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2007年11月30日 (金)

「ボルベール<帰郷>」

Bolbel (2006年・スペイン/監督:ペドロ・アルモドバル)

ペドロ・アルモドバル監督の作品はいくつか観ているが、どうも相性が悪いと言うか、感銘を受けた作品がない。「オール・アバウト・マイ・マザー」はそれでも前半はなかなか良かったが、体調が悪い時に観たせいで途中で寝てしまった。

本作もそんな訳で、も一つ気乗りがせず見逃したままになってて、ようやく家の近く、千里セルシーシアターでやってたので観に行った。

観出すと、これが凄く面白い!グイグイ引きこまれた。これまでの作品とは違って(全部観ているわけではないが)、殺人があり、謎があり、ミステリー・タッチで、それでいてトボけたユーモアもあり、楽しく観れた。

これまでのアルモドバル作品と同じで、やはり女たちがたくましい。主人公ライムンダ(ペネロペ・クルス)は、夫が失業すると、即座に仕事を見つけ、テキパキとこなす。夫の方は酒ばかり飲んで仕事にも出ず、あげくに(血は繋がっていない)娘をレイプしようとして包丁で刺し殺されてしまう。なんとも情けない存在である。そして以後、主要人物としては男はほとんど登場しない。すべてにおいて、女たちたくましく、図太く、したたかな生き方が強調される事となる。

ライムンダは夫の死体を、空き家となった隣のレストランの冷凍庫に隠す。ちょうど同じ頃、彼女の昔世話になった伯母が亡くなった事を知る。死体の始末でそれどころではなく、姉のソーレ(ロラ・ドゥエニャス)が葬儀に向かう事になるが、伯母宅でソーレは、3年前に火事で亡くなったはずの母・イレーネ(カルメン・マウラ)の姿を見てしまう。果たして母は幽霊なのか、それとも…。

――と、物語はどんどん意外な方向に展開して行く事となる。やがてライムンダは厚かましくも(笑)、死体を隠したレストランを無断で経営し、周囲の女たちも巻き込んでしたたかに生きて行く。この生き方が爽快で、女という生き物はなんてたくましいのだ…という女性讃歌が盛大に奏でられる事となるのである。

ペネロペ・クルスのたくましさを強調する為か、彼女が調理している時、カメラが真上から、彼女の豊満なバストの谷間を捕えるシーンがある。また監督は、ペネロペのお尻に詰め物をさせ、お尻をデカく見せる工夫もしたとの事である。

Sophialoren アルモドバルは、ライムンダのキャラクターは、ソフィア・ローレンをイメージさせたと言っているが、そう言えば確かに彼女はヴィットリオ・デ・シーカ作品(特に母と娘が強姦される「ふたりの女」)におけるソフィア・ローレンの強烈な存在感を思い起こさせる。彼女も確かにバストとお尻がデカいイメージがある(笑)。

レストランで打ち上げパーティが催されたとき、ライムンダはギターの伴奏で、タンゴの名曲「ボルベール」を歌う。これが映画タイトルの由来なのだが、歌いながら、さまざまな思いがこみ上げ、涙する、このシーンも感動的である。

その後、夫の死体を埋めに行くシーンがあるが、1人では無理なので近所の女たちに手伝わせる。深夜、でっかい冷凍庫を車に乗せるだけでも怪しいのだが、女たちは何も言わない。あげくに穴掘りまで手伝わせるが、その手伝った女が、「どうせ私たち、共犯なんだから」と呟くシーンでアドモバルの意図が分かる。女たちは感づいてて、知って手伝っているのである。出来の悪い男なんか死んで当然、女は女同士、みんなで助け合い、図太く生きよう…という連帯意識がここでも強調されるのである。

そして映画はラストに至って、さまざまな謎(娘の本当の父は誰なのか…も含め)が一気に解き明かされる衝撃と感動のクライマックスを迎える。ここでは書かないが、改めて女の強さ、したたかさを知らされる、見事な脚本にうならされる。

カンヌ映画祭では、主演女優賞になんとこの映画の6人の女優(ペネロペ以下カルメン・マウラ、姉、娘、伯母、その隣人)全員まとめて選ばれたという。この映画の主演は1人ではなく、女たちすべてが主役だ…という事を示している。

ゲイだと言われているアドモバル監督、どうしてこんなに女たちの気持ちが理解できるのだろうか。不思議である。

私と同様に、これまでのアドモバル作品に馴染めなかった人や、一般の映画ファンが観ても十分楽しめ、堪能出来るだろう。個人的にはアドモバル監督作品中の最高傑作ではないかと思う。必見である。      (採点=★★★★★

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2007年11月28日 (水)

「点と線」

Tentosen_3 11月24日~25日の2夜にわたってTV朝日系で放映された、松本清張原作「点と線」を観た。

TV朝日のドラマと言えば、9月に放映された、黒澤明監督作品のリメイク「天国と地獄」「生きる」が記憶に新しいが、どちらもガッカリする出来であっただけに、少々不安ではあったのだが…(とりわけ「生きる」は酷かった。松本幸四郎が超ミスキャスト。65才とは思えない、元気で若々しい姿に、「君はどうしてそんなに若くいられるのだ」という劇中のセリフをそのまま本人に返したくなったよ(笑))。

観終わっての感想― 予想以上に面白かった。最近のテレビドラマでは(と言ってもそんなに観てはいないが)水準以上の出来であった。推理ミステリー・ファン、特に原作ファンの方にはお奨めである。

