時間をかけて独自の世界を構築し、しんちゃん映画としてもちゃんと成立させている所がしたたかであり見事なのである。原恵一、すごい。よくやってくれました(私は、今年の最優秀監督賞はこの人に差し上げたい)。

 無論、シリアスだからと言って子供には向かない…という事はない。おバカなギャグも健在であり、子供にも楽しめる。むしろ、こうしたせつない話、かつハードな戦闘を描くことによって、戦いの愚かしさ、人間らしく真っ直ぐに生きる事の大切さを、子供たちにも感じ取ってもらえたのではないかと思う。きっと、この映画は子供たちが大きくなった時に、心の糧になるものと信じる。…そんな事さえ感じさせる、これは素敵な秀作なのである。

 それにしても、アニメにここまでやられてしまったこと、実写の監督さんたち、大いに反省してください。特に、中野裕之監督、この映画の爪の垢でも煎じて飲みなさい(笑)     (採点=★★★★☆

(2002年4月1日)

 

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「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」

Otonateikoku (2001年:東宝/監督:原 恵一)

 このシリーズ、以前から“大人が見ても面白い(あるいは、大人にしか分からないギャグがある)”と評判で、前にも紹介した「爆発!温泉わくわく大決戦」は、例の伊福部昭マーチ対決に大笑いしたし、前作「嵐を呼ぶジャングル」も、ジャングルに自分だけの王国を築いた男が登場するなど(「地獄の黙示録」のパロディ?)、その笑いのレベルはかなり高い。

 今回はなんと!、大人たちが昔(青春時代)のノスタルジーに浸りきり、マインドコントロールされて子供たちを見捨ててしまうというとんでもない展開。残されたしんちゃんら子供たちが、大人たちを現実に引き戻そうと大奮闘する(臭い靴下の匂いをかぐと現実に戻るというのが笑わせる)。'70年の万国博のパピリオンや、レトロっぽい下町の風景を再現したり、ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」のメロディが流れたり、それらを仕掛ける敵側が同棲時代風カップル(名前がチャコちゃんケンちゃん!(笑))であったりと、まさにこれらの風景は'70年代に青春を過ごした世代でないとピンとこないであろう。子供向けアニメにこんな要素を取り込んで大丈夫なのかと余計な心配もしたくなるが、いつものおバカギャグは健在だし、追っかけカーチェイス・シーンも結構楽しませてくれる(ここも実は「ブルース・ブラザース」のクライマックスのパロディあり)。

 しかし最後は、しんちゃんの父ひろしが、しんちゃんの奮闘のおかげで“過去の幻想よりも現実の家族の愛こそが大切だ”と気付き、その必死の抵抗にケンちゃんらは自分たちの敗北を知る。「古き良き時代を懐かしむ大人の気持ちもわかる。だけど子供たちはこれからの未来を生きて行くのだ」というのがこの作品のテーマなのだろう。これには感動した。これは大人たち(それも40代後半以上)にこそ見て欲しい、素敵な、しかしちょっぴり心に痛みを覚えてしまう大人の為の寓話なのである。      (採点=★★★★☆

(2001年5月24日)

 

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「クレヨンしんちゃん/爆発!温泉わくわく大決戦」 (TV)

Kuresin_wakuwaku_2 (1999年:東宝/監督:原 恵一)

 わっはっは。噂には聞いていたが、これは本当に楽しい快作である。

 日本の子供向けアニメは「ドラえもん」にしろ本作にしろ、どうせ他愛ないと思っていたら結構大人も楽しめる水準以上の作品があるのであなどれない。

 ストーリー的には地球温泉化計画をたくらむ悪の組織と、それを阻止する政府秘密機関・温泉Gメン(!)との闘いを描くという、まあほとんど「オースティン・パワーズ」のノリのおバカ映画(悪のボスの扮装が007のブロフェルドを意識している所まで同じ)なのだが、バカバカしさの徹底ぶりではこちらの方がずっと面白い!。
 自衛隊が伊福部昭作曲、「怪獣大戦争」のテーマを流しながら行進し、そうすると敵の巨大ロボットの頭からスピーカーが出てきて、「ゴジラ・マーチ」を流して対抗し、それを聞いた自衛隊が蜘蛛の子を散らすように逃げる…というギャグのつるべ打ちには「ゴジラ」で育った我々世代の方が涙を流して笑い転げるはずである。

 それより、巨大ロボットが都心に迫っているのに政府は優柔不断(首相の顔がオブチさんそっくり!)、テレビでは相変わらずノー天気なワイドショーを続けているありさまに、悪玉が「この国の危機管理はどうなっとるのだ!」と怒りだすあたりの鋭い社会風刺は、最近こうしたアイロニーとウィットに富んだコメディがほとんど作られなくなっただけに、もっと評価していいのではないか。

