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2006年10月30日 (月)

「16ブロック」

16blocks (2006年:ソニー・ピクチャーズ/監督:リチャード・ドナー)

最近も一つパッとしていなかったブルース・ウィリスとリチャード・ドナー監督だが、これはなかなか快調な秀作である。

かつては腕利きだったが、いまではうだつの上がらない刑事ジャック・モーズリー(ブルース・ウィリス)が、裁判所まで証人を送り届ける任務を与えられる。ところが、証人に喋られてはまずい警察内部の腐敗勢力が、証人の口を塞ぐべく、あらゆる手段で襲ってくる。さて、ジャックは無事証人を時間までに裁判所に届ける事が出来るのか・・・。

こう書けば、映画ファンならすぐにクリント・イーストウッド監督の快作「ガントレット」を思い出すかも知れない。多分意識的にリスペクトはしてるのだろう。主人公はややアル中だし、銃撃されて穴だらけになるバスも出てきます(笑)。

しかしこちらはさらに脚本が練られている。目的地までわずか16ブロック(約1.3~1.6km)なのに、街中に溢れる警察そのものが敵となり、敵の主犯は頭が切れて腕利き、ジャックとは20年来の同僚であるフランク(デヴィッド・モース)、その上2時間以内に裁判所に到着しないと裁判が始まってしまう。

こうした、行く手を阻む関門、頭の切れる敵、そしてタイムリミット…とくればこれはサスペンス映画の王道である。これだけでも十分面白い。

さらに、良く出来ているのは、フランクに証人を渡せと迫られた時のジャックの対応である。
フランクは言う、「お前もワルなんだから、黙って見てりゃ済む話だろう?」。この話から、実はジャックもかつては不正に手を染めていた事が分かる。
ここで、ジャックはある決断をする。

一つには、今は落ちぶれてはいるが、かつては有能で正義感に溢れていたであろうジャックの、“弱い人間が殺されるのを黙って見過ごせない”…という義侠心もあるだろう。
しかし、その決断にはさらにある目的があった事がラストで分かる(カンのいい観客ならラストも予測が付くだろう)。

この辺りが脚本のうまさである。いつもの事だが、良い脚本は伏線の張り方がうまい。途中で、なぜ?と感じるジャックの行動の理由が、ちゃんと伏線に仕込まれているのである。証人のエディ(モス・デフ)とジャックのセリフのやり取りにも伏線が仕掛けられている。

最初はウザいと思っていたエディとの間に、やがて友情にも似た感情が生まれて来る展開がいい。二人の道行きは、一種のバデイ・ムービーにもなっているのである。ラストはそれ故、ジンワリとした感動が待ち受けている。

それだけでなく、この映画には、現実に蔓延っているであろう、警察内部の不正に対する痛烈な批判がある(このテーマに関しては、有名な所でシドニー・ルメット監督の秀作「セルピコ」がある)。

我が国でも、警察の不祥事、裏金作りなど、公務員の堕落は目を覆うばかりである。しかし、少しづつではあるが、内部告発など、浄化の動きは出つつある。そういう点ではタイムリーな作品である。

この映画の素敵な点は、サスペンスに溢れた良質なエンタティンメントでありながら、社会派的な要素も盛り込まれている点にある。日本映画にもこういった作品が出てきて欲しい所である。

 

Utaukeikan_1 それで思い出したのが、佐々木譲の警察小説、「うたう警官」(2005年・角川春樹事務所刊)である。

警察内部の腐敗を、百条委員会で証言しようとする警官に、警察幹部はなんと、殺人事件の濡れ衣を着せ、射殺命令を出す。それを阻止する為、密かに仲間を集め、証言者を守ろうとする刑事たち。タイムリミットまでに刑事たちは証言者を警備網をかいくぐって委員会に送る事が出来るのか…。

本映画とも、テーマ的には似かよっている。ラストの展開はダイナミックかつサスペンスフルで読み応えあり。これ、是非映画化して欲しい。興味のある方には一読をお奨めする。

 (採点=★★★★

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2006年10月28日 (土)

