「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」
(2008年・パラマウント/監督:スティーヴン・スピルバーグ)
'80年代に、ジョージ・ルーカス+S・スピルバーグという2大ヒットメイカーがタッグを組んで作り上げた人気シリーズの、19年ぶりの復活。
アメリカ映画界も、ヒット・シリーズがなかなか誕生せず、昔の名前を引っ張り出して化粧直しするケースが相次いでいる(「スーパーマン」、「ロッキー」、「ランボー」、「ダイ・ハード」等々)。
ルーカス・フィルムも、「スター・ウォーズ」が終了して稼ぎ頭がなくなった為か、とうとうしまい込んでたお宝を、倉庫から取り出す事になったようだ。
前記に挙げた作品群と異なるのは、このシリーズのみ、製作・監督・主演のトリオにまったく変更がない…という点。こんなケースは、あと「男はつらいよ」以外に思い当たらない(笑)。ブランクこそあれ、第1作から数えて27年!年数に関しては寅さんを追い抜いてしまった。そして、クオリティも27年前と、全くと言っていいほど変わっていない。凄いことである。
私は、1作目から全シリーズをリアルタイムで観ている。1作目が登場した時は、ルーカス、スピルバーグ両人の大ファンであったから、公開を心待ちにして、封切られるや真っ先に観に行った。そして、予想を遥かに上回る面白さ、楽しさに大喝采を送った。これぞまさに、娯楽映画の原点、波乱万丈冒険大活劇そのものであった。理屈抜きに楽しくて、余計な思想も、ウエットさも、思わせぶりなテーマも、何にもない。さらには、古い映画からの引用、オマージュもてんこ盛り。古くから、沢山の映画を観て来た、根っからの映画ファンであるほど楽しさは倍加する、これは、“すべての映画ファンに捧げる、王道を行く真の娯楽映画シリーズ”なのである。
さて、そんなわけで復活したシリーズの新作。今回は経過した年数と同じだけ時間も経過し、舞台は前作から19年後の1957年。
映画は、シリーズのバックボーンである、昔からある“宝探し冒険活劇”(有名なのはH・ライダー・ハガード原作「キング・ソロモンの宝窟」などの一連の作品)のパターンを忠実になぞっている。
ヒーローがいて、美女がいて、悪辣な敵が邪魔をし、グロテスクな生き物が襲って来て、宝を守るトラップに悩まされ、最後はハッピーエンド…とまあ、お約束通りに話は進む。
これを、「毎回同じような話で飽きる」とか「ワンパターンでつまらない」とかで批判する人もいるだろうが、こういうB級娯楽映画はワンパターン結構、一難去って又一難、ハラハラドキドキ、楽しませてくれればよいのであり、観る方も、毎回頭を白紙にしてどっぷり画面に浸って楽しむべきである。「男はつらいよ」だって、毎回ワンパターンながら、それを承知で、観客は映画を楽しんでいたのである(笑)。
その代わり、随所に細かいネタが仕組まれており、最初はスリル満点のアクションとサスペンスを堪能し、後は細部の小ネタを反芻すれば余計楽しめる。無類の映画好きのお二人が製作・監督してるのだから、小ネタも半端ではない。'50年代が舞台という事もあり、自身の「アメリカン・グラフィティ」から「バック・トゥ・ザ・フユーチャー」などのセルフパロディ、当時無数に作られたB級活劇(H・R・ハガード原作「キング・ソロモン」も1950年に映画化・公開された。主演はスチュアート・グレンジャー、デボラ・カー)のエッセンス、また、時代背景として、当時の大国・ソ連の脅威、それに伴う赤狩り旋風、核実験…等の時事ネタも巧みに取り入れられている。
(ここからややネタバレがあります。ご注意ください)
インディが核実験に巻き込まれ、冷蔵庫に入って助かるシークェンスが、認識不足だとかありえないとか叩かれているが、親日家のスピルバーグが核の怖さを知らない訳がなく、ましてやハリソン・フォードは、ソ連の原子力潜水艦の放射能漏れ事故の実話を題材とした「K-19」に主演している。
あれは、当時の核に対する政府のインチキ・プロパガンダに対する皮肉なのである。
それを証明するのが、冒頭、意味ありげに映される「アトミック・カフェ」の看板である。
「アトミック・カフェ」とは、'82年に公開された、核実験に関するドキュメンタリー映画で、政府が作ったプロパガンダ・フィルム等が引用され、「原爆が落ちたら机の下に隠れなさい」(笑)などのいいかげんなPRがされていたり、兵隊たちが実験直後の爆心地に防護服もなく入って行ったりと、まあ当時の認識とはその程度だったのである。「放射能はブラシでコスれば落ちる」という発想も、当時ではごく自然だったのかも知れないのである。
まあしかし、アメリカ人には大笑いできるギャグだろうが、日本人―特に被爆者の身内―にとっては、やはりいい気はしないだろう。日本向けには、考えて欲しかったところである。
