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2007年2月28日 (水)

「天国は待ってくれる」

Heavencanwait (2007年・ギャガ=松竹/監督:土岐 善将)

シネコンで夕方6時の回に入ったら、なんと観客は私一人。とうとう最後まで貸切状態だった。私が入らなかったら無人でフィルム回してたのか…。それとも客がいなかったら映写機止めてたかも(笑)。しかも土曜日ですよ。興行成績でも早くも圏外だが、それも納得できる。

中味の方も、招待券が当ったので観に行ったが、そうでなかったらカネ返せと言いたくなるほど退屈で酷いダメ映画だった。

まずストーリー展開が平板で緩急のメリハリが全然ない。冒頭で3人の主人公のうち1人が病院で昏睡状態で寝ているシーンから始まり、それから延々1時間経ってもまだそのまま。退屈極まりない。回想シーンを挟んでいるのだが、そういう展開にした必然性がまるで感じられない。

これが第1回作品となる土岐善将監督の演出は、ただ脚本がそうなってるからその通り撮りました…という感じで、どうやって観客を映画の世界に引き込んで行くか…どう主人公たちに感情移入させるか…という工夫がまったくない。

何度も繰り返し出て来る築地市場の光景も、同じ構図ばかりで飽きて来る。主人公の宏樹(井ノ原快彦)は、いつもボヤーっとしてて何考えてるのか分からない。物語の転機においても、いつも優柔不断で何も決断出来ない。井ノ原某というのは歌手らしいが、演技もヘタだけでなく、役作りも出来ていない。感情移入せよという方が無理である。

もう一人の武志(清木場俊介)の方も、自分の命があと1ヶ月と知った時の心の動揺、苦悩がまるでない。その事実を知る方法もあまりにイージーである。黒澤明の「生きる」とまでとは言わないが、普通はもっと悩み、苦しみ、葛藤があってしかるべきである。

周りの人間も、いかにも絵に描いたような善人ばかり。武志の父親、蟹江敬三を除いては、他の親たちもまるで突っ立ってるだけである。

そういういいかげんな展開だから、アラも一杯目立つ。ひどいと思ったのは、石黒賢扮する医者で、例えば武志がずっと意志かが戻らないだろうと父親に伝えるシーン、その理由を普通なら、レントゲン写真等を使って医学的に説明すべきなのに、そういう事は何もなし。そしてすぐ、「奇跡です」とか「彼は自分の意志で戻ってきたのかも」とか、およそ医者らしくない言葉を吐く。医学用語くらい使いなさいよ。

医学的と言えば、3年間も寝たきりなら、例えば栄養補給の為の設備とか、排泄、排便はどうするのかとか、そういうディテールにも全く配慮が欠けている点滴設備すら置いてないのには呆れるばかりである。多分他の人も指摘するだろうが、3年の間、髪の毛やヒゲの状態が全然変わっていないのは観客をバカにしていないか。動ける人は病院内の散髪室に行くが、動けない人の髪は伸び放題になるはずである。物語はフィクションでも、そういう細部のリアリティはきちんと考慮すべきである。医学関係のアドバイザーはいないのだろうか。最も、素人の私でも気が付く程度の事だが…。

宏樹の勤務先が、実名の朝日新聞であるというのも分からない。ストーリー上、どこかで新聞社に勤めている事がカギになっているのかと思ったが、まったく意味がない。…とにかく、一切がそうした、とって付けたような断片の羅列でしかない。こんなヒドい脚本は久しぶりである。企画段階でボツにすべきか、監督が大幅な手直しすべきだが、新人の土岐監督にはそんな余裕もなかったという事か。

男2人と女1人の三角関係ドラマというのは、フランス映画「突然炎の如く」(F・トリュフォ監督)、「冒険者たち」(R・アンリコ監督)、日本でも「俺たちの荒野」(出目昌伸監督)、「さらば夏の光よ」(山根成之監督)等々、秀作が多い。それらは主人公たちの感情表現も人物描写の演出も実に丁寧で、我々を感動させてくれた。監督はそうしたいい見本を何度も観て研究しておくべきではなかったか。

 

映画全盛期には、撮影所内に何人ものうるさ型のプロデューサーがいて、助監督や新人監督にはとにかく脚本を書かせ、それをプロデューサーがチェックしておかしな所は何度も突き返され、書き直しさせられる。そうやって一人前になって行った監督も多い。そうして、いざ製作に入ると、プロデューサーは現場に付きっ切りで立会い、目を光らせていたものだ。

