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2006年4月27日 (木)

「プロデューサーズ」

Producers2_1  メル・ブルックスと言えば、「ヤング・フランケンシュタイン」「新サイコ」「スペース・ボール」などの、いわゆる名作映画のナンセンス・ギャグ・パロディ(それもやや下品)もので人気が出た監督である。それぞれ、「フランケンシュタイン」(1933年のボリス・カーロフ主演もの)、「サイコ」をはじめヒッチコック作品全体、「スター・ウォーズ」…のパロディを盛大にやってくれてる。まあ最初の頃は笑えたが、だんだん鼻について来た感はあった。

その後、ジェリー・ザッカーやジム・エイブラハムズなどが「裸の銃を持つ男」シリーズとか「ホット・ショット」などの、似たようなパロディ映画を作り始めた事もあって、最近はちょっと影が薄かった。そのうえ、ブルックスよせばいいのに95年には、こともあろうに「裸の銃-」のレスリー・ニールセンを主役に呼んで「魔人ドラキュラ」のパロディ「レスリー・ニールセンのドラキュラ」なる映画まで監督しちまった(本家がバッタもんの後塵を拝してどうする?)。案の定、まったく話題にならなかった。

で、そのブルックスが監督デビュー作として作ったのが、本作のオリジナル「プロデューサーズ」(68年)である。お話は本作とほとんど同じ。これはその年のアカデミー脚本賞を受賞したくらいで、かなり評価が高かった。後年のような映画のパロディでもない。

前述のように、ここ数年はブルックスはやや忘れられたような存在だったが、1998年、その「プロデューサーズ」をブロードウェイ・ミュージカルにしようという企画が持ち上がり、熱心な勧めもあってブルックスは大乗り気、ナンバーの作詞・作曲まで手掛け(オリジナル版でも劇中ミュージカル『春の日のヒットラー』の作詞・作曲はブルックス自身)、映画と同じネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演、振付・演出スーザン・ストローマンで大ヒットし、トニー賞12部門制覇という快挙を成し遂げ、見事ブルックスは復活したのである。

で、映画評に移るが、これは楽しい。ストーリーは前述のように、ミュージカル部分を除いてオリジナル版と同じで、実に毒ッ気紛々、金持ち有閑マダムを笑い飛ばし、ゲイをおちょくり、アイルランド訛りの警官をおちょくり、そしてヒットラーをコケにし笑いのめし、返す刀でブロードウェイを、ショービジネス界を辛辣に皮肉る・・・。実に風刺とアイロニーに満ちた快作(無論オリジナルを褒めている)である。

後に、パロディネタに行ってしまったが、ブルックスの本領はむしろこっちの方向ではなかったか…とすら思える(何故この路線で行かなかったのだろうか。圧力でもかかったのだろうか)。

ミュージカルになった本作は、ダンスと歌が増えた分、より華やかでエンタティンメント性が増している。そして、なにより楽しいのは、そのミュージカル・シークェンスがかつてのMGMミュージカルに対するオマージュになっている点で、例えば、レオ(ブロデリック)が会計事務所で女性たちと踊る"I Wanna Be A Producer"のナンバーは、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」における「ブロードウェイ・メロディ」などを思い起こさせるし、レオとウーラ(ユマ・サーマン)がペアで踊るシーンは、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースのいくつかのコンビ作品とそっくりだし、舞台「春の日のヒットラー」におけるダンスナンバーでは、踊りを俯瞰で撮る、バスビー・バークレイのミュージカル映画を髣髴とさせてくれる。こうしたMGMミュージカルをかつて観た人にとっては、もう最高に楽しい時間である。

いろいろ細かい所にも、遊びがいっぱい。ラストのマックス・レオが手掛けるショーのタイトルが"SOUTH PASSAIC"(南ユダヤ洋-「南太平洋」のもじり)とか、「セールスマンの凍死」だったりとか、ここはビデオだったら止めてゆっくり見たいところである。また上演中の劇場の表には、ブロードウェイのヒットミュージカル「ウエストサイド物語」、「マイ・フェア・レディ」(舞台主演のレックス・ハリソン、ジュリー・アンドリュースの名があり)などのポスターがいっぱい貼ってあるので、ここにも注目しよう(ビデオでは多分読み取れないだろうから劇場でしっかり見届けて欲しい)。

