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2006年5月29日 (月)

「明日の記憶」

Asitanokioku (2006年・東映/監督:堤 幸彦)

原作(荻原浩)は以前に読んだのだが、大変感動した。作者も以前広告会社に勤務していたそうで、サラリーマンの仕事ぶりの描写にリアリティがあるうえに、私自身も会社員で、かつ最近物忘れする事も多くなって来て(笑)、そんなわけで読んでて凄く身につまされた。

大手広告会社のやり手部長である佐伯(渡辺謙)は、業績もよく部下の人望も厚く、インテリア・コーディネータとして働く娘の結婚も間近に控え順風満帆であった。しかしある日を境に記憶の欠落が目立ち始め、病院で検査したところ、初期のアルツハイマーである事が判明する。

絶望し苦悩する佐伯と、その彼を支える妻(樋口可南子)との夫婦愛を感動的に描いて、なかなか見応えのある佳作になっている。

劇場ではすすり泣く人も多く、興行的にもいい数字を出しているようでまずは同慶の至りである。
これまでちょっと捻った作品が多かった堤幸彦監督も今回は正攻法の演出で、毎回これ位のレベルの作品を作ってくれれば文句はない。

さて、今回は久しぶりに視点を変えてみる(出たね(笑))。

この作品は、確かに難病に対峙する夫婦愛を描いた感動作ではあるが、実はそれだけではない。

見方を変えれば、これは実は、“コワい映画”である。

アルツハイマーという病気が、若い人でも、誰でも発病する可能性のある病気であり、また老人のいる家庭では現実にその病人を抱えているケースも多い。

つまりどこの家庭でも、明日にでも起き得る“いまそこにある危機”なのである。

ちなみに、映画の中で佐伯が受けていた検査を自分でもやってみて、3つの言葉(桜、電車、ネコ)が 100引く 7 引く 7 …の暗算の後に出てこなかった人は、ゾーッとしたでしょうね(私は覚えてました。ホッ)。

自分の記憶が次第に欠落して行き、人間としてどんどん壊れて行く…妻の顔も、孫の名前も、やがて記憶から無くなって行く…その恐怖を、渡辺謙の迫真の演技、そして建物が歪む等のイマジネーション演出で巧みに表現している。

これは一種のホラー映画でもあるのである。
(ちなみに、野村芳太郎監督「震える舌」(80)という作品は、破傷風菌に冒された少女とその家族の戦いを描いた作品だが、演出も宣伝もホラー映画扱いであった)

もう一つの見どころは、会社という組織の冷たい実態をリアルに描いている点である。
(以下ご覧になっていない方の為に隠します。ドラッグして反転すれば文章が読めます)

例えば、部下の一人、園田が、佐伯の病気を上層部に密告する。為に佐伯は閑職に追いやられ、会社を辞めざるを得なくなる。しかし映画は園田を単に悪者扱いにはしていない。自分が上に上がりたい為に他人を蹴落とすなんて、組織ではよくある話なのである。佐伯の退社の時、ガラスの向こうで園田は深々と頭を下げる。その場面で、この男も哀れむべき存在である事を映画は伝えている。

佐伯が配転された部署は「資料管理課」。1日中役に立たない資料を整理するだけの部屋。要するに会社に役に立たなくなった人間を晒し者にする部署である。わざと通り道の目につく所に部屋を設置する。クビには出来ないので、いたたまれなくなって自発的に辞めるように仕向けるのである。その辺りがリアルに描かれていて感心した。

長い間会社に貢献して来た人間にすらそういう仕打ちをする…それが会社なのである。

会社に勤めている人なら実感出来る、そのリアリティにサラリーマンはゾッとするはずである。

反面、夫婦愛以外にも泣けるシーンがある。

映画を観れば分かるが、佐伯にかなりキツイ事を言っていたクライアントの河村(香川照之)が、電話で寄越した励ましのメッセージ「ダメだと思えば人生ダメになる。…負けちゃダメだよ」
私はここでドッと泣けた。

退社の日、部下たちが花束と、名前の入ったポラロイド写真を渡すシーンにも泣けた。

会社人間にとっては、とても切ないシーンである。

この映画は、夫婦にとっても感動できるが、会社に勤めていてある年齢にさしかかったサラリーマン、あるいはかつて会社に勤めていた人にとってもすごく感動出来る作品になっている。お奨めである。   (採点=★★★★☆

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2006年5月28日 (日)

「ポセイドン」

Poseidon (2006年・米/監督:ウォルフガング・ペーターゼン)

'72年に製作され、大ヒットしてパニック映画ブームの火付け役となった秀作「ポセイドン・アドベンチャー」の34年ぶりのリメイク。試写会で見参。

前作はリアルタイムで観ている。とても面白く、かつ感動した。ポール・ギャリコの原作がとても良く出来ており、これを「夜の大捜査線」(ノーマン・ジュイソン監督)でアカデミー賞を取った名手スターリング・シリファントが脚色、ロナルド・ニームが監督した。

原作が良くて(登場人物もストーリーも原作通り)、脚本も良く出来ているのだから面白いはずである。
キャラクター造形が秀逸。祈るよりも行動せよ、と人々を引っ張って行く牧師ジーン・ハックマン、その牧師に何かと突っかかる警官アーネスト・ボーグナイン、人のいい行商人レッド・バトンズ、太ってる割りに水泳の得意な夫人シェリー・ウィンターズ…と並ぶ4人の主要人物が実は全員アカデミー賞受賞者。ついでに特殊効果担当が「ミクロの決死圏」や「猿の惑星」、「トラ!トラ!トラ!」など映画史に残るSFXを手掛けてアカデミー賞を4度も受賞しているL・B・アボット(CGのない時代です)と、これだけスタッフ、俳優が充実しているパニック映画も例がない。とにかく何度観ても面白いし感動させられる。

――と、長々とオリジナルの紹介をしたのは、リメイクだというのに前作のいい所がまったく生かされていないからである。

そもそも、ポール・ギャリコの原作とは、登場人物が全然異なる。ま、変えるのはいいとしても、オリジナルにあった、それぞれの人物の内面的な掘り下げ、対立や葛藤もなく、矢継早に次から次に災難が襲いかかるだけで、感動することも勇気付けられることもない。

