「崖の上のポニョ」
アニメーションの天才・宮崎駿の4年ぶりの新作。
モチーフは、アンデルセン童話「人魚姫」だが、単に、“人間になりたい魚と人間との交流”という設定だけ借りて、後は宮崎監督が頭の中で膨らませたイマジネーションを自由奔放に展開させた、いかにも宮崎監督作品らしい快作である。
例によって、「もののけ姫」以降顕著となった、自分でも制御できないくらいに溢れて来るイメージを、あたかも天才画家が、好き勝手にキャンバスに塗りたくったような出来で、ある意味では破綻しまくっているのだが、それがまた“なるほど、天才の頭の中はこうなっているのか”…と想像したくなる、奇妙な魅力に溢れている。
それはあたかも、宮崎駿という作家の、最新の傑作・習作・失敗作もすべて並べた、新作個展会場を眺めているような趣がある。
通常の、一貫したストーリーがあるべき作品としては、謎だらけだし、物語の整合性が無視されていたり、辻褄が合わない所あり、…といった点で、厳しい採点をする人もいるかも知れない。
しかし、「千と千尋の神隠し」でもそうだったが、その謎をあれやこれやと解きほぐす事も、映画を観る上での楽しみでもあるのである。
また本作では、これまでの宮崎作品で見たようなシーンも散見される。明らかに自作の焼き直しをやっているようなシーンもある。
そういう意味では、これは宮崎駿作品の集大成…と言えるのかも知れない(それらについては“お楽しみ”コーナーで詳述)。
以下、やや独断と偏見?的な部分もあるかも知れないが、本作の魅力と、示された謎の解明について述べてみたい。
まず、本作のテーマについて
冒頭、海の底の光景が描かれる。
無数のプランクトン、小さな海の生き物、やがてクラゲ、蟹、魚等の海の命が登場し、その美しさに息を呑む。
海はあらゆる命の源泉であり、海こそ“生”の象徴である。しかし、時には狂おしく荒れ、人の命を奪う事もある。
本作のテーマは、そこにある。命が生まれ、まさに人の人生そのもののように、おだやかな時もあれば荒波にもまれる時もある海…。それを乗り越え、生きる事こそ素晴らしい事なのである。
本作のコピーが「生まれてきてよかった」というのも象徴的である。(「もののけ姫」のコピーも「生きろ!」であった)
命が軽んじられ、自殺したり、平気で人の命を奪う、殺伐としたこの時代に、宮崎駿は、生きる事の大切さ、命の尊さをこの作品で訴えているのである。
主人公の、5歳の宗介(土井洋輝)が通う幼稚園の隣が“老人介護施設”であるというのも象徴的である。
ポニョという、小さな命を必死で守りたい宗介が、長い人生を生き、老い先短い老人と心を交わすシーンが印象的である。
また中盤には、船で母を捜しに出かけた宗介たちが、ボートに乗った、赤ん坊を抱いた若夫婦と出会うシーンがある。
物語とはあまり関係がないこのくだりで、むずかる赤ん坊をポニョがあやすシーンはほのぼのと心が和み、命の尊さがより強調されている。
そして、いくつかの謎のシークェンス…
①ポニョが人間の姿になってやって来た日、嵐が収まって、水面も道路を洗う程度だったはずなのに、翌朝、宗介たちが目を覚ますと、いつの間にか水面が家のすぐ外に広がっている。
海が荒れた様子も、雨が降った形跡もないのに、何故水面が上がったのか?
②宗介の父・耕一(長島一茂)が、航海途中に遭遇する船の墓場と、その向こうの高く盛り上がった、月にも届きそうな海面の意味は?
また、ラストで月がどんどん地表に近づき、それをポニョの父フジモトが懸念するのは?
③ラストに登場する老人施設・ひまわりの家は、海中に沈んでいるのに、何故老人たちや宗介の母・リサ(山口智子)は平気で海中にいるのか?