日本ハムファイターズの優勝に思う

Nichihamu プロ野球日本シリーズで、北海道日本ハムファイターズが日本一となり、新庄が宙に舞った。喜ばしいことである。

私は特に日本ハム・ファンではないが、プロ野球を見るのは好きだ。
今年は日ハムは44年、中日も52年間日本一から遠ざかっており、どちらも勝たせたいが、強いて言うなら、今年は日本ハムに日本一になって貰いたい…と思っていた

結果は、狙い通りになってとても嬉しい。新庄の涙にはこちらももらい泣きしてしまった。

なぜ日本ハムなのか…それは、私が好きなタイプの映画と同じように、そこに感動のドラマがあったからである。

パ・リーグは、セ・リーグに比べて長い間、観客動員が低迷し、球場には閑古鳥が鳴いていた(あまりの観客の少なさは、テレビでギャグにされてるくらいだ。スタンドで将棋してたり焼肉焼いてたりとか(笑))。球団の身売り話やら、合併話は日常茶飯事、近鉄とオリックスの合併はつい最近だが、日ハム自身も前身の日拓ホーム時代、ロッテと合併直前まで行ったそうだ。

球団の身売りもパ・リーグが圧倒的に多い。この半世紀を見れば、セ・リーグで名前が変わっていないのは、巨人、阪神、中日、広島と4球団あるが、パ・リーグではなんと全球団が入れ替っている。それも、3回、4回と所有親会社が変わった例がある(参考までに、50年前のパ・リーグ球団名は、南海、西鉄、近鉄、東映、阪急、大毎。どれが今はどこか分かりますか?(笑))。

日本ハムの場合は、44年前はオーナー会社が映画会社東映だった…というのも因縁深い。思えば、日本映画全盛時は、映画会社がオーナー…という球団がいくつもあった。大毎オリオンズ大映の永田社長がオーナー、それ以前は、今の横浜ベイスターズが“松竹ロビンス”と言っていた。阪急ブレーブス(今のオリックス)も親会社は東宝系列だった(オーナーは東宝の小林一三)。

映画界の衰退と共に、映画会社はすべて野球界から撤退(偶然でしょうが、早々と撤退した松竹を除いて、みんなパ・リーグなんですね)。

ある意味、低迷を続けてきたパ・リーグの存在(観客が入らない、スターがいない、人気が出ない、お荷物とバカにされる)は、日本映画の低迷とも共通していると言えるだろう。
反対に金満球団・巨人を中心に観客を動員して来たセ・リーグは、アメリカ映画のようなものだろう。金にあかせて大砲を集める巨人は、巨額の製作費と、世界中から集まる才能やスターの魅力で観客を集めてきたアメリカ映画の姿とかぶる。

1昨年には、パ2球団消滅、1リーグ構想まで浮上した。

そんなどん底の状態から、パ・リーグは奇跡的に復活して来た。閑古鳥の代名詞だったロッテが、昨年日本一、今江などのスターも生まれ、観客動員も上昇した。

そして今年、北海道に定着した日本ハムは、新庄というスターを得たこともプラスして、観客動員でもセ・リーグ球団に匹敵するくらいの数字をあげ、遂に44年ぶりの日本一となった。
反対に、常勝を誇っていた巨人は、4年も優勝に見放されたばかりか、観客動員、テレビ視聴率とも低迷し、放映を打ち切られる体たらくである。

これはちょうど、日本映画とアメリカ映画の流れとも似ている。
一時は洋画:邦画の興行収入比率が7:3まで行った時期もあったが、アメリカ映画が、物量作戦が飽きられたのか低迷し始め、逆に日本映画が勢いを盛り返し、興行収入が100億円を超える大ヒット作も生まれて、最近では興行収入比率が5:5になったと聞く。

 

こうした流れは、私が大好きな正統娯楽映画のストーリーとも見事にそっくりである。

例えば、最近の「フラガール」しかり、「シコ、ふんじゃった。」「メジャー・リーグ」しかり。

最初は低迷し、バカにされ、どん底に落ち…、しかし不屈の努力で次第に力をつけ、応援者もどんどん増え、そして選手と観客の心が一つになり最後に栄光を手にする…。

まさに、夢のようなドラマである。42,000人という、最近の巨人の試合より多い観客を札幌ドームに集めるなど、数年前に誰が予測しただろうか。

その夢が現実になった。中日ドラゴンズには、残念ながらそこまでのドラマはない。だから日本ハムには是非日本一になって貰いたかった…私がそう思った理由がお判りいただけるだろう。