SFXだけはさすがにI.L.Mによる最新のCG技術が駆使され、見応えがある。
が、いくらCGが見事でも、肝心のドラマが薄っぺらいのでは感動も、見終わった後の充実感もない。

冒頭、水中から出たカメラがポセイドン号の周囲をグルリと回りジョギングする人物を捕らえるまでをワンカットで描いたCGに驚かされるが、
だからそれがどうした・・・と言いたくなるくらい、別になくてもどうでもいいシーンである。

なんだか、CG技術者の、自己満足の為だけに作られたような感じを受けてしまうが、そんな所に手間と時間をかけるくらいなら、脚本作りにもっと手間と時間をかけなさい…と言いたくなる。

まるで、ユニバーサル・スタジオのアトラクションを体験しているようなもので、見ている間はワーキャー、ハラドキだが、観終わったらきれいさっぱり忘れて、後に何も残らない(そう言えば元消防士だというカート・ラッセルは、USJにある「バックドラフト」の元となった映画に主演してましたな)。

まあ、そういったアトラクションを楽しみたい方なら十分堪能できるだろう。前作を知らなければそれなりに面白いかも知れない。

しかし、映画はやはり感動を与えられ、観終わった後々までも心に残り続けるものであって欲しい。SFXだけしか印象に残らないようでは困るのである。

オリジナルは、逆さになった船内のビジュアル効果も秀逸だった。天井に固定されたテーブルにぶら下がった人間がシャンデリアに向かって墜落して行く…という文字通り逆転発想がお見事。トイレの便器が逆さになっているシーンも印象的。
本作では、そうした視覚的な斬新さがない。まあ、あったとしても二番煎じになってしまうだろうが…。

公開前なので、あんまり文句は言いたくないのだが…まあ前作がいかに素晴らしい出来だったかを再認識出来た事が収穫だった…と言えばキツいだろうか。

  (採点=★★☆

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2006年5月26日 (金)

「アンジェラ」

Angela_1(2005年・仏/監督:リュック・ベッソン)

リュック・ベッソンは私のお気に入り監督の一人(但しかつては)。

「グラン・ブルー<グレート・ブルー完全版>(88)は中でも一番好き。神秘的で荘厳な美しさに満ちていた。何度見直してもうっとりする。

その後の「ニキータ」(90)「レオン」(94)にも魅了された。

しかし、面白かったのはそこまで。以降の監督作品は、観るたびにガッカリ度が強まっている(もっとハッキリ言えば、「グラン・ブルー」を頂点にどんどんレベルダウンしているように感じる)。

製作・脚本担当作に至っては、どれもイマイチの作品ばかり。中でも「ダンサー」「WASABI」「ダニー・ザ・ドッグ」は酷かった。

本作は、そのベッソン6年ぶりの監督作。文句はあれど毎回観に行ってしまうのがファンの惚れた弱みである(今度こそ頼むよぉ)。

タイトルの原題は“Angel-A”。よくある名前のアンジェラ(ランズベリーとか、「燃えよドラゴン」でブルース・リーの妹を演じたアンジェラ・マオなんかもいたなぁ。古いか(笑))を分解すると、エンジェル(天使)+Aになる。そこから思いついてストーリーを考案したのかも知れない。しかし残念ながら、作品そのものはやはり凡庸な出来だった。

そもそも、ヤクザに金を借りまくって、返済の当ても立たず自殺しようとするだらしない主人公アンドレ(ジャメル・ドゥブーズ)には共感できないし、その彼を何故か助ける天使アンジェラ(リー・ラスムッセン)も大柄で娼婦の恰好で男から金を巻き上げたりするので、こちらも感情移入しにくい。

その上、ストーリーもキャラクター設定もどこかで聞いたような話だし、映像はどこかで見たようなものばかり。

例えば、超能力を持った女がダメ男を好きになる…という話は、日本のラブコメ「うる星やつら」でお馴染みだし(ついでながら同時期のラブコメ「The かぼちゃワイン」大柄な女とチビ男が主人公である)、さして目新しい話ではない。

パトリス・ルコント監督「橋の上の娘」は、モノクロ映像に、セーヌにかかる橋から身投げしようとする女が出て来る。モノクロに天使とくれば、ヴィム・ヴェンダース監督「ベルリン・天使の詩」があった。

・・・とまあ、たちどころに似たイメージが浮かぶ事からして、いかにイージーな発想であるかが分かる。

そもそも、“金策に困り果てた主人公が橋から投身自殺しようとすると、それより先に飛び込んだ人がいて、助け上げたらそれは天使だった…”というメインプロットが、フランク・キャプラ監督の名作「素晴らしき哉、人生!」とまったく同じなのだから困ってしまう。
どういうつもりなのだろうか。パロディともオマージュとも違うと思うが…。

アンジェラが、ヤクザたちを一発でぶっ飛ばしたり、男たちを次々トイレに誘い金を巻き上げるといったコミカル(と言うよりマンガ的)なシーンも全体のバランスを崩している。

とにかく、「グラン・ブルー」や「ニキータ」にあったスタイリッシュな美学、凛とした人間讃歌は影を潜め、ガサツなだけの作品になっている。

ベッソン、いったいどうしちゃったんでしょうか。 またもやガッカリな出来であった。
(採点=★★

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2006年5月22日 (月)

「グッドナイト&グッドラック」

(2005年・米/監督:ジョージ・クルーニー)

Goognightgoodluck1 俳優のジョージ・クルーニーが脚本(共同)・監督を手掛けた社会派映画の力作。

1950年代に全米(中でも映画界)に吹き荒れた、俗に“赤狩り旋風”と言われる一連の思想、言論の弾圧運動に、果敢に対抗した伝説のテレビ・キャスターがいた。その名はエド・マロー。映画は彼とその周囲の人々の行動を、ドキュメンタリー映像をうまく取り入れ、アメリカの汚点とも言われるこの運動の実態は何だったのか、そしてテレビと報道とはどうあるべきなのかを鋭く描いている。

この映画を鑑賞するには、やはりその時代背景と、赤狩りが何故発生し、それによってどういう問題が起きたかを事前に知っておくべきだろう。一応簡単に書いておく。

第二次大戦終結後、米ソの冷戦が激化していた40年後半から50年代に、共和党のジョセフ・マッカーシー議員らが中心となって非米活動委員会(HUAC)が組織され、“共産党の脅威からアメリカを守れ”というスローガンの元、マスコミ界、映画界から共産主義者、及びその同調者を排除する運動で、アメリカではマッカーシーの名前を取って「マッカーシズム」と呼ばれている。

