「ミッドナイト イーグル」
高嶋哲夫原作のポリティカル・サスペンスを、「油断大敵」「フライ・ダディ・フライ」の成島出監督により映画化。
成島出は脚本家として、「シャブ極道」「恋極道」「笑う蛙」などのなかなか面白いシナリオを書いている。監督に進出してからも、前記2作もまずまずの出来であり、注目している作家の1人である。
しかし成島の書いた脚本のうち、戦前の大陸を舞台とした、スケール感のあるサスペンス「T.R.Y」(大森一樹監督)はつまらなかった。監督の責任もあるが、脚本が原作を未消化な感じを受けた。見せ場となるラストは、ショボくてガッカリした。
全般的に見て、おかしな人間たちの触れ合いをペーソス豊かに描く小品では力量を発揮するが、政治や国家がからむ大作には不向きなのかも知れない。
その成島が、ハリウッド映画ではお馴染みだが、日本映画ではあまり成功した例がない、ポリティカル・サスペンス・アクション大作を監督すると聞いて、期待半分・心配半分(が、どちらかと言えば心配の方が多い)で待った。しかし、ブログ等で聞こえて来る評判は最悪に近い…。ますます心配になったが、とにかく白紙の状態で鑑賞した。
で、感想…。ダメだった。各ブログの酷評そのままである。同傾向の「ホワイトアウト」もいまいちだったが、原作が凄く面白かったから、なんとか見れる方だった。本作は設定や展開にも無理があるし、だいたいアクションとしての見せ場がつまらなさ過ぎる。
お話がメロメロでも、(ハリウッドの大味アクションのように)ダイナミックなアクションがつるべ打ちされておればそれなりに楽しめるが、本作はアクションすら同じパターンの繰り返しで、「ダイ・ハード」のように、絶体絶命のピンチを、知恵と機転、思わぬ小道具などを使って切り抜ける…という展開がまるでない。
例えば西崎と落合の二人が工作員グループに見つかり銃撃される…というパターンが何度も出て来るが、それに対する対策がなにもない。ただ逃げる…見つかる…また逃げる…こればっかりである。敵も味方も頭悪過ぎ。
突っ込みどころは満載である。
まず、アメリカの戦闘機が墜落した…というのに、米軍がまったく動かないのは不自然すぎる。軍事機密が搭載されてるはずだから、自衛隊よりも先に、米軍部隊が山に向かわなければならないだろう。
敵は半島の工作員…という事だが、機銃やロケット・ランチャーまで持ってる重装備部隊が、いったいどうやってわが国に潜入できたのか?それもかなりの大人数だ。どこに墜落するか予測出来ないのに、なんで手回しよく先に着いてる? て言うより、雪山の装備、どうやって入手した??(こういうのをご都合主義と言う)
そもそも一番の問題は、核を日本で爆発させてあの国に何のメリットがある? それもアメリカの兵器だ。それやっちゃ、間違いなく悪の枢軸の本性現わした…ていう事で、イラクの二の舞になって空爆→国家消滅、総書記は捕まってフセインと同じ運命をたどるね。まだ、オ○ムのようなカルト教団が敵なら納得できるかも知れないが。
総理大臣(藤竜也)、無精ヒゲじゃまずいだろう(ヒゲ生やした大臣っていましたっけ?)、女性写真誌記者(竹内結子)、警察より先に簡単に基地侵入犯見つけすぎ?匿っちゃ犯人隠匿罪でしょ。ピストルなんで持って帰る?(と言うより重傷の男、襲われた時の頼みの綱のピストル、手放すか普通)。ガソリン撒いて火事はいいけど、相手グループ、全員人質の元離れる?1人は残すでしょう。時限爆弾のパスコード、自衛隊が知ってる?ステルスの核兵器ってタイマーつきなの?(笑)。西崎、銃撃戦の最中に何度もテレビカメラの前に来るなよ。日本の総理が米軍兵器のトマホーク発射の命令出せないよ。朝、晴れたのになんで自衛隊ヘリ戻って来ない??