最後の、クレジット・タイトル後にも、お楽しみがある。席を立たずに最後まで観ましょう。
そう、お楽しみはまだまだこれからなのである。ミュージカル映画ファンは絶対見逃せない、そしてミュージカルが得意でない人でも、きっとミュージカルの本当の楽しさが分かって来る、これはそんなエンタティンメントの快作なのである。 (採点=★★★★★

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2006年4月26日 (水)

ミュージカル映画の楽しみ方

評判の「プロデューサーズ」を観た。古き良き時代の楽しいミュージカルが見事に再現されていて、満腹気分を味わった。最近のミュージカルでは、私個人としては(宣伝文句そのままになってしまうが)「シカゴ」よりも、「オペラ座の怪人」よりも楽しめた。

ところで、最近、ミュージカルについて、「街中で突然登場人物が歌い、踊り出すのは、非現実的で違和感がある」なんて言う人がいると聞いて、正直唖然とした。ミュージカルがなんたるものか、全然分かっていない。もっと言えば、映画はまずエンターティンメントである―という事すら分かっていない。

映画を見る…という事は、現実を離れて、楽しい気分を味わいたい―と思って映画館に入るのではないのか。
だったら、登場人物がいい気分になった時―ハッピーな気分になった時、歌い、踊り出すのもお約束として了解し、観客も一緒になって楽しんだらいいではないか。楽しい時には歌わにゃそんそん、踊らにゃソンソンなのである。現実世界では、街の中で踊りだしたら確かにヘンな目で見られる。非現実の映画の中では、何でもあり、空を飛んだり、カンフー技で強い奴をバッタバッタ倒したり、サッカーボールが火の玉となって人間をなぎ倒したり・・・すべて現実にはあり得ない。それらがスクリーンの中では実現するから楽しいのである。人々が街中で踊り出すのに違和感を感じるようでは、徳島の阿波踊りやリオのサンバ・カーニバルなんか見ても、きっと違和感があって楽しめないんだろうな。気の毒に…。

ミュージカルは、もともとブロードウェイなどの舞台が発祥である。ショービジネスという言葉があるように、それらは演劇―芝居と言うよりも、ショーである。歌と踊りがメインで、芝居はむしろおマケであった。
分かり易く言えば、新歌舞伎座などで上演される、舟木一夫や川中美幸や北島三郎らの座長公演を想像すればいい。観客の目当ては歌手の歌や踊りであって、芝居なんかどっちかと言えばおマケなのである。舟木一夫が舞台で、歌をまったく歌わずシリアスな芝居をしたって観客は楽しくない。「歌をやらんかい!」と怒られるのがオチである。

かつて一世を風靡した、MGMミュージカルもそんなものだった。お話は実に他愛ない。むしろ、絢爛豪華な舞台装置とスターたちのアクロバットまがいの流麗な踊り、そして歌を楽しむ為に観客は映画館に詰めかけた。・・・・もっとも、現代ではあの頃のフレッド・アステアやジーン・ケリーやシド・チャリシーのような、エレガントでダイナミックな踊りで我々をウットリさせてくれるエンターティナーもいなくなってしまったが…。

Photo その後、「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」などが登場して、ミュージカルもストーリー重視、社会派的視点を持った作品が主流を占めるようになり、陽気なMGMミュージカルは衰退して行く。そして、(ブロードウェイでは盛んだったが)映画としてのミュージカルは次第に作られなくなって来たのである。

ここに来て、「シカゴ」、「オペラ座の怪人」、そして「プロデューザーズ」と、ブロードウェイ・ミュージカルが次々映画化されるようになって来た。ミュージカル・ファンとしてはまことに喜ばしいことである。

これを機会に、ミュージカルになじみのない人、ミュージカルをいま一つ楽しめない人は、古きよき時代のミュージカル映画を一度ご覧になってみてはいかがだろうか。
手始めに、まずMGMミュージカルのアンソロジー「ザッツ・エンタティンメント」シリーズを観る事をお奨めする。入門編としては一番手頃である。

