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2008年12月31日 (水)

2008年度・日本インターネット映画大賞外国映画部門 投票

外国映画部門も投票いたします。

[作品賞投票ルール(抄)]

 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで

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『 外国映画用投票フォーマット 』

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」         6点
  「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」 5点
  「その土曜日、7時58分」           5点
  「ダークナイト    」              4点
  「ノーカントリー   」              3点
  「WALL・E/ウォーリー」           2点
  「シークレット・サンシャイン」          2点
  「ミスト        」              1点
  「イースタン・プロミス」             1点
  「告発のとき     」             1点
【コメント】アメリカの現状を告発する、ヘヴィーな秀作が続出した1年だった。テンから洩れたが「勇者たちの戦場」「さよなら。いつかわかること」「この自由な世界で」も捨て難い。

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【監督賞】              作品名
   [ポール・T・アンダーソン] (「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」)
【コメント】長尺にもかかわらず、ダレない演出が見事。文句なし。

【主演男優賞】
   [ダニエル・デイ=ルイス] (「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」)
【コメント】圧巻の名演。次点は「イースタン-」のヴィゴ・モーテンセン。

【主演女優賞】
   [チョン・ドヨン   ] (「シークレット・サンシャイン」)
【コメント】男優がどれも強烈な印象を残し、女優がすっかりかすんだ1年だった。で、振り返ればカンヌでも受賞したチョン・ドヨンが飛び抜けていた。それにしても、男女優ともヘヴィーだなあ(笑)。

【助演男優賞】
   [ヒース・レジャー ] (「ダークナイト」)
【コメント】こちらは候補目白押し。ハビエル・バルデム、アルバート・フィニーも例年なら受賞間違いなし。しかしやはり「ダークナイト」のヒースは圧巻。急逝が惜しい。

【助演女優賞】
   [マーシャ・ゲイ・ハーデン] (「ミスト」)
【コメント】こちらも候補難。ちょっと苦しいところである。

【新人賞】
   [ネイサン・ギャンブル] (「ミスト」)
【コメント】主人公の息子役で、ラストが衝撃的。「ダークナイト」にも出ている。今後が楽しみ。

【音楽賞】
  「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」
【コメント】不協和音のような音楽(?)が強烈。担当したのはジョニー・グリーンウッド。

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【勝手に○×賞】
   [おバカ映画賞] (「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン」)
  「くだらないけど大笑いさせてもらった点で」
【コメント】いやーもう笑った。笑えるだけでなく、イギリス風シックでブラックなユーモアがいい。エドガー・ライト監督、次回作も期待してるよ。

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2008年度・日本インターネット映画大賞日本映画部門 投票

今年も、「日本インターネット映画大賞」に投票いたします。

私のHPでも、ベスト選考をやってますが、そちらは邦・洋混成のベスト20という形式です。いずれここでも掲載しますが、とりあえずは邦画・洋画ごとに分けた、通常形式のベストテンを挙げておきます。

[作品賞投票ルール(抄)]

 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで
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『 日本映画用投票フォーマット 』

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「おくりびと      」            7点
  「母べえ        」            4点
  「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」 4点
  「ガチ☆ボーイ   」             3点
  「崖の上のポニョ  」            3点
  「ぼくたちと駐在さんの700日戦争 」  2点
  「歩いても 歩いても」            2点
  「闇の子供たち   」            2点
  「K-20 怪人二十面相・伝 」        2点
  「その日のまえに  」            1点
【コメント】昨年父を亡くした事もあり、「おくりびと」はなおの事心に沁みた。ベテラン山田洋次、若松孝二、宮崎駿、大林宣彦の変わらぬ健闘ぶりには頭が下がる。中堅、是枝裕和、阪本順治に新進、小泉徳宏、塚本連平、佐藤嗣麻子…と、うまくバランスが取れたテンとなった。

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【監督賞】          作品名
   [滝田洋二郎   ] (「おくりびと」)
【コメント】昔から実力ある監督と思っていたが、素晴らしいシナリオを得て、ようやく花開いた。拍手。

【主演男優賞】
   [本木雅弘     ] (「おくりびと」)
【コメント】プロデューサー賞もあげたい。エンドクレジットにおける納棺の作法もプロ並み。

【主演女優賞】
   [永作博美     ] (「その日のまえに」)
【コメント】駄作「まぼタイ」がなければ吉永小百合も候補だったが(笑)。

【助演男優賞】
   [國村隼     ] (「K-20 怪人二十面相・伝」)
【コメント】まさに主役を助ける名サポート。いい味出してます。

【助演女優賞】
   [余貴美子    ] (「おくりびと」「丘を越えて」)
【コメント】「まぼタイ」では微妙だったが、上記2本が光ってます。大活躍の1年でした。

【新人賞】
   [中村蒼     ] (「ひゃくはち」)
【コメント】次点は「片腕マシンガール」の八代みなせ。

【音楽賞】
  「おくりびと  」
【コメント】本木が弾くチェロの響きがなんとも心地よい。久石譲さんは今年は他にも「崖の上のポニョ」、「私は貝になりたい」と、大活躍でした。

