「そして誰も観なくなった」(著者:重政隆文)
著者の重政隆文さんは、大阪芸大の教授で、別の肩書は「映画館主義者」。―要するに、映画は映画館でしか観ない、ビデオやDVDでは絶対に観ない…と決めている人である。
私もその主義は同感で、映画批評でも、映画館で観た作品を中心に書いており、ビデオで初めて観た作品は例えいくら感動しても、映画館で観るものとは別物であり、ベストテンの選考には加えないポリシーを貫いている。
しかし重政さんは、絶対にビデオ・DVDで観ないばかりか、“映画に携わる人や、映画について文章を公にしている人が、映画をビデオ・DVDという代用品で済ませている場合”に、これを徹底糾弾するのである。そういう人を、ちゃんと実名を挙げて非難している。いろんな本に書かれている事を丹念に調べ、軒並み厳しくやり込める。立川志らくも槍玉にあげられているし、押井守が映画をほとんど自宅のモニターで見ている事を取り上げ、「映画館で映画を観るという感覚の欠如が『イノセンス』のふがいなさに繋がっているのではないか。もう初心に戻るわけがないから、私は今後もこの監督にはあまり期待しない」と、言いたい放題(笑)である。
これには私も耳が痛い。極力映画館で観ているとは言え、劇場で見逃した作品はDVDで観るし、また昔の名画のDVDを購入する事もあるからである。
重政氏は、旧作を劇場で見る事にも異を差し挟む。「当時の空気を知らずに過去の名画に浸るくらいなら、その時間を同時代の映画を映画館で見ることに使うべきだ」と進言する。つまり、映画はその時代の空気を反映し、その時代と共に生きるものであるから、リアルタイムで観れなかった映画を後から追いかける行為は正しい鑑賞法ではないと言っているのである。確かに正論であるが、私は、古い映画を沢山観る事が、映画をより楽しむ手段…と思っているのでちょっと同意はしかねる所はある。しかし傾聴に値する意見として頭に入れてはおくべきであろう。
氏はまた、映画館の上映環境についても苦言を呈している。スタンダード・サイズの映画をビスタ・サイズで上映したりしていると、文句を言いに行く。それだけでなく、以後も監視しているという。私もこれは実践している。今はTOHOシネマズ梅田に組み込まれているが、OS劇場と呼ばれていた頃、市川雷蔵特集が催された時、「新・平家物語」がビスタ・サイズで上映された。雷蔵の頭がちょん切れ観づらい事この上ない。すぐに劇場に抗議し、次回から必ずスタンダード上映する事を確約させた。
あと、全体の半分を占める、今は無くなったものを中心に、大阪の映画館のついての紹介が読み応えがある。私もほとんどお世話になった場所ばかりである。懐かしさが蘇えり、感慨に耽った。考えれば、シネコンが出来たおかげで、新世界の一部を除き、これらはほとんど消えてしまったのである。大毎地下、戎橋劇場などの素敵だった名画座についても書かれてある。
あと、後半には、映画館について書かれた本についても紹介している。これもなかなかポイントをついた名文である。
映画ファン―特に大阪の映画ファンには必読の書である。定価が税込2,730円とちょっと高いが、それだけの値打ちはある。お奨めです。
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コメント
私も昔は映画館で観ていました。確かに映画は映画館でみるべきだと考えます。
しかし、今はもっぱら自宅でDVDです。
私が映画館で映画を観ない理由。
①広告。予告編はいい。私も見たい。しかし広告は見たくない。テレビならチャンネルをかえられる。DVDなら早送りできる。しかし、本編の前に上映されるCMは逃れようがない。やるなら本編上映後にしてほしい。
②ボリバリモノを食うやつ。ぺちゃくちゃしゃべるやつ。帽子をかぶったままのやつ。こんな映画の観方も知らないサルどもに囲まれて映画を観るぐらいなら自宅でDVDのほうがいいです。
投稿: 雫石鉄也 | 2008年1月17日 (木) 05:22
>雫石さま コメントありがとうございます。
お気持ちは分かりますが、でもやはり映画は映画館で観ていただきたいですね。
自宅で観てても、電話は掛かってくる、家族の喋り声が聞こえる、モニターの前を誰かが横切る、画面は小さく、暗い部分はよく見えない…
鑑賞環境の悪さは、どっちもどっちじゃないでしょうか。それなら私は映画館の方がマシだと思います。
完全防音の個室のホームシアター設備があって、誰にも邪魔されずに観れるのなら又話は別ですが。でも画質は映画館に敵いません。
CMの件、私は上映開始時間から5分位経ってから場内に入ることにしてます。
空いてたら、指定席だろうと周囲に人がいない席に移ります。
…といった具合に、いろいろ工夫してはいかがでしょうか。是非御一考ください。
投稿: Kei(管理人) | 2008年1月21日 (月) 03:28