Singinintherain3_2 その後、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」、フレッド・アステアの「バンド・ワゴン」、戦前のアステア、ジンジャー・ロジャース・コンビの「トップ・ハット」 「踊らん哉」あたりまで観れば、“ミュージカルって、こんなに楽しいものだったのか”という事がきっと分かって来るだろう。
――実を言えば、「プロデューサーズ」には、これら傑作ミュージカルへのオマージュが沢山登場する。これらの作品を先に観ておれば、「プロデューサーズ」の楽しさはさらに倍加するのである。映画をもっと楽しむには、古い名作を数多く観ればいい。沢山観ていれば観ているほど益々面白く、楽しくなるのである。

「プロデューサーズ」について書くつもりだったが、前置きが長くなり過ぎたのでこの辺にしておきます。「プロデューサーズ」論はまた明日のお楽しみという事で…。

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2006年4月23日 (日)

アリダ・ヴァリ

Alida_valli2

イタリアの女優、アリダ・ヴァリが22日、亡くなったとのニュースが飛び込んで来た。享年84歳。

アリダ・ヴァリと言えば、名作「第三の男」のラストシーンで、並木道をこちらに向かって進んで来る、映画史に残る名シーンが忘れ難い。

「第三の男」は、私にとって、生涯のベスト3に入るくらいの大好きな作品である。年に1度はビデオで繰り返し観ている。何度観ても飽きない。従ってアリダ・ヴァリも好きな女優のうちの1人に入っている。

しかしながら、正直言って、もうとっくに亡くなっていたとばかり思っていた。なんせあの映画は今から57年!も前の作品なのだから。もはやクラシックと言っていい。最近では著作権消滅とかで500円のDVDが発売されているくらいだし。

Thirdman2

また久しぶりに「第三の男」が観たくなった。ヴァリを偲んで鑑賞するとしよう。

「第三の男」があまりにも強烈だった為、その他のヴァリの出演作品がいま一つピンと思い浮かばない。
で、この機会に調べてみた。

もともとはイタリア生まれ。15歳で俳優デビューを果たしているが、有名になったのは戦後、大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックに招かれ、セルズニック・プロでA・ヒッチコック監督作品「パラダイン夫人の恋」(47)に出演してから。ヴァリはこの作品で、殺人事件の被告として法廷に立つパラダイン夫人を演じている。美しいが、どことなく影のある(まあ殺人事件の容疑者ですからね)、ミステリアスな雰囲気が漂っていた。その2年後、「第三の男」で世界的に有名になるわけである。

その後、数本の作品に出演しているが、あまりパッとしたものはない。が、54年、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「夏の嵐」でまた高い評価を得る。これは観ていない。

Longabsence 私が観た作品では、60年のアンリ・コルピ監督「かくも長き不在」が秀作。戦争に行ったまま帰って来ない夫を待ち続ける女という役。ある日、彼女は夫とそっくりな浮浪者と出会う。しかしその男は記憶を失っていた。ヴァリは男の記憶を蘇えらせるべく必死の努力をするが…。戦争がもたらした心の傷の深さを描いた力作です。ヴァリが浮浪者とダンスするシーン、そして男の頭に回した手が、後頭部に刻まれた傷痕を見つけるシーンが忘れ難い印象を残します。

しかし、この作品以降、正直言ってロクな作品に出演していません。いや、一応名のある作品にも出演はしてるのですが、ほんのチョイ役だったりでほとんど印象に残ってません。

その嚆矢は、「かくも長き不在」の前年、カルト・ホラーとして名高い「顔のない眼」(59)に出演してからでしょう。顔がつぶれた娘の為に、若い女性の顔を剥いで移植する狂気の医者の話で、ヴァリはその博士の助手に扮してます。かなりグロテスクな珍品?です。