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【勝手に○×賞】
   [VFX賞 ] (「K-20 怪人二十面相・伝」)
  「白組      」
【コメント】「ALWAYS 三丁目の夕日」の白組によるVFXがいつもながら秀逸。冒頭の帝都俯瞰は、「ALWAYS」の山崎貴が手掛けたそうだ。既視感があるのはその為か。

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2008年12月21日 (日)

「K-20 怪人二十面相・伝」

K20(2008年・ROBOT=日テレ=東宝/監督:佐藤 嗣麻子)

おなじみ、江戸川乱歩原作の、怪人二十面相VS名探偵・明智小五郎の物語を下敷に、北村想がまったく新しい発想で書いた「怪人二十面相・伝」を原作とし、さらに映画として別のお話に仕立て上げた、奇想天外冒険ファンタジーの快作(うーん、ややこしい(笑))。

時は1949年、舞台は第二次世界大戦が起きなかったもう一つの世界における架空都市「帝都」。19世紀から続く華族制度により、極端な格差社会となっていたこの都市で、富裕層の美術品や骨董品を巧妙に盗む怪盗・二十面相が世間を騒がせていた。そんな時、サーカスの曲芸師・遠藤平吉(金城武)は二十面相の罠に落ち、投獄されてしまうが…

まず冒頭から描かれる、帝都のビジュアルが素晴らしい。巨大飛行船の腹から小型ヘリコプターが飛び出し(「スター・ウォーズ」の冒頭を思い起こさせる)、街の上空を飛行しながら、レトロさと、富裕さと貧困スラムが歪に共存した帝都の様子をワンショットで紹介するのだが、「ALWAYS 三丁目の夕日」(本作と同じROBOT製作)の白組が担当したVFX(山崎貴も脚本とVFXに協力)がやはり見事。
この掴みは、「ALWAYS-」の冒頭で、模型プロペラ飛行機の移動と共に、半完成の東京タワーがそびえ立つ東京の町並みをワンショットで紹介したサプライズ・ショットのおさらいである(従って、東京タワーに少し似た巨大テレビ塔がそびえ立ち、ラストにはオート三輪もさりげなく登場するのである)。

この、独特の世界観をドン!と描いた事によって、観客は一気に架空のパラレル・ワールドに引き込まれるのである。従って、後はどんな奇想天外、ありえない物語が展開しようとノープロブレム、気楽に華麗なアクション、ミステリアスで幻想的な異世界の冒険大活劇を堪能すれば良いのである。

洋画の世界ではこれまでにもあったスケール感溢れる展開だが、日本映画では珍しい。いや、少なくとも実写映画では初めてではないか(これについては後述)。

 
実は、観る前には、製作が「少林少女」でミソをつけたROBOT(悪い事にあれの仲村トオルも出ている(笑))、監督が女性の佐藤嗣麻子という事で、不安感が一杯だった。佐藤監督は「エコエコアザラク」(95)がちょっと面白かった程度で、脚本を担当した「アンフェア The Movie」もつまらなかった上に、娯楽活劇は未知数だったし…。

ところが、映画は観てみないと分からない。これは予想外の拾い物である。「少林少女」の汚名を少しは挽回したか。佐藤監督、お見逸れしました。

物語は、前半はやや物足りないが、後半、平吉が脱走し、本職は泥棒でからくり師の源治(國村隼)と組んで逆襲を開始する辺りから映画は俄然面白くなる。源治の存在は、007における新兵器調達係Qみたいなもので、そう考えれば空中を自在に飛び回れるワイヤ・マシンはP・ブロズナン主演の“007シリーズ”のどれかに登場してた気もする。

羽柴財閥の令嬢・葉子(松たか子)が二十面相に追われている所を平吉が助け、そこから、世間知らずだった葉子が、貧困が蔓延する社会の底辺の状況を知り、ラストにおいてこの世界を変えて行く意思を示す、彼女の成長物語にもなっている展開も悪くない。

この羽柴財閥が作り上げた、世界を支配する事も出来る、リモート電磁波発信装置(で合ってるかな?)を二十面相が狙い、ラストは超高層ビル屋上での大決闘、ビル崩壊、平吉の転落と間一髪の空中救出劇…と、お約束ながら手に汗握る矢継ぎ早のアクションと、平吉と葉子のストイックなラブ・シーンまで、上質のハリウッド製アメコミ・アクション映画(バットマン、スパイダーマン等)を観たような満足感を覚えた。

ネタバレになるので書かないが、ラストのサプライズもアッと驚いた。これから観る方は、なるべく情報を仕入れず、白紙の状態で観る事をお奨めする。

一部の乱歩ファンから、二十面相や明智小五郎のキャラクターが、乱歩の原作と異なる点について批判が出ているようだが、これはお門違いである。
キャラクターこそ借りてはいるが、舞台はパラレル・ワールドの異世界である。北村想の原作を元にした、乱歩が書いたのとは違う世界の物語である。日本という国が、まったく違う様相を呈している以上、二十面相も明智も、元の世界と同一キャラではあり得ないのである。むしろ、乱歩の原作で観客が二十面相や明智のキャラを熟知しているからこそ、ラストの種明かしがサプライズとなって楽しめるのである。

