「ボルベール<帰郷>」
ペドロ・アルモドバル監督の作品はいくつか観ているが、どうも相性が悪いと言うか、感銘を受けた作品がない。「オール・アバウト・マイ・マザー」はそれでも前半はなかなか良かったが、体調が悪い時に観たせいで途中で寝てしまった。
本作もそんな訳で、も一つ気乗りがせず見逃したままになってて、ようやく家の近く、千里セルシーシアターでやってたので観に行った。
観出すと、これが凄く面白い!グイグイ引きこまれた。これまでの作品とは違って(全部観ているわけではないが)、殺人があり、謎があり、ミステリー・タッチで、それでいてトボけたユーモアもあり、楽しく観れた。
これまでのアルモドバル作品と同じで、やはり女たちがたくましい。主人公ライムンダ(ペネロペ・クルス)は、夫が失業すると、即座に仕事を見つけ、テキパキとこなす。夫の方は酒ばかり飲んで仕事にも出ず、あげくに(血は繋がっていない)娘をレイプしようとして包丁で刺し殺されてしまう。なんとも情けない存在である。そして以後、主要人物としては男はほとんど登場しない。すべてにおいて、女たちのたくましく、図太く、したたかな生き方が強調される事となる。
ライムンダは夫の死体を、空き家となった隣のレストランの冷凍庫に隠す。ちょうど同じ頃、彼女の昔世話になった伯母が亡くなった事を知る。死体の始末でそれどころではなく、姉のソーレ(ロラ・ドゥエニャス)が葬儀に向かう事になるが、伯母宅でソーレは、3年前に火事で亡くなったはずの母・イレーネ(カルメン・マウラ)の姿を見てしまう。果たして母は幽霊なのか、それとも…。
――と、物語はどんどん意外な方向に展開して行く事となる。やがてライムンダは厚かましくも(笑)、死体を隠したレストランを無断で経営し、周囲の女たちも巻き込んでしたたかに生きて行く。この生き方が爽快で、女という生き物はなんてたくましいのだ…という女性讃歌が盛大に奏でられる事となるのである。
ペネロペ・クルスのたくましさを強調する為か、彼女が調理している時、カメラが真上から、彼女の豊満なバストの谷間を捕えるシーンがある。また監督は、ペネロペのお尻に詰め物をさせ、お尻をデカく見せる工夫もしたとの事である。
アルモドバルは、ライムンダのキャラクターは、ソフィア・ローレンをイメージさせたと言っているが、そう言えば確かに彼女はヴィットリオ・デ・シーカ作品(特に母と娘が強姦される「ふたりの女」)におけるソフィア・ローレンの強烈な存在感を思い起こさせる。彼女も確かにバストとお尻がデカいイメージがある(笑)。
レストランで打ち上げパーティが催されたとき、ライムンダはギターの伴奏で、タンゴの名曲「ボルベール」を歌う。これが映画タイトルの由来なのだが、歌いながら、さまざまな思いがこみ上げ、涙する、このシーンも感動的である。
その後、夫の死体を埋めに行くシーンがあるが、1人では無理なので近所の女たちに手伝わせる。深夜、でっかい冷凍庫を車に乗せるだけでも怪しいのだが、女たちは何も言わない。あげくに穴掘りまで手伝わせるが、その手伝った女が、「どうせ私たち、共犯なんだから」と呟くシーンでアドモバルの意図が分かる。女たちは感づいてて、知って手伝っているのである。出来の悪い男なんか死んで当然、女は女同士、みんなで助け合い、図太く生きよう…という連帯意識がここでも強調されるのである。
そして映画はラストに至って、さまざまな謎(娘の本当の父は誰なのか…も含め)が一気に解き明かされる衝撃と感動のクライマックスを迎える。ここでは書かないが、改めて女の強さ、したたかさを知らされる、見事な脚本にうならされる。
カンヌ映画祭では、主演女優賞になんとこの映画の6人の女優(ペネロペ以下カルメン・マウラ、姉、娘、伯母、その隣人)全員まとめて選ばれたという。この映画の主演は1人ではなく、女たちすべてが主役だ…という事を示している。
ゲイだと言われているアドモバル監督、どうしてこんなに女たちの気持ちが理解できるのだろうか。不思議である。
私と同様に、これまでのアドモバル作品に馴染めなかった人や、一般の映画ファンが観ても十分楽しめ、堪能出来るだろう。個人的にはアドモバル監督作品中の最高傑作ではないかと思う。必見である。 (採点=★★★★★)
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