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2008年10月30日 (木)

「僕らのミライへ逆回転」

Bekindrewind(2008年・FOCUS-FEATURES/監督:ミシェル・ゴンドリー)

「エターナル・サンシャイン」のミシェル・ゴンドリー監督による、下町を舞台にしたハートウォーミング・コメディの佳作。

いまだにVHSしか置いてない街角のおんぼろレンタルビデオ店“Be Kind Rewind”(これが原題)。アルバイト店員マイク(モス・デフ)は、店長が視察旅行に出かけた留守の店番をまかされる。ところが、彼の友人、ジェリー(ジャック・ブラック)がうっかり発電所で電磁波を浴びた為、ビデオの中味がすべて消えてしまう。困ったマイクとジェリーは、家庭用ビデオカメラを使い、即席で名作映画をリメイクするが、それが意外な評判を呼び…。

舞台となる、まもまく都市開発で取り壊される運命にある、ひなびた町の風景がまずノスタルジックでいい(ちょっとウェイン・ワン監督の秀作「スモーク」の舞台を思わせる)。

ジャック・ブラックが例によっておバカなキャラでハタ迷惑な騒動を繰り広げるので、他愛ないハチャメチャ・コメディかと思ってしまう。リメイクの方法も、ゴミ捨場のガラクタやアルミホイル、ダンボール等のありあわせ素材を衣装や小道具にしてるので、チープこの上ない。子供の学芸会レベルである。

これが意外にもウケてしまったのは、おそらく下町の人たちが、ジェリーたちのチープだけど、アナログな手づくり作品に、人間的な温かみを感じたという事なのだろう。
CD(デジタル録音)が全盛の現代でも、いまだに針で聞くアナログ・レコードが根強い人気があるのも、同じ理由だろう。

裏を返せば、大規模予算、デジタルCGで派手にはなったが、中味は空疎なハリウッド娯楽作へのアンチテーゼにもなっていると言えるだろう。
デジタル画像のDVDが主流の時代に、アナログ録画のVHSテープしか置いていないレンタルビデオ店が舞台であるのも象徴的である)

実際我々観客も、最初はあまりのダサさとチープさにうんざりするものの、次々とリメイクされる過去の名作を見ているうちに、少しづつそれらに愛着を感じ、自然と頬が緩んで来るのである。

(参考までに、リメイクした作品名を挙げると…「ゴーストバスターズ」、「ラッシュアワー2」、「ロボコップ」、「ライオン・キング」(アニメ!)、「キングコング」、「2001年宇宙の旅」、「ドライビング・Missデイジー」…順番に並べると、派手なハリウッド大作から、次第に古典的な名作にシフトしているのが分かる)

ちょっとした思い付きから始まったジェリーたちの手作りリメイク・ビデオが評判になり、やがて行列が出来、はるばるニューヨークからもうわさを聞きつけ、レンタル客が押し寄せるまでになる。この辺り、やはりノスタルジックな味わいの秀作「フィールド・オブ・ドリームス」のラストシーンを連想させる。

物語は後半、著作権違反で無断リメイクが出来なくなると、映画作りの楽しさ、素晴らしさを覚えたジェリーたちは、オリジナルの本格的ドラマを作ろうとし、遂に、この店が生家だという伝説のジャズ・ピアニスト、ファッツ・ウォーラーの伝記映画を製作する事になる。

そしてラストシーン、あえてここでは書かないが、あの、映画を愛する人が感動の涙を流した名作「ニュー・シネマ・パラダイス」を思わせる、素敵なエンディングが待っている。

真面目に考えたら、あんな安物のインチキ・ビデオに人気が出るなんてありえないお話なんだけど、温かい人の心が奇跡を呼び起こす、フランク・キャプラの名作「素晴らしき哉、人生!」のようなファンタジーと考えれば納得出来るはず。

 
さすがは、おバカな「ヒューマンネイチュアー」の監督であると同時に、切なく悲しいラブ・ストーリー「エターナル・サンシャイン」の監督でもあるミシェル・ゴンドリー監督だけの事はある。

低予算のマイナー映画にもかかわらず、シガニー・ウィーバーやミア・ファローやダニー・グローヴァー(そしてジャック・ブラック)といった大物スターが顔を出しているのも、映画の主旨に賛同しての事かも知れない。素敵な事である。

多くの映画を観て来た映画ファンであるほど感動し、ラストに泣けるだろう(特に、上に茶色の太字で挙げた映画が大好きな映画ファンならなおの事)。

ただ、多分多くの人が指摘するだろうが、題名のヒドさはなんとかならなかったのか。原題のRewindから“逆回転”を連想したのかも知れないが、映画のテーマと全然関係ない。原題は Be KindRewind を引っかけ、韻を踏んでいるシャレた題名なのに…。

(“ミライへ逆回転”って、まさか「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に引っかけた…    てワケないか(笑))       (採点=★★★★

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2008年10月26日 (日)

「容疑者Xの献身」

Yougishax (2008年・フジTV=東宝/監督:西谷 弘)