(以下、ネタバレにつき隠します。未見の方は要注意)
平吉が、貧しい人を救う為に、(警察から見れば悪人である)二十面相を襲名しようと決意するくだりは、「ダークナイト」におけるブルース・ウェインの決意を彷彿とさせるし、明智が本当は悪人だった事を知らない小林少年が、明智の敵討ちの為、二十面相に復讐心を燃やす辺りは「スパイダーマン」シリーズとよく似ている。
ちなみに、北村想の原作はパート2もあり、こちらでは二十面相を明智の仇とする小林少年が2代目明智小五郎を襲名し、二十面相を襲名した平吉と対決する。本作もヒットしたなら、是非このパート2に基づき、続編を作って欲しい。

↑ ネタバレここまで

 
この映画と似た作品を探すなら、それはジャパニメーション(日本製アニメ)の世界である。例を挙げれば、宮崎駿の「天空の城ラピュタ」と、大友克洋の「スチーム・ボーイ」だろう。レトロさと近代が融合した独特の世界観、世界を滅ぼす驚異の科学兵器の争奪戦…など、本作との共通点が幾つか見つけられる。

…そう考えれば、本作には他にもいくつか、宮崎アニメとの共通点を発見する事が出来る(またか、と言わないでください(笑)。詳細は例によって末尾の“お楽しみ”コーナーを参照)。

宮崎駿や大友克洋の傑作アニメ群が登場した20数年前、私は、“こうしたファンタスティックな冒険活劇が、実写映画として日本に登場するのはいつの日だろうか”ずっと思っていた。だが、“金がかかり過ぎる”,“貧乏くさい陰々滅々とした映画しか作れない日本では到底無理”などと言われ続け、私も半ばあきらめていた。

それだけに、本作の登場は事のほか嬉しい。ようやく、日本的な、ジメジメ、ベタベタした世界から脱却した、カラッと明るい、壮大なスケールと世界観を持った陽性の純エンタティメントが生まれるようになったわけである。脚本も担当した、佐藤監督の大健闘も大いに称えたい。アッパレである。

この正月は、奇しくも数字対決となった、旧来のウェットでかったるいベタベタ人情劇「252-生存者あり-」よりは、是非明るいエンタティンメントの快作「K-20」を観る事を強くお奨めする。…これがヒットしなかったら、大げさかも知れないが、また日本の冒険ファンタジーの発展が遅れる事にもなりかねないからである。ヒットを祈りたい。    (採点=★★★★☆

(付記)
世界観や、帝都のビジュアルがなんとなく、「帝都物語」(監督:実相寺昭雄)と似てるなあ、と思ったら、その「帝都物語」で、怪人・加藤保憲を怪演した嶋田久作がワンカット、ゲスト出演していたのにはニンマリした。こういうお遊びも洋画ではよくあるが、日本映画では珍しい。やってくれますねぇ。

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(さて、お楽しみはココからだ)
多少ネタバレになるかも知れないので、未見の方は読まないでください

この映画、多分宮崎駿の傑作大活劇「ルパン三世/カリオストロの城」からかなり頂いているのは間違いない。

まず、白無垢衣装のお嬢様が二十面相に追われ、逃げている所を平吉に助けられるくだり。「ルパン-」の冒頭、クラリスが花嫁衣裳で逃げている所をルパンに助けられるシーンからのいただきである。

ご丁寧にも、その後追っ手から逃れる為、ワイヤーで葉子を抱いてぶら下がったが、ワイヤーがはずれ、二人とも「ありゃー」と転落するシーン、「ルパン-」でも崖にぶら下がった後でそっくり同じシーンが登場する。

葉子が持つ、秘密のキーボックスをはめ込むと、からくり仕掛けの塔が動いて秘密のメカニズムが顔を覗かせるくだりも、「ルパン-」のクライマックス、クラリスの持つ指輪をはめ込むと時計塔のからくり仕掛けが動くシークェンスに呼応しているし、その後塔が崩壊するのも同じ。

「ルパン-」のラスト、ルパンがクラリスを抱こうと、手を背中に回そうとしてグッと思い止まる有名なシーン、本作のラストでは、それを裏返したパターンが登場しているのも楽しい。

そもそも、“お宝を盗む大泥棒で変装の名人”という二十面相のキャラクター自体が、「ルパン三世」のキャラとそっくりかぶっているのである。

また、塔屋に現れる巨大なエネルギー発射装置は、宮崎の「未来少年コナン」の、インダストリアの太陽塔塔屋に現れる、太陽エネルギー発射装置にヒントを得ているのかも知れないし、葉子が小型ヘリコプターで間一髪平吉を救助するクライマックスは、「天空の城ラピュタ」における、パズーがフラップターでシータを救出するシークェンスへのオマージュのようでもある。

…といった具合に、宮崎アニメとの類似点がいくつか散見されるのは、究極のところ、宮崎駿が、我が国における、壮大なイマジネーションに満ち、独自の世界観が構築された冒険大活劇の元祖である、という点にまとめられるからに他ならない。だからこそ、海外でも多くの冒険活劇に、宮崎作品へのオマージュが見られるわけなのである。

しかし、そろそろ、宮崎駿を乗り越えて、実写作品に、オリジナリティ溢れる冒険活劇を作れる作家が登場しないものだろうか。いつまで経っても宮崎オマージュでは、活劇ファンとしては困るのである。
佐藤監督には、本作をステップとして、さらなる飛躍を、オリジナリティに満ちた冒険活劇の秀作を期待したい。

