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2007年12月31日 (月)

2007年度・日本インターネット映画大賞外国映画部門 投票

外国映画部門も投票いたします。

[作品賞投票ルール(抄)]

 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで
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『 外国映画用投票フォーマット 』

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「善き人のためのソナタ」     7 点
  「パンズ・ラビリンス」        5 点
  「ボルベール<帰郷>」      4 点
  「バベル       」        4 点
  「ヘアスプレー   」        3 点
  「ドリームガールズ 」        2 点
  「ブラックブック   」        2 点
  「ボビー       」        1 点
  「あるいは裏切りという名の犬」  1 点
  「シッコ        」        1 点
【コメント】こうやって見ると、本年の上位4作品、すべてアメリカ以外(それも2~4位はスペイン・メキシコ系)の、ズッシリ腹にこたえる人間ドラマの秀作ばかり。下位4位も重たい問題作。で、真ん中に陽気なミュージカルが挟まる…という、なかなかバランスの取れたテンでありました。

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【監督賞】              作品名
   [フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク] (「善き人のためのソナタ」)
【コメント】2~4位のデル・トロ、アルモドバル、イニャリトウも、どなたも甲乙付け難い才人ばかり。迷ったけど、結局「善き人の-」のあのラストにやられた。それにしても、長い名前だ(笑)。

【主演男優賞】
   [ウルリッヒ・ミューエ] (「善き人のためのソナタ」)
【コメント】これはミューエで決まり。圧倒された。今年亡くなられたとのこと。冥福を祈りたい。

【主演女優賞】
   [カリス・ファン・ハウテン] (「ブラック・ブック」)
【コメント】「善き人-」のマルティナ・ゲデック、「ボルベール」のペネロペ・クルスも候補だったが、○ン○まみれで熱演した(笑)ハウテン嬢に1票。

【助演男優賞】
   [セルジ・ロペス  ](「パンズ・ラビリンス」)
【コメント】冷酷なビダル将軍を怪演。「善き人-」、「ブラック・ブック」のセバスチャン・コッホにもあげたかったけど…。

【助演女優賞】
   [カルメン・マウラ ] (「ボルベール<帰郷>」)
【コメント】彼女も無論いいけど、カンヌで女優賞を受賞した、ペネロペを除く全員にあげたいですね。

【新人賞】
   [イバナ・バケロ  ] (「パンズ・ラビリンス」)
【コメント】少女オフェリアの見事な演技に対して。…あれあれ、気が付いたら受賞者全員ヨーロッパ系になってしまった。

【音楽賞】
  「ヘアスプレー」
【コメント】正確には、歌曲賞…でしょうけど、とにかく楽しい歌の数々に魅了されました。

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【勝手に○×賞】
   [うまくダマされたで賞 ] (「ラッキーナンバー7」)
【コメント】どんでん返しのある映画は大好きなのですが、これは見事にやられました。なまじ「パーフェクト・ストレンジャー」のように大げさに宣伝してない分だけ、コッチの方が後味スッキリでした。

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2007年度・日本インターネット映画大賞日本映画部門 投票

昨年に続き、「日本インターネット映画大賞」に投票いたします。

私自身のベスト作品選考も毎年、私のHPでやってまして、近日中にアップする予定ですが、とりあえずはこちらを先に投票することとします。

[作品賞投票ルール(抄)]

 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで
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『 日本映画用投票フォーマット 』

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「河童のクゥと夏休み」        7 点
  「それでもボクはやってない」     6 点
  「天然コケッコー」           4 点
  「ALWAYS 続・三丁目の夕日」  3 点
  「キサラギ」               2 点
  「夕凪の街 桜の国」         2 点
  「自虐の詩」               2 点
  「めがね」                2 点
  「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」  1 点
  「パッチギ LOVE & PEACE」     1 点
【コメント】上位3本は、どれが1位になっても構わないが、も一つ苦戦するだろう「河童の-」をエコヒイキで上位に。爽やかで心温まる作品が並んだので、下位2本を過激で笑える異色作でまとめてみました。

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【監督賞】              作品名
   [山下敦弘     ]  (「天然コケッコー」「松ケ根乱射事件」)
【コメント】「松ケ根-」だけでも選ぶつもりだったが、「天然-」で完璧にやられた。お見事です。

【主演男優賞】
   [阿部寛      ]  (「自虐の詩」「バブルへGO!!!」)
【コメント】「それボク」の加瀬亮も考えたが、阿部ちゃんのパンチパーマのインパクト大。「バブルへGO」のカルい演技にも笑えた。

【主演女優賞】
   [麻生久美子   ]  (「夕凪の街 桜の国」)
【コメント】短い出番だったけど、印象的な名演技だった。

【助演男優賞】
   [小日向 文世  ]  (「それでもボクはやってない」「ALWAYS 続・三丁目の夕日」)
【コメント】「キサラギ」「ジャンゴ」の香川照之も候補だったけど、昨年度、ここで受賞済なのであえてはずしました。

【助演女優賞】
   [もたいまさこ   ]  (「めがね」「ALWAYS 続・三丁目の夕日」)
【コメント】「めがね」のたそがれ感は彼女の存在あってこそ。不思議な女優さんですね。

【新人賞】
   [中村 ゆり    ]  (「パッチギ! LOVE&PEACE」)
【コメント】試写会場の告白は泣けました。沢尻、出なくて正解だよ(笑)。

【音楽賞】
  「夕凪の街 桜の国」
【コメント】静かで心に沁みる作品にふさわしい、いい音楽でした。担当したのは村松崇継。他にも「オリヲン座からの招待状」「魍魎の匣」を手掛けている。いい仕事をしました。

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【勝手に○×賞】
   [おバカ映画大賞] (「XX エクスクロス 魔境伝説」)
【コメント】ホラーに見せかけて、実はパロディ、オマージュ満載、大笑いおバカホラー・アクション・コメディでした。ゴスロリ娘の巨大ハサミVSチェーンソーの対決には涙流して笑いました。日本映画でこういう珍品が作られるとは嬉しい誤算。深作健太監督、アッパレです。

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2007年12月30日 (日)

「アイ・アム・レジェンド」

Iamlegend (2007年・ワーナー/監督:フランシス・ローレンス)

リチャード・マシスン原作「吸血鬼(地球最後の男)」の3度目の映画化。

発想そのものは、非常にシュール、かつ哲学的である。“もし、地球上の全人類が死滅して、1人だけ生き残ったら、その男はどう生きて行くのか”・・・
というのがテーマである。

映画の前半は、そうなってしまった男の日常生活を淡々と描いている。
ニューヨークの街中を車で猛スピードでぶっ飛ばし、何故かウイルスに汚染されずにいる鹿の群れを追いかけ、狩りをする。食べ物も、いくらでもあるし、DVDは借り放題。航空母艦の上でゴルフをし、ビルディングに向かってボールをショットする・・・。

うーん、楽しそうである。愛犬はいつも傍にいるし。ロビンソン・クルーソーみたいな所もあるが、あちらと違って、モノは何でも豊富にあるから楽である。サバイバルの必要もない。飽食による太りすぎ防止に、運動しなければいけない点だけが問題である(笑)。

CGとオープン・セットによる、雑草が伸び放題の荒れ果てたニューヨークの街の描写が圧巻。こういう所がさすがアメリカ映画である。
この映画の見どころは、まさにこの“人類が誰もいなくなった大都会”の圧倒的なビジュアルの迫力にある。

