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2006年6月24日 (土)

「インサイド・マン」は誰だ

Insideman (2006年・米/監督:スパイク・リー)

白昼、マンハッタンの信託銀行が銀行強盗に襲われる。しかしすぐに警官隊が駆けつけた。強盗グループは銀行員や店内にいた客50人を人質に取り行内に立て篭もる。果たして警察は人質を救出できるのか。それとも強盗一味はまんまと金を奪って逃げる事が出来るのか…。

 
うーむ、こういうシチュエーションは凄く面白そうである。それに予告編やチラシ等にもあるのでここで書いてもいいと思うが、犯人たちは人質全員に自分たちと同じ扮装をさせるのである。これは何か知能的な匂いを感じさせる。もしかしたら犯人たちはあっと驚く頭脳的作戦を立てているのかも知れない。先の展開が凄く楽しみになるではないか。

さて、ここで前フリを少々・・・

銀行強盗ものというのは、映画においても一つのジャンルとして数多くの作品が作られている。

一番面白かったのは、イタリア映画「黄金の七人」(65・マルコ・ビカリオ監督)というシャレた快作。これは強盗と言うより、地下に穴を掘って誰も気付かないうちに金塊を盗み出す、私が勝手に“穴掘り泥棒”ものと呼ぶパターンである。

日本では一昨年、犬童一心監督「死に花」というのがあった。銀行ではない場合も含めるともっと昔からあり、最近リメイクされたコーエン兄弟監督の「レディ・キラー」(04)はカジノの金庫を狙う(オリジナル版の邦題は「マダムと泥棒」(55))。いずれも、どちらかと言えば皮肉たっぷりのコメディで、気軽に楽しめる軽いタッチの作品が多い。

本作のように、正面から銀行を襲うものは、シリアスなタッチのものが多い。代表的なものとしては、シドニー・ルメット監督の「狼たちの午後」がある(本作でもチラッと題名が登場する)。これも日本では本広克行監督の「スペース・トラベラーズ」('00)がある。コミカルなタッチで始まるが、結末は悲惨というちょっと中途半端な作品。

大まかに括ると、前者は知恵を絞ったゲーム的要素を持ち、後者はあまり頭を使わず、悲惨な結末が用意されているタイプである。

 
そこで本作だが、発端は後者のタイプなのに、犯人たちはかなり知能犯で、ゲーム的要素も持っている。
これは新しい、第三のタイプの銀行強盗もの…と言えるのかも知れない。

冒頭の、主犯の男ダルトン(クライブ・オーウェン)が暗く狭い場所で「私は銀行を襲った」…と語り始めるシーンから、すでにトリックが仕掛けられている。じっくり背後の景色も見ておくこと。その他にもあちこちに仕掛けがある。

観た人の中には、犯人の目的が分からないとか、話が分かり難いとか批判的な声も多いが、これはあえて、観客にも自分で考えてもらい、謎を解いて欲しいという作者の意向があるのだと思う。その為のヒントはあちこちに張り巡らされているはずである。

そういう風に、謎を推理する事によって、もっと映画を楽しむことができるのである。

私は結構楽しませてもらいましたよ。教えてもいいのですが、そうすると貴方の考える楽しみを奪うことになるので敢えて言いません(笑)。頭を絞って考えてくださいね。

 

でも、ちょっとだけ(笑)。―― ここから重要なネタバレがありますので、映画をご覧になった方だけ、例によってドラッグして反転させてください

私は、貸金庫室の責任者の男が共犯だと思う。貸金庫は本来顧客以外、絶対覗いてはいけないものだが、例えば警察の捜査依頼があれば開けられるように、銀行の責任者は開ける事が出来るのである。

多分その銀行マンは、問題の貸金庫を開けたのだろう。そして、会長(クリストファー・プラマー)の秘密を知った。だが人には言えない。公表すれば自分が疑われるからである。しかしこんな悪人を許しておく事は出来ない。

そこで、秘密を打ち明けられる誰かに相談した。そしてダルトンに話が伝わった。彼は恐らく誰も傷つけずに泥棒をするプロなのだろう(ルパン三世のようなものかな(笑))。義憤にかられたダルトンは周到な計画を立てた。一人も傷つけずに秘密の書類を盗む。―ただしダイヤはいただく。…実際、終わってみれば誰も死なないし、大金庫の金も無事。