ノベライズ
サントラCD
 
原作(北村想)
 
原作・パートⅡ

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2008年12月18日 (木)

「252 -生存者あり-」

252 (2008年・ワーナー/監督:水田 伸生)

巨大台風に襲われた東京で、娘と共に地下に閉じ込められた、元ハイパーレスキュー隊員の篠原祐司(伊藤英明)と、夫と娘の身を案じるその妻を中心に、彼らの救出に全力を注ぐ祐司の兄静馬(内野聖陽)たちハイパーレスキュー隊の活躍を描くパニック・スペクタクル。

 
CG技術が発達したおかげで、我が国でもリアルで迫力のあるVFX映像が作られ、少なくともパニック・スペクタクル・シーンについてはハリウッド作品と比べても遜色ない映画が作られるようになった。その点は喜ばしい事である。

だが、ドラマ作り、物語展開に関しては、まだまだお寒い限りだ。突っ込みどころ満載である。

まあ突っ込みどころについては、他所でもいろいろ書かれているので、ここではいちいち挙げない。

しかし、一番問題なのは、VFXによる災害シーンと、閉じ込められた主人公たちの描写とが根本的にミスマッチな点である。

高潮でお台場は完全水没、銀座、新橋にも高波が押し寄せる絵を見てると、あれじゃどう考えても新橋は床上浸水、―従って地下は完全に水没したとしか思えない(地下鉄の車輌が濁流で冠水してるし)。

が、その後、地下の水がきれいに引いてるのはおかしい。あれだけ大量の水が、しかも地下2階からそんなに早くは引かない。海抜も低いはず。濁流に押し流された祐司がどうやって助かったかの描写も無い。

さらに、逃げ込んだ旧新橋駅にはまったく水が来ていない。しかもガイドブックによると、そこは地下3階なんだと。ここは完全防水か?(笑)

他にも、地震ならともかく、出水程度なら、地上に出る出口なんか、探せばいくらでもあるだろうに…とか、ラストでも暴風でなんで地盤崩落が発生するのか、と疑問だらけ。

考えられるのは、最初の企画では、大地震の発生と、それによって閉じ込められた人々の救出―というお話だったのでは。 (後述、付記1参照)
それが途中で、地震よりも大洪水の方が絵になる台風の方がタイムリミット・サスペンスにもなる…という安直な発想で設定が強引に変更されたのではないか。

<ついでに、「ポセイドン・アドベンチャー」も入れてみよう>、<「バックドラフト」の兄弟愛も入れてみては><子供も入れて泣かせの要素も追加しとこう>…てな調子で、あれもこれもと詰め込んだ結果が、辻褄無視、継ぎはぎだらけ、感動押し売りの支離滅裂超大作一丁あがり…というわけである。

ラストで、祐司が地底からピンピンして昔の相棒肩にかついでよっこらしょ…と現れた時にや、感動どころか失笑ものであった。洪水で流されても助かってるし…、こいつはスーパーマンか、と突っ込んでしまった。

突っ込みついでに、祐司が2、5、2回と数字を決めてガンガン叩くように指示してるが、別にそんなサイン決めなくても、とにかく何でもガンガン叩けば、生存者がいるの分かるだろうが(ウーム、突っ込まないと言いながら結構突っ込んじゃったな(笑))。

 
せっかく日本映画にも観客が増えて来ているというのに、企画の安直さ、人物設定のラフさ、脚本のグチャグチャぶり、加えて相変わらずの、ドラマのテンポを著しく削ぐベタベタの泣かせ所満載(18分のタイムリミットにも、まるで緊迫感ないし。「海猿-LIMIT OF LOVE」の失敗をまた繰り返している)…と、昨今のワースト映画のパターンがこれほど網羅された作品も珍しい。

その脚本は誰か…と見たら、「海猿(1・2)」の小森陽一と、これもディザスター・ムービーの大駄作「ドラゴンヘッド」の斉藤ひろし。駄作になるのは当たり前か。こういう出来損ないの脚本を書く奴になんで仕事が回って来るのだろう。よほど人材不足なのか。

 
ディザスター・ムービーと言えば、かつて東宝で作られた「日本沈没」(監督:森谷司郎)を思い出す(草彅と柴咲の方じゃないよ)。

日本が沈没する…という荒唐無稽なお話ながら、東大教授をアドバイザーに招き、大御所・橋本忍に脚本を依頼したおかげで、お話に無理がなく、実に壮大で感動的な名作となった。やはりいい脚本からはいい作品が生まれる。それともう一つ、プロデューサーの力量(言わずと知れた「ゴジラ」の田中友幸)による所も大きい。

 
テレビ局が映画製作を行うのが悪いとは言わない。が、こういう、ちょっと見直せば分かるような欠陥が、大勢の人間が携わっているにも係らず素通りしてしまうシステムは、やはり見直す必要があるのではないか。あえて厳しい採点をさせていただく事とする。    (採点=)  

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(付記1)