直木賞を獲得した、東野圭吾原作の同名ミステリーの映画化。

天才物理学者・湯川が、警察で解明出来ない不思議な難事件を、科学的に証明し、謎を解いて行く連作短編小説のテレビドラマ化「ガリレオ」は好評だったが、本作は湯川シリーズ初の長編であるだけでなく、短編シリーズとは明らかにコンセプトが異なる

不思議な事件が起こる訳でもなく、科学の力で謎を解くわけでもなく、天才的に頭のいい男が仕組んだ完璧なアリバイ・トリックを、これまた天才的頭脳を持つ名探偵が突き崩す…という、どちらかと言えばシャーロック・ホームズやコロンボ刑事ものに近い本格謎解きミステリーなのである。

基本的には、「刑事コロンボ」と同じ、倒叙形式と呼ばれるパターンで、最初から殺人の経過を描き、犯人も、共犯者も読者には明示されている。だが死体が発見されてからは、完璧なアリバイが存在する為、警察はどうしても容疑者を捕まえる事ができない。いったい共犯者はどうやってアリバイ工作をしたのか…。
これは、言ってみれば、ミステリー・ファンへの、作者の挑戦状である。「さあ、犯人はどうやってアリバイを作ったのでしょう。読者のみなさん、考えてくださいね」といった所である。

だから、真相が判れば、「なあーんだ」という事になり、作者のトリックに「うーん、してやられた」と読者も感嘆する事となる。
だが、トリック重視のあまり、本作には犯罪隠蔽工作としては根本的に欠陥がある(この事については既に、小説の感想の所で指摘済)。

その為、謎解きゲームとしては面白いとは思ったものの、読後にひっかかりが残ってしまった。
 
そんなわけで、トリックが判ってしまっている以上、映画化した本作を観るのには少し気が引けた。結末の判っているミステリー小説を読む事くらい気の抜けた話はないからである。

だが、気が向かないまま観た本作は、予想に反して面白かった。やはり、石神という人物のキャラクターが丁寧に作り込まれている為、トリックが判っていても、今度は“何故石神がそこまでして靖子とその娘を守り通そうとしたのか”という点を頭に入れながら観る事によって、別の意味でスリリングな味わいが堪能出来るからである。

その意味で、石神を演じた堤真一の存在は大きい。原作では、どことなく得体の知れない、気味の悪い中年男…としか思えなかった石神に魂を吹き込み、原作よりもさらに石神という人物を膨らませ、より確かな人間像を作り上げているのである。

(以下、ネタバレになる部分のみ隠します)
生きて行く事に疲れ、死をも考えた絶望の淵において、靖子(松雪泰子)という女性とめぐり会い、生きる希望を見いだした石神。その彼女が別れたはずの元夫をはずみで殺してしまった時、石神は“この女性を救う為にはどんな事でもしよう(つまり、殺人犯になる事も厭わない)”と決心するのである。

理屈から言うと、殺人犯人として捕まらない事だけを考えたら、何も第二の殺人を犯さなくても、死体を見つからないように処分するだけで済むはずである。

だが、石神の選んだ道は、“靖子の犯した罪を、自分がすべて被る事=即ち、靖子と同じ罪を犯す事=によって、自分に生きる希望を与えてくれた、ミューズである靖子への愛の表明を行う”事だったのである。それが、彼独自に考えた、靖子への献身なのである。
死体を隠しただけでは、献身にはならない。いつ死体が見つかるか、石神も靖子もビクビクしながら生きて行かなければならないし、靖子にとっても、石神は“秘密を握られた、やっかいな存在”でしかない。もし死体が見つかれば、間違いなく靖子に容疑がかかってしまうだろう。

だから、石神は、自分から殺人を認め、殺人犯として服役する道を選んだのである。
これで、もし元夫の死体が見つかったとしても、その殺人も自分がやったと告白するに違いない。
―そうやって初めて、彼が仕組んだ“絶対に靖子を殺人犯人にしない”トリックは成立するのである。

靖子に対しても、“私はここまで、あなたを心から愛しています”という、彼の不器用かつプラトニックな愛を無言のうちに表明した事になるのである。

だが、天才数学者である石神の誤算は、“人間の心は、計算通りには動かない”点にあった。石神の究極の愛を知った靖子は、それゆえ、“今度は自分も石神の共犯者となる”道を選択するのである

数式では、方程式を解けば、答は理論的に1つしかない。…だが、人間の心は、数式では決して解明出来ないのである。
それに初めて気がついた時、石神は激しく号泣するのである。

それでようやく、映画の冒頭で柴咲コウが言う、「科学で割り切れない事もある。…例えば“愛”とか」というセリフが生きて来るのである。

小説を1回読んだだけでは気がつかなかった、本作の隠されたテーマに、映画を観てやっと気がついた。
そういう意味では、映画にしても、原作小説にしても、1回目はトリックに堪能し、2回目は石神の心に沿って観直す(読み直す)方がいいだろう。