そうしたシステムが崩れてしまい、製作委員会方式になって統括責任者が不在となり、時々とんでもない駄作が登場するようになった。

日本映画の興行収入が洋画を抜いたと浮かれてはいられない。ちゃんとした力量あるプロデューサーを養成しておかないと、将来また日本映画はダメになる可能性大であると警告しておこう。

早くも、本年度の私のワーストワン候補登場である。…それにしてもヒロインの岡本綾と言えば、昨年の私のワーストワン「地下鉄に乗って」にも出ていたなぁ(どちらにもオムライスが出て来るのは偶然にしては出来すぎ(笑))。もっと作品を選びなさいよと言いたくなる。     (採点=×

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2007年2月25日 (日)

「バブルへGO! タイムマシンはドラム式」

Bubblego (2006年・フジテレビ=東宝/監督:馬場 康夫)

1980年代後半、「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」などの軽快でファッショナブルな青春映画を連発して一世を風靡した、ホイチョイ・プロダクション・ムービーの'99年の「メッセンジャー」以来8年ぶりとなる新作。

いつも、時代のトレンドを巧みに切り取り、かつ日本映画には珍しい、洋画センスのギャグや語り口(当時としてはです。)で、馬場康夫は私にとってお気に入りの監督だった。

前作「メッセンジャー」は、絶頂からどん底に落ち込んで、そこから必死の努力で這い上がり、遂に勝利する…という娯楽映画の王道パターンを巧みに踏んでいて、大好きな作品である。

本作は、今度はタイムスリップSFコメディに挑戦。それも、800兆円という借金で崩壊寸前にある日本経済を救う為、その遠因となったバブル崩壊を食い止めるのが目的という。なるほど、さすが発想がユニークである。

厳密に言うと、バブル崩壊の元となった、大蔵省の「総量規制」通達をストップしたからと言って、日本経済が良くなるわけはない。バブルとは、実態価格以上に土地の値段が上がり続け、文字通りパンパンに風船が膨れ上がった状態であるので、総量規制をしなかったら、更にバブルは膨れ続け、結局どこかでパンクする事となる。その場合、日本経済ほもっと大変なことになる。

日本経済を立て直す為に過去に行くのなら、むしろ土地価格が異常に上がり始める直前の時代に行って、そこで土地価格上昇規制をかけるべきだろう。

・・・と言ってしまえば身もフタもない(笑)。本作は、バブル絶頂という、今から考えれば若者から家庭の主婦に至るまで、何も考えずに浮かれていた、あの時代を振り返り、笑い飛ばし、皮肉るのが目的であるのだから。今の40歳代以上の人なら、当時を振り返り、懐かしさ半分、後の半分はなんでみんなあんな事やってたのだろうと複雑な気分になるだろう。それぞれのバブル体験を語り合うのも面白いかも知れない。

私の体験では、とにかくマンションの価格が異常に跳ね上がり、買って7年で買値の3倍くらいになっていた。あの時売ってれば…(泣)。今では元の価格程度です。

やはり元凶は銀行だろう。なんせ個人向けに、「株投資資金ローン」、不動産業者向けに「土地転売資金ローン」を堂々売ってたのだから。借りた金で株を買ったら数日で何倍にもなって、それでローン返してボロ儲けできたのである。その資金でまた株買って…こんな事繰り返してたら確かにバブルになるわな。政治家も銀行でカネ借りて株投資に注ぎ込んでたなぁ。

 

で、映画の方は、そんな浮かれたバブル時代を見事に再現していた。ディスコ・ブーム、ワンレン、ボディコン、ソバージュヘア、あったなぁ。船上学生パーティなんて、聞いた事はあったけどあんなものだったんですね。さすが当時、若者の風俗や流行、アイテム等を分析、紹介していたホイチョイだけの事はある。

馬場監督は、そうした時代風俗を巧みに取り入れ、幾分自虐を込めてシニカルに描きながらも、映画全体としてはコメディ・エンタティンメントのツボをちゃんと押さえて、前作同様、楽しい娯楽映画になっている。
その為に、ややバブル時代描写は食い足りないものになっている。