さて、ラストのSFネタも賛否が分かれている。早い話、H・R・ハガードなどの冒険活劇、あるいは、宇宙に飛び出したとは言え、007・ジェームズ・ボンドものに宇宙人が登場するか、という事になるだろう。
まあこれは、宇宙人大好き…のスピルバーグ(「未知との遭遇」、「E.T.」)ならではの展開で、また、かならずしも冒険活劇だからと言って、SFネタはご法度…という事もないのである。
山川惣治…という、わが国有数の冒険絵物語作家が書いた「少年ケニヤ」は名作だが、一応前半はアフリカの秘境を舞台とした冒険物語なのに、後半ではナチスが原爆を開発し、それが爆発して時空がねじれ、原始時代と現代とが繋がって恐竜が現れる…といったトンデモSF的展開となる(笑)。
そういう前例もあるから、ロズウエル事件やら、宇宙人と出会った…というアダムスキーの円盤遭遇事件などが世間を賑わした'50年代なら、さもありなん…と妙に納得してしまうのである。とにかく、1950年代とは、そうした時代だったのである。
―まあどうせ、盛大なホラ話、ここは難しく考えず、気楽に楽しめばいいのかも知れない。
1作目を知っている人にとっては、懐かしやカレン・アレンの再登場にジンと来るかも知れない。そして冒頭の倉庫にひっそりしまわれた<聖櫃>にニヤリとするのも一興。
65歳になろうとするハリソン・フォードは、さすがにアクションはやや控え目だが、よく頑張っている。冒頭、ソフト帽を被る姿がシルエットで写るシーンにはジンと来た。
そんなわけで、細かい点で難点はあろうとも、冒険大活劇のヒーローが、昔変わらぬ姿で元気に帰って来た…それだけで映画ファンは満足すべきである。ラストで、まだシリーズは続く…と匂わせているが、宇宙人まで出して、もうネタも尽きたのでは?次があるなら、出来ればSFネタは勘弁して欲しいところである。 (採点=★★★★)
(で、お楽しみはココからだ)
舞台となった1957年とは、ある意味で重要な年である。
この年の10月4日、世界で初めて人工衛星が宇宙に向かって打ち上げられた。宇宙時代の幕開けである。
打ち上げたのはソ連。人工衛星の名前は“スプートニク1号”。米ソがしのぎを削っていた時代に、先を越されたアメリカは大ショックを受けた。
ショックはまだ続く。その翌月11月には、史上初めて、生き物を乗せた人工衛星、スプートニク2号が打ち上げられる。乗っていたのは“ライカ犬”という種類のワンちゃん。
これがきっかけで、翌1958年、アメリカ航空宇宙局(NASA)が誕生し、アポロ計画のスタートへと繋がって行くのである(出典は"Wikipedia"による)。
これでお気付きだろう。この大イベントのキーワード、“ソ連との対立”、“宇宙への旅立ち”、“犬”が、それぞれ本作の重要なモチーフにもなっているのである。
“犬”について補足すると、冒頭パラマウント・マークに似た盛り土から顔を出したのがプレーリードッグ。続いて車に乗った若者たちがカーラジオから流している歌が「ハウンド・ドッグ」。インディ(これも犬の名前)の息子の名前が、やはり雑種犬という意味の“マット”(007第2作「ロシアより愛をこめて」の主題歌を歌ったのはマット・モンローである。関係ないか(笑))。
こうした、意識的な犬づくしは、恐らくは'57年という年の歴史に残る“ライカ犬”にちなんでいるに違いない…というのが私の独断。もう一つの根拠は、ライカ犬のアメリカでのニックネームが“マットニク”なのである(これも"Wikipedia"に掲載)。
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コメント
書き込み及びトラックバック有り難う御座いました。
セルフ・パロディーを含め、仰る様に小ネタが満載の内容でしたね。個人的にはブロディと父親の遺影をさり気無く登場させた所が心憎かったし、両監督のこのシリーズにかける深い愛情を改めて感じさせられました。
それにしても「少年ケニア」を引っ張って来られるとは(笑)。角川文庫が復刻し、少年ケニア・ブームが起きた際に全巻を読みましたが、確かに唖然とさせられる展開は似ているかも。
最後のオチには少々ガッカリさせられたものの、トータルすれば充分過ぎる程面白い作品でしたので、No Problemです(^^)。早く続編を作ってくれないかなあ。
投稿: giants-55 | 2008年6月29日 (日) 19:47
インディはしぶとく上映してくれそうなんで後回しにしてまだ観に行ってないのですが、そろそろ観に行きますかな。
ルーカスと言えば夏にスターウォーズの3Dアニメも公開ですね。ミラクル7号観に行った時始めて予告編観ましたが、スターウォーズの大ファンの私でもなかなか勇気が必要な作品の予感がします。蓋を開けてみなければわかりませんし、間違いなく観に行きますけど。
投稿: タニプロ | 2008年6月29日 (日) 22:31