さすがは、各ミステリー・ランキングで1位を独占し、直木賞まで獲得しただけの事はある(私のように皆が考えたかどうは知らないが(笑))。

石神を演じた堤真一と、靖子を演じた松雪泰子の好演が光る、これはミステリーでもあり、人間ドラマでもある感動の秀作である。
福山雅治扮する湯川も好演であるが、本作においては脇役であり、本当の主役は石神と靖子なのである。

テレビ版のディレクターでもある西谷弘の演出は手堅く、冒頭のアヴァンタイトル部分で、ドラマファンへのサービスもぬかりなく盛り込んでいる辺りも悪くはない。

原作を既に読んでいる方も、視点を変えて映画を観るか、また映画を先に観た方は、後で原作も読む事をお奨めする。期待してなかった分だけ、採点はやや甘めに…。もっとも、その功績の大部分は原作の出来の良さによるものであって、決して映画の出来が凄く良かったわけではない…と一応釘を刺しておこう。      (採点=★★★★

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2008年10月21日 (火)

「イーグル・アイ」

Eagleeye (2008年・ドリームワークス/監督:D・J・カルーソー)

スティーヴン・スピルバーグが10年間温めて来たと言われる構想に基づき、「ディスタービア」のD・J・カルーソー監督、シャイア・ラブーフ主演…のコンビが再結集して作られた、ハイパー・テクノロジー・サスペンスの佳作。

コピーショップで働く青年ジェリー(シャイア・ラブーフ)はある日突然、口座に大金が振り込まれ、そして自宅にはテロ用の武器や物資が山と送られて来る。直後に、携帯電話に謎の女の声で「30秒後にFBIが来るから今すぐ逃げろ」との指示が届き、以後、なにが起こったのか訳がわからないまま、ジェリーはこちらも子供を人質に取られた、法律事務所に勤めるシングルマザーのレイチェル(ミシェル・モナハン)と共に、FBIに追われつつ、アリアと呼ばれる謎の女の命ずるままに逃げ回る事となる。

 
出だしから派手に建物はぶっ壊す、カーチェイスあり、走る、逃げる、飛び降りる…、列車、船、自動車と乗り物もフルに使った目まぐるしい追っかけの連続で息つく間もなくノンストップ・アクションが展開する。

次第に明らかになる真相は、ネタバレになるので後述するが、この映画を観て気づくのは、前作「ディスタービア」にも巧みに盛り込まれていた、ヒッチコック映画へのオマージュである。

なにしろ前作は、まるごとヒッチの「裏窓」の焼き直しであったが(盗作だと訴えられているらしい)、それ以外にも「サイコ」ネタも散りばめられ(詳しくは作品評参照)、ヒッチ大好きな私はニンマリしっ放しであったが、本作はさらにいろんな作品が取り入れられている。

普通の暮らしをしていた人物が、事件に巻き込まれ、犯人と間違われて捜査当局に追われ、逃げながら真相を探る為に行動する…という、いわゆる“巻き込まれ型サスペンス”はヒッチコック映画の典型パターンである。古くはサイレント時代の「下宿人」から「第3逃亡者」「逃走迷路」など多数あり、そして極め付けが「北北西に進路を取れ」である。

本作では、正体が分からない美女と連れ添っての逃避行だだっ広い平原での待ち合わせ、飛行機にしつこく追いかけられる…等、「北北西に進路を取れ」との共通項もいくつかある。

もう一つ、子供を人質に取られ、仕方なくテロの片棒を担がざるを得なくなるレイチェルの行動や、クライマックスの、演奏会における、特定の音符が暗殺の引き金になる…という設定は、明らかに「知りすぎていた男」からのいただき。

これらの、ヒッチコック・オマージュは、監督のD・J・カルーソーよりも、おそらくは原案・製作総指揮のS・スピルバーグの意向ではないかと思う。なにしろスピルバーグは大のヒッチコキアン。出世作「ジョーズ JAWS」では、「鳥」のショック演出(目をくり貫かれた死体がいきなり現れる)やら、「めまい」のトラックバック・ズームイン・カメラワークやらのヒッチ・テクニックを巧妙に取り入れていたぐらいなのだから(「ディスタービア」もドリームワークス提供)。

そんなわけで、前半はあれよあれよのジェットコースター的展開で楽しめたが、後半になり、アリアの正体が判明すると、途端にSF的展開となり、しかも、「そんなに遠回りする必要ないんじゃないの?」と思えるくらい、もって回った思わせぶりで少々ガッカリする(時限タイマー付のアタッシェケースに何が入っているのかハラハラさせて、結局肩透かしてのはどんなものか)。

(以下、ネタバレにつき隠します。読みたい方はドラッグ反転してください)
結局、彼らを操っていたのは、あらゆる監視システムの統括をまかされた人工知能コンピューターの、人類に対する反逆…という、今や古典の部類に属する「2001年宇宙の旅」のHALコンピュータの2番煎じだったとはね。あまりに瞬時に電光掲示メッセージが届くので人間技ではないと思ってはいたが…。ラストで、ベレズ捜査官がアリア中枢部に侵入し、アリアの解体を図るくだりも「2001年-」と同工異曲。もう少し斬新なアイデアが欲しいところである。
↑ネタバレここまで