この作品からのイメージでしょうか、以後、イタリアンB級、C級ホラー作品への出演が相次ぎます。
題名だけ挙げておきます。
「レディ・イポリタの恋人/夢魔」(74)、「新エクソシスト/死肉のダンス」(75)、「サスペリア」(77)、「レイプ・ショック」(79)、「インフェルノ」(80)、「サスペリア2000」(97)・・・。
あの名優がよりによってなんでこんな映画に…と悲しくなりました。

遺作は「セマナ-血の7日間-」(2002)。 -後年の作品は、劇場公開すらされておらず、ビデオのみ発売です。

栄光と、悲惨とを共に味わった、数奇な人生を歩んだ女優と言えましょう。しかし、「第三の男」のラストシーンだけは、映画ファンの心にいつまでも残り続けるわけですから、ある意味幸せな人生だったのかも知れませんね。冥福を祈ります。

--合掌--

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2006年4月21日 (金)

「運命じゃない人」

Unmei 少し古い作品だが、劇場公開時に見逃していたもので、本日やっとビデオで観た。

この作品は、新人内田けんじ監督の、メジャーとしては第1回作品となるもので(自主製作作品に、「Weekend Blues」がある)、公開されるや、2005年カンヌ国際映画祭批評家週間でフランス作家協会賞をはじめ、4部門を受賞し、国内においても、各種ベストテンに入選したほか、報知映画賞監督賞、キネマ旬報、毎日映画コンクールでそれぞれ脚本賞を受賞するなど、高い評価を得た。

そんなわけで、以前から観るのを楽しみにしていた作品である。

観終わって、うまい!と思った。5人の主要登場人物が、一晩のうちにいろいろな形で出遭い、物語を構成して行くのだが、それぞれの時間軸、空間軸を微妙にずらした脚本がとても良く出来ている。そして随所に張り巡らされた伏線の巧みさ。「ファイヤーウォール」評にも書いたが、伏線がうまく生かされるほど、映画は面白くなるのである。
おそらく、昨年の日本映画の中でも脚本の出来の良さでは随一だろう。脚本賞の受賞も当然である。この脚本をノミネートすらしなかった日本○カデミー賞のいいかげんさには呆れるばかり。

それぞれのキャラクターも面白い。純朴で人を疑うことを知らないサラリーマンの宮田(中村靖日)、宮田の友人で、反対に社会の裏の汚さも知り尽くしている探偵の神田(山中聡)、ヤクザの組長浅井(山下規介)、婚約者に裏切られ、行く所もない真紀(霧島れいか)、そして、どこか怪しい元宮田の恋人あゆみ(板谷由夏)。

と、一応人物紹介はしておくが、出来ればこれ以上の情報は仕入れないで、白紙の状態で観ることをおススめする。そして、物語が進むうち、登場人物の行動がどこかヘンだな…と思ったら、そのことを頭に入れておいて欲しい。やがてはその理由が判ってハタと膝を打つことになるだろう。とにかく寸分の隙もない、見事な脚本である。

この映画は、1回だけに留まらず、是非2回以上観るべきである。そうすれば、1回目で見逃していた伏線の巧みさ、何気ないワンシーンの意味がさらに理解出来、なお映画の面白さが分かってくることだろう。そういう意味では、DVDをレンタルして観る方がより楽しめるという事になる。実際私もDVDで2回観た(笑)。

*以下ネタバレとなります。映画を観た方だけ、下の部分をドラッグして反転させてください。

映画は全体を4章に分けて、それぞれ「真紀の章(プロローグ)」「宮田の章」「神田の章」「浅井の章」としてその人物の目線で進行するのだが、章が進むごとに実は時間が逆行して行く。「メメント」を思わせる手法である。ユニークなのは、それぞれの時間軸が重なる都度に、前の物語に隠されていた謎が次第に明らかになって行く。4重奏のフーガみたいなもので、物語が重なり合う都度、よりそれぞれの人物像に深みが増して行く構成の見事さにはうなりたくなる。内田監督は、脚本作りに1年をかけたそうで、それだけの値打ちはあるといえよう。2度目に観て、レストランで2人のヤクザが画面の前を横切っていたり、宮田が真紀の電話番号をゲットして万歳をした時、その脇を浅井の車が通過していたのを発見した。ウーム、実に小憎らしい演出ではないか。お見事!