・・・うーん、もう止めとこう。書いてて情けなくなって来る。
揚げ足取りよりも、なんでこんなひどい事になったのか、それを検討する方が将来の為である。
第一の原因、原作が問題。ストーリーが米映画の継ぎはぎである。「ブロークン・アロー」、「ピース・メーカー」、「クリフハンガー」、「アルマゲドン」…たちどころに思い浮かぶ。
私はミステリー小説も大好きだが、この原作は記憶にない。ミステリー・ベストテンを選ぶ「このミステリーがすごい」、「週刊文春ミステリー・ベストテン」を調べたが、この作品(2000年発行)はどちらのベスト30にも入っていない(ちなみに「ホワイトアウト」はこのミス1位、文春2位、「亡国のイージス」はこのミス、文春共に3位である)。…つまりそれだけ、目利きの評論家から相手にされなかった凡作という事になる。(文春ベストテン一覧はこちらを参照))
小説は、文章力で読ませてしまう面もあるので、多少アラがあっても面白く読める場合がある。映像化すると、途端にボロが出て、原作は面白かったのに、映画化するとつまらない…というケースはこれまでにも無数にある。
従って映画化するなら、脚本を書くにあたって、お話として無理がないか検討を加え、問題がある所は徹底してクリアすべきである。場合によっては大幅に原作を解体し再構成するくらいの荒療治も必要である。そういう脚本作りをしなかった事が第二の原因。
松本清張原作の「砂の器」は、原作はダラダラしてあまり面白くない。それを、橋本忍+山田洋次チーム(よく考えれば、現在でもわが国ナンバー1,2の最強脚本家コンビである)は、大胆に修正を加え、後半をバッサリカットしてまるで違う作品に書き換えてしまった。そして映画は傑作になったのである。
そういう風に、原作より面白く作り変える事が出来る脚本家が本当にいなくなってしまっている。…これが日本映画界の致命的な弱点である。
黒澤明作品の脚本家チームは、顔ぶれだけでも黒澤本人に、菊島隆三、橋本忍、小国英雄…と、単独でも絶対に面白いシナリオが書ける大物ばかりである。それが3人、4人と集結しているのだから面白くならないわけがない。
しかも黒澤チームの凄い所は、例えば「隠し砦の三悪人」では、黒澤が絶体絶命の状況を呈示し、菊島、橋本がそれをクリアするアイデアをいくつも出し、最終的に小国がとりまとめる…という体制で脚本を完成させた。だから、まったく穴がなく完璧な出来となるのである。
こういうシステムは今の映画界でも是非実践して欲しい。そうすれば本作のように、観客からさんざん突っ込まれるようなブザマな事にはならなかっただろう。
第三の原因。これは私が何度も書いて来たように、製作委員会方式による、プロデューサー不在という状況が問題である。
映画が全盛の頃は、優秀な名プロデューサーが何人もいて、作品に厳しい目を向けていた。脚本もちゃんと読めるし、出来が悪ければ書き直させる。脚本のチェックが通れば、次にそれに合った監督やスタッフを適材適所に配置する。クレジット・タイトルにも一番最初にプロデューサーの名前が出る。田中友幸、藤本真澄、本木荘二郎、マキノ光雄、岡田茂、俊藤浩滋…こういう名前も自然に覚えた。彼らの製作する映画に駄作はまずなかった。
優秀なプロデューサーなら、出来上がってきた脚本にまずダメを出し、本作のような場合なら絶対に書き直しをさせただろう(というより、これはモノにならないと企画そのものをボツにしたかも知れない)。監督だって、B級映画でもいいから、アクションをきちんと撮れる人材を起用するだろう。成島監督が悪いわけではない。もともと向いていない人を起用した方が悪い。
製作委員会方式になって、クレジット・タイトルにはやたら大勢のプロデューサーの名前が並ぶ。で、誰が何をやってるのかさっぱり分からない。本作を見ると、「製作」4人、「プロデューサー」5人、「エグゼクティブ・プロデューサー」4人、そして「企画」4人…なんとプロデューサーらしき人間が17人!もいる。まさしく、船頭多くして船、山に登る…のことわざ通りである。
これらの人たちは、ただ出資した会社の製作責任者というだけで、映画作りのノウハウを熟知しているわけでもない。脚本すら読んでいないだろう。統括責任者が誰かも分からない。出来が悪く、赤字になってもそれぞれリスク分散してるから、ちょっとづつ赤字を分担するだけで終わり。その分は後にDVDを出せば回収出来るから大して問題にもならない。…かくして駄作が量産され続ける事となるのである。
昨年、興行収入比率が、邦洋逆転したからと浮かれてはいられない。こんな事では、日本映画はまた洋画に再逆転される日が遠からず来るだろう。映画業界は真剣に考えて欲しいと切に願う。 (採点=★☆)
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コメント
トラックバック、ありがとうございます。見事に斬っていて、気持ちいい評論を読ませてもらいました。あっそうか!と、私のわからなかった部分もいろいろ教えてもらって、本当につっこむところが多いですね。しょぼくれてくいような美しくみせる涙涙の終わり方・・・日本的でした。「ダイハード」のように、有り得なくてもいいので、無茶してもいいので、リアリティを溶け込ませながら、ズバッと助かってほしかった・・・とても後味の悪いエンドロールでした。 冨田弘嗣
投稿: 冨田弘嗣 | 2007年12月15日 (土) 00:58
>冨田さん、TB,コメントありがとうございます。
斬ったはいいけど、空しい気分です。成島出はお気に入りの作家で、これからを期待してたのですが、こんな駄作を撮ってしまって、今後が心配です。興行成績もかなり悪いし、ホされないか気がかりです。
日本映画の悪しきシステムが、若い才能の芽を摘んでしまう結果になったとしたら、大きな損失です。責任者出て来い!と、思いっきり古いフレーズを思い出してしまいました(て言っても誰が責任者か不明。はぁ…)。
投稿: Kei(管理人) | 2007年12月15日 (土) 11:53