・・・しかし、それだけでは、お話として間が持たないので、生き残ったものの、ゾンビのようになってしまった新人類(ダーク・シーカー)との対決…という見せ場を用意してある。

問題なのは、これによって、せっかくのシュールな風景をバックに、哲学的命題を内包したユニークな映画が、「バイオハザード」のような、ありきたりのゾンビ・ホラー・アクションになってしまった点にある。おまけに、こうなってしまった原因がウイルスで、ワクチンの開発によって人類は救われる…という展開は、これも古典的SFの何度目かのリメイク「インベージョン」とそっくりである。
ウイルス抗体血清を守り抜く為に、新人類をバッタバッタと殺しまくる所までそっくりなのには頭を抱えてしまう。これではありきたりのB級SFアクションである。

原作は、ダーク・シーカーズこそ新しい人類で、1人だけ残ったロバート・ネビル(ウイル・スミス)の方がこの世界では逆に異端児である…という、実に皮肉なお話なのだが、そういうテーマすらどっかに行ってしまって、ラストでは、ワクチンによって救うべきはずの新人類を殺しまくる…という自己矛盾に陥ってしまっている(それは「インベージョン」も同じだったが…)。

(以下ネタバレに付き隠します)
ラストでも、ネビルはワクチンを守るために手榴弾で自爆するのだが、その地下の研究室には、実験で正常な人間に戻れた女のシーカーがいるのだから、自爆などせずとも、女を見せて、「あんたたちもワクチンでこの女のように正常に戻れるんだぞ」と言えばいい話ではないか。そもそもシーカーズのリーダーは、奪われた女を取り戻すのが目的でもあったと思うのだが。
凶暴でそんな事言っても分からない…という事かも知れないが、ネビルに、逆にトラップを仕掛けたり、結構頭はいいはずである。だいたい、アナに渡した血清だけではだめで、それを生成してワクチンを作るには、ネビルのような科学者に生きていてもらわないと困るのでは?
まあ、題名のようにネビルが“レジェンド”になる為には、ネビルに死んでもらわないと、オチにならないのかも知れないが…。

↑ネタバレここまで

困るのは、せっかく廃墟となった大都会のビジュアルに凝りまくっている一方で、電気・水道等のライフラインが当たり前のように繋がっている…という手抜きを見せられる点。お話はホラでも、ディテールは丁寧に…というのは私がいつも指摘している事。

例えば、地下の自家発電装置を点検しているショットとか、ガスはカセットボンベを使っているとか、水はミネラルウォーターのペットボトルがキッチンに山のように積まれているショット…等をほんの数秒見せるだけで解決する問題である。
…それでも、シーカーズを防ぐ為の大量のサーチライトを点灯するだけの電力量などとてもまかない切れないだろうが。

そういう、ディテールや、ダーク・シーカーズ側にもう少しキャラクター性を持たせたり、人類の愚かさに対するアイロニー…等を丁寧に描いておれば、考えさせる作品になったと思うのだが…。

 
まあそんなわけで、良くも悪くも本作は、ありきたりの荒っぽいハリウッド製アクション映画になっており、正月映画として気楽に楽しめる出来ではあるが、見終わって、ただただどこかで見たような映画だな…という事くらい印象に残らない散漫な作品である。愛犬との別れは泣けたが…。

点数をつけるなら、廃墟のビジュアル・イメージだけ★★★★、全体では(★★☆)…というところだろう(あのCGビジュアルがなかったら★☆になってる所だ(笑))。

ちなみに、“地球最後の男”というコピーは看板にりあり。ちっとも最後じゃないじゃん。いくら今年の漢字が“”であってもねぇ(笑)。

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原作本        

最初の映画化作品 

二度目の映画化作品

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2007年12月26日 (水)

「善き人のためのソナタ」

Sonata (2006年・ドイツ/監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク)

今年の始め頃に公開された作品だが、単身赴任先の映画館では上映しておらず見逃したままになっていて、やっと先日観ることが出来た。大分時間が経ってしまったが、私の本年ベストワンになるだろう秀作なので、遅ればせながら紹介させていただく。

第二次大戦の敗戦によって、ドイツは東西に分割され、ドイツ国民は東西分断という過酷な運命に見舞われる事となった。1989年、冷戦が終結し、ベルリンの壁が壊され、東西ドイツは統合される事になったが、それまでの間には多くの悲劇や逸話がある。

東ドイツは、ソ連に統治された共産主義国家であり、自由を求め、反国家的な言動をする文化人や活動家を厳しく弾圧した。
・・・こうした思想統制は、共産主義国家に留まらず、戦前の日本も反戦的な言動に目を光らせ、特高警察が共産党員やプロレタリア作家などを拘束、投獄し、死に至らしめた事もあった。韓国でも軍事政権下で似たような事があった。左右陣営に関係なく、これは全体主義国家の本質だと言えよう。

本作は、そうした時代を背景に、監視する国家側の軍人と、監視される反体制側の劇作家との、数奇な出会いと触れ合いを、大きな歴史の流れの中でスリリングに、しかし格調高く描いた傑作である。

 
国家保安省(シュタージ)に所属するヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)は、ある日、反政府活動の疑いのある劇作家、ドライマン(セバスチャン・コッホ)を監視する事になる。ドライマンの部屋に盗聴装置を仕掛け、屋根裏部屋で24時間監視を行うのである。

冒頭、ヴィースラー大尉の尋問風景、その様子を録音したテープを大学の講義で聞かせるシーンを描き、ヴィースラーが尋問のプロで、国家に忠実な役人である事を手短に紹介する出だしがうまい。

これを見ていると、我々観客は、ヴィースラーがものすごく冷徹でいけ好かなく、リベラルな劇作家の敵である悪役のように感じてしまう。とてもこの人物には感情移入など出来ないと思ってしまう。

ところが、四六時中監視を行ううちに、ヴィースラーは次第にドライマンの人間性豊かな生活ぶりに感化され、また彼の恋人で舞台女優であるクリスタ(マルティナ・ゲデック)に好意を抱いて行く。

そのきっかけが、ドライマンが、恩師であるイェルスカからプレゼントされたピアノ曲の譜面「善き人のためのソナタ」をピアノで弾き、それをヴィースラーが盗聴器を通じて聴いた事から始まる…という展開が出色。

コチコチのカタブツ役人で、独身であり、家に帰ればわびしく食事をする生活だったヴィースラーが、彼らの恋の語らいを聞き、創作中の舞台劇の内容を聞き、音楽を聴く事によって、“人間は孤独ではいられない、人間が生きて行くには、心の糧となる音楽や芸術、人との触れ合いが必要なのだ”という事を学んで行くのである。

留守中、ドライマンの部屋に忍び込んだヴィースラーは、ブレヒトの詩集を持ち帰り、読みふける。

全体主義国家の非人間的環境にどっぷり浸かり、機械のように冷徹だった男が、氷が溶けるように人間的な心を取り戻して行く。それは、やがて訪れる共産主義全体国家の崩壊、自由主義国家への生まれ変わりをも暗示しているかのようである。