面白かった原因を挙げるなら、まず原作が非常に良く出来ていて、巧妙に仕組まれたアリバイを刑事たちが地道な努力で一つ一つ解明して行くプロセスがスリリングで、舞台が昭和32年という古い時代であるにもかかわらず、まったく古臭さを感じさせない点である。CGも駆使した、昭和32年当時の風景や小道具等も、「三丁目の夕日」とまでは行かないがよく頑張っている。また現存するSLが何種類か登場するのも楽しい。

特に、出入りの業者と政治家・官僚が結託した省庁の汚職事件、という背景が、現在の防衛省を舞台とした事務次官と山田洋行元専務との接待・癒着事件とドンピシャリ符合するというタイムリーさもあって、50年前も今も、汚職の構造はまったく変わっていない事を再認識させられた。笑うのは、額賀財務大臣が宴席にいたというアリバイと、野党側がそれをどう崩すかという、まさにドラマを地で行く展開で、テレビ局側もまさかこんな事になるとは、ドラマを企画した時点では夢にも思わなかっただろう(笑)。

もう一つは、ビートたけし扮する、博多署の刑事、鳥飼重太郎のキャラクターを、原作よりもかなり膨らませた点である。原作では鳥飼は、最初の方に少し出て来るだけで、東京にも行っておらず、捜査は若い三原刑事が1人飛び回り奮闘する。またドラマでは鳥飼は妻を亡くしているが、原作では健在である。鳥飼が戦争でグラマンの機銃掃射を受け、弾がまだ体内に残っているという設定も原作にはなく、ドラマの創作である(脚本は竹山洋)。

この鳥飼が、よれよれの背広に帽子と、見かけは冴えないが、些細な疑問(特急の食堂車の領収書など)から、事件は心中ではなく殺人だと見抜き、鋭いカンと地道な捜査でアリバイを突き崩して行く…という展開に、これはまるで「刑事コロンボ」だ、と思ったのだが、原作でも「よれよれのオーバーを着た、痩せた風采の上がらぬ男」「洋服もくたびれていた」と書かれてあり、また犯人が会社社長というステータスの高さを持ち、巧妙なアリバイ・トリックを考案したり、鳥飼らの捜査や尋問で犯人側が少しづつ馬脚を現わして行く展開といい、もうほとんどこれは「コロンボ」の原型と言っていいかも知れない。ドラマでも鳥飼が「私は最初から怪しいと思ってました」と、コロンボとそっくりのセリフを言ってるし…(しかし原作を知らない視聴者は逆に「これはコロンボのパクリだ」と思うかも知れない(笑))。

まさか、リチャード・レヴィンソンとウィリアム・リンクの二人、この小説をヒントに「刑事コロンボ」の原案を作り上げたのでは…と余計な事まで考えてしまった(多分海外でも翻訳されているはず)。

ただドラマではこの鳥飼が、カッとなると無茶苦茶暴れて三原をぶん殴り、刑事たちと大乱闘するという具合に、ほとんど「その男、凶暴につき」状態となる(笑)のはちょっとやり過ぎ。すごく頭が冴えてる名探偵なのだから、暴力を振るってはキャラクターぶち壊しである。

また冒頭とラスト、中間に、現在(50年後)の三原(宇津井健)と鳥飼の娘(池内淳子)が登場するのも不要。大して登場させる意味もないし、流れが寸断され逆効果である。

真相は究明したものの、結局政界の巨悪はヌクヌクと生き延び、「悪い奴ほどよく眠る」決着に鳥飼が三原に怒りをぶつけるエンディングも、どうも座りがよろしくない。三原にあたっても仕方ないのだから。
どうせならラストは、三原が、国会議事堂をキッと睨みつける…という風に「誇り高き挑戦」(政財界の黒い霧を描いた深作欣二監督の秀作)のラストそのまんまにすれば、今の政界への皮肉にもなって面白かったのですがね(笑)。

まあそういった不満はあるが、脇役に至るまで贅沢な出演者の顔ぶれに、警視庁の刑事たちが次第に鳥飼の人間性に尊敬の念を抱いて行くプロセス(博多に帰る鳥飼に、刑事たちが深々と頭を下げるシーンが感動的)…がなかなか見応えがあり、1・2部合わせて4時間半という長時間にもかかわらず、ダレることなく面白く観れた。

脇役では、博多署の捜査課長・平泉成、田中係長・小林稔侍、警視庁の笠井係長・橋爪功、お時の母・市原悦子―がそれぞれベテランらしい味のある巧演。ただ安田辰郎役の柳葉敏郎はちょっと貫禄不足。もっとうまい役者を持って来るべきだった。

 

(参考)
原作は昭和32年から33年にかけて、雑誌「旅」に連載された。旅行雑誌なので、主人公たちは日本中を旅する訳である。なお、トリックに使われる時刻表は、昭和32年当時の本物の時刻表通りである。なお昭和33年には東映で映画化もされている(監督・小林恒夫)。

後に、西村京太郎や島田荘司が発表しベストセラーとなった“トラベル・ミステリー”は、すべて本作が原典だと言えよう。
アリバイ・トリックの秀逸さといい、コロンボへの影響(?)といい、本作はいろんな点で推理サスペンス・ミステリーの古典と言える傑作である。

細かい事だけど、ドラマの中で、香椎駅前の踏切で電動式遮断機が出て来るが、当時はまだそんなものはなく、踏切の近くに必ず小屋が設置され、踏切番の職員が手動で遮断機を上げ下げしていたはずである。

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2007年11月21日 (水)

「ディスタービア」

Disturbia (2007年・ドリームワークス/監督:D・J・カルーソー)

