« 「お父さんのバックドロップ」 | トップページ | 「アヴァロン」 »

2006年1月 5日 (木)

「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」と押井守の世界

以下は、私が自分で発行していたミニコミ誌に掲載した、押井守監督論である。これは後に私のHPにも転載したが、同様に押井守監督作の作品評をいくつか当ブログに転載するに当り、これもついでにここに転載する事にした。私の押井守監督に対する思いを理解していただければ幸いである。

1.押井守監督論

Oshiimamoru押井守ほど、作る映画すべての中に独自の確固たる世界を築き上げて来た作家は少ないのではないか。無論、小津安二郎だとかF・フェリーニのように独自の作品世界を展開する作家は幾人かはいるが、彼等がその作風を確立したのは作家になってずっと後期の、晩年とも言える時期であるのに対し、押井は劇場作品2作目「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」にして早くも“夢の堂々巡り”という手法を通して、「映画とは、現実世界では実現できない夢を実現化する装置であるとするなら、映画の中で描く情景はすべて“夢”そのものではないのか」という結論を導き出し、 「映画が始まった途端に永久に覚めない悪夢が始まり、その夢が本当に覚めた時が映画が終わる時である」という不思議かつとてつもない傑作を誕生させてしまったのである(ちなみに、押井がこの作品を作った時の年齢はわずかに32才であった)。

人間の意識下にある潜在的願望を、夢=映画としてスクリーンに具現化させるというテーマといい、その事によって人間そのものが抱える不条理性を深く追求しようとする姿勢といい、この映画は“アニメ”という枠を超えてほとんどアンドレイ・タルコフスキーやアラン・レネといった作家が好んで描く作品に近い作家性を有した作品になっていたのである(人間の潜在意識を具現化するという点では、タルコフスキーの「惑星ソラリス」とテーマ性において共通しているように思える)。 

押井のインタビューを聞くと、彼が好きな作家としてはそのタルコフスキーとフィリップ・K・ディックが挙がっており、そう言えば夢と現実とが複雑に錯綜した、ディックの「追憶売ります」を原作とした映画「トータル・リコール」と「ビューティフル・ドリーマー」とは互いによく似た構造を持っている。

押井の、作家としての主体性の強さは、この「ビューティフル-」を発表した後、チーフ・ディレクターを務めていたテレビ「うる星やつら」を自ら降板してしまった事からも伺える (注1)
本来なら、当時作品として人気も絶頂で、チーフ・ディレクターとしての押井の評価も非常に高まっており、そのままC・Dに留まっている方が賢明であった筈なのに、敢えてその地位を捨てたわけなのだからこれは冒険である(他からスカウトされた訳でもないのだ)。 

以後、押井は85年、オリジナル・アニメ・ビデオ(以下OVAと略す)「天使のたまご」、86年、実写作品「紅い眼鏡」、87年、OVA「トワィライトQ2/迷宮物件」と、いずれも夢と現実が交錯する実験的な作品を連打する。こうした難解な作品を作りながらも、監督としての依頼の声が掛けられ続けているあたりが大したものである。

こうした路線を行く一方で、押井はまた別の面にも大いなる関心を持ち続けて来た。それはリアルなアクション志向である。既にTV「うる星やつら」の降板直前のエピソード「死闘!あたるVS面堂軍団」ではハリウッド戦争映画を思わせるアクションを展開していたし、その前年に本邦初のOVAとして監督した「ダロス」の中では、多分アニメとして初めて銃撃シーンに空薬莢が銃から排出されるショットを挿入した

こうした志向が'88年に始まるOVAのヒットシリーズ、「機動警察パトレイバー」に生かされることとなる。 それまでのロボット・アニメとは一線を画して、1999年という近未来における、特車二課という警察部隊の日常生活や精密なメカニックをリアルに描写して根強 いファンを開拓し、特にエピソードの5話・6話「二課の一番長い日」では自衛隊のクーデター事件をスリリングかつダイナミックに描いて高い評価を得た(このエピソードを部分的にリメイクしたのが劇場版「パトレイバー2」である)。 