他人との係わりを拒絶していたヴィースラーが、その後娼婦を買い、彼女が仕事を終え、出て行こうとすると、「もう少し傍にいて欲しい」と懇願するシーンも印象的。人との触れ合いに飢えるようになった事を示しているのである。
そして、クリスタが政府の要人に会いに行こうとするのを見つけて、彼は遂にクリスタに接触する。「あなたはみんなから愛されている、素晴らしい女優なのですよ」と言い、彼女を励ますが、これは報われないと知りつつも密かに彼女を恋してしまったヴィースラーの、愛の告白でもあるのだ。
そしてこの辺りから、それまでは憎たらしい悪人側の人間と思い込んでいたヴィースラーに、観客はうって変わって感情移入して行く事になる。この演出呼吸が素晴らしい。

(以下ネタバレにつき隠します)
この後の、ドライマンが西側に情報を流した証拠のタイプライターをめぐるサスペンスも緊迫感に満ち、ハラハラさせてくれる。
政府側の執拗な追求に、愛しているはずのドライマンを裏切ってしまうクリスタの心の揺らぎ、その二人を、上司の目をかいくぐり、陰で助けようとするヴィースラー、それぞれの心理の変化と行動を的確に描くドナースマルクの演出はスリリングで息もつかせない。見事。

ドライマンに肩入れした事を感づかれ、ヴィースラーは、地下の郵便室に左遷されるが、誰に恨みも言わず、黙々と仕事をこなす。ヴィースラーはあるいはその処遇を、(密かに愛した)クリスタを救い切れなかった、自身に対する罰…と考えているのかも知れない。
↑ネタバレここまで。

そして、素晴らしいラスト、ここでは書かないが、ヴィースラーのポツリと吐く一言が、我々観客の胸を熱くする。その時のヴィースラーの、何とも言えない笑顔がとても素敵である。まさに画竜点睛とでも言うべき、素晴らしい幕切れである。うまい。

 
それにしても着想が素晴らしい。共産主義国家(大体はソ連)を舞台に、自由を求める人間を描いたドラマは、これまでにも多くあったが、国家側の人間は大抵ステレオタイプの悪人である。本作のように、監視する、体制側の人間を主人公にして感動のドラマに仕立て上げたのは、初めてではないか。それだけでもユニークである。
なお、ヴィースラーを演じたウルリッヒ・ミューエは、本年亡くなったそうである。冥福を祈りたい。

監督のドナースマルクは、若干33歳で、これがデビュー作の新人。4年と言う歳月をかけて当時の実態を徹底調査したという。新人と思えない、端整で緻密な映画作りに感嘆した。本年を代表する見事な傑作である。必見。

 (採点=★★★★★

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DVD 

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2007年12月23日 (日)

またまた「椿三十郎」

12月4日、同5日に続いて、三たび「椿三十郎」について書かせていただきます(しつこいって?まあそう言わずに(笑)。いろいろ発見がありましたので)。

まず、黒澤版のオリジナル「椿三十郎」をビデオで再見(以前録画しておいたもの)。

Sanjurou1_2

で、じっくり見て気が付いた事。
(1) 三船扮する三十郎の着物が、おっそろしく汚い。袖口や首筋はほつれてボロボロ。襟元に至っては擦り切れてるうえに、鼻水でもこすり付けてるのだろう、テカテカに光っている(笑)(写真1参照)。

そりゃ確かに、一文無しで旅してると、あのくらいになるだろう。「ここんとこ水腹でな…」と言ってるし。
お話は荒唐無稽であっても、細部はとことんリアルに作り込む―のが黒澤流の映画作りなのである。

Sanjurou2_2ハカマも糸が撚れてるし、さらにはラストの決闘後に、カメラが足元を写すと、足袋も穴だらけで白地が見えている(写真2参照)。

もうほとんど橋下のルンペンと同じ(笑)。臭って来そうである。

「七人の侍」でも、着物も建物も、徹底的にリアルに汚していたし、スタッフもよく分かっていて、「赤ひげ」では画面に写らない薬棚の引出しの中も汚したうえに薬包みも入れていたという。
そういう、厳しい完璧主義だからこそ、画面の隅々まで一分の隙もなく神経がピンと張り詰められ、何度見直しても見応えがあるのである。

Sanjuurou_2 そこで、森田監督の新作を観ると、織田裕二扮する三十郎の着物は小ざっぱりとして綺麗である。不精ヒゲだって申し訳程度である。
別に黒澤作品くらいまで汚せ…とは言わないが、食うや食わずで旅している浪人の着物にしてはきれい過ぎると思わないか。

織田裕二は2枚目ヒーローなのだから、汚すわけには行かない…と言うのなら何をか言わんや…である。それならオリジナルのシナリオをそのまま使う意味さえない事になる。天国の黒澤が見たら激怒するだろう。

(2) 中盤の若侍たち4人が捕えられ、それを逃がす為に、17人を一気に斬りまくる例のシーン。

ここは、1人たりとも生かしてはまずい上、外に逃げられても計画が水の泡になるわけだから、その点もよく考えてある。

まず、門番に閂(かんぬき)を閉めさせ、中庭に全員を集めさせたうえ、一気に斬りかかる。とにかく無茶苦茶早い。
十人くらいまでを一気に斬り捨て、唖然と見ていた門番が、やっと我に帰って閂を開け、逃げようとした所を、後ろから躊躇なく斬りつける
その悪鬼のような仕業に、残りの侍たちは恐怖にかられ、逃げ惑う。窓から逃げようとする者、門の陰に逃げ込む者、それらも容赦なく切り倒す…。
時間を計ったら、全員倒すまで、わずか40秒! 1人2秒強である。

これは、1人残らず逃がさずに全員を倒すには、まさにこれ以外に手はない…と計算した上での戦略なのである。実にムダがなく合理的である。

それに引き換え、森田版はと言えば、モタモタしてる。リアリズムだとかで、三十郎が疲れ、ヨタヨタして来る描写があるが、あれだと、門番はラクラク逃げられそうである(笑)。
…て言うか、外へ逃げようとする描写さえなかった気がする。あれだけ三十郎に誰も敵わなかったら、何人かは逃げて知らせに行こう…とする描写があってこそリアリティがあると言える。何がリアリズムなんだか。だから私は中途半端と指摘したのである。

黒澤監督のオリジナル版を観る機会があったら、私が指摘した前記のような箇所も、是非注目していただきたい。

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いろいろな評判が出揃って来たようだが、やはりというか、プロ、あるいは目利きの方々からは厳しい意見が出ているようである。

黒澤監督の研究家である評論家の西村雄一郎氏(近著「黒澤明-封印された十年」)のHP(12月8日付)で、森田版を観ての感想を書いている(こちらを参照)。抜粋すると、
「三船敏郎演じる〝三十郎〟を知っている身には、織田裕二では役不足。どんな時でも冷静に頭が働く知将にはとても見えない」
「首魁の西岡徳馬はもっと腹黒でなくては。家老の藤田まことはもっと阿保面でなくては…」

などと、私とほとんど同意見である。日付を見れば分かるが、私の方が4日早い(笑)。

12月22日付の朝日新聞娯楽欄「サザエさんをさがして」は、「三船敏郎」がテーマであるが、執筆の保科龍朗氏に、 
「リメーク版をサザエに見せるわけにはいかない。腰砕けになって、台所でおサカナくわえたドラネコと出くわしても、呆然と見逃してしまうはずである」と皮肉られている。
三十郎に扮した三船については「殺気を察知するとためらわずに人を切れるのだから、狂気を宿して血に飢えた孤高の獣を身中に飼いならしている危うさがある」と指摘しておられる。奥方が三十郎を「ギラギラしている」と表現したのは、そういう意味に近い。
まあ織田裕二にそれを求める気はさらさらないが、リアルタイムで黒澤版を観た人の感想は、それが平均的であった事を付け加えておく。

