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2008年1月31日 (木)

2008年度 鑑賞作品一覧

2008年度鑑賞の新作映画のタイトルと、採点です。 (随時追加)
タイトルをクリックすれば、リンク先に飛びます。リンクがないものは未掲載です。

 

  タイトル 採点
1月 ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記 ★★★
勇者たちの戦場 ★★★★☆
サラエボの花 ★★★★☆
ペルセポリス ★★★★☆
アース ★★★★
ジェシー・ジェームズの暗殺 ★★★★☆
Mr.ビーン カンヌで大迷惑?! ★★★☆
28週後 ★★★☆
母べえ ★★★★★
スゥイニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師 ★★★★☆
2月 ウォーター・ホース ★★
結婚しようよ ★★★★
歓喜の歌 ★★★★
L change the WorLd
殯(もがり)の森 ★★★★
団塊ボーイズ ★★★★
潜水服は蝶の夢を見る ★★★★☆
アメリカン・ギャングスター ★★★★☆
奈緒子 ★★★★
3月 ガチ☆ボーイ ★★★★★
チーム・バチスタの栄光 ★★
レンブラントの夜警 ★★★★
バンテージ・ポイント ★★★★☆
人のセックスを笑うな ★★★★
明日への遺言 ★★★★☆
ライラの冒険 黄金の羅針盤 ★★☆
実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 ★★★★★
魔法にかけられて ★★★★
ノーカントリー ★★★★☆
燃えよ!ピンポン ★★★
4月 Sweet Rain 死神の精度 ★★★★
モンゴル ★★★★☆
クローバーフィールド HAKAISHA ★★★★
ブラックサイト ★★★
うた魂♪ ★★★
王妃の紋章 ★★★★
ぼくたちと駐在さんの700日戦争 ★★★★☆
フィクサー ★★★★☆
大いなる陰謀 ★★★★
アヒルと鴨のコインロッカー(ビデオ) ★★★★
少林少女
紀元前1万年 ★★
スパイダーウィックの謎 ★★★☆
相棒 -劇場版- ★★
さよなら。いつかわかること ★★★★☆
腑抜けども、悲しみの愛を見せろ (ビデオ) ★★★★☆
隠し砦の三悪人  (2008) ★★★
チャーリー・ウィルソンズ・ウォー ★★★★
ゼア・ウイル・ビー・ブラッド ★★★★
最高の人生の見つけ方 ★★★★
ラスト、コーション ★★★★
丘を越えて ★★★★
山のあなた 徳市の恋 ★★★★☆
アフター・スクール ★★★★
ランボー 最後の戦場 ★★★★☆
6月 ミスト ★★★★☆
接吻 ★★★★
JOHNEN 定の愛 ★★☆
ザ・マジックアワー ★★★★
僕の彼女はサイボーグ
山桜 ★★★★☆
インディージョーンズ クリスタル・スカルの王国 ★★★★
シークレット・サンシャイン ★★★★☆
JUNO/ジュノ ★★★★☆
西の魔女が死んだ ★★★★
ミラクル7号 ★★★★
神様のパズル ★★★☆
スルース/探偵  (2007) ★★★☆
7月 ダイブ! ★★★★
告発のとき ★★★★☆
カメレオン ★★★☆
ぐるりのこと。 ★★★★☆
イースタン・プロミス ★★★★☆
クライマーズ・ハイ ★★★★☆
スピード・レーサー ★★☆
崖の上のポニョ ★★★★★
百万円と苦虫女 ★★★★☆
ハプニング ★★★☆
ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン! ★★★★☆
シューテム・アップ ★★★★
歩いても 歩いても ★★★★☆
8月 ドラゴン・キングダム ★★★☆
カンフー・パンダ ★★★★
ショーン・オブ・ザ・デッド (ビデオ) ★★★★☆
スカイ・クロラ ★★★★☆
ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発 ★★☆
ダークナイト ★★★★☆
インクレディブル・ハルク ★★★☆
闇の子供たち ★★★★☆
ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝 ★★★
ひゃくはち ★★★★
アクロス・ザ・ユニバース ★★★★☆
落語娘 ★★★☆
9月 火垂るの墓    (2008) ★★★
チャプター27  (ビデオ) ★★★
片腕マシンガール ★★★★
ハンコック ★★★★
20世紀少年 ★★☆
デトロイト・メタル・シティ ★★★★
幻影師アイゼンハイム ★★★★☆
おくりびと ★★★★★
パコと魔法の絵本 ★★★★
次郎長三国志   (2008) ★★★☆
アイアンマン ★★★★
落下の王国 ★★★★
ウオンテッド ★★★☆
TOKYO! ★★★★
10月 アキレスと亀 ★★★★☆
容疑者Xの献身 ★★★★
宮廷画家ゴヤは見た ★★★★☆
トウキョウソナタ ★★★★
わが教え子、ヒトラー ★★★★☆
イントゥ・ザ・ワイルド ★★★★
イーグル・アイ ★★★★
ゲット・スマート ★★
僕らのミライヘ逆回転 ★★★★
ブロードウェイ♪ブロードウェイ コーラスラインにかける夢 ★★★★
ICHI ★★
11月 その土曜日、7時58分 ★★★★★
まぼろしの邪馬台国 ★★
コドモのコドモ ★★★☆
その日のまえに ★★★★☆
ワイルド・バレット ★★★★
レッドクリフ PartⅠ ★★★★
センター・オブ・ジ・アース 3D ★★★
ハッピー・フライト ★★★
ブラインドネス ★★★
トロピック・サンダー 史上最低の作戦 ★★★★
この自由な世界で ★★★★☆
秋深き ★★★★
私は貝になりたい ★★★★
リダクテッド 真実の価値 ★★★★
12月 1408号室 ★★★
彼が二度愛したS ★★☆
ヤング@ハート ★★★★
WALL・E/ウォーリー ★★★★☆
ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト ★★★★★
252 ‐生存者あり‐
俺たちに明日はないッス ★★★★
青い鳥 ★★★★☆
K-20 怪人二十面相・伝 ★★★★☆
地球が静止する日 ★★☆
ワールド・オブ・ライズ ★★★☆
D-WARS ディー・ウォーズ ★☆
ラースと、その彼女 ★★★★☆

