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2007年3月25日 (日)

「ボビー」

Bobby (2006年・米/監督:エミリオ・エステベス)

1968年6月5日。合衆国大統領選挙に立候補していたロバート・F・ケネディが遊説先のアンバサダー・ホテルで暗殺された。兄に次いで弟までも…。このニュースをリアルタイムで聞いた時、私は「アメリカはなんて国なんだ」と暗澹たる思いにかられた事を今でも覚えている。

この映画はその事件をテーマとしてはいるが、しかし出色なのは、兄のジョン・F・ケネディの暗殺の真相に迫った「ダラスの熱い日」「JFK」とは異なり、その事件当日、現場となったホテルに集う、多種多様な人生模様を抱えた22人の普通の人々の行動を淡々と描き、ボビーことR・F・Kが登場するのはラストのほんの数分である(それも、当時のテレビ映像でのみ)。

にもかかわらず、この映画の主役はまぎれもなきボビーその人なのである。―その理由は後述する。

登場する人々は、元ホテルのドアマン(アンソニー・ホプキンス)を中心に、ホテル支配人、マネージャー、社交界の名士夫妻、徴兵のがれでホテルで結婚式を挙げる若いカップル、厨房で働くヒスパニック系従業員、アル中の歌手…など人種も階級も多士済々。

それぞれの人たちの人生に、当時のアメリカが抱えた、泥沼化したベトナム戦争や人種差別問題等が反映されており、そんな時代にリベラルな主張を持って登場したロバートは、まさにアメリカの希望の星でもあったのだ。

9.11にイラク戦争と、時代はまた不安と殺戮といがみ合いの混沌にある。あの時代と同じように、反戦運動も沸き起りつつある。

こんな時代だからこそ、当時ロバートが訴えかけた問題提起は今も必要とされるのである。

彼が凶弾に倒れた後、当時の彼の演説がそのまま流れるラスト、ここは感動的であり、私は不覚にも涙をこぼした。

「暴力が暴力を生み、弾圧は報復をもたらし、そしてこの病を我々の魂から取り除く事が出来るのはただ一つ、われわれの社会全体を浄化することなのです。

ここ3年以上も、アメリカでは不和、暴力、幻滅が社会にはびこって来ました。黒人と白人の間であろうと、貧しい者と富のある者の間であろうと、あるいは同世代人の間であろうと、ベトナム戦争を経験した者であろうと…。我々は再び共に取り組む事が出来るはずです。我々の国は偉大な国であり、寛大な国であり、憐れみ深い国です。そして私はそれを自分の行動基盤にして行くつもりです」

今の政治家で、これほど素晴らしい演説が出来る人がいるだろうか。

予備選挙でも圧勝し、そのままだったら間違いなくアメリカ大統領になれたであろうロバート…。彼を失った事は、とてつもないアメリカの、いや人類の損失であると言えよう。

だから、この映画の主人公はまぎれもなく、ロバート・F・ケネディなのである。カリスマ性を持ち、多くの人々の心を捕える様子が、記録映像からでもよく分かる。どんな俳優が演じても、彼の存在感には及ばないだろう
その為に、ロバート登場シーンは当時のテレビ映像やフィルムをあえて使っているのである。いくら画質が荒くても、その存在感は圧倒的で揺るぎない。

我々は、いま一度、ロバートが残した言葉を噛みしめる必要があるのではないか。この映画は、その事を訴えているのである。

そう言えば、暗殺で倒れた人たちは、みんな人類にとって素晴らしい言葉を残している。
非暴力と寛容のガンジー、ロバートの2ヶ月前に倒れたマーチン・ルーサー・キング牧師、兄のJ・F・K…。

ジョン・レノンも、「国境のない、争いのない世界を想像してごらん…」という歌詞の「イマジン」を残している。

どうして、こういう素晴らしい人たちが暴力によって命を絶たれなければならないのか。悲しいことである。

ただ、映画としては、登場人物の整理がもう一つで、この手の映画が得意なロバート・アルトマンが撮ったらもっと凄い映画になったかも知れない。そこがやや難点。しかし監督・脚本のエミリオ・エステベスの意欲は大いに買いたい。

ちなみに、そのロバート・アルトマンの傑作「ナッシュビル」には、大統領選挙キャンペーンや、ラストに舞台上の人物への狙撃シーンなどが登場し、本作とよく似た構造を持っている。エステベスはかなり参考にしたのではないか。

(以下はおマケ)
三谷幸喜作品「THE有頂天ホテル」と似てると言う人がいるが、どちらも元ネタは1932年のアメリカ映画「グランド・ホテル」(特定の主人公がおらず、多くの登場人物の人生模様を並列して描く手法はこの作品が最初と言われ、以後この手法は映画題名を採って“グランド・ホテル形式”と呼ばれる)。従ってどちらの映画にも、この映画の題名がチラッと出て来る。