…とは言え、アフガン情勢、アメリカ国家のテロ殲滅対策、ハイテク化が進む監視社会の恐ろしさ、…等のタイムリーな時事テーマを巧妙に盛り込みつつ、スピーディかつサスペンスフルな一級の娯楽アクション映画に仕上げた点は評価していい。多少のアラはこの際目をつぶり、楽しめばいいのではないかと思う。

特に、ヒッチコック作品やいろんなSF映画へのオマージュ部分は、古くからの映画ファンであるほど、なお楽しめるだろう。
欲を言えば、「北北西に-」におけるケーリー・グラントとエバ・マリー・セイントのような、エレガントで小粋な大人のラブ・ロマンスも盛り込んでくれればなお良かったのだが、それは映画(特にヒッチ作品)ファンの無いものねだりという事で…。     (採点=★★★★

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(さて、お楽しみはココからだ)
後半のSF展開のシークェンスを観ていて、思い出した作品がある。

1970年製作のアメリカ映画「地球爆破作戦」(監督:ジョセフ・サージェント)である。

B級っぽいタイトルだが、なかなか骨のあるSF映画の傑作で、確か石上三登志氏と森卓也氏が絶賛していたはず。

お話は、米政府が開発した、あらゆるシステムを統括管理する巨大コンピュータ・コロッサスが、ソ連の同型コンピュータと仲良くなる事を望み、やがて両者は猛烈な勢いで情報交換を行った結果、自我を持ち始め、人類に反逆し、最後に全地球を支配下に治めてしまう…というコワい話。

「2001年-」のわずか2年後に、こういう作品が作られた事も凄いが、コンピュータにあらゆるシステムを任せてしまう事(なにせミサイル発射権限すらコロッサスに任せてしまってるのである)の怖さを既に指摘している点で、21世紀に対する警鐘にもなっており、今の時代こそ、この作品を再評価すべきだと思う。

で、コンピュータの扱いが本作と似ている点だけでなく、この作品の面白い点は、コロッサスが人間にメッセージを伝える道具として、“電光掲示板”のようなボードを使用している所である。

本作で、アリアがジェリーたちに指令を伝えるのに、街なかの電光掲示板を利用しているのを見て、ひょっとしたら本作の作者たちは、この「地球爆破作戦」を観ていて、密かにオマージュを捧げているのではないだろうか…とふと思った次第。

「地球爆破作戦」は一部で評価されながらも、永年ビデオ・DVDが出ていなかったのだが、ようやく本年、DVD(↓)が発売されたようである。SF映画ファンには必見の、隠れた秀作としてお奨めしておきたい。

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2008年10月15日 (水)

さよなら、緒形拳さん、峰岸徹さん

この所、映画人の訃報が相次いでいます。

ポール・ニューマン(9月26日・享年83歳)は、既に引退を表明していたので、言い方は良くないですが、“過去の人”と言えるでしょう。

しかし、緒形拳さん(10月5日・享年71歳)に続いて、峰岸徹さん(10月11日・享年65歳)も亡くなられるとは…。

お二人ともまだ若く、まだまだこれからの活躍を期待していただけに、残念としか言いようがありません。

このお二人については、いくつか思い出がありますので、その辺りを書いてみようと思います。

……

Ogataken 緒形拳さんは、'65年のNHK大河ドラマ「太閤記」の秀吉役で一躍有名になりました。当時、テレビの主役と言えばハンサム(今で言うイケメン)が当り前の時代に、お世辞にも美男子とは言い難い緒形さんが主役に選ばれただけでも快挙でした(メイクのせいもあるでしょうが、秀吉の仇名の通り“サル”顔だな…と思った記憶があります(失礼))。

映画の方で記憶に残っているのが、大映の増村保造監督作品「セックスチェック・第二の性」(68)で、これが映画での初の本格主演作品です。

Sexcheck2_2 緒形さんの役は、戦前!に活躍した名スプリンターで、大陸戦線で現地女性を強姦したトラウマで、戦後は落ちぶれ、ヒモ生活…という異色の役柄。
なんと、開巻早々、小川真由美さんを強姦するシーンが出て来ます。服をひん剥き、むき出しの股間にガバと顔を埋めるシーンは相当の迫力(笑)。
若き女子陸上選手、安田道代(現・大楠道代)さんをとことんシゴく、鬼コーチ。彼女とのセックス・シーンもあり、かなりハードなエロシーンが頻出する成人向映画です(但し小川さん、安田さんのヌードは吹替)。

