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2008年2月19日 (火)

「L change the WorLd」

Eru2 (2008年・ワーナー/監督:中田 秀夫)

2006年に作られた「デスノート・前篇」「デスノート The Last Name」は面白かった。

詳しくは「The Last Name」の作品評に書いたが、この作品の魅力は、天才的な頭脳を持つキラこと夜神月(ライト)の、警察も絶対に見破れない完全犯罪のプロセスの完璧さと、それに対抗し、月を追い詰めるこれも天才的名探偵L(以下エル)との息詰まる対決にある。
特に、前篇に登場する、監視カメラで見張られている中で行われる、巧妙な殺人トリックには唸った。これは実に上質なアリバイ・トリック・ミステリーなのである。

したがって同作品は、若者だけでなく、ミステリー・ファンも十分楽しめる完全犯罪ミステリーとしても出色の出来であり、大ヒットした原因はその点にもある。

後編の封切り直前に、前篇をテレビ放映するという前代未聞のプロモーションも大成功であった。
前篇があまりにも面白かった為、劇場で前篇を観ていなかった人にも、テレビで前篇を観て、後編を劇場で観たいという気にさせ(実は私もその一人(笑))、結果として後編の興行収入が前篇の倍という、通常の前後編公開では考えられない現象を招いた(前篇を観ないと、後編だけ観ても訳が分からなくなるので、後編を劇場鑑賞した人のうちの半分は、前篇をテレビで初見参した人たちだろう)。

そして、月を追い詰める天才探偵、エルのキャラクターも秀逸。見た目も服装も冴えない(まるで引き篭もりオタク、実は頭脳明晰な名探偵…。顔も服装も、ステータスも、まるで夜神月とは対照的にマイナス要素ばかりのアンチ・ヒーローが、頭脳戦で見事な逆転勝利を収める…その展開に観客は喝采を贈ったのである(私は、刑事コロンボ・死神バージョン」と命名した)。

 
前置きが長くなったが、そんなエルのキャラクターをこの1作だけで終わらせるのはもったいない。前作の作品評で、私は「今後はエルを主人公にしたスピンオフ・ドラマを是非見てみたい」とエールを贈ったが、それが本作で実現したわけで、喜ばしい事だと思った。――本作を観るまでは…。

はっきり言って、大失敗作である。製作者たちは、上記に挙げたような、「デスノート」及びエルの魅力が全然分かっていない。いったいどこを見ていたのだ!
(以下多少ネタバレがあるが、隠すほどのネタでもないのでそのまま書く)

まず、ダメな点、悪役側がてんで魅力なし。
前作の素晴らしい点は、悪役たる夜神月のキャラクターや行動ポリシーが、実に魅力的だった事である。天才的頭脳で、見事な計画により、許せない悪をこの世から抹殺する、その行動に世間の多くはむしろ共感さえ抱いたのである。―そんな具合に、悪が魅力的であるほど、ライバルのエルも引き立つのである(「刑事コロンボ」が面白い点もそこ)。
だから、エルを引き立たせる為には、悪役は天才的に頭が良く、武力でなく頭脳で完全犯罪を企んでもらわなくてはならないのである。

なのに、こいつらときたら頭は悪いし、魅力はないし、ヘマばかりやってる。

研究所へ強引に武力侵入するだけでバカである。監視カメラで録画されてるかも知れないし、ガラス越しに脅して、二階堂博士(鶴見辰吾)が簡単に抗ウイルス薬を渡すはずがない。頭を使って手に入れなければならないのに、何やってんだか。博士が死ぬシーンも延々とクドい。

エルが、市販されてる本から博士の共同研究者・松戸(平泉成)を見つけ、そこに向かうのだが、悪役の九條(工藤夕貴)は研究所の同僚なのだから、その存在に気付かないはずがないだろう。エルより先回りして松戸を押さえようと、何で気が付かないのか。まったくバカだ。

そういうアホな悪役にペースが狂ったのか、エルの行動も理解出来ない。ウイルスの潜在保菌者である真希(福田麻由子)を電車や自転車で連れ歩くのは大問題。うっかり真希がケガしたら、そこら中にウイルスが蔓延してしまうんじゃないのか。案の定、松戸から叱られてる。子供でも分かる事だ。

一番問題なのが、なんで警察が一切登場しない?