隠し味としては、冒頭、宮田に、女との密会場所として部屋を貸せ-と言う上司が出て来るが、映画ファンなら即座にビリー・ワイルダーの傑作都会コメディ「アパートの鍵貸します」を連想するだろう。そう、そのシャレたライトなコメディ感覚、思えばビリー・ワイルダー作品の味わいとも似ているのである。気の弱い宮田のキャラクターも、あの作品のジャック・レモンとそっくり。同じワイルダーの「昼下がりの情事」には私立探偵も登場するし…。内田監督、どうやらビリー・ワイルダーのファンとお見受けした。

日本映画はダサい、暗い…とよく言われて来た。しかしこの映画を観れば、日本映画にもライトで、ポップで、シャレてる洋画的な感覚の、面白い映画が登場するようになって来たことを実感できるだろう。内田監督の次回作にも期待大である。注目しよう。
 (採点=★★★★★

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2006年4月20日 (木)

「ファイヤーウォール」

Firewall_1 ハリソン・フォード久々の主演作。

役柄は、銀行のセキュリティ担当者。彼は、業界でももっとも効果的な盗難防止システムを設計し、堅固なファイヤーウォールを構築した・・・という設定である。

この映画のキャッチコピーは、「コンピュータ・セキュリティ… 最大の弱点は、それを作った人間」

なるほど、確かにその通り。このことは以前からも言われて来た事で、目新しいものではない。

しかし、それをテーマにして、サスペンス映画を作る・・・という着眼点がいい。

例えば、この映画のように、コンピュータ設計者を脅迫し、システムのセキュリティ・ホールをついて電子マネーを盗み出す・・・という犯罪が実際に起きる可能性は否定出来ない。起きたって不思議ではない。

実際に起きれば、その被害額は単なる銀行強盗の比ではない。この映画のように、1億ドル…どころか、もっと多額の被害だって起きる。しかも、銃器を用意して銀行員をホールドアップする必要もない。ジュラルミンのトランクをいくつも用意する必要も、汗だくで運ぶ必要もない。誰も気が付かないうちに犯罪を済ませてしまうことだって可能なのである。考えたら、ゾッとする話ではないか。

そういう現実があるからこそ、この映画には観ている方も絵空事とは思えないリアリティが感じられ、緊迫感が増すのである。

もう一つ、さらに観客に、他人事とは思わせない不安を煽る要素がある。

それは、ある日自宅にならず者が侵入し、家族を人質にとられたら、いったいどうなるか・・・という問題である。これだって、現実に起きないなんて、誰も断言できない。いや、ファイヤーウォール侵入より起きる可能性は高いかも知れない

あなたなら、そんな時、どうやって家族を守るのか。― そういうテーマでいろいろ議論してみても面白いかも知れない。

この映画のユニークさは、そうした2つの、身近で現実味のある不安要素を巧みに拠り合わせてストーリーを構築している点にある。観客は、主人公の身にふりかかった災難を自分の身に置き換えて、自分ならどう判断し、どう行動するかをシュミレートしてみてもいいかも知れない。

次に、この映画の脚本だが、これもよく出来ている。何よりも、伏線が巧みに張られている。

よく練られた脚本には、伏線がいくつも張られていて、それが後半に生きてくる。ミステリー好きのファンなら、何でもないようなシーンでさえ、「これは伏線かな?」と頭にインプットしておき、後段でやっぱり伏線だったことが判明したりすると、してやったり…とほくそ笑んだりするのである。

そういう観方を会得して行けば、映画はもっと楽しく観ることが出来るのである。

この映画では、出だしで、フォード扮するジャック一家の、朝の日常風景が丹念に描かれる。何でもないようだが、ここに既にいくつかの伏線が見える。

やんちゃな息子が、ラジコン自動車で遊んでいるが、ラジコンの電波でテレビの画像が乱れ、姉が文句を言っている。一家の愛犬がチョロチョロ走り回る
これらが、後段になって重要な役割を演じることとなる。これが伏線である。ぼんやり見逃さないように。
ついでだが、ジャックという主人公の名前も意味深である。なにしろ彼の家庭が、悪い一味によってハイジャック(ハウスジャックか)されるのだから(笑)。