 丹波哲郎が、金の魂の湯(略してキンタマの湯というのがおかしい)の精・丹波(!)の声でゲスト(顔もそのまんま丹波哲郎!)出演。とにかく最後まで笑わせてくれるナンセンス・コメディの快作である。本当は劇場で見たいのだが、子供が大きくなってこういうのを見なくなってしまい、1人で行くのは気が引けるのでテレビで見参した次第。どこかで大人向けオールナイト(「ドラえもん」では実施済)でもやってくれないかな。    (採点=★★★☆

(2000年5月7日)

 

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「ALWAYS 三丁目の夕日」

Always (2005年:東宝/監督:山崎 貴)

 東京タワーが建設中の昭和33年を舞台にした、笑えて泣ける下町人情ムービーの快作。

 原作は、30年も前からビッグコミック・オリジナル誌に連載され、今も続いている西岸良平によるマンガ。私もこの原作は大好きで、どことなくトボけた下町の人たちが織りなす、人情味溢れるメルヘンチックなストーリーに、毎回心が温かくなり、時には胸がキュンとなる素敵な作品である。この原作を、「ジュブナイル」で監督デビューし、「リターナー」というスタイリッシュなアクション映画で注目された山崎貴が脚本・監督・VFXを担当し映画化した。

 まず巻頭,懐かしい東宝スコープ・マークの登場にも頬が緩んだが(このマークは前年32年に登場)、これがラジオのデザインにオーバーラップする出だしには唸った。スピルバーグの「インディー・ジョーンズ」シリーズでおなじみの手である。そして子供たちが飛ばすゴム動力飛行機が空に舞い上がり、それを追って子供たちが表通りに走り出すと、市電が走り、その遥か向こうに建設中の東京タワーが…。CGのごく自然で説得力のある使い方にまず感動した。そして、決してCGがのさばる訳ではなく、下町の人々の日常生活を丹念に描き、そうした時代のリアリティを肉付けする道具としてCGが巧みに、さりげなく使われている。さすが永年、CGクリエイターとして携わって来た山崎監督、正しいCGの使い方を心得ている。

 私も実は昭和33年当時は小学生。だからこの映画に描かれる当時の風物、小道具などは、私の記憶にある通りそのまま。例えば、駄菓子屋の、水に浸けると当りが浮き出る紙くじ(私の記憶ではベロで舐めていた(笑)。やはり「スカ」ばかりだった)、オート三輪「ミゼット」、富山の置き薬、七輪と練炭、ブリキの看板、空き地の土管、フラフープ、冒険物語が連載された月刊少年雑誌、4本足の白黒テレビ、力道山の空手チョップ……。もうそれらを見ているだけでも懐かしさで胸が熱くなる。

 しかしこの映画の本当に素晴らしい点は、原作にもある、今ではほとんど見られなくなった、物はなく、貧しいけれども、人情味と温かい心の触れ合いに満ち溢れていた、あの時代の空気を伝えるお話の部分である。中心となるのは、親に捨てられた少年・淳之介と、彼を預かる羽目になった売れない小説家・竜之介(吉岡秀隆)との心の交流と、集団就職で青森から上京し、自動車修理工場に勤めることとなった六子(堀北真希)と雇い主家族との触れ合いである。最初は淳之介を邪険に扱っていた竜之介が、次第に淳之介を我が子のように愛おしく思うようになって行くプロセスがとてもいい。これは明らかにチャップリンの「キッド」を下敷きにしているが、吉岡の名演と子役の須賀健太の素直な演技が絶妙のアンサンブルで最後はドッと泣かされる。カッとなると大暴れする鈴木オートの店主(堤真一。役名はなんと「トラック野郎」等の監督と同姓同名の鈴木則文)、その妻トモエ(薬師丸ひろ子)と息子の一平の家族もとても心優しく、大晦日に六子を青森に帰してやるエピソードも泣ける。飲み屋の女、ヒロミに、竜之介が不器用な愛の告白をするシーンも、小道具がまた素敵でここも泣ける。とにかく後半部分は泣かされっぱなしでハンカチがぐしょ濡れになってしまったくらい。ご覧になる方はタオルを用意しておく事をお奨めする。

 この映画が素晴らしいのは、物は豊かになったけれども、何か大切なものを失ってしまった現代において、その失ったもの―人が人を思いやる、やさしい心と人情―が、確かにあの時代にはあった事を、この映画の中に発見するからである。そういう意味では、心のオアシスのような映画でもある。「男はつらいよ」シリーズが永年ずっと人気を博していたのも、そうした理由からである。