そこでおかしな事に気付くだろう。一人の銀行員が、携帯を隠したという事で、擦りガラスの向こうで手ひどく暴力を振るわれるシーンを…。

もうお分かりだろう。彼が共犯者なのである。このシーンはすべて打ち合わせ済みの芝居なのである。あえて擦りガラスの向こうの部屋に連れて行ったのはその為である(やたらオーバーな悲鳴をあげていた(笑))。

この芝居を行ったのは、いろんな意味がある。まず、犯人は凶暴で、逆らうと危害が及ぶという事を人質たちに認識させること(誰も傷つけずに認識させるには必要な手)。
そして、カンのいい観客に、銀行員に共犯者がいる事を悟らせる為でもある。

タイトルの“インサイド・マン”とは、まさに銀行内部にいる、この男のことなのである。

そのヒントは、人質の一人を、みせしめに銃殺処刑するシーンにある。これが後で血糊を使った芝居である事が分かるのだが、という事は、あの血だらけになった銀行員(共犯者)の血もニセだった…という事になる。頭にスッポリ袋をかぶせられていた、あの処刑される人質は、多分この銀行員が演じたのだろう(他にこの芝居を演じられる人質はいない!)。

こう考えれば、すべて辻褄が合う。この映画のポイントはここにあり、ストックルームに1週間もバレずにダルトンが隠れていた…というよく考えればおかしな点も、実はどうでも良い、と思えるのである。

いかがですかな?

まあ、映画はいろいろな楽しみ方が出来るものである。あれやこれやと(後からでもいい)考え、推理し、自分なりの答を見つけ出すのはとても楽しいことである(ましてや誰も気付かない答を見つけた時などは(笑))。

そういう事を考えさせてくれる映画と出会うのも、また無上の楽しみなのである。

スパイク・リー監督が新境地を開いた…という点でも興味深い。演出力は「マルコムX」で実証済みの彼が、今後もこうしたエンタティンメント分野で活躍してくれる事を期待したい。   (採点=★★★★

 
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2006年6月23日 (金)

「一期一会」ライブに行ってきました

17日にご案内しました、’一期一会’LIVE♪ in 天六 に行ってまいりました。

会場となった「ワイルドバンチ」は、古書店でもあるカフェで、店主の庄内さんは、当初入りの方を心配してましたが、当日は約20人ほどの来場となり、年配の方から若い方まで、ほぼ満席になりました。主催の庄内さんと天五古書店さんも胸をなでおろしたことでしょう。

Ichigoitie_3     

  

  

  

’一期一会’は、琉球三味線の takarin さんと sanae さんのコンビに、西アフリカの打楽器・ジェンベ奏者、やっちゃんが加わった、ちょっと変わったアコースティック・ユニットの名前です。

でも、私はこれはいい組合せだと思います。
なぜなら、やはり弦楽器のエレキギター・バンドにはドラムが欠かせないように、弦楽器だけではいま一つリズムが弱い。
打楽器が加わることによって、リズミカルなテンポが生まれ、より観客との一体感が増幅すると思うからです。

実際、ライブを聴いて、その通りでした。ジェンベのリズムが絶妙なアンサンブル効果を生み出して、いいムードになりました。

takarin さんたちもノリノリで、間に30分ほど休憩を挟むはずが、時間がオーバーして5分ほど休んだだけですぐ後半に移りました。

おかげで楽しい時間が過ごせました。これでドリンクが付いて
1,000円(前売)は安い!(と宣伝しておきます(笑))。

演目は、我々も知っている琉球民謡(島唄など)から、大ヒットした「花」、それに一期一会のオリジナル曲まで幅広く、takarin さんのトークも交えてライブは和やかな雰囲気で進み、あっと言う間の2時間でした。

琉球三味線(三線(サンシン)とも言う)は映画「ナビイの恋」の豊川誠仁さんの演奏などでお馴染みでしたが、生で聴くとなお耳に心地よく響きます。

’一期一会’のサイトも貼っておきます。  ↓
   http://www.interq.or.jp/earth/sizenkan/tabi/musician/151e.html

 