今月発売の雑誌「月刊・シナリオ」1月号に、「柏原寛司の映画館へ行こう―創り手たちの映画評」というコーナーがあり、ゲストの成田裕介氏(お二人とも「あぶない刑事」等の脚本・監督を担当)との対談で、「黒澤映画のリメイク作品『椿三十郎』の観方」と題し、新作についての感想を述べているが、ここでも森田版について辛辣な言葉が飛び出している。ほぼ私も同意である。興味ある方は一読のこと。

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さて、私も森田監督は永年のファンだし、あまり責めたくはないのだが、最後にこれだけは言っておきたい。

オリジナル版を知らなければ、確かに森田版も面白いと思う。役者もみんな頑張っていると思う。
だが、なにかが微妙に違うのである。
今の時代、黒澤明のような監督も、三船敏郎のような役者も、もう2度と現れないだろう。それは仕方のない事である。ないものねだりしても詮無い事である。
だが、やはり何かが足りない…。

それで思い至ったのだが、最近問題となっている、老舗菓子舗、高級料亭の偽装問題
実はあれと、根の所は同じではないかと思うのである。

高級料亭の創業者は、味にこだわり、食材、ダシから、食器に至るまで、すべて一流、本物を志向し、味にうるさい食通をも満足させて来た。見えない所にも細心の気配りをして来た。

先代が亡くなり、時代が変わり、それと共に本当の味が分かる人間も減って来た。
多少、材料の質を落としても、誰も分からなくなった。作る方も、手間のかかる方法を面倒くさがり、だんだん手抜きするようになって来た。

その結果が現在の姿である。

だが、味は落ちてるのに、ブランドだけを信用して、不味いものでも味が分からず、ありがたがる客の方にも問題があるのではないか。

これを、映画界に置き換えても同じ事が言える。

黒澤監督は、言わば食材も、食器も本物にこだわった頑固職人である。タレも、コトコト何日も煮て、おいしさを究極まで求め続けた。

森田版の作品は、“もう昔のような比内地鶏(=役者)が手に入らないので、ブロイラーを使いました。ただレシピ(=脚本)だけは昔のものをそのまま使いました”と言ってるようなものである。まあ偽装してるわけではないが(笑)。
しかし問題は、レシピだけ同じものを使っても、昔のような、本物のおいしさには及ばないと言う事である。じっくり、時間をかけて煮込んでもいないし、比内地鶏だからこそ生きたレシピであって、今のブロイラーには合わない。おいしくする為には、今の材料に合った調理をこそ研究しないといけないのである。

それでも、昔の味を知らない若い人は、「これ、おいしい」と喜んでいる。
しかし、昔の味を知っている食通は、「見た目は昔とそっくりに見えるが、煮込みが足りない。食材もいいものを使ってない。先代よりは大分味が落ちている」と文句を言っている。

・・・まあそういった所だろう。
後者の言い分が全面的に正しい…とは言わない。ただ傾聴に値する…と思っていただければいいだろう。

幸い、もう昔のものは存在しない料理と違って、映画は45年前に作られたものがそのまま残っている。昔の職人はこんないいものを作っていた…という事を是非知って、認識を新たにしてもらいたいものである。

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2007年12月20日 (木)

「エクスクロス~魔境伝説」

Excros (2007年・東映/監督:深作 健太)

宝島社選定『第1回・このミステリーがすごい!大賞』“隠し玉賞”に選ばれた、上甲宣之のホラー小説「そのケータイはXX(エクスクロス)で」を、「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」の深作健太の監督により映画化。

優秀賞でなく、「隠し玉賞」というのが微妙だが、書評を読むと、「文体は、はっきり言ってチープ」、「相当無茶な話だし、文章も下手である」とかなり辛辣。ただ、「しかしながら、そのチープさが作品の内容と実に見事に一体化している」、「読み手を物語世界に引きずり込む妙なパワーはある。ハードカバーで出すような小説ではないが、B級のアナーキーな面白さが横溢している」という誉め言葉(か?)もあり、要するに、小説の完成度という面からはかなりレベルが落ちるB級作品であるが、妙なパワーと勢いだけはあるので、そのつもりで読めば楽しめる…という事になる。

こちら(http://www.asahi-net.or.jp/~jb7y-mrst/YUT/GOS/GOS03l.html)を読めば、もうケチョンケチョンに叩かれている(笑)。突っ込みどころ満載のようである。

ただ一方では、同賞のインターネット読者投票では、第2位に選ばれたそうだから、案外ゲーム世代の若い人から見ればこれはこれで面白く読める作品なのかも知れない。

 
・・・さて、そういう予備知識を持った上で、本映画化作品を鑑賞すると、これが意外に楽しめるのである。

ストーリー展開は、小説とほぼ同じ。4章の章立てになっていて、2章では時系をバックして、同時間帯を別の人物の視点で描く…という展開も原作と同じ。上のサイトで突っ込まれている、“ケーブルカーで昇ったはずの村に、道路があって車で行ける”といういいかげんな設定をそのまま採用している事からも分かるように、脚本(大石哲也)、監督とも、ハナからこの映画をマトモに作る気は無く、原作通りの、突っ込みどころ満載のおバカ映画…に仕上げている。確信犯なのである。

従って、本作を、突っ込みどころを欠点としてあげつらう…というのは間違った捕え方であって、ましてやコワ~いホラー映画でもない。

主人公らをもてなす宿のバアさんが、手がブルブル震えてお茶をそこらにこぼしまくってる…というほとんど志村けん並みのギャグシーンからして、怖いどころか笑いっぱなしとなる。あとは突っ込みどころを見つけては笑い、ほとんどゾンビそのものの村人たちの襲来にまた笑い、そして見せ場となる、小沢真珠扮するブッ飛びハサミ娘対、鈴木亜美扮するブチ切れ娘のチェーンソーとの対決に思いっきり笑えばいいのである。…そもそもが、黒焦げになっても平気―というのは、「トムとジェリー」とか、わが「うる星やつら」などのギャグ・アニメの定番…という事を知っていれば、大笑い出来るはずである。

ホラー映画には、本当にゾッとする、正真正銘怖い作品もあれば、怖さを通り越して逆に笑える…というタイプの作品も結構多い。

後者の例では、サム・ライミのデビュー作「死霊のはらわた」や、ピーター・ジャクソンの出世作「ブレイン・デッド」などは結構笑えた。ちなみにこの二人、今や「スパイダー・マン」と「ロード・オブ・ザ・リング」で飛ぶ鳥落とす勢いである。ロバート・ロドリゲスの「プラネット・テラー in グラインドハウス」もおバカで笑えるホラーである。あ、ダン・オバノン監督の「バタリアン」てのもあったなぁ。

本作は、そうした“笑えるオバカ・ホラー映画”の系列に間違いなく入る作品なのである。

こうしたジャンルは、日本映画ではあまり作られて来なかった。だいたいが不真面目なものを嫌う国民性があるのかも知れない。その結果、暗く陰々滅々とした辛気臭いホラーばかりが作られて来た。

