「山のあなた 徳市の恋」
1938年の松竹映画「按摩と女」(清水宏・監督)のリメイク。
清水宏監督は、一般的には黒澤、小津、溝口ほどには知られていないが、実は伝説的な巨匠である。
なにしろ、小津安二郎、溝口健二監督をして“天才”と言わしめ、笠智衆も、彼の評価が不当に低い事を憤った。
近年ようやく再評価の兆しが見える事は喜ばしい。DVDボックスも出ているようだが、若手のポップな作風で知られる石井克人監督が清水作品に惚れ込み、興行的に当たり難いのを承知で、わざわざ本作をリメイクした…というのも近年にない快挙である。
ただ、本作は、リメイクと言うよりは石井監督が“完全カヴァー”と称しているように、元の作品の脚本はおろか、アングル、カット割までも完全にコピーした作品である。
そう聞くと、例のガス・ヴァン・サント監督のヒッチ作品のコピー作「サイコ」とか、森田芳光監督の「椿三十郎」などの(個人的には)失敗作を思い出し、嫌な予感を抱く人もいるだろう。…特に私など、そのオリジナルたる「按摩と女」が大好きときている(ビデオも持っている)。
ところが本作は、意外にも、良く出来ているのである。清水作品が大好きな私ですら、ジワっと感動したのである。「椿三十郎」はコキ下ろした、この私が…である(笑)。
その理由は何かと言うと、一にも二にも、清水作品の作風…あるいは、いわゆる“大船調”と呼ばれる、松竹伝統の人情ホームコメディのタッチを現代において完璧に、かつクリアに再現しているからである。
私は、オリジナルの「按摩と女」が好きで、ほとんど頭の中に映像が刻み込まれているのだが、この作品を見ている間中、記憶にある清水作品と、映像も、演技もまったくそのままで、まるでオリジナル作品に、着色して、デジタル・リマスタリングしたのかと錯覚したほどであった。
帰宅して、「按摩と女」のビデオを引っ張り出して再見したら、もうまったく、今観た映画そのまんまであった。―温泉旅館や町並みもまったく同じ(旧作を基にミニチュアを作りデジタル合成したそうだ)、なんとまあ、後ろを通るエキストラの通行人の歩き方や扮装、道端の犬の動きまでまったく同じである。いやはや、そこまでやりますか(笑)。
違う所は、当時は予算の関係なんかで描けなかったであろう、峠の道を行く馬車のロングショット映像や、若干の補足的シーン(旅館の位置関係など)程度である。
ただ旧作は、古い作品である為、また、当時はフィルム感度も音質も悪かった為、映像はややボヤけていて、音は聞き取りにくい所もあった。…それでも感動出来たのだからやはりいい作品なのである。
本作は、むしろそうしたオリジナル作品の映像・音質の劣悪な部分を、最新の技術でカヴァーし、グレードアップした作品なのである。―ほんわかと醸し出される、清水作品の空気や温かみはそのままに、グレードだけはぐんと向上している。
…これは言うなれば、クラシック音楽で編曲やオーケストラ編成はオリジナルそのままに、最新の機材を使ってステレオ・ドルビーサラウンド録音を行ったようなものである。これでは感動するのも当然である。
例えば、徳市(草彅剛)が、東京の女美千穂(マイコ)が道に立っているのに気付かずすれ違うシーン、オリジナルでは全然聞こえなかったのだが、新作では、美千穂がそっと後ずさる時に、かすかに砂利を踏む音が聞こえる。
目の見えない徳市が、その音を聞き分け、美千穂がいる事に気付く重要なシーンなのだから、この音は大事である。…こういう所に、石井監督が最新技術でカヴァーした意味があるのである。
石井克人監督は、清水宏作品の素晴らしさをこよなく愛し、最大のリスペクトをもってそれを現代に甦らせたのである。…それはまた、清水宏という伝説の埋もれた名監督の発掘でもある。
…私はその事に胸が熱くなった。よくぞ作ってくれたと、石井監督に礼を言いたい。
