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2008年8月28日 (木)

「ひゃくはち」

108 (2008年・ファントム・フィルム/監督:森 義隆)

着眼点が面白い。高校野球に青春を賭ける若者たちが主人公だが、エースや4番バッターどころか、試合にも出させてもらえない万年補欠部員2人組(雅人(斎藤嘉樹)とノブ(中村蒼))の日常とヘタレな友情が描かれている点が目新しい。

その友情も、真っ直ぐではなく、ノブはベンチ入りの20人枠に入れなかった事が分かると、雅人のポジションに割り込んで、雅人を蹴落とそう…とまでする。

グラウンド外では、タバコは吸うし酒も飲む、女遊びはする…と、かなり不謹慎。この辺りは良識派から非難も出そうである。

でも、サボっているわけではない。練習は朝早くから一心不乱に取り組んでいるし、野球に賭ける熱意は誰にも負けない。
ただ、素質や実力が伴わない為にレギュラーになれないだけなのだ。

これまでの高校野球ものと言えば、なんとなく潔癖で、ストイックで、理想的な若者像が多かったと思う。あるいは、多少クセがあっても天才的な選手が主人公だったりする。

でも、それって、ウソ過ぎやしないか?きれいごと過ぎやしないか?
一生懸命野球に取り組んでる一方で、暇があれば女の子と遊びたい、内心では誰かかケガをしてくれないだろうか、…などと、人間的な悩みや煩悩を抱えている時だってあるかも知れない。いや、それが自然なのかも知れない。

補欠の1年生がケガでリタイアすると、雅人はノブに、「不謹慎だけど、喜べ!!」と伝えに来る。こうして友情が復活する辺りも微笑ましい。

予選ではベンチに入れるが、甲子園では18人しかベンチに入れない。背番号19番と20番の雅人とノブは、その場合スタンドから声援を送るしかないのだ。

それでも彼らはくったくがない。試合に出られなくとも、ピンチの際に備えたある“特訓”を黙々とこなし、その正体が明らかになるラストは爽やかで楽しい。

 
タイトルの「ひゃくはち」とは、人間の煩悩の数であると共に、硬式ボールの縫い目の数だそうだ。

こうした、煩悩だらけの、どこにでも居そうな等身大の青春群像をユーモラスに、時には決め細やかに捉えた、新人監督、森義隆(まだ29歳!)のセンスが光る。ユニークな青春映画の佳作である。

特に印象的だったのは、無人のグラウンド、ベンチ、ポツンと置かれた、縫い目の数がカウントされたボール…などの、誰もいない風景を点描的に積み重ねたショットである。古い日本映画では見覚えがあるが、最近ではとんと見なくなったこうした演出に、監督の新人らしからぬ技巧の冴えを感じた。

鬼監督を演じた竹内力、雅人の父親を演じた光石研が好演。新人、森監督の次回作にも期待したい。

 
少しだけ難点を挙げれば、未成年者の飲酒、喫煙は法律違反。前半くらいは構わないが、終盤あたりでも、彼らがきっぱり、それらを断ち切るシーンを入れるべきであった。映画を観て、高校生たちが法律を破る事に罪悪感を感じなくなるかも知れないからである(もっとも、エンドロール後にちゃんとオチはありましたが…)。    (採点=★★★★

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2008年8月24日 (日)

「超★映画評-愛と暴力の行方」

Choueigahyou 映画本の紹介です。

ただし今回は、お奨めではなく、逆にお奨め出来ない(と言うか買ってはいけない(笑))本である。

その本は、「超★映画評-愛と暴力の行方」(2008・扶桑社刊/著者:奥山篤信)。

タイトルはなんだか、前田有一氏の「超映画批評」とまぎらわしいが(現に、私は最初てっきり前田氏の本だと勘違いしてた)、一応ここ数年の新作映画評をまとめたものである。

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2008年8月19日 (火)

「歩いても 歩いても」

Aruitemo (2008年・シネカノン/監督:是枝 裕和)

「幻の光」「ワンダフル・ライフ」「誰も知らない」「花よりもなほ」と、1作ごとに違うジャンルに挑戦しつつも、着実に実力を高めて来た是枝裕和監督の、“家族”をテーマとした新作。