父の死が元で暴行事件を起こし、自宅から半径30メートル以上は出てはならないという裁定を受けた少年が、退屈まぎれに友人と近所の家を覗いているうち、隣人の男が殺人犯ではないかと疑いを抱く。

…というストーリーを聞けば分かる通り、これはA・ヒッチコック監督の秀作「裏窓」のシチュエーションをそのまんま拝借した作品である。リメイクと言ってもいい。

ただし、主人公ケール(シャイア・ラブーフ)は高校生であり、家から出られないケールに協力して動き回るのも、同級生のロニーや隣の可愛い女の子アシュリー(サラ・ローマー)だったりと、全体的に青春映画の味付けもされている。ケールが事件を起こしている為に、なかなか母親にも警察にも信用して貰えない状況がサスペンスを生み出している。またGPS監視により、30メートルをはみ出すと警察が飛んで来るシステムが足枷であると同時に、危機状況では警察を呼ぶ道具にもなるという設定を巧妙に生かしたシナリオがうまい。

こういう話は、だいたいどういう展開になるか、先は読めるし、またその通りに進んで行く。

従って、映画の興味は謎解きよりも、次々と襲い来る危機、絶対的なピンチをどう脱出し、どう逆襲するか、という辺りにポイントが絞られる。

ここら辺りの描写は、ホラーとか、おぞましさ等は極力抑えられ、とにかく悪い奴に追いかけ回される子供たちの冒険譚のような描き方である。どちらかと言うと、ハリー・ポッターのような味わいに近い(少年2人と少女1人の組み合わせはまさにハリポタ・シリーズのハリー、ロン、ハーマイオニーの3人組を思わせる)。

(以下、重要なネタバレを含みますので隠します。映画を観た方のみドラッグ反転してください)
子供たちが力を合わせ、捕えられた母を助ける為に活躍し、大冒険の末に悪を倒し勝利する…という展開が、パターン通りではあるが安心して観ていられる。こうした、少年冒険活劇の王道を行っているが故に全米興行成績では3週連続1位という好成績に繋がったのだろう。

そして楽しいのが、「裏窓」に留まらず、いろんなホラー・サスペンス映画に対するリスペクトが随所に見られ、映画ファンは余計楽しめる。以下いくつか挙げてみよう。

正体を現わした犯人(デヴィッド・モース)が、ケールを追っかけ、部屋のドアをぶち破るショック演出は、「シャイニング」と同じ。モースがまるであのジャック・ニコルソンに見えます(笑)。

ケールが母を捜し、犯人宅の地下室でミイラ化した女性の死体を見つけ、仰天する所は、これもヒッチコックの「サイコ」を思い起こさせます。ただ、ここはもう少しショッキングな演出が欲しいところ。ヒッチの演出テクニックを徹底マスターしたスピルバーグの「ジョーズ」を見習って欲しいところ。なお、犯人がカツラをかぶって女装し、1人二役を演じていた…というくだりもやはり「サイコ」へのオマージュと思われます。

さらに地下にもぐると、何故かカタコンベのような地下壕が。ここで板を踏み外し、水溜りに落ちると、水中から死体が浮き上がり、悲鳴を上げる所、やはりスピルバーグ製作の「ポルターガイスト」(トビー・フーパー監督)のラストとそっくりになる。

↑ネタバレここまで。

突っ込もうと思えば、いくらでもアラはあるし、無理な所もある。

しかし、こういうB級作品(出演者も地味だし、予算も大してかかっていない)は、単純に観客が主人公と同化し、何も考えずにハラハラ、ドキドキすれば十分楽しめるものである。作品世界に入ってしまえば、細かい点なんかは気にならなくなる。

言ってみれば、おバケ屋敷に入って、分かっていてもいろんな仕掛けに他愛なくドッキリさせられ、あーコワかった…と楽しんで出て来るようなものである。「あんなの、中に人間が入ってるだけだよ。何が面白いんだ」と覚めた態度で文句を言ってる人間には、おバケ屋敷(=B級映画)の楽しさは分からないだろう。

映画を楽しむ…とは、そういう事なのである。

映画が本当に好きであるなら、映画をもっと素直に楽しんで欲しい。それによって、映画をもっと愛せるようになるだろう。      (採点=★★★★

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2007年11月18日 (日)

「ヘアスプレー」

Hairspray (2007年・ニュー・ライン・シネマ/監督:アダム・シャンクマン)

私は、以前に書いたように、ミュージカルが大好きである(それについては別項「ミュージカル映画の楽しみ方」を参照)。

それも、「レント/RENT」とか「オペラ座の怪人」とかのように、現実社会を反映していたり、ダークな部分があったりする作品よりは、「プロデューサーズ」や、かつてのジーン・ケリーやフレッド・アステアが活躍していた頃のMGMミュージカルのように、ひたすら明るく、ノー天気に楽しめる作品群の方が好きである。大いに笑って楽しんで、映画館を出た後も、ハッピーな気分で余韻に浸り、時には映画の中で歌われたメロディを口ずさんだり…そんな方がストレス発散になって精神衛生上も非常によろしい。

さて、この映画、舞台は1962年のアメリカ・ボルチモア。いきなり主人公のおデブな女子高生・トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)が朝、目覚めて学校に行くまで、ずっと歌い踊る楽しいシーンから始まる。ここでミュージカル・ファンなら一気にノレる。これこれ、これがミュージカルである。

彼女は自分の体形にまったくコンプレックスを持っておらず、実に明るく、ポジティブに生きている。この設定がとてもいい。この出だしによって、この映画は単に楽しいだけに留まらず、「自分の容姿にコンプレックスを持つなんてつまらないよ。明るく生きていれば、いつか良い事だってきっとあるよ」と、世の悩む人たちに語りかけているのである。