増村監督らしい、骨の据わった佳作でした。一見の価値ありです。

実直な人物(「砂の器」「楢山節考」等)も演じる一方で、気の弱い児童置き去りのダメ父親(「鬼畜」)、凶悪犯人(「復讐するは我にあり」)、無頼の小説家(「火宅の人」)など、幅の広い役柄で数々の映画賞を受賞して来た、日本映画界を代表する名優…であるのは異論のない所でしょうが、他方で、「影の軍団・服部半蔵」の悪役や、「野獣刑事」(いずれも工藤栄一監督)のはみ出し刑事役、さらには「咬みつきたい」ではなんと吸血鬼!役と、いろんなジャンルのB級プログラム・ピクチャーも軽々とこなす等、その活動範囲の広さにも感心させられます。こういう、硬・軟両方を並行してこなす役者は、他には市川雷蔵さんくらいしか思いつきません。得がたい異色の名優と言えましょう。

あと、変わった所では、割腹自殺した三島由紀夫の生涯を描いたアメリカ作品「Mishima:A Life in Four Chapters」(85。ポール・シュレーダー監督)における三島由紀夫役があります。我が国未公開ですが、当時輸入ビデオがレンタル屋に出回り、私は見ております。三島とは顔は似ておりませんが、雰囲気は良く出ておりました。

老境に入り、これからどんな名優ぶりを見せてくれるか、楽しみでした。日本映画界は貴重な人材を失った事になります。ご冥福を祈りたいと思います。
 

 

Minegisitooru さて、峰岸さんの方は、大学在学中に渡辺プロに入社、最初は峰健二の芸名で、'62年頃から東宝の青春映画に数本出演しております。

私が覚えているのは、所属する渡辺プロのクレージー・キャッツやザ・ピーナッツ、中尾ミエらが大挙出演したNHKのコメディ「若い季節」に、社長(淡路恵子)の甥役で出演していた時です。
甘いマスクの二枚目で、ちょっと赤木圭一郎に似ており、第二の赤木圭一郎…と騒がれた時もありました。

その後は俳優座、文学座などの研究生として演劇の勉強をし、'68年に大映入社、峰岸隆之介の名前で、新スターの欲しい大映が積極的に売り出しました。

Yamiwosaku その中で、印象に残っているのが、'68年の「闇を裂く一発」(村野鐵太郎監督)です。
黒澤明監督の「野良犬」や「用心棒」の脚本で知られる菊島隆三さんのオリジナル・シナリオで、オリンピック射撃選手でもある若い刑事(峰岸)が凶悪犯を追い詰める刑事サスペンス・ドラマ。
ベテラン刑事(露口茂)とコンビを組んでいる点や、露口が犯人に撃たれたり、野球場が出て来るなど、「野良犬」との共通点も見られます。偶然ですが、村野監督も数本撮っている、田宮二郎主演の“犬”シリーズにも「野良犬」(井上芳夫監督)という作品があるのが面白いですね(笑)。

なかなか緊迫した、見応えのある刑事ものの佳作だったと記憶しています。峰岸さんの代表作とも言えると思うのですが、なぜかビデオもDVDも出ておりません。ぜひ追悼企画で出していただきたいものです。

残念なのは、その頃から大映の経営が傾きかけ、峰岸さんのキャラクターを生かす企画も打ち出せず、大映はそれから3年後に倒産してしまいます。
時代と、映画会社に恵まれたなら、もっと人気スターになっていたかも知れません。惜しい事です。

その後の、名バイプレイヤーとしての活躍はご承知の通り。大林宣彦監督作品の常連俳優でもありました。遺作も大林監督の「その日のまえに」(11月公開予定)。

65歳という年齢は、いかにも若過ぎます。「おくりびと」の、あの優しそうな死に顔を思い出すだけでも泣けてきます。やすらかにお眠りください。

合掌…

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DVD 「セックスチェック・第二の性」

輸入VHS「Mishima」

DVD 峰岸徹が怪演「ねらわれた学園」

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2008年10月13日 (月)

「アキレスと亀」

Akiresutokame (2008年・オフィス北野/監督:北野 武)

絵に生涯を賭けた画家の半生と、その彼を献身的に支えた妻との愛の物語。……と、こう梗概を書くと、まるで「ビューティフル・マインド」のような感動作かと思ってしまう。晩年には神経を病む所も似ているし…。

が、これが北野武監督作品なのだからそんな単純なものには仕上がる訳がない。映画を観れば、やっぱりこれは紛れもないキタノ映画であった。

 
聞く所によると、北野武は本作を、「TAKESHIS’」「監督・ばんざい!」と並ぶ3部作に位置付けている…のだそうだ。

そう考えると、本作のスタンスも見えて来る。本作もまた、“北野武による北野武論映画”なのである。

 
北野武=ビートたけし…は、不思議な芸人+アーチストである。現役の売れっ子お笑いタレントで、かつ「戦場のメリークリスマス」「その男、凶暴につき」「血と骨」等で強烈な個性を放つ性格俳優でもある。
そして映画監督としても、ヴェネチアでグランプリを受賞し、“世界のキタノ”として賞賛を集めている。