例えば、大蔵省銀行局長を一番の悪玉にして、それを退治するというパターン通りの展開にしているが、バブルに踊っていた、本当の悪玉と言える土地業者や銀行、政治家―といった連中をもっと叩いて欲しかった。…がそうするとエンタティンメントになりにくい。娯楽映画としてはこのくらいが妥当なところだろう。

洋画ファンの馬場監督らしい、洋画的エッセンスも散りばめられ、その辺りも楽しみどころである。全体的には、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」へのオマージュにもなっている。過去の時代で、現代であった出来事をそのまま繰り返すギャグ(例えば、現代では借金取りの田島に真弓が追いかけられるシークェンスは場所もカット割も現代と全く同じ)や、未来から来た事をなかなか信じて貰えない辺りなど。

下川路(阿部寛)が女の子に一発殴られる度に「効くねぇ」と同じセリフを繰り返す(このセリフが一番最後に出るシーンが笑える)などはまさに洋画センスである。私見を述べると、この辺りのギャグはマンガ…特に高橋留美子作品からいただいているフシがある。例えば、女同士が言い争っている間に、いつの間にか下川路の姿が消えたと思ったら、もう別の所で女を口説いている…というくだりは「うる星やつら」の諸星あたるの行動とそっくりである。女に手当たり次第にモーションかけては「このぉ女たらしがあっ!」と殴られるギャグも「うる星」タッチである。

ギャグあり、ドタバタアクションあり、時代の変化に対するシニカルな観察眼もあり、親子の情愛もあり…といろんな要素を巧みに配した脚本(君塚良一)もいい。気軽に楽しめる娯楽映画としては及第点であると言えよう。

総量規制通達を撤廃し、現代の日本に戻って来たら、時代がすっかりいい方に変わっている…というのも「バック・トゥ・―」にそっくりである。CGを使った、現代の余りにノー天気でオーバーな変わりようが、「これはあくまで笑って楽しめるB級娯楽映画である」と宣言しているようで潔い。突っ込もうと思えばいくらでも突っ込みどころはあるが、ヤボなツッコミは止めて気軽に大笑いするのが正しい鑑賞法だと思う。

PS:現代の阿部寛の髪型がなんだかコイズミ元首相に似てるなあ…と思っていたら、ラストはそういう事だったのですね。しかし、映画を製作した当時は、まさかアベ総理大臣”が誕生するとは思わなかったでしょうね。そこまで予想してたとしたら大したものですが(笑)。      (採点=★★★★

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2007年2月24日 (土)

「ユメ十夜」

Yumejuuya (2006年・日活/監督:実相寺 昭雄・市川 崑・他)

夏目漱石原作「夢十夜」を、10人のベテラン・新進監督が1話づつ演出を担当したオムニバス作品。監督の顔ぶれが、実相寺昭雄に始まり、大ベテラン市川崑、「ゆれる」でブレイクした西川美和、若手の山下敦弘、「THE JUON]でハリウッド進出も果たした清水崇…等々実に多彩でにぎやか。

1話がそれぞれ10分という短編…と言うよりショート・ショートなので、却って演出力が試される事になる。
トップの実相寺監督篇はさすがテレビの「ウルトラマンマックス」の1編「胡蝶の夢」(ファン必見!これも繋がり)でも夢と現実が入り乱れたシュールな世界を演出していただけに手馴れたもので、実相寺監督ファンにはコタえられない1編。なお脚本は久世光彦。なんとどちらも既に鬼籍に入られてる。私的にはこの第1話が一番見応えありました。

第2話は市川崑監督。冒頭のデカい明朝体タイトルで既に市川ワールドに引き込まれます。なんとモノクロ、サイレントで字幕入り。トボけた味わいで市川タッチが堪能出来ます。中村梅之助怪演。

第3話はさすがホラーの清水崇。背中の醜い顔の赤ん坊が不気味。怖さでは一番。ただ10分ではやはり短い。この話を長編か、30分くらいの中篇で観たい。

…4話、5話は特にどうってことなし。監督名のみ挙げておく。第4話・清水厚(冒頭とエンディングの演出も担当)。第5話・豊島圭介。

第6話は松尾スズキ監督作品。独特な感性を持つだけあって、テンポはいいし楽しみながら作ったという感じ。阿部サダヲの個性によりかかった感もあるが…。

第7話は幻想的なイラストで有名な天野喜孝が、VFXディレクターの河原真明と組んだ3Dアニメ。絵としては面白いが、ストーリーはなきに等しい。ビジュアルを楽しむだけと割り切った方がいいだろう。

