「クローバーフィールド HAKAISHA」
ネットで話題になり、全米で大ヒットを記録した謎?の映画。
まあ観る前から予想はついていたが、我が「ゴジラ」にオマージュを捧げた“怪獣映画”だった。
従って、「ゴジラ」映画が大好きな人にはお奨めであるが、単なる怪獣パニックものには終わっておらず、観終わってからもいろいろと考えさせられる問題作に仕上がっている。以下その点について書いてみたい。
映画は全編、素人の若者が撮ったハンディカム・ビデオ映像の再生…という体裁になっており、故に画面は不規則に揺れ動き、アングルもカットも素人っぽいうえに、画像もやや荒い。…無論これはわざとそう見せているフェイク映像であり、前半で人物関係をテキパキと紹介して行き、怪獣が現れてからは、ビル倒壊で取り残された恋人を救出に向かうスリリングな展開があるかと思えば、軍隊の攻撃シーンも要領よく網羅されており、観終わってみればきちんとしたストーリー・テリングのドラマになっている事が分かるだろう。
手ブレ映像は、人によっては気分が悪くなる場合もあるかも知れないが、時間が進むにつれて、カメラマンが慣れて来たのか?(笑)、揺れも少なくなって観やすい画になって行くので心配する事はない(この辺りもなかなか考えてある)。
それよりも、この手法を採用する事によって、映画はむしろドキュメンタリー映像(例えばイラク戦争の従軍カメラマンが撮ったような)に近く、怪獣映画を観ている…と言うよりはむしろ、我々がその現場にいるかのような臨場感を感じることが出来る。ビデオの割には、迫力あるドルビー・サウンド(笑)が体を揺さぶるのも効果的。従ってこれはDVDなんかより、是非音響効果のいい劇場で観る(=参加する)べきである。
製作のJ・J・エイブラムスは、どうやらかなりの「ゴジラ」ファンであるらしい。エンド・クレジットでは明らかに伊福部昭作曲の「ゴジラ・マーチ」を彷彿とさせる音楽が流れるし、“ドキュメンタルな臨場感”というコンセプト自体が、1954年に作られた1作目の「ゴジラ」の基本構想なのである。
これをもう少し詳しく説明すると、1作目は、人間の目線に近い、低い位置から仰ぎ見るアングルが多用されており、緊迫したアナウンサーの実況音声、さらにはモノクロのやや荒れ気味(フィルムの感度が良くない当時では、日本映画はみんなそんな感じだが)の映像が、あたかもニュース映画を見ているかのようなリアル感があった。重傷者が収容された病院の様子や、まるで東京大空襲!を思わせる破壊後の東京の風景も、戦後の後遺症がまだ残る当時の人たちには、フィクションとは思えないリアリティがあった事だろう。
同様な事が、9.11の悪夢が覚めらやぬアメリカ人にも言えるわけで、実際に建物が倒壊し、噴煙が街を覆う、9.11そっくりの映像が登場する本作から受ける衝撃は、1954年に「ゴジラ」を観た当時の日本人が受けたそれに匹敵するものがあると思われる。
ラストに至るも、怪物の正体が一切不明である結末も、この怪物が“日常生活を襲う得体の知れない恐怖”のメタファーであると考えれば納得出来るし、そういう意味では本作は、地震等の災害や同時多発テロ・戦争(=空襲を受ける側)の悪夢をもシンボライズさせた、一種の“ディザスター・ムービー”にもなっており、怪獣映画ファン以外の人も観ておいて損はない問題作であると言えよう。
ブレるビデオ映像の中における、ほとんどCGである事を感じさせない臨場感溢れるSFX効果もお見事。企画の勝利である。
また時おり、一時録画を止め、リプレイした事を示す、上書き前の過去に録画された、平和な昼間の日常風景(遊園地、コニー・アイランドで遊ぶ恋人たち等)が挟み込まれている点も芸が細かい。日常生活に割り込んだ不条理を強調するテクニックとして、ホームビデオ機器のメカニズムを最大限に活用しているのである。うまい。
ただ、続編の企画が持ち上がっているようだが、私は止めた方が賢明だと思う。怪物の正体を明かすような話になるなら、本作の衝撃並びに感銘がぶち壊しになる可能性があるからである。衝撃の傑作「マトリックス」が、つまらない続編が製作されたおかげで、1作目の感動が薄れてしまった、あの轍を踏まない事を祈るのみである。 (採点=★★★★)
(お楽しみはココからだ)
さて、ここからはおマケ。
東宝「ゴジラ」1作目には、実は元ネタになった作品がある。
1953年の米映画「原子怪獣現わる」(ユージン・ルーリー監督)がそれで、コマ撮り人形アニメで名高いレイ・ハリーハウゼンの出世作でもある本作を日本公開前に見た東宝プロデューサー・田中友幸が、これをそのまま(悪く言えば)パクッて作り上げたのが、「ゴジラ」である。
“核実験によって氷河の中の恐竜が蘇えり、放射能を帯びた恐竜はニューヨークへ上陸、街中を恐怖に陥れる…”というストーリーを聞けば分かる通り、基本コンセプトはほぼ同じである。
が、被爆国、日本の核に対する恐怖を前面に打ち出した戦略と、見事な円谷英二特撮のおかげで、「ゴジラ」は本家よりもずっと有名になり、アメリカからもリスペクトされる不朽の名作になった。
で、この本家「原子怪獣-」のラストで、怪獣退治のクライマックスとなる舞台が、コニー・アイランドなのである。…即ち、新作で恋人たちが無邪気に遊ぶ、あの遊園地である。
ついでながら、新作の中で、人々がマンハッタンから逃げる為に向かう、ブルックリン橋…これもまた、「ゴジラ」のアメリカ版リメイク「GODZILLA」(ローランド・エメリッヒ監督)のラストで、怪獣が倒されるクライマックスの舞台となったのは周知の通り。
これから判断すると、ゴジラ大好きと思われるJ・J・エイブラムス、本家「ゴジラ」だけでなく、元ネタ作品と、エメリッヒ版ゴジラのそれぞれにも、こっそりとリスペクトしたのではないだろうか。
そう考えると、本作のラストでやっと全身が現れる怪獣(というよりは人に近い)の姿、ゴジラ元ネタ作品の特殊効果担当のレイ・ハリーハウゼン特撮作品、「シンドバッド7回目の航海」(1958)に登場する一つ眼怪人、サイクロップスと、なんか、よく似ている気がするのだが…。考え過ぎかな?
ノヴェライズ本
レイ・ハリーハウゼン作品2本
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