後でヤフー・ムービーの解説を見たら、新潟中越地震の、トンネル崩落事故の奇跡の救出劇をベースにした”とあった。やっぱりね。

(付記2)
東宝のディザスター・ムービーと言えばもう1本、「地震列島」(80・監督:大森健次郎)というのがあった。製作・SFXは「日本沈没」と同じ、田中友幸・中野昭慶。

こちらも、未曾有の大地震が東京を襲い、主人公は地下鉄構内に閉じ込められ、東京湾の海水が流れ込んで溺れ死ぬ…と、本作とソックリなシーンがある。こちらの作品をヒントにしたのかな。
で、本作を大地震という設定にしたら、あんまり似てしまうので台風に設定を変えた…というのは深読み過ぎ?(笑)

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2008年12月14日 (日)

「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」

Shinealight3 (2008年・パラマウント・クラシックス/監督:マーティン・スコセッシ)

平均年齢64歳!になるロックの王者、ザ・ローリング・ストーンズのライブ・コンサートの模様を、名匠マーティン・スコセッシが監督したドキュメンタリーの快作。

ローリング・ストーンズは、ビートルズとほぼ同じ頃デビューした、イギリスのロック・グループ。ビートルズの大ヒットのおかげで雨後のタケノコのように登場したイギリス・ロック・グループの中でも息の長いキャリアを持ち、実力・人気ともビートルズと並び称される伝説的なグループである。

だがその後の歩みは、ビートルズとはいろんな点で対照的である。

ビートルズは、最初の頃は甘いメロディ、美しいハーモニーで、若いファンの熱狂的支持を集めた、いわゆるアイドル・グループである。ファッションもカラフルで、時代の尖端をリードした。

それに対してローリング・ストーンズは、ファッションにこだわらず、服装も髪型もいつもラフな格好(ジーンズなど)、失礼だが顔もブサイク(笑)、そして音楽は黒人R&Bをベースに、荒削りでワイルドである。

ビートルズが、アルバムを発表する度に音楽レベルを格段に向上させ、今では教科書に載るくらいの名曲「イエスタデイ」や、芸術的とも言える「サージェント・ペパーズ・ロンリーハート・クラブ・バンド」などのアルバムを発表し、やがてメンバーそれぞれの個性が衝突して軋轢を生み、グループを解散せざるを得なくなった…のに対し、
ローリング・ストーンズは、何年経っても、音楽的にほとんど変わらない。悪く言えば進歩がない(褒めてるつもり)。永遠のロック・バカである。

デビューして、もう45年!にもなるのに、いまだに現役で、昔のままのスタイルで精力的にコンサートを行っている。

変わらない…からこそ、'60~70年代に活躍した多くのバンドが解散した中で、おそらくはただ1グループだけ、解散せずに現在まで生き残って来れたのだろう。

 
本作を見れば分かるが、驚くなかれ、リード・ボーカルのミック・ジャガーは、顔のシワこそ増えてはいるが、体型も、歌唱力も、パフォーマンスも、まったく昔と変わっていない。他のメンバーも同じだ。

パワフルに歌い、飛び跳ね、舞台狭しと動き回る姿は、遠くから見れば若い時そのまま。とても63歳(撮影当時)には見えない。
それどころか、Tシャツにジーンズ、時たまヘソまで見せながら歌う姿は若い人よりもセクシーだ(笑)。

Shinealight2 親子ほど歳が違う、若いクリスティーナ・アギレラとのセッションでは、ピッタリ寄り添った腰の動きもセクシー。歳の差を感じさせない、ギンギンのパワーに満ち溢れている。

 
私は、正直に言うと根っからのビートルズ・ファン。なのでローリング・ストーンズは、も一つ熱心には聴いて来なかった(アルバムは数枚持ってはいるが)。

しかし、本作を観て考えが変わった。感動した!特にミック・ジャガー、見直した。あんたは凄い。

ドラムのチャーリー・ワッツが、演奏が終わると、フウとため息をついたり、キース・リチャーズに至っては、最後の曲が終わると床にへたり込んだり、さすがに歳を感じさせたが、ミックなんか、あれだけ激しく動き回り、メンバーで一番体力を消耗してるはずなのに、まるで疲れを見せていない。日頃から鍛錬して体を鍛えているのだろうが、なかなか出来ない事である。いつまでも、その意欲を持続させ、腰が立たなくなるまで、歌い続けて欲しい。

 
マーティン・スコセッシの演出は、18台のカメラを使い、いろんな角度から彼らのパワフルな熱演ぶりを余すところなく捕らえる事に成功している。また合間には過去の、若い頃のインタビュー映像を挟み、長い年月、歌い続けて来た事を観客に改めて認識させている。

冒頭、ストーンズがセット・リストをなかなかスコセッシに渡さず、スコセッシが苛立つシーンもさりげなく挟み、少しでもカメラに邪魔されず、最高の舞台を見せようとするストーンズ側と、こちらは少しでもいい映像を捉えようとするスコセッシ側との、まさに芸術家同士の火花を散らす格闘ぶりも感じさせ、出だしから俄然テンションの高まりを見せる辺りも面白い。

Shinealight1_2 だが、なんと言っても素敵なのは、“60歳を超えようが、自分がやりたい事を真摯にやり遂げようとする意欲があれば、年齢など関係ないのだ”という事実を、身をもって示してくれた“永遠の不良少年”ストーンズたちの姿である。