人生には、どん底になる時もあれば、スランプで何をやってもうまく行かない時もある。

でも、どんな時でも、夢と希望を失わず、努力を続けてさえいれば、きっといつかはその夢がかなえられる時が来る。…そんなドラマを映画にも、野球にも私は求めたい。そんな夢が実現するドラマを見れば、きっと勇気付けられ、元気を取り戻す人だっているかも知れないからである。

私には、映画「フラガール」の物語が、日本ハムの成功ドラマに重なって見えるのである。

強いチームが当たり前のように勝つ…そんな野球のどこが面白いのだろう。
弱く、低迷していたチームが、苦難の末に強いチームを倒す。…そっちの方が何倍も面白いに決まっている。そういうチームを私は応援したい(3年前の阪神タイガースがまさにその通りだった。あの時は泣けた。日本一になれなかったのは残念だが…。その点では、まだ夢は果たしていない)。

さて、来年はどこのチームが、そんな夢を見させてくれるだろうか。楽しみである。

 

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2006年10月22日 (日)

1~3月鑑賞作品の追加

ちょっとお知らせを・・・。

このブログは、本年4月からスタートしましたが、映画評自体は私のHPでずっと書いてきております。

そろそろ本年度のベスト作品などを選考する時期が近づいており、その為にも、本年度に私が観た作品を一まとめにしておきたいと思います。

そこで、本年度に私がHPの方で書いた批評のうち、本ブログ未掲載分をこちらに移設する事にしました。

移設した作品名は以下の通り。

「フライトプラン」
「THE 有頂天ホテル」
「博士の愛した数式」
「単騎、千里を走る。」
「スタンドアップ」
「ミュンヘン」
「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!」
「サウンド・オブ・サンダー」

右欄の「バックナンバー」 2006年1月~2006年3月のリンクバナーをクリックしていただければ読むことが出来ます。

既に私のHPにお越しになって、読まれてる方もおられるとは思いますが、こうしておけば、1年分の私の批評ををまとめて読むことが出来、年間の総括ができると思います。

いずれ、年間掲載作品、及びアイウエオ順のインデックスも作るつもりです。もうしばらくお待ちください。

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2006年10月17日 (火)

「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」

Sukebandeka (2006年・東映/監督:深作 健太)

懐かしいタイトルである。ほぼ20年前、フジテレビ系で放映され、パート3まで作られた人気少女アクション・ドラマ、久々の復活である。

元々、セーラー服の美少女が特命刑事となって大暴れするという設定からして荒唐無稽、デタラメなお話である。しかも、シリーズが進むにつれ、そのデタラメさはエスカレートする一方。パート2では子供の時から鉄仮面をかぶせられ育った少女、パート3に至ってはなんと!忍者対忍者の対決に後半は魔界で電撃放つ暗黒皇帝と決戦(なんじゃ~そりゃ??)、「スター・ウォーズ」のパロディも盛大に飛び出すハチャメチャ状態に至ったことは語り草(スケバンも刑事もどこかにすっ飛んでしまった(笑))。

今回の新作は、そんな暴走を重ね収拾がつかなくなった後半シリーズから軌道修正、正統(?)路線のパート1のほぼ続編的なお話になっている。

内容的にも、母の釈放との引き換え、爆弾魔、イジメ、クライマックスにおける宿敵美少女との対決…等々、パート1のストーリー骨子が巧みに散りばめられており、そのうえ、主人公の母親役を演じているのがパート1の麻宮サキ役、斉藤由貴なのだから、パート1を楽しんで見ていたファンにとっては懐かしさで胸一杯になることだろう。

そういう展開を無理に当てはめたせいか、お話としてはやや纏まりに欠け、あちこち突っ込みどころの多い作品になってしまったようである。

だが、所詮はB級アクション映画、余り細かい所にこだわらず、気楽に楽しめばいい。美少女、松浦亜弥と石川梨華の体ピチピチコスチュームによるヨーヨー対決アクション・シーンはなかなか色っぽく派手で楽しいし、シリーズお馴染みのサポート役、吉良(竹内力)との友情にも似た交流も爽やかな余韻を残す。(以下ネタバレです。ドラッグ反転させてください)