①、③の明らかに変な情景の意味する所は一つ、この、①のシーン以降の展開は、すべて夢の世界なのである。
そう考えると、おもちゃの船を巨大化して、宗介とポニョがこの船にのってメルヘンチックな船旅をするシークェンスも、いかにも5歳の子供が見るにふさわしい夢の世界ではないだろうか。
水中で普通に会話が出来るのも、現実世界ではありえない。夢の世界ならではである。
②の、船の墓場で思い起こすのは、「紅の豚」の1シーン、ポルコが夢の中で、飛行機の墓場に遭遇するくだりである。
テーマ的にも、両者のシーンは対であると考えるべきであろう。そのシュールな光景といい、この、船の墓場シーンが夢だと確信する根拠である。
巨大なグランマンマーレが、何故か人間と等身大になってリサと話をしているシーンも不得要領だが、夢であるなら納得出来る。
では、いつ夢が覚めるのか…その境界は、映画は最後まで曖昧なままで、もともと物語全体がファンタジーで、非現実的な空想世界なのだから、作者自身もこだわっていないような気がする。
そういう意味では、前作「ハウルの動く城」と同様、物語の破綻をきちんと収束出来ず、強引にハッピーエンドに持って行ったきらいがある。
そういう綻びを欠点として、本作を低く評価する人がいても当然ではあろう。
しかし、作者の強い思いが溢れ過ぎたからこその迷走であり、逆に言えば暴走しているからこそ、作者の言いたい事がはっきりと出た作品にもなっているのである。
「ハウルの動く城」では、戦争への強い怒り、反戦のメッセージ性が強調されていたが、本作で強調されるのは、前述の“生命の大切さ”にプラス、環境破壊、地球温暖化への怒りである。
海面の上昇、町の水没は、すべて地球温暖化の結果の象徴とも取れる。
また冒頭、逃げ出したポニョがゴミ浚渫の網に引っかかるシーンが登場するが、その汚泥にまみれた廃棄物の描写は、「千と千尋の神隠し」の河の神、オクサレさまの体内から排出される産廃ゴミのシーンに相対する。
生命の源である海…その海を汚し、はたまた温暖化で地球そのものが危うくなっている。
荒れ狂う海の描写は、自然の、人間に対する復讐であるかのようである。
それらを優しく包み込み、海を穏やかに静めさせる、海なる母=グランマンマーレは、生命の源たる海の女神でもあるのだろう。
自然を慈しみ、自然界と共存してこそ人類の生きる道がある…というテーマは、「風の谷のナウシカ」から「もののけ姫」に至る、宮崎アニメの永遠のテーマである。
そうしたテーマを打ち出しながらも、全体としては、宮崎アニメの原点でもある、少年と少女の愛と冒険の物語(未来少年コナン、天空の城ラピュタ)になっている所が楽しい。…そもそも、波打ち際で少年が、流れ着いて気を失っている少女を見つけるシーンからして「未来少年コナン」の出だしそっくりである。
人間の姿になったポニョが、海の波の上を疾走するシーンの躍動感は、まさにこれぞアニメである。CGを使わず、温かみを感じる手書きで、丁寧にこれらの絵を仕上げた事自体が、“テクノロジーを追い求めるのをこの辺で止めて、手作りの良さを見直そうよ”という宮崎駿監督の、時代の進化に対する異議申し立てを象徴しているようで、私は観終えて胸が熱くなった。
本作は、そういう意味でも、天才宮崎駿が、未来に生きる子供たちに夢を与えるアニメの原点に戻って作り上げた、珠玉の傑作であると言えるだろう。 (採点=★★★★★)
(さて、お楽しみはココからだ)
では、本作に見られる、過去の宮崎アニメ・セルフオマージュについて一挙公開。
①まず、メイン・タイトルが、デフォルメされた銅版画風の絵であるのが、「天空の城ラピュダ」のそれと同趣向である。
②ポニョがクラゲの背に乗って旅立つ出だし。透明なクラゲの笠の下でまどろむ姿が、「風の谷のナウシカ」の冒頭、オームの透明な目の抜け殻に入ってまどろむナウシカを想起させる。(本来半透明なクラゲをわざと透明にしているのは狙い?)