彼女はテレビの「コーニー・コリンズ・ショー」に夢中になり、出演者募集に応募しようとする。母親のエドナ(なんとジョン・トラボルタ!)は「あたし達はそんな夢を見たって適うわけがないの」と猛反対する。これが世間一般的な常識。

ところが、父親(クリストファー・ウォーケン)は「やりたいことがあるなら好きにやればいい。ここはアメリカだ」とトレーシーを励ます。この親父のキャラクターもいい。ウォーケン、久しぶりの儲け役である。

彼女に引っ張られるように、親友ベニーも、頭が上がらなかった母親に反撥し、ショーに出て、人種の壁を越えた恋に落ちる。そして、自分の体形を気にして外に出る事もはばかっていたエドナも、娘の元気ぶりに感化され、どんどん元気になって行き、ラストではテレビカメラの前で思いっきり楽しそうに歌い踊るまでになる。重い特殊メイクのボディ・スーツをものともせず踊り跳ねるトラボルタが大熱演。これも見ものである(あんまりトラボルタと意識せずに観る方がよろしい)。

また彼女は、意地悪な番組プロデューサー(ミシェル・ファイファー)が黒人出演者たちを番組から排除しようとすると、“黒人差別反対”のデモの先頭に立ち、警官を殴ったとして警察から追われる事になる。1962年当時は南部地域ではまだ根強い黒人差別があり、公民権運動が盛んになり始めた頃でもある。そうした時代の空気もこの映画は巧みに取り入れている。
―ただ、映画はあくまでコメディ・タッチ、トレイシーを捕まえようとする警官たちは、まるでチャップリン映画に出て来る警官のように、徹底してドジでマヌケなコメディ・リリーフ扱いで、ラストはファイファー親子は番組から締め出され、トレーシーや黒人グループが全面勝利する。どこまでもノー天気で明るいコメディ・ミュージカルなのである。

まあ、世の中の現実はそんなに甘くはないかも知れない。でも、どんな困難に直面しても、くよくよ悩まず、常に前向きにチャレンジする意欲を持ち続けていれば、道は自ずと開けるものなのだ…というこの作品のテーマはとても素晴らしい。

そう、どんな人間にだって、夢を抱く権利はある。始めから諦めたら、かなう夢だって逃げて行く。常に夢を抱き、その夢に向かって前向きにトライして行く事こそが、人生にとって最も大切な事なのだ。…この映画は、そんな事も考えさせてくれる、素敵な作品なのである。ミュージカルが嫌いな人も、是非観ていただきたい。これはお奨めの快作である。

(採点=★★★★☆

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(付記)どうでもいい蛇足。
ジョン・トラボルタのヒット作と言えば、これもミュージカルの快作「グリース」がある。
グリースとは、髪につける油であり、リーゼントなど、髪をセットする為の整髪料であるが、ヘアスプレーもやはり髪をセットする為の整髪料

映画「ヘアスプレー」のビリング・トップはトラボルタであるから、“ジョン・トラボルタ主演のミュージカル映画”は2本とも、整髪料がタイトルになっている事になる。偶然とは言え面白い。

も一つどうでもいい事。
その続編「グリース2」にはトラボルタは出演していないが、代わりにヒロイン役で主演しているのがミシェル・ファイファーであるというのも、これまた奇妙な縁である。

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2007年11月15日 (木)

「インベージョン」

Invasion (2007年・ワーナー/監督:オリバー・ヒルシュビーゲル)

SF小説の古典、ジャック・フィニィ原作「盗まれた街」の4度目の映画化。

ブログではあまり評判が良くないようだが、監督が「ヒトラー~最期の12日間」という骨太の秀作を撮ったドイツのオリバー・ヒルシュビーゲル(ハリウッド進出第1回作品)であるうえ、プロデューサーが「ダイ・ハード」「マトリックス」などのジョエル・シルバーという組み合わせに惹かれて観に行った。

結論から言って、まずまずの出来。私は結構楽しめた。いろいろツッ込みどころもあるが、スリル、サスペンス、派手なアクションありの、いかにもジョエル・シルバーらしいエンタティンメント作品に仕上がっている。

 

最初の映画化作品は、わが国では劇場未公開だが、「ボディ・スナッチャー/恐怖の街」(56)の邦題でTV放映され、ビデオも出ている(原題は"INVASION OF THE BODY SNATCHERS")。監督はなんと後に「ダーティ・ハリー」などの傑作アクションを撮ることになるドン・シーゲル

低予算のB級作品で、SFXもほとんど使われていないが、スリリングな演出でジワジワと恐怖が蔓延して行く描写が見事。侵略SF映画の代表的秀作として評価が高い。この作品では、巨大なサヤエンドウ豆のような莢の中で複製人間が作られ、寝ている間に本人の意識が吸い取られて入れ替わる…という設定であった。

公開された当時は、アメリカ国内に、いわゆる赤狩り―反共の嵐が巻き起こっており、洗脳されて別人格に変わった人間が世界に蔓延して行くというプロットが、共産主義の脅威に対するメタファーとも囁かれた。

 
で、本作は、宇宙から来たウイルスによって体内の遺伝子がプログラムし直される…という現代的な要素が取り入れられてはいるが、全体的には初代のドン・シーゲル作品に敬意を表した作りになっている。ウイルスに冒されると顔に薄い皮膜が出来たり、寝ている間に人格が入れ替わるので、主人公は絶対寝ないように苦心する…とか、「奴らが襲って来る!」と叫んで走る車の前に飛び出す人間がいたり…というシーンは、いずれもドン・シーゲル作品にも出て来る。

