「闇の子供たち」
タイの裏社会で行われている幼児売買春、人身売買、臓器密売の実態と、その闇に迫る新聞記者・南部(江口洋介)、NGO職員・恵子(宮崎あおい)、フリーカメラマン・与田(妻夫木聡)の奮闘をダイナミックに描いた、衝撃の問題作。原作は「血と骨」、「夜を賭けて」等の梁石日。
これがほぼ実話である…という事に、暗澹とした気分にさせられる。
日本でも、貧しい時代には、子供を奉公と称して手放したり、女衒(ぜげん)を介して遊郭に売り飛ばしたり…という事が現実にあった(ドラマでは「おしん」、映画では「SAYURI」などにそれらが描かれている)。ある程度は、貧しい国ではどこも似たような事があったのかも知れない。
だが、この作品を観てやり切れないのは、子供を性のおもちゃにしたり(買うのは富める国の大人たち)、性交渉の結果エイズにかかった子供を、ゴミ袋に入れてゴミとして処分したり、生きたまま臓器移植が行われたり…という、子供たちを“物”として扱う大人たちの存在である。
昔もひどかったが、少なくとも遊郭に売られた少女は、ある程度成長するまでは男を取らせない…など、“子供を性の奴隷にする”様なことはあまりなかっただろう。
それが現代では、貧富の格差が広がる一方で、豊かな国の人間も、貧しい国の人間もどこかで人間性を喪失し、将来性ある人間であるはずの幼い子供を使い捨ての道具扱いとし、あるいは歪な性欲の対象とする、モラルも、人間性も崩壊したような現状が広がっているのだろう。
しかも悲しいことに、そうした恥ずべき行いをしている人間の中に、我々日本人が少なからずいる…という現実がある。映画はその実態を容赦なく描き出す。
かつては貧しい国だった日本も、今ではアジアの金持ち大国となり、貧しい国に出かけて幼児買春をする、金で子供の臓器移植を行う…。タイの現実も悲しいが、金はあるが人間的な心を失ってしまった日本人たちの現実もまた悲しい(そう言えば高度成長期、韓国への買春旅行が流行り、キーセン旅行と呼ばれていた時代があった。今では韓国も豊かになったが…)。
幼児性欲は、ある意味病気で、特殊な人間と片付ける事も出来る。
だが、臓器移植については、さらにやり切れない思いとなる。資産家である梶川夫妻(佐藤浩市、鈴木砂羽)は、重い心臓病である自分の子供の命を救いたい為に、闇ルートである事を、相手の子供の命が失われる事を承知で心臓移植を行おうとする。
その事実を知ったNGO職員・恵子は南部と共に夫婦の家に押しかけ、手術を中止するよう依頼するが、夫婦はそれでも、我が子の命を最優先しようとする。
この夫婦は、少なくとも自分の子供を売り飛ばし、その命を何とも思わないタイの親たちよりは、ずっと我が子に対する愛情は深いのだろう。我が子の為なら、自分の臓器だって提供するだろう。「あなたたちには、私たちの苦しみなんか分からない」と妻は言う。その言葉は確かに私たちの胸を打つ。それだけに、余計悲しい。
自分の子供の命は、地球より重い…だが他人の子供なんか知った事ではない。
そういう人間のエゴを痛烈に突いた映画がある。黒澤明の名作「天国と地獄」である。
主人公・権藤は、自分の息子が誘拐されたと知らされると、何よりも息子の命を優先しようとする。金を払えば破産する事を承知で。警察にも連絡せず、「金なんか又作ればいいんだ」とまで言う。
だが、誘拐されたのがお抱え運転手の子供だと分かると、途端に態度を豹変し、警察に電話したばかりか、金は出さないと突っぱねる。
自分の息子の為ならいい、だが自分が破産してまで他人の子供を救うなど御免だ…と言うのである。
他人なら、無責任に身勝手だとか、金を出してやれよとか言えるだろうが、自分がその立場に直面したら、果たして正しい決断を下せるだろうか…。それが人間のエゴであり、弱さなのである。
(ちなみに、その「天国と地獄」のテレビ版リメイク作品(昨年9月放映。批評はこちら)で主役の権藤を演じたのが他ならぬ佐藤浩市である。本作において梶川役に佐藤がキャスティングされているのは偶然だろうか)
もう一つ、例え梶川夫妻がこの移植を思い止まったところで、別の移植希望者が現れ、結局提供者の少女は犠牲になるわけだから、何ら問題は解決しない。恵子の尽力もまた、彼女の自己満足に過ぎないのだ。
こうした、やりきれなく、重い現実を見せ付けられる観客への息抜きだろうか、物語は終盤に至って急転する。
(以下、映画を観ていない方の為に隠します。読みたい方はドラッグ反転してください)
恵子たちのNGOは、幼児売春と仲間の暗殺に対する抗議集会を開催するが、そこにマフィアたちが乗り込み銃撃戦となる。警察が出動し、幼児売春グループは一網打尽となる。―このくだりは、それまでのドキュメンタルかつ静かな展開とは明らかにトーンが異なり、フィクションぽくなる。
また、この現場で、南部もまた、幼児を買った過去を思い出し、自殺するが、この展開も唐突である。無論、南部が施設を訪れた時、子供と戯れるシーンがあり、恵子に「子供が好きなんですか?」と聞かれて言葉を濁すなどの伏線もあるが、それまでのジャーナリストとしての真摯な行動力(恵子に、「見なかったことにするんじゃない。見て、見たままを書くんだ」ときっぱり言うくだりなど)とは大いに違和感がある。南部ですら、完璧な“善”ではない…と言いたかったのだろうか。それは分かる気もするが、私にはすっきりしない何かが残った。事件は終わっても、問題はまだまだ積み残されており、今後も「見て、見たままを書」き続けてもらう為にも、南部には生きていて欲しかった。
↑ ネタバレここまで
ラストシーン。川辺で無邪気に水遊びする子供たちの姿がスローで美しく描かれる。子供とは本来、無垢で穢れなき、未来への人類の希望を託した存在であるはずなのだ。その子供たちを穢す大人たちには激しい怒りを覚えるが、彼らもかつては子供であったはずなのだ。その事を忘れてはならない。
全編、緊迫した阪本演出は、見事の一語である。ネタバレ部分に書いた難点はあるが、それを差し引いても本作は、本年を代表する秀作と言っていい。必見である。 (採点=★★★★☆)
(付記)
タイと言えば、イーライ・ロス監督のグロ映画「ホステル」の元ネタも、タイにおいて実在すると言われている“金さえ出せば殺人を体験出来るビジネス”だそうである。どこまで本当か分からないが、タイのイメージがますます悪くなりそうで心配である(法整備は進んでいる方だそうだが)。
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コメント
岩代太郎による音楽を含め凄い緊張感でしたね、この作品。
この題材でこれだけ知名度のあるキャスティングをしたことも、挑戦的で素晴らしいです。特に宮崎あおいが素晴らしかったです。最後まで抑えた江口洋介も良かったです。
投稿: タニプロ | 2008年9月17日 (水) 01:36