しかし、こういうバカバカしいエンタティンメントがあってもいいじゃないか。チープなオバケ屋敷でもいいじゃないか。とにかく、テンポよく、ゆっくり考えているヒマもないくらい、ノンストップでラストまで突っ切るB級テイストの娯楽アクション・エンタティンメントに、本作は仕上がっている。それだけでも立派な事である。

いろいろなホラー映画のオマージュも散りばめられている。美女をいけにえにする因習…というのもホラーからコメディまでよく見られるパターンである。「キング・コング」もその代表。コメディではビートルズ主演の「HELP!」もそう。リーダーが変なマスクをし、奇妙な呪文を唱える…というのはこの2本にもそっくりそのまま出て来る、お決まりパターンである。
巨大なハサミ…というのはバンボロが暴れる「バーニング」だし(しかしデカ過ぎる(笑))、チェーンソーは「悪魔のいけにえ」「死霊のはらわた」、炎で丸焼けになってもシブとく立ち上がって来るのは「ターミネーター」か。ラストのオチも、ホラー映画の定番である。

深作健太監督、ようやく自分のスタイルを見つけたようである。奇しくも、親父さん、深作欣二は、「キル・ビル」の冒頭でオマージュを捧げられたように、Q・タランティーノから敬愛された作家である。是非ともタランティーノ・ファミリーに入り、ロバート・ロドリゲスと競い合って、おバカなアクション映画道に邁進して欲しい。頑張れ、健太(半分マジ(笑))。      (採点=★★★☆

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(追記・お楽しみはココからだ) もう一つ、引用元の映画を発見した。J・ルーカス製作、S・スピルバーグ監督の「インディー・ジョーンズ/魔宮の伝説」である。
人里離れた魔境が舞台で、妖しげな儀式は出てくるし、ヒロイン(ケート・キャプショー)はキャーキャー悲鳴を上げて逃げ回り、あげくに捕まっていけにえにされそうになる。何よりも、本作の冒頭の宿で出される食事に注目。ヘビやカエルや虫とかのゲテモノばかりだったが、「魔宮の伝説」の、晩餐会で出される食事のメニューも、やはりヘビとか虫とかのゲテモノのオンパレードだったはず。
本作の宣伝文句はジェットコースター・スリラーという事だが、「魔宮の伝説」もクライマックスはまさしくジェットコースターだった。
サブタイトルそのものが、あちらは宮の伝説、こっちは伝説とほとんど同じ。明らかに狙っているとしか考えられない。

考えれば、親父さん(深作欣二)も、かつては「宇宙からのメッセージ」という、ルーカス監督の「スター・ウォーズ」まるごとパクリの珍作を撮ってるし(SFだというのに千葉チャンが甲冑兜姿で白馬にまたがり登場する(笑))、スピルバーグだって「1941」という、これまたパロディ満載のアホ映画を撮っている。
何が言いたいかというと、後の巨匠だって、おバカなパロディ、オマージュを盛り込んだ珍作・怪作を、嬉々として撮った事があり、むしろそういう所に作家の映画愛を感じてしまうからである。深作健太監督もまた、そうした先人の辿った道を歩んでいると考えれば、将来が大いに期待できるではないか……というのは考え過ぎ?(笑)

原作本です

サントラ盤 

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2007年12月17日 (月)

「キサラギ」

Kisaragi_2 (2007年・東芝エンタティンメント/監督:佐藤 祐市)

「ALWAYS 三丁目の夕日」の古沢良太の原案・脚本を、「シムソンズ」で注目された佐藤祐市が監督した、ワンシチュエーション・コメディの快作。

長期出張中は、特にミニシアター系の作品がほとんど観られなかった。やっと時間にゆとりが出来たので、遅まきながら見逃していた作品を追っかけている。本作は封切中も評価が高く、現在でもまだあちらこちらでアンコール・ロードショーをやっている。いいことである。近くの千里セルシー・シアターで鑑賞。

自殺したアイドルの一周忌に、ファンサイトで知り合った5人の男が1箇所に集まり、故人を追悼しているうちに、「彼女は殺されたのだ」という発言から、事態は急展開し、次々と新事実が暴露され、犯人探しが始まり、そしてラストには予想もしない結末が待っていた…。

舞台をある建物の屋上部屋に限定し、登場人物は5人だけ、そして5人の推理とディスカッションで真相を解明して行く展開…。明らかに名作「12人の怒れる男」が下敷であるが、その作品をベースに三谷幸喜が書いた「12人の優しい日本人」の味わいもある。

しかし何よりもユニークなのは、そういう古典的なパターンの中に、インターネット・サイトの伝言板に書き込みしていたオタクたちの集まり(いわゆるオフ会)という現代的なシチュエーションを持ち込んだ点にある。

互いにHN(ハンドルネーム)を使う事によって、本名も年齢も性別も隠していた人間たちが、現実に出会う事により、ネット上では見えなかった個々の人間像が露わになって来る…という設定がうまい。イチゴ娘というHNによって若い女の子だと思われていた人物が、実はむさくるしい中年男だった(香川照之、快演)…という辺りに顕著なように、ネット上では、誰もがヴァーチャルな存在になれ、それを楽しむ事が出来る。そして、中心となるアイドル歌手が、今ではこの世にいない=つまり彼女もまたここでは仮想現実なのである。

こういう設定は、登場人物の会話だけで物語が進行し、その会話で観客が、見えない光景を想像するという、(「12人の優しい日本人」に代表される)ディスカッション舞台劇と共通する要素がある。ある意味、この物語はディスカッション・ドラマの新パターンを開拓した―とも言えるだろう。それだけでも記憶されるべき、ユニークな存在だと言える。

それはさて置いても、この映画は脚本が秀逸である。巧妙に配された伏線が、寸分の無駄も無くストーリーに溶け込み、ちらちら見え隠れしていたアイテムが、すべて後段に明かされる真実(かどうかも分からないが)のヒントになっているなど、練りに練られた脚本のうまさに唸りたくなる。本年度の最優秀脚本賞は決まりだろう(「ALWAYS 続・三丁目の夕日」も古沢だ。すごい)。

佐藤祐市の演出もいい。冒頭のソール・バス風タイトル・デザインからして粋で一気に乗せられる。カット割のテンポも良く、限定された空間にも係わらず飽きさせない。回想シーンの静止画コマ落し風カットもシャレている。今後のさらなる活躍が期待される。

これ以上余計な事は言わない。ミステリー・ファンや、三谷舞台劇ファンなら間違いなく楽しめる、本年一級の日本映画の秀作である。未見の方がおられたら、近くで上映してるなら、是非劇場で鑑賞される事をお奨めする。…何気ない会話も聞き逃さないように。

 

・・・と誉めた所で、実はちょっとだけ、残念な点がある。
物語の進行中では、ほとんど姿を見せなかった、アイドル、如月ミキが、ラストで姿を見せるのだが、これがなんともC級でショボいのである。それも作者の意地悪な視点なのかも知れないが、あの程度のジャリタレに、死んで1年経ってもいまだにファンが集う…というのが私には理解出来ない(せめてZARDの坂井泉水レベルなら分かるが(笑)。もっとも、約3名はそれなりに理由があるが)。それがオタクなのだ…と言われればそれまでだが。
エンドクレジットの、ミキの歌に合わせ5人が踊るシーンも含め、この辺りのオタク的キモさが、評論家筋に受けが悪い原因なのかも知れない(発表済のヨコハマ、朝日ではいずれもベストテン圏外)。