この運動によって、多くの映画人が職を奪われた。また転向を宣言した人や、密告してメンバーの名を告白した人は映画界に残れることとした。

映画人の中には、毅然と転向も証言も拒否した人たち(10人いたので、ハリウッド・テンと呼ばれる。名脚本家のドルトン・トランボもその一人)もいたが、一方では映画界に残りたい為仲間を売った人もいた。エリア・カザンもその一人。その為映画人の多くはカザンを裏切り者として非難した(カザンのアカデミー名誉賞受賞時に、拍手せず腕組みしたまま立たなかった人がかなりいたのは有名な話)。

ドルトン・トランボは、変名でいくつか脚本を書いたりして(ヘップバーンの「ローマの休日」にクレジットされているイアン・マクラレン・ハンターとはトランボの偽名。最近発売された同作のデジタル・リマスター版ではクレジットがトランボに書き換えられている)その後「スパルタカス」「ジョニーは戦場に行った」(監督)などで映画界に復帰する事が出来たが、多くの人は失意のまま映画界を去った。残っていればあるいは優れた作品を残したかも知れない。
チャップリンもその影響を受け、追われるようにイギリスに脱出し、アメリカ再入国さえ拒否された。なんとアメリカで撮った「ライムライト」さえアメリカ国内では20年間公開されなかった。彼も含めて、無実の人も多かったという。
赤狩りは、映画界に癒せない、深い爪痕を残したと言えるだろう。カザンも、ある意味では犠牲者なのかも知れない。

赤狩りについては、私の知るところでは、これまでに2本の関連した映画が作られている。
1本は、1991年、アーウィン・ウィンクラー監督の「真実の瞬間(とき)」。割と正攻法で描いていた。ロバート・デ・ニーロ主演。

もう1本は2001年のフランク・ダラボン監督「マジェスティック」。ジム・キャリー主演。こちらはややファンタジー色が濃い。田舎の映画館再興の話がからむので赤狩りは背景のような扱いになっている。
ともあれ、赤狩りに興味があればご覧になることをお奨めする。

さて、本作だが、モノクロで、当時のドキュメンタリー映像をうまくモンタージュしているので、記録映画を観ているかのような臨場感がよく出ている。マッカーシー議員は俳優でなく、記録フィルムにより本人が出ている。
これは大成功。私も映像で見るのは初めてだが、ハゲで汗臭く、いかにも偏狭でいやらしい人物に見える。助演賞をあげたいくらい(笑)。

Goodnightgoodluck_1  エド・マローを演じたデヴィッド・ストラザーンがうまい。始終、ニコリともしない。ブレない、信念の人らしい性格がうまく出ている(しかし、当時はタバコ吸いながらテレビに出演出来たんですねぇ(笑))。それと、彼を陰で支えるプロデューサー、フレンドリーを演じたクルーニーの存在も見逃せない。
その他のスタッフのチームワーク、マローを牽制しながらも一目置いているかのようなテレビ局の会長ペイリー(フランク・ランジェラ)など、マローがマッカーシーに勝てたのは、こうした周囲にいた人たちの助力も大きかったのではないだろうか。

映画は、あえてドラマチックな盛り上げを排している。上映時間も短い。その為やや不満を感じる人もいるようだ。

だが、私はそれで正解だと思う。何故なら、マローが糾弾しようとした問題は今も解決してはいないからである。イラク戦争以降、世論は反リベラルな風潮にあるし、マスコミも真実を伝えようとはしていない。
“正義が勝ちました。めでたしめでたし”のようなドラマにしてしまったら、そうした問題を過去の出来事に追いやってしまう事につながるからである。

ラストでマローは、彼を称える人たちに言い放つ。
「真実の報道よりも娯楽ばかりを優先するようなテレビは、メカが詰まったただの箱だ」。

これは、今のマスコミに対する苦言でもある。特に日本のマスコミ人は肝に銘じておく必要があるのではないか。
それと、クルーニーのように私財を投げ打ってでも、問題を提起し、権力者を糾弾する作品を作る骨太な映画人が、今の日本にいるだろうか。

さまざまな事を考えさせてくれる、これは本年一番の問題作であり、秀作である。

(採点=★★★★☆

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2006年5月21日 (日)

村上もとか「龍-RON-」

Ron2 今回はマンガです。

コミック誌「ビッグコミック・オリジナル」に、1991年から足掛け16年にも!わたって連載されていた、村上もとかさん原作・画「龍-RON-」が、5月20日発売号でようやく最終回を迎えました。

単行本が、多分最終回分を含めて42巻になりそうです。

「こち亀」や「うる星やつら」などのギャグ漫画は別にして、
一貫したストーリーのある大河ロマンとしては最長記録ではないでしょうか。

なぜこの作品を取り上げるかと言うと、
この作品には、著名な映画関係者が多数登場しているからです。その為、映画ファンの中にもこの漫画を読んでいる方は少なからずいると思われます。

物語は、昭和初期、財閥の家に生まれた風雲児、押小路龍が、迫り来る戦争への流れの中で、貧しい農家出の田鶴ていと深く愛し合い、大陸に渡り、数奇な運命に翻弄され、戦い、終戦後はインドに脱出するまでの波乱万丈の人生を描きます。

その中で登場するのが、満州事変とその首謀者の一人である石原莞爾や、大杉栄虐殺に関わり、後に満州に渡って満映理事長となる甘粕正彦、226事件の首謀者、北一輝などで、さらには魯迅、毛沢東、周恩来なども実名で登場します。

これだけでもスケールの大きなドラマである事が分かりますが、映画ファンとして見逃せないのが、当時の映画人たちで、
まず田鶴ていが才能を見込まれて映画女優となるのですが、そのていの素質を認めて映画女優になるのを勧めるのが大女優・入沢たき子、初出演作の監督がアメリカ帰りのトーマス栗田、会社の重役が、元サイレントのチャンバラ・スター、尾野松之助…と、一応映画関係者はみんな仮名になっております。

