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2007年6月27日 (水)

「複眼の映像」(橋本忍・著)

しばらくぶりに、読んだ本の話です。

Fukugannnoeizou 橋本忍と言えば、黒澤明監督「羅生門」「生きる」、映画史上ベストワン「七人の侍」などの傑作、「真昼の暗黒」「切腹」などの問題作、「日本のいちばん長い日」「日本沈没」「八甲田山」などの大作、さらに、松本清張原作「張り込み」「黒い画集・あるサラリーマンの証言」「砂の器」、等々、日本映画界に常に旋風を巻き起こして来た天才的な脚本家である。その橋本忍の自伝が本作である。

ただし、副題に「私と黒澤明」とあるように、これは著者が黒澤明と出会い、そしてどうやってあれらの素晴らしい傑作を生み出すに至ったか、さらには著者がタッチしていない黒澤作品にまで、脚本家の立場からその問題点を的確に指摘しており、言わば本著は、“タッグを組んだ脚本家・橋本忍から見た黒澤明論”なのである。

一介のサラリーマンだった橋本が、いかにして脚本家になったか…その経緯においては、実に数奇な運命の巡り会わせがある。“あの時、病気にならなかったら”、“その病室にあの人物がいなかったら”、“あの名脚本家の弟子にならなかったら”、“橋本の脚本を預かった人物が黒澤と親しくなかったら”、など、どの要素が抜けても名脚本家・橋本忍は生まれなかったかも知れない。 

これらの経緯については、黒澤作品のスクリプターを永年務めた野上照代・著による「天気待ち」にも書かれてあるが、本人が語ると一層の迫力があリ、読み応えがある。

その運命の偶然、事実は小説より奇なりとでも言いたくなるあまりの出来過ぎぶりや、映画「羅生門」完成までのスッタモンダ、国内の思わしくない評価から、松竹作品「白痴」の酷評による失意、そしてベネチア・グランプリ受賞までの波瀾万丈の展開は、まさにどんなフィクションよりもドラマチックで感動的である。これは是非どこかの局でテレビドラマ化して欲しい。

黒澤映画の脚本の成立過程も興味深い。あの名作、「生きる」「七人の侍」等の素晴らしいシナリオがいかにして出来上がったのか、その秘密が本著で初めて明らかになっている。

特に面白いのは、どちらの作品とも、クレジットに共作となっている小国英雄が実際にはほとんど脚本を書かず、橋本と黒澤が書いたものをチェックするだけの立場だったという点である。「横で英語の書物を読んでるだけで、一切筆を執らず、出来上がって来たものに目を通して多少のダメを出すだけだった」そうだ。
しかしむしろ、黒澤自身も小国を“司令塔”と呼んでいるように、的確なジャッジを下す司令官がいてこそ、作品の欠点が補正され、更にいい作品が生まれるのかも知れない。

その次の「生きものの記録」以降は小国も脚本執筆陣に加わり、橋本らと同時進行で脚本作りを行う方式に変更されるのだが、逆に司令塔がいない為に脚本の欠点が是正されず、橋本曰く「この方式により作り出された脚本はみな失敗だった」という事になるのである。戦争でもスポーツでも、高所から全体を俯瞰し、適切な戦略構築を行い、指揮を執る司令官の存在がいかに重要か、よく分かる話である。

「七人の侍」が誕生するまでの経緯もとても興味深い。最初はある侍の一日を淡々と追う話を書いて見たが、この物語では昼の弁当が重要なポイントとなる。ところが舞台となる江戸時代初期にはまだ一日2食が普通だった事を知り、橋本は苦渋の末にこのシナリオをボツにする。

普通のライターだったら「どうせ誰もそんな事知らないのだから構わないさ」とばかりにそのまま押し切るだろう。ところが橋本は「嘘は書けない」と言うポリシーを頑迷に守ろうとするのである。…橋本が何故日本有数のシナリオ・ライターになったか、このエピソードがその理由を物語っている。

後段で面白いのは、黒澤晩年の「影武者」「乱」を、失敗作だと断言し、その原因は脚本チームにあると指摘している点である。自分の商売仲間であっても、悪いものは悪い…と言い切っている辺り、それらの人々が既に鬼籍に入られているとはいえ、なかなか書けるものではない。…これは、己に厳しい橋本であってこそ、そして今なお橋本をしのぐ優れた脚本家が生まれていない現状だからこそ書ける文章であろう。

とにかく、これは映画ファン―とりわけ黒澤映画ファンは必読の本である。あまりに面白くて私は3度も読み返したくらいである。

なお、本著は昨年の、キネマ旬報誌が選ぶ「映画関係書籍ベストテン」で堂々2位にランクされている。まあ当然であろう。

ちなみに1位は、田草川弘氏の「黒澤VS.ハリウッド」(欄外お薦め本参照)。これも私が昨年読んで感銘を受けたノンフィクションの傑作であり、文句のない所である。

それにしても、映画本のベスト1~2位がいずれも黒澤がらみである点もまた興味深い。黒澤明が、いかに偉大な映画作家であったか、この事が証明しているといえるだろう。 (文中敬称略)

 

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