なお、「ワイルドバンチ」では今後もこうしたライブ演奏会を随時催す予定ですので、興味ある方は下記ページのライブスケジュールを時折り覗いてみてはいかがでしょうか。

   http://www.geocities.jp/bcwildbunch/live.htm

 

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2006年6月18日 (日)

「LIMIT OF LOVE 海猿」

Umizaru (2006年・東宝/監督:羽住英一郎)

随分前に観た映画なのだが、どうも批評し辛い作品で、これまで書きそびれていた。

やっと書く気になったのは、最近忙しすぎてあまり映画を観てなくて間が空いてしまったのと、どうしても本作について言いたい事があるからである。

どうして書き難かったかと言うと、
この映画は、すごくいい所が多くて、褒めたい気持ちが一杯なのだが、
反面、これはいかんだろう…と、困った所がまた多い作品でもある。

船が45度も傾いているのに、煙突を垂直に昇るのはおかしい”てなツッコミ所も多いが(その他にも、かなり傾いた状況でも水位が部屋と水平なままであるのもおかしいが)、
この程度なら目をつぶってあげてもいいと思う。まあ気になる人はすごく気になる絵ではあるのだが。

(善意に解釈すれば、最初に室内シーンを撮影したあと、ポストプロダクションでCG特撮部分を作っている最中に矛盾に気がついたけど、いまさらドラマ部分を取り直しできない…というのが実態だろう。当ってるかな?)

 
まず、いい所を挙げておこう。

第1作「海猿」。これは良かった。何より、訓練を通じて成長して行く仙崎たちの人間ドラマ、仲間たちとの友情、恋人との愛、教官(藤竜也が好演)との強い信頼関係…などが絶妙にブレンドされ、ハリウッド映画にも負けていない(アメリカ映画「愛と青春の旅立ち」が思い起こされる)、日本映画ばなれしたスケールの大きな映画として見応えがあった。ちなみに立派な教師に鍛えられて弟子の若い男が人間的に成長して行く…というドラマは、黒澤明監督が繰り返し取り上げていたテーマでもあり、この辺りをきっちり描いていた点でも評価したい。

で、本作はガラッと作風を変えて、「タイタニック」「ポセイドン・アドベンチャー」に似た、海洋パニック・スペクタクル映画になっている。これもやはりハリウッド的テーマの採用であり、うまい戦略である。

前作と同様、海上保安庁やフェリー会社の協力を得て、本物の船の絵を使っているうえ、CGもなかなか健闘しており、前作と同様、極限状況下において、仲間を見捨てない仙崎の熱い友情、恋人環菜(加藤あい)との愛、そしてなにより、決して諦めず、なんとしても取り残された乗客を全員助けて生還するのだ…という仙崎の使命感に燃えた勇気ある行動が熱い感動を呼ぶ。

(注:以下はネタバレしてますので例によって伏せます。読みたい方はドラッグして反転してください)
船が沈没した後、もうダメか…という状況から、下川(時任三郎)の決断を経て、仲間たちが救出に向かうまでのプロセスはドラマチックで感動的である。

では、良くない点はと言うと…。

まず何と言っても、全体にテンポが悪い。事故が起きてからかなり時間が経ってるのに、まだ海老原(吹越満)や妊婦の恵(大塚寧々)が残ってる理由が弱い。乗客を全員脱出させるまでは残っているべき乗組員の姿がほとんど見当たらないのも不思議。こういう所はもう少し納得出来るよう脚本を練るべきである。

仙崎と環菜が携帯電話で愛を確かめ合ったりしてるシーンなど、“そんな事やってるヒマないだろ!、早く脱出しろよ”と言いたくなる。ここらは、昔からの日本映画の悪いクセである。新しい時代に向かうなら、こういう古い手法は排除して欲しかった。

その後、煙突内で出水の為吹っ飛ばされた仙崎たちが、どうやって空気が貯まっている部屋に移れたのか、あるいは救助隊がなんでそこの場所が分かったのかも曖昧である。ここらも、前の方で伏線を張っておくべきである。

先に観た「ポセイドン」は、テンポが無茶苦茶速くて、それこそ船が沈没中ならそんなものだろうと思わせる。反対に人間ドラマの方はあまりに薄過ぎた。…つまりは本作とはほとんど正反対の展開である。