(以下、ネタバレにつき隠しますので、読みたい方はドラッグ反転してください)
ウイルスに摂り付かれると、顔が無表情になり、集団で普通の人間を拉致したり、ボディスナッチされた人間たちが全世界に広まり、人類みな兄弟、争いのない平和な世界になって行く…という展開もドン・シーゲル版のコンセプトに近い。

それにしても、そうしたエイリアンによる世界平和へのもくろみをブチ壊し、ワクチンによって人間たちが元に戻ってしまうと、戦争、テロ、殺戮がまた世界中に舞い戻ってくる…というオチがなんとも皮肉である。

そもそも、ボディスナッチされた人間たちは誰も人を殺していないが、この映画の中で一番大量に人を殺しまくってるのが主人公のニコール・キッドマンなのだから笑える。凄いブラック・ユーモアである。

だから、一見ハッピー・エンド風に見えるラストも、見方を変えれば少しもハッピーではないのである。―人類にとって望ましいのは、どちらなのだろう…と考えたくなる。なかなか辛辣でアイロニカルなオチである。
(↑ネタバレここまで)

ただ、ラストの派手なカーチェイス・アクションはいかにもハリウッド娯楽作品のパターンで、骨太のヒルシュビーゲル監督もアメリカに渡ったらハリウッドに順応してしまったのかな…と思っていたら、どうやらプロデューサーのジョエル・シルバーが、アクションが少ないと撮り直しを指示し、拒否したヒルシュビーゲル監督を降板させ、「V・フォー・ヴェンデッタ」(これもJ・シルバー製作)の監督、ジェームズ・マクティーグに追加部分を監督させたらしい。

まあハリウッドではよくある話で、多分ヒルシュビーゲル演出のオリジナル作品の方は、アクションが少なく、心理的なサスペンスに仕上がっているのだろう。それでは売り難い―と判断したワーナー=シルバーの戦略も間違ってはいないが、その為作品全体のバランスがやや崩れた感がある。DVDが出たら、ヒルシュビーゲル演出版のラストも是非特典として入れていただきたいものである。     (採点=★★★★

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(追記・お楽しみはココからである)
冒頭、「夫の様子がおかしい」とキャロルに訴える中年おばさん、ウェンディ役の女優。

Veronica どうもどこかで見覚えのある人だな、と思って、後で調べたら、ヴェロニカ・カートライトだと分かった。

この女優さん、古い映画ファンには懐かしい名前である。一番印象的だったのが、ヒッチコック監督の大傑作「鳥」における、ロッド・テイラーの娘のキャシー役。この当時は13歳。

で、その後結婚を経て、しばらく振りに出演した話題作が、「SF/ボディ・スナッチャー」
なんとまあ、「盗まれた街」2度目の映画化作品である、あの作品なのである。ジェフ・ゴールドブラムの奥さん役だったはず。

つまりはこのキャスティングは、前作を見ている映画ファンに対する楽しい目配せでもあるわけなのだ(しかしその事を指摘した人はあまりいないようだ)。

ちなみに、「SF/ボディ・スナッチャー」には、1作目のドン・シーゲル版の主演者である、ケヴィン・マッカーシーが特別出演していた。そしてなんと!、当のドン・シーゲル自身もタクシー運転手役でカメオ出演していたのである。

アメリカ映画は時々、こうしたオリジナル作に対する敬意を込めて、前作の主要なスタッフ・俳優などをカメオ出演させる事がしばしばあり、映画ファンを楽しませてくれる。この辺りも映画の見どころである。

ヴェロニカ・カートライトのその後の話題作と言えば、これまたホラーSF映画の金字塔「エイリアン」(リドリー・スコット監督)。

「鳥」もよく考えれば、ある日突然、鳥が人を襲い出し、最終的には人類が鳥によって支配されてしまう恐怖を描いた、SF的な要素も含まれており、「SF/ボディ・スナッチャー」、「エイリアン」、今回の「インベージョン」といった具合に、彼女、なぜか侵略型ホラーSF映画に非常に縁が深い女優なのである。

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2007年11月11日 (日)

2007年度 鑑賞作品一覧

2007年度鑑賞の新作映画のタイトルと、採点です。 (随時追加)
タイトルをクリックすれば、リンク先に飛びます。リンクがないものは未掲載です。

 