前作では、エルに全面的に世話になってるし、研究所襲撃事件があって、ウイルス絡みのBOYがエルの所にいるのだから、警察はまずエルに事件の相談をするのではないか

エルも、自分の住居に的場たちが無断侵入して来た時点で(あきらかに家宅侵入罪だ)、警察に通報すりゃいいだろうに。松戸の所に真希たちを連れて行くにしろ、警察に連絡してパトカーで連れて行ってもらえば簡単だし、危険な目に会わずに済むんじゃないか。当然、ラストでも警察にまず連絡して、機動隊を空港に差し向けるべき。なんで一人で行動してしまうのか。

エルが警察を頼らないのは、どう考えても不自然。そうであるなら、警察に頼れない理由を作っておくべきではないか。

総じて、本作のエルは、前作に見られたような、天才的な頭の良さ…がほとんど見られない。これではわざわざエルを主役にした意味がないではないか。
ラストに至ってはキャラクターに反し、アクションまがいまでやってる。ここも頭が悪い。ヘタしたら銃撃されるではないか。デスノートのおかげで死なないとしても、大怪我したら意味ないではないか。

FBIだとかの南原ナンタラの存在もアホだ。「後はまかせろ」とか言ってて、結局何の役にも立っていないし、そもそも、エルも簡単に信用し過ぎ。出て来てすぐ、こいつも的場らの仲間か…と疑うのが常識。あんなマヌケなFBIはいない。

感染した的場たちが、抗ウイルス薬注射したら、もう連行時に顔の出血が引いてピンピンしてる…という誰もが突っ込むアホらしいラストに至るまで、とにかく出て来るやつらも、脚本家も監督も、みんな頭が悪い

いろんなハリウッド映画のパクリといい、満載の突っ込みどころといい、昨年の駄作「ミッドナイト イーグル」といい勝負である。こんなデタラメな、エルのスピンオフ映画を見せられるとは思わなかった。カネ返せ…と言いたい。

我々が期待しているのは、天才対天才の頭脳合戦である。悪役側の見事な完全犯罪計画に唸り、それを見事な智恵と奇策でうち破るエルの作戦にまた唸る。これでなくては。頭を使わないハリウッドまがいのアクションは不要である。脚本家(これが「ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ」の小林弘利)は、コロンボや、古畑任三郎を何回も見直して研究すべきではなかったか。

今年の、ワースト候補の駄作であった。それでも前作のおかげでヒットしてるのだそうな。松ケンのエルキャラを見たい方以外にはお奨めしません。   (採点=

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2008年2月15日 (金)

市川崑監督 死去

Photo_2  映画監督の市川崑氏が、13日、肺炎の為、92歳で亡くなられました。

実は、私の父も、昨年、同じ92歳で亡くなりました。しかも死因も肺炎で市川氏と同じ。

それだけに、訃報を聞いた時、他人とは思えない気がし、感慨に耽りました。

 

市川崑監督作品は、多数観ています。監督作品は約70本余り。よく比較される黒澤明監督は30本ですから、巨匠の割には、頼まれれば気軽に撮っていた感があります。有名な、金田一耕助シリーズは、角川春樹に依頼され、大ヒットした為に次々と手掛けました。

テレビ作品も多数あります。有名なのは「木枯し紋次郎」ですが、刑事ものもあったはずです。

CM演出も多数手掛けています。ライオン歯磨、サントリーなどが主ですが、私が大好きなのが、雨が降る京都の街中を、一匹の子犬が彷徨う、トリスウイスキーのCMです。
 ↓ これがそうです。
http://jp.youtube.com/watch?v=XDEzFPzUfUM&feature=related

youtubeは画質が良くないのでいまいちですが、フォトジェニックで、詩情に溢れていて、CMでありながら、芸術の域に達しているのではないかと思います。終り間際の、瓦屋根の路地を駆け抜ける子犬を俯瞰で捕えたショットは、そのまま引伸ばして額に入れて飾っておきたいほどです。

カメラは、名手宮川一夫さん。絵作りも宮川さんの映像感覚による所が大きいと思います。

映画に戻って、市川崑監督作品で是非お奨めしておきたいのが、次の作品群です。

「炎上」(58)
「おとうと」(60)
「黒い十人の女」(61)
「私は二歳」(62)
「東京オリンピック」(65)