ご存知ない方の為に、モデルになった方々を順に挙げますと、
入江たか子栗原トーマス尾上松之助…と言うわけです(と書いても知らない方もいるでしょうね)。

この後、いずれも仮名ですが、溝口健二、岡田時彦、小津安二郎、山中貞雄などが登場します(ちなみに岡田時彦は、岡田茉利子のお父さんです)。

そして、終盤では、田鶴ていは日本初の女流映画監督として、満映で数本の映画を撮ることになります。

こうした物語が、複雑な人物関係や歴史上の事件をふまえながら延々と続いて行くのです。途中で、何時になったら終わるのか…と思うことも何度か(笑)。

ところが、最後の2話くらいで、いきなりポンポンと話が飛んで、突然2001年になって、後日譚が簡単に周囲の人物から語られた後、唐突に最終回を迎えてしまいます

それまでの、悠々たる展開に比べて、この端折り方は何なんでしょうね。もう少し、しみじみとした終わり方を期待していたのに、肩透かしを食らった感じです。

まあそれはともかく、この漫画で、激動の昭和史と、戦前の日本映画史については随分勉強する事が出来ました。村上さんには長い間ご苦労様でしたとねぎらいの言葉をかけておくこととします。

映画ファン、特に山中貞雄とか満映(及び理事長甘粕正彦)に興味のある方には必読の力作であると言えましょう。

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2006年5月19日 (金)

「ナイロビの蜂」

(2005年・英/監督:フェルナンド・メイレレス)

Constantgardener 原作ジョン・ル・カレ。ル・カレと言えば40年ほど前、「寒い国から帰ったスパイ」というサスペンス映画(リチャード・バートン主演)があった。数年前には「ロシア・ハウス」(ショーン・コネリー主演)が話題になった。息の長い作家である。

で、いずれもスパイ小説なので、本作もてっきりそうした傾向の作品かと思ったが、ちょっと違って、妻の謎の死を追ううちに謀略事件に巻き込まれて行く外交官の行動を通して、夫婦愛の強さを描く感動作に仕上がっている。まあサスペンスものには違いないが。

監督はブラジル出身のフェルナンド・メイレレス。この監督の前作「シティ・オブ・ゴッド」は傑作だった。年端も行かぬ少年たちが拳銃を握り、血で血を洗う暴力抗争に明け暮れる…という、まさにブラジル版「仁義なき戦い」とも言うべき衝撃作であった。その上、カメラはまるで深作欣二の映画を観ているかのように手持ちで激しく揺れる。メイレレス監督はブラジルの深作欣二か、と思った。

その前作が世界的に評価され、本作ではイギリスに招かれてメジャー進出と相成った。
しかしメジャーになっても演出スタイルは変わらない。やはり手持ちカメラを多用し、画面は不安定に揺れる。そのおかげで、映画はドキュメンタリー映画を観ているかのような迫力を生んでいる。

物語は、英国外交官(レイフ・ファインズ)が妻の謎の死を探るうち、アフリカ住民を実験台にして新薬を開発する大手製薬会社の陰謀を知るが、更に背後にもっと大きな国際的謀略が隠されており、外交官も妻の死んだ湖で謀殺される…というポリティカル・サスペンスになっている。

これを観て連想したのは、やはり深作欣二が監督した、戦後のGHQが絡んだ政治的謀略サスペンス、「誇り高き挑戦」(62)である。チャンバラ映画全盛の当時の東映でよく作れたと思えるほど、タブーに挑戦した社会派ドラマの傑作であった。政治的陰謀によって次々謎の死が起きるが、誰も手が出せず真相は闇に葬られる…というストーリーが本作とよく似ている。同じようにラストに国会議事堂が登場する熊井啓監督の「日本列島」も似たような政治謀略サスペンスの傑作だった。

連想ついでに、これも深作欣二の傑作、「軍旗はためく下に」(72)を紹介。戦争中、上官反逆罪で処刑されたという夫の死の謎を解くべく、その未亡人(左幸子)がいろんな人を訪ね歩き、背後に隠された真相を追究して行く…という話で、“配偶者の死の謎を残された人間が探るうちに背後の謀略が明らかになって行く”という内容がこれまた本作とそっくり。

まあちょっと考え過ぎかも知れないが、2本の深作欣二映画との類似性、それと演出手法の相似性からして、まさにメイレレス監督は亡き深作監督の後継者を目指しているのではないか…

―というのは、やっぱり考え過ぎなんでしょうね(笑)。

でも、そんな事を考えながら映画を観ると、より楽しく、より深く映画を味わう事も出来るのである。でも、そんな事を知らなくても、映画は十分面白く、夫婦愛に心打たれ、感動できる。お奨めです。

でも、やっぱり言いたい。
   フェルナンド・メイレレスはブラジルの深作欣二である(しつこいかな(笑))。    (採点=★★★★☆

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2006年5月16日 (火)

「小さき勇者たち~GAMERA」

(2006年 角川ヘラルド=松竹 監督:田﨑竜太)

Gamera 旧大映(現在は吸収されて角川映画になった)の看板シリーズ「ガメラ」の久々の復活である。

ただし、金子修介監督による平成3部作は、どちらかと言うと大人向けの作りであったが、本作はぐっと子供向けにターゲットが定められている。
その為、製作前から出来具合に対する不安(チャチなものになるのではないかという、特に金子ガメラファンからの)が囁かれていたのだが…。

私も半分不安混じりで(というより全然期待していなかったのだが)鑑賞したのだが―

観終わった感想・・・ 予想以上に面白い!子供には十分楽しめる水準作だが、不安を見事に払拭して、大人が観ても楽しく、そして感動出来る作品になっている。

基本ラインとしては、昔からある、“小さな生き物と子供との交流”というパターンを見事に踏襲している。古くは「仔鹿物語」(47)や「黒い牡牛」(56)という佳作があるし、最近では「子ぎつねヘレン」がそうだった。―そして、あのスピルバーグ監督の傑作「E.T.」もそうした要素を巧みにアレンジしているのである。
それと、「ガメラ」シリーズは、元々は子供向け作品なのである。昭和40年代に作られたシリーズの3作目「ガメラ対ギャオス」あたりから子供が前面に出て来るようになり、後期に至っては完全に子供が主役となり、―ただし予算不足もあってか質的にもいささかお粗末で見るに忍びないものもあった。

