「グッドナイト&グッドラック」
(2005年・米/監督:ジョージ・クルーニー)
俳優のジョージ・クルーニーが脚本(共同)・監督を手掛けた社会派映画の力作。
1950年代に全米(中でも映画界)に吹き荒れた、俗に“赤狩り旋風”と言われる一連の思想、言論の弾圧運動に、果敢に対抗した伝説のテレビ・キャスターがいた。その名はエド・マロー。映画は彼とその周囲の人々の行動を、ドキュメンタリー映像をうまく取り入れ、アメリカの汚点とも言われるこの運動の実態は何だったのか、そしてテレビと報道とはどうあるべきなのかを鋭く描いている。
この映画を鑑賞するには、やはりその時代背景と、赤狩りが何故発生し、それによってどういう問題が起きたかを事前に知っておくべきだろう。一応簡単に書いておく。
第二次大戦終結後、米ソの冷戦が激化していた40年後半から50年代に、共和党のジョセフ・マッカーシー議員らが中心となって非米活動委員会(HUAC)が組織され、“共産党の脅威からアメリカを守れ”というスローガンの元、マスコミ界、映画界から共産主義者、及びその同調者を排除する運動で、アメリカではマッカーシーの名前を取って「マッカーシズム」と呼ばれている。
この運動によって、多くの映画人が職を奪われた。また転向を宣言した人や、密告してメンバーの名を告白した人は映画界に残れることとした。
映画人の中には、毅然と転向も証言も拒否した人たち(10人いたので、ハリウッド・テンと呼ばれる。名脚本家のドルトン・トランボもその一人)もいたが、一方では映画界に残りたい為仲間を売った人もいた。エリア・カザンもその一人。その為映画人の多くはカザンを裏切り者として非難した(カザンのアカデミー名誉賞受賞時に、拍手せず腕組みしたまま立たなかった人がかなりいたのは有名な話)。
ドルトン・トランボは、変名でいくつか脚本を書いたりして(ヘップバーンの「ローマの休日」にクレジットされているイアン・マクラレン・ハンターとはトランボの偽名。最近発売された同作のデジタル・リマスター版ではクレジットがトランボに書き換えられている)その後「スパルタカス」、「ジョニーは戦場に行った」(監督)などで映画界に復帰する事が出来たが、多くの人は失意のまま映画界を去った。残っていればあるいは優れた作品を残したかも知れない。
チャップリンもその影響を受け、追われるようにイギリスに脱出し、アメリカ再入国さえ拒否された。なんとアメリカで撮った「ライムライト」さえアメリカ国内では20年間公開されなかった。彼も含めて、無実の人も多かったという。
赤狩りは、映画界に癒せない、深い爪痕を残したと言えるだろう。カザンも、ある意味では犠牲者なのかも知れない。
赤狩りについては、私の知るところでは、これまでに2本の関連した映画が作られている。
1本は、1991年、アーウィン・ウィンクラー監督の「真実の瞬間(とき)」。割と正攻法で描いていた。ロバート・デ・ニーロ主演。
もう1本は2001年のフランク・ダラボン監督「マジェスティック」。ジム・キャリー主演。こちらはややファンタジー色が濃い。田舎の映画館再興の話がからむので赤狩りは背景のような扱いになっている。
ともあれ、赤狩りに興味があればご覧になることをお奨めする。
さて、本作だが、モノクロで、当時のドキュメンタリー映像をうまくモンタージュしているので、記録映画を観ているかのような臨場感がよく出ている。マッカーシー議員は俳優でなく、記録フィルムにより本人が出ている。
これは大成功。私も映像で見るのは初めてだが、ハゲで汗臭く、いかにも偏狭でいやらしい人物に見える。助演賞をあげたいくらい(笑)。
エド・マローを演じたデヴィッド・ストラザーンがうまい。始終、ニコリともしない。ブレない、信念の人らしい性格がうまく出ている(しかし、当時はタバコ吸いながらテレビに出演出来たんですねぇ(笑))。それと、彼を陰で支えるプロデューサー、フレンドリーを演じたクルーニーの存在も見逃せない。
その他のスタッフのチームワーク、マローを牽制しながらも一目置いているかのようなテレビ局の会長ペイリー(フランク・ランジェラ)など、マローがマッカーシーに勝てたのは、こうした周囲にいた人たちの助力も大きかったのではないだろうか。
映画は、あえてドラマチックな盛り上げを排している。上映時間も短い。その為やや不満を感じる人もいるようだ。
だが、私はそれで正解だと思う。何故なら、マローが糾弾しようとした問題は今も解決してはいないからである。イラク戦争以降、世論は反リベラルな風潮にあるし、マスコミも真実を伝えようとはしていない。
“正義が勝ちました。めでたしめでたし”のようなドラマにしてしまったら、そうした問題を過去の出来事に追いやってしまう事につながるからである。
ラストでマローは、彼を称える人たちに言い放つ。
「真実の報道よりも娯楽ばかりを優先するようなテレビは、メカが詰まったただの箱だ」。
これは、今のマスコミに対する苦言でもある。特に日本のマスコミ人は肝に銘じておく必要があるのではないか。
それと、クルーニーのように私財を投げ打ってでも、問題を提起し、権力者を糾弾する作品を作る骨太な映画人が、今の日本にいるだろうか。
さまざまな事を考えさせてくれる、これは本年一番の問題作であり、秀作である。
(採点=★★★★☆)
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