  タイトル 採点
1月 ホステル ★★★
あるいは裏切りという名の犬 ★★★★☆
それでもボクはやってない ★★★★★
どろろ ★★★☆
魂萌え! ★★★☆
2月 ディパーテッド ★★★★
ラッキーナンバー7 ★★★★
リトル・ミス・サンシャイン ★★★★
愛の流刑地 ★★
バブルへGO!! タイムマシンはドラム式 ★★★★
ユメ十夜 ★★★☆
天国は待ってくれる ×
ドリームガールズ ★★★★☆
3月 松ケ根乱射事件 ★★★★
守護神 ★★★
蒼き狼 地果て海尽きるまで ★★
ゴーストライダー ★★★
ボビー ★★★★☆
アンフェア THE MOVIE ★★☆
今宵、フィッツジェラルド劇場で ★★★★
ハッピー・フィート ★★★★
不都合な真実 ★★★★☆
4月 デジャブ ★★★★
ホリディ ★★★★
バベル ★★★★★
ゲゲゲの鬼太郎
東京タワー オカンとボクと、時々オトン ★★★★
サンシャイン2057 ★★
5月 ラブソングができるまで ★★★
スパイダーマン3 ★★★★
ストリングス ~愛と絆の旅路~ ★★★
眉山 -びざん- ★★★★
ブラックブック ★★★★☆
ロッキー・ザ・ファイナル ★★★★☆
俺は、君のためにこそ死ににいく ××
パッチギ! LOVE&PEACE ★★★★☆
6月 パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド ★★☆
女帝 -エンペラー- ★☆
監督・ばんざい! ★★★★
大日本人
舞妓Haaaan!!! ★★★
300 (スリーハンドレッド) ★★★★
プレステージ ★★★★
7月 ダイ・ハード 4.0 ★★★★
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 ★★
河童のクゥと夏休み ★★★★★
8月 怪談 ★★★☆
トランスフォーマー ★★★
レミーのおいしいレストラン ★★★★
9月 22才の別れ  Lycoris 葉見ず花見ず物語 ★★★★
市川崑物語  (ビデオ) ★★★☆
ベクシル 2077日本鎖国 ★★★☆
夕凪の街 桜の国 ★★★★☆
デス・プルーフ in グラインドハウス ★★★★☆
オーシャンズ13 ★★☆
天然コケッコー ★★★★★
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ ★★★★☆
10月 パーフェクト・ストレンジャー ★★☆
陸に上がった軍艦 ★★★★
プラネット・テラー in グラインドハウス ★★★★☆
サウスバウンド ★★★
大統領暗殺 ★★☆
めがね ★★★★☆
北極のナヌー ★★★☆
パンズ・ラビリンス ★★★★★
ブレイブ ワン ★★★☆
シッコ ★★★★☆
自虐の詩 ★★★★☆
11月 オリヲン座からの招待状 ★★
ALWAYS 続・三丁目の夕日 ★★★★★
ヘアスプレー ★★★★☆
ザ・シューター-極大射程-(ビデオ) ★★★☆
インベージョン ★★★★
ディスタービア ★★★★
しゃべれども しゃべれども (ビデオ) ★★★★
ボルベール<帰郷> ★★★★★
善き人のためのソナタ ★★★★★
クローズ ZERO ★★★☆
12月 椿三十郎 ★☆
転々 ★★★★
世界最速のインディアン (ビデオ) ★★★★☆
ベオウルフ 呪われし勇者 ★★★
ナイト・ミュージアム   (ビデオ) ★★☆
ミッドナイト イーグル ★☆
キサラギ ★★★★☆
エクスクロス 魔境伝説 ★★★☆
アイ・アム・レジェンド ★★☆
サイドカーに犬  (ビデオ) ★★★★☆
茶々 天涯の貴妃 ★★★

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2007年11月 9日 (金)

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」

Always2 (2007年・東宝/監督:山崎 貴)

前作は、大感動し、泣いた。当然その年の私のベストワン。

当時のインタビューで「続編は考えていない」という発言があったので(実際、セットはすべて撮影後解体したらしいし…)、続編が出来ればいいな…とは思ったものの、難しいのでは―と考えていた。

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2007年11月 6日 (火)

「オリヲン座からの招待状」

Orionza (2007年・東映/監督:三枝 健起)

一言で言って、じれったい映画である。あるいは、肝心な事を描いていない映画である。

下町の小さな映画館を舞台に、そこに転がり込んだ若者と、映画館主の未亡人との心の交流…という題材は映画ファンの心をくすぐるいい題材である。時代も昭和30年代の映画全盛期――と、「ALWAYS 三丁目の夕日」に始まる昭和回顧ブームに便乗したにせよ、ちゃんとした映画になっていればそれも悪くはない。

しかし、はっきり言って、人物描写がおざなりである。(以下、多少ネタバレになりますがそのつもりで
若者、留吉(加瀬亮)がオリヲン座に勤める気になったのは、映画が心底好きだからか、それとも若いトヨ(宮沢りえ)に好意を抱いたからか…その辺があいまいである。そもそも、留吉が無類の映画ファンであるようには見えない(好きな映画は何かも全然喋らない。館主の松蔵(宇崎竜堂)に「『無法松の一生』を知ってるか」と聞かれても、「ええ」と言うだけだし)。

彼の心境の変化を、もっと丹念に描かなければならない。ちょっとした態度や仕草などをさりげなく積み重ねるなど、脚本に工夫が欲しい。

未亡人になってからのトヨの心境もよく分からない。留吉の思いを薄々感じているのか、いないのか。そうだとしたら、亡き松蔵への思いはどうだったのか…。その辺もさっぱり描かれていない(どうでもいいけど、やはり未亡人と下宿学生との微妙な心の触れ合いを描いた高橋留美子の傑作コミック「めぞん一刻」を少しは見習うべきだ)。

留吉を誘って、「どこかへ行きましょう」と出かけるくだりは、トヨの留吉に対する好意の現れなのだろうか。普通、未亡人が若い男と昼間、連れ添って出歩いたら、誰が見たって「新しい男が出来た」と思うだろう。誤解だと言うなら、誤解されるような行動をする方が悪い。
しかも、自転車で原っぱを楽しそうに駆け回るシーンのトヨがとても魅力的に撮られているだけに、余計これはトヨの留吉に対する思いの表現と捕えられかねない。その時、留吉はどう思っていたのか…それが画面ではまったく描かれていない。

近所と人たちとの交流もおざなりである。松蔵が向かいの食堂の旦那と将棋を指すシーンが出て来るだけで、松蔵亡き後は、トヨにしろ留吉にしろ、全然近所の人たちと交流しているシーンが出てこない。留吉なんて、てんで近所との付き合いが悪い。だから陰口言われるんだよ(笑)。