如月ミキは、最後までその姿を見せない方が良かった。例え実像はあの程度であったとしても、姿を見せない事によって、ミキの実体は観客の想像に委ねられ、神秘的な存在になるからである。

ラストも、雨が上がった街の中に、五人の男たちが三々五々、別れを告げて去って行く…という幕切れにすれば余韻が残ってより傑作になったかも知れない(…て、それじゃ「12人の怒れる男」のラストと同じですが(笑))。

そんなわけで、このラストがやや減点。惜しい。   (採点=★★★★☆

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2007年12月14日 (金)

「ミッドナイト イーグル」

Midnighteagle (2007年:松竹・ユニヴァーサル/監督:成島 出)

高嶋哲夫原作のポリティカル・サスペンスを、「油断大敵」「フライ・ダディ・フライ」の成島出監督により映画化。

成島出は脚本家として、「シャブ極道」「恋極道」「笑う蛙」などのなかなか面白いシナリオを書いている。監督に進出してからも、前記2作もまずまずの出来であり、注目している作家の1人である。

しかし成島の書いた脚本のうち、戦前の大陸を舞台とした、スケール感のあるサスペンス「T.R.Y」(大森一樹監督)はつまらなかった。監督の責任もあるが、脚本が原作を未消化な感じを受けた。見せ場となるラストは、ショボくてガッカリした。

全般的に見て、おかしな人間たちの触れ合いをペーソス豊かに描く小品では力量を発揮するが、政治や国家がからむ大作には不向きなのかも知れない。

その成島が、ハリウッド映画ではお馴染みだが、日本映画ではあまり成功した例がない、ポリティカル・サスペンス・アクション大作を監督すると聞いて、期待半分・心配半分(が、どちらかと言えば心配の方が多い)で待った。しかし、ブログ等で聞こえて来る評判は最悪に近い…。ますます心配になったが、とにかく白紙の状態で鑑賞した。

で、感想…。ダメだった。各ブログの酷評そのままである。同傾向の「ホワイトアウト」もいまいちだったが、原作が凄く面白かったから、なんとか見れる方だった。本作は設定や展開にも無理があるし、だいたいアクションとしての見せ場がつまらなさ過ぎる
お話がメロメロでも、(ハリウッドの大味アクションのように)ダイナミックなアクションがつるべ打ちされておればそれなりに楽しめるが、本作はアクションすら同じパターンの繰り返しで、「ダイ・ハード」のように、絶体絶命のピンチを、知恵と機転、思わぬ小道具などを使って切り抜ける…という展開がまるでない。
例えば西崎と落合の二人が工作員グループに見つかり銃撃される…というパターンが何度も出て来るが、それに対する対策がなにもない。ただ逃げる…見つかる…また逃げる…こればっかりである。敵も味方も頭悪過ぎ。

突っ込みどころは満載である。
まず、アメリカの戦闘機が墜落した…というのに、米軍がまったく動かないのは不自然すぎる。軍事機密が搭載されてるはずだから、自衛隊よりも先に、米軍部隊が山に向かわなければならないだろう。

敵は半島の工作員…という事だが、機銃やロケット・ランチャーまで持ってる重装備部隊が、いったいどうやってわが国に潜入できたのか?それもかなりの大人数だ。どこに墜落するか予測出来ないのに、なんで手回しよく先に着いてる? て言うより、雪山の装備、どうやって入手した??(こういうのをご都合主義と言う)
そもそも一番の問題は、核を日本で爆発させてあの国に何のメリットがある? それもアメリカの兵器だ。それやっちゃ、間違いなく悪の枢軸の本性現わした…ていう事で、イラクの二の舞になって空爆→国家消滅、総書記は捕まってフセインと同じ運命をたどるね。まだ、オ○ムのようなカルト教団が敵なら納得できるかも知れないが。

総理大臣(藤竜也)、無精ヒゲじゃまずいだろう(ヒゲ生やした大臣っていましたっけ?)、女性写真誌記者(竹内結子)、警察より先に簡単に基地侵入犯見つけすぎ?匿っちゃ犯人隠匿罪でしょ。ピストルなんで持って帰る?(と言うより重傷の男、襲われた時の頼みの綱のピストル、手放すか普通)。ガソリン撒いて火事はいいけど、相手グループ、全員人質の元離れる?1人は残すでしょう。時限爆弾のパスコード、自衛隊が知ってる?ステルスの核兵器ってタイマーつきなの?(笑)。西崎、銃撃戦の最中に何度もテレビカメラの前に来るなよ。日本の総理が米軍兵器のトマホーク発射の命令出せないよ。朝、晴れたのになんで自衛隊ヘリ戻って来ない??

・・・うーん、もう止めとこう。書いてて情けなくなって来る。

 
揚げ足取りよりも、なんでこんなひどい事になったのか、それを検討する方が将来の為である。

第一の原因、原作が問題。ストーリーが米映画の継ぎはぎである。「ブロークン・アロー」、「ピース・メーカー」、「クリフハンガー」、「アルマゲドン」…たちどころに思い浮かぶ。

私はミステリー小説も大好きだが、この原作は記憶にない。ミステリー・ベストテンを選ぶ「このミステリーがすごい」、「週刊文春ミステリー・ベストテン」を調べたが、この作品(2000年発行)はどちらのベスト30にも入っていない(ちなみに「ホワイトアウト」はこのミス1位、文春2位、「亡国のイージス」はこのミス、文春共に3位である)。…つまりそれだけ、目利きの評論家から相手にされなかった凡作という事になる。(文春ベストテン一覧はこちらを参照))

小説は、文章力で読ませてしまう面もあるので、多少アラがあっても面白く読める場合がある。映像化すると、途端にボロが出て、原作は面白かったのに、映画化するとつまらない…というケースはこれまでにも無数にある。

従って映画化するなら、脚本を書くにあたって、お話として無理がないか検討を加え、問題がある所は徹底してクリアすべきである。場合によっては大幅に原作を解体し再構成するくらいの荒療治も必要である。そういう脚本作りをしなかった事が第二の原因。

松本清張原作の「砂の器」は、原作はダラダラしてあまり面白くない。それを、橋本忍+山田洋次チーム(よく考えれば、現在でもわが国ナンバー1,2の最強脚本家コンビである)は、大胆に修正を加え、後半をバッサリカットしてまるで違う作品に書き換えてしまった。そして映画は傑作になったのである。

そういう風に、原作より面白く作り変える事が出来る脚本家が本当にいなくなってしまっている。…これが日本映画界の致命的な弱点である。

黒澤明作品の脚本家チームは、顔ぶれだけでも黒澤本人に、菊島隆三、橋本忍、小国英雄…と、単独でも絶対に面白いシナリオが書ける大物ばかりである。それが3人、4人と集結しているのだから面白くならないわけがない。

しかも黒澤チームの凄い所は、例えば「隠し砦の三悪人」では、黒澤が絶体絶命の状況を呈示し、菊島、橋本がそれをクリアするアイデアをいくつも出し、最終的に小国がとりまとめる…という体制で脚本を完成させた。だから、まったく穴がなく完璧な出来となるのである。