海の見える街で開業医を営んでいたが、今は引退している横山恭平(原田芳雄)の家に、長男の15回忌の為、次男良多(阿部寛)、長女ちなみ(YOU)の家族がそれぞれ訪れる。

妻・とし子(樹木希林)は楽しそうにもてなしの料理を作り、久しぶりに集まった家族は団欒のひと時を過ごす。…一見平和そうな家庭だが、物語が進むにつれ、この家族の間に見えない溝とすきま風が横たわっている事が分かって来る。

長男は、15年前、海で溺れた少年を助けた為に死んでいる。秀才で、自分の跡取りとして期待していた最愛の息子を失った父は、生きる意欲を失っているかのようである。次男良多は父の職業を継がず、絵画修復士という不安定な職を選んだが、どうやら今は失職中である。長男へのコンプレックスと父の冷たい視線で、良多はいたたまれない思いでいる。長男に命を救われた少年は、毎年命日に横山家に招かれ、感謝の気持ちを述べるが、不恰好なデブで大した仕事にもついておらず、父は「あんなヤツと息子の命が引替えになったのか」と愚痴をこぼす。長女は呑気に、「診療室を潰して私たちの部屋にしようかしら」と夫と相談している。

誰もが、自分中心にしか考えていない。翌日になったら、子供たちは自宅に帰り、老いた両親はまた2人きりになる。一見朗らかそうに見えるとし子ですら、ちょっとした言葉の端に、この家であまり幸福でなかった過去が見え隠れする。

良多の“絵画修復”という職業も象徴的である。老朽化した名画は、修復により、昔のままの瑞々しい絵に戻す事が出来るが、人生に修復は効かない。亀裂の入った親子の関係は二度と元には戻らないし、老いた人間は若さを取り戻す事も出来ないのである。

[以下ネタバレです] とし子が、長男に救われた少年を毎年命日に招くのは、長男の死をずっと忘れさせない為である事を良多にポロっと洩らす。「簡単に忘れてもらってたまるもんですか」と、とし子がボソリと呟くこのシーン、ごく普通の人間の心の奥に潜む、底知れぬ悪意、残酷さにゾッとさせられる。樹木希林の演技が見事である。

夜、家に舞い込んだ紋黄蝶を見つけて、「長男が帰って来た!」と叫ぶ母には、痴呆の兆候が見える(長男と良多の思い出を取り違えるシーンなども、その伏線となっている)。この老夫婦だけの家が数年後どうなるのか、暗澹とした気分にさせられる。
<ネタバレここまで>

大きな事件も起こらない、普通の家庭のありふれた日常を淡々と描く本作には、小津安二郎や成瀬巳喜男などの作品に共通する空気がある。“地方で、2人だけで暮らす老夫婦と、都会で暮らす子供たちとの、つかの間の再会を通して描かれる、日本の家族の姿”というテーマ自体、小津の「東京物語」と非常に似通った構造を持つ。

「東京物語」も、登場人物はどこにでもいる、ごく普通の善良な人たちなのに、無意識で親に薄情な行動を取ってしまう、人間そのものの悲しさに慄然となってしまう傑作であった。
本作にも、そうした要素が巧妙に散りばめられている(長女はさっさと帰ってしまうし、良多は「次に来るのは1年後だな」とこともなげにつぶやく)。

そしてラスト、バスを見送った両親は、子供たちがいなくなった家へと向かう石段を、トボトボと登って行く。その後姿に、我々観客自身もまた、自分たちの家族、両親の姿を重ね、涙することとなるだろう。

緻密に構成された脚本、俳優たちの抑えた演技、淡々と描きながらも、日常生活の中にふっと滲み出る不安感、サスペンスを巧みに醸成する是枝演出、いずれも見事である。今年のベストに入れたい秀作である。

…惜しいのは、ラストの、良多のモノローグで語られる後日譚。これは不要ではなかったか。老夫婦のその後は、観客の想像に委ねても良かったのでは。バス停からの石段を登る老夫婦の姿で終わった方が、より感銘度が強まった気がする。そこだけ減点。   (採点=★★★★☆