もっと困るのは、冒頭に登場する、かつてオリヲン座で遊び、今は離婚の危機にある祐次と良枝(田口トモロヲと樋口可南子)の存在である。この出だしから、私はてっきり、祐次と良枝の子供時代を中心に物語が綴られるものだと思った(そうなれば「ニュー・シネマ・パラダイス」に似た作品になるだろう)。

ところが、物語が進行しても、一向にこの二人が出て来ない。昭和35年になっても出て来ない。
ようやく、映画も終盤になって、ようやく、それこそ取って付けたようにチョロっと登場する。いつの間にか二人は、オリヲン座に只で入らせてくれるようになってるし、何故か誕生日祝いまで映画館を使ってやってくれている。
そこまで仲良くなるに至るプロセスが全然描かれていない。

そして現在では、何故離婚しようとしているのか、オリヲン座のラストショーを観て、二人は何を感じたのか、その後ヨリを戻したのか…、その辺りも全く描かれていない。これでは、何でこの二人を登場させたのか、その意味が感じられない。

そして、これが一番肝心な点だが、回想シーンの最後、トヨと留吉が手を握り合った、その昭和39年から現在(昭和25年の開館から57年後というから、平成19年であるのは間違いない)までの間、二人はどのような苦労を重ねてオリヲン座を経営して来たのか、一番知りたい、そこが全く描かれていない。

映画が斜陽になり、客が入らなくなり、昭和39年の時点で、既にプリント代すら捻出出来なくて映画会社に頭を下げるシーンが出て来るが、それから閉館するまでには43年!もの時間がある。いったいこの間、どうやってプリントを借りる事が出来たのか。そこは絶対何らかの形で説明すべきである。

留吉(原田芳雄)の閉館挨拶で語られる苦労話(映画会社の営業に頭下げる話、アンパンを飯代わりに食べる話)は、既に映画の中でも語られている事で、その後の43年間に、こんな事もあった…と回想交じりで描くべきだと思うのだが(例えば、熱心な努力で名画座として有名になったとか)…。これではその後の43年間は、無かったように思えてしまう。

名画座なのだから、遠くから熱心に通う映画ファンもいただろうし、近所の人の中にも常連客はいただろう。―そんな観客が祐次と良枝以外にほとんど登場しないのも疑問。―そういう、点景となる脇の人物がもう少しいれば、作品のふくらみにもなっただろう。総じて脚本が弱い。

そんな調子だから、いろんな所のアラも目立ってしまう。以下、私の経験から見て、いくつか気になった点を指摘しておく。

①上映している作品は、昭和32年で「君の名は」(昭和28年封切、以下昭和を略)、「二十四の瞳」(29年)、昭和35年は「幕末太陽傳」(32年)、「ひめゆりの塔」(28年)、「無法松の一生」(18年)、昭和39年は「紅の拳銃」(36年)、「ギターを持った渡り鳥」(34年)…と、かなり古い作品ばかり。言ってみれば三番館でもなく、名作を中心とした名画座である。

こういう古いプリントになると、既に数百回も上映され、フィルムは間違いなく雨降り、傷だらけのグラインドハウス状態(笑)になっているはずである(私は当時田舎にいたが、回って来る映画はことごとく雨降り、ブツ切れのひどい状態のものばかりだった)。

ところが、上映される作品はどれも全然雨の降っていない新作状態。これは当時の名画座では絶対にあり得ない。CG加工してでも雨降りを再現して欲しかった。

②昭和35年のエピソードで、留吉がフィルム缶を自転車で運ぶシーンがある。これは確かに当時よくみかけた。当時は映画館の数がやたら多くて、プリントの絶対数が足らず、近接する映画館同士で掛け持ち上映をするからである。

しかしこれが行われるのは封切館か、ぜいぜい二番館までであり、オリヲン座のように、3~5年も前の旧作を近所で掛け持ちする事はあまり考えられない(しかも何度も出て来る)。原作ではオリヲン座は日活の封切館だったようだから、それだと納得出来るのだが。

③劇場の表に、絵看板がかかっている。これも当時は確かにあった。しかしこれを看板絵師に描いてもらうには金がかかる。
ところが、昭和39年でもまだ絵看板を掛けていて、これを取り替えようとしてトヨが足を挫くのだが、プリント代にも事欠く当時、看板描き代はどうしていたのだろう。まさか無料で描いてくれてたとは思えない。絵でなく、文字だけになっていたなら(それだったら留吉にでも書ける)、あるいは宣伝部から借りられる大判のポスターを貼っていたなら納得出来るのだが…。

④ラストショーのオリヲン座を訪れた祐次と良枝を留吉が出迎えるシーン。ここで何故かロビーには人っ子一人いない。ところが場内は満員状態。上映開始前なら、ロビーには数人がたむろしているのが自然である。第一、上映開始前には扉は換気の為、開けっ放しにしておくのが決まりである。
…とにかく、映画館にまつわる話だというのに、この映画にはそうした当時の映画館の状況がまるで反映されていない。スタッフの中に当時を知る人はいなかったのだろうか。

⑤ついでだが、昭和39年、祐次たちが観ている映画は、東映の「隠密剣士」(39年。これだけ新作)。ところが表の看板はいくら見渡しても前述の「紅の拳銃」と「ギターを持った渡り鳥」だけ。これは明らかに単純ミスである。