元ホテルマンのアンソニー・ホプキンスが、ホテルに泊まった人の名前を挙げるシーンも楽しい。各国の政府要人が続々出てくるし、映画関係者ではグロリア・スワンソン、ビング・グロスビー、リタ・ヘイワース、フランク・シナトラ(ちょっと記憶があやふや。間違ってたら御免なさい)等々壮観。どれだけ名前を知ってるでしょうか。なお、その話し相手になってるのがなんと懐かしい「バナナ・ボート」のハリー・ベラフォンテ。まだ存命だったんですね。

も一つちなみに、この映画のエグゼクティブ・プロデューサーでもあるそのアンソニー・ホプキンスは、ロバートと大統領選挙を戦ったリチャード・ニクソン役を「ニクソン」で演じているのも興味深い。全然ニクソンには似てないんですけどね(笑)。

  (採点=★★★★☆

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2007年3月14日 (水)

「ゴーストライダー」

Ghostrider (2007年・米:ソニー・ピクチャーズ/監督:マーク・スティーヴン・ジョンソン)

「スパイダーマン」を始めとする、マーヴェル・コミックものの映画化。

悪魔に魂を渡してスーパー・パワーを得、ゴーストライダーとなった男、ジョニー(ニコラス・ケイジ)の活躍を描くという、まあ他愛ない娯楽活劇である。

派手なCGは相変わらず凄い(が、そろそろ食傷気味の感も…)。お話の方も型通りのパターンで、さして新味があるとも言えない。

が、面白いのは、いろんな過去の映画のパロディ(と言うかオマージュ)が仕込まれている点で、これは古くからの映画ファンには1粒で2度おいしい作品なのである。

まず、ジョニーの魂を預かる魔王メフィストを演じているのが、ピーター・フォンダ。この配役を見てニヤリとする人は古くからの映画ファン。そう、アメリカン・ニュー・シネマの代表傑作「イージー・ライダー」の主演兼プロデューサーを務めたあの人である。“ライダー”繋がりというわけである。ちなみに、配給したのも本作と同じ、“コロムビア・ピクチャーズ”である。

おまけに、ジョニーが乗り回すバイクが、フォンダが「イージー・ライダー」で乗っていたのと同じ、ガルウィング・ハンドルに前輪のアームが極端に長い仕様のハーレー・ダヴィッドソン。このバイクが見られるだけでも映画ファンにはたまらない。

最初に、敵役ブラック・ハート(ウェス・ベントリー)が訪れるバーの入口で、ブラック・ハートを呼び止めるヒゲ面のデブ男が「俺たちは“天使団”だ」と言うセリフがあるが、これも説明すると、'60年代末期に、アメリカ西海岸あたりでバイクを走らせ暴れていた、皮ジャンの暴走族の呼び名が“ヘルス・エンジェルズ”なのである。そのまんま、「地獄の天使」という題名の映画まで作られた。

この“ヘルス・エンジェルズ”をヒントに、B級ピクチャーの帝王、ロジャー・コーマンが製作・監督したのが「ワイルド・エンジェル」。これに主演したのがピーター・フォンダだったのである。

ピーター・フォンダとロジャー・コーマンがその次に組んだのが、LSD(幻覚剤)をテーマにした「白昼の幻想」。この作品で共演したのがやや落ち目となっていたデニス・ホッパー。そして脚本を書いたのが無名時代のジャック・ニコルソン!。フォンダとホッパーは意気投合し、ニコルソンも巻き込み、ホッパーを監督に据えて「イージー・ライダー」が誕生する事となるのである(ちなみに、ホッパーはそれ以前にやはり暴走族もの「続・地獄の天使」に主演しており、それぞれに“バイク”“天使”に関連しているのも面白い)。

こういう経緯を知っていると、皮ジャン暴走族風の“天使団”が登場するだけでニンマリしたくなるというものである。

もう一つ、ここのシーンのブラック・ハートと皮ジャンのアンちゃんとのやりとりは、「ターミネーター2」のシュワルツネッガーが、バーの入り口でヘルス・エンジェルス風の男から皮ジャンとバイクを強奪するシーンのまるごとパロディとなっている(男がシュワの身体に葉巻を押し当てるシーンが立場が逆転して使われているのも念が入っている)。
ジョニーがバイクで走った後の地面に炎の轍が残っているのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ですね。

ジョニーが口笛を吹くと、バイクが「ローン・レンジャー」(ちょっと古いか(笑))の愛シルバーよろしくサッと現れる辺りも楽しいが、これはむしろ“ライダー”繋がりでTVドラマ「ナイト・ライダー」のハイテク・カーのパロディと考えるべきだろう。