こうした志向が作品として見事に結実したのが'89年の、アニメとしてだけでなく、我が国アクション映画史上に残る傑作映画「機動警察パトレイバー・劇場版」という事になるのである。都内を綿密にロケ・ハンし、東京という街の風景をドキュメンタリー映像と見まがうばかりにリアルに描写しながら、その日常的なありふれた光景の水面化でコンピュータ・ウィルスが不気味に増殖しているというサスペンスフルな状況を設定し、その静かな恐怖がラストに至る大アクションで一気にエンタティンメントとして炸裂するという、まさに見事なアクション映画の傑作を作りあげたのである。あくまでリアルなアクションでありつつ、人間が作ったコンピュータに人間が逆襲されるという戦慄の未来社会をリアルに描く映像は、まさしく押井が描き続けて来た“悪夢”の映像美の開花に他ならないのである。

そして'93年の「機動警察パトレイバー2」においては、前述のごとく、元PKO部隊員によるクーデターという政治的な状況をアニメに持ち込み、東京の日常的な風景が次第に混乱に転化して行く状況を、前作よりもさらにリアルに描く。特に押井自身がテーマとした、「ビデオ・モニターを通じて届けられる映像はひょっとしたらすべて現実ではないのではないか」というモチーフに基づく、白日夢の如きモニター映像が不気味である(なおかつこの部分にCGを多用する事によって、このモニター映像は現実世界であるはずのアニメ部分よりもはるかに実写映像に近く、まるでテレビの中継ドキュメントを見ているかのような錯覚さえ覚えるのである)。
不安な未来世界をシュミレートしたこの映画もまた、押井ならではの悪夢と現実が錯綜した世界であると言えるだろう。 


2.「攻殻機動隊
 Ghost in the Shell」(1995)作品評

Ghostintheshell_20230913162701 そうした、アクション・エンタティンメントでありながら、まぎれもなく押井的な世界をも構築した作品を作り続けて来た押井守が次に取り上げたのが、押井以上に独自の世界観を持ったハードSFを創造して来た、士郎正宗原作による「攻殻機動隊」のアニメ化(注2)である。ある意味では当然出会うべき二つの才能が火花を散らしたこの作品こそは、'90年代における最も優れたSF映画の傑作なのである。 

開巻の夜の未来都市の風景、そして明らかに香港とおぼしき漢字の広告物が氾濫する街のリアルな描写はいずれもカルトSFの傑作「ブレードランナー」を思わせる。マシンガンを撃つシーンでは四方に火花(マズル・フラッシュと言うそうだ)を散らせ、薬莢が次々に弾き出されるという押井らしいリアリズム描写も含め、アクション演出はハリウッドや香港アクション映画にも負けない見事さであるが、そうしたエンタティンメントとしての映像に留まらず、この映画では“電脳”と呼ばれるコンピュータ・チップの頭脳を持つが故に、自分の存在について悩むヒロイン、草薙素子(注3)が、“人形使い”と呼ばれる謎の生命体とのコンタクトを通して“自我”に目覚めて行くという、なんとも哲学的なテーマが展開されるのである。

特にこの“人形使い"(注4)の正体が、実は外見を持たない情報ソフトウェアとしての生命体であり、ネットワークを通じてどんなコンピュータ(もしくは電脳)にも侵入(ハッキング)できる存在であるという設定が秀逸である(原作通りであり、原作者の士郎正宗はSF作家としてもマイクル・クライトンやフィリップ・K・ディックと肩を並べられる存在ではないかと思う)。

そしてラストは、知的生命体であるが実体を持たない人形使いが、義体はあるが機械の脳しか持たない草薙素子と融合し(注5)、全く新しい生命体となって転生するという、あの傑作「2001年宇宙の旅」を思わせる感動的な結末を迎えるのである(新しい素子の体が西洋人形のような少女の姿であるのは、それが両者の融合から生まれた子供であり、「2001年-」のスター・チャイルド的な存在である事を象徴しているのではないかと思える)。 