第8話の山下敦弘作品は、巨大なヒルかミミズのような生き物をペットとして可愛がる子供の話に藤岡弘、演じる漱石が取りとめもなく絡む。やはり山下監督らしいトボけた、脱力コメディになっている辺りはさすが。

第9話の西川美和監督は、さすがというか、10話の中では一番落ち着いてしっとり見せる。ただ、全般的にキッチュで遊んでいる話が多い中では、ややおとなし過ぎる感もある。

最後の第10話は脚本が漫☆画太郎、監督が「地獄甲子園」等で漫☆画太郎原作を映画化している山口雄大のコンビで、漱石と言うより完全に漫☆画太郎の世界。ハチャメチャ・コメディでくだらないけど、実はこれが一番笑えて楽しめる。意外な事に漱石の不思議ワールドと漫☆画太郎ワールドとは相性が良かった…という事なのでしょうか。松山ケンイチが珍しく(と言うより初めて)コミカルな役を演じているが、もっとすごいのは本上まなみが実にヘンな顔になる。これは見てのお楽しみ。

 

総評すると、最初の2本が私の好みに一番合って好き。中盤はややダレる。で、漫☆画太郎+山口雄大作品を最後に持って来たのが大正解。結局、映画ってエンタティンメントでしょ”という事実を再認識させてくれる。ベテランによる最初の2本で、まずきっちりと映画の世界に溶け込ませたからこそ、各話もじっくり観てみようという気になるし、最後ストーンと落とされても損した気分にはならない。もしこの10話目を最初の方に持ってきたら、あきれて途中退場者が続出したかも知れない(笑)。そういう意味では、オムニバス作品では、並べ方も大事だという事を再認識した次第である。    (採点=★★★☆

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2007年2月 4日 (日)

「どろろ」

Dororo (2007年・東宝/監督:塩田 明彦)

手塚治虫原作のコミックの映画化作品であるが、正直この企画が発表された時はかなり不安を抱いた。まずタイトルロールである“どろろ”を演じるのが柴咲コウだということ。原作では年少の、まだ子供(しかも見た目は男の子)がなんで柴咲なんだと最初は腹が立った。確かに原作でもどろろが実は女の子だった事は最後に明らかになるのだが、その事実が最後まで判らない場合と、最初から女と判っている場合とでは、観客が受けるインパクトがまるで違う。ミステリーのネタを最初からバラしているようなものである。

例えばロボット・ファンタジー「HINOKIO ヒノキオ」の多部未華子のように、まったく無名で、観客も最初は女の子だとまったく気が付かない新人を使うくらいの配慮が必要だと思う(それでも原作を読んでおればあまり意味はないが)。人気の若手女優を起用した時点で、単なるアイドル映画になってしまう危険性がある。

もう一つの問題は、“手塚治虫の原作を実写映画化したものに成功作はない”という歴史的実績があるからである。何故なら、

①まず登場人物の多くが漫画的にデフォルメされていて、生身の人間が演じると違和感ありまくりだという事。後頭部にローソクを乗せてるアセチレン・ランプとか、鼻が極端にデカい、お茶の水博士とか、「火の鳥」の猿田彦(及びその末裔)なんかは実写にはまったく不向きである(鼻がデカいのは実は作品上重要なポイントでもある)。市川崑監督が映画化した「火の鳥」では若山富三郎に特殊メイクで本当にマンガのような鼻を付けさせていたが、あまりにマンガチックな面相にゲンナリして映画を楽しむどころではなかった。
手塚作品に留まらず、漫画キャラは本来実写には不向きなのである。ロバート・アルトマン監督による「ポパイ」ではロビン・ウィリアムズが特殊メイクでポパイに扮したが、完全に失敗作となった。原作に随所に登場するヒョウタンツギやオムカエデゴンスといった、実写では登場不可能なギャグ・キャラクターの存在でも明らかなように、手塚作品は本質的に漫画・アニメ以外では表現不可能だと私は思う。

②として、漫画なら許される異形のクリーチャーなどが、実写では生生し過ぎるか、反対に作り物にしか見えない…という問題があるからである。本作でも、身体の48ヶ所を奪われた赤ん坊が登場するが、いくら特殊メイクが発達したところで、そうした造形は作り物にしか見えず、逆にリアルにし過ぎるとグロテスクになってこれも正視に耐えない。漫画だからこそ、ギリギリで許されるイマジネーションなのだと思う。