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2008年1月27日 (日)

「母べえ」

Kaabee (2008年・松竹/監督:山田 洋次)

黒澤明監督のスクリプターを長く務めた野上照代さんの自伝ノンフィクション「父へのレクイエム」を元に、戦前・戦中・戦後を生きた家族の物語を、日本映画の名匠山田洋次監督が映画化。

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2008年1月26日 (土)

「アース」

Earth (2007年・ギャガ/監督:アラステア・フォザーギル&マーク・リンフィールド)

NHKと英BBCが、五年の歳月をかけて撮影・制作したテレビ・ドキュメンタリー、「プラネット・アース」を、劇場用に再構成した大自然ドキュメンタリー。

登場するのは、ホッキョクグマの母子や、カナダのトナカイの群れ、乾季に水を求めて異動するアフリカゾウ、餌を求めて長い旅を続けるザトウクジラの親子などを中心に、森林帯や熱帯雨林の動植物の生態がユーモラスに捕えられている。

獲物を狙うオオカミやチーターやライオン、ホオジロザメなどの弱肉強食世界も描かれているが、子供にも見せる為か、獲物に喰いつくシーンはカットされている(自然界の摂理は、子供にもグロテスクにならない程度には教えてもいいと思うのだが…)。

極楽鳥の求愛シーンが楽しい。メスにいろんなポーズを決めるシーンは抱腹絶倒。阿波踊りよろしく、両手でバランスを取り、湿地帯を歩くサルたちも愉快。

 
これらを見ていると思い出すのが、かつてウォルト・ディズニー・プロで作られた“大自然の驚異”ドキュメンタリー・シリーズである。
ちなみにこれらは当時、多くの学校が、映画館を借り切り、学外団体鑑賞として生徒全員を映画館に連れて行き、集団で見せていたものであった。

第1作は、1953年の「砂漠は生きている」。もう半世紀以上も前の作品である。
こちらもやはり、砂漠に生息するトカゲやヘビ、サソリや毒グモといった動物たちの姿を望遠レンズでユーモラスに捕えており、バックの音楽も動物の動きにピッタリシンクロし、大笑いしたものだった。
特に感動したのが、砂漠の珍しい植物の花が、コマ落し撮影によりハイスピードで咲いて行くシーンで、観ている子供たちが、花が咲く度に一斉に「ワアーッ!」と歓声をあげていた。さすが子供に夢を与え続けて来たディズニー、子供たちを喜ばす術はよく心得ている。同年のアカデミー最優秀長編記録映画賞を受賞。
以後、第2作は、'54年の「滅びゆく大草原」、第3作は'56年の「生命の神秘」と、ロケ地は異なれど描き方はほぼ同工異曲、コンスタントに作られていた。

本作の構成や自然描写は、これらディズニー・ドキュメントがやって来た事と、基本的にはほとんど同じである。ちゃんと、コマ落し撮影で花がハイスピードで咲くシーンもあるし、ユーモラスな動物の生態もある。

…と言うより、本作に限らず、その後に作られたあらゆる自然界ドキュメンタリーは、ほとんどがディズニー・スタイルを模倣していると言っていいかも知れない。つくづく、ディズニーの偉大さを改めて感じる。

しかし、時代の進歩を感じるのは、コマ落し撮影にもどうやらコンピュータによる自動制御が行われているようで、移動する太陽をピタリ画面の中心に置きながらカメラも移動するのをコマ落しで撮っているのは、手動でしか出来ない昔なら困難だっただろう。季節の移り変わりまでハイスピードで、しかもアングルが移動しながら捕えられているのには唸った。

ただ本作において残念なのは、かなりの観客が入っていたにも関わらず、「砂漠は生きている」では沸き起こった感動の歓声が、私が観た劇場ではあんまり起きなかった事である。コメディ作品でも、笑い声がほとんど聞かれないのと同様、最近の観客はオトナしい気がする。

それと、最近は学校からの集団鑑賞というのはやっているのだろうか。こういう作品は教育の為、すべての子供たちに見せてあげて欲しい。子供500円という料金もいいが、朝一番、9時くらいから劇場を学校に低料金で開放した方が、どっちにもプラスだと思う。

 
・・・と、ちょっと話がソレたが、そんなわけで、本作はそんなかつてのディズニー“自然の驚異”ドキュメンタリーを私に思い出させてくれた点だけでも、十分楽しい作品である。動物ドキュメンタリーが好きな方にはお奨めである。