この吉良が、昔母を体を張って助けたことがあり(足を引きずっているのはそれが理由)、このことからあるいは吉良がサキ(娘の方)の父ではないかという事を匂わせている。それが、最後の別れの場面を引き立たせて、いい幕切れとなっている。
↑ネタバレここまで

深作健太の演出は、手馴れて来たようで悪くはない。前作「同じ月を見ている」は中途半端に脚本を弄って凡作になってしまったが、本作はやや挽回、Vシネマをちょっと予算をかけた程度の、肩の凝らないB級アクションとしては普通の出来で(ラストの決闘場が廃工場―というのがまさにVシネマ的である)、むしろ冒頭の、レクター博士ばりの拘束衣とか、最初はヨーヨーの使い方が慣れず、おデコに当ててひっくり返る…などのお遊びに凝る余裕も見せ、なかなか楽しませてくれる。カメラワークもまずまずだが、ところどころ親父さんが得意とした手持ちカメラを使っているのが微笑ましくてニヤリとさせられた。

当分はこの調子で気楽なアクション映画で腕を磨いて欲しい。本作は雇われ監督の域を出ておらず、その点では可もなし不可もなし…の出来であるが、どうしても親父さんと比べられてしまうのは仕方のない所。とにかく本数をこなして、そのうちいつか自分のスタイルを確立してくれる事を期待して、気長に待ちたいと思う。

 

蛇足だが、本作のプロデューサーは、黒澤満氏、そして脚本がこれも久しぶりの丸山昇一!…とくれば映画ファンには懐かしい名前である。

この二人が組んだ話題作としては、いずれも松田優作主演、「処刑遊戯」(丸山昇一劇場デビュー作)、「野獣死すべし」(共に村川透監督)、「ヨコハマBJブルース」(工藤栄一監督)、「ア・ホーマンス」(松田優作監督)などがあり、テレビの「探偵物語」もこのトリオの作品。またヒット・シリーズとなったテレビ「あぶない刑事」の初期スタイルを形作ったのも黒澤=丸山コンビである。

一時期の、東映B級アクション・ワールドを着実に支えていたのが、この二人であった。

ちなみに、親父さん(深作欣二)のアクションの快作「いつかギラギラする日」も、丸山昇一脚本である。
いつの日か、健太監督に「いつかギラギラする日」のようなアクション映画を撮って欲しい。…丸山昇一の名を見て、そんな事を思ってしまった。

 (採点=★★★

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2006年10月15日 (日)

「フラガール」再び

Furagirl2この作品の評価が全般的に高いので、いい気分である。

当初はミニシアター公開だったのに、シネコンがどんどんラインナップに組み込んでくれて、興行成績では2週連続3位(興行通信社調べ)。

これは凄いことである。どこまで記録を伸ばすのか。「ALWAYS 三丁目の夕日」並みのブームになってくれればとても嬉しい。

欲を言えば、興行収入50億円クラスにまでなって欲しい。作品的にはそれくらいの吸引力があると思う。宣伝につられて「ゲド戦記」や「パイレーツ―」を見るより、こちらを見る方がずっと値打ちがあると思う。
そうなった時が、日本映画が本当に活力を取り戻した時だと言えるだろう。

そのうえ、今年度米アカデミー外国語映画賞“日本代表”にも選出されたという。ただ、どちらかと言うとアート系作品が受賞するケースが多いだけにちょっと難しい気もするが…。まあとにかく楽しみにしておこう。 

 

ところで、ある批評サイトで、とても残念な批評文を読んだ。あえて名前は挙げないが、かなり老舗の映画紹介・批評サイトで、私も昔からよく読ませてもらっている。

映画ファンが書き込んだ素人評なら目くじら立てる気はない。私だってダメな作品をケナすことはよくあるから。

しかし、このサイトはある程度知名度もあり、ここの批評を読んで、映画館に足を向ける人だって多いと思う。それだけに無視するわけには行かない。この批評を読んで、つまらない作品なのかと思い、映画を見る機会を失ったとしたらその人にとっても不幸だからである。