「おとうと」「私は二歳」はいずれもキネマ旬報ベストワン。他にも、この時期には「鍵」「野火」「ぼんち」「破戒」など、秀作が目白押し。

つまり、市川崑のピークは、この昭和30年代だと言えるでしょう。以降もコンスタントに作品は作っていますが、このピーク時の作品は傑出しています。
観るたびにその斬新な映像感覚、歯切れいいカッティング、情感溢れる演出に唸りたくなります。

Itikawakon2 カメラマンは、「炎上」「おとうと」「鍵」「ぼんち」「破戒」が宮川一夫。「東京オリンピック」も宮川さんが参加しています。
…つまりは、前述のCMも含め、その映像の冴えは、宮川さんによる所が多大であると言えましょう。

無論、宮川さんが参加していない後期の作品でもフォトジェニックな映像は見られますが、元々持っていた映像感覚が、宮川さんによって更に研ぎ澄まされ、完成されたと見るべきでしょう。素敵なコラボレーションだったと思います。
(テレビ作品「木枯し紋次郎」の、市川監督が演出したタイトルバックもフォトジェニックな美しさに溢れています)

脚本に関しても、善き伴侶でもあった和田夏十さんの存在を抜きにしては語れません。また「東京オリンピック」や、サントリーCMにも参加している、詩人の谷川俊太郎さんの協力も忘れてはならないでしょう。

そういう意味では、素晴らしき人材に恵まれた、幸福な映画人生だったのではないかと思います。

 
遺作は、リメイク版「犬神家の一族」が長編としては最後ですが、オムニバスの「ユメ十夜」の1篇(第2話)が実質上の遺作でしょう。サイレント風の、まさに市川崑タッチ健在の佳作でした。

本当に、たくさんの素晴らしい作品を有難うございました。謹んでご冥福を祈りたいと思います。

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2008年2月11日 (月)

「歓喜の歌」

Kankinouta (2008年・シネカノン/監督:松岡 錠司)

立川志の輔の同名の新作落語を元に、「東京タワー~オカンとボクと、時々オトン」の松岡錠司が監督したハートフル・コメディ。

大晦日に、市民会館のコンサート会場を、よく似た名前のママさんコーラス・グループ2組にダブル・ブッキングしてしまった為に巻き起こる一騒動。双方とも引く気はない。果たしてコンサートは無事開催されるのか・・・。

シネカノンは、こうした、歌や音楽をメインとした秀作が多い。井筒和幸監督の「のど自慢」「ゲロッパ」、フォーク・ソング「イムジン河」が取り持つ「パッチギ!」もそうだし、ハワイアン音楽に合わせて踊る「フラガール」も入れていいだろう。まあ、心温まるお話を探せば、音楽とかダンスという題材は、メンバーが力を合わせて一つの目標に向かって進む…という感動的なテーマに繋がるからだろう。シネカノンに拘らず、こちらもそういった傾向の作品が多いアルタミラ・ピクチャーズの「Shall We ダンス?」「スウィングガールズ」などもこの手のジャンルの力作である。

本作のストーリーは、ちょっとした手違いから次々とトラブルが起こり、それらをタイムリミットまでに如何にして解決し、ハッピーエンドに導くか…という、これまたコメディの王道パターンでもある(スティーブ・マーティン主演の「大災難P.T.A」など)。

そして、シチュエーションとして面白いのが、さまざまな2極対立構造である。コーラス・グループは、片やセレブの奥様たち(レディース)の、まあ金持ちの道楽、一方は生活のやりくりにに追われながらも頑張る庶民グループ(ガールズ)。主人公とママさんたちとは、まさに官=民の対立構造である。

こうした、本来は交じり合いそうもない2つのグループや階層が、物語が進行するうちに、いかに心を通わせ、融和して行くか…これが作品のキモである。

 
主人公飯塚(小林薫)は、典型的なダメ役人。仕事はいいかげん、左遷され市民会館の主任に降格、外人ホステスに入れ揚げ、借金は作る、嫁さんからは離婚届を突き付けられる、…とまあ、トラブル山積み。

そんな彼が、自分の蒔いた種でダブルブッキングを何とか解決せざるを得ないハメに追い込まれる。…それでも最初は「どうせ暇を持て余しているオバサン連中の道楽さ」とタカを括っていたものの、どちらも一歩も引かない。ガールズ側のリーダー五十嵐純子(安田成美)から、合同コンサートの提案が出されるが、それだと会場の座席が決定的に足らない。絶体絶命…。