が、僅かばかり難点を挙げれば、トータル的なコンセプトがあいまいな点である。冒頭とラストのホッキョクグマのエピソードで、地球温暖化への警鐘を鳴らしているのは分かるが、あとのエピソードは温暖化とは関係ない。単に地球上の動植物の生態を、かつてのディズニー・ドキュメンタリーそのままに描いているだけに過ぎない。

温暖化問題など、わざわざ説明しなくても、地球の自然の美しさを丁寧に描き、“この美しい、かけがえのない地球の自然を守ろう”と訴えるだけで十分ではないだろうか。なんか、ラストの地球温暖化コメントが、取って付けたような感じを受けてしまう。

それと、私が観たのは渡辺謙ナレーションの日本語版でなく、英語ナレーション字幕入りだったが、北極の白い氷がバックのシーンでは、字幕が読み難くて困った。第一、字幕では小さな子供に読めない漢字があって理解出来ない事になる。
こういうドキュメンタリーでは、すべてのプリントを日本語版にすべきではないか。字幕版を作成する意味が分からない(昔のディズニー・ドキュメンタリーはすべて日本語版だった)。考えて欲しいと思う。

…とまあ、難点はいくつかあるが、それでも本作は良く出来たドキュメンタリーの秀作としてお奨めしておきたい。繰り返すけど、小学校低学年の児童には、学校から是非映画館に連れて行って、見せてあげて欲しい。どんな授業よりもタメになると思う。   (採点=★★★★

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(付記)公式HPに、巨大な隕石が地球に衝突し、地軸が傾いたのが、50万年前…となっているが、これはナレーションでも言っている通り、50億年前の誤り(正確には46億年前)。

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2008年1月23日 (水)

「ペルセポリス」

Persepolis1 (2007年・フランス/監督:マルジャン・サトラピ&バンサン・パロノー)

イラン出身の女流監督であり、グラフィック・アーチストであるマルジャン・サトラピが、自作の自伝的グラフィック・ノベル(イラストによるコミックのようなもの)を元にアニメ映画化。

イラン映画と言えば、アッバス・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」「オリーブの林をぬけて」や、マジッド・マジディ監督「運動靴と赤い金魚」、バフマン・ゴバディ監督の「酔っぱらった馬の時間」などの秀作が輸入・公開されており、イスラム圏の中では映画レベルは高い。

しかし、それらの多くは、当時のイランにおける貧しい庶民の姿を描いたものばかりである(イランは検閲が厳しくて政治的なものは通らないとも聞く)。

それに対して、本作は、1978年の王制崩壊から始まり、当時小学生だった女の子・マルジを主人公に、彼女の成長と並行して、当時から現代に至る、イランの近代史を、ユーモアと皮肉を交えて描いている(これは、監督がフランス在住で、製作国もフランスだからこそ可能だったのだろう)。

共和制への移行から、厳しい弾圧、統制、イラクとの戦争…等の激動の歴史は、話には聞いていたが、それをアニメで見ると、とても分かり易いし、国民が政情にどう反応し、どう生きたかも分かって興味深い。

マルジは名前からも分かる通り、監督自身であり、ほとんどは彼女の自伝である。しかも、少女時代はブルース・リーやアメリカのロックに夢中になり、服装に対する厳しい規制にも反撥し抵抗する等、その自由奔放な生き方が面白い。

ただ一面では裕福な家に生まれ、自己中心的な性格であり、留学先のウィーンでは学校をサボり、マリファナを吸い、生活が荒み、ホームレスにまでなる。

そんな彼女のデスペレートな面もある人生には、共感し難いとの批判もある。
しかし、そうした弱さもまた人間の一面であり、それらを乗り越え、フランスでアーチストとして成功した現在、自己の弱かった部分をもさらけ出した勇気は称えていいだろう(自伝で自分を美化する人も結構多い)。

笑えるのは、マルジと祖母(この祖母のパンクな人生観が面白い)が劇場で「ゴジラ」(ちゃんと東宝の許可済)を鑑賞する場面で、「日本映画って切腹とゴジラばかり」という祖母のセリフには大笑い。テレビで、いかにもアメリカ的なバイオレンス・アクション「ターミネーター」が放映されているシーンも皮肉っぽい。

そうしたユーモアやカリカチュアも交えて、一人の女性の激動の半生を描いた本作は、実写では陰惨になりがちな歴史の暗い断面も、ユーモラスにさまざまな角度から捕え、これまでのイラン映画ではうかがい知れなかった、イランという国の実態を知るには格好のテキストであり、さらには国家と人間についても考えさせてくれる力作である。アニメでありながら、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞各外国語映画賞にノミネートされたのも納得の出来である。

Persepolis2 昔ながらの手書きによるセルアニメの映像は、3DCGアニメに慣れた目には新鮮に写る。またモノクロで描かれた過去部分のシンプルな絵柄が、わが国の藤城清治の切り絵アニメか、棟方志功の版画を連想させ、不思議なムードをかもし出す。
子供から大人へと成長する姿も、実写では別の役者を使わざるを得ない為全然顔かたちが違い、違和感を感じるケースが多いが、アニメだとその点違和感はない(体が大きくなり、顔が変わったり胸がせり出す経過を極端にデフォルメした描写も、アニメの利点を生かした秀逸な表現である)。