お笑いタレントヴァイオレンス派の性格俳優とのギャップも凄い(そんな役者、世界広しと言えど稀である。早い話、マイク・マイヤーズやジョン・ベルーシがロバート・デ・ニーロの役柄を演じられるか)が、それらのイメージと世界的映画監督というイメージもまた繋がらない。
さらには、の方でも才能を発揮し、「HANA-BI」や本作に登場する絵もすべて北野武が描いたという。

まさにあらゆるジャンルを縦横に駆け抜ける、稀有な天才である。

しかも、かなりアマノジャクで皮肉屋である。褒められると、逆の方向にワザと迷走して見せる。「ソナチネ」が評論家から高く評価されると、くだらないギャグ・コメディ「みんな~やってるか」を作って顰蹙を買い、「座頭市」が作品的にも興行的にも成功すると、次にはエンタティンメントからほど遠い「TAKESHIS’」を撮って見事にコケさせてしまう。

つまりは、役者としての、映画監督としての自分自身を、かなり覚めた目で、皮肉っぽく見ているのだろう。―そう考えると、前2作で北野武がやろうとした事も見えて来る。

「TAKESHIS’」は、売れっ子芸人ビートたけしと、売れない役者北野武(これは名前からして、当たらない映画を撮り続ける映画監督・北野武をも指し示しているのだろう)が、次第に交錯し融合し、“本当の自分は誰なのだろう?”と自問自答する作品であった。

「監督・ばんざい!」では、“次に何を撮るべきか、分からなくなった”映画監督としての北野武を、まさしく覚めた、皮肉っぽい目で見つめている。ラストのセリフ、「壊れてますね」は、自身を自虐的にまで凝視する、武自身の自己批評なのだろう。

そういう流れで見ると、本作には、“売れる芸(術)、売れない芸(術)との境界線はどこにあるのだろう”という、「TAKESHIS’」のテーマと、“アーティストとして、自分はいったい何を作ればいいのだろう”という、「監督・ばんざい!」のテーマが、実は巧みに織り込まれている事に気付くだろう。

本作の“絵”を“映画”に置き換えてみれば、本作もまた、一人のアーティスト(=北野武の分身)を、皮肉っぽく、自虐的にみつめた、芸術と芸術家についての北野武的論考作品であると言えるだろう。

 

金持ちの家に生まれた真知寿(まちす)は、少年時代は親の庇護の元に、何不自由なく、奔放に絵を描いていた。芸術的な教育も受けずに。…その奔放さによって、かえってユニークな作品に仕上がっており、後に無名作家の秀作として売られている点を見ても、決して悪い出来ではない。
なお、この少年時代の演出は、田舎の風景を丁寧に捉え、真知寿少年を演じた子役(吉岡澪皇)の好演もあって見ごたえ十分である。

青年時代になると、真知寿(柳憂怜)は画商(大森南朋)に勧められるままに、美術学校に通い、高名な画家の作品を模写するようになって、奔放さを失い、自分の方向性を見失って行く。

真知寿は、いろんな絵を描いて画商に持ち込んでは、その都度貶され、ますます袋小路に迷い込んで行くのだが、皮肉な事に、「預かっておく」と画商に取り上げられた作品が、後に喫茶店の壁に架かっているシーンがある。少年時代に真知寿が描いた絵も、画商(伊武雅刀)が言葉巧みに売りつけるシーンがあり、画商なんていいかげんなもんだというたけし流の痛烈な皮肉が効いている。

熟年時代になると、今度はたけし自身が真知寿を演じている事もあり、ますます皮肉と自虐趣味はブラック・ユーモアも交えエスカレートして行く。抽象絵画の作り方…など、ブラック・ジョークの最たるものである。
その作品創造過程に、献身的に協力する妻(樋口可南子)の扱いも、まさにコント並みの描き方である。

極めつけは、酸欠状態になればインスピレーションが沸く…として、妻の協力で真知寿が自身を浴槽に沈めるシーンで、溺れて手をバタつかせているのも気付かず必死で真知寿を押さえ込む妻の姿は爆笑ものである。樋口可南子の股ぐら越しに溺れるたけしを捕らえたカメラアングルも秀逸。

遂には、燃え盛る火の中で絵を描き続け、全身火傷で包帯だらけの姿になるが、このくだりもコント風の演出である(現実にはミイラのような包帯姿で病院が退院させるわけがない)。

こうした物語を通じて、北野武監督は、“芸術とは、芸術の価値とは何なのか”というテーマについて、痛烈なアイロニーをぶちかましているのである。

お話としては、前2作に比べたらずっと判りやすいし、楽しめる作品ではある。…しかし、前述のようなテーマを内包している事によって、本作は、やはりまぎれもなく、北野武による北野武映画そのものになっているのである。

タイトルの「アキレスと亀」は、冒頭にアニメで解説されているが、“追いつこうとして永遠に追いつけない”芸術というものの到達点に対する暗喩でもある。青年時代の真知寿は、追いつこうとしてさまざまな試行錯誤を繰り返し、かえって遠回りしてしまう。
しかし、何も考えなかった、瑞々しい感性に溢れた少年時代にこそ、追いつくべき亀はいたのではないか。