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(蛇足)
原田芳雄はお気に入りの俳優で、本作でも素晴らしい存在感を示すが、年齢を聞いてビックリ。今年68歳!になるという。つまり役柄と同年齢であり、適役なのだが、私の心の中では、原田芳雄はいつまでも「反逆のメロディ」(澤田幸弘監督)の、「赤い鳥逃げた?」(藤田敏八監督)の、時代に逆らう青春のシンボルだったのに…(ぶっきらぼうな喋り方は昔のままだが)。もう70近いジイさんなのか…愕然…。

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2008年8月16日 (土)

「ダークナイト」

Darkknight (2008年・ワーナー/監督:クリストファー・ノーラン)

アメコミ映画なのにやたら評判がいい。前作「バットマン・ビギンズ」もまずまず面白かったが傑作という程じゃなかった。ふん、どうせ急逝したヒース・レジャーが鬼気迫る演技とかで点数高いだけじゃないの…と思って半信半疑で観に行ったら、なんとまあ、本当に大傑作だった。これはアメコミを超えて、活劇エンタティンメントを超えて、人間なる存在の意義を問う、本格的な秀作ドラマであった。今年のベスト5には入れたい出来である。
こういう例(アクション映画でありながら各種映画賞も狙える出来映え)は、'89年の「ダイ・ハード」以来ではないだろうか。アレは同年のキネ旬ベストワンになったが、本作もキネ旬ベストテン入りは有望だろう。うーむ、アメコミだとてあなどれない。

「バットマン」を最初に見たのは、テレビドラマだった。「スーパーマン」「スパイダーマン」も、アメコミの多くはテレビで人気が出た。そのほとんどは、日本で例えるなら「仮面ライダー」「七色仮面」(ちょっと古いか(笑))レベルの明るくて、悪役も他愛ない子供向けドラマ。特に「バットマン」の悪役は、ジョーカーもペンギンもリドラー(日本版吹替えでは“ナゾラー”に変えられていた(笑))もコミカルで、「仮面ライダー」のショッカー怪人並みのトホホな存在であった。'66年にはテレビと同じ配役で映画にもなったが、テレビの長時間バージョン程度のどうってことない出来であった。ボディスーツの色も、黒でなくグレーだったと記憶している。

その後、アメコミの大作傾向が強まり、ティム・バートン監督が手掛けた2本は、バートンらしいゴシック・ホラー的なムードを漂わせてはいたが、まあ、いわゆる勧善懲悪ヒーロー・ドラマに留まっていた。ジョエル・シュマッカー監督版は、可もなく不可もない出来。

そういった具合に、リメイクされる度に、対象年齢層が上がって来た「バットマン」だが、本作では完全に大人向けの奥行きの深い、完成度の高い作品に仕上がっている。…しかしド派手なアクションも随所に網羅されているので、誰もが楽しめるエンタティンメントとしても一級品である。これは凄い事なのである。クリストファー・ノーラン、偉い!

 
この映画の主役は、バットマンではない。究極の“悪”を体現する、ジョーカー(ヒース・レジャー)である。頭が良く、警察やバットマンを翻弄し、しかも人間心理の弱点を巧みに突き、大衆の意識まで操る。とことん悪い奴なのだが、その行動原理は、人間という存在そのものの危うさ、矛盾をも容赦なく、痛烈に暴き出している。「バットマンが正体を明かすまで、街を支配する」と脅しをかければ、大衆は簡単にバットマンを非難する。普通の(善良そうな)人間の心の奥底にも、悪意は潜在している事をジョーカーは喝破しているのである。
そうした、ブレないジョーカーに対し、肝心のバットマンは、正義のヒーローとしての存在意義に悩み、心が揺らぎ続ける。とてもカッコいいヒーローには見えないのである。タイトルから“バットマン”が消えているのも、そう考えれば当然なのかも知れない。

そうした2人の正邪の間に、もう一人の主役、地方検事ハービー・デント(アーロン・エッカート)が登場する。彼は自らを“光の騎士”と呼び、正義を遂行しようとする。

字幕では“光の騎士”となっているが、英語では"WHITE KNIGHT" であり、原題の"DARK KNIGHT" の対称語である(この訳語では、その意味が判りにくい)。