③宗介が、波打ち際で気を失っているポニョを発見するシーンが、「未来少年コナン」のオマージュなのは既に述べたが、「天空の城ラピュタ」でもやはり、少年(パズー)が、気を失っている少女(シータ)を見つけている(こちらは海からではなく、空から現れる)。
④宗介の母リサが自動車で、海岸沿いの道路を猛スピードで突っ走るシーンは「ルパン三世・カリオストロの城」と同じ。なお、女性が自動車をムチャクチャ暴走させるシーンは「名探偵ホームズ/ドーバー海峡の大空中戦」(宮崎絵コンテ・演出)にも登場している(運転するはハドソン夫人)。
⑤ポニョの父フジモトが操縦する、4本足の潜水艇は、「名探偵ホームズ/海底の財宝」でモリアーティ教授が操る潜水艇とよく似ている。
⑥水没した町と、水面をのんびりと船を進めるシーンは、「パンダコパンダ・雨ふりサーカスの巻」にそっくりそのまま出てくる(「パンダ-」ではベッドを船代りにしているが)。
なお、“水没した町”は「カリオストロの城」や「千と千尋-」など、宮崎アニメには再三登場するおなじみシーンである。
⑦幻想的な“船の墓場”シーンが、「紅の豚」でポルコが夢みる“飛行機の墓場”の焼き直しであるのは先述。
⑧老人介護施設・ひまわりの家にいる老人のうち、ヨシエ(奈良岡朋子)の容貌が、「ハウルの動く城」で介護老人となった、荒地の魔女とそっくりである。
⑨水没した町の水中を泳ぐ古代デボン紀の水中生物たちは、「風の谷のナウシカ」の、腐海で空中遊泳する古生代生物を想起させる。
⑩船を下りてひまわりの家に向かう途中、何故だか「千と千尋の神隠し」に登場したのとそっくりなトンネルをくぐり抜ける。
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コメント
倒れてる女の子を助けるってのは宮崎アニメのテーマみたいなものなのかな~とも感じちゃいますね。そういったシーンがない作品のほうが少なかったりして・・・
投稿: kossy | 2008年7月23日 (水) 20:32
先日署名で公開された「ホットファズ」を観て来ましたが、ある意味で「ホットファズ」を超える期待をしている作品であります。観ないと何とも言えませんが、もはや山田洋次監督と宮崎駿監督は別格ではないかと、勝手に思っています。
なので先入観的なものを避けるため、文章をスルーしてコメント致しました。お許しください。
児童の観客が少なそうな平日レイトショーを探して観に行く予定です。
観たら改めてコメントさせていただこうかと思います。
僕が大好きな「ぐるりのこと。」「イースタンプロミス」が高得点なのも、とても嬉しいです。
では失礼します。
投稿: タニプロ | 2008年7月24日 (木) 01:36
書き込み及びトラックバック有難う御座いました。
自記事はハッキリ言って思ったままの事をとりとめも無く書き連ねただけなのですが、こちらはきちんとポイントポイントを突いて書かれているのに敬服(^^)。仰る様に詳細を見て行くと“穴”だらけの作品なんですよね。でも確かに黒澤監督も「デビューから全盛期迄」と「晩年」では作品の質が明らかに変わっており、それを「駄目な変質」と取るか、はたまた「好ましい進化」と取るかは人それぞれという事なのかもしれません。
どちらにしても、好き嫌いがかなりハッキリ出るで在ろう作品と言えましょうね。
投稿: giants-55 | 2008年8月 7日 (木) 21:00
素敵な批評でした。仰る通りだと思います。いろんな解釈ができる作品って面白いですよね。
投稿: 丹下段平 | 2008年9月 7日 (日) 13:11