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2007年12月 5日 (水)

「椿三十郎」について語りたい2,3の事柄

Sanjuurou_2 前回、黒澤明監督のオリジナル版「椿三十郎」を是非観て欲しい…と書いたが、もし観られるのなら、その前に前作であり姉妹編の「用心棒」も、出来たら先に観ておく事をお奨めする。

“三十郎”のキャラクターは、この作品で確立したものであり、またこちらを先に観ておくと、さらに「椿三十郎」が楽しめる仕掛けもあるからである。

「用心棒」の中で、次のような場面がある。

Yojinbou ヤクザの清兵衛に、「旦那のお名前は?」と聞かれた用心棒、おもむろに戸外を見ると、一面の桑畑が眼下に見える。
そこで答えるセリフが「俺の名は、桑畑三十郎…、もっとも、もうじき四十郎だがな」

「椿三十郎」の中で睦田夫人に名前を聞かれて「私の名前は…椿三十郎。もっとも、もうじき四十郎ですが」と答えるセリフは、この「用心棒」の、名前を名乗るくだりの反復ギャグであり、パロディとも言える楽しいセリフなのである。だから、「用心棒」を先に観ておれば、ここはもっと楽しめるシーンである。私が昔黒澤版を観た時は、ここで笑い声が起きていた。

そういうわけだから、他にもいくつか反復ギャグ的なシーンを探す事が出来る。
「椿」の方で、三十郎が、菊井の手の者をアッと言う間に斬り伏せて「いけねえ、あの3人、もう斬られてるぜ」と室戸半兵衛を騙すシーンは、「用心棒」にもそっくりなシーンがある(「用心棒」の方は、「もう斬られてるぜ」と亥之吉(加東大介)に言って仲間を呼びに行かせてる間に斬り捨てる…という違いはあるが)。

仲代達矢扮する卯之助に、とうとう騙した事がバレるシーン、ここでもやっぱり、三船は仲代に、刀を取り上げられる

役者も面白い取り合わせがある。ヤクザたちのパトロンとなって背後で糸を引く2人の悪人(大店の主人)が、志村喬藤原釜足
この2人が、「椿三十郎」でも、茶室の2悪人として再登場。従って「用心棒」を観ていると、ここでも笑えてしまうはずである。

ラストの決闘では、血しぶきこそ噴出しないが、やはり仲代達矢が奇策で倒され、そしてその体の下に血の海が出来ている

そして三十郎は、やはり「あばよ」と一声、見送る人々に背を向けて去って行くのである。

 

・・・・・・・・・・・・ 

Tubakisanjurou_2 さて、完璧な「椿三十郎」のシナリオだが、実はよく考えると大変なミスがある。

菊井の屋敷前で4人の若侍が捕まり、三十郎が彼らを逃がす為に、17人を一気に斬りまくる有名なシーン(新作では21人)。

その後、三十郎は彼らに縄で縛って貰い、戻って来た室戸に「面目ねえ」と謝るのだが・・・

常識的に考えれば、17人も斬れば、三十郎はかなりの返り血を浴びているはずである。

抵抗せずに降伏して縛られたのなら、返り血はつかないはず。従って返り血が三十郎の衣服に付いていれば間違いなく室戸にバレる事となる。…大体、ラストで室戸1人を斬っただけでもあんなに大量の血しぶきが飛び散るのだから。
ところが、三十郎の衣服にはまったく返り血が付いていない。これは絶対おかしい。
(殺人事件があるミステリー映画でも、例えば「砂の器」に代表されるように、「犯人は必ず返り血を浴びている」のが捜査のポイントになっているくらいである)

実は、これが黒澤明のズルい所なのである(笑)。

俗に、時代劇映画の歴史では、“三十郎以前、三十郎以後”と呼ばれる、大きな転換期がある。それは、「椿三十郎」以前の時代劇では、主人公がいくら大勢の悪人を斬り倒しても、一切血は吹き出ない…何十人叩き斬っても、刀は刃こぼれしないし、主人公の衣服には一滴の血もかからない
これが常識だったのである。