過ぎたるは及ばざるが如し・・・。あんまりテンポが速いのも困りものだが、ゆったりし過ぎるのもパニックものには合わない。今更ながら、1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」がパニックものとしていかに良く出来ていたかを再認識した。

まあ、全体としては良く出来ている方である。なんのかんのと言っても、ジワーッと感動させられたのは確かである。

しかし、日本映画が本当に活力を取り戻す為には、こうした難点に目をつぶるべきではない。時間をかけて、脚本を練りに練って、伏線を周到に張り巡らせて、テンポいい、よりダイナミックな作品作りを目指すべきである。好きな作品であるだけに、敢えて苦言を呈する次第である。採点は、悩んだがこんな所で… (★★★☆

 

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2006年6月17日 (土)

一期一会 LIVE IN 天六

たまには、こんなライブもいかがでしょうか。

私の友人が経営する、ブックカフェ「ワイルドバンチ」で、今月18日(明日ですが)、下のようなライブスペース・イベントが開催されます。

琉球三味線と、アフリカの打楽器とのジョイント・ユニット、「一期一会」による演奏会。
ちょっと変わってて面白いのじゃないかと思います。

 

興味のある方は、一度行ってみてはいかがでしょうか。

地下鉄・天神橋6丁目からすぐ近く(大阪市北区長柄中)

詳しくは下のサイトを覗いてください。
 → http://www.geocities.jp/bcwildbunch/live.htm

場所は、「地図」を参照ください。

料金は、1ドリンク付き 前売(電話予約可) 1,000円、当日 1,200円

私も、帰ってから鑑賞報告いたします。

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2006年6月10日 (土)

「夢駆ける馬ドリーマー」

Dreamer (2006年・米:ドリームワークス/監督:ジョン・ゲイティンズ)

実話に基づいた、感動の物語(タイトルにも"Inspired by A True Story"と表記されている)。

調教師のベン(カート・ラッセル)が育てた競争馬、ソーニャドール(スペイン語で"夢見る人"の意だそうだ)が、競馬で出走中、足を骨折してしまう。通常は安楽死させる所だが、オーナーの傲慢な態度への反撥と娘ケール(ダコタ・ファニング)の願いから、ベンはソーニャを引き取り治療することとなる。骨折した馬は普通は回復しても歩ける程度だそうだ。
だが、ソーニャは奇跡的な回復を見せ、さまざまな障害も乗り越え、遂にケールが夢見る最高のクラシック・レース、ブリーダーズ・カップに出場することになる…。

私はこういう、“一度敗者の烙印を押された者が、夢をあきらめず、必死の努力の末に奇跡的な勝利を収める”という話に弱い。アメリカ人もそういう話が好きなのだろう、最近でも、やはり競馬の実話「シービスケット」とか35歳でメジャー・リーグに挑戦する「オールド・ルーキー」、ボクシングの「シンデレラマン」などが作られている。

本作は、そうした一連の実話感動作品の系列に入るものの、どちらかと言えば気軽に楽しめるウエルメイドな娯楽作品に仕上がっている。Nationalvelbetダコタちゃんの可愛らしい演技による所も大きいが 、“女の子が競走馬を育ててクラシック・レースで優勝する”というお話は、実は丁度60年前の1945年、エリザベス・テイラー主演の「緑園の天使」(クラレンス・ブラウン監督)という映画でも描かれている。アメリカ人には想い出深い作品だろうから、この作品からも多少インスパイアされている可能性もあると私は見る。

監督も兼任したジョン・ゲイティンズの脚本がなかなか丁寧に書かれている。元になった実話にもよるのだろうが、人物の背景、キャラクターも過去の人生も含めてきっちり描き分けられているところはうまい。

中でも、、騎手を夢見ながら、落馬事故の後遺症で調教師手伝いに甘んじていたマノリン(フレディ・ロドリゲス)が、最後にソーニャの騎手に抜擢され、見事勝利を収めるエピソードも感動的である。
これはまた、夢を捨てなかった若者、マノリン自身の復活の物語でもあるのである。彼に心情を寄せて観ると、もっと感動出来るかも知れない。

