「ロッキー・ザ・ファイナル」
(2006年・20世紀FOX/監督:シルベスター・スタローン)
1976年に作られ、翌年我が国でも公開された「ロッキー」1作目には感動した。貧しいイタリア移民のロッキー(スタローン)が、懸命にトレーニングを積み重ね、誰もが勝てるはずがない…と思っていたチャンピオンに無謀にも戦いを挑み、どんなに打たれてもしぶとく立ち上がり、ついに15ラウンドを戦い抜く(惜しくも判定負けにはなるが)。
この映画が感動的だったのは、“夢を決してあきらめず、夢に向かって努力すれば、いつかはその夢がかなう”という普遍的なテーマをストレートに描いた点にある。この作品はそれ故、無名の脇役俳優から、努力によって一躍アメリカン・ドリームを実現したスタローン自身の人生とも重なり合って、多くの人に、“夢を持ち続ける事の大切さ”を再認識させてくれた点でも評価されるべきである。私にとっても大好きな作品となった。
しかしその後シリーズ化され、次々続編が製作されるにつれ、1作目の夢よもう一度…と柳の下のドジョウを狙う姿勢がハナについて、私は次第に観る意欲を失って行った。従ってこのシリーズは3作目までしか観ていない。
そもそも、1作目があまりに完成度が高いと(その上最初は単発として作られた作品の場合余計に)、2作目以降はどんどんダメになって行くケースが大半である(例を挙げれば「ダーティ・ハリー」、「ジョーズ」、「スター・ウォーズ」、「ダイ・ハード」―これは2作目まではまあまあだったが―等々)。
だから、本作もあまり観る気はしなかった。何よりも、“60才になっても、まだシリーズやるのかよ。ええかげんにせんかい”と、いささか呆れてしまったのが本音である。
しかし、観てみると、前半こそかったるかったが、後半はどんどん物語に引き込まれて行った。
ボクサーを引退し、小さなイタリア料理店を経営し、時たま客に昔の武勇伝を語る日々…。安定はしていて不自由のない生活ではある。しかしロッキーの心の中には、恐らくは何か満たされないものがあったであろう。そして、現役チャンピオンとのシミュレーション対決をテレビで見たロッキーは、いても立ってもいられなくなり、遂に60才!という年齢も省みず、チャンピオンに挑戦する事となる。
60才になっても、安定よりは(無謀であろうとも)夢にチャレンジし続けるロッキー。…それは、僕ら中高年世代に対して、“いくつになっても、夢を追い求める心を失ってはならない”というメッセージを伝えているようにすら感じられる。
そしてまた本作には、嬉しい事に1作目とそっくりなシーンがいくつか登場する。詳しくは映画を観てのお楽しみだが、あのビル・コンティ作曲の有名な「ロッキーのテーマ」が高らかに鳴り響き、懸命にトレーニングしたり、あのフィラデルフィア美術館の階段を駆け上がるシーン等を見ていると、1作目の感動が蘇えり、すごくいい気分になって来る。そしてクライマックス、かなうはずのない強敵に立ち向かい、打たれても打たれても立ち上がるロッキーの姿を見ていると、知らず知らず涙が溢れて来た。あざとい…と分かっていても、つい興奮し、感動してしまうのである。
とにかく、1作目をリアルタイムで観て、感動した方には絶対のお奨めである。忘れているなら、もう一度1作目をビデオで見直してから鑑賞する事をお奨めする。そうそう、エンドロールも絶対席を立たない事。素敵なサービスショットがあります。
…で、気付いた事。この作品、1作目が作られてから、ちょうど30年目に製作されている。しかも、60才を超えた俳優が1作目と同じような役柄で、1作目と同じようなシーンを再度演じている。…これ、昨年公開された、市川崑監督作品「犬神家の一族」と同じパターンなんですね。
あちらも、1作目が大人気を呼び、次々と続編が同じ役者で何本も作られ、そして30年ぶりに同じ役者でリメイクされた。そしてどちらも1976年に1作目が製作され、共に2006年12月に(片や日本、片や全米で)!新作が公開された…。
私は新作の「犬神家―」を、「犬神家マスターズ・リーグ版」と名付けたが、「ロッキー・ザ・ファイナル」という映画も、ある意味では「ロッキー」マスターズ・リーグ版と言えるかも知れない。野球のマスターズ・リーグでも、かつての名プレイヤーたちが60才を超えても元気な姿を見せ、それを見ていると懐かしくて感動的な気分になる。―そう考えると、足の運びもパンチの繰り出し方もヨレヨレの還暦ロッキーが現役チャンピオンと対等に戦ってしまうというありえない展開にも、納得させられてしまうのである(……て思ったのは、私だけかな?)。 (採点=★★★★☆)
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