本作はそんなわけで、もう一度子供路線に軌道修正したわけで、―だからと言ってチャチなものにならないよう、脚本(テレビドラマの佳作を書いている女性の龍居由佳里)は子供の目線を保ちつつ、大人が観ても十分鑑賞に耐えるレベルに仕上がっている。

前半、主人公の少年透の日常生活と周囲の人物関係を丁寧に描いていて、それらが後半に繋がって行くあたりも見事な構成である。特に透の父親孝介(津田寛治)のウェイトはかなり大きく、クライマックスに向けて、息子を励まし、助け、その結果として透は勇気を獲得し、孝介もまた子供の頃、親ガメラを助けられなかったトラウマから解放されて行くのである。これは、少年の成長物語であると同時に、孝介が本当の大人になって行くドラマでもあるのである。

多くの子供たちが、ガメラの活力源である赤い石を次々リレーするシーン、ここは意外な事に泣ける。小さな子供たちが、必死で勇気を振り絞り、懸命に走る姿に涙が溢れた。子供を持っている父親で、本当に子供を愛しているなら、きっと泣けるだろう(泣けない人は、親としての愛情が足らないのです(キッパリ!))。    (採点=★★★★

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(さて、お楽しみはココからだ)

ところで、本作は感動もするけれど、あちこちに遊び心が充満していて、その面でも楽しめる。(以下は出来るだけ映画を観てからお読みください)

 

本作をよく観ると、ディテールに至るまで、巧妙に「E.T.」のエッセンスを取り込んでいる事が分かる。
ストーリーの概略が、森の中で小さな生き物を拾って、親に内緒で育てて、それを知った学者や政府エージェントが研究所に運び、子供たちが連携して助けて、やがて空の彼方に去って行くそれに少年は別れを告げる・・・とまあ、見事にそっくり。本作から怪獣バトルGamera2_2 シーンを取り除いたらまんま「E.T.」である。そう思って見たら、ガメラの顔も心なしかE.T.にそっくりなのである(左の写真を参照)。子供が不在の間に、家の中を親の目をかすめて動き回るユーモラスなシークェンスも「E.T.」にありましたね。このくだりで、でっかい包丁に炎を浴びせるシーンは「ガメラ対ギロン」の包丁怪獣ギロンのパロディでしょう(う~む、ちとマニアックすぎるか)。

それから、敵の怪獣ジーダス、これ、私の独断では、ローランド・エメリッヒ監督のUS版「ゴジラ」だと思います。デザインが似てるだけでなく、志摩大橋で橋桁に引っかかって悪戦苦闘するシーンはUS「ゴジラ」のラストを思い起こさせます。怒るとエリマキを立てるシーン、これは「ウルトラマン」に登場したエリマキ怪獣ジラースを思い出させますが、あのジラースが実は日本のゴジラのぬいぐるみを流用してエリマキを付けただけという事を知ってれば余計楽しめます。名前からして、ジーダスにジラースですしね。

とまあ、こういう作者の遊びを発見するというのも、映画をより楽しく観る方法の一つなのです。 

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2006年5月14日 (日)

「容疑者Xの献身」(東野圭吾・著)

Suspectx_1

さて、私の読んだミステリー小説のご紹介。

東野圭吾は私のお気に入りの作家の一人である。広末涼子主演で映画化された「秘密」も良かったが、「白夜行」は特に感銘を受けた。人間の運命、苦悩、生き様を長い時間をかけて観察するかのように描いた、格調高い文学作品の香りがする秀作であった。

で、本作だが、こちらは謎解き本格ミステリーである。トリックも見事だが、人物描写も優れていて読み応えがある。そしてこれはまた、天才的な名探偵と、天才犯罪者との知恵比べ対決でもあり、つまりはあの秀作TVミステリー「刑事コロンボ」とよく似た構造を持った頭脳合戦ドラマなのである。

ちなみに本作は、「探偵ガリレオ」に始まる天才学者、湯川学を主人公にした連作ミステリーの一編にして、初めての長編でもある。このシリーズ、どれもアイデアが優れていて、頭の体操に持って来いである。本作も確かによく出来ており、面白いしミステリー・ファンにはお薦めなのだが、直木賞まで取ってしまったのは意外だった。文学的完成度なら「白夜行」の方が上だろうし、むしろそっちで取って貰いたかった。船戸与一もずっと遅れたし、どうも直木賞の授賞はタイミングが毎回遅過ぎる。

そんなわけで、謎解きミステリーとしては楽しめたし、うまくダマされたわけだが、・・・後でよく考えると、ん? てな所がある。
<以下ネタバレ>ですので、原作を読んだ方だけ、下の空白部分をドラッグして反転させてください。
結局、アリバイを作る為に、犯人石神はもう一つの殺人を行う。・・・従って靖子が殺した元の死体をコマギレにして、絶対見つからないように隠すのだが(実際、見つかるようではトリックにならないわけだが)・・・・だったら、元の死体を隠すだけで十分で、なにも第二の殺人を犯す必要はないではないか死体が見つからなければ、行方不明になっただけで、いくら警察が来ようとも靖子は知らん顔をすればよいのだから。
まあ、テーマは、石神が靖子と同じ罪を犯す事で、題名通り“献身”を果たしたという事なのだろうし、作者が思いついた巧妙なアリバイトリックを披露する為にはそんな矛盾もアリかも知れないが…。

とまあ、突っ込んではみたけど、うーん、それ言っちゃ身もフタもないですかねぇ(笑)。

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2006年5月12日 (金)

「V フォー・ヴェンデッタ」

(2005年 ワーナー/監督: ジェイムズ・マクティーグ)

Vforvendetta 近未来の、ファシズムに支配された独裁国家と化したイギリスを舞台に、政府に立ち向かう謎のヒーロー、笑い仮面・“V”の活躍を描いたアクション。

プロデューサーの一人がジョエル・シルバー、脚本がウォシャウスキー兄弟と、「マトリックス」の製作・監督トリオが参加している為、それをウリにしているようだが、「マトリックス」とは何の関係もない(当然SFでもない)。展開もやや重苦しい。