これまで手塚作品の実写化は、前述の「火の鳥」以外には、テレビで「ブラックジャック」「バンパイヤ」、映画で大林宣彦監督「瞳の中の訪問者」(「ブラックジャック」が原作)などがあるが、いずれもお世辞にも成功作とは言い難い。遥か昔にテレビで放映された実写版「鉄腕アトム」に至っては、見るに耐えないトホホな(笑)シロモノだった。
―唯一、マシだったのは中田秀夫監督「ガラスの脳」くらいであるが、これは元々「セカチュー」並みの難病ラブストーリーだからで、むしろ実写向きなのだが、何百回も観たようなありふれた物語で平凡な出来であった。

 

で、そうした不安だらけの中で観た本作。―― 結論から言って、不安は半分的中していたが、逆に予想を上回って健闘していた部分もあり、まあこの程度なら悪くはないかと思う。秀作とは言えないが、B級プログラム・ピクチャーとしてなら気軽に観れるエンタティンメント作品として仕上がっている。

成功の1要因は、ニュージーランドで全面ロケを行った事で、日本ではなく、どこの国でもない、同じニュージーランドでロケした「ロード・オブ・ザ・リング」の中つ国のような、架空の国が舞台になっており、おかげで奇想天外な物語にもすんなり入って行けるわけである。…なにしろビキニスタイルの踊り子は出て来るし、その建物も中近東か「スター・ウォーズ」のタトゥイーンに建ってるような石作りだったりする。百鬼丸に医師(原田芳雄)が人工の体を生成して行くシーンでは、ガラスのビーカー電気!仕掛けの機械装置があったりと、ほとんど映画「フランケンシュタイン」のまんまである。
そういう異世界的描写を積み重ねる事によって、この映画は時代劇というより、壮大なパラレルワールド・ファンタジーである事を強調しているのである。

ただ残念なのは、父・醍醐景光の支配する城下の町並や大衆の服装が、普通の時代劇そのまんまだった事。お城のデザインまで、煙突から煙モクモクのSFタッチにするくらいだったら、あそこも中近東風にするくらい徹底して欲しかった。

百鬼丸が闘う妖怪の造型も、CGを多用して面白いものも多かったが、着ぐるみ妖怪がほとんどウルトラマンか仮面ライダーの怪獣ばりだったのはちょっと手抜き。こういう所をデザイナーに依頼して徹底して作り込むハリウッド(韓国でも最近は「グエムル-」など頑張っている)にはまだまだ及ばない…といったところか。

そういう難点もあるものの、全体的には手塚治虫がテーマとしたかった“どんな悲惨な境遇に生まれ育とうとも、生きる勇気を失ってはならない”という点が本作でもちゃんと描かれていた事は大いに評価したい。

そして、最初は己の運命を呪い、やや虚無的な翳りを帯びていた百鬼丸(妻夫木聡)が、天涯孤独の孤児でありながら逞しく生きるどろろ(柴咲コウ)と旅を続けるうちに、次第に人間的に成長し、最後は怨みのある父を許すまでになって行く。

憎悪の連鎖はどこかで断ち切らなければならない…という、9.11以降のテーマとも繋がる、このラスト(原作はそこまで描いていないが、「ガラスの地球を守れ」という作品に代表される手塚的テーマは通底する)、及び互いの心が通じ合い、共に生きて行く事の大切さを知ったどろろと百鬼丸の明るい未来を象徴するエンディングはなかなか感動的である。

柴咲コウは明るく元気などろろ役を思っていたよりは好演。こういうコミカルな役もこなせるとは思わなかった。新境地開拓である。…ただ年齢的にはねぇ…やはり原作に近い、せめて15歳以下の設定にした方が良かったと思う。柴咲のせいではないが…。

塩田明彦監督はインディーズ出身で、「どこまでもいこう」「害虫」「カナリア」など、“どのような境遇にあっても、不器用ながらも、懸命に生きる若者たち”の姿を好んで描いて来た。
そういう作品歴から見れば、本作もまぎれもなき塩田作品なのである。「黄泉がえり」など、エンタティンメント作品を手掛けつつも、自身が作りたい個性的なインディーズ作品もコンスタントに作り続けている塩田明彦監督のしたたかな戦略を、私は応援したい。

そんなわけで、難点を認めつつも採点はやや甘く…     (採点=★★★☆

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