「フラガール」再び
当初はミニシアター公開だったのに、シネコンがどんどんラインナップに組み込んでくれて、興行成績では2週連続3位(興行通信社調べ)。
これは凄いことである。どこまで記録を伸ばすのか。「ALWAYS 三丁目の夕日」並みのブームになってくれればとても嬉しい。
欲を言えば、興行収入50億円クラスにまでなって欲しい。作品的にはそれくらいの吸引力があると思う。宣伝につられて「ゲド戦記」や「パイレーツ―」を見るより、こちらを見る方がずっと値打ちがあると思う。
そうなった時が、日本映画が本当に活力を取り戻した時だと言えるだろう。
そのうえ、今年度米アカデミー外国語映画賞“日本代表”にも選出されたという。ただ、どちらかと言うとアート系作品が受賞するケースが多いだけにちょっと難しい気もするが…。まあとにかく楽しみにしておこう。
ところで、ある批評サイトで、とても残念な批評文を読んだ。あえて名前は挙げないが、かなり老舗の映画紹介・批評サイトで、私も昔からよく読ませてもらっている。
映画ファンが書き込んだ素人評なら目くじら立てる気はない。私だってダメな作品をケナすことはよくあるから。
しかし、このサイトはある程度知名度もあり、ここの批評を読んで、映画館に足を向ける人だって多いと思う。それだけに無視するわけには行かない。この批評を読んで、つまらない作品なのかと思い、映画を見る機会を失ったとしたらその人にとっても不幸だからである。
以下、その文章を引用させていただく。
「物語は主人公が誰なのかわかりにくく、かといって集団劇としては構成が弱い。(中略)映画を観ていて、物語の中にすんなりと入っていけないのだ。
どうもこの映画は、登場人物ごとのエピソードをどう処理していくかという部分で、ドラマ作りに失敗しているように思える。映画に最初に登場するのは早苗という少女で、彼女があまり乗り気ではない親友の紀美子をフラダンスに誘って物語はスタートする。この出だしでは早苗と紀美子の友情が物語の軸になりそうなものだが、なぜか早苗は物語の中盤で退場してしまう。かわって東京から来たフラダンスの教師平山まどかや、同期のダンサーである小百合、紀美子の兄や母、ハワイアンセンターに就職した元炭鉱夫たちのエピソードなどが続いていくのだが、エピソードがどれも細切れで大きなドラマに収斂していかない…」(以下略)
映画に感動した方なら、この文章がいかに作品のポイントを掴まえておらず、的外れかという事が分かると思うが、一応反論しておく。
①この映画は、集団の群像ドラマである。一応の主人公は紀美子(蒼井優)であるが、フラガール全員が主人公でもあるし、彼女たちと心を通わせ、素晴らしい先生として自身も成長して行く平山まどか(松雪泰子)もまた主人公である。観客は、登場人物それぞれの誰かに共感し、応援すればよいのである。男まさりで家族を支える紀美子の母、千代(富司純子)や、紀美子を陰から支えている兄(豊川悦司)に至るまで、この映画は周辺の人物にもそれぞれキャラクターが周到に肉付けされていて見事である。これらの人間たちが互いに火花を散らして激突し、対立し、やがて互いに理解し合い大団円に向かって収斂して行く構成が無駄がなく、実によく出来ている。どこが細切れなのだろうか。
②一番分かっていないのが早苗(徳永えり)の捉え方である。
>なぜか中盤で退場してしまう・・・ とあるが、彼女の存在こそが物語のポイントなのである。
誰よりもフラガールになる事を望み、頑張っていた早苗。
そんな彼女でさえも、閉山、父の失業という現実に直面し、夢を断念せざるを得なくなる。
人は誰しも夢を抱くが、その夢を実現できるケースは稀である。それが現実である。
彼女の退場は、そうした、夢を追いつつ、諦めざるを得なかった多くの人々の無念さの象徴であり、この物語が能天気な絵空事でなく、現実に立脚した重い物語であることを示しているのである。
そして、退場後も早苗は物語にずっと深く関わっている。
まず、早苗から紀美子宛に届いた小包が重要なキーとなる。
この小包を紀美子の母、千代がレッスン場まで届けるシーンがあるが、千代は追い出したものの紀美子の事がずっと気になっていたはずである。
しかし追い出した手前、自分からノコノコ会いに行くわけにもいかない。
小包が届いたのがもっけの幸い、“小包を届ける”というエクスキューズを得て、千代は娘に会いに行く決心をするのである。旨い脚本である。
レッスン場で紀美子が一心不乱に踊っている姿を見て千代は心打たれる。
千代は無言で小包を置いて帰るが、ここで彼女ははっきり、逞しく成長した紀美子を応援して行こうと心に決めたのである。
次のシーンで、センターの為にストーブ集めに回る千代の姿でそれが証明されるわけである。
それだけでは終わらない。この小包には、早苗が一生懸命作った、ハイビスカスの花が入っていた。
“自分は夢を果たせなかったけど、自分の分まで頑張って夢を実現して欲しい”…
その思いがこの小包の中味に一杯詰っているのである。この早苗の思いに観客は涙する。この展開もうまい。
そして晴れの舞台、紀美子はそのハイビスカスの花を髪につけ、踊る。
画面には登場しないけれど、早苗は紀美子たちと一緒にいるのである。
“早苗の分まで頑張る、遠い空から見ていて…” その思いを胸に秘めたからこそ、紀美子は全身全霊を傾け、素晴らしいダンスを踊ることが出来たのである。実に見事な構成である。
早苗を途中退場させたからこそ、ラストの感動は幾重にも広がるのである。
いい映画は、小道具の使い方がうまい。小包一つをこれだけうまく活用しただけでもこのシナリオは脚本賞ものである。
決して他人の批評にイチャモンをつけているわけではない。この映画の見るべきポイント、脚本のうまさについて説明しただけである。
もう一つ、ついでに見どころ(いや、聞きどころ)を紹介しておく。
ラスト近く、バスの中で紀美子とまどかが話すシーンがある。
さりげないので聞き逃しそうになるが、ここでまどかは“福島弁”をしゃべっている。「だっぺな」とか…。
これは、最初は「3ヵ月で出て行く」と言っていたまどかが、この地に根を下ろし、ずっとフラガールたちを教えて行こうと決めた事を示しているのである。
(エンドクレジットで、「まどかは70歳になった今もここでフラダンスを教えている」と紹介される)
実によく出来ていると感心する。ここも是非お聞き逃しなく。
ウーン、しかしこの映画については、語りたいことがまだまだある。そのうち、また続きを書くかも知れませんが(笑)、よろしくお付き合いのほどを・・・・
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