これには感動した。目頭が熱くなった。“年金が貰えるようになったらノンビリしよう”などと思っている人(私も含めて)は、大いに反省すべきだろう。

ローリング・ストーンズ・ファンは無論のこと、ビートルズ世代、ロック・ファンの方も必見。いや、音楽ファンのみならず、厳しい社会環境に元気を失いかけている中高年の方や、還暦を越えて、何をしていいか分からなくなっている世代の方々にもお奨めである。きっと、もう少し頑張ってみようという勇気が沸いて来る事だろう。DVDが出たら、宝物にしたい、そして元気を失いかけた時に観直せば、元気を取り戻す妙薬にもなるであろう、これはそんな素敵な作品なのである。      (採点=★★★★★

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サウンド・トラックCD

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2008年12月 7日 (日)

「WALL・E / ウォーリー」

Walle(2008年・ピクサー=ディズニー/監督:アンドリュー・スタントン)

3DCGアニメの草分けである、ピクサー社製作アニメの最新作は、初めてのSF。監督は「ファインディング・ニモ」のアンドリュー・スタントン。

22世紀に、地球はゴミに溢れて住めなくなり、人類は地球を捨てて遥か宇宙に逃れた。
それから700年。ゴミ処理ロボットのWALL.E(ウォーリー)は、たった一人、ゴミの山を整理し続けていた。そんなある日、宇宙船がやって来て、真っ白い、イヴと呼ばれるロボットを残して去った。ウォーリーはイヴと仲良くなろうとするが、再びやって来た宇宙船にイヴは連れ去られる。ウォーリーはイブを取り戻そうと、宇宙船に摑まって…。

前半は、一人黙々とゴミ処理を行うウォーリーの日常を描く。この辺りの描写は、ますます精緻になったCGのおかげで、まるで実写のように見える(昨年の「アイ・アム・レジェンド」の冒頭を思わせる)。
ゴミの中からいろんなお気に入りの小物を見つけてコレクションしたり、「ハロー・ドーリー」のビデオを見たり、たった一匹の生き物であるゴキブリ君を友達にしたり…といった日常を送るうちに、ウォーリーには人間のような感情が生まれて来る。特に「ハロー・ドーリー」の中で、男女が手をつなぎ合って歌うシーンを見て、ウォーリーがいつの日か、手をつなぎ合う相手と出会える事を待ち望んでいる気持ちが観客にも伝わって来る。

後半は、宇宙船に連れ去られたイヴを追っての、ウォーリーの大冒険物語となるのだが、考えればピクサー作品は、「トイ・ストーリー」から「ファインディング・ニモ」に至るまで、“連れ去られた仲間(家族)を捜し求める大冒険の旅”というパターンが多い事に気が付く。

この後半は、いつもながらの追って、逃げて、捕まって、また逃げて…というアクションのつるべ打ちで楽しませてくれるが、今回はいつもの、“友情(または家族愛)と勇気と冒険”だけでなく、“環境汚染が進む地球への警鐘”という、珍しいエコロジー・テーマも含まれており、そういう意味では、大人の観客にも是非観て欲しい作品になっている。700年後の人類が、体がすっかり退化して全員メタボになっているのは痛烈な風刺である。

最初はとっつきにくかったイヴが、次第にウォーリーに好意を寄せて行くプロセスも違和感がない。特に、旧式の消火器を使った、二人の空中ランデブー・シーンは、ディズニー・アニメ「ピーター・パン」のピーターとウェンディの空中遊泳を思い起こさせ、ウットリさせられる。―そう考えれば、消火器の白い飛沫は、ティンカーベルの金粉を連想させてもくれるし…。
アニメ映画史に残る名シーンと言えるのではないか。

全体としては、ウォーリーとイヴとの、男女の純愛物語にもなっている。ピクサー作品としては初のパターンである。今後のピクサー作品の展開が楽しみでもある。

 
で、コアな映画ファンにとっては、いろんなSF映画に対するオマージュを見つける楽しみもある。ウォーリーの造形は「ショート・サーキット」のジョニー・5を思わせるし、ロボットとエコロジーでは、ダグラス・トランブル監督の秀作「サイレント・ランニング」との共通項も見出せる。イヴとウォーリーを乗せた宇宙船が巨大宇宙船の中に吸い込まれるように着陸するくだりは、「スター・ウォーズ」を思わせる。

そして何といっても、赤い目玉のスーパー・コンピュータが人間を制御しようとする展開は「2001年宇宙の旅」。ご丁寧に艦長がコンピュータに立ち向かうシーンではR・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」が盛大に流れる。

もう一つ、気付いたのは、ニック・パークのアニメ「ウォレスとグルミット」の1編「チーズ・ホリデー」。手製のロケットで月に行ったウォレスたちが月面で出会うのが、たった一人で暮らすロボット。本作で、地球を飛び立った宇宙船が月面すれすれに飛び、アメリカ国旗とアポロ宇宙船の残骸をチラリと見せるのは、あの作品に対するオマージュの意味があるのかも知れない。

 
そんなわけで、これはアニメ・ファンのみならず、映画ファンなら余計楽しい快作である。無論、可愛らしいウォーリーの活躍が楽しいので、子供が観ても十分楽しめるし、家族でゴミ問題や環境汚染についていろいろ話し合ってもいい。万人にお奨め出来る、愛と、勇気と、冒険の、これは素敵な秀作である。必見。     (採点=★★★★☆