こういうシステムは今の映画界でも是非実践して欲しい。そうすれば本作のように、観客からさんざん突っ込まれるようなブザマな事にはならなかっただろう。

第三の原因。これは私が何度も書いて来たように、製作委員会方式による、プロデューサー不在という状況が問題である。

映画が全盛の頃は、優秀な名プロデューサーが何人もいて、作品に厳しい目を向けていた。脚本もちゃんと読めるし、出来が悪ければ書き直させる。脚本のチェックが通れば、次にそれに合った監督やスタッフを適材適所に配置する。クレジット・タイトルにも一番最初にプロデューサーの名前が出る。田中友幸、藤本真澄、本木荘二郎、マキノ光雄、岡田茂、俊藤浩滋…こういう名前も自然に覚えた。彼らの製作する映画に駄作はまずなかった。

優秀なプロデューサーなら、出来上がってきた脚本にまずダメを出し、本作のような場合なら絶対に書き直しをさせただろう(というより、これはモノにならないと企画そのものをボツにしたかも知れない)。監督だって、B級映画でもいいから、アクションをきちんと撮れる人材を起用するだろう。成島監督が悪いわけではない。もともと向いていない人を起用した方が悪い。

製作委員会方式になって、クレジット・タイトルにはやたら大勢のプロデューサーの名前が並ぶ。で、誰が何をやってるのかさっぱり分からない。本作を見ると、「製作」4人、「プロデューサー」5人、「エグゼクティブ・プロデューサー」4人、そして「企画」4人…なんとプロデューサーらしき人間が17人!もいる。まさしく、船頭多くして船、山に登る…のことわざ通りである。

これらの人たちは、ただ出資した会社の製作責任者というだけで、映画作りのノウハウを熟知しているわけでもない。脚本すら読んでいないだろう。統括責任者が誰かも分からない。出来が悪く、赤字になってもそれぞれリスク分散してるから、ちょっとづつ赤字を分担するだけで終わり。その分は後にDVDを出せば回収出来るから大して問題にもならない。…かくして駄作が量産され続ける事となるのである。

昨年、興行収入比率が、邦洋逆転したからと浮かれてはいられない。こんな事では、日本映画はまた洋画に再逆転される日が遠からず来るだろう。映画業界は真剣に考えて欲しいと切に願う。     (採点=★☆

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2007年12月 5日 (水)

「椿三十郎」について語りたい2,3の事柄

Sanjuurou_2 前回、黒澤明監督のオリジナル版「椿三十郎」を是非観て欲しい…と書いたが、もし観られるのなら、その前に前作であり姉妹編の「用心棒」も、出来たら先に観ておく事をお奨めする。

“三十郎”のキャラクターは、この作品で確立したものであり、またこちらを先に観ておくと、さらに「椿三十郎」が楽しめる仕掛けもあるからである。

「用心棒」の中で、次のような場面がある。

Yojinbou ヤクザの清兵衛に、「旦那のお名前は?」と聞かれた用心棒、おもむろに戸外を見ると、一面の桑畑が眼下に見える。
そこで答えるセリフが「俺の名は、桑畑三十郎…、もっとも、もうじき四十郎だがな」

「椿三十郎」の中で睦田夫人に名前を聞かれて「私の名前は…椿三十郎。もっとも、もうじき四十郎ですが」と答えるセリフは、この「用心棒」の、名前を名乗るくだりの反復ギャグであり、パロディとも言える楽しいセリフなのである。だから、「用心棒」を先に観ておれば、ここはもっと楽しめるシーンである。私が昔黒澤版を観た時は、ここで笑い声が起きていた。

そういうわけだから、他にもいくつか反復ギャグ的なシーンを探す事が出来る。
「椿」の方で、三十郎が、菊井の手の者をアッと言う間に斬り伏せて「いけねえ、あの3人、もう斬られてるぜ」と室戸半兵衛を騙すシーンは、「用心棒」にもそっくりなシーンがある(「用心棒」の方は、「もう斬られてるぜ」と亥之吉(加東大介)に言って仲間を呼びに行かせてる間に斬り捨てる…という違いはあるが)。

仲代達矢扮する卯之助に、とうとう騙した事がバレるシーン、ここでもやっぱり、三船は仲代に、刀を取り上げられる

役者も面白い取り合わせがある。ヤクザたちのパトロンとなって背後で糸を引く2人の悪人(大店の主人)が、志村喬藤原釜足
この2人が、「椿三十郎」でも、茶室の2悪人として再登場。従って「用心棒」を観ていると、ここでも笑えてしまうはずである。

ラストの決闘では、血しぶきこそ噴出しないが、やはり仲代達矢が奇策で倒され、そしてその体の下に血の海が出来ている

そして三十郎は、やはり「あばよ」と一声、見送る人々に背を向けて去って行くのである。

 

・・・・・・・・・・・・ 

Tubakisanjurou_2 さて、完璧な「椿三十郎」のシナリオだが、実はよく考えると大変なミスがある。

菊井の屋敷前で4人の若侍が捕まり、三十郎が彼らを逃がす為に、17人を一気に斬りまくる有名なシーン(新作では21人)。

その後、三十郎は彼らに縄で縛って貰い、戻って来た室戸に「面目ねえ」と謝るのだが・・・

常識的に考えれば、17人も斬れば、三十郎はかなりの返り血を浴びているはずである。

抵抗せずに降伏して縛られたのなら、返り血はつかないはず。従って返り血が三十郎の衣服に付いていれば間違いなく室戸にバレる事となる。…大体、ラストで室戸1人を斬っただけでもあんなに大量の血しぶきが飛び散るのだから。
ところが、三十郎の衣服にはまったく返り血が付いていない。これは絶対おかしい。
(殺人事件があるミステリー映画でも、例えば「砂の器」に代表されるように、「犯人は必ず返り血を浴びている」のが捜査のポイントになっているくらいである)

実は、これが黒澤明のズルい所なのである(笑)。

俗に、時代劇映画の歴史では、“三十郎以前、三十郎以後”と呼ばれる、大きな転換期がある。それは、「椿三十郎」以前の時代劇では、主人公がいくら大勢の悪人を斬り倒しても、一切血は吹き出ない…何十人叩き斬っても、刀は刃こぼれしないし、主人公の衣服には一滴の血もかからない
これが常識だったのである。

従って当時の観客は、三十郎が17人を切り倒した後、衣服に返り血が付いていなくても、それが当然の事として、まったく疑問に思わなかったのである…ラストの大量の血しぶきシーンでは、ただただビックリして、前述シーンとの矛盾なんてどっかにすっ飛んでしまったのである。

そして「椿三十郎」以後は、刀で相手を斬れば、バシャーっと血糊を盛大に噴出させるのが逆の常識として定着してしまったのである(おかげで、優雅に悪人をバッタバッタと斬り倒しても、キンキラキンの衣装に一滴の血も付かなかった旗本退屈男シリーズの市川右太衛門や若さま侍の大川橋蔵らのチャンバラ・スターは、以後映画界からの引退を余儀なくされてしまう事となる)。

高倉健主演の東映ヤクザ映画では、健サンが敵を斬る度に返り血を浴び、全身が赤く染まって行く事となる。

黒澤は、映画の歴史を大きく変えてしまったのである(黒澤本人は、血糊が吹き出る映画が流行した事を大変悔やんで、以後人間の体から血が吹き出るシーンは撮らなくなったという)。

「椿三十郎」における、菊井邸でのチャンバラ・シーン後における三十郎の騙しのトリックは、斬られても血が出ない、その当時の約束事が守られていたからこそ成立する、そのギリギリでのフェイクなのである。