こういうのを見ると、アニメがデジタル化され、CGによる、立体感はあるけど無機質な映像の氾濫は、正しい方向を向いているのだろうかと考えさせられる。手書きで1枚ごとに描かれ、ギクシャクと動くアナログ的セルアニメの方が、人間的な温もりがあるように感じるのは私だけだろうか。

声の出演もカトリーヌ・ドヌーブ(マルジの母)、キアラ・マストロヤンニ(マルジ)の実の親子共演、祖母の声がフランスの往年の名女優、ダニエル・ダリューと豪華顔合わせ。これも聴き物である。アニメ・ファンでなくても、観ておいて損はない佳作である。   (採点=★★★★☆

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2008年1月21日 (月)

「サラエボの花」

Saraebo (2006年・ボスニア/監督:ヤスミラ・ジュバニッチ)

ボスニア・ヘルツェゴビナの民族紛争は、ニュース等では知っているが、どれほど過酷なものであったかは、遠い日本にいる我々には分からない部分が多い。ましてや12~3年も前の話であるから、若い人なら余計ピンと来ないかも知れない。

この映画は、その民族紛争がもたらした爪跡の悲惨さを、淡々と静かに、しかし力強く語りかける問題作である。

映画は、一人の母親・エスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)が集団セラピーを受けている姿、その母親が自宅で、12歳の娘・サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)と戯れる姿を交互に描く所から始まる。
紛争も終結し、平和が訪れた後の、外見上は平穏な生活を営む庶民の日常を淡々と描いており、多少退屈に感じるかも知れない。

しかし、見逃しそうだが、街の建物の壁には銃弾の跡が残っており、平穏な風景の中にも忌まわしい記憶が消せずに沈殿している事を示している。

娘には父がおらず、母からは紛争で犠牲になったシャヒード(殉教者)と聞かされている。シャヒードは国家の英雄として尊敬されており、父親がシャヒードであれば、学校の修学旅行費用を免除して貰える事になっている。

その為サラは母エスマに、シャヒードの証明書を貰ってくれるように頼むが、何故かエスマはあいまいに返事し、証明書を取り寄せる様子もない。むしろ給料を前借りしてでも旅行費用を集めようと奔走する。

その謎は後半に明らかになるのだが、その伏線は至る所に張られており、カンのいい観客にはある程度は予測出来るだろう(例えば、胸毛を露出している男が側に立つとふいにバスを降りてしまうエスマの行動等)。

以下ネタバレにつき隠します。読みたい方はドラッグ反転してください。
シャヒードの証明書を取り寄せず、修学旅行費用を実費で払った事を知ったサラは母を難詰する。

エスマはとうとう、娘の出生の秘密を暴露する。紛争末期、女性達は集団でレイプされ、父親の分からない子供を産んだのだという。おぞましい話である。

感動的なのは、集団セラピーの席で、エスマがそのいきさつを語るシーンである。最初は産むつもりもなく、育てるつもりもなかったが、赤ん坊を抱くと自然に母乳が溢れ、赤ん坊の姿に、「これほど美しいものが、この世の中にあるだろうか」と思ったことを語るくだり。

彼女にとっては辛い試練であろうが、神から授かった命は尊いものである。
命を大切に思い、生活苦の中で、父親の分からない子供を精一杯の愛情で育ててきた母の人間愛に心打たれる。

↑ネタバレここまで

ラストは母と子は和解し、理解し合えたように見える。出発する修学旅行のバスの後部で、サラはいつまでもエスマに手を振り続ける。
観終わった時、そのラストに観客は一時的にホッとし、爽やかな気分で映画館を後に出来るだろう。

だがこの後も、悲しい運命を一生背負って、この母子は生きてゆかねばならない。それを思うとこのラストはハッピーエンドではあり得ず、爽やかな気分にはなれないのである。

監督は、サラエボ出身の32歳の女性で、これがデビュー作のヤスミラ・ジュバニッチ。真実が明らかになってからラストまでがやや駆け足で、安易な結末にした点がドラマとしては弱い気もする。

しかし、やはり観ておくべき作品である。人間が、このような愚行を行って来た事を確認する為にも、そして愚かな歴史をこれ以上繰り返さない為にも…。多くの人に観て欲しい作品である。2006年ベルリン国際映画祭・グランプリ受賞作品。   (採点=★★★★☆

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2008年1月16日 (水)

「そして誰も観なくなった」(著者:重政隆文)

Sositedaremo_3映画の本を紹介します。

著者の重政隆文さんは、大阪芸大の教授で、別の肩書は「映画館主義者」。―要するに、映画は映画館でしか観ない、ビデオやDVDでは絶対に観ない…と決めている人である。

私もその主義は同感で、映画批評でも、映画館で観た作品を中心に書いており、ビデオで初めて観た作品は例えいくら感動しても、映画館で観るものとは別物であり、ベストテンの選考には加えないポリシーを貫いている。