さらに銀行では、有能で、ジャックを尊敬してるらしい女秘書のジャネット、そしてジャネットに色目を使う若いシステム・エンジニアなどが要領よく紹介されて行くが、ここで手短に描かれたそれぞれの人物像や性格が、やはり後半部で重要な役割を果たすこととなる。さらに、合併問題が発生して、ジャックでさえも簡単にはシステムにアクセスできない状況も起きている。

こうした伏線が、後半に至ってすべて生きて来るのである。よく出来た脚本である。

最近は、ハリウッド映画ですらこうした基本が守られていない酷い脚本が目に付く。
例を挙げれば、昨年の「フォーガットン」。後半の、トンでもない展開を予想させるべき伏線がどこにも張られていないから、単なる思いつきの行き当たりばったり的展開にしか見えない。こんな脚本が採用されてしまうほど、ハリウッドにおける脚本家の人材不足は深刻なようである。

もう一つの見どころは、犯罪グループのリーダーを演じたポール・ベタニーの悪役ぶりである。冷静沈着、恐ろしく頭が切れて、体力もありそう。ミスした部下を平然と射殺する冷血漢でもある。顔もコワそう。悪役はこうでなくては。

Despratehours さて、“平和な家庭に悪人が侵入し、家族が危険な目に会う”というパターンの映画は、実は古くからあり、代表的な名作としては、ウィリアム・ワイラー監督の「必死の逃亡者」(56)がある。家族を人質に取られたまま、一家の主人が会社に行くという展開も共通しており、本作はこの「必死の逃亡者」をかなり参考にしているフシが覗える。

Waituntilldark もう1本、「暗くなるまで待って」(67・テレンス・ヤング監督)という傑作があり、こちらは盲目の人妻(オードリー・ヘップバーン)が一人いる家に悪人たちが侵入し、オードリーをジワジワ恐怖に陥れる。悪役のリーダーがまた冷酷で頭も切れ、仲間も平気で殺す…という具合に、本作のポール・ベタニーのキャラクターとも通じるものがある。
この冷酷な悪役のリーダーを演じたのがアラン・アーキン。役柄の幅の広い人で、なんとあの「ピンク・パンサー」でおなじみのクルーゾー警部!に扮したこともある(映画の題名はズバリ「クルーゾー警部」)。

で、そのアラン・アーキン、実は本作に出演しているのである。ジャックが勤める銀行のCEO役。白髪でいかにもかつては切れ者だったというイメージ。彼の起用は、「暗くなるまで待って」からいろいろ参考にした―というプロデューサーのお遊びではないか…と私は密かに思っているのだが。

・・・・といった具合に、この映画はいろんな角度からお楽しみを見つけることが出来る。

おヒマがあれば、サスペンスの秀作「必死の逃亡者」 「暗くなるまで待って」も是非ご覧になる事をお奨めする。今観ても、少しも古くないと思いますよ。

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2006年4月17日 (月)

「寝ずの番」

俳優の津川雅彦が、祖父であり、日本映画の父と呼ばれるマキノ省三の名跡を継承し、マキノ雅彦名義で第1回監督作品として完成させたのが本作。

原作は「ガダラの豚」や「今夜、すべてのバーで」などの著作で知られる中島らもの同名小説。

この原作がまたメッチャ面白い! 私は先に読んだのだが、あんまり面白過ぎるので、電車の中で読んでる時に ぶぁっはっは~と笑い出してしまい、ヘンな目で見られてしまった(笑)。

Nezunoban

映画の方も、原作に負けず劣らず面白いのだが、先に原作を読んでしまうと、展開が分 かってしまって腹の底から笑えない。・・・と言うわけで、これから映画を見る人は、原作は先に読まないこと。読むなら映画を観た後にすること-をおススめする。