お話は、実に淡々として、のどかで、大した事件も起きない。まあ泥棒騒ぎもあるが、それすらものどかでユーモラスである。
小さな温泉町を舞台に、見知らぬ人同士が出会い、ちょっとした心の触れ合いと、ほのかな恋心の芽生えがあり、そして別れが描かれる。
さりげない仕草や、会話の中に、人の切ない思いが巧みに表現され、温泉の湯に浸かるように、心が癒される。
淡々と進むゆえ、若い人にはとっつき難いかも知れない。しかし、もし小津安二郎作品や成瀬巳喜男作品のように、やはり庶民の生活を淡々と綴った監督の作品にハマった方ならきっと感動出来るだろう。噛めば噛むほど味が出る、スルメのような味わい深い作品である。
けれどもそれは石井監督の力ではなく、オリジナルの清水監督の脚本・演出のうまさのせいである。この映画は、そういう意味では、クレジットこそ石井克人監督だが、まぎれもなく“監督=清水宏―リマスタリング修復=石井克人”とクレジットしたい作品なのである。
徳市を演じた草彅剛、相棒の福市を演じた加瀬亮―いずれもオリジナル役を演じた徳大寺伸、日守新一と外見も雰囲気もソックリである。また東京の女役のマイコ(オリジナルでは高峰三枝子)も、いかにも戦前の古風な女の雰囲気をよく醸し出している。
清水監督作品では「按摩と女」以外に、あと「有りがたうさん」(1936)、「簪(かんざし)」(1941)が傑作であり、小林信彦さんは20世紀ベスト100本の中にこの3本を入れている。本作に感動した人は、機会があれば、是非これらの作品も探して観て欲しい。 (採点=★★★★☆)
清水宏DVD-BOX 「按摩と女」 |
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コメント
映画の良さを、的確にに表現されてる素晴らしいレビューですね。
読んでて嬉しくなりました。ありがとうございます。
清水作品、レンタルとかで全然無いので諦めてましたが、このレビューを見て、なんとか探そうと決意しました。
これからも時々覗いて勉強させてください。
投稿: あけぼの | 2008年5月30日 (金) 15:32
こんばんは
監督が草なぎ君以外には、この役を出来ないと言い切ったとか、確かにハマリ役だったと思いました。彼以外の役者だと、嫌味が残りそうですね。それと謎の女を演じたマイコもなかなかでしたね。今後が期待される女優さんですね。
久し振りに心癒される映画を見せていただきましたよ。
投稿: ケント | 2008年6月 1日 (日) 20:19
>あけぼのさん、ようこそ。
お褒めの言葉ありがとうございます。励みになります。
清水宏監督作品は、TSUTAYAにVHSで「按摩と女」「有りがたうさん」「港の日本娘」を置いてある所がありますが、それでも少ないです。不当に扱われてますね。
ようやく、「山のあなた」の公開がきっかけでしょうか、今年になって前記作品をまとめたDVDボックスが発売になりました。ただ、レンタルショップにはまだ出ていないようです。
でもDVDが出るだけでも有難いことです。黒澤の「隠し砦-」のレンタルも高稼働のようですし、旧作がこうして見直されるだけでも、リメイクの価値はあったと言えるでしょうね。
投稿: Kei(管理人) | 2008年6月 6日 (金) 11:12
>ケントさん
草彅君はいい味出してますね。
彼は舞台でも「瞼の母」や「父帰る」などで高く評価されている実力派ですからね。単なるアイドルじゃないです。
マイコさんは、昭和13年の映画の中に登場したとしても違和感ないですね。よく見つけたものです。今年の新人賞は当確でしょうね。
これからの活躍を期待いたしましょう。
投稿: Kei(管理人) | 2008年6月 6日 (金) 11:30