しかし重政さんは、絶対にビデオ・DVDで観ないばかりか、“映画に携わる人や、映画について文章を公にしている人が、映画をビデオ・DVDという代用品で済ませている場合”に、これを徹底糾弾するのである。そういう人を、ちゃんと実名を挙げて非難している。いろんな本に書かれている事を丹念に調べ、軒並み厳しくやり込める。立川志らくも槍玉にあげられているし、押井守が映画をほとんど自宅のモニターで見ている事を取り上げ、「映画館で映画を観るという感覚の欠如が『イノセンス』のふがいなさに繋がっているのではないか。もう初心に戻るわけがないから、私は今後もこの監督にはあまり期待しない」と、言いたい放題(笑)である。

これには私も耳が痛い。極力映画館で観ているとは言え、劇場で見逃した作品はDVDで観るし、また昔の名画のDVDを購入する事もあるからである。

重政氏は、旧作を劇場で見る事にも異を差し挟む。「当時の空気を知らずに過去の名画に浸るくらいなら、その時間を同時代の映画を映画館で見ることに使うべきだ」と進言する。つまり、映画はその時代の空気を反映し、その時代と共に生きるものであるから、リアルタイムで観れなかった映画を後から追いかける行為は正しい鑑賞法ではないと言っているのである。確かに正論であるが、私は、古い映画を沢山観る事が、映画をより楽しむ手段…と思っているのでちょっと同意はしかねる所はある。しかし傾聴に値する意見として頭に入れてはおくべきであろう。

氏はまた、映画館の上映環境についても苦言を呈している。スタンダード・サイズの映画をビスタ・サイズで上映したりしていると、文句を言いに行く。それだけでなく、以後も監視しているという。私もこれは実践している。今はTOHOシネマズ梅田に組み込まれているが、OS劇場と呼ばれていた頃、市川雷蔵特集が催された時、「新・平家物語」がビスタ・サイズで上映された。雷蔵の頭がちょん切れ観づらい事この上ない。すぐに劇場に抗議し、次回から必ずスタンダード上映する事を確約させた。

あと、全体の半分を占める、今は無くなったものを中心に、大阪の映画館のついての紹介が読み応えがある。私もほとんどお世話になった場所ばかりである。懐かしさが蘇えり、感慨に耽った。考えれば、シネコンが出来たおかげで、新世界の一部を除き、これらはほとんど消えてしまったのである。大毎地下、戎橋劇場などの素敵だった名画座についても書かれてある。

あと、後半には、映画館について書かれた本についても紹介している。これもなかなかポイントをついた名文である。

映画ファン―特に大阪の映画ファンには必読の書である。定価が税込2,730円とちょっと高いが、それだけの値打ちはある。お奨めです。

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2008年1月14日 (月)

「勇者たちの戦場」

Homeofthebrave (2006年・ミレニアム・フィルム=日活/監督:アーウィン・ウィンクラー)

イラクでの泥沼の戦場を体験し、心に深い傷を負ったアメリカ人兵士たちが、帰還後も日常生活への順応に苦慮する姿を描いた戦争ドラマの秀作。

今も現実に、イラクには大量のアメリカ兵士が派遣され、武装兵との戦闘が行われ、死んで行く者もいるだろう。

過去に、第二次世界大戦、ベトナム戦争が終結後、帰還した兵士の苦悩を描いた作品はいくつか作られている。有名なものとしては、第二次大戦終了の翌年(1946年)公開された、ウイリアム・ワイラー監督のアカデミー賞受賞作「我等の生涯の最良の年」がある。最近作ではイーストウッドの「父親たちの星条旗」が挙げられる。ベトナム戦争ものでは、特にアメリカが敗れた戦争であるだけに、戦争に対する批判が噴き出した結果として、秀作が多い。「ディア・ハンター」「帰郷」などが代表作。アクションものとしては「ランボー」も含めていいだろう。

しかし、これらはいずれも戦争が終結し、とりあえずは平和になった時代に、過去の検証として作られたものである。本作のように、戦闘が続いている時期に作られるのは珍しい。
それだけ、“イラク戦争は誤りだ”という声が多い事を示しているのだろう。また、こうした作品が堂々と作られ、ロードショー公開されるのも、アメリカという国の懐の広さを示している。

製作・監督のアーウィン・ウィンクラーは、脚本のマーク・フリードマンと共に、イラク帰還兵たちに綿密なリサーチを行い、物語を作り上げた。ほとんどのエピソードは事実に即しているという。

激しい戦闘で、親友を目の前で殺された若い兵士トミー(ブライアン・プレスリー)、間違って民間人を射殺し、罪の意識にさいなまれるジャマール(カーティス・ジャクソン)、爆弾で右手を吹き飛ばされた女兵士バネッサ(ジェシカ・ビール)、そして多くの兵士の死を見た軍医ウィル(サミュエル・L・ジャクソン)…。
物語は、この4人の帰還兵が、戦争体験がトラウマになって、なかなか日常生活になじめず、苦悩する姿を描く。トミーは親友の死の痛手から立ち直れずカウンセリングを受ける。バネッサは義手が使いこなせず苛立つ。ウィルも戦場の記憶が消せず、医師の仕事がこなせなくなり、アルコール依存症になり、反戦運動を行う息子とも対立する。そうするうちに、ジャマールは拳銃を持って立て籠もり事件を起こしてしまう…。

物語は、それぞれが苦悩を克服しようと努力する姿を、淡々と描く。ある者は悲劇的結末を迎え、ある者はなんとか立ち直る。しかしその脳裏に刻まれた忌まわしい記憶は終生消えないだろう。