そうしたドン詰まり状況が変わるのが、昼の出前に頼んだラーメンを、食堂がタンメンと間違えて届けた事から。
飯塚は間違いをしつこく追求するが、食堂側がお詫びにと届けて来た餃子から、彼の心に変化が生じる。
自分も今は追及されている側であり、“過ちに対して、どう誠意を持って当るべきか”を改めて反省する事となる。

ただ、彼が反省したのは、単に“誠意”の大切さを学んだだけではない
娘に餃子を届けさせた食堂のおばさん(藤田弓子)は、亭主が倒れた為、自分の経営する隣のリフォーム店と食堂を掛け持ちし、それでもママさんコーラスに参加している。―どんなに忙しくても、精一杯、充実した人生を歩んでいる…そして仕事の上の過ちには、心をこめた対応をする。

自分の、仕事にも人生にもいいかげんで、他人の痛みを分からない、そんなみっともない生き方に比べて、彼女の人生哲学はなんと生活力と前向きさに溢れている事か…。飯塚は初めて自分の生き方を振り返り、自分も人の為に役に立つ事が出来るのではないかと考え、心を込めて真剣に行動してみる気になるのである。

食堂の娘(朝倉あき)が、母について語る、そのシーンは感動的である。泣けた。―このシークェンスが、この映画の最大のポイントである。

ここの場面で、私は黒澤明監督の傑作「生きる」を思い出した。
長い役所生活で、無気力に無目的に、死んだような人生を送って来た男(志村喬)が、胃ガンで死を宣告され、初めて、残された人生に出来る事はないかを考え、少女の言葉にヒントを得て、住民の為に公園作りに奔走する。

役所勤めの無気力な公務員が、ある出来事をきっかけに、それまでの怠惰な生き方を反省し、大きな目的の為に死に物狂いで行動を開始し、ついにそれを完成させ、人々から喜ばれる。

…といった具合に、おおまかなプロットはほぼ同じである。

この映画が感動的なのは、そのプロットを中心として、物語が走り出すからである。そして、2極の対立構造が、そこから急速に融和に向かい出すからである。

セレブと庶民のコーラス・グループは、対立をやめ、合同でコンサートを行う事に合意する。そのきっかけが、飯塚の奔走で、セレブ側がコーラスガールズの歌を聴き、その歌声が予想以上に素晴らしかった事に心を打たれたからである。―いい音楽は人の心を結びつけるのである(本職の歌手でもある、スーパー店員役の平澤由美のソウルフルな「ダニーボーイ」の歌唱が見事)。

もう一つの対立軸、官と民も、飯塚が、お役所…という立場を捨て、大衆の目線で人々の為に奔走する事でこれも融和に向かう。

ラストの大団円で、素晴らしい歓喜の歌が響き渡り、飯塚の妻も、飯塚を見直し、離婚の危機も回避されそうである。…心がふっと温かくなる、まさしく素敵なハートウォーミング・コメディの快作である。

 
市民会館の改装費用はどうなるのかとか、スナックのボス、葛飾(でんでん)がらんちゅうくらいで借金をチャラにするか…とか、突っ込みどころはいっぱいある。葛飾が抱えてるらんちゅうの額入り写真は、いつ撮ったのだ…とかも(笑)。

しかし、そんな事は映画に感動すればどうでもよくなる。
例え、あちこちにアラがあろうとも、突っ込みどころがあろうとも、一箇所でも感動的な、心を揺り動かされる素敵な場面があれば、それだけで映画を褒めてあげていいと思う。

ちょうどこの映画の飯塚のように、ダメな所は一杯あるけれど、一ついい事をした彼を褒めてあげるように…。

この映画を楽しむ為には、これは雪が降り積もる大晦日に起きたファンタジーと思えばいいのである。ファンタジーなら、何が起きても不思議ではない。同じような、雪の降る街でのハートウォームな奇跡の物語「素晴らしき哉、人生!」(フランク・キャプラ監督)を思い出してもいい。

映画とは、そのようにして楽しむものなのである。

 
ただ、残念な点が1箇所。葛飾の依頼で、市長室にらんちゅうを盗みに入るくだり。五十嵐までが「人の為になるなら盗みも構わない」と肯定するが、これは道徳的にどうかと思う。子供や若い人がこれを本気にしたら問題である。どんな取るに足らないものだろうと、泥棒は良くない。このエピソードはカットするか、最後に盗んだ罪を償わせるシークェンスを入れるかすべきであった。この点で、1つ減点である。    (採点=★★★★