ラストの対決では、古くは「ドラキュラ」から最近の「ヴァン・ヘルシング」に至る、異形の悪魔対正義のヒーローの対決パターンもちゃんと踏襲している。

エンド・クレジットに流れるのが、映画タイトルにちなんだカントリーの名曲「(ゴースト)ライダース・イン・ザ・スカイ」。これも楽しい。

・・・とまあ、こんな具合に、いろんなパロディやオマージュをどれだけ見つけるか…というのも、映画を楽しむコツなのである。―その為には、古い映画を数多く見ておく必要もあるが…。

私的には、そんなわけで肩の凝らない娯楽ピクチャーとして結構楽しめたのである。    (採点=★★★☆

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2007年3月 4日 (日)

「ドリームガールズ」

Dreamgirls (2006年・ドリームワークス/監督:ビル・コンドン)

このところまた隆盛を迎えつつある、ブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品。ミュージカル大好きの私にとっては見逃せない。しかもテーマは音楽業界における無名の歌手たちのサクセス・ストーリー。こういう話も昔からよくあるパターンでハズレが少ない。

黒人女性3人グループの“ドリーメッツ”が、無名時代のオーディション、人気歌手のバック・コーラスなどの長い下積み時代を経て、徐々に売れて行き、成功するまでのお話。

やはり圧巻なのは、派手な振り付けも加えたステージ・シーン。さまざまな角度から捕えられた短いショットの積み重ねがダイナミックで、黒人特有のハリと声量ある歌いっぷりも音楽ファンにはたまらない。

中心となるディーナ役、ビョンセ・ノウルズもいいが、もう一人の主役であるエフィー役のジェニファー・ハドソンが素晴らしい。そのパワフルかつダイナミックな迫力には圧倒される。

最初はリード・ボーカルを務めたものの、ルックスが映えない事からサブに追いやられ、グループからもはずれて辛酸を舐めるが、最後に仲間たちの温かい友情に迎えられるラストには思わず涙が溢れた。

特に、メンバーチェンジを告げられたエフィーが、その悲しみを誰もいない楽屋裏で切々と、しかしパワフルに歌うナンバー、"And I Am Telling You, I'm Not Going" が素晴らしい。あと、ノリのいいテンポの"One Night Only" も好きな曲。断然CDが欲しくなった。

ディーナたちがエフィーをメインから外す提案に対して、グループとしての成功を取るか、仲間の友情を取るか…と決断を迫られる辺りは興味深い。実話かどうかはともかく、業界でもよくある話なのだろう。

これで思い出したのが、ビートルズのメンバー交代にまつわる話である。
実はデビュー当時のビートルズのメンバーには、ドラマーはリンゴでなく、ピート・ベストがいたのだが、辣腕マネージャーのブライアン・エプスタインが、ピートを解雇し、別のグループにいたリンゴ・スターとの差替えを断行した。

その理由は諸説あり、今もって謎とされているが、マッシュルーム・カットにせよというエプスタインの方針を彼1人が断り、リーゼント・ヘアのままでいたというように、グループの中でやや浮いた存在であったのは確かなようだ。(結果論だが)、ピートがいたままならあれだけの世界的な大成功を収めたかどうか。エプスタインの決断は正しかったと言えるかも知れない。この映画は、そのエピソードも多少参考にしているのかも知れない。(なお、この話は昨年だか、NHK-BSでドキュメンタリー「ビートルズ誕生秘話/ピート・ベスト物語」として放映されている)

ドリーメッツのモデルとなったのは、あのダイアナ・ロス率いるシュープリームス。その他にも、実名こそ出ないが観れば誰がモデルかすぐ判る。エディ・マーフィー演じる人気絶頂のR&B歌手、ジェームズ・“サンダー”・アーリーはジェームズ・ブラウン(プラス何人かをミックス)、楽しいのは5人組の兄弟グループで、もう見ればすぐにジャクソン・ファイブと判る。おチビちゃんのリード・ボーカルは言わずと知れたマイケル・ジャクソンですね。

監督のビル・コンドンは、ミュージカル「シカゴ」の脚本で知られるが、この人には監督作として「フランケンシュタイン」の監督だったジェームズ・ホエールの晩年を描いた「ゴッド・アンド・モンスター」という秀作があり(アカデミー脚本賞を受賞)、人物を深く掘り下げる構成力の確かさは本作でも如何なく発揮されている。

ミュージカル・ファンには絶対のお奨めだが、’70年代のロック・ミュージック好きな方にもお奨めの、素敵なミュージカル映画の佳作である。     

 (採点=★★★★☆

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