祖父役を演じたクリス・クリストファーソンが、風格ある演技でいい味を出している。しかしこの人、たった33年前には「ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯」(サム・ペキンパー監督)で主演のビリー・ザ・キッドを演じていた。歳を早く取り過ぎないかい?(笑)。

こういう映画は安心して観ていられる。決して傑作ではないし、ベストテンに入る秀作でもない。
しかしこうした、実際にどん底から這い上がって栄光を掴んだ人(や動物)がいた…というお話は、現実に挫けそうになっている人、あるいはかつて挫折した人が観たら、とても勇気付けられ、もう一度夢にチャレンジしてみようという気になる場合だってある。そういう意味では、こういうタイプの映画は作られる意義があるし、多くの人に観て貰いたい作品である(興行的には思わしくないようで残念である)。

さて、もう一つお楽しみがある。

この映画には、ラストで “THE END” の文字がクレジットされている。
最近の映画ではほとんど見かけなくなったが、昔の映画には必ず物語が終わると、この文字(エンドマークと言う)が出たものである。

これが出ると、“ああ、終わったんだな”とホッとしたものである。30年くらい前まではほとんどの映画にはエンドマークがあった。日本では“”または“”と出た。フランス映画では“FIN”である。ドイツでは……う~ん忘れた(笑)。ついでに、香港映画では“劇終”である。こちらは今でも表記される事が多い。

子供の頃からエンドマークに慣れていた私は、これが出なくなった頃、なんとなくモヤモヤした気分になった。ヘンな例えだが、全部便が出ないうちにトイレを出た気分である(笑)。いきなり、「えっ。 これで終わり?」てな唐突な終わり方をする映画が出始めたのもその頃ではなかったか。

だから、本作でエンドマークが出た時は、なんだかホッとした。気分がいいものである。

そのエンドマークに続いて、カーテンコールのように出演者の顔と名前と役名を出してくれたのも楽しい。時たまこういう事をやってくれる映画があるが、これも余韻を楽しむうえでいい事である。それに便利なのは、あの役者、名前はなんといったかな…という時に覚えられるので有難い。

この2つがあったおかげで、とても爽やかな気分で映画館を出られた。

出来たら、もっともっといろんな映画で復活して欲しいですね。採点はうんと甘くしておきましょう。     (採点=★★★★

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2006年6月 4日 (日)

「ダ・ヴィンチ・コード」

Davinchi (2006年・米/監督:ロン・ハワード)

原作は読んでいないが、“暗号解読ミステリー”とかの触れ込みだし、コピーも、「ダ・ヴィンチはその微笑みに何を仕組んだのか」-となっている。本の表紙も、映画のポスターも、モナリザがフィーチャーされている。

これらから、私はてっきり、「モナリザの微笑」の絵に重大なカギが隠されている…と思ったのだ(大抵はそう思う)。

暗号ミステリーと言えば、我が国にも、伊沢元彦原作の、乱歩賞も取った「猿丸幻視行」という傑作小説がある。
柿本人麻呂が残した和歌に、複雑な暗号が仕組まれていた…というもので、読んでてワクワクした。

本作も、あれと同じように、巧妙に隠された暗号を知恵を絞って解読して行くのかと思った。

結局、モナリザ、関係ないじゃん。肩透かしくらいましたね(笑)。

大体、上下2巻もある長大な原作を、2時間半に収めるというのは大変なことである。どこかをバッサリ削るか、大急ぎで進むか…

本作は後者を選んだようである。従ってあれよあれよと話が進む。こちらは考えてるヒマもない。原作を読んでいないと、とても追いつけないのではないか。

私が期待した暗号の解読なんてあまりなく、殺人事件があって、主人公が犯人と疑われて、美女と二人で警察から追われながら真犯人を追う…という話であった。

ん~、 ちょっと待て。これ、どこかで聞いたことのある展開では?
――と思って考えたら思い当たった。

これ、ヒッチコックが得意な、巻き込まれ型サスペンスのパターンですね。
例えば、「第三逃亡者」とか、「北北西に進路を取れ」とか、みんなそういうパターン。

まあ、さすがにロン・ハワード演出はソツがないし、まあまあ見れるけど、
でも、やはり詰め込み過ぎで、ミステリーをじっくり味わってるヒマがない、セセこましい作品でした。