以下、その文章を引用させていただく。

「物語は主人公が誰なのかわかりにくく、かといって集団劇としては構成が弱い。(中略)映画を観ていて、物語の中にすんなりと入っていけないのだ。
 どうもこの映画は、登場人物ごとのエピソードをどう処理していくかという部分で、ドラマ作りに失敗しているように思える。映画に最初に登場するのは早苗という少女で、彼女があまり乗り気ではない親友の紀美子をフラダンスに誘って物語はスタートする。この出だしでは早苗と紀美子の友情が物語の軸になりそうなものだが、なぜか早苗は物語の中盤で退場してしまう。かわって東京から来たフラダンスの教師平山まどかや、同期のダンサーである小百合、紀美子の兄や母、ハワイアンセンターに就職した元炭鉱夫たちのエピソードなどが続いていくのだが、エピソードがどれも細切れで大きなドラマに収斂していかない…」(以下略)

映画に感動した方なら、この文章がいかに作品のポイントを掴まえておらず、的外れかという事が分かると思うが、一応反論しておく。

①この映画は、集団の群像ドラマである。一応の主人公は紀美子(蒼井優)であるが、フラガール全員が主人公でもあるし、彼女たちと心を通わせ、素晴らしい先生として自身も成長して行く平山まどか(松雪泰子)もまた主人公である。観客は、登場人物それぞれの誰かに共感し、応援すればよいのである。男まさりで家族を支える紀美子の母、千代(富司純子)や、紀美子を陰から支えている兄(豊川悦司)に至るまで、この映画は周辺の人物にもそれぞれキャラクターが周到に肉付けされていて見事である。これらの人間たちが互いに火花を散らして激突し、対立し、やがて互いに理解し合い大団円に向かって収斂して行く構成が無駄がなく、実によく出来ている。どこが細切れなのだろうか。

②一番分かっていないのが早苗(徳永えり)の捉え方である。
なぜか中盤で退場してしまう・・・ とあるが、彼女の存在こそが物語のポイントなのである。

誰よりもフラガールになる事を望み、頑張っていた早苗。
そんな彼女でさえも、閉山、父の失業という現実に直面し、夢を断念せざるを得なくなる。
人は誰しも夢を抱くが、その夢を実現できるケースは稀である。それが現実である。
彼女の退場は、そうした、夢を追いつつ、諦めざるを得なかった多くの人々の無念さの象徴であり、この物語が能天気な絵空事でなく、現実に立脚した重い物語であることを示しているのである。

そして、退場後も早苗は物語にずっと深く関わっている
まず、早苗から紀美子宛に届いた小包が重要なキーとなる。
この小包を紀美子の母、千代がレッスン場まで届けるシーンがあるが、千代は追い出したものの紀美子の事がずっと気になっていたはずである。
しかし追い出した手前、自分からノコノコ会いに行くわけにもいかない。
小包が届いたのがもっけの幸い、“小包を届ける”というエクスキューズを得て、千代は娘に会いに行く決心をするのである。旨い脚本である。

レッスン場で紀美子が一心不乱に踊っている姿を見て千代は心打たれる。
千代は無言で小包を置いて帰るが、ここで彼女ははっきり、逞しく成長した紀美子を応援して行こうと心に決めたのである。
次のシーンで、センターの為にストーブ集めに回る千代の姿でそれが証明されるわけである。

それだけでは終わらない。この小包には、早苗が一生懸命作った、ハイビスカスの花が入っていた。
“自分は夢を果たせなかったけど、自分の分まで頑張って夢を実現して欲しい”
その思いがこの小包の中味に一杯詰っているのである。この早苗の思いに観客は涙する。この展開もうまい。

そして晴れの舞台、紀美子はそのハイビスカスの花を髪につけ、踊る。
画面には登場しないけれど、早苗は紀美子たちと一緒にいるのである。
“早苗の分まで頑張る、遠い空から見ていて…” その思いを胸に秘めたからこそ、紀美子は全身全霊を傾け、素晴らしいダンスを踊ることが出来たのである。実に見事な構成である。
早苗を途中退場させたからこそ、ラストの感動は幾重にも広がるのである。

いい映画は、小道具の使い方がうまい。小包一つをこれだけうまく活用しただけでもこのシナリオは脚本賞ものである。

 

