「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」
「椿三十郎」に次ぐ、黒澤明監督作品の再映画化。但し、リメイクではなくリボーン(再生?)だそうな。
森田芳光監督「椿三十郎」公開の際には、私はかなり厳しく批判をした(作品評はこちら)。…しかし、黒澤作品のリメイクは絶対ダメ、と言ってるわけではない。早い話、「姿三四郎」や「赤ひげ」、「野良犬」なんかはテレビも含め何度かリメイクされており、それぞれ出来映えも悪くはなかった。
問題なのは、「椿三十郎」リメイクに際しては、簡単に述べると3つの大きな過ちを犯しているからである。
①「三十郎」のキャラクターは、三船敏郎という豪快なチャンバラ・スター自体をイメージして創造された、日本映画史に残るスーパー・ヒーローであり、三船の存在なくしては産み出されなかった。分かりやすく言うなら、渥美清のキャラから生まれたフーテンの寅のような存在である。寅さんが、渥美清以外の誰が演じてもサマにならないのと同様、三船に匹敵するサムライ・スターが登場でもしない限り、リメイクには向いていないのである。即ち、まず題材の取り上げ時点で間違っているのである。
②それなのに、よりによって織田裕二に三十郎を演じさせた。…三船とはまるで容貌もキャラも違い、そこらの兄ちゃんにしか見えず、豪快な太刀回りすらもやった事もない役者を選んだ時点で、これも失敗である。
③さらに、本来三船敏郎のキャラに合わせて書かれたシナリオを、ほとんど一字一句元のままで使用したのも間違い。…せめて、織田のキャラクターに合わせてシナリオを大幅に改定しておればまだしも…。よって映画は、織田が三船の物真似を必死で演じるという珍妙な出来になってしまったのである。
そこで今回の「隠し砦の三悪人」であるが、
①「三十郎」とは違ってこちらは、昔からよくある、“戦さで敗退し、落ち延びた残党が軍資金と世継ぎを守り、お家再興を果たす”という、典型的な講談調・波乱万丈冒険大活劇(中村錦之助主演の「笛吹童子」はその種の代表作)であり、主演のキャラで持つ作品ではない。
②三船が演じた真壁六郎太は、これまでにも痛快チャンバラ活劇の主役を勤め、サムライ・スターの風格もある阿部寛が演じており、これも悪くない。
③さらに、元のシナリオを劇団☆新感線の座付き作者・中島かずきが大胆に脚色、なんと!六郎太と雪姫以外の主要人物を、役名も含め、ガラッと入れ替えている。六郎太は、主役ですらなくなっている。基本設定だけを拝借し、ほとんどオリジナルと言っていいくらいにまで改変してしまっているのである。まさに、RE-BORNである。
こんな具合に、同じ黒澤リメイクでも、こちらは「椿三十郎」における3つの問題点をことごとくクリアしていると言える。出来はともかくとして、戦略としてはこれは正解である。…森田も、せめてこれくらいのチャレンジはして欲しかった。
さらに、オリジナルはその面白さゆえ、ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ/EP4」(77)として巧妙に焼き直しているのは周知の通りだが、本作はその「スター・ウォーズ」からいくつかの要素を逆輸入しており、どちらかと言えば本作は、“「スター・ウォーズ」のリメイク”と言った方が正解のような出来なのである。
「スター・ウォーズ」では、「隠し砦-」のキャラクターについて、真壁六郎太→オビワン、雪姫→レイア、太平→R2D2、又七→C3PO…という具合に巧妙に移行されているが、ルーク・スカイウォーカーに当たる人物はオリジナルにはない。
本作では、そのルークを彷彿とさせる、松本潤扮するイケメンのヒーローを主役に据え、クライマックスで大活躍をさせている。さらに、黒澤作品では不在であった、敵対する悪玉・鷹山刑部(椎名桔平)を新たに創造し、ダース・ベイダーそっくりの扮装をさせている。
これによって、本作は黒澤作品よりもさらにエンタメ性を増し、SFXもフルに駆使して、ラストは敵の要塞(=デス・スターに匹敵する)の大爆破→ハッピー・エンドに至る娯楽大活劇に仕上がっている。
樋口真嗣演出は、これまでの監督作(「ローレライ」、「日本沈没」)においてもいろんな娯楽活劇へのオマージュが散見されているが、本作でもさまざまなオマージュ、パロディがふんだんに盛り込まれ、楽しませてくれる。
敵の砦の造形は、「スター・ウォーズ」の要素もあるが、同じジョージ・ルーカス製作の「インディー・ジョーンズ/魔宮の伝説」の悪の巣窟も連想させる。武蔵(松本潤)と雪姫(長澤まさみ)の手と手を取っての逃避行は、ちょっぴり深作欣二監督「里見八犬伝」の要素も入っている。…そしてラストは言うまでもなく「ローマの休日」である。