“白”は正義の象徴だが、反面、何にでも染まり易い色でもある。その事をも、ジョーカーは見透かしているかのように、巧みに彼を悪へと誘導する。恋人、レイチェルと共に拉致されたデントは、レイチェルを失った失意から憎悪をたぎらせ、顔の左半分を無残に焼かれた“トゥー・フェイス”となり、善悪の二面性を併せ持った怪人に変貌してしまう。

元々は、単に顔半分を別の色でペイントしただけの悪玉だったトゥー・フェイスを、文字通り、反面が正義、反面が邪悪の2重人格のメタファーとした本作の設定は実に秀逸である。

そしてドラマはクライマックス、ジョーカーは、街から脱出するため、群衆が乗った2隻のフェリーに爆弾を仕掛け、それぞれに相手の船を爆破する起爆スイッチを用意して、人々に、どちらか先にスイッチを押した船を助けると告知する。

これは、人間のエゴイズムを試す為のジョーカーの実験である。“人間は、自分が助かる為には平然と他人を犠牲にするはずだ”というのが彼の理念である。スイッチが押されれば、その事を証明する事となる。

結果がどうなったかは映画を見て欲しいが、“人間の心は、本質的には悪ではなく、善である”事を証明するこの顛末は感動的である。この時、ジョーカーの悪の論理は破綻し、彼はこの人間の本質の前に敗北する事となるのである。

そして“光の騎士”の正義を守る為、バットマンはデントの悪を引き受け、自ら“闇の騎士”として生きる事を決意するのである。このラストには泣けた。

まさか、アメコミで感動の涙を流す事になろうとは思ってもみなかった。

本作は、“この世に悪はなぜ存在するのか、正義とは何なのか”を問い、そして“簡単に付和雷同してしまう人間の愚かさ、悲しさと、その向こうに見える未来への希望”をも見据えた、感動のドラマである。

ジョーカーの存在に、さまざまな現代悪の寓意を見る事も出来るが、それは観客の随意である。

だが、怖いのは、ラストのフェリー乗客たちの決断に感動を覚えつつも、“でも甘いな、現代の人間なら、助かりたい為に爆破スイッチを押してしまうのが普通だろうな”と、ふと思ってしまう時がある我々自身の心である。観客もまた、ジョーカーに試されているのかも知れない

バットマンことブルース・ウェインが大企業の社長である…という設定も、今の時代では現代悪の象徴に見えてしまう(米ネオコンや村上ファンド等)のも、実に皮肉である。原作が出た当時では考えもつかなかったであろうが。

2時間32分、ほとんどダレる事もない、テンションの高いノーラン演出も見事だが、それを根底から支えたヒース・レジャーの神がかり的快演が何よりも素晴らしい。急逝したのが惜しまれる。見事な傑作である。必見。     (採点=★★★★☆

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2008年8月11日 (月)

「スカイ・クロラ」

Skycrowra

(2008年・ワーナー/監督:押井 守)

アニメ界の鬼才、押井守監督の最新作。

今回は、森博嗣の原作を、若手の女性ライター・伊藤ちひろが脚色。という事は、これまで自由奔放に自己の作品世界を展開して来た押井にとっては制約の多い製作条件のように思われる(これまでは、ほとんどの作品の脚本は、押井自身か、盟友・伊藤和典が担当していた)。

ところが、出来上がった作品は、相変わらず押井印満載の、まさに過去の押井作品を彷彿とさせる出来になっている。

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2008年8月 9日 (土)

「ショーン・オブ・ザ・デッド」(ビデオ)

Shaunofthedead (2004年・英=ユニバーサル/監督:エドガー・ライト)

「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」があまりに面白かったので、レンタル屋でDVDを探して、エドガー・ライト監督の前作を鑑賞した。

いやあ、面白い!これも傑作だ。脚本:エドガー・ライト&サイモン・ペッグに主演:サイモン・ペッグ&ニック・フロストも新作と同じ、。

原題 "Shaun of the Dead" が示すように、本作は明らかにジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」(原題:"Dawn of the Dead")にオマージュを捧げた作品。

しかし、単なるパロディではない。ストーリーや人物設定が綿密に組み立てられており、おバカなギャグ部分を除いたとしても、ちゃんと見れるしっかりした作品になっている。

主人公ショーン(サイモン・ペッグ)は優柔不断で、人生に目標を持たず、幼なじみのエド(ニック・フロスト)とツルんで遊んでばかりで、恋人リズにも愛想をつかされて別れ話の危機にある情けない男。