こうしたミステリー映画にとって、劇場で鑑賞する場合に困るのが、
観る方が、じっくり考えて謎を解くゆとりがない…という点である。

例えば小説なら、途中で本を置いてゆっくり考える時間が取れる。またページを戻って再確認する事も出来る。

ビデオで鑑賞する場合も同様。一時停止する事も、巻き戻して見直す事も出来る。

ところが、劇場鑑賞に限っては、こうした事が出来ない。ノンストップで前に進むしかない。ちょっと居眠りしたり、よそ見しても置いてきぼりにされ、話が分からなくなる。

この映画で言うと、アナグラムが出て来るが、小説なら読者も文字をメモしたり頭の中で並べ替えたり出来るのだが、映画の方はあっと言う間に答えが出てしまうので味気ない。

というわけで、この手のパズル・ミステリーは、劇場で鑑賞するには不向きである・・・という事がこの映画を観てよく分かった。

決してつまらない作品ではない。テンポが速いという事はダレる場がないという事で、原作を先に読んだ人は楽しめたのではないか。

しかし、宣伝文句から期待した“暗号解読”がたいして無かったのと、前掲の短所に加えて分かり難い所がいくつかあったので(銀行の責任者が“20年も待った”理由もピンと来ない)、評価としては厳しくせざるを得ない。

でも、ビデオで観たら(巻き戻し、ストップが出来る利点を活用すれば)、結構面白く観れるかも知れないですね。―映画は劇場で観るべし…をモットーとしている私としては納得し難いですが…。

 (採点=★★★

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2006年6月 2日 (金)

「迷い婚-すべての迷える女性たちへ」

Rumorhasit (2005年・米/監督:ロブ・ライナー)

この映画、ほとんど宣伝もされず、ひっそりと公開されているようだが、
しかしお立合い、これは古くからの映画ファンであるなら是非観て欲しい、楽しい映画であり、私のブログタイトル「お楽しみはココからだ」にまことにふさわしい作品なのである。

特に次の3本の映画のうち、好きな作品が2本以上ある方なら必見、3本とも大好きな方なら、これは絶対に見逃してはいけない

「卒業」       (68年/マイク・ニコルズ監督)
「カサブランカ」  (42年/マイケル・カーティス監督)
「恋人たちの予感」(89年/ロブ・ライナー監督)

何よりも、「卒業」が映画の下敷きになっており、これを観ていなければ話にならない。昔観て忘れかけている方はまずビデオで見直しておかれた方がよろしい。

では、本論に入ります。

物語:恋人のジェフ(マーク・ラファロ)との結婚になんとなく迷っている30歳のヒロイン、サラ(ジェニファー・アニストン)は、妹の結婚式のため故郷パサデナに戻り、そこで祖母のキャサリン(シャーリー・マクレーン)から、亡くなったサラの母が、結婚式の数日前に若い男と駆け落ちした事実を聞かされる。そこからサラは、自分の母と祖母が、あの「卒業」のモデルであるという事を知り、ダスティン・ホフマンが演じたベンのモデル、今はIT事業の成功者となっているボー・バロース(ケヴィン・コスナー)がひょっとしたら自分の父ではないかと疑い、ボーを尋ねる旅に出る…。

という具合に、これは映画「卒業」完全にベースになっている。そのうえ、「卒業」のワンシーン、ミセス・ロビンソン(アン・バンクロフト)がベンを誘惑する有名な場面も登場するし、途中にはサイモンとガーファンクルの名曲「ミセス・ロビンソン」が流れて来る。
もう、これらのシーンだけでも映画ファンならニヤリとすること請け合いである。

しかし、あのチンチクリンで顔もハンサムではないベン(映画ではの話だが)の30年後の姿が熟年になってもカッコいいケヴィン・コスナーとはねぇ(笑)。おまけにITの成功者なんて…。
でも良く考えたら、これは「卒業」の続編ではなく、モデルとなった人たちのその後なのだから映画とは全然体型が違ってても構わないのである。

で、物語は後半、意外な展開となる。(注:ここからは本作を楽しみたい方の為に伏せ字にしておきます。読みたい方はドラッグして反転させてください)
ボーに会ったサラは、そのカッコいいおじサマの魅力に参り、なんとまあ寝てしまうのである。・・・ちょっと待て~。するとボーは祖母と母と娘と3代にわたって関係を持ったことになる。親娘と寝るのを“親子どんぶり”と言うが、こんなのは何と言えばいい?