すべてを失い、無になって妻と手と手を取り合うラストシーンに、「そしてアキレスは亀に追いついた」と示される字幕には、そういう意味も込められているのだろう。

北野武作品としては、久しぶりにあれこれといろんな事を考えさせてくれた。観た人それぞれが芸術というものに自分なりの考えを巡らせれば、この映画はもっと楽しめるだろう。

3部作を終えて、北野武監督がこれで吹っ切れて、次回には何を作るのだろうか。ますます目が離せない。      (採点=★★★★☆

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2008年10月 6日 (月)

「次郎長三国志」 (2008)

Jirochou (2008・角川映画/監督:マキノ雅彦)

俳優・津川雅彦の、マキノ雅彦名義による監督第2作。

1作目の「寝ずの番」は大変楽しい映画で、2作目に何を撮るか期待していたのだが、名前を拝借した、叔父のマキノ雅弘監督の代表作で、私も大好きな「次郎長三国志」だったとは。

実は「寝ずの番」批評にも書いたのだが、1952~54年に作られた東宝版「次郎長三国志」シリーズで、次郎長一家が歌ってた「オイラ死んだとてな~♪」の歌が「寝ずの番」の中でも歌われていたので、私は心中密かに「雅彦監督の次回作はひょっとして『次郎長三国志』か?」と考えていたのだが、ピタリ当たったようだ。津川雅彦は、東映でリメイクした鶴田浩二主演の「次郎長三国志」シリーズに、兄貴の長門裕之共々出演していたし、叔父の代表作であるこの作品に対する思い入れは強いのだろう。

とにかく、東宝版「次郎長三国志」は、何度観ても楽しくて心が弾む傑作である。ビデオも持っていて、何度も繰り返し観ているくらい、私にとっては名作中の名作である。
そんなわけで、製作が発表されてから、この作品の公開を心待ちにしていた。

 
で、観終えての感想…。うーん、微妙である。前作への思い入れが強過ぎるのか、もう一つノレなかった。

極力、前作と見比べまい…と思いながら観たのだが、それでもいくつか問題点があった。

まず、あの長い原作を、2時間の1本の映画に押し込めるのには時間が足りな過ぎる
東宝版で9部作、東映版でも4部作で(それでも途中までである)作られているくらいで、その為、いきなり次郎長とお蝶の祝言の場から始まり、既に数人の子分を従えている設定となっているのは、少々感情移入し難い。

2番目の難点は、キャスティングである。
次郎長:中井貴一、大政:岸部一徳 、法印大五郎:笹野高史…このくらいは及第点だが、桶屋の鬼吉:近藤芳正、 森の石松:温水洋一…は少々弱い。綱五郎:山中聡はぜんぜん存在感なし。 投げ節お仲:高岡早紀-も、妖艶っぽさに欠ける。石松以下がコロリと参るだけの魅力が感じられないのである。

そもそも、みんな年齢が高過ぎる。次郎長は米屋の倅(せがれ)で、親に勘当された、言わば不良少年であり、若い長五郎の下に、世間からはみ出した不良少年たちが集まって来て、次第に一人前の男として成長して行く、どちらかと言うと“はみ出しアウトローたちの青春映画”なのである。
マキノ雅弘・東宝版は、まさに元気な青春映画のような溌剌とした若さに溢れていた。年齢が40歳台だろうと、心は青春のままだったのである。そこが魅力だった。

 
見比べまい…と言いながらつい見比べてしまうが、東宝版との年齢比較をして見ると、その差は歴然である。

東宝版(1953年時点)…次郎長(小堀明男)33歳、大政(河津清三郎)45歳、石松(森繁久弥)40歳、桶屋の鬼吉(田崎潤)40歳、法印大五郎(田中春男)41歳、追分の三五郎(小泉博)27歳、お蝶(若山セツ子)24歳、投げ節お仲(久慈あさみ)31歳、小松村お園(越路吹雪)29歳

本作…次郎長(中井貴一)47歳、大政(岸部一徳)61歳、石松(温水洋一)44歳、桶屋の鬼吉(近藤芳正)47歳、法印大五郎(笹野高史)60歳、追分の政五郎(北村一樹)39歳、お蝶(鈴木京香)40歳、投げ節お仲(高岡早紀)35歳、小松村お園(木村佳乃)32歳…

こんな具合に、ことごとく本作の方が年齢が高い。…それでいて、大政、鬼吉、法印なんて東宝版の方がずっと貫禄がある。お仲、お園に至っては、艶っぽさ、色気はずっと東宝版の方が上で、ゾクゾクする程である。
時間的な制約上、仕方ないのかも知れないが、子分も少ない。原作や東宝版に登場する増川の仙右衛門や三保の豚松がいないのは物足りない。

そんなわけで、溌剌とした東宝版の元気の良さに比べて、本作はどことな老成したイメージで、若さが感じられないのである。役柄にマッチした役者がいないのかも知れないが、それでももう少し若手の成長株を起用して欲しかった。