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2008年2月 5日 (火)

「結婚しようよ」

Kekkonsiyouyo (2007年・松竹/監督:佐々部 清)

吉田拓郎の大ファンだという佐々部清監督が、30年来の夢だった、“吉田拓郎の歌を全編にフィーチャーした映画”を実現したホームコメディ。

52歳の平凡なサラリーマンの香取卓(三宅裕司)の楽しみは、毎晩妻の幸子(真野響子)、長女の詩織(藤澤恵麻)、次女の歌織(AYAKO)の家族4人全員で食卓を囲むこと。ある日、彼が駅前で吉田拓郎の曲(「落陽」)を演奏するバンドに合わせて歌を口ずさんでいた時、充(金井勇太)という青年と知り合う。今どき、家族全員が揃って食事するなんて信じられない…と不思議がる充を卓はそれを証明する為、自宅の夕食に招く事になる。…

とまあ、確かに充でなくても、今どき希少価値である家族団らんの食事風景が、毎日厳守されてる―なんて信じられない。…そもそも、サラリーマンで(しかも不動産屋だ)、毎日定時に帰れる事なんか極稀だ(私は毎日帰宅が早くて9時過ぎだった)。
おまけに、自分流のルールを家族全員に強制している点で、これもまた今の時代には死滅したような、家父長権威主義である(充からもそう指摘され、逆ギレしたりする)。

お話としてはかなりベタである。いつまでも家族との団らんが続くと思っていた卓だが、やがて娘が結婚したいと言い出した事に動転し、相手の男・充(元々卓が紹介したようなものだが(笑))をぶん殴るが、結局は二人を許し、結婚式に出席する。―さだまさしの「親父の一番長い日」そのまんまのドラマである。
そのお話の間に、吉田拓郎のヒット曲20曲が流れ、卓が若い頃、フォーク・シンガーになりたかった夢を断念した話、卓が斡旋した田舎の農家で第二の人生を歩み出す老夫婦・菊島夫妻(松方弘樹・入江若葉)のエピソード…等が並列して描かれる。

内容だけ聞けば、今どきちょっと見当たりそうもない、かなり古臭いパターンのお話である。

しかし、そのありえないような、夢の世界を信じさせるのが映画の素晴らしい所である。
佐々部監督らしい、丁寧な語り口と、出演者の好演が相まって、いつの間にか作品世界に没入させられ、ラストではついホロリとさせられてしまう。

 
今の時代、忘れ去られてしまっているような、家族が1つの食卓を囲み、食事をする光景…田舎の、水道も通っていない、古びた旧農家を終の棲家とする菊島夫妻…。

昔は、そんな風景は、確かに存在した…だけど、時代は変わり、そうしたものが古い、時代に合わないと忘れてしまって、人との繋がりも疎遠になり、夢を追う事もなく、ギスギスしてしまった現代。

そんな時代だからこそ、中高年世代にとってはこうした光景は、とても懐かしく、心に痛みを覚えてしまうのだろう。「ALWAYS 三丁目の夕日」が大ヒットして中高年世代に受け入れられたのも、根は同じ所にあるのだろう。

そこに、全編を彩る吉田拓郎メロディである。拓郎世代の中高年は不覚にもやられてしまうだろう(ただ、「襟裳岬」(しかも本人じゃない)だけはいらないと思う)。―特にラスト間際の一大イベントのおマケ映像、これには泣けます(映画を見てのお楽しみ)。
なお、ライブハウスの名前が「マークⅡ」だったり、公衆浴場の煙突に「旅の宿」と書かれてあったりする小ネタも楽しい。

ともあれ、冗談であるレイティング=R45(45歳以上推薦)の世代で、若い頃フォークソングに夢中になった人たちにはお奨めの(無論若い人でも楽しめる)、ハートフル・ホームコメディの佳作である。   (採点=★★★★

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映画にも登場した、2006年の 
たくろう&かぐや姫 in つま恋 
コンサートのライブDVDです。







(さて、お楽しみはココからである)
この映画の配給は、松竹である。―松竹と言えば、ホームドラマ、人情コメディはおハコである。その昔、大船調と呼ばれ、戦前の島津保次郎清水宏、戦後の木下恵介、代表的な存在である小津安二郎、―その流れを現代にまで引き継ぐ山田洋次…。
と、まさにこれは伝統…とまで言える、松竹という会社の風土なのである。