従って当時の観客は、三十郎が17人を切り倒した後、衣服に返り血が付いていなくても、それが当然の事として、まったく疑問に思わなかったのである…ラストの大量の血しぶきシーンでは、ただただビックリして、前述シーンとの矛盾なんてどっかにすっ飛んでしまったのである。

そして「椿三十郎」以後は、刀で相手を斬れば、バシャーっと血糊を盛大に噴出させるのが逆の常識として定着してしまったのである(おかげで、優雅に悪人をバッタバッタと斬り倒しても、キンキラキンの衣装に一滴の血も付かなかった旗本退屈男シリーズの市川右太衛門や若さま侍の大川橋蔵らのチャンバラ・スターは、以後映画界からの引退を余儀なくされてしまう事となる)。

高倉健主演の東映ヤクザ映画では、健サンが敵を斬る度に返り血を浴び、全身が赤く染まって行く事となる。

黒澤は、映画の歴史を大きく変えてしまったのである(黒澤本人は、血糊が吹き出る映画が流行した事を大変悔やんで、以後人間の体から血が吹き出るシーンは撮らなくなったという)。

「椿三十郎」における、菊井邸でのチャンバラ・シーン後における三十郎の騙しのトリックは、斬られても血が出ない、その当時の約束事が守られていたからこそ成立する、そのギリギリでのフェイクなのである。

今回の新作で、角川春樹プロデューサーは、「R指定を免れる為に、斬っても血糊は出させなかった」…なんて言ってるが、私は、実は前記のような問題があるからこそ、血糊を噴出させる訳には行かなかった…というのが本当の理由ではないかと疑っている。

 
…それにしても、森田芳光監督は分かっていない。このシーンで、森田は斬り合いの途中で(刃こぼれして斬れなくなったという事で)刀を取り替えさせ、かつ斬っているうちに疲れ、ヨタヨタして来る…という演技を織田にさせている。リアリズムを狙った…という事なのだろうが、前記でお分かりのように、このシーンはリアリズムで行ってはいけないのである。

黒澤版では、一気に17人を目にも止まらない早業で斬り、刀も取り替えない。
1本の刀では、刃こぼれと血脂で数人しか斬れない…ぐらいの事は、黒澤は「七人の侍」においてとっくに描いている(三船扮する菊千代が「1本の刀じゃ5人と斬れん」と言っている)。

その黒澤が、このシーンでは(返り血を浴びない事も含めて)リアリズムを徹底的に無視する演出をほどこしているのは、この映画を、荒唐無稽なマンガである…というスタンスで統一させているからに他ならない。ラストの、水道管が破裂したような大げさな血しぶきも、すべて荒唐無稽さを徹底させるための意識的な演出なのである。

そういう、黒澤の細心の配慮を、森田は全然理解していない。まったく困ったものである。やれやれ…

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コメント

17人切りの解説、よかったです。黒澤組の脚本のように面白くて一気に読んじゃいました。
ガッテン!ガッテン!です。
実は私、学生のときこの2本を一気に連続して観たので、場内笑いが起こりました。
椿三十郎は2度目に観たとき、本当に強い刀は鞘に入ってるものよって、ギラギラ抜き身のまんまのような三船さんをたしなめる年寄りの奥様と、馬鹿?殿様の二人の良さが分かりました。
なお、織田くんは好きですが、観るのが怖く、まだ観てません。

投稿: omiko | 2007年12月13日 (木) 21:20

>omikoさん しばらくです。
気に入っていただけて何よりです。
ホントは黒澤映画にツッ込んじゃいけなんですけどね(笑)。
城代家老・睦田(伊藤雄之助)とその奥方(入江たか子)のおトボケぶりは、山本周五郎の原作(「日日平安」)に描かれている、そのまんまで、いい味わいですね。(原作では陸田(くがた)ですが何故か映画では睦田になってます)
原作では、主人公は剣の腕がからきしで腹ペコだし、情けなさでは城代といい勝負ですが、それが作品全体のコアになってて、ほのぼのとした気分になれます。原作を読む事をお奨めします。
黒澤作品のファンであるなら、織田版はテレビまで待った方がいいと思いますよ。

投稿: Kei(管理人) | 2007年12月14日 (金) 02:06

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