まあなんやらかんやらあって、結局サラの父はボーではなかった事が判り(あやうく近親相姦になるとこだった)、ジェフともヨリが戻ってハッピーエンドとなる。

ラストでヨリを戻したジェフがサラに言うセリフがまた傑作。「一つ条件がある。      僕たちの娘をボーに会わせないこと」

つまり、4世代にわたってボーと寝るような事がないように(笑)…という事なのだが、いくらなんでもねぇ。
いや、待てよ、「卒業」で描かれてた頃はボーは22~3歳、という事は現在のボーは53歳くらいだろう。とすると彼らの娘が年頃になった時はボーは70歳前後という事になる。
クリント・イーストウッドの例もある。70歳ならまだ行ける(笑)。ジェフの心配もまんざらではないだろう。

で、お楽しみはまだまだある。

Harry この映画の監督、ロブ・ライナーのヒット作に「恋人たちの予感」があるが、実はこの映画、本作とも密接に繋がっている。

「恋人たち-」も、“なかなか結婚に踏み切れない恋人たち”という、本作と似たテーマを持っているが、それだけでなく、両作において、映画「カサブランカ」が重要な役割を果たしているのである。

「恋人たち-」をご覧になった方ならお分かりだろうが、あの作品の中で、二人がそれぞれの部屋でテレビで「カサブランカ」を見て、電話でこの映画についてやり取りするシーンがある。
何でもないようだが、二人の関係はほとんど友情に近いものがあり、そう考えると、「カサブランカ」のラストでリックが署長に言う名セリフ「これが美しい友情の始まりだな」が実はこの作品のテーマではないかと思い当たるのである(ファンサイトでもそういう意見が多かった)。

で、「迷い婚」のラストでボーがサラとの別れ際、こう言う。「これが美しい友情の始まりかな」。サラがそれを受けて、「それってあの映画のセリフでしょ?」。

あの映画とは無論アレである(笑)。ここでニンマリできれば間違いなく映画通。

Casablanca 「カサブランカ」ネタはまだある。「迷い婚」のパーティのシーンで、バックに流れているのが、「カサブランカ」の有名な主題歌「時のゆくまま」"As Time Goes By" 
その時、ボーが着ていた真っ白なタキシードは、あの映画でH・ボガート扮するリックが着ていたものとソックリなのである。もう私はニンマリしっぱなし。映画ファン冥利に尽きますね(笑)。

もっと行こう。これは多分知らない人も多いだろうが、「恋人たち-」の冒頭とラストに、"It Had To Be You" というスタンダードの名曲を使用しているのだが、
この曲、実は「カサブランカ」で、初めて“リックのカフェ・アメリカン”が登場するシーンで、ピアノ弾きのサムが歌っている曲なのである。「カサブランカ」が大好きな人なら頭に入っている曲である。

つまりは、どちらのロブ・ライナー作品とも、「カサブランカ」をブリッジにした、言ってみれば姉妹編みたいな位置にあると言えるだろう。映画ファンであるほど楽しめる、ライナーらしい仕掛けである。

音楽に関しては、マクレーン扮する祖母とボーが数年ぶりに対面するシーン、ここで流れるのがセルジォ・レオーネ監督「続・夕陽のガンマン」のテーマ曲(エンニオ・モリコーネ作曲)。火花散る対決シーンにふさわしい。これも楽しい。

ちなみに原題は"Rumor Has It..." 「によると…」という意味である。そのうえエンド・クレジットでは「この映画は、噂に基づいたフィクションです」という断り書も出て来る。
つまりは、作者が仕掛けた盛大なホラ話なのである。

題名に関してなら、「恋人たち-」の原題は "When Harry Met Sally..." なんと、どちらにも末尾に "..." がついている。 これも両作が姉妹編である符号なのかもしれない。

そんなわけで、これはお話そのものも楽しめる小品であるが、映画ファンなら、あちこちに仕掛けられた映画ネタにニンマリ出来る、1粒で2度おいしい作品なのである。見逃すなかれ。    (採点=★★★★

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