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2007年9月 9日 (日)

テレビ版「天国と地獄」

テレビ朝日系で9月8日に放映された、黒澤明監督作品のドラマ化「天国と地獄」を観た。

Tengoku2_2  私はテレビドラマはほとんど観ない。忙しくて時間がない事もあるが、正直言ってつまらない作品が多いからである。積極的に観ているのは、三谷幸喜脚本作品くらいだろう。

そんな私が観る気になったのは、演出が鶴橋康夫さんだったからである。この人の演出なら、まあ酷い出来にはならないだろうと思った。

で、観終えての感想…。さすがオリジナルがずば抜けて面白いだけあって、それなりに鑑賞に耐える出来になっていた。

元の脚本(黒澤明・菊島隆三・久板栄二郎・小国英雄)をほとんどそのままに使っていたが、やはり名シナリオである。改めて凄さに敬服した。今の時代、これほどの脚本を書ける人はまずいない。

本作を観て再認識したのは、窮地に追い込まれた人間が、そこでどう苦悩し、どんな葛藤を経て人生最大の決断するに至ったか、そのプロセスが実に無理なく、きめ細かに描かれていた点である。

自分のお抱え運転手の子供が、自分の子供と間違われて誘拐され、その身代金を自分が出さなければならなくなる。しかもその金は全財産を投げ打って会社乗っ取りの為に用意したものである。身代金を渡せば自分は破滅する。最初は他人の為に金なんか絶対出さないと突っ撥ねていた権藤(佐藤浩市)が、自分の妻や運転手に懇願され、片方では権藤の片腕の部下、河西からは絶対出すな…と説得され、両者の間で心が揺れ動く、その人間のエゴと良心の相克、人間感情のぶつかり合いがスリリングで一瞬たりとも目が離せない。

この物語が面白いのは、単なるサスペンス・ドラマを超えて、自分がもしそうした状況に直面した場合、いかなる決断をしなければならないか ――  人は他人の為にどこまでしてやれるのか ― を一緒になって考えさせられ、そしてテーマとして浮かび上がるのは、“人間とは、人間の良心とは何なのか”という点に行き着く、奥の深さである。

鶴橋演出も、そのテーマの重要さを認識していると見え、この部分にかなり力が入って、見応えあるシークェンスとなっている。―その為、時間の制約で後半の捜査会議や、刑事たちが足でコツコツと犯人の足取りを追う部分がかなりカットされているのは残念である。尤も、それらを描いていたらCM入れて3時間くらいはかかってしまうだろうが。

難点もいくつか。まず主役の権藤を演じる佐藤浩市。線が細くて叩き上げの常務取締役には見えず貫禄不足である。それに時代の違いもあるが「ワシだって金を出してやりたい。だがどうにもならんのだ」という大時代なセリフには似合わない。犯人の竹内役、妻夫木聡も、貧乏が身に染み付いて心が荒んだ、冷酷非情な犯人には見えない。まあ今の時代、そんな役者を探すのは困難である事は認めるが…。

現代を舞台にするには、いくつかの無理もある。オリジナルでは暑い夏の最中、汗だくになって歩き回る刑事や、額に脂汗を浮かべている犯人…等が描かれていたが、舞台が小樽という事もあってか、みんな涼しそうで、汗まみれの人物はいなかったように思う。だいたい当時と違い、今時どんな安アパートだってクーラーはついてるだろう。だから、オリジナルでは説得力があった犯人のラストのセリフ、「僕のアパートの部屋は、冬は寒くて寝られない。夏は暑くて寝られない」(これが動機に繋がる)がどうにも浮いてしまうのである。

Highandlow オリジナルでは、汗だくで歩き回る刑事が権藤邸を見上げて思わず「ホシの言い草じゃないが、ここから見るとあの屋敷は腹が立つな」とつぶやいてしまうシーンがあるが、刑事ですらそう吐き捨てたくなるほど、当時は金持ちの大邸宅が大衆のやっかみの対象だったのである。ほとんどの国民が中流意識を持ってしまった現代では、その感覚は到底理解出来ないだろう。その点でも犯人の動機がいま一つ弱く説得力を持たない。

さすがに、映画にあった、裏通りに入れば貧民窟やヘロイン中毒患者の吹き溜まり…等はカットされているが、それでもネットでドラッグが簡単に手に入る時代、犯人の手足となったヘロイン中毒者夫婦が、分け前の金があるのに竹内に対して「ヤクをくれ」と脅迫するのはどう考えてもおかしい。

オリジナルでは、かなりユーモラスな会話ややり取りがあって、重苦しい話の息抜きになっていたが、それらがことごとくカットされていたのはどうしてか?(例えば田口刑事のセリフ「ひでえもんだ。裏の塀から出たり、また戻ったり、これじゃ刑事なんだか泥棒なんだか分かりゃしない」、「いいか、デカってツラすんじゃねえぞ」「僕は大丈夫ですけど、ボースンのその顔は整形手術でもしないとね」)あるいは、電車の音から路線と車種を擬音入りでユーモアたっぷりに解説する駅員(沢村いき雄。絶妙)、ラストで金は戻ったものの、権藤の家財は差押競売され、ソファに赤紙が張られ刑事たちが思わず腰を浮かす場面…等々。その度に大笑いしたものである。

こうした、緩急自在の演出が作品に厚味をもたらしていたのだが、鶴橋さんは真面目すぎるのだろうか。私には一本調子に感じられてちょっと残念であった。

 

まあそんな訳で、オリジナルを知らなければそれなりに緊迫感に満ちた、今のテレビドラマの中では水準以上の出来にはなっていたが、やはり黒澤作品の方が何倍も面白いし何度見直しても堪能出来る(まあ黒澤作品と比べるのが度台無理なのだが)。未見の方は、是非レンタルビデオでもいい、黒澤作品を観る事をお奨めする。

9日の「生きる」はどうにも観る気が起きないですね(笑)。

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コメント

「蜘蛛巣城」が世界中のどんな「マクベス」よりも優れていたように、ケネス・ブラナーの「魔笛」がどんな「魔笛」より優れています(なんて、ほかの見てない私が言う資格ありませんが、そう確信します)。
私のここ20年の中での最高傑作です。

投稿: omiko | 2007年9月13日 (木) 14:49

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