そんな彼が、ゾンビの襲来という大事件を契機に、両親を、仲間を、そして恋人を守る為に次第に勇気とリーダーシップを発揮し、リズとの愛を取り戻し、立派な男として成長して行く…というお話を、笑いと恐怖と、原典に対するオマージュをたっぷり盛り込んで、スリリングで楽しい快作に仕上げている。

「ホット・ファズ」でも感じたが、細かい設定や伏線の張り方もぬかりなく、そして物語としても丁寧に作ってあるので、見終わった後でもいろいろ考えさせられ、決して笑って終わりの爆笑コメディにはなっていないのである。

特に、ショーンと両親との親子の絆がじっくり描かれているのには唸った。(以下はネタバレ)義理の父(ビル・ナイ)がゾンビに噛まれ、死ぬ直前、「お前を愛していた。母さんをよろしく頼む」と息子に告白して息絶えるシーンは思わずホロッと泣かされそうになる。…が、その直後、父がゾンビとして生き返った途端、ギャーッとみんなが逃げ出すという緩から急への展開には大笑いした。さすがはブラックジョークの国、イギリスである。

ちょっとしたシーンでも、無駄がほとんどない。悲しみを紛らわす為、夜中にレコードかけて大騒ぎした為、ルームメイトにレコードを窓から捨てられるシーンがあるが、これが後の伏線になっている。ゾンビに襲われ、いろんなものを投げつけるがタネ切れになり、そこで、くだんの窓の外に落ちていたレコードを見つけて投げつけると、これが効き目があるので、レコード・コレクション・ボックスを取り出し、どのレコードを投げるかでいちいち「投げろ」、「あ~ダメ!」と選別するシーンがケッサクである。命が危ない時にコレクションを選んでる場合じゃないだろ!とツッコミを入れたくなる(笑)。唐突に黒澤明の「七人の侍」で、ジッサマが「首が飛ぶかどうかの時に、ヒゲの心配してどうするだ」と言う名セリフを思い出した。(ネタバレここまで)

ゾンビの群れの間を通過するのに、ゾンビの真似をしてはという事になって、ゾンビの仕草をレッスンするシーンも笑える。この辺り、ゾンビ映画を多数観ている人ほど楽しめるだろう。

ともかく、至る所に張り巡らされた、ジョージ・A・ロメロ監督の“ゾンビ”シリーズ("・・・・ OF THE DEAD"シリーズ)へのオマージュ、イギリスらしいシニカルでブラックなギャグには笑わされっぱなし。久しぶりにビデオ見ながら、ガハハハ…と笑ってしまった。

ラストのオチも皮肉っぽくて笑える。このオチは、ひょっとしたらカナダ製ゾンビ・パロディ映画「ゾンビーノ」(2006)にパクられたのではないか。

本家のG・A・ロメロ監督にも本作は大いに気に入られ、ロメロ監督のゾンビ最新作「ランド・オブ・ザ・デッド」(2005)に、ライトとペッグはカメオ出演している。

「ホット・ファズ」を気に入った人には絶対のおススメである。…と言うか、これから「ホット・ファズ」を観たい…と思ってるなら、先に予習としてこの作品を鑑賞してから観る事をお奨めする。「ホット・ファズ」がもっともっと楽しめること請け合いである。

こんな楽しくて笑えるコメディが、なんで日本未公開なのだろうか(なにしろ本作は世界中で大ヒットしてるというのに)。「Mr.ビーン」よりずっと笑えるぞ。こういうのをヒットさせるのが宣伝マンの腕だろうが。配給会社、猛反省して欲しい。    (採点=★★★★☆

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(付記)エンド・クレジットに、“音楽監修”("MUSIC SUPERVISOR")として、“ニック・エンジェル”の名前があった。ははーん、「ホット・ファズ」のサイモン・ペッグ演じる、ニコラス・エンジェルの役名は、この人からいただいたのだろう。調べたら「ホット・ファズ」でも音楽監修を担当してるのだそうな。これから「ホット・-」を観られる方は、是非エンド・クレジットにも注目のこと。

DVD

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