具が多すぎた「UDON」
本広監督は香川県生まれ。前作「サマー・タイム・マシン・ブル-ス」も香川県でロケしていたが、本作では遂に“香川県人による、香川県人のための本格的な香川県映画”を製作するに至ったわけである。
実は、私も香川県生まれ。従って本作を鑑賞するについては、県人として特に思い入れがあり、感慨深いものがある。
なにしろ、見覚えのある風景はバンバン出て来るし、題名通り、讃岐の誇り、讃岐うどんが全編にわたってフィーチャーされているのだから。無論、私も讃岐うどんは大好物。あの、独特のコシの強さが特色の讃岐うどんを食べ慣れたら、言っちゃぁ悪いが他のうどんは食べれたもんじゃない(笑)。
…さて、それでは本作を手放しで誉めるかと言えば―そうは行かない。作品は作品として厳しく採点させてもらう。
―結論から言えば、辛い点数にせざるを得ない。
問題点は一言で言って、いろんな題材を盛り込み過ぎである。要約すると――
①一流の芸人になる夢を追いかけ、挫折した若者が、友人たちに励まされ、さまざまな経験を経て再び夢にチャレンジする物語。
②頑固一徹の父親と意見が合わず家を飛び出した男が、故郷に帰り、父親の仕事を見ているうちにやがて父親の職人魂に打たれ、父親が死んだ後、その職人技を継ぐ決心をし、亡き父と和解する話。
③タウン誌が仕掛けたブームの加熱ぶりと、やがてそのブームが醒めて行く経過を描き、ブームとは何かを探るブーム文化論的映画。
④そして、讃岐うどんに関するウンチクと、讃岐うどん礼賛映画。
どの題材についても、十分1本の映画が出来上がるくらいである。
むしろ、どれか1本に絞れば、―特に、②の話だけで纏めていればもっと傑作になったかも知れない。
なにしろ、ラストのシークエンス・・・幽霊になった父親との和解、復活した父のうどんの味を求めて凄い数の行列が押し寄せる光景を俯瞰撮影で捕える…という展開が、まるまる私の大好きな感動の秀作「フィールド・オブ・ドリームス」(フィル・アルデン・ロビンソン監督)へのオマージュになっているだけに、とても残念なのである。
④の讃岐うどんに関する部分は、むしろテレビのスペシャル・ドキュメント番組にした方がずっと楽しめる。これだけで2時間は十分持つ。
さらには、本広監督の好みなのだろうが、例によっていろんな小道具やら、本筋とは関係ないスーパーヒーロー、キャプテンうどんが活躍する「ブレード・ランナー」のパロディ(二つで十分云々)、まで登場するのだから余計混乱する。
うどんの味とは、素朴でシンプルなものである。おいしい讃岐うどんの食べ方は、麺に醤油をかけ、薬味を添えるだけとか、(本編にも出てくる)伊吹島のイリコ(干し魚)をじっくり煮て作る麺汁に漬して食べる―それだけで十分である(うーんついローカル・ネタになってしまった。すんません)。
本作の場合は、うどんメニューに例えれば、うどんの上に天婦羅乗せて(ここまでは許せる)その上にお好み焼きを乗せて、さらにソースとマヨネーズをたっぷりかけたようなものである。
1品ずつはそれぞれ美味しいのに、これではうどんの味が台無しである。早い話、うどんにソースとマヨネーズかけたらどんな味になるか試してみてください(何の話してたっけ(笑))。
…というわけで、それぞれはとても美味しくなりそうなネタだったのに、そして、泣けるエピソードもいくつかあったのに、全体としては纏まりに欠けたデコボコな作品になってしまっている。残念である。
でも、楽しめないか…と言えばそうではない。テンポよく、笑いあり、ペーソスあり、感動出来る部分ありで、特に香川県―いや、四国生まれの方にはお奨めである。それと、讃岐うどん・ファンの方は必見である。3本立ての映画をいっぺんに観たような満腹感はあると言っていい。…但し、映画の出来とは別にして…の話である(うーん、なんだか複雑な心境(笑))。
役者では、主人公の父親を演じた木場勝己がとてもいい。不思議な存在感がある。
主人公の友人役を演じたトータス松本も意外な好演。
個人的にジーンと来たのは、タウン誌の編集長が語る、連絡船で食べるうどんに関する件(味はたいした事ないが、これを食べる事自体が故郷への挨拶のようなものである…)。これは、四国出身の人なら誰もが共感する、いい話である。そう、瀬戸大橋が出来るまでは、高松と宇野を結ぶ宇高連絡船が四国と本州を繋ぐ唯一の交通手段だったのである。私も、あのうどんには随分お世話になった。懐かしい…。
―というわけで、私に限らず、香川県生まれの人にとっては、この映画は思い入れが深過ぎて客観的に評価不可能である…という事をお断りしておきたい。採点は、難しい所だが、映画の出来=★★☆、香川ネタ=★★★★、間を取って総合点=(★★★)
ツッ込みを少々。
まず誤解無きよう。香川にクマはいない (どうでもいいが、もう少しクマらしく演技せんかいっ)。
もう1点。ラストで、コースケが飛行機の窓から、実家の製麺所に押し寄せる群集を見るシーンがあるが、高松から東に向かって飛ぶ飛行機からは、あの付近(高松よりずっと西)は見えない。せいぜい目印の讃岐富士が豆粒のように見える程度である。
あのラストは、コースケが父の家業を継いで、そして友人のトータス松本が飛行機から製麺所に向かう群衆を見つける…という展開にした方が無理がないと思うのだが…。
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コメント
トラックバック、ありがとうございます。感謝致します。 良い作品なのか悩まれるのは私もよくわかります。私は、観終えた後「観た。終わった。」という気分がなかった。エピソードを盛り込みすぎて、それらすべてが消化できていないのが最大の問題でしょうが、なぜか・・・タウン紙の大好評完売。何十年も苦労して作ったうどんを短い帰国の間に完成させてしまう慌しさ、ニューヨークに戻らなければならない決定的な理由が不明確・・・つっこめばいろいろ出てきます。これらの消化不足が私達に伝わるのでしょう。私も面白いと思いつつ、勧める映画ではないと思いました。旬の監督なので、制作前から封切日を決めるような作品ではなく、じっくりと撮らせてあげられないものか・・・私はそんなことを思います。 冨田弘嗣
投稿: 冨田弘嗣 | 2006年9月18日 (月) 00:35