決して他人の批評にイチャモンをつけているわけではない。この映画の見るべきポイント、脚本のうまさについて説明しただけである。

もう一つ、ついでに見どころ(いや、聞きどころ)を紹介しておく。

ラスト近く、バスの中で紀美子とまどかが話すシーンがある。
さりげないので聞き逃しそうになるが、ここでまどかは“福島弁”をしゃべっている。「だっぺな」とか…。

これは、最初は「3ヵ月で出て行く」と言っていたまどかが、この地に根を下ろし、ずっとフラガールたちを教えて行こうと決めた事を示しているのである。
(エンドクレジットで、「まどかは70歳になった今もここでフラダンスを教えている」と紹介される)

実によく出来ていると感心する。ここも是非お聞き逃しなく。

 

ウーン、しかしこの映画については、語りたいことがまだまだある。そのうち、また続きを書くかも知れませんが(笑)、よろしくお付き合いのほどを・・・・

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2006年10月 7日 (土)

「フラガール」

Furagirl_4(2006年・シネカノン/監督:李 相日)

いきなり断言する。これは大傑作である。必見である。

本作を観るまでは、本年度のベストワンは、西川美和監督の「ゆれる」に決めていたのだが、これを観て変わった。この映画、「フラガール」を文句なく本年のベストワンに決めることにする。

とにかく笑える、泣ける、そして深い感動を呼ぶ。これほど楽しくて感動し、かつ泣けた映画は昨年の「ALWAYS 三丁目の夕日」以来である。いや、あの作品も遥か超えて、ここ数年の中でも最高と言っていい。

どれほど面白いかは、観た人なら分かるだろう。映画ファンなら絶対観ておくべきである。
いや、映画ファンだけでなく、普段めったに映画を観ない方でも、
仕事が面白くない、リストラされた、人間関係がうまく行かない、落ち込んでいる・・・・
こういう悩みを抱えている方なら、観ておくべきである。きっと気分が晴れて、ちょっぴり元気になって、「よし、頑張ろう!」という気になるに違いない。

この映画は、もしかしたらそんな素晴らしいパワーと活力さえも人にもたらす奇蹟の作品と言えるのかも知れない。

 

この映画のどこがいいのか。――それは、要約すれば、傑作映画に共通すると私が独断で決めている次の3点にある。

(1)着想がユニークである
(2)正統娯楽映画としての要素を網羅した、娯楽映画の王道を行く作品である
(3)現代社会が抱える問題点について、鋭い観察力、深い洞察力を持って追求し、その中で悩みながらもしたたかに生きようとする人たちの勇気と行動を描く社会派ドラマである

どれか1つの要素を持つだけでも、立派な傑作になりうるのに、あきれたことにこの映画はそれらすべてを網羅している。これだけでも奇蹟である。

(1)の着想のユニークさについては、これが実話であり、しかも「東北の田舎町にハワイアンセンターを作る」、「盆踊りしか知らない田舎の娘たちにフラダンスを踊らせる」という誰もが危惧するような仰天アイデアであり、「それが結果的に大成功し、町おこしのパイオニアともなった」という、まさにNHKの「プロジェクトX」にでも採り上げられそうな題材である点が挙げられる。

実は、もとの企画では、このハワイアンセンターを立ち上げた社長が主人公だったという事である。それはそれで面白そうで、「陽はまた昇る」(VHSビデオを開発したビクター工場の話)のような映画になったかも知れないが、これほどの傑作にはならなかっただろう。フラガールを主人公に持って来たからこそユニークなのである。

着想(企画)がユニークゆえに、映画史に残る傑作になったものとしては、黒澤明監督の「七人の侍」が代表作である。何しろ、“百姓がサムライを雇う”のである。
同じ黒澤の「天国と地獄」も、“もし誘拐された子供が人違いだったら”という着想ゆえの勝利である。スピルバーグの傑作「激突!」も、“ハイウェイで巨大タンクローリーにつけ回されたら…”という着想がユニークだった。
こういう着想が素晴らしければ、映画はほとんど成功したも同様である。後は如何に脚本に肉付けするかだけである。

