ミュージカル映画の楽しみ方
評判の「プロデューサーズ」を観た。古き良き時代の楽しいミュージカルが見事に再現されていて、満腹気分を味わった。最近のミュージカルでは、私個人としては(宣伝文句そのままになってしまうが)「シカゴ」よりも、「オペラ座の怪人」よりも楽しめた。
ところで、最近、ミュージカルについて、「街中で突然登場人物が歌い、踊り出すのは、非現実的で違和感がある」なんて言う人がいると聞いて、正直唖然とした。ミュージカルがなんたるものか、全然分かっていない。もっと言えば、映画はまずエンターティンメントである―という事すら分かっていない。
映画を見る…という事は、現実を離れて、楽しい気分を味わいたい―と思って映画館に入るのではないのか。
だったら、登場人物がいい気分になった時―ハッピーな気分になった時、歌い、踊り出すのもお約束として了解し、観客も一緒になって楽しんだらいいではないか。楽しい時には歌わにゃそんそん、踊らにゃソンソンなのである。現実世界では、街の中で踊りだしたら確かにヘンな目で見られる。非現実の映画の中では、何でもあり、空を飛んだり、カンフー技で強い奴をバッタバッタ倒したり、サッカーボールが火の玉となって人間をなぎ倒したり・・・すべて現実にはあり得ない。それらがスクリーンの中では実現するから楽しいのである。人々が街中で踊り出すのに違和感を感じるようでは、徳島の阿波踊りやリオのサンバ・カーニバルなんか見ても、きっと違和感があって楽しめないんだろうな。気の毒に…。
ミュージカルは、もともとブロードウェイなどの舞台が発祥である。ショービジネスという言葉があるように、それらは演劇―芝居と言うよりも、ショーである。歌と踊りがメインで、芝居はむしろおマケであった。
分かり易く言えば、新歌舞伎座などで上演される、舟木一夫や川中美幸や北島三郎らの座長公演を想像すればいい。観客の目当ては歌手の歌や踊りであって、芝居なんかどっちかと言えばおマケなのである。舟木一夫が舞台で、歌をまったく歌わずシリアスな芝居をしたって観客は楽しくない。「歌をやらんかい!」と怒られるのがオチである。
かつて一世を風靡した、MGMミュージカルもそんなものだった。お話は実に他愛ない。むしろ、絢爛豪華な舞台装置とスターたちのアクロバットまがいの流麗な踊り、そして歌を楽しむ為に観客は映画館に詰めかけた。・・・・もっとも、現代ではあの頃のフレッド・アステアやジーン・ケリーやシド・チャリシーのような、エレガントでダイナミックな踊りで我々をウットリさせてくれるエンターティナーもいなくなってしまったが…。
その後、「ウエストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」などが登場して、ミュージカルもストーリー重視、社会派的視点を持った作品が主流を占めるようになり、陽気なMGMミュージカルは衰退して行く。そして、(ブロードウェイでは盛んだったが)映画としてのミュージカルは次第に作られなくなって来たのである。
ここに来て、「シカゴ」、「オペラ座の怪人」、そして「プロデューザーズ」と、ブロードウェイ・ミュージカルが次々映画化されるようになって来た。ミュージカル・ファンとしてはまことに喜ばしいことである。
これを機会に、ミュージカルになじみのない人、ミュージカルをいま一つ楽しめない人は、古きよき時代のミュージカル映画を一度ご覧になってみてはいかがだろうか。
手始めに、まずMGMミュージカルのアンソロジー「ザッツ・エンタティンメント」シリーズを観る事をお奨めする。入門編としては一番手頃である。
その後、ジーン・ケリーの「雨に唄えば」、フレッド・アステアの「バンド・ワゴン」、戦前のアステア、ジンジャー・ロジャース・コンビの「トップ・ハット」 「踊らん哉」あたりまで観れば、“ミュージカルって、こんなに楽しいものだったのか”という事がきっと分かって来るだろう。
――実を言えば、「プロデューサーズ」には、これら傑作ミュージカルへのオマージュが沢山登場する。これらの作品を先に観ておれば、「プロデューサーズ」の楽しさはさらに倍加するのである。映画をもっと楽しむには、古い名作を数多く観ればいい。沢山観ていれば観ているほど益々面白く、楽しくなるのである。
「プロデューサーズ」について書くつもりだったが、前置きが長くなり過ぎたのでこの辺にしておきます。「プロデューサーズ」論はまた明日のお楽しみという事で…。
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コメント
失礼を承知で、反面鏡を作ります。
最近、アクションについて、
「街中で突然登場人物が叫び、殺し合うのは、非現実的で違和感がある」
なんて言う人がいると聞いて、正直唖然とした。
