「次郎長三国志」 (2008)
俳優・津川雅彦の、マキノ雅彦名義による監督第2作。
1作目の「寝ずの番」は大変楽しい映画で、2作目に何を撮るか期待していたのだが、名前を拝借した、叔父のマキノ雅弘監督の代表作で、私も大好きな「次郎長三国志」だったとは。
実は「寝ずの番」批評にも書いたのだが、1952~54年に作られた東宝版「次郎長三国志」シリーズで、次郎長一家が歌ってた「オイラ死んだとてな~♪」の歌が「寝ずの番」の中でも歌われていたので、私は心中密かに「雅彦監督の次回作はひょっとして『次郎長三国志』か?」と考えていたのだが、ピタリ当たったようだ。津川雅彦は、東映でリメイクした鶴田浩二主演の「次郎長三国志」シリーズに、兄貴の長門裕之共々出演していたし、叔父の代表作であるこの作品に対する思い入れは強いのだろう。
とにかく、東宝版「次郎長三国志」は、何度観ても楽しくて心が弾む傑作である。ビデオも持っていて、何度も繰り返し観ているくらい、私にとっては名作中の名作である。
そんなわけで、製作が発表されてから、この作品の公開を心待ちにしていた。
で、観終えての感想…。うーん、微妙である。前作への思い入れが強過ぎるのか、もう一つノレなかった。
極力、前作と見比べまい…と思いながら観たのだが、それでもいくつか問題点があった。
まず、あの長い原作を、2時間の1本の映画に押し込めるのには時間が足りな過ぎる。
東宝版で9部作、東映版でも4部作で(それでも途中までである)作られているくらいで、その為、いきなり次郎長とお蝶の祝言の場から始まり、既に数人の子分を従えている設定となっているのは、少々感情移入し難い。
2番目の難点は、キャスティングである。
次郎長:中井貴一、大政:岸部一徳 、法印大五郎:笹野高史…このくらいは及第点だが、桶屋の鬼吉:近藤芳正、 森の石松:温水洋一…は少々弱い。綱五郎:山中聡はぜんぜん存在感なし。 投げ節お仲:高岡早紀-も、妖艶っぽさに欠ける。石松以下がコロリと参るだけの魅力が感じられないのである。
そもそも、みんな年齢が高過ぎる。次郎長は米屋の倅(せがれ)で、親に勘当された、言わば不良少年であり、若い長五郎の下に、世間からはみ出した不良少年たちが集まって来て、次第に一人前の男として成長して行く、どちらかと言うと“はみ出しアウトローたちの青春映画”なのである。
マキノ雅弘・東宝版は、まさに元気な青春映画のような溌剌とした若さに溢れていた。年齢が40歳台だろうと、心は青春のままだったのである。そこが魅力だった。
見比べまい…と言いながらつい見比べてしまうが、東宝版との年齢比較をして見ると、その差は歴然である。
東宝版(1953年時点)…次郎長(小堀明男)33歳、大政(河津清三郎)45歳、石松(森繁久弥)40歳、桶屋の鬼吉(田崎潤)40歳、法印大五郎(田中春男)41歳、追分の三五郎(小泉博)27歳、お蝶(若山セツ子)24歳、投げ節お仲(久慈あさみ)31歳、小松村お園(越路吹雪)29歳
本作…次郎長(中井貴一)47歳、大政(岸部一徳)61歳、石松(温水洋一)44歳、桶屋の鬼吉(近藤芳正)47歳、法印大五郎(笹野高史)60歳、追分の政五郎(北村一樹)39歳、お蝶(鈴木京香)40歳、投げ節お仲(高岡早紀)35歳、小松村お園(木村佳乃)32歳…
こんな具合に、ことごとく本作の方が年齢が高い。…それでいて、大政、鬼吉、法印なんて東宝版の方がずっと貫禄がある。お仲、お園に至っては、艶っぽさ、色気はずっと東宝版の方が上で、ゾクゾクする程である。
時間的な制約上、仕方ないのかも知れないが、子分も少ない。原作や東宝版に登場する増川の仙右衛門や三保の豚松がいないのは物足りない。
そんなわけで、溌剌とした東宝版の元気の良さに比べて、本作はどことな老成したイメージで、若さが感じられないのである。役柄にマッチした役者がいないのかも知れないが、それでももう少し若手の成長株を起用して欲しかった。
森繁久弥は、当時ようやく人気が出かけた頃であるが、オーラが滲み出ている。マキノ雅弘映画の特徴なのだが、粋で、洒脱で、リズミカルな演技、演出にはシビれた。
私が東宝版で大好きなのは、第3部で、石松とお仲が居酒屋で飲んでいるうち、意気投合して、お仲の三味線に合わせて体を揺らせ、小唄のデュエットを始めるくだりである。もうここはMGMミュージカル状態(笑)。最高である。
こういう、楽しいシーンが本作には無かったのが残念である。まあ温水:石松では無理な相談だが。
そんなわけで、旧マキノ雅弘版「次郎長三国志」をこよなく愛する人にとっては、期待を裏切られる出来であった。まあむしろ、マキノ雅弘のような才人監督は二度と出て来ないのかも知れないが…。
それでも、いくつか印象的なシーンはあった。冒頭の、無数の御用提灯の群れは、導入部のツカミとしては申し分なし。次郎長が、お蝶の簪(かんざし)を口にくわえて抜くシーンは東宝版にはなく、これは粋な演出であった。
鬼吉と、彼の親父(長門裕之)との親子愛は、ベタだけど泣かせる。お蝶の臨終における子分との別れのシーンは、さすがマキノの血筋を感じさせる。ただしちょっと長いのが難点。
富士の裾野の茶畑を三度笠姿の次郎長一家が横切るシーンは、次郎長映画には欠かせない一幅の絵であり、これをきちんと撮っていたのは嬉しい。ラストの殴り込みシーンは、この手の作品のクライマックスとして定番であるが、昔の時代劇や任侠映画の味わいを醸し出してまずまずの出来であった。
そういう点では、旧作を知らない今の時代劇ファンには楽しめるレベルには仕上がっていたと言える。決して悪い出来ではない。
だが、しつこいようであるが、叔父の“マキノ”姓を名乗り、叔父の大傑作をリメイクする以上は、あの作品に脈々と流れていた、青春映画としてのロマンティシズム、粋でいなせな男たちのダンディズム(この志は時代を経ようが、永遠に不変の日本人のスピリットである)…を受け継ぐべきではなかったか。…それが、現代にこの作品をリメイクする意義ではないか、と私は思うのである。 (採点=★★★☆)
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