今回の新作で、角川春樹プロデューサーは、「R指定を免れる為に、斬っても血糊は出させなかった」…なんて言ってるが、私は、実は前記のような問題があるからこそ、血糊を噴出させる訳には行かなかった…というのが本当の理由ではないかと疑っている。

 
…それにしても、森田芳光監督は分かっていない。このシーンで、森田は斬り合いの途中で(刃こぼれして斬れなくなったという事で)刀を取り替えさせ、かつ斬っているうちに疲れ、ヨタヨタして来る…という演技を織田にさせている。リアリズムを狙った…という事なのだろうが、前記でお分かりのように、このシーンはリアリズムで行ってはいけないのである。

黒澤版では、一気に17人を目にも止まらない早業で斬り、刀も取り替えない。
1本の刀では、刃こぼれと血脂で数人しか斬れない…ぐらいの事は、黒澤は「七人の侍」においてとっくに描いている(三船扮する菊千代が「1本の刀じゃ5人と斬れん」と言っている)。

その黒澤が、このシーンでは(返り血を浴びない事も含めて)リアリズムを徹底的に無視する演出をほどこしているのは、この映画を、荒唐無稽なマンガである…というスタンスで統一させているからに他ならない。ラストの、水道管が破裂したような大げさな血しぶきも、すべて荒唐無稽さを徹底させるための意識的な演出なのである。

そういう、黒澤の細心の配慮を、森田は全然理解していない。まったく困ったものである。やれやれ…

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2007年12月 4日 (火)

「椿三十郎」(2007)

Tubaki (2007年・東宝/監督:森田 芳光)

黒澤明監督の不朽の名作のリメイクであるのはご承知の通り。

私は、この企画が発表された時から、悪い予感がしていた。黒澤明ほどの天才監督はもう2度と現れないだろうし、三船敏郎ほどのサムライ・スーパースターも2度と誕生しないだろうと確信している。この2人が組んで作り上げた数々の傑作映画は、誰が観ても最高の芸術であり、最高のエンタティンメントである。まさに奇跡のコラボレーションである。

そんな作品をリメイクするくらいなら、オリジナルをリバイバル・ロードショーする方がよっぽどマシである。止めて欲しいと思った。

それも、これまでチャンバラ時代劇を撮った事もない森田芳光が演出し、やはりサムライを演じた事もない織田裕二が椿三十郎???
無謀である。身の程知らずである。あの天才、黒澤明ですら、いくつかの痛快時代劇を生み出すまでにどれほどの研究と苦労を重ねたか、分かってるのだろうか。(興味ある方は、橋本忍・著「複眼の映像」を一読のこと)

三船敏郎も、「椿三十郎」に至るまでに、夥しい数の時代劇に出演している。それだけでなく、「宮本武蔵」や、黒澤「隠し砦の三悪人」等の主演作によって、観客に“剣豪”“知将”のイメージが浸透しており、それ故、出て来るだけでオーラが漂い、観る前から既に、誰も適わない剣の使い手…である事が観客に伝わっているのである。―こういう三船のキャラクターをベースにして、黒澤明はあの「用心棒」、「椿三十郎」という稀代のヒーローを誕生させたのである。三船なくしてはこの映画は作られなかった
そういう下地があったからこそ、これらの作品は無類に面白く、未だに映画ファンに愛されているのである。

だから、リメイクするなら、三船に匹敵する剣豪役者が現れるまで待つか、さもなくば、ストーリーはオリジナルを生かしつつも、主演俳優(織田裕二)のキャラクターに合わせて脚本を大幅に改定すべきである。

ところが森田芳光は、元の脚本(黒澤・菊島隆三・小国英雄の共作)を一字一句変えずにそのまま映画化してしまった。悪い予感は的中してしまった。…織田裕二に、三船敏郎のキャラに合わせて書かれたセリフをそのまま喋らせ、三船の所作、立ち回りをそのまま演じさせてしまった。
―これがこの作品の致命的な欠陥である。

若侍たちに比べれば、ちょっと年上の兄貴にしか見えない織田裕二が、やたら大げさな身振りで肩をいからせ、刀を振り回しても、強いサムライに見えず、かつ頭が切れる策略家にも見えない。単に三船の物真似をしてるだけである。
さらには、黒澤は三十郎に、それまでの黒澤作品でも常に見え隠れする、未熟な若者を指導し、育てる、家父長のイメージをも与えているはずなのである(この関係がそのまま、次々作「赤ひげ」の三船-加山の関係に繋がって行く)。三十郎は、若侍たちにとって、父親的な存在でもあるのである。それ故、あの脚本をそのまま採用するなら、織田のキャスティングは間違っていると言わざるを得ない。

織田だけではない。その他の配役も多くは脚本とマッチしていない。

オリジナルの方は、俳優のキャラクターに合わせて脚本を書いたのかと思えるほど、絶妙なキャスティングであった。
神経質で小心な竹林は藤原釜足、老獪な黒藤は志村喬、そして黒幕・菊井は、一見人が良さそうで頼りがいのある人物に見えるが、実は腹黒いという役柄にピッタリの清水将夫。
対して新作は風間杜夫、小林稔侍、西岡徳馬…かなり格落ちのうえにイメージも合っていない。菊井は、見るからに悪役面の西岡ではダメなのである。そこが分かっていない。

そして一番大事なのが、ラストに登場する城代家老・睦田。冒頭で三十郎に「情けないツラをしてる」と図星を指され、そこから観客が抱くイメージを更にオーバーに表現した伊藤雄之助のマヌケ面メーキャップがポイントになっているのだが、新作では単に顔が長い点だけ共通の藤田まことをキャスティングしているのは、黒澤の意図をまるで理解していない顔が長くなくてもいい、情けないマヌケ面のメイクをこそ施さなければならないのである。

要するに、森田監督は、そうしたオリジナル脚本の意図をよく咀嚼もせず、安易にまるごと採用してしまったのである。
オリジナルに敬意を表して…と言えば聞こえはいいが、要するに頭を使う努力を放棄して単純コピーしているだけである。ヒッチコック監督の「サイコ」を、アングル、カット割、編集ともオリジナルそのまんまリメイクしたガス・バン・サント版「サイコ」とやってる事は変わらない。

オリジナルの黒澤作品が、脚本チームが苦吟に苦吟を重ね、“無から有を生み出す、生みの苦しみ”を経て作品を創造した事に比べ、、あまりに楽をし過ぎではないか。せめて、オリジナルにはなかった、新しいストーリー展開とか、最新のCG技術を活用し、見た事もない斬新な殺陣を考案するとか…の工夫をすべきではなかったか。ラストの殺陣はそれなりによく考えたとは思うが、オリジナルを最初に観た時の驚きと興奮には遥かに及ばない。

絵画に例えれば、本作は元の作品をそのまま模写した複製絵画のようなものである。見た目は本物そっくりなので、素人が見れば素晴らしい出来だ…と感動するかも知れない。しかし本当の感動は、本物をじっくり眺めてこそ得られるものである。

まだ黒澤作品を観ていない方がいたら、是非、黒澤明監督のオリジナルを、本物の「椿三十郎」を観て欲しい。いかにオリジナルが素晴らしいか、実感できるはずである。  

 (採点=★☆

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(付記)本稿で書ききれなかった、「椿三十郎」に関するあれこれを、別項に纏めましたのでお読みください。
   ・「椿三十郎」について語りたい2,3の事柄
   ・またまた「椿三十郎」

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