「スカイ・クロラ」
(2008年・ワーナー/監督:押井 守)
アニメ界の鬼才、押井守監督の最新作。
今回は、森博嗣の原作を、若手の女性ライター・伊藤ちひろが脚色。という事は、これまで自由奔放に自己の作品世界を展開して来た押井にとっては制約の多い製作条件のように思われる(これまでは、ほとんどの作品の脚本は、押井自身か、盟友・伊藤和典が担当していた)。
ところが、出来上がった作品は、相変わらず押井印満載の、まさに過去の押井作品を彷彿とさせる出来になっている。
国家間の戦争が終結し、つかの間の平和が訪れた世界において、その平和を実感するために、人々は“ショーとしての戦争”を行っていた。その“擬似戦争”に駆り出されるのは、“キルドレ”と呼ばれる、永遠に思春期の姿のままで生き続ける子供たち。
欧州のとある前線基地に赴任した函南優一は、基地指令の女性、草薙水素と出会う。彼女もまたキルドレの一人だった…。
森博嗣の原作通りではあるが、ヒロインの名前が草薙水素(すいと)であったり、優一の前任者の名前がジンロウであったりするのは、原作者も押井のファンなのだろうか。子供の姿のままで、永遠に同じ日常を繰り返す…という設定も、押井の「うる星やつら2/ビューティフル・ドリーマー」を連想させるし。
押井映画のトレードマークと化したバセットハウンド犬も平然と居座っているし、基地の雰囲気も「パトレイバー」に似ている。限りなく実写に近い、ゲームのような戦闘シーンの描写は「アヴァロン」を思い起こさせもする。
そういう点では、押井守のファンであるなら、ニンマリさせられる作品ではある。
しかしながら、最近の押井作品における、哲学瞑想的な世界とは異なり、本作ははっきりと、この混沌として出口の見えない現代社会に対する問題提起を打ち出した、社会派的力作になっている。
この作品では、2つの“もしも”が描かれている。1つは、“この世から戦争がなくなったら”、もう1つは、“かけがえのない若さを永遠に得られたら”である。
人類の歴史の上で、戦争のない時代はほとんどない。今もなお、世界のどこかで戦争が行われている。
その戦争がなくなったら、本当に平和で争いのない理想社会が到来するのだろうか。…結論として映画では(負けたからとて降伏する事のない)、ショーとしての戦争を行っている。
戦争があるからこそ、その戦いを人々はゲームのように一喜一憂し、心の憂さを発散する。人が戦争で殺されるからこそ、命のありがたさ、平和であることの大切さを実感するのである。人類は、そうした危ういバランスの上に成り立っているのかも知れない。…戦争がこの世からなくならない理由が分かるような気がする。
もう一つ、永遠に子供のままでいられたら、人間はどうなるのか。ジェームズ・バリが創案した「ピーター・パン」のネバーランドはそうした世界なのだが、それが幸せな世界なのだろうか。
青春時代はかけがえのない、素敵な時代ではある。しかしいつかは卒業して行かなければならない。短い輝きの時代だからこそ、青春時代を精一杯、真摯に生きなければならないのである。
青春時代を永遠に卒業出来ないキルドレは、その代償として、命を賭けた戦争ゲームに参加し、戦いに敗れた“死の時”がやって来るのを待ち続けなければならない。
自身もキルドレである草薙水素は、第一線から退いた指令であるから、永遠に死ねない。自殺でもしない限り…(彼女がいつも銃を携帯し、自殺願望を口走るのはその為だろう)。
彼女は子供を産んでいる。「いつかはあの子も私を追い抜くかも知れない」と水素はつぶやく。空しい人生である。
普通に生き、普通に死ぬ人生の方が、キルドレよりもずっと生を実感出来、幸福な人生であるのかも知れない。
永遠の平和もありえないし、永遠の青春時代もありえない。つかの間の、短い平和を、短い人生を真摯に、精一杯に生きる事こそ人間にとって大事な事かも知れないのである。
戦闘シーンが、(死を実感する)リアルな3DCGで描かれ、人物が(現実性が希薄な)セルアニメで描かれているのも、そう考えれば納得出来る。
押井守監督は、本作について、「僕は今、若い人たちに伝えたいことがある」と語っているが、その意味は以上の事から、十分理解出来るだろう。
本作は、そうした、今を生きる人たちに向けたメッセージが込められた、青春映画の秀作であると言えるのではないか。
押井ファンは無論のこと、そうでない映画ファンにもお奨めしたい。本年屈指の問題作である。 (採点=★★★★☆)
(さて、お楽しみはココからだ)
押井守の作品世界を知らない方の為に、若干の補足説明を。
草薙水素は、名前からして、押井の傑作、「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」の主人公、草薙素子(もとこ)を思わせる。彼女もまた、サイボーグとして成長する事のない永遠の生命を持った存在である(続編「イノセンス」では素子は実体のない、電子の世界で生き続けている)。なお本作のラスト間際、一瞬アップになる水素の顔が、「攻殻-」の草薙素子の顔とそっくりに見える時がある。
優一の前任、ジンロウの名前は、押井が原作・脚本を書いた「人狼 JIN-ROH」(沖浦啓之監督)からいただいているのだろう。この作品は、ゲリラ戦が続くパラレルワールドとしての昭和30年代の日本を舞台としているのだが、本作も、現代とは思えないプロペラ式の戦闘機が活躍する点から見て、やはりパラレルワールドとしての20世紀が舞台と思われる。小道具やガジェットもなんとなくレトロっぽい。なお、押井作品でリアルな大人のラブシーンが登場するのも、本作を除けばこの作品くらいである。
本作にも登場するバセットハウンド犬は、押井の愛犬であり、「イノセンス」ではバトーが飼っている犬として登場。過去の作品にも数作、さりげなく登場している。
基地の整備主任、笹倉が、整備の腕は超一級、キルドレから母のように慕われている…という設定は、「起動警察パトレイバー」のガンコ整備主任、榊を思わせる。榊もまた、第二小隊メンバーの父親的存在である(おやっさんと呼ばれている)。
優一らの戦闘機が銃撃を行った時に、空薬莢をバラバラと吐き出すシーンを見てニヤリとなれば押井ファン。アニメで、射撃の際に空薬莢が排出されるシーンが登場したのは、押井守監督作品「ダロス」(83・オリジナル・ビデオアニメ)が最初。
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