本家、黒澤「隠し砦-」における名シーンについても、そのまま再現されているものもあれば、巧妙に捻っているものもあり、そういう意味では、これは本家、黒澤版を先に観ていると、思わずニンマリ出来て余計楽しめるようになっている(鷹山刑部の顔の疵が、黒澤版の田所兵衛(藤田進)のそれとソックリである所も注目)。普通はリメイク作品の場合、旧作は見ない方が良いのだが、本作に関してはDVDで予習しておくのも悪くはないと思う。
そんなわけで、もともと期待していなかっただけに、思っていたよりは上出来であった。何より、あの痛快な黒澤作品を、オリジナルのイメージを損なわない範囲で大胆な改変を行い、旧作を知らない若い観客は無論のこと、旧作を知っている人が観ても、十分楽しめる娯楽活劇に仕上げている点は大いに評価したい(その功績の多くは、冒険活劇のツボを心得た、中島かずきの脚本によるところが大きい)。
少なくとも、「椿三十郎」よりはかなりマシである(しつこいかな(笑))。
リメイクするなら、せめてこのくらい、いろんな工夫をすべきである。
しかし、手ばなしで褒めるわけには行かない。まだまだ難点や突っ込みどころが多い。もう一押し、脚本を練り直せば、もっと面白くなるだけに惜しい所である。
多分、指摘する人も多いであろう、あのラストの大爆発からどうやって逃げられた?しかも馬まで用意出来るか…くらいはご愛嬌で、この程度なら笑ってすませられる。
困るのは、女衒に売られる所を助けた女が、姫をかばって死んで行くシーン、敵が斬りかかって六郎太がピンチなのに、メソメソ泣いてる場合じゃないだろう。著しくテンポがそがれるこんなシーンは不要である。
それと、あの名セリフ「裏切り御免!」の使い方はないだろう。無理があってシラける(しかも何回も出すぎ)。本来このセリフは、味方から敵に、又は敵から味方に寝返った場合に使うものである。オマージュにしても、これは不要。
さらに、エンドロールに流れる主題歌、まったく不要(だから、「裏切り御免」の使い方、間違ってるだろうが!)。
逆に、オリジナルにはなくて、考えたな…と思わせるのが、“雪姫と、名もなき民衆との信頼関係”を強調した部分で、助けた民衆から恨みがましい視線を受けてたじろいだり、後半の大きなポイント=金塊輸送方法にまつわるくだりなどは、“国の統治は、国民との信頼関係なくしては成り立たない”というテーマを際立たせ、現在の、支持率低迷にあえぐ政治状況への痛烈な皮肉になっている。
…ただ、樋口演出が一本調子の為か、本来なら感動が盛り上がるはずの100人の民衆との対面が、全然そうなっていないのは大いに反省の余地あり。それと、命の恩人である武蔵に、(オリジナルにあったように)姫から賞金を与えるシーンは入れるべきだった。
ともあれ、いろいろアラはあろうとも、予想以上に楽しませてくれた、その努力には敬意を表したい。従って、採点も大マケしておく。 (採点=★★★)
(さて、お楽しみはココからだ)
黒澤作品では太平と又七だった2人の下層庶民の名前が、新作では武蔵(タケゾウ)と新八に変更されている点に着目したい。
これはそのネーミングからして、あの吉川英治原作「宮本武蔵」の武蔵(本作と同じく、最初の頃は“タケゾウ”と読む)と又八のコンビを意識したものだろう。
やはり戦乱の世、出世を夢見て関ヶ原の戦いに赴き、負け戦さでホウホウの体で戦場を彷徨う武蔵と又八の姿は、まさに本作の武蔵と新八の姿にダブる。
―そう考えれば、本家黒澤作品の方の冒頭、太平(千秋実)と又七(藤原釜足)が負け戦さでボロボロになり、グチりながら歩くシーンもまた、吉川版宮本武蔵のプロローグからインスパイアされたのかも知れない。相方の名前が又七に又八と、1字違いなのも偶然ではないだろう。
もう一つ、本作のイラスト・ポスターの原画を描いたのが、井上雄彦。…即ち、吉川英治原作「宮本武蔵」のコミック版「バガボンド」の作者である。絵の方も、驚くほど「バガボンド」の武蔵に似ている。
この起用からしても、樋口監督が「宮本武蔵」を意識している事は明らかだろう。
悪玉、鷹山刑部が、決闘シーンでなぜか二刀流で六郎太と対峙していたが、あるいはこれも、宮本武蔵を意識してのこと?(笑)
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コメント
ご無沙汰しています。トラックバック、コメント、ありがとうございます。私はいつものように、稚拙な文章になってしまいましたが、ついているところが同じでびっくりしました。あらーっ!と楽しく読ませてもらいました。優れた脚本家が集まって議論しながら書くなんて・・・あの時代は夢のような仕事をしていたのですね。昔の映画がリバイバルされ、どれを観ても面白いはずです。椿三十郎のときも思いましたが、本作の黒澤版もリバイバルされないかな?と・・・。封切が終わって上映したら、集客できるはずですが・・・。リメイクした監督が嫌がるかなとは思いますが。 冨田弘嗣
投稿: 冨田弘嗣 | 2008年6月 4日 (水) 01:31