戦争に勝者も敗者もない。あるのは犠牲者だけである。…前記のような、多くの戦争映画の秀作でそれらは語り継がれて来たはずなのに、戦争はなくならない。悲しい事である。

本作も、それら秀作群に加えられるべき力作である。戦闘シーンの迫力も凄い。

特に、「我等の生涯の最良の年」とは似た点も多い。帰還兵の1人が、爆弾で手首を無くし義手を付けている点まで似ている(「我等-」では両手)。なお、同作でその兵士を演じたのは実際に腕をなくした本物の帰還兵であった。
本作では、CG技術の発達のおかげで、ジェシカ・ビールの手首から先がないシーンがリアルに描かれている。時代の違いが興味深い。

 
しかしながら、本作の劇場公開はなんと東京の銀座シネパトスと、大阪のユーラク座の2館のみの単館公開(以後細々と順次公開予定)。配給が小規模会社の日活ではやむなしか。ほとんど宣伝もされていないようだし。せっかくの秀作なのに残念な事である。

 公式ページはこちら→ http://www.nikkatsu.com/yusha/

アーウィン・ウィンクラーについても書いておこう。この人、かつてアメリカン・ニューシネマ全盛時に、ロバート・チャートフと共同でプロダクションを設立し、学生運動をテーマにした「いちご白書」、不況の時代を背景にしたシドニー・ポラック監督の「ひとりぼっちの青春」などの秀作を発表している。監督に進出してからは、赤狩り時代を描いた「真実の瞬間」を手掛けている。時代を見据えた問題作作りでは筋金入りなのである。「ロッキー」シリーズのプロデューサーとしても有名。

ともあれ、新年早々登場した問題作としてお奨めしたい。

   (採点=★★★★☆

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DVD

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2008年1月 9日 (水)

「パンズ・ラビリンス」

Panslabilyns(2006年・スペイン・メキシコ/監督:ギレルモ・デル・トロ)

メキシコ出身で、「ミミック」でハリウッドに進出し、「ブレイド2」「ヘルボーイ」など、スタイリッシュかつダークなファンタジー・アクションを撮って来たデル・トロ監督が、故国メキシコに帰って作った、ダーク・ファンタジーの秀作(スペインとの合作)。

ファンタジーと言えば、一般的には現実から離れた、ファンタスティックかつ夢のような、どちらかと言えばおとぎ話のような物語がほとんどである。「ハリー・ポッター」しかり、「チャーリーとチョコレート工場」しかり、「ロード・オブ・ザ・リング」とか「ナルニア国物語」、日本では「ブレイブ・ストーリー」のように、異世界を舞台とした少年・少女の冒険譚が多い。まあ全体的に、勇気と冒険の物語の末には概ねハッピー・エンドが待っている。観客も、ひと時現実の憂さを忘れて夢の世界に浸り、いい気分で映画館を後に出来るのである。

ところが本作は、暗く、残酷で陰鬱で、ラストも救いようがないほどアンハッピーである。夢は夢でも、これは悪夢の世界である。少女の迷宮(ラビリンス)巡り…という話から、ジョージ・ルーカス製作、ジム・ヘンソン監督、ジェニファー・コネリー主演の「ラビリンス/魔王の迷宮」(86)を思い出したりもするが、やはりちょっと違う。そういうファンタジーを期待すれば、あまりのグロさと暗さに途中で劇場を飛び出したくなるかも知れないので注意が必要。

しかし、映画ファンなら是非観るべき、これは2007年公開の映画中の傑作である。

舞台は1944年、内戦の余波覚めやらぬスペイン。この時代、スペインではフランコ政権による独裁と圧政が続き、それに反対し、政権を倒そうとするレジスタンスと政府軍との熾烈な戦いが行われていた頃である(ちなみに、スペイン内戦を舞台とした映画では、イングリッド・バーグマン、ゲーリー・クーパー主演の「誰が為に鐘は鳴る」(43)が有名)。

主人公の少女オフェリア(イバナ・バケロ)は、内戦で父を亡くし、母カルメンの再婚相手であるフランコ軍の冷酷な軍人、ビダル大尉(セルジ・ロペス)の元に母子でやって来る。到着した目的地の森の中で、オフェリアは不思議な妖精や、パンと呼ばれる牧神と出会い、何時しか迷宮に足を踏み入れて行く…。

ビダル大尉の残酷な性格描写が凄い。ちょっとでもレジスタンスの疑いのある人間を捕まえると、すぐに射殺する。オフェリアの母にも冷たく当る。フランコ政権の独裁ぶりをシンボライズしているかのようである。

こうした、周囲を取り巻く過酷な環境の中で、オフェリアが幻想の迷宮に迷い込んで行くのは、過酷過ぎる現実からの逃避願望が潜在的にあるからだろう。
パンや、地下の不気味な生き物たちと一緒にいる時が、嫌な現実を忘れることが出来る癒しの時なのである。

しかし、その逃避世界でも、オフェリアは魔物に追われた末に地上に逃げ戻ったりする。…現実世界もファンタジー世界も、どちらも過酷な環境であり、安息できる空間は、この世には存在しないかのようである。

(ここからネタバレあり。読みたい方のみドラッグ反転してください)