冒頭、400年前に国王を暗殺しようとして捕まり処刑されたガイ・フォークスの実話が紹介され、“V”はこのガイ・フォークスになぞらえ、政府転覆を狙って次々と殺人、爆破テロを実行して行く。…とこう書けば、なにやらテロ礼賛の反社会的作品か…と思ってしまうだろう。

そんな風に考えたら、この映画は楽しめない。で、視点を変えてみる。

実は、時の政府(又は権力者)に立ち向かう仮面のヒーロー…というパターンは、昔からたくさんある。
有名なのが、戦前から作られている、メキシコを舞台とした怪傑ゾロ」(戦前は「奇傑ゾロ」)、日本では、幕末を舞台とした怪傑黒頭巾」(高垣眸原作)、仮面ではないがサングラスにバンダナの怪傑ハリマオ」(全部“怪傑”がつく(笑))などがある。

Zoro_1 “V”は、むしろこうした“仮面の正義のヒーロー”の系譜に連なる主人公…と考えれば面白いのである。スタイルとしては、黒づくめに黒マント、黒い(何というのか、シルクハットを短くしたような頂上が平らな)帽子といういでたちが、ゾロを思わせる(剣先でポスターにシュシュッとVのサインをするところもそっくり)。

Kurozukin_1 さらに、ホルスターに入れた二挺拳銃…ならぬ6挺短剣を目にも留まらぬ早業であやつり、敵を倒すあたりは、二挺拳銃のおじさん、怪傑黒頭巾を彷彿とさせる(こちらも全身黒づくめ)。
黒頭巾シリーズを思い起こすと、いくつかの作品ではラストで敵の本拠に爆薬を仕掛け、大爆破を行う…というシーンまであるし、倒幕グループのメンバーが危機に陥った時、どこからともなく黒頭巾が風のように現われ、可憐なヒロイン(松島トモ子や丘さとみ等)を助けたりするわけだから、この辺もよく似ている。

日本のアニメを数多く見ているウォシャウスキー兄弟のことだから、きっと「怪傑黒頭巾」も研究しているに違いない。・・・なあんて、半分冗談だが(笑)、こんなことを考えながら観たら、結構楽しめる作品なのである。

こうした作品は、いずれも政府や権力者側が悪で、それに立ち向かう主人公が正義のヒーローなのである。だからといって、これらをテロリスト礼賛映画とは誰も言わない。
だから本作も、政治的な意味合いを深く考えずに、エンタティンメントとして気楽に観ればいいのである(原作自体がコミックだし)。

ヒーロー映画ではないが、アルジェリア独立運動の実話に基づいた秀作「アルジェの戦い」(66・ジロ・ポンテコルボ監督)では、政府によって革命戦士の主人公が殺された後、無数の名も無き群集が広場に押し寄せ、政府軍を圧倒する…という幕切れだったが、このあたりも本作のラストとよく似ている。

ついでに、この“V”を演じているのが、「マトリックス」のエージェント・スミス役、ヒューゴ・ウィーヴィングなのだが、ラストで無数の“V”の笑い仮面が登場するあたり、「マトリックス・リローデッド」でも無数の同じ顔のウィーヴィングがネオに飛びかかるシーンがあったな…と思い出す人もいるだろう(て、私だけかな(笑))。

まあそんなわけで、いろんな古い映画を観ていると、また違った楽しみ方も出来るのである。いかがですかな。    (採点=★★★☆

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2006年5月 7日 (日)

「ナニー・マクフィーの魔法のステッキ」

 (2005年・監督:カーク・ジョーンズ)

Nannymacfee

ちょっと公私とも忙しくなって、なかなか映画が観れません。ようやく時間がとれたら、今度は上映開始時間が合わない。帰りの時間を考えて、いろいろ探したら、やっとこれが上映時間も短く(1時間38分)手ごろだったので。本当は「ニュー・ワールド」を観たかったのだが…。

で、あまり関心も予備知識もなかったのだが、これが意外と面白かった。

イギリスの作家、クリスチアナ・ブランドの書いた児童書「ふしぎなマチルダばあや」を、女優のエマ・トンプソンが脚色、主演した、いかにもイギリス映画らしいユーモアに溢れた楽しい作品である。

葬儀社につとめる、妻を亡くしたブラウン氏(コリン・ファース)には七人のやんちゃガキがいる。雇ったナニー(家庭教師兼乳母みたいなものか)に悪いいたずらをしては辞めさせるので、ナニーの来手がない。ほとほと困ったブラウン氏の前に、マクフィーと名乗る不思議なナニーが現われ、魔法で、子供たちに少しづつ礼儀作法、そして感謝の気持ちを教えて行く…。

ディズニーの秀作ミュージカル「メリー・ポピンズ」を連想させるストーリーだが、異なるのは、マクフィーの容貌、なんとイボと出っ歯にダンゴ鼻に反った眉と、とんでもなく不細工な顔で、しかも無表情で笑わない。だから最初は不気味で、悪い魔法使いのような印象を与える。使う魔法も地味で奇跡を起こすわけでもない。

しかし、子供たちがいろんな人生の難問を経験し、マクフィーの助力のおかげでそれらを乗り越え次第に自立して行くにつれ、マクフィーの顔からイボや出っ歯が取れ、綺麗になって行く。そして、ラストにおいて、素敵な奇跡が訪れ、もうマクフィーの力も必要でなくなった時、マクフィーは静かにいずこともなく去って行く。

子供たちが可愛らしいし、いろいろ笑えるギャグも多くて結構楽しい。特に、父のお見合いをぶっ壊そうと子供たちがたくらむいたずらが、ミミズのサンドやら、ヒキガエルの入ったポットとややエゲツないし、それを隠そうとブラウン氏が相手の女性にタックルするのを、ブラウン氏が発情したのかと勘違いするあたりは大笑いである。ラストにはサイレントのドタバタコメディによく登場するパイ投げも派手にやってくれる。そう言えば、期限までに花嫁を探さなければいけないという設定はキートンの「セブン・チャンス」を連想させるし…、ところどころ、そうした古き良き時代のスラップスティック・コメディへのオマージュを私は感じた。ローレル・ハ-ディなどのサイレント・コメディを覚えている方なら余計楽しめるでしょう。