そこで本作を見ると、意識してか知らずか、過去の松竹ホームドラマとの類似点がいくつか散見されるのである。

Higanbana 例を挙げれば、小津安二郎作品には、娘を嫁にやる父親の哀感…を描いた作品が数多くある(「晩春」、「麦秋」、「彼岸花」、「秋刀魚の味」など)。
「彼岸花」
(58)では、頑固で家父長的な父親(佐分利信)が、娘の結婚話にうろたえ、不機嫌になる
Bakusyuu 「麦秋」(51)では、子供が結婚したのを機会に、老夫婦が田舎の田んぼに囲まれた質素な家に移り住み、余生を送るというエンディングであった。
「秋日和」(60)を始め、多くの小津作品には、大学時代の同級生が(大抵は3人)、中高年となった今でも集まってはAkibiyori酒を飲む…というシーンがしばしば登場する。
本作のラスト近く、部屋の片隅に、(今どき見かけない)“ブタの陶器製蚊取り線香入れ”がさりげなく置かれているが、こういう小道具の配置も、小津作品ではよく見る光景である。

山田洋次作品にも、家族が心を寄せ合って生活する事の大切さを描いたものが多い。代表作「家族」もそうだが、最新作「母べえ」では、娘2人を含む4人家族が、食卓(卓袱台)を囲んで一緒に食事する…という、本作と同じ絵柄が登場するのにはニンマリしてしまう。なお充役の金井勇太は、山田洋次監督の「15才・学校Ⅳ」で主役の少年を演じ注目された人である。

 
そうやって見てくると、松竹出身でもない佐々部清監督の本作が、松竹で配給されたのは、きわめて当然であり、必然であるとも言えるのである。

思えば、佐々部監督の演出手法は、丁寧かつ誠実であり、しっとりと人間を描くという点においても、山田洋次監督作品との共通項が多い(ちなみに、佐々部監督が松竹で撮った前作「出口のない海」の脚本が、山田洋次であるというのも奇妙な縁である)。
今回の作品を観ていると、佐々部演出は、松竹のカラーにまさにピタリ、マッチしている。まるでずっと松竹作品を撮って来たかのようでさえある。

山田洋次監督も既に77歳。…そろそろ後継者が必要である。
あるいは、佐々部清こそ、松竹伝統の大船調ホームドラマ作りの後継者になるのではないか。…私はそんな期待を抱いている。

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2008年2月 2日 (土)

「Mr.ビーン カンヌで大迷惑?!」

Mrbean_2 (2007年・英=ユニバーサル/監督:スティーヴ・ベンデラック)

正月から「パンズ・ラビリンス」に始まり、戦争や紛争の悲惨さがテーマの重苦しい作品批評ばかり続きましたので、この辺でちょっと息抜きに本作を…。

「Mr.ビーン」の魅力は、なんと言ってもほとんどセリフを喋らず、顔の表情とパントマイム動作だけで笑いをもたらすおかしさであると言えましょう。
だから、劇場版第1作で、ビーンがよく喋るのには、違和感を感じてあまり楽しめませんでした。

本作は、その反省か、ビーンをフランスに送り込み、相変わらずのお騒がせギャグに留まらず、言葉の通じない事から生じる笑いを中心に据えた事で、本来のパントマイム劇としての面白さを取り戻しています。

そして前作やテレビ作品のような、断片的なギャグの繰り返しでなく、カンヌという目的地に到着するまでの、少年と二人連れのロードムービーという流れを本筋にした事で、起承転結が整った、長編映画としてもちゃんとした出来になっています。

(以下ネタバレに付き隠します)
さらには、目的地カンヌで開催される“カンヌ映画祭”で上映されている、アメリカの映画監督・カーソン・クレイ(ウィレム・デフォー)の作品が、延々とモノローグが続く退屈きわまりない作品で、これにビーンの撮ったビデオが紛れ込んだ途端に、それまで退屈で居眠りしていた観客が絶賛するというオチが、こういう分かったような分からない作品を有難がる映画祭に対する痛烈な皮肉になっていて、映画ファンであるほど大笑いできます。さすがはイギリスらしいシニカル・ジョークです。
↑ネタバレここまで

まあ、そんなわけで、これは息抜きには持って来いの、気楽なコメディとして楽しめば十分の作品であります。前作が不満だったファンにも満足できる出来だといえましょう。   (採点=★★★☆)

