「河童のクゥと夏休み」
原恵一監督と言えば、「クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶ、モーレツ!オトナ帝国の逆襲」、「同/嵐を呼ぶ、アッパレ戦国大合戦」の2本のアニメで、子供ではなく中高年のオトナたちを大感動させたアニメ界の鬼才である。無論、私もこの2本は劇場でリアルタイムで観て絶賛した(それぞれの批評については作品名をクリックして ください)。
子供向けアニメの枠の中で、ゲリラ的に自分の作りたい映画を作って来た原監督の戦略は見事であった。それでいて、子供たちにもしっかりとしたメッセージを伝える事にも成功しており、“子供向けアニメであっても大の大人を感動させる事は可能である”という結果を示した事で、これはまさに画期的な事件であり、映画史に残る快挙であった。
その原監督が、5年の沈黙を破って新作を発表した。題材は、木暮正夫の原作を元にした、少年と河童の子供との交流を描いたものであり、ジャンルとしてはやはり子供向けのファンタジー・アニメである。
並みの監督なら、「E.T.」とか、ポケモンまがいの、ごく普通のありふれた子供向けアニメになるところであろう。
しかしさすが原監督、さまざまな深いテーマを内在させ、やはり我々映画ファンの心を打つ見事な秀作に仕上げている。
素晴らしいのは、何気ない日常生活描写の確かさである。河童を拾った康一少年の家族4人の、それぞれのキャラクターがきちんと描けているし、康一のほのかな初恋も、ちょっとした会話やリアクションを通して実に自然に表現されている。
アニメにおけるこうした日常描写のきめ細かさは、高畑勲監督作品にも通じるものがあるし、演出も高畑作品からの影響が感じられた。例を挙げれば、プールサイドで同級生の紗代子と康一が会話するシーン、うっかりすると見過ごしがちだが、康一の返事に紗代子がニコッと微笑む所で、紗代子の頬に一瞬、“えくぼ”が出るのである。これは高畑監督の「おもひでぽろぽろ」(91)で、主人公タエ子が幼馴染のトシオと会話するシーンで、タエ子の頬にえくぼが描かれたのと同じ手法である。他にも、脇の人物のちょっとした仕草や会話もリアルである。
高畑監督作品における日常生活描写の確かさは定評があるが、原監督はこれらの描写から見ても、高畑リアリズムの正統な後継者と言えるのではないだろうか。
そして、もう一つの特徴は、人間という存在に対する鋭い批判精神である。冒頭からして、クゥの父親がエゴイスティックな代官によって無残に斬り殺される。子供には刺激が強いと思われるこうした人間の残酷な側面も、原監督は容赦なく描く。学校におけるイジメ、河童を取材するマスコミ人種や野次馬たちの傍若無人ぶり、河童のような異生物が人間と共存出来なくなった現代社会状況に対する鋭い批評精神と観察眼…が作品ムードを壊す事なく巧妙に配されている。
さらには、康一一家が飼っている、“おっさん”と呼ばれる犬の存在である。普通は単に、一家のペットとして点景にしか過ぎない存在であるこの犬が、実は前の飼い主に虐待されていたという過去が明らかになる。人間とは、かくも愚かしく悲しい存在である事がさらに強調されるのである。おっさんの悲しい最期は泣ける。
映画全体を覆う、こうしたきめ細かな観察眼が、この作品を、単なる子供向けアニメという枠を超えて、幅広い世代に向けてメッセージを放つ骨太の秀作として成立させているのである。前述の、2本の“クレしん”アニメに見られた、原恵一の大人のエゴイズムに対する痛烈な批評眼はここでも健在であり、その視点はまったくブレていない(「戦国大合戦」でも、大人たちが始めた戦争によってバタバタ人が死んで行く。子供向けアニメでここまで人間が大量に死ぬのは空前にして絶後であろう)。
過去に、子供向けアニメ・シリーズの中で、自分のやりたい世界をゲリラ的に構築した例としては、押井守監督の「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」(84)があった。
しかし、押井作品が、あまりに自分の世界に没入したが故に、子供たちや原作ファンからは総スカンを食らってしまったのとは対象的に、原作品は決して映画を見にやって来た子供たちをおきざりにはしない。子供が見ても十分楽しい作品としても成立させている。
大人たちの残酷さやエゴイズムを描いたうえで、それでも子供たちに「君たちもやがては大人になって行くのだよ。でも、決してこのような、子供の心を忘れた愚かな大人にはならないで欲しい」というメッセージを伝えているのである。
私は本作も含めた原恵一作品に、異なる2種類の視点を感じ取った。
1つは、子供の目線である。低い位置で、じっと子供たちと同じ視点で子供たちを描いている。従って子供の観客にも十分共感できる世界がそこにある。
そしてもう1つは、その子供たちや、彼らを取り巻く大人たちを醒めた視線で観察する、言わば“神の目線”とでも言うべき視点である。
普通は、作品における目線は1つである。天才、宮崎駿の作品ですら、「トトロ」は7歳と4歳の子供の目線で物語が進むし、「魔女の宅急便」では13歳の少女の、「千と千尋-」では12歳の子供の、「紅の豚」は中年男の、「もののけ姫」は少年アシタカの目線でそれぞれ描かれており、その目線から逸脱する事はない。それが普通である。複数の視線を持つ例としては、実写を含めてもやはり高畑勲作品「火垂るの墓」くらいしか思いつかない。
ところが原作品では、常に子供の目線を保ちながら、なおかつ“神の視点”で彼らを取り巻く大人たちをも冷ややかに見つめ、その愚かしさを子供の視点から逆照射し、糾弾するのである。
これはよく考えたら凄いことである。原恵一以外に、誰がこんな事をやれるだろうか。本作の、そして2本の「クレしん」アニメの素晴らしさ、凄さはそこにあるのである。
上映時間は2時間20分と長いが、決して退屈する事はない。原監督の熱い思いがぎっしりと詰め込まれていて、最後はジンと胸が熱くなる。クゥと康一が遠野の川で泳ぐシーンの躍動感、美しさは永遠に忘れがたい。傑作である。必見!
(採点=★★★★★)
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コメント
こんにちは。
TBありがとうございました。
えくぼには気づかなかったです。
高畑監督の作風に似ているとは思いましたが…。
投稿: えい | 2007年9月15日 (土) 08:21
クレヨンしんちゃんは大好きで、「ブリブリ王国の秘宝」が最高傑作と思っており、子供が大きくなっちゃってから見てませんでしたが、そうですか。そんな大傑作あるんですね。絶対観てみます。
投稿: omiko | 2007年9月17日 (月) 15:26
>えい様。
実は映画を観る前に本屋で本作品の「絵コンテ集」を立ち読みして、“えくぼ”が意識的に描写されている事を知って、それで注意して見ていたのです。普通なら見逃したかも知れません。
高畑作品との類似と言えば、“開発と環境破壊によって棲みかを追われて行く動物や妖怪たち”を描いた「平成狸合戦ぽんぽこ」ともテーマが共通してますね。
>omiko様。
クレしんのアニメ2本は是非見てください。多分omikoさんなら絶対感動すると思いますよ。保証します(笑)。
投稿: Kei(管理人) | 2007年9月17日 (月) 16:38