物語は終局で意外な展開を見せる。
ビダル大尉がオフェリアを追って森に入ると、オフェリアが誰もいない場所で1人、見えないパンに話しかけている所を目撃する。

これは、もしかしたらパンや魔物や妖精は、現実から逃避したいオフェリアの空想ではないか…という事を示している。現に、パンは結局なんら現実世界に影響を与えていないし。

オフェリアが最後に見るのは、天国のような王国の光景である。あるいはこれは、霊界の入口なのかも知れない。

その伏線は前の方に出て来ている。オフェリアは、沢山の本をいつも持っており、本を読んでは空想に浸るクセがあるような描き方をしている。虫がメタフォルモーゼする妖精も、彼女が読んでいた絵本の中の登場人物であった。

そう考えると、この物語はとても悲しい。過酷で、誰もが殺し殺される悪夢のような現実世界に振り回され続けた少女は、自分で空想のファンタジー空間を創造し、そこに逃げ込む事でしか、心が安らぐ時はなかったのであろう。
↑ ネタバレここまで

大人たちの、残虐な行為と不毛の対立が、無垢な少女の心を苛み、地獄に追いやる。…それは実は現在もなお続いている人類の愚行そのものである。

フランコ独裁政権やファシズム自体が、悪夢であり、恐ろしい怪物であるのかも知れない。レジスタンス仲間のメルセデスによって斬られた、ビダル大尉の耳元まで裂けた口も、そう考えればまさに彼が怪物そのものである事を象徴しているのだろう。

これは、一見ファンタジーである事を装いつつ、少女の悲しい運命と天使への昇華を描く事によって、大人が作り出す現実世界の惨さを容赦なく批判し、少女の夢見る世界をこそ、大人は守るべきである事を伝えて深い感動を呼ぶ、死と幻想の叙事詩なのである。

1人でも多くの人に観て欲しい、これは問題作である。必見。   (採点=★★★★★

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(付記)
本作のプロデューサーの1人が、「トゥモロー・ワールド」という、これまた戦争世界と、そこで希望の光となる子供を描いた秀作を監督した、アルフォンソ・キュアロンである…というのも興味深い。彼もまたメキシコ出身である。

ついでに、ギレルモ・デル・トロの'01年作品「デビルズ・バックボーン」のプロデューサーを勤めたのが、「ボルベール<帰郷>」などのスペインの巨匠、ペドロ・アルモドバルである。

メキシコ・スペイン系の俊才たちが、こうして人脈的に繋がっている(恐らくは相互に刺激し合い、吸収し合っている)のが興味深い。ここに、「バベル」アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトウや、「オープン・ユア・アイズ」「アザーズ」などのアレハンドロ・アメナーバル、さらにはそのアメナーバル2作のプロデューサーを勤めた、「蝶の舌」(これもスペイン内戦が舞台)の監督、ホセ・ルイス・クエルダを加えれば、メキシコ・スペイン連合軍はまさに世界を席巻していると言えるだろう。これからも注目して行きたい。

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2008年1月 3日 (木)

「茶々 天涯の貴妃」

Chacha_2(2007年・東映/監督:橋本 一)

あけまして おめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

興味が湧かなくて、全然見る気はなかったのだが、製作費10億をかけた大作でありながら、興行成績ランキングで、初登場で圏外(11位)という、想像を絶する大コケぶりを聞いて、“ひょっとしたら、これが東映京都撮影所で製作される、最後の時代劇になるのではないか”という危惧を感じ、それなら見納め(?)に見ておかなくては…という思いにかられ、かくして、本年最初の鑑賞作品が本作と相成ったのである。

 
実際、本作の完成までには、かなり紆余曲折があったと聞く。
最初は、前年の「大奥」が、最近の東映作品としてはかなりのヒット(23億円)になったので、今年の正月用に「大奥2」を考えていたらしい。
しかし、フジテレビとの調整がうまくいかず、代替企画が難航し、やっと昨年8月3日に製作発表(ただしこの時点で主役の女優がまだ決まっていない。主役不在の製作発表と言うのも前代未聞)、その後やっと主役が元宝塚の和央ようかに決定、9月24日クランクイン、完成が12月初旬…という無茶苦茶な強行日程。よくまあ間に合ったものである。

この日程の窮屈さが災いしたためか、配役も急ごしらえ感が否めない。長女茶々、次女はつ、三女お督の3姉妹のうち、お督の寺島しのぶが、見た目にはとても三女に見えず、一番年上に見えてしまう(子役が、3人中一番チビであどけなかっただけに余計)。顔立ちも他の2人とは違和感がある。秀吉の渡辺篤郎はまあまあだったが、徳川家康役の中村獅堂はもっとデップリしてなくては。真田幸村や豊臣秀頼役も、まるで聞いた事のない新人を使っていたが、やはり存在感が薄い。

Chacha2_2 そして和央ようかである。ネットでは酷評されているようだが、確かに表情が硬い。凛とした、威厳を保つ…というキャラクターには違いないが、いつも口をヘの字に曲げてて、感情の起伏に乏しい。それに、はっきり言ってあまり美人じゃない。ただ、発声については宝塚の舞台そのままという意見が多いが、先入観に邪魔されているのではないか。私はそれほど気にならなかった。「柳生一族の陰謀」でも、萬屋錦之介のセリフはあんな舞台調の発声だった。逆に、舞台俳優でなかったら威厳を感じさせる発声が出来なかったかも知れない。

