「父親たちの星条旗」
クリント・イーストウッドは、衰えを知らない作家である。76歳を越えても、旺盛な創作意欲はますます勢いを増している感すらある。「ミリオンダラー・ベイビー」に続き、本作と並行して作られた「硫黄島からの手紙」もアカデミー作品賞最有力と聞く。凄い事である。
第二次大戦の激戦を描いた戦争映画はこれまでにも無数に作られているが、本作はそれら凡百の戦争映画とは大きく異なる要素を持っている。
何故なら、ほとんどのアメリカ製戦争映画は、“戦争とは正義を守る為の戦いである”というスタンスに立っているからである。
その為には、戦う相手は明快な“悪”である必要があり、幸いにもヒットラーという悪役がいた事によって、ヨーロッパ戦線を舞台とした戦争映画では、ドイツは徹底して悪玉になっているのである。「ナバロンの要塞」や「テレマークの要塞」など、それこそ007に登場する秘密結社スペクター並の扱いまでされている作品もある。
第二次大戦後もその意識は継続されており、アメリカは世界の警察として正義を振りかざし、今に至っている。映画界もまた、そうした国家戦略を肯定する形で“正義の戦争”を映画の中で描き続けているのである。
無論、ベトナム戦争後は「ディア・ハンター」、「帰郷」、「プラトーン」など、いくつもの反戦的な映画が作られたが、それはあくまで、“負けた戦争”であるが故の反省に立っているからであり、勝っていたなら作られる事はなかったかも知れない。その証拠に、ここ数年はまた「U-571」とか「エネミー・ライン」とか「ステルス」とかいった“正義の戦争”映画がいくつか復活している。わが日本ですら、「パール・ハーバー」では卑劣な奇襲を仕掛けた国として、正義の戦争のダシに使われている。
そこで本作だが、さすがイーストウッド、勝者の戦争を描きながらも、決して“正義の戦争”としては描いていない。ここがこの作品のポイントである。
硫黄島の戦いで星条旗を立てた3人の兵士を戦争の英雄に仕立て、戦意高揚戦略に利用する国家と、その戦略に飲み込まれ、押しつぶされて行く兵士(=個人)のその後を描く…という物語を通して、イーストウッドは、“国家とは、大衆やマスコミを巧みにコントロールし、戦争への道に誘導する危険な装置である”というテーマに深く切り込んでいる。
これは、現在のイラク戦争において、ありもしない大量破壊兵器をデッチあげる事によって強引に世論誘導して行ったブッシュ政権に対する批判にもなっているのである。
“戦争とは、本当に正義の戦いなのか”― イーストウッドのこの問いかけは、この作品と対になっている「硫黄島からの手紙」においてさらに露になって行く。(続く)
(採点=★★★★☆)
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