アクションがなんたるものか、全然分かっていない。
もっと言えば、映画はまずエンターティンメントであるという事すら分かっていない。
非現実の映画の中では、何でもあり、
007がマントで空を飛んだり、
ど素人がカンフー技でマスターを倒したり、
マクレーン警部が銃弾を浴びながら平然と歩いたり、
すべて現実にはあり得ない。
それらがスクリーンの中では実現するから楽しいのである。
人々が街中で殺しあうのに違和感を感じるようでは、
ドキュメンタリーなんかで実際の戦争を見ても、
きっと違和感があって楽しめないんだろうな。
気の毒に…。
>最近、ミュージカルについて、
>「街中で突然登場人物が歌い、踊り出すのは、非現実的で違和感がある」
>なんて言う人がいると聞いて、正直唖然とした。
ミュージカルにおいて台詞と歌詞の相互への移行の違和感は、
ミュージカル以前のオペレッタ誕生の頃から言われている。
舞台では言葉は作者の物であり、
その移行は作者が行っていると、
突然の移行が可能になったのに対して、
映画では言葉は登場人物の物であり、
その移行は登場人物が行っていると、
「突然」の移行が不可能になった。
私を含めて若い映画ファンは舞台的鑑賞ができないため、
ミュージカル映画における自然な移行は当然必要である。
>ミュージカルをいま一つ楽しめない人は、
>古きよき時代のミュージカル映画を一度ご覧になってみてはいかがだろうか。
有名どころから100本近く見たのだが、
私は映画的鑑賞しかできないらしい。
もちろん、
「登場人物が歌い、踊るのは、非現実的で違和感がある」
だったら、不寛容だと非難するだろう。
ちなみに
「マンマ・ミーア!」の
>「雨に唄えば」ではラスト間際、
>本筋とはまったく関係ないレビューだけを繋げた
>“ブロードウエイ・バレー”が延々17分も続く。
これは13分だ。
17分なのは「巴里のアメリカ人」だ。
投稿: トウェルブトウェルブ | 2010年2月15日 (月) 17:12
◆トウェルブトウェルブさま
書き込みありがとうございます。
>舞台では言葉は作者の物であり、
>その移行は作者が行っていると、
>突然の移行が可能になったのに対して、
>映画では言葉は登場人物の物であり、
>その移行は登場人物が行っていると、
>「突然」の移行が不可能になった。
どうも頭が悪いもので、おっしゃってる意味がも一つ判りません。
舞台でも、映画でも、言葉は作者が考案し、役者が演技と台詞で観客に伝える物ではないんでしょうか?
舞台では言葉は作者の物…不勉強なもので、初耳です。
よければ、その出典お聞かせ願えれば幸いです。
私は舞台も含め、それまでミュージカルを観た事がない時に映画「ウエストサイド物語」観て、最初面食らいました。何これ?てなもんでした。
でも、観ているうちにどんどん引き込まれ、観終わって、凄い…と感動してしまいました。
要は、作品に圧倒的パワーがあり、観る方も、順応力、吸収力があればクリア出来るんじゃないでしょうか。
最近のミュージカル映画は、「ウエストサイド-」のような作品パワーが乏しい…のも、拒否反応が出る原因ではないのかと思います。
「ウエストサイド-」を今再公開したら、どんな反応があるか興味がありますね。
>>“ブロードウエイ・バレー”が延々17分も続く。
>これは13分だ。
>17分なのは「巴里のアメリカ人」だ。
これは勘違い(記憶違い)でした。おっしゃる通りです。ご指摘ありがとうございました。訂正させていただきます。
投稿: Kei(管理人) | 2010年2月23日 (火) 00:14
>舞台でも、映画でも、言葉は作者が考案し、
>役者が演技と台詞で観客に伝える物ではないんでしょうか?
それは映画と舞台のどちらも一緒で、
作品中における所有者が違うのです。
>舞台では言葉は作者の物…
>よければ、その出典お聞かせ願えれば幸いです。
「ミュージカルが“最高”であった頃」
(喜志 哲雄 (著者) 晶文社(出版))
が一番分かり易く書いています。
>不勉強なもので、初耳です。
私に舞台を楽しむ感性が欠けるから、
知性で理解しようとしているだけで、
純粋に楽しめる人はそれで良いと思う。
>要は、作品に圧倒的パワーがあり、
>観る方も、順応力、吸収力があれば
>クリア出来るんじゃないでしょうか。
少しの間は圧倒的パワーで誤魔化せると思いますが、
何十年後に本当に傑作か?と言われるのが常ですね。
>「ウエストサイド-」を今再公開したら、
>どんな反応があるか興味がありますね。
確かにミュージカルで映像革命を起こした映画ですが、
舞台からそのまま受け継いだ演劇的脚本が障害になる。
恐らく傑作と駄作の二派に分かれる。
投稿: トウェルブトウェルブ | 2010年3月 2日 (火) 19:10