しかしやっぱり、主役としてのオーラが感じられない。舞台の、しかも元男役のスターが、いきなり主役を演じて成功を収めるほど映画界は甘くない(天海祐希も、映画デビュー当時は散々だった)。もっと、映画(特に時代劇)に出て来る女性の演技を勉強すべきだろう。演出サイドも、徹底して鍛え直すべきだが、時間がなかった事と、監督がまだ若くて大作の経験がない橋本一ではその辺も荷が重かった気がする。例えば、山田洋次だったら徹底して直させただろう(「武士の一分」では、やはり宝塚出身の壇れいを実に上手に使って成果を収めていた)。寺島しのぶが、さすがと言うか、貫禄ある演技で堂々役柄をこなしていたのと対照的である。

 
…まあ、配役については文句ありだが、映画そのものは思ったほど悪くない。ややダイジェスト的部分なきにしもあらずだが、要所はよく抑えて、分かり易い展開。それぞれの役者の感情のうねりもきちんと表現されている。合戦シーンのカット割りも、橋本一監督、さすが東映で長く助監督をやって来ただけあって、ソツなくこなしている。何より、CG、特撮合成等が、過密日程であったにもかかわらず本編にうまく溶け込み、見事な成果を挙げている点は特筆ものである。東映京都撮影所の底力を見せたと言えよう(ただし一部は東京撮影所も協力しているそうだ)。

やや問題があるのは、脚本構成である。大ベテラン、高田宏治の手によるものだが、やはりこれも時間がなかったのか、それともさすがに寄る年波(76歳である)のせいか、昔の作品のような緻密さがない。例えば、茶々が秀吉を憎み、一時は殺す絶好のチャンスがありがら何故か殺せず、その後寵愛を受け、秀吉が乱心、倒れ込んだ時にはすがり付き、最後には「この城は太閤さまのものぞ」と、城と運命を共にするにまでに至る、その心の変遷がもう一つきめ細かく描かれてはいない。はつ(富田靖子)が、ナレーションを勤めている割には存在感が希薄なのもどうかと思う。

茶々が徳川の本陣に、甲冑姿で乗り込むシーンはカッコいいが、それなら兜も付けないとおかしい。それで、最後まで一度も合戦場に赴かないのだから、何の為に甲冑を着装しているのか分からない。結局は宝塚ファン向けのサービス・カットなのだろう。…まあしかし、スター主演の娯楽映画では、それも許されていいと私は思っているので大目に見よう。

そういう難点はあるものの、ともかくも、豪華な着物(1億円かけたという)や、合戦シーンの迫力(ただ血糊はやや出過ぎ)、ラストの金粉降り注ぐ大スペクタクル・シーンのあでやかさと悲壮感はなかなかの見ものである。正月映画らしい華やかさのあるエンタティンメントとしてはよくまとまっており、決して駄作ではない。

 
これがベタコケとなった要因は、まずは企画の選定の失敗だろう。「大奥」はテレビで放映されて知名度があり、テレビ局もスポットを打つからある程度の集客は期待出来る。本作は原作が知名度がなく、淀どのといっても若い人は関心がない。主演スターも、和央ようかと言っても宝塚ファン以外は誰も知らない。その他の役者も地味過ぎる。私のようにマメに映画を観る者でも鑑賞意欲が湧かないから、中高年観客も呼べないだろう。
製作発表から公開までの時間が少な過ぎ、十分な宣伝が出来なかった事も痛い。かといってこの題材では、公開を延期したところであまり客は増えなかっただろうが。

ヒットさせようと思うなら、テレビ局とのタイアップは不可欠と思うが、本作の冒頭の製作委員会のタイトルを見て愕然とした。
なんと、委員会の会社名が、東映、住友商事、東映ビデオ-この3社しかないのである。テレビ局は1社も入っていない

東映ビデオは身内だから、実質的な外部参加は1社だけである。…これは異常である。ちなみに、「武士の一分」は12社が製作委員会に参加。テレビ局はテレビ朝日、朝日放送、名古屋テレビと3社も入っている。これから比べても、本作の委員会構成はちょっと考えられないくらいお粗末である。
おそらくは各社に打診したものの、この内容ではとてもヒットしない…と、ことごとく逃げられたのではないか。その時点で、製作中止した方が良かっただろう。

それにしても、無残としか言いようがない。製作費、宣伝費から見て、空前の大赤字は必至だろう。
そうでなくても、昨年の東映配給作品は、「Dear Friends」、「大帝の剣」、「包帯クラブ」、「オリヲン座からの招待状」、「エクスクロス 魔境伝説」…と、初登場で圏外又は下位(*)となったベタコケ作品が本作も入れて6本!もある。前記の題名だけを見ても、とても全国拡大公開に見合わない、どちらかと言えばミニシアター向けにふさわしいような作品が目立つ。企画サイドが完全に迷走、混乱してるとしか思えない。これでは末期症状である。

東映は本当に大丈夫なのだろうか。冒頭の、私の不安が現実にならない事を祈るのみである。     (採点=★★★

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(*)これら6本のうち、「大帝の剣」を除く5本とも、初登場で11位以下。「大帝の剣」のみ初登場8位スタート。ただし3週目にはもう圏外となった。(いずれも興行通信社発表)

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