どうでもいい事のようだが、そういうディテールをきっちり押さえる事によって、製作者たちの作品に対するこだわり、熱意がこちらに伝わって来るものなのである。「ALWAYS-」が素晴らしいのは、細部に至るまで手を抜かず、当時の再現ににとことんこだわっているからなのである。

そして分からないのが、3人で撮った記念写真の、2枚目をトヨがこっそり隠し、松蔵には失敗して写っていないと嘘を付くくだり。
こういう描写を入れたからには、ラストでその顛末が描かれると思ってしまうが、とうとう最後までこの写真については出て来ない。

エンドロールが出だして、私は「ええーっ?」と唸ってしまった。いったいあれは何だったのだろう。隠すほどの意味は全然感じられない。後で出さないのなら、隠すシーンもカットすべきではないのか。わけが解からんシナリオである。

 

部分的にはいいシ-ンもあるし(自転車、ホタル、閉館の挨拶、ラストのトヨ(中原ひとみ)等々)、宮沢りえも好演している。
しかし、上記のようなマイナス点が目立って、私はどうしてもノれなかった。脚本、演出、共に力量不足である。ここにも、製作委員会方式になって、プロデューサー不在の弊害が顕著に出ている。比較して気の毒だが、「ALWAYS-」にはロボットの阿部秀司さんという優れたプロデューサーが細部にまで目を光らせているから傑作になっているのである。―残念な出来と言うしかない。      (採点=★★

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2007年11月 3日 (土)

「自虐の詩」

Jigyakunouta (2007年・松竹/監督:堤 幸彦)

原作は伝説の4コマ漫画(作・業田良家)という事だが、私は読んでいない。どんな映画かも分からないうえに、堤幸彦監督の作品も「明日の記憶」以外、どれも私の波長と合わなかったので、あまり気乗りせず観たのだが…。

出だしはなんかギャグ・コメディっぽい。パンチパーマのヤクザ・イサオ(阿部寛)が、ちょっとした事でブチ切れ、「でいっ」とばかりにちゃぶ台をひっくり返すシーンが何度も出てくる。それにもめげず、イサオに献身的に尽くす薄幸の女・幸江(中谷美紀)。舞台が大阪・新世界という事もあって、周辺の人物とのセリフのやり取りもなんだか吉本新喜劇を観ているようで、笑えることは笑えるが、これで2時間のドラマが持つのかな…と心配になった。おまけに中谷美紀は昨年、「嫌われ松子の一生」でやはり薄幸の女を演じたばかりで、「またかよ」と思ってしまう。

ところが、物語が後半に移ると、回想シーンによって、何故この二人が知り合い、そして、何故幸江がこんな暴力亭主に尽くすのか、その理由が次第に明らかになって来る。映画はそこからなんとまあ、感動の純愛物語に変わって行くのである。

イサオの暴力性も、じつは形を変えた“愛”の表現である事も分かってくる。その誰にも分からない、イサオの愛を受け止め、無垢なまでに無償の愛を与える幸江の心にいつしか打たれ、気が付けばポロポロ泣いていた。

これにはやられた。まさかコメディ・タッチの前半から、究極の泣けるラブストーリーに展開するとは予想もしなかった。

「嫌われ松子-」は最後まで不幸続きで、ちょっとやりきれなかったけれど、本作はエンディングで、なんか心が温かくなって、爽やかな気分で映画館を後に出来る。

もう一つのストーリーの柱である、中学時代のクラスメート、熊本さん(丸岡知恵)との友情も見どころである。これも単純な友情物語にはなっていない。阻害された者同士の心の寄せ合い、そして一時にせよ裏切られた熊本さんの激しい怒り、そして和解に至るエピソードも屈折している(ここにも暴力がからむ)。

イサオとのエピソードにせよ、この物語は愛にしても友情にしても、どこかイビツで、おかしくも哀しい。それが却って、巷に溢れるありきたりのラブストーリーや友情物語に比べて新鮮に感じられた。

 

花村萬月の小説に「笑う山崎」という作品があり、主人公はえげつないほど暴力的なのだが、実はとても家族愛に溢れた男である事が明らかになって行く。そんな愛の形もあるという事なのである。花村萬月の作品には、そうした、どこかねじ曲がった、いびつな愛を描いた作品が多い。

それで思い出すのが、深作欣二監督の傑作「仁義の墓場」である。主人公石川力夫(渡哲也)はまさに凄まじい暴力を振るう、手の付けられない男なのだが、そんな彼に献身を捧げる女(多岐川裕美)がおり、女が死んだ後、男は女の遺骨をボリボリ齧る。
彼は、何事も、愛ですらも暴力の形でしか表現できない、不器用な男なのである。ここにも、形を変えた愛の表現を見る事が出来る。そう言えば、同じ深作作品「人斬り与太・狂犬三兄弟」においても、暴力男(菅原文太)と薄幸な女(渚まゆみ)のいびつなラブストーリーが描かれていた。

本作はそうした、“粗暴な男と、薄幸な女との究極の愛の物語”の系譜に繋がる作品と言えるかも知れない(原典は、F・フェリーニの傑作「道」であろう)。

役者では主演の二人がいいのは無論だが、、他では幸江にかなわぬ愛を捧げるラーメン店主の遠藤憲一が楽しい。熊本さんを演じた丸岡知恵もいい。そしてなんとも絶品なのが、アパートの隣人役のカルーセル麻紀!。コテコテのナニワのオバちゃんを快演。最初は誰か判らなかった。本年の助演賞候補に挙げておきたい。(でもノミネートするとなると、いったいこの人は女優賞か、男優賞、どちらに入れればいいんでしょうかねぇ(笑))。

 (採点=★★★★☆

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