子供向けに宣伝されているが、大人が見ても楽しいし、いろいろ考えさせてくれる。
子供の教育はどうしたらいいのか…、甘やかしでも、厳しい躾けでもない、子供たちに考えさせ、自分たちで解決する方向に導いてあげる、マクフィーのやり方が一つの答なのかも知れない。

エマ・トンプソンの奇妙なメイクと演技も楽しい。イギリスの個性派俳優の共演も見どころ。そして、懐かしや「ジェシカおばさんの事件簿」(個人的には「クリスタル殺人事件」のミス・マープル役が好きなのですが)の大ベテラン女優、アンジェラ・ランズベリーの元気な快(怪?)演はとくと見ておくべきでしょう。  (採点=★★★★

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2006年5月 6日 (土)

「ブレードランナーの未来世紀」

Eiganomikata_1 このブログでは、映画批評だけでなく、私の読んだ本でお薦めのものも取り上げることにしている。そう言いながら今まで書いて来なかったのは、第1回目に何を取り上げるか迷っていたからである。ミステリー小説、SF小説、ファンタジー、泣ける小説、映画評論、エッセイ・・・・いろいろあって本当に迷う。

で、結局、欄外「おススメの本」で最初に紹介した本書を取り上げることにした(初めからそうせんかい(笑))。

著者は町山智浩。この人は私のお気に入りの評論家で、とにかく紹介する作品や文章が実にユニーク、独特の視点を持っており、いつも感心させられている。「そういう見方もあるのか…」と目からウロコが落ちる思いである。
本ブログのサブタイトル「いろいろ視点を変えてみれば、映画はもっと楽しくなる」も、実は町山氏の著作に触発されて決めたようなものである。そういう意味で、第1回に取り上げるに相応しいと言えるかも知れない。

本書は、3年前に町山氏が出した「<映画の見方>がわかる本」の、シリーズ第2弾にあたるもので、前回では、1968年から78年にかけてのいくつかのアメリカ映画を取り上げている。作品名は 『2001年宇宙の旅』 、『俺たちに明日はない』、『卒業』、『イージー・ライダー』 、 『フレンチ・コネクション』、『ダーティハリー』 、『時計じかけのオレンジ』 、『地獄の黙示録』、 『タクシードライバー』、 『ロッキー』、 『未知との遭遇』・・・等々、アメリカン・ニューシネマからSF大作まで、この10年間のアメリカ映画の変遷が綴られている。

が、作品タイトルは幾分オーソドックスでも、料理の仕方がそこらの映画評論とは切り口がちょっと違う。アメリカ各地を実際に渡り歩き、知られざる製作エピソードを収集し、監督の実態に迫り、映画が本当に言わんとしているポイントを着実に追及してくれる。
『2001年宇宙の旅』や『地獄の黙示録』などの一般に難解と言われている作品についても、実に分かり易く解説されており、一読の価値はある。…まあしかし、あくまでこの人の視点であり、賛同するかしないかはあなた自身で考えてください。

・・・前置きが長くなったが、本作はその後の、1980年代のアメリカ映画、―それもややマニアックな作品が取り上げられている。

取り上げた作品は、『ビデオドローム』、『グレムリン』、『ターミネーター』、『未来世紀ブラジル』、『プラトーン』、『ブルーベルベット』、『ロボコップ』、『ブレードランナー』・・・と、どちらかと言えばカルトっぽい題名が並ぶ。『ビデオドローム』なんかはあまりの難解さに劇場未公開となったものである。実は私も、まだレンタルビデオが出始めの頃、これを借りて観ている。確かにさっぱり分からない。…がリック・ベイカーのSFXだけは(低予算でCGもない時代だが)ショッキングで強烈に印象に残った。本書を読めば、その比喩するものが解説されており、これを読んだ後に観ればより楽しめるかも知れない。…しかし本書には、監督のクロネンバーグ自身「作った当時は自分でも意味不明だと思った」と告白したと書かれてある。なんのこっちゃい(笑)。

以下、さまざまな資料も駆使して、映画作家たちが何をどう考え、苦悩や試行錯誤の果てにいかにしてこれらのカルト傑作映画を生み出すに至ったかが詳細に解説されている。映画の中で、どうしても分からなかった疑問点も解答してくれているのは特にありがたい。
例えば、『ブレードランナー』で、屋台のオヤジがハリソン・フォードに日本語で「二つで十分ですよ。わかってくださいよ」という、その二つとは何か…という疑問にも答を出している。なるほど、そうだったのか(知りたい方は本書をお読みください)。

町山氏は、自身が企画した雑誌『映画秘宝』でも相方の柳下毅一郎氏と、まるで漫才の掛け合いのように対談で映画を切るコーナー「裁くのは俺たちだ!」を連載しており、これもウンチクとボケと突っ込みでいつも楽しませてもらっている。

まあ、人によっては好き嫌いが分かれるかも知れないが、とにかく「映画をいかに楽しむか」という視点は私と共通しており、個人的にはこの人の文章は大好きである。映画をもっと楽しみたいと思っている方(特にSF、ファンタジーが好きな方)は、一読のほどを。

シリーズ1作目です
町山/智浩∥著: <映画の見方>が分かる本

<映画の見方>がわかる本

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2006年5月 3日 (水)

「鴛鴦(おしどり)歌合戦(デジタルリマスター版)」

(昭和14年・監督:マキノ正博)

Osidori1_1 この映画は戦前に作られた旧作ですが、私の大好きな作品であり、また最近デジタル・リマスタリングされ、大阪・九条のシネ・ヌーヴォにて公開中ですので、是非多くの方に観ていただきたく紹介いたします。

(劇場情報はこちら → http://www.cinenouveau.com/cinemalib2006/oshidori.htm )

これは、実に楽しい、和製シネ・オペレッタの快作です。まあ和製ミュージカルなのですが、セリフがほとんど歌になっており、こうした作品は当時からオペレッタと呼ばれておりました(最近では鈴木清順監督の「オペレッタ狸御殿」がありましたね)。

とにかく、出演者のほぼ全員が歌ってます。バカ殿役のディック・ミネや服部良一の妹で歌手の服部富子は言うに及ばず、主演の片岡千恵蔵も、志村喬も市川春代もみんな歌っております。あの志村喬サンが気持ちよさそうに、♪さ~てさてさてこの茶碗♪-と歌うシーンは必見(いや必聴)です。

