「バベル」
(2006年・ギャガ/監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ)
ちょっと個人的な事を書きますと、現在三重県某市に単身赴任しております。
大阪と比べて困っているのは、まずレンタルビデオ屋が近くにない。居住先周辺には電車の駅もないし、足としてはバスだけなのだがこれが終発が早い。仕事が終わるのが深夜になるので結局日曜休日でないとどこへも行けない。映画館はワーナーマイカル1館だけ(それも遠い)。従ってミニシアター公開作品も観ることが出来ない。大阪だと上映中でもスタンプ屋へ行けば前売券が手に入るが、こちらにはそのスタンプ屋も見当たらない。大きな本屋もないし映画関係の書籍も手に入れにくい。…とないないづくし。
そんなわけで、映画好きにとっては非常に住みにくい環境です。…いや某市がド田舎と言ってるのではなく、大阪がいかに便利な街であるかという事を改めて再認識した次第。地方に住んでる方はきっと同じ思いをしてるんでしょうねぇ。文句言ったらバチ当りますね。
そんなわけで、映画を観る本数が昨年と比べて激減しております。ブログ書き込みが減ってるのもその為です(プラス仕事が忙しくてヘトヘトなのも)。申し訳ありません。もう2ヶ月はこの状態が続きそうです。
で、本作はそのマイカルで初日の土曜日に鑑賞。題材的には、ミニシアター単館公開が似合う作品だが、菊池凛子効果(?)のおかげでロードショー公開となって観る事が出来たのは幸いである。
確かに重い作品である。モロッコで、山羊飼いの少年が遊び半分で放った銃弾が、バスで旅行中のアメリカ人旅行客の妻・スーザン(ケイト・ブランシェット)に当たってしまう。その事によって、多くの人の運命が狂って行く。旅先で医者も病院もなく、大使館は国情の不安からなかなか医療ヘリを送れない。苛立つ夫リチャード(ブラッド・ピット)。一方、夫妻の留守宅で子供を預かるメキシコ人メイド・アメリア(アドリアナ・バラッサ)は、夫妻が帰って来ないので、メキシコで行われる自分の息子の結婚式に子供たちを連れて行き、そこでまた悲劇が起る。その頃日本では、聾唖の少女チエコ(菊地)が父(役所広司)との心の確執で悩み、人の愛を求めてさ迷っていた…。
昨年の「クラッシュ」を思わせる、異なる地域のそれぞれの人生模様を並列して描く中で、ちっぽけな地球に住む人間という不可思議な生き物の存在を奥深く見つめた秀作である。
3つのエピソードが交錯するだけでなく、時間もまたシャッフルされ前後するので、やや分かり難いが、慣れればそれもまた心地よいリズムとなる。
タイトルにある通り、これは旧約聖書のエピソード、神が人間のあさましさに怒り、言葉を乱し、人々を世界中にバラけさせた、“バベルの塔”の話をモチーフにしている。
言葉や人種の違いは、コミュニケーションの断絶を生み、現代に至るも人々はお互いを理解し合えず、戦争や憎しみ合いは依然絶えない。
この映画の中でも、登場人物たちはコミュニケーション不全に悩んでいる。リチャードとスーザンは夫婦の溝が深まり、その心の溝を埋めるべく中東を旅している。
そのコミュニケーション不全を象徴するのが、聾唖のチエコである。文字通り、言葉が伝えられないハンディに悩み、愛を求めてさ迷い、傷つく少女を体当たりで熱演した菊地凛子の熱演は見ものである。
よく、聾唖者があんな行動を取るだろうかとか、全裸になる必然性がないとかの批判を目にするが、イニャリトゥ監督の狙いは、“コミュニケーション手段を失った人間は他人とどう係りあって行くのか”という点にあり、彼女の存在はそのテーマをシンボライズさせたものなのである。言葉がなければ、人間は文字通り裸になって相手にぶつかるしかない。
そこからやっと人間は心が繋ぎ合えるのかも知れない。
モロッコで、重傷の妻を看護するうち、リチャードは人の薄情さと、また現地の人の親切さに触れ、そして妻との心の触れ合いを取り戻して行く。失禁しそうになった妻の排尿を助けるシーンは感動的である。リチャードが子供たちに電話しながら泣き出すシーンではこちらも涙が出た。
メキシコではアメリアが子供たちと砂漠をさ迷い、モロッコでは山羊飼いの少年たちが警察を逃れ山中をさ迷う。日本では少女がきらびやかな近代都市・東京の街で愛を求めてさ迷う…(「東京砂漠」という歌がありましたね(笑))。まさに人は迷い、彷徨を繰り返しつつ成長して行くものなのかも知れない。
(ややネタバレになるので、以下は映画を観た方だけドラッグ反転してください)
それぞれに人々は苦しい目に合い、絶望の淵に立たされるが、ラストでそれぞれにホッとする結末が用意されている。
スーザンは、かろうじて命を取り止め、退院する事が出来たし、砂漠で行方不明になった子供たちは奇跡的に救出されたと説明される。チエコは父に抱きつく事で父娘の心の溝は埋められた(と私は思いたい)。
そしてモロッコでは、兄は悲惨な結末となるが、弟はそれを見て、ライフルを叩き壊し、警官たちの前で許しを乞う。
銃というものがあるから多くの人が傷付き、人を不幸にする…。そういうテーマも含まれているように私は思う。折りしもアメリカでまた銃乱射事件が起きたし…。
↑ネタバレここまで。
人間とは、旧約聖書の時代から、間違いと傲慢さを繰り返す、愚かで悲しい存在であると言えるかも知れない。しかしラストにかすかな希望の光が見い出されるように、それでも神は人間たちに絶望はしていないのかも知れない。この物語でも、実は本当に悪い人間は一人も登場していない。
モロッコの弟が示したように、人は間違いに気付き、心から悔い改めれば、世界は少しでも良い方向に進むのかも知れない。
イニャリトゥ監督の人間たちを見つめる眼差しは、厳しいけれども、優しくそして温かい。
その眼差しに私はとても感動した。本年屈指の、これは見事な人間ドラマの秀作である。 (採点=★★★★★)
(以下はおマケです)
冒頭が高いモロッコの山で、ラストが東京の超高層マンションの上であるのも、まさに天に届くバベルの塔の象徴なのかも知れない。東京の場合はバベルならぬバブルの塔かも知れませんが(笑)。そう言えばディスコのシーンを含め、いくつか「バブルへGO!!!」と似たシーンがあったように思うのですが…。
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