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(で、お楽しみはココからです)
この、Mr.ビーン作品を観ていると思い出されるのが、フランスのコメディ監督兼俳優の、ジャック・タチ作品です。

代表作「ぼくの伯父さん」(58)は、トボけた飄々とした雰囲気の、タチ扮するユロ伯父さんが巻き起こす大迷惑と、その甥に当る少年との交流を描くコメディです。偶然にも、この作品はカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞しています(笑)。

この伯父さんは、映画の中で一言もセリフを喋らず、いろんなモノに触っては壊してしまう、失敗を隠そうとして、更に大きな失敗をやらかす、近代的な工場で勤めるものの、ヘマばかりする…と、ビーンの行動とそっくりです。

少年が、ドジだけど憎めないこの伯父さんに親近感を抱いて行く…という展開も、本作(Mr.ビーン)とよく似ています。

おそらく、本作の作者は、この名コメディ俳優兼名監督、ジャック・タチに大いなるリスペクトを捧げているのではないかと推測します。

それが決定的に感じられるのが、映画監督カーソン・クレイが、カンヌ映画祭に出品した作品の題名が「プレイバック・タイム」である事です。

実は、ジャック・タチが1967年に発表した大作映画の題名が「プレイタイム」なのです。

やはり、例によってタチ扮するユロ氏が主人公の、トボけた笑いと風刺に満ちたコメディです。

プレイバック・タイムが、モノトーンに近い陰鬱な画面、主人公が延々と1人で喋り、笑えない…という具合に、明るくカラフルで、主人公は喋らない、タチ作品とはまったくの正反対の作品である点も考えれば、題名の類似性も含め、私の推測もあながち的外れではないと思えるのです。
ちなみに、ジャック・タチ作品と「Mr.ビーン」、どちらにも“無声映画時代の古きよきコメディにオマージュを捧げた作品”との賛辞があった事も付け加えておきましょう。

なお、「プレイタイム」は70mmで製作され、フランス映画史上最大の製作費をかけたにもかかわらず、退屈で眠気を誘う…と酷評され、興行的にも大惨敗となりましたが、後年には評価の兆しが見えます。

コメディ好きであり、ジャック・タチ作品を知らない方には、是非「ぼくの伯父さん」をご覧になることをお奨めします。「ビーン」ほど毒ッ気はなく、テンポものんびりしていますが、ほのぼのとした味わいが、せわしない現代における清涼剤となる、癒し系コメディの秀作だと言っておきましょう。

(付記) もう一つ、本作の原題、“Mr.Bean's Holiday”は、どうやらジャック・タチの監督2作目「ぼくの伯父さんの休暇」(英語題名:Mr. Hulot's Holiday )からいただいてるようです。この作品も、カンヌ映画祭で“国際映画批評家連盟賞”を受賞しています。
本作が、ジャック・タチ監督に対するオマージュである事は、これからも明らかでしょうね。

(2/4 追加) いろいろと、ビーンに関する記事を検索していたら、昨年、ローワン・アトキンソンが来日した時のインタビュー記事を見つけたのですが、
その中で、インタビュアーが、「ぼくの伯父さんの休暇」との題名の類似性を指摘し、アトキンソンがそれに答えて
「そうなんだ! 彼(ジャック・タチ)は僕にとってヒーローであり、僕は彼の大ファンなので、意識はしていたよ。僕が成長をする大切な瞬間にタチの作品に出会ったんだ。彼の作品が撮影されて50年以上経った今、全てを分かった上で『Mr. Bean's Holiday』と名づけて世に出すのは、不思議な気持ちだね」
と言っていたのです。

なんとまあ、やっぱり本作は、ジャック・タチへのオマージュだったわけですね。推測がドンピシャ当りました。

それと、以前録画したまま見ていなかった、ジャック・タチの長編監督デビュー作「のんき大将」があった事を思い出したので、遅ればせながら観たのですが、
なんと、主人公(タチ本人)が、自転車で、自動車の後ろにくっついて走ったり、サイクル・ロードレースの一団を自転車で追い抜くシーンがありました。

「カンヌで大迷惑?!」の中に出て来る、同様のシーンは、これで「のんき大将」へのオマージュである事も分かりました。うーん、もっと早く見ておくんだった(笑)。

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劇場版1作目        ジャック・タチ作品

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