(2)の点については、私なりの“正しい娯楽映画”論を述べたい。

整理すると、物語として①主人公が、ひょんな事から(行き掛かりで)あるチーム(プロジェクト)に参加するハメとなる。②最初は慣れずに失敗し、チームワークもバラバラでどん底に落ちる。③そこから猛烈な特訓を経て、チームも次第にまとまり、主人公たちは自己を見つめ直し、人間的にも成長する。④そして最後に大勝利する。

・・・・というパターンの作品で、代表的なものとしては、周防正行監督「シコ、ふんじゃった。」、矢口史靖監督「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」、洋画では「メジャーリーグ」などがある。やや近い作品(④の要素が少ない)としては、大林宣彦「青春デンデケデケデケ」、周防「SHALL WE ダンス?」、磯村一路「がんばっていきまっしょい」、洋画の「クールランニング」なども入れていいだろう。

笑いあり、涙あり、友情、愛、周囲の励まし、そして勇気と感動があり、観終わって元気になれる…そんな楽しい映画こそ、娯楽映画の基本中の基本であり、だからこれらの作品は傑作となり、多くの人にいつまでも支持されているのである。前掲の「七人の侍」だって、よく見ればこれらの要素が巧みに織り込まれているのである。

本作もまた、確実にそのパターンを踏んでいる。

 

さらに(3)である。昭和40年代、炭鉱不況で多くの人が職を失い、先が見えない時代と町が舞台である。これは今の時代にも通じる、社会的なテーマである。

閉山で失業し、夕張に流れて行く家族も登場する。落盤事故で命を失う炭鉱夫もいる。

こうした社会情勢を厳しく見つめた傑作映画も多い。今村昌平監督「にあんちゃん」がまさにそんな作品(炭鉱が舞台)だし、山田洋次監督「家族」も、職を失った家族が北海道に向かう、時代を見据えた傑作だった。

洋画にも炭鉱ものは傑作が多い。イギリスの「ブラス!」(1996)が代表だろう。炭坑閉鎖を経て、音楽に勇気と希望を見いだす人たちを淡々と描いた秀作である。炭鉱町に生まれた少年がロケット開発者となる「遠い空の向こうに」(1999)もそうだった。

このように、本作は娯楽映画のパターンを着実に踏まえながらも、社会派映画としての要素も併せ持ち、それぞれが互いを邪魔することなく、見事に融合しているのである。

これが奇蹟と言わずして何だろう。だから素晴らしい傑作と言えるのである。

監督の李相日の作品は「69 Sixty Nine」「スクラップヘブン」を観ているが、どれもイマイチであった。本作はそんな作品群からは想像も出来ないくらい、見事な風格と完成度を持っている。ある意味では、監督の技量をも超越している…と言えるかも知れない(と言えば失礼か(笑))。

 

「リストラ」という言葉はやや否定的に捕えられているが、正しい意味は「リストラクチャリング」=再構築 である。

この映画は、構造不況で先行きの見えない中で、懸命に新しい道を模索した、町(や、リストラに会っても夢と希望を追い求めた人々)の再生の話であるが、同時に、元SKDダンサーで、田舎に落ちぶれて来た平山まどか(松雪泰子)の再生の物語でもある。

そう、進む道を見失ったからといって絶望することはない。人は頑張る勇気さえあれば何度だって再チャレンジは出来るのである。

この映画は、そんなさまざまな夢と可能性と勇気を、観る人にも与えるであろう素晴らしい作品なのである。必見!

  (採点=★★★★★

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2006年10月 1日 (日)

「レディ・イン・ザ・ウォーター」

Ladyinthewater (2006年・米/監督:M・ナイト・シャマラン)

「シックス・センス」が大ヒットしたおかげで、以後のシャマラン監督作品、どれもかなりの期待を持って多くの人が観てくれているが(かく言う私もその一人)、
毎回その期待を裏切る作品ばかり。

「アンブレイカブル」「サイン」「ヴィレッジ」・・・と、1作ごとにスケールダウンしているような気がする。

どれも、散々気を持たせといて、「そんなオチかよ~」と言いたくなる結末ばっかりである(そのオチの意外性も1作ごとに薄れて来ているが)。

そう言えば主演スターも、ブルース・ウィリス→メル・ギブソン→エイドリアン・ブロディ…と、どんどん小粒化してて、本作ではぐっとギャラも少ない(多分)ポール・ジアマッティ(「サイドウェイ」「シンデレラマン」)である。予算も減って来てるのかな。