アクションを満載した見事なエンタティンメントでありながら、ハイ・テクノロジーが高度に進んだが故にさまざまな問題をも抱えた不安な未来世界を描く原作者・士郎正宗の世界観も的確に消化し、なおかつ「2001年-」のアーサー・C・クラーク的(あるいはS・キューブリック的)感動をすら最後に用意したこの作品が傑作であるのは、以上からもお分かりいただけるものと思う。(そういう意味でも、この作品はこれまで押井守が描き続けて来た作品世界の延長にあり、押井ワールドの集大成であるとも言えよう) 

実写の日本映画にはとても真似のできない、恐らくは将来においても前記傑作SF映画と並び称される、我が国の最高のSF映画として記憶に残り続ける作品になるのではないかとさえ思わせる、これはそんな素敵な作品なのである。    (採点=★★★★

 

(注1) 押井は'81年10月の「うる星やつら」TV放映の第1回からチーフ・ディレクターを務め、'84年3月(「ビューティフル・ドリーマー」封切の翌月)に降板している。 

(注2) インタビューによれば、この作品は押井の企画ではなく、製作のバンダイから押井の所へ持ち込まれたものだという。それでいていかにも押井的な世界にまとまっているのは見事である。(徳間書店刊「ロマンアルバム・攻殻機動隊/押井守の世界」より) 

(注3) 素子(もとこ)という名前は別の読み方をすれば“そし”とも読め、これは電子回路上のデバイスもしくはマイクロ・チップの意味である。これは象徴的である。

(注4) ちなみに、SF界の大御所、ロバート・A・ハインラインの著作に「人形つかい」という作品がある。人類の脳に寄生するエイリアンを描く侵略もので、電脳を侵略する謎の生命体にこの名前をつけたのは、ハインラインに敬意を表してのことかも知れない。

(注5) この“人形使い”は、借用している義体は女性だが、声は男の声である。このことによって、2体の“融合”とは、“男女の結合”をも暗示していることになる。(押井自身もこれは両者の結婚であると述べている。-前掲「押井守の世界」より) 



(付記) 
1. 解説すれば以上のようになるが、この映画を一度見て理解するのは至難の技である。“ゴースト(電脳内に発生する自我意識)”だとか“ハッカー”だとか“ダイブ(電脳への侵入)”とかの用語をいきなり聞いても分からないし(説明されてもやはり難解である?!)、矢継ぎばやに展開する物語を追いかけるだけでも大変である。パンフレット(なんと1,000円もする!)やデータブックなどの資料を熟読してようやく追い付ける程度である。これらの参考書を読み、かつ2度、3度と繰り返し鑑賞する事によってこの映画の面白さは倍加するはずである。 

2. 本作はアメリカ・イギリスでも日本と同時公開されて評判になった他、'96年には全米ビデオチャートで第1位を記録する等、海外で高い評価を得ている。

3. 本稿では述べる余裕がなかったが、押井と「うる星やつら」以来ずっとコンビを組んでいる脚本の伊藤和典の力も大きい。「紅い眼鏡」(助監督兼任)、OVA版「機動警察パトレイバー」「機動警察パトレイバー・劇場版」「機動警察パトレイバー2」、それに本作と、いずれも押井のコンセプトを理解した上で骨太のアクション・エンタティンメントに仕上げた力量は並ではない。「攻殻-」と「ガメラ・大怪獣空中決戦」の2本でヨコハマ、おおさか各映画祭の脚本賞を受賞したのも当然である。今後のますますの活躍を期待したい。

Ghostintheshell24. ちなみに、原作もまた銃器やメカ、未来都市の情報が満載され、おまけに欄外にまで文章による夥しい量の情報が語られている(原作者自身が<CAUTION>として「欄外の補足説明文が多い為、作品と欄外文を同時進行で読むと混乱を招きやすい」と注意しているのが面白い)。興味があればこの原作もお読みになることをお薦めする。

 

(1996年1月27日)

|

« 「お父さんのバックドロップ」 | トップページ | 「アヴァロン」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「お父さんのバックドロップ」 | トップページ | 「アヴァロン」 »