 ラストで美しい夕日を見て一平が言う。「50年後もきっと夕日は綺麗だよ」。…でも、当時と比べて空気は排気ガスで濁り、それと共に人の心もあの子供たちのような清らかさを失ってしまっているのではないか。そう思うとあの一平のセリフは胸に痛く沁みる。我々がこの映画に泣けるのは、お涙頂戴のエピソードだけでなく、かけがえのない物を失ってしまった、その忸怩たる思いのせいではないだろうか。

 とにかく、日本人であれば、絶対に観ておくべきこれは宝物のような素敵な作品である。山崎貴監督、ありがとう。役者では吉岡秀隆が、寅さんを思い起こさせるダメ青年を絶妙に演じて出色。薬師丸ひろ子のやさしい日本の母の演技も光っている。そして淳之介と一平役の二人の子役、ホッペの赤い六ちゃん役の堀北真希…みんなとても素晴らしい。今年のベストワンは本作で決まりである。必見!    (採点=★★★★★

(2005年11月1日)

 

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「アリーテ姫」

Princessarite (2001年:オメガ・エンタティンメント/監督:片渕 須直)

 宮崎駿「魔女の宅急便」で監督補をやっていた片渕須直の監督第1作。彼は学生時代から宮崎がテレビ・アニメを作っていたテレコムにもぐり込んで、宮崎に脚本を書けとすすめられ、「名探偵ホームズ」の初期のエピソード「青い紅玉」、「海底の財宝」、「ミセス・ハドソン人質事件」、「ドーバー海峡の大空中戦」の4本の脚本を書いた。これらはすべて宮崎が絵コンテ・演出を担当し、いずれもシリーズ中屈指の傑作となった(前の2本は「ナウシカ」、後の2本は「ラピュタ」のそれぞれ劇場公開時に併映されたので、覚えている方もいるだろう)。そんなわけで名前はずっと覚えていたので、今回の監督デビュー作には注目していた。

 原作はイギリスの童話。嫁ぐ日まで、お城に幽閉されたお姫さまが魔法使いにさらわれ、やがて自分の意志で生きる道を切り開いて行く・・・というのがストーリー。まあ無難な材料だと思って見たのだが・・・。出来としては予想を裏切る-いや、ケナしているのではありません。逆に、良い意味で予想以上の作品に仕上がっていたのである。

 アリーテ姫のキャラクター・デザインがまず変わっている。普通のお姫さまとはかなり印象が異なり、眉は太く、髪はボサボサ、はっきり言えば田舎娘のようである(宮崎駿が美術設定を担当したテレビアニメ「母をたずねて三千里」の主人公、マルコと似ている)。そして、宮崎ヒロインのように行動力を発揮して大活躍するわけでもない(そうなる要素はあったのに…である)。かと言って、彼女が無気力だというわけではない。好奇心は旺盛で、書物はたくさん読むし、さらわれる前にはこっそり城から抜け出して町の様子を観察したりもする。むしろ姫は、アクションでなく、自分の立場や存在について考察し、「自分探し」を目的として行動する、いわゆる心理面での“冒険者”であるのである。これはアニメの主人公としては異色である。その上、アニメ特有のアクションも、ギャグも、笑いも少ない。だから子供たちには退屈でつまらないと思えるかも知れない。それが、アニメであるにもかかわらずごく限定された地域での、ミニシアター公開となった原因のようである。

 しかし、映画ファンから見れば、これは非常に知的好奇心をくすぐられる作りとなっている。魔法使いに誘拐されているにもかかわらず、彼女はおびえもせず、芯の強さと知的行動力を見せ、王子様の助けも借りず、自分の力で活路を切り開いて行く。魔法使いも、その落ち着いた立ち振る舞いにむしろ感動し、彼女を解放するのである。・・・これ、どこかで見たことありませんか?宮崎駿のファンなら気が付くと思いますが・・・

 答を言いましょう。・・・前述の、片渕監督が脚本を書いた、名探偵ホームズ「ミセス・ハドソン人質事件」と、話の展開とヒロインの行動などがそっくりです。ビデオを持ってるなら、一度見比べてください。あちらも、シリーズとしては珍しくアクションが少ない一編でした。

 まあこれは私の独断と偏見だが、そういう意味でも、姫のキャラクターは、アクションこそないが、宮崎ヒロインと共通するものがある。不思議な飛行メカとか、突然飛来する金の鷲とかの宮崎的アイテムもチラリと登場するし…。インタビューによれば、片渕監督はこの作品を「こころの活劇」として楽しんで欲しい…と言っている。なるほど、分かる気もする。ともあれ、見ておいて損はない異色のアニメであり、また、異色のアニメ監督の誕生を告げる作品でもある。彼の2作目が楽しみになって来た。で、片渕さん、次は同じホームズの「ドーバー海峡の大空中戦」みたいな大活劇作りませんか?   (採点=★★★☆) 

(2001年8月1日)

   

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