「明日への遺言」
「雨あがる」、「阿弥陀堂だより」、「博士の愛した数式」と、1作ごとに着実に実力をつけ、完成度の高い秀作を作り続けて来た小泉堯史監督が、15年間暖めて来た、大岡昇平のノンフィクション本「ながい旅」の映画化作品。
終戦後の極東軍事裁判で、B級戦犯として処刑された、元東海軍司令官・岡田資(たすく)中将(藤田まこと)が主人公である。
映画は冒頭、記録フィルムにより、世界各地の、市街地への爆撃=いわゆる無差別爆撃=の歴史を描く。
ピカソの絵で有名な、ゲルニカをはじめ、日本軍による南京、重慶、ドイツ軍によるロンドン、そして連合軍によるドレスデン、東京以下日本各地、―そして広島、長崎への原爆投下…と、多くの一般市民が命を失った。
国際法では「爆撃は、軍事目標に対する場合に限り適法とする」と定められているにも拘らず、これらの例のように、ほとんど守られてないに等しい。
そのうち名古屋爆撃の際、パラシュート降下したアメリカ兵を、略式命令で処刑した罪で、B級戦犯として横浜裁判の被告となったのが岡田中将である。
映画は、この冒頭の記録フィルム部分を除いて、ほぼ9割までが法廷シーンであり、残りは岡田の独房での生活ぶりくらいしか登場しない。
これは、映画としては冒険である。ヘタな監督にかかると、単調で退屈な作品になりかねない。
しかしさすが小泉監督である。法廷シーンで、検事側のバーネット検察官(フレッド・マックィーン)と、弁護側のフェザーストーン弁護人(ロバート・レッサー)の、それぞれの堂々たる弁論、アメリカ側の無差別爆撃の非人道ぶりを訴える岡田中将の毅然とした態度、空襲の様子を証言する庶民(蒼井優、田中好子など)、ジャッジをくだすラップ裁判委員長(リチャード・ニール)、それらを見守る岡田夫人(冨司純子)ら傍聴人…これらの人たちの迫真の演技と適確なカメラワーク(3台で同時撮影)により、緊迫感に満ちた、出色の法廷ドラマとなっている。
裁判が進むうち、岡田の態度に、弁護人はおろか、バーネット検察官やラップ裁判委員長ですら次第に岡田に畏敬の念を抱くようになって行く様子が感じられる。…敵味方として憎み合うのではなく、相手の気持ちを理解し、尊敬し合う…素敵な事である。みんながこんな気持ちを持ち合えば、戦争なんてなくなるのかも知れない。…そんな事まで考えさせられた。
処刑に対する、すべての責任を背負い、静かに絞首台に向かう岡田の姿に、指導者の責任とは、戦争責任とは何なのか…を考えさせられる。岡田同様、小泉演出も静謐で、落ち着いた風格すら感じさせる、これは見事な秀作である。
藤田まことは、今年の演技賞当確の熱演である。藤田の起用には、意外に思う人がいるかも知れないが(コメディアン、あるいは中村主水のイメージが強いからだろう)、実は藤田は'68年の東宝作品「日本の青春」(小林正樹監督)で、戦争中に上官に虐待された過去を持つ戦中派サラリーマンという難しい役を演じている。小泉監督自身も、あの映画の印象から起用したと言っている。監督が、本作とも縁が深い「東京裁判」を監督した小林正樹であるというのも奇縁である。
個人的には、バーネット検察官を演じた、フレッド・マックィーンの横顔が、父親、スティーヴ・マックィーンとそっくりに見える時があり、それだけで感慨深かった。もっと映画に出て欲しいものである。
やや残念だったのは、竹野内豊のナレーションが作品のトーンにマッチしていない点。もっと落ち着いた、ベテラン(例えば仲代達矢等)にまかせるべきだった。それと冨司純子のナレーション(かモノローグと言うべきか)は不要。
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さて、映画の出来は別にして、岡田中将の法戦(と彼は名付けた)については、大きな矛盾がある。これについて述べたいと思う。
岡田は、「命令した自分にすべての責任があり、部下に責任はない」と部下をかばう(このおかげで部下は減刑される)。
ところが、捕虜となったアメリカ兵に対しては、「国際法に違反する無差別爆撃を行った罪」で処刑を命令しているのである。処刑された中には、戦闘と関係ない無線兵もいたという。
「部下に責任はない」と言うなら、爆弾を落としたアメリカ兵も上官の命令に従っただけなのだから、罪はないことになり、処刑するのは筋が通らない。おまけに、銃殺ならまだしも、刀で首を斬り落としている。「首を斬るのは切腹と同じで礼儀にかなっている」と言うのも詭弁である。斬首は屈辱的な刑であり、これは処刑と言うより怒りにまかせた私刑である。
そもそも、投降したアメリカ兵は、捕虜なのだから、捕虜を虐待したり殺す事は国際法で禁止されている。相手に「国際法違反だ」と言いながら、こちらも国際法に違反している事になる。…矛盾だらけである。
無論、岡田中将も、それらを分かった上で(つまり、負けるのを承知で)法戦を展開したのだろう。
もう一つ、この処刑を“報復”とみなせば合法であり(即ち減刑の可能性あり)、“処刑”なら違法で重罪なのだという。なんとも不思議な論理である(普通、“報復”の方が問題だと思うが)。岡田は、“報復”でなく“処刑”と言い通し、有罪になった。なんたる矛盾!
戦争とは、それほどに矛盾に満ちた愚かな行為である。…それが、この映画のテーマなのかも知れない。 (採点=★★★★☆)
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コメント
こんにちは。
>爆弾を落としたアメリカ兵も上官の命令に従っただけなのだから、罪はないことになり、処刑するのは筋が通らない。
この映画に、いま一つノリきれなかった理由が
こちらを拝見して納得がいきました。
>“報復”とみなせば合法であり(即ち減刑の可能性あり)、“処刑”なら違法で重罪
ここは、それこそ
現代のアメリカに繋がっているという気がしました。
TBありがとうございました。
投稿: えい | 2008年3月17日 (月) 10:08
こんにちは。
私もね、岡田中将の言い分がいかにも正しく聞こえるのだけど、結局核心には「仕方がない」で終わっているんですよね。そこは釈然としないんです。
立派な人には違いないのですが。。。
諸悪は、全てをゆがめて正当化させる戦争ですよね。
投稿: たいむ | 2008年3月17日 (月) 16:45
>えいさん
いつもコメントありがとうございます。
>この映画に、いま一つノリきれなかった理由が、こちらを拝見して納得がいきました。
私も、小泉監督らしい重厚な演出のおかげで観ている間は堪能したのですが、後でよく考えると、やはり岡田中将の論理にはどうしても賛同出来ないのですね。
でも、アメリカの裁判官、検察官をも感服させるのですから、やはり凄い人物なのでしょうね。もっと、この人について調べたくなりました。
>たいむさん
>諸悪は、全てをゆがめて正当化させる戦争ですよね。
そこが、この映画の大きなテーマなのかも知れませんね。今のアメリカの姿も含めて、考えさせられる作品でした。
投稿: Kei(管理人) | 2008年3月21日 (金) 01:48