(そう言いながらも毎回封切られる度にイソイソ観に行ってしまう私(笑))

で、本作では、(あ、これもネタバレになるかな?)とうとう意外なオチが無くなった

まあ、いつまでもワンパターンというわけには行かないだろうし、新境地開拓…という事ならそれも歓迎である。

が、
これから観る方の為にあんまり詳しく書くことは控えたいが、
ざっくばらんに言うなら、これはファンタジーである。

それも、話としては、“邪悪なパワーと対決してこの世に平和をもたらす”・・・という童話ファンタジーである。

もともとは、シャマランが自分の子供たちに聞かせていたお伽話(ベッド・タイム・ストーリー)なんだそうで、それなら舞台も架空の国にでもすればよさそうなものを、何故かフィラデルフィア(シャマランのホームグラウンド)の小さなアパートの中だけが舞台で、悪と立ち向かう正義の戦士たちもすべてアパートの住民ばかり。

なんだか、アパートの祭りの余興で上演される素人芝居みたいな感じである(これも予算がなかったのかなぁ(笑))。

そんなわけで、ツッ込み所満載。(以下ネタバレなので伏せます。読みたい方はドラッグして反転してください)

おとぎ話の詳細については、アパートに住む韓国人の女性のお婆ちゃんが語ってくれるのだが、てことはこれは韓国に伝わる民話ってこと?
それがなんでアメリカのフィラデルフィアで現実に起きるのか謎である。

なんで都合よく、「守護者」「治癒者」「職人」といった正義の戦士がみんなアパートに住んでたのか? まるで世界はこのアパートしか存在しないかのようである。
こういうのをご都合主義と言う。

こういう、まともな人ならほとんど信じられない話を、物証もないうちから何故住人たちが簡単に信じてしまうのか?疑り深い人も何人かはいるはず。

あのプールの底の住み家は、いつの間に誰が作ったのか?

水の精なら、ラストでなんで空から鷲が迎えに来るのか。水に帰るのが普通では?

↑ネタバレここまで。

まあ、はっきり言ってこれはホラ話である。もっとも、これまでのシャマラン作品も、そういう意味では全部ホラ話なのだが…。

おそらくは賛否分かれるだろう。シャマラン作品を割り切って楽しんで来た人にはそれなりに楽しめるだろうが、「サイン」あたりからガッカリして来た人(私もそう)には、やっぱりガッカリする事請け合いである。

一番いけないのは、登場人物の内面描写が浅く薄っぺらい事である。

「シックス・センス」では、ブルース・ウィリス演じる主人公の医者の心の痛み、幽霊が見える少年のナイーブな心の動きを丁寧に描いていた。その為、あのオチがなくても十分感動出来る物語として完成していた。それ故傑作になったのである。

本作でも、主人公のクリーブランド(ジアマッティ)は妻と娘を亡くして心に空洞を抱えているはずである。

その心の痛み、悲しみが上っ面しか描かれていないし、物語とも絡んでいない。ただのエピソードに終わってしまっている。あれなら入れないほうがマシであった。

 

Tubasanonaitensi_1  ところで、シャマラン監督が「シックス・センス」でブレイクする前に監督した作品に「翼のない天使」(1998)というのがある。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FXNZ

我が国では劇場未公開で、ビデオのみ出ている。

私はこれを観ている。物語は、大好きだったおじいさんを亡くし、すっかり無気力になった10歳の少年が、おじいさんが天国で無事なのかを知る為、神様を探そうとする…というものだが、少年がやがて初恋をし、周囲の人々と心を通わせて行くプロセスがとても丁寧に描かれていて感動した(この少年のキャラクターが「シックス・センス」の原型となったのであろう)。

最近のシャマランの迷走ぶりを見るにつけ、「シックス・センス」の大成功が逆に足枷となって、初期のナイーブな心を見失ってしまったのではないかと思う。

シャマラン監督よ、もう一度、不遇だったかも知れないがひた向きに頑張っていたあの頃に戻って自分自身を見つめ直すべきではないか。ファンから見捨てられないうちに…。

 (採点=★★

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