(付記) 
ただ、あんまり突っ込んではいけないのだが、科学考証的に見ればおかしな所がいくつかある。(先に知ると面白くないので、未見の方は、以下は読まないように

まず、VHSビデオテープは数十年で劣化するので、800年後に再生出来るはずはない。て言うか、あの環境じゃ酸化してコナゴナになってるはず。

宇宙空間にいる宇宙船内は、「2001年-」のように回転して遠心力をつけない限り無重力のはずで、普通に重力があるのもおかしい。
それを言うと、「スター・ウォーズ」「エイリアン」も、テレビの「スター・トレック」も、無重力空間の宇宙で普通に歩いているのはすべておかしいのだが(笑)…。

まあそのくらいなら許せる範囲だが、クライマックスでのコンピュータとの戦いで宇宙船が傾くと…
なんと人間たちが、「タイタニック」よろしく斜面をゴロゴロとすべり落ちだす…。
まるで地球上まんまである(笑)。いったいこの引力は、どこから発生してるんでしょうか(笑)。

骨が退化して、まともに歩けないはずのメタボ人類が、地球に到着すると、普通に歩いてるし…。

…と、突っ込んじゃ、やっぱりいけないんでしょうね(笑)。SFではなく、冒険ファンタジーと割り切って観るべきでしょう。

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(さて、久しぶりに、お楽しみはココからだ)
SF映画へのオマージュ以外に、この作品にはもう一つ、ある作家へのオマージュが見受けられる。

その作家とは、宮崎駿である。

ウォーリーを男の子、イヴを女の子…とみなせば、“はるか未来、人類がいなくなった地上で、たった一人で暮らす男(の子)の元に、ある日女の子が現れる。やがて女の子は宇宙船で連れ去られ、彼女を助けるべく、男は宇宙船に飛び移り…”と言う展開、宇宙船を飛行艇に置き換えれば、宮崎の出世作「未来少年コナン」の出だしとそっくりである(コナンはおじいと暮らしている違いはあるが)。

そもそも、“さらわれた女の子を助ける為の、男の子の大冒険”というシチュエーションは、「ルパン三世/カリオストロの城」、「コナン」、「天空の城ラピュタ」など、宮崎アニメの定番とも言えるのである。

本作では、役に立たず閉じ込められていたロボットたちが脱走し、反乱を起こすくだりがあるが、これも「-コナン」の、地下に閉じ込められていた囚人たちの反乱と呼応している。

もう1作、「風の谷のナウシカ」との類似性がある。ご承知の通り、この作品は未来世界における環境汚染とエコロジーが重要なテーマになっている。

ナウシカは、一人森に入っては、植物や胞子を採取し、自分の部屋に蒐集しているが、ウォーリーも拾った小物をコレクションしており、そのうちの採取した植物が重要なキーとなる。

ディズニーのスタッフには熱狂的な宮崎駿ファンがいるというのは有名な話だが、ピクサーのスタッフにも宮崎ファンがいるのは間違いないだろう。
そう考えるなら、宇宙船外でのウォーリーとイヴとの空中飛行も、宮崎作品「千と千尋の神隠し」におけるラスト間際の、千尋とハクとの幸福そうな空中飛行シーンを想起させる。“少年と少女の空中飛行”もまた、宮崎アニメの定番である(「ラピュタ」など)。

 
ついでに日本アニメ作家つながりで、もう一人の天才、手塚治虫の秀作「火の鳥」に対するオマージュも見受けられる。

「未来編」の話は、遥かな未来、人類が住めなくなった地球で、たった一人生き残った男(山之辺マサト)が、何百年もの間孤独に耐え、黙々と同じ作業を続ける…というもので、本作の展開とそっくりだし、「復活編」の主人公レオナは、ロボットの少女に恋心を抱くという話。なおレオナの記憶はロボット、ロビタに受け継がれる。ロビタもまたたった一人、生き残ってしまうのである。

手塚もまた、地球の未来と環境汚染問題に熱心な作家である。宮崎駿と手塚治虫、両作家の作品が、本作に影響を与えている…と見るのは自然ではないかと思われるが、いかがだろうか。 

 

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2008年12月 2日 (火)

「私は貝になりたい」

Watasihakaini (2008年・東宝=TBS/監督:福澤 克雄)

1958年、テレビ黎明期の同名秀作ドラマ(演出:岡本愛彦)の、2度目の劇場版リメイク。同作の脚本を手掛けた橋本忍が、50年ぶりに自らリライトを行った。

橋本忍と言えば、私たちの世代にとっては畏敬の念を禁じ得ない、雲の上の人のような存在である。

デビュー作がいきなり、ヴェネチア映画祭グランプリを獲得した「羅生門」。以後、黒澤明のよき片腕として「生きる」「七人の侍」「蜘蛛巣城」、「隠し砦の三悪人」等のメイン脚本家として活躍し、その他では、「真昼の暗黒」「白い巨塔」「上意討ち-拝領妻始末」がいずれもキネマ旬報ベストワンを獲得。「生きる」を含めればベストワン4回!さらに「切腹」「日本のいちばん長い日」「風林火山」「日本沈没」「八甲田山」、松本清張原作「黒い画集-あるサラリーマンの証言」「張込み」「影の車」「砂の器」…とまあ、どれも映画史に残る傑作揃い。