森繁久弥は、当時ようやく人気が出かけた頃であるが、オーラが滲み出ている。マキノ雅弘映画の特徴なのだが、粋で、洒脱で、リズミカルな演技、演出にはシビれた。
私が東宝版で大好きなのは、第3部で、石松とお仲が居酒屋で飲んでいるうち、意気投合して、お仲の三味線に合わせて体を揺らせ、小唄のデュエットを始めるくだりである。もうここはMGMミュージカル状態(笑)。最高である。

こういう、楽しいシーンが本作には無かったのが残念である。まあ温水:石松では無理な相談だが。

 
そんなわけで、旧マキノ雅弘版「次郎長三国志」をこよなく愛する人にとっては、期待を裏切られる出来であった。まあむしろ、マキノ雅弘のような才人監督は二度と出て来ないのかも知れないが…。

それでも、いくつか印象的なシーンはあった。冒頭の、無数の御用提灯の群れは、導入部のツカミとしては申し分なし。次郎長が、お蝶の簪(かんざし)を口にくわえて抜くシーンは東宝版にはなく、これは粋な演出であった。
鬼吉と、彼の親父(長門裕之)との親子愛は、ベタだけど泣かせる。お蝶の臨終における子分との別れのシーンは、さすがマキノの血筋を感じさせる。ただしちょっと長いのが難点。
富士の裾野の茶畑を三度笠姿の次郎長一家が横切るシーンは、次郎長映画には欠かせない一幅の絵であり、これをきちんと撮っていたのは嬉しい。ラストの殴り込みシーンは、この手の作品のクライマックスとして定番であるが、昔の時代劇や任侠映画の味わいを醸し出してまずまずの出来であった。

そういう点では、旧作を知らない今の時代劇ファンには楽しめるレベルには仕上がっていたと言える。決して悪い出来ではない。

だが、しつこいようであるが、叔父の“マキノ”姓を名乗り、叔父の大傑作をリメイクする以上は、あの作品に脈々と流れていた、青春映画としてのロマンティシズム、粋でいなせな男たちのダンディズム(この志は時代を経ようが、永遠に不変の日本人のスピリットである)…を受け継ぐべきではなかったか。…それが、現代にこの作品をリメイクする意義ではないか、と私は思うのである。      (採点=★★★☆

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2008年10月 2日 (木)

「小室等 コラボライブ」鑑賞記

Komuro1 遅くなりましたが、9月20日開催の「小室等 コラボライブ AT ワイルドバンチ」の感想について。

会場となった、ブックカフェ・ワイルドバンチは、古書店兼スナックカフェである為、狭い店内に50人も入れば満席。
当日、開演30分前に行きましたが、既に満席状態でした。恐らくは50人前後は入っていたでしょう。

開演の午後7時より少し遅れて、小室等さん登場、さすが、一斉に拍手が沸きました。人気の根強さが分かります。


Komuro3谷川賢作
さんは、お顔を見るのは初めてでしたが、Tシャツを着てて意外に若々しく(今年48歳のはず)、しかも登場するなり、ジョークを言ったり、拳を突き上げて「イェーイ」と叫んだり、結構お茶目(笑)。←

続木力さんは反対にぐっと控え目。小室さんのギターとボーカル、谷川賢作さんのピアノ、続木さんのハーモニカ…というコラボにより始まったライブは、まず映画音楽「エデンの東」からスタート。小室さん、さすがいいお声してます。2曲目は、これも懐かしい、浅川マキのヒット曲「かもめ」。

ジャズ的なアレンジの「枯葉」、童謡の「まちぼうけ」、高石友也が歌ってヒットしたフォーク「死んだ男の残したものは」など、バラエティに富んだ選曲に、楽しいトークあり、興に乗って、賢作さんのお父上、谷川俊太郎さんが作詞した「鉄腕アトム」のテーマソングまで飛び出します(おっと、「死んだ男の-」の作詞も俊太郎さんでした)。

楽しいのが、谷川さんのお子さんが小学校で使っていたとかの楽器、ピアニカの演奏で、これもなかなか聴かせてくれます。

Komuro2_2 途中、休憩を挟み、計2時間ほどのライブでしたが、終盤に差し掛かるにつれて、どんどん盛り上がり、小室さんの作曲した「出発の歌」を含め、2曲もアンコールしてくれました。

久しぶりのライブでしたが、やっぱり生はいいですね。
演奏者と聴衆とが一体となって、場を盛り上げて行く、その高揚感が何とも言えません。

また、例えばコンサートホールだと、一段高い舞台がある故の、いわゆる距離感があるのですが、こういう狭い所だと、同じ目線で、かつすぐ目の前にいるので、小室さんたちも、まるで仲間内でワイワイ騒いでいるような、リラックスしたムードで、互いに楽しめたのではないかと思います。合間には水割り片手にくつろいでおりましたし。

谷川さんの、意外なお茶目ぶり、小室さんのあたたかな雰囲気と張りのある歌声、それぞれに楽しめた一日でした。
またどこかでお会いできる日を楽しみに…。 (了)

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