Osidori2 この志村さんが、意外!にも結構いいノドを披露します。マキノ正博さんの自伝「映画渡世」によれば、ディック・ミネがそのうまさに驚嘆して「志村さん、是非テイチクに入りなさいよ」と強く薦めましたが、本人は冗談と思って、実際にあったレコード会社からの誘いにも乗らなかったそうです(笑)。

お話は実に他愛なく、千恵蔵を取り巻く美女たち(市川春代、深水藤子、服部富子)の恋の鞘当て、それにお春(市川春代)に惚れたディック・ミネのバカ殿がからんでの大騒ぎ、最後は千恵蔵とお春が結ばれてのハッピーエンドとなります。

その底抜けに明るい歌合戦とドタバタぶりは、とても戦前(それも第二次大戦間近)に作られたとは思えないくらいです。それだけでも映画史に残る快挙といえましょう。

これほどの名作が、別に予定していた作品が流れ、急遽短期間で早撮りしたというのですからまた驚きです(脚本、作詞・作曲に要した日数はわずか4日間!ということです)。また千恵蔵がこの時盲腸炎を患い静養中で、彼がカメラの前に立ったのは、わずか2時間だったというのも信じられないエピソードです。

なお撮影を担当したのは、後に黒澤の「羅生門」や溝口健二の「雨月物語」を手掛けることになる名手・宮川一夫である点にも注目です。

ミュージカル好きな人なら必見です。そして、「寝ずの番」を監督したマキノ雅彦の伯父で、数々の娯楽映画の名作を作った稀代のエンターティナー、マキノ正博監督の素敵な職人技をとくと堪能あれ…。

シネ・ヌーヴォの上映は5月19日まで、モーニングショーでの上映(6日~12日はレイトショーもあり)。お見逃しなく。  (採点=★★★★★

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2006年5月 2日 (火)

「RENT/レント」

Rent ミュージカル作品が続くが、話題の「レント」を観た。トニー賞の受賞数こそ4つと、「プロデューサーズ」に及ばないが、エンタティンメント作品では稀有な賞とも言われる“ピューリッツァー賞”を受賞するなど、こちらもなかなか評価が高い。

しかし同じミュージカルであっても、「プロデューサーズ」とは作品のタイプはまったく異なる。ある意味正反対の作品とも言える。
以下、比較してみる(多少私の独断も入っている)。

       「プロデューサーズ」  「レント」
時代    1959年          1989~90年
登場人物 金持ち・中産階級    下層貧民
音楽    通常の歌曲        ロック、他多彩
ジャンル  ドタバタ・コメディ     リアルな生活描写
物語    金儲けと騙し       貧乏だけど夢志向
テーマ   舞台裏話         エイズ、同性愛、死
傾向    中高年大人向け     若者向け

ざっとこんな具合で、もっと分かり易く言えば、「プロデューサーズ」は戦前からあるブロードウェイの伝統的を受け継ぐ正統ミュージカルであるのに対し、「レント」は70年代以降に盛り上がったロックと反体制ムーブメントの中から登場した、非ブロードウェイタイプの作品である。一般的には、“ロック・ミュージカル”と呼べるタイプの作品である。さらに分かり易く言うなら、「プロデューサーズ」が大阪の“梅田芸術劇場(旧梅田コマ)”で上演されるとするなら、「レント」は地下の“シアタードラマシティ”向きの作品である。

もっとも、ロック・ミュージカルはこれより以前から誕生しており、有名な所では、ロイド・ウェーバー作曲の「ジーザス・クライスト・スーパースター」「ヘアー」(出演者が素っ裸になったことで有名)、「TOMMY/トミー」などがあり、いずれもヒッピー風(古いな(笑))の若者たちが主人公である。

もっと遡れば、ロックではないけれど“ニューヨークの貧民街に住む貧しい若者たちのヴィヴィッドな青春群像”を描いた作品としては、あの「ウエストサイド物語」がある。内容的にはむしろ、「ウエストサイド物語」のDNAを受け継いでいる感がある。「ウエスト-」も圧倒的な支持を集めた名作であり、「レント」がブロードウェイで大ヒットしたのは、「ウエスト-」という(当時としては)新しいタイプのミュージカルが今ではすっかりブロードウェイで定着したことも要因としてあるのではないかと思う。

で、私としては、「ウエストサイド物語」大好き・・・と言うより、生涯に観た映画の中でもベスト3に入るほど愛着のある映画で、劇場でも10回以上は観ているし、ビデオでも数え切れない程観た作品。また前述の「ジーザス・クライスト・スーパースター」、これまた大好きな作品で、サントラ盤のレコードも擦り切れるほど聴いた程である。

そんなわけだから、この作品にもすんなり溶け込めた。なにより、非常階段がむき出しになったニューヨーク下町の裏通りの風景で、たちどころに「ウエストサイド」を思い出したくらいだから(笑)。曲の中では、冒頭のコーラス"Seasons of Love"が高揚感があって聞き惚れる。大勢でタンゴを踊るシーンもダイナミックで好きである。

ただ、個人的には私は、観終わってハッピーな気分になれる作品が好きである。MGMミュージカルが大好きなのは、他愛ないけれどラストがいつもハッピーだからである。「プロデューサーズ」も同様。

この作品は、エイズ、ドラッグ、同性愛、友の死・・・と、暗い要素が多い。ラストに明日への希望を匂わせてはいるが、全体としては暗い…。映像作家やミュージシャンを目指す主人公たちが成功するわけでもないし。
だから、いい作品には違いなし、評価もしたいが、「雨に唄えば」や「ウエストサイド-」のように、何度も繰り返し観たいとは思わない。多分興行的にも、「プロデューサーズ」に比べて苦しいのではないか。でも歌は名曲が多いので、これはむしろ生の舞台で見るべき作品なのかもしれない。

じゃ「ウエストサイド」はアンハッピーじゃないかと言われそうだが、全体としてはハッピーな気分に満ち溢れているし、ラストはトニーの死を契機に若者たちの和解を暗示し、感動的なエンディングになっている。――まあ、一つは若い、感受性豊かな時に観た…という事もあるのかも知れない。中高年なった今では「レント」はちょっとシンドい…というのが正直な感想である。―でも、若い人にはおススメですよ。   (採点=★★★★)  

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