「容疑者Xの献身」
直木賞を獲得した、東野圭吾原作の同名ミステリーの映画化。
天才物理学者・湯川が、警察で解明出来ない不思議な難事件を、科学的に証明し、謎を解いて行く連作短編小説のテレビドラマ化「ガリレオ」は好評だったが、本作は湯川シリーズ初の長編であるだけでなく、短編シリーズとは明らかにコンセプトが異なる。
不思議な事件が起こる訳でもなく、科学の力で謎を解くわけでもなく、天才的に頭のいい男が仕組んだ完璧なアリバイ・トリックを、これまた天才的頭脳を持つ名探偵が突き崩す…という、どちらかと言えばシャーロック・ホームズやコロンボ刑事ものに近い本格謎解きミステリーなのである。
基本的には、「刑事コロンボ」と同じ、倒叙形式と呼ばれるパターンで、最初から殺人の経過を描き、犯人も、共犯者も読者には明示されている。だが死体が発見されてからは、完璧なアリバイが存在する為、警察はどうしても容疑者を捕まえる事ができない。いったい共犯者はどうやってアリバイ工作をしたのか…。
これは、言ってみれば、ミステリー・ファンへの、作者の挑戦状である。「さあ、犯人はどうやってアリバイを作ったのでしょう。読者のみなさん、考えてくださいね」といった所である。
だから、真相が判れば、「なあーんだ」という事になり、作者のトリックに「うーん、してやられた」と読者も感嘆する事となる。
だが、トリック重視のあまり、本作には犯罪隠蔽工作としては根本的に欠陥がある(この事については既に、小説の感想の所で指摘済)。
その為、謎解きゲームとしては面白いとは思ったものの、読後にひっかかりが残ってしまった。
そんなわけで、トリックが判ってしまっている以上、映画化した本作を観るのには少し気が引けた。結末の判っているミステリー小説を読む事くらい気の抜けた話はないからである。
だが、気が向かないまま観た本作は、予想に反して面白かった。やはり、石神という人物のキャラクターが丁寧に作り込まれている為、トリックが判っていても、今度は“何故石神がそこまでして靖子とその娘を守り通そうとしたのか”という点を頭に入れながら観る事によって、別の意味でスリリングな味わいが堪能出来るからである。
その意味で、石神を演じた堤真一の存在は大きい。原作では、どことなく得体の知れない、気味の悪い中年男…としか思えなかった石神に魂を吹き込み、原作よりもさらに石神という人物を膨らませ、より確かな人間像を作り上げているのである。
(以下、ネタバレになる部分のみ隠します)
生きて行く事に疲れ、死をも考えた絶望の淵において、靖子(松雪泰子)という女性とめぐり会い、生きる希望を見いだした石神。その彼女が別れたはずの元夫をはずみで殺してしまった時、石神は“この女性を救う為にはどんな事でもしよう(つまり、殺人犯になる事も厭わない)”と決心するのである。
理屈から言うと、殺人犯人として捕まらない事だけを考えたら、何も第二の殺人を犯さなくても、死体を見つからないように処分するだけで済むはずである。
だが、石神の選んだ道は、“靖子の犯した罪を、自分がすべて被る事=即ち、靖子と同じ罪を犯す事=によって、自分に生きる希望を与えてくれた、ミューズである靖子への愛の表明を行う”事だったのである。それが、彼独自に考えた、靖子への献身なのである。
死体を隠しただけでは、献身にはならない。いつ死体が見つかるか、石神も靖子もビクビクしながら生きて行かなければならないし、靖子にとっても、石神は“秘密を握られた、やっかいな存在”でしかない。もし死体が見つかれば、間違いなく靖子に容疑がかかってしまうだろう。
だから、石神は、自分から殺人を認め、殺人犯として服役する道を選んだのである。
これで、もし元夫の死体が見つかったとしても、その殺人も自分がやったと告白するに違いない。―そうやって初めて、彼が仕組んだ“絶対に靖子を殺人犯人にしない”トリックは成立するのである。
靖子に対しても、“私はここまで、あなたを心から愛しています”という、彼の不器用かつプラトニックな愛を無言のうちに表明した事になるのである。
だが、天才数学者である石神の誤算は、“人間の心は、計算通りには動かない”点にあった。石神の究極の愛を知った靖子は、それゆえ、“今度は自分も石神の共犯者となる”道を選択するのである。
数式では、方程式を解けば、答は理論的に1つしかない。…だが、人間の心は、数式では決して解明出来ないのである。
それに初めて気がついた時、石神は激しく号泣するのである。
それでようやく、映画の冒頭で柴咲コウが言う、「科学で割り切れない事もある。…例えば“愛”とか」というセリフが生きて来るのである。
小説を1回読んだだけでは気がつかなかった、本作の隠されたテーマに、映画を観てやっと気がついた。
そういう意味では、映画にしても、原作小説にしても、1回目はトリックに堪能し、2回目は石神の心に沿って観直す(読み直す)方がいいだろう。
さすがは、各ミステリー・ランキングで1位を独占し、直木賞まで獲得しただけの事はある(私のように皆が考えたかどうは知らないが(笑))。
石神を演じた堤真一と、靖子を演じた松雪泰子の好演が光る、これはミステリーでもあり、人間ドラマでもある感動の秀作である。
福山雅治扮する湯川も好演であるが、本作においては脇役であり、本当の主役は石神と靖子なのである。
テレビ版のディレクターでもある西谷弘の演出は手堅く、冒頭のアヴァンタイトル部分で、ドラマファンへのサービスもぬかりなく盛り込んでいる辺りも悪くはない。
原作を既に読んでいる方も、視点を変えて映画を観るか、また映画を先に観た方は、後で原作も読む事をお奨めする。期待してなかった分だけ、採点はやや甘めに…。もっとも、その功績の大部分は原作の出来の良さによるものであって、決して映画の出来が凄く良かったわけではない…と一応釘を刺しておこう。 (採点=★★★★)
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コメント
はじめまして。私は映画を先に観ました。痛く感動し、トリックが分かっ上でもう一度観に行きました☆
『友人として』という湯川先生の言葉が弱いな〜という事が引っ掛かっていましたが、小説を読んで理解できました♪
小説を読んだ上でもう一度観に行きたかったけど、流石にもう無理なので、DVD待ちです(笑)
福山さん凄く素敵でしたが、堤さんがホントに素晴らしかったですね!
投稿: ケイコ | 2008年12月 8日 (月) 20:23
>決して映画の出来が凄く良かったわけではない…
そうなんですよね。
でも堤真一と、哀れを演じた松雪さん、よかったですね~~。舞台もビギナーも見ました。
堤真一はホンと素晴らしい役者ですが、この映画の号泣シーン??。
ボク的にはいけてませんでした。
投稿: nonoyamasadao | 2010年7月11日 (日) 13:28