「小さき勇者たち~GAMERA」
(2006年 角川ヘラルド=松竹 監督:田﨑竜太)
旧大映(現在は吸収されて角川映画になった)の看板シリーズ「ガメラ」の久々の復活である。
ただし、金子修介監督による平成3部作は、どちらかと言うと大人向けの作りであったが、本作はぐっと子供向けにターゲットが定められている。
その為、製作前から出来具合に対する不安(チャチなものになるのではないかという、特に金子ガメラファンからの)が囁かれていたのだが…。
私も半分不安混じりで(というより全然期待していなかったのだが)鑑賞したのだが―
観終わった感想・・・ 予想以上に面白い!子供には十分楽しめる水準作だが、不安を見事に払拭して、大人が観ても楽しく、そして感動出来る作品になっている。
基本ラインとしては、昔からある、“小さな生き物と子供との交流”というパターンを見事に踏襲している。古くは「仔鹿物語」(47)や「黒い牡牛」(56)という佳作があるし、最近では「子ぎつねヘレン」がそうだった。―そして、あのスピルバーグ監督の傑作「E.T.」もそうした要素を巧みにアレンジしているのである。
それと、「ガメラ」シリーズは、元々は子供向け作品なのである。昭和40年代に作られたシリーズの3作目「ガメラ対ギャオス」あたりから子供が前面に出て来るようになり、後期に至っては完全に子供が主役となり、―ただし予算不足もあってか質的にもいささかお粗末で見るに忍びないものもあった。
本作はそんなわけで、もう一度子供路線に軌道修正したわけで、―だからと言ってチャチなものにならないよう、脚本(テレビドラマの佳作を書いている女性の龍居由佳里)は子供の目線を保ちつつ、大人が観ても十分鑑賞に耐えるレベルに仕上がっている。
前半、主人公の少年透の日常生活と周囲の人物関係を丁寧に描いていて、それらが後半に繋がって行くあたりも見事な構成である。特に透の父親孝介(津田寛治)のウェイトはかなり大きく、クライマックスに向けて、息子を励まし、助け、その結果として透は勇気を獲得し、孝介もまた子供の頃、親ガメラを助けられなかったトラウマから解放されて行くのである。これは、少年の成長物語であると同時に、孝介が本当の大人になって行くドラマでもあるのである。
多くの子供たちが、ガメラの活力源である赤い石を次々リレーするシーン、ここは意外な事に泣ける。小さな子供たちが、必死で勇気を振り絞り、懸命に走る姿に涙が溢れた。子供を持っている父親で、本当に子供を愛しているなら、きっと泣けるだろう(泣けない人は、親としての愛情が足らないのです(キッパリ!))。 (採点=★★★★)
(さて、お楽しみはココからだ)
ところで、本作は感動もするけれど、あちこちに遊び心が充満していて、その面でも楽しめる。(以下は出来るだけ映画を観てからお読みください)
本作をよく観ると、ディテールに至るまで、巧妙に「E.T.」のエッセンスを取り込んでいる事が分かる。
ストーリーの概略が、森の中で小さな生き物を拾って、親に内緒で育てて、それを知った学者や政府エージェントが研究所に運び、子供たちが連携して助けて、やがて空の彼方に去って行くそれに少年は別れを告げる・・・とまあ、見事にそっくり。本作から怪獣バトル シーンを取り除いたらまんま「E.T.」である。そう思って見たら、ガメラの顔も心なしかE.T.にそっくりなのである(左の写真を参照)。子供が不在の間に、家の中を親の目をかすめて動き回るユーモラスなシークェンスも「E.T.」にありましたね。このくだりで、でっかい包丁に炎を浴びせるシーンは「ガメラ対ギロン」の包丁怪獣ギロンのパロディでしょう(う~む、ちとマニアックすぎるか)。
それから、敵の怪獣ジーダス、これ、私の独断では、ローランド・エメリッヒ監督のUS版「ゴジラ」だと思います。デザインが似てるだけでなく、志摩大橋で橋桁に引っかかって悪戦苦闘するシーンはUS「ゴジラ」のラストを思い起こさせます。怒るとエリマキを立てるシーン、これは「ウルトラマン」に登場したエリマキ怪獣ジラースを思い出させますが、あのジラースが実は日本のゴジラのぬいぐるみを流用してエリマキを付けただけという事を知ってれば余計楽しめます。名前からして、ジーダスにジラースですしね。
とまあ、こういう作者の遊びを発見するというのも、映画をより楽しく観る方法の一つなのです。
| 固定リンク
コメント