劇場で観た時にも、爆笑している人が多かった。とにかく笑えます。遠慮せずに、大笑いしてください。

お話は、高名な落語家の師匠が亡くなって、さらに一番弟子、師匠のおカミさんも相次いで亡くなり、それぞれのお通夜を弟子たちが“寝ずの番”をする・・・それだけの話であるが、メインはその席で語られる下ネタ、猥談、春歌(つまりエロ歌)のたぐいで、いわゆる“放送禁止用語”が連発される(従って、多分…どころではなく、間違いなくテレビでは放映されないでしょう(笑))。

とにかく、こういう話は面白い。女性のアソコを地方によってはいろいろ違う呼び方で呼んでいるために、誤解と笑いを生んだりする…という話は昔からよく聞く。そういう話を知ってる人ほど、この映画は余計楽しめる。

映画には出て来なかった(と思う)が、原作に出て来る春歌 “夕べ父ちゃんと寝た時にゃ、ヘンなところにイモがある~” なんかは、学生時代のコンパで、先輩が歌っていたのを思い出し、懐かしかった。あれやって欲しかったなぁ(笑)。

Nihonshunkakou 春歌と言えば、'66年に大島渚監督で「日本春歌考」という映画が作られ、この中でも、有名な “一つ出たホイのヨサホイのホイ” が歌われていた(しかし最近、あんまり春歌を聞かなくなってしまったような気がする)。

ちなみに、その映画の中でこの歌を歌っていたのが、あの伊丹十三サン(当時は伊丹一三)。伊丹さんと言えば、監督第1回作品が「お葬式」。

なんとまあ、期せずして、“春歌”と“葬式”というキーワードで、二人の大物俳優兼監督が繋がってしまいましたね(笑)。

この映画が素敵なのは、敬愛する師匠の葬儀に集まった弟子、友人、ゆかりの人たち…が、猥談などを通じて、腹の底から人間同士の絆を確かめ合い、仲間意識を高揚させて行く、その素晴らしい人間讃歌にあると言えましょう。

これは、津川の伯父であり、数々のエンタティンメントの秀作を手掛けた名監督、マキノ雅弘の最高作とも言える「次郎長三国志」のスピリットとも相通じるものがあります。

そのつながりを明らかに意識したのでしょう、マキノ雅彦監督は、「次郎長三国志」の中で石松に扮した森繁久弥が歌った“オイラ死んだとてな~ 誰が泣いてくれょうかな~
をこの映画の中で全員に歌わせているのです。

原作に出て来ない、この歌を登場させることによって、まさにこの映画は、深い師弟愛、人間愛に満ちた秀作となり得ていると言えるでしょうし、また、マキノ雅彦監督の、亡き伯父に捧げる鎮魂の映画として、さらには伯父の後を継いで、今後もエンタティンメント性豊かな映画を撮り続けるぞ…と言う彼の宣言を表している・・・と考えるのは深読み過ぎるでしょうか。 

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2006年4月16日 (日)

ブログスタート

こんにちは

映画が大好きで、これまでも個人のホームページでいろいろ好きな事を書いてきました。

(よろしければ覗いてやってください → http://www.geocities.jp/cine_graffiti/

しかし、ブログだと、もっと簡単に(HPは結構更新が手間です)思いついた事を発信できるので、 これからは新作情報も含めて、こちらを充実させて行きたいと思っています。

よろしくお願いいたします。

さて、ブログのタイトルですが、映画ファンなら先刻ご存知の、和田誠さんのコラム(映画の名セリフ)のタイトルのもじりです(実は私のHPにもパロディ版の「お楽しみはこれっきりだ」というのがあります(笑)。和田さんごめんなさい)。

基本としては、映画を単に観るだけでなく、“いろんな角度から見れば、さらに楽しめる”というスタンスで書いて行きたいと思っています。

例えば、掲示板なんかでよく「つまらない」 「どこが面白いのか分からない」 という声を聞きますが、
ちょっと見方を変えれば、面白いところもあったり、意外な発見もあったりと、また違う楽しみ方ができる場合もあります。

せっかく高い入場料を払ってるのですから、楽しまなければ損ですものね。

その他、思いついたこと、身辺雑記的なことも書いて行こうと思っています。

今日はご挨拶だけ。明日からテーマに沿った書き込みを開始いたしますのでお楽しみに。

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