ある意味、戦後の日本映画史そのものといった存在で、しかも90歳になる今も現役で、本作の脚本も手掛けているのがまた凄い。

(それにしても、96歳で健在の新藤兼人、106歳まで長生きした「座頭市物語」等の犬塚稔といい、シナリオ・ライターは監督よりうんと長命であるようだ(笑)。現に、上記に挙げた作品の監督は全員、今はこの世にいない)。

さて、岡本愛彦演出のテレビ版は、当時大変な反響を呼び、その勢いで翌'59年には、橋本忍自身の監督第1回作品として映画化もされた。

そんな思い入れの深い作品のリメイクにあたって、自作を直さないという橋本が、今回は大幅な書き直しを行い、いくつかのエピソードが追加され、岡本版(90分)よりもなんと50分も時間が長くなっている。

オリジナルは昔見て、うろ覚えだが、本作に追加されているのは、
①主人公豊松(中居正広)が妻房枝(仲間由紀恵)と出会い、旅の末に高知の今の町で理髪店を開業するまでの回想
②面会に来た妻子との金網越の触れ合い(赤ん坊の指にキスするシーンが印象的)
③房江が除名嘆願書の署名を集める為、赤ん坊を背負い、方々を歩き回るシーン  …あたりではないか。
その他、矢野中将が、処刑の際に言い残す言葉も長くなっているようだ。

特に①と③にはかなりの時間が割かれている。

この2つのシークェンスについては、いずれも日本各地でロケされ、中でも①では海を望む岬の風景、③では紅葉の山々や、雪深い村などの大自然の風景…が丹念に描かれ、私などはつい、橋本プロ作品(橋本忍脚本)「砂の器」「八甲田山」等を連想してしまった。そう言えば、監督の福澤克雄はテレビ版「砂の器」の演出(なんと主演も中居正広)を手掛けていたのも奇しき因縁か。

観る前は、主演の二人がどうも軽い印象で、少々心配だったのだが、思った以上に良い出来で、特に中居が鬼気迫る迫真の演技。仲間由紀恵も夫を愛する妻役を好演。ロケが効果的で、雄大な自然の中における、人間というちっぽけな存在の悲しさがよく表現されていた。

豊松の、妻や、我が子に対する深い愛、妻の献身的な愛情…もよく描かれている。

その、家族の幸福を無残にも奪い去ってしまう、戦争の理不尽さが浮かび上がる。福澤克雄の演出も、これが劇場第1作とは思えないくらい、堂々たる“映画”になっている。

その点では、よく出来た作品になっている…と言えるだろう。

 

…だが、観終わって、引っ掛かりを感じた事がある。

それは、題名の持つ意味である。

黒澤明は、橋本が監督した劇場版の脚本について、「橋本よ、これじゃあ貝にはなれねぇんじゃないかな」と批判したそうだ。

橋本は、この言葉がずっと心に残っていたと言い、それが前述のような、大幅なリライトに繋がった事はよく分かる。

だが、それが、黒澤の批判に対する答えになっていただろうか。

豊松は処刑に際し、次の遺書を残した。「今度生まれ変わるなら、人間になんかなりたくない。牛か馬か。いやそれでも人間にひどい目にあわされる。いっそ、深い海の底の貝にでも…。貝だったら、兵隊にとられることもない。戦争もない。房江や、健一や直子の事を心配することもない。どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい……」

この遺書から感じられるのは、深い人間不信である。すべての人間が信じられない、人間とは付き合いたくない…という底知れぬ絶望を感じたとしか思えない。「房江や、健一や直子の事を心配することもない」に至っては、家族の絆すら放棄したいと言っているのである。

これほどの思いに至るなら、豊松は、信用していた、あらゆる人間から裏切られたか、冷たい仕打ちを受けたか、いずれにせよ、人間嫌いに陥った事になる。

だが、ドラマでは豊松は、軍隊では痛めつけられ、裁判では死刑宣告されたものの、同房者には親切にされ、矢野中将(石坂浩二)とも心が打ち解けあい、看守のアメリカ兵にも優しくされ、そして何より、200人の助命嘆願書を集めてくれた妻・房江には感謝しても感謝しきれないほどの思いを感じた事だろう。
彼の事を心配してくれる村の人々も含め、この映画には、何だか善意の人ばかりが登場している。

私の受け止め方としては、裁判では理不尽な結果が出たであろうが、彼を支えてくれた多くの人々の善意や誠意を受け入れ、死に際しての遺書は、「房江や、健一や直子を愛している。お前たちの事は忘れない。自分を支えてくれた多くの人、とりわけ妻・房江の献身には深く感謝する」くらいの事を書いても良かったのではないか。「人間になりたくない、海の底の貝になりたい」という、人間不信に満ちた遺書とはどうしても繋がらないのである。

 
生きて行く事は厳しい。戦争はもっと過酷である。豊松は、内地での戦闘訓練だけで終戦を迎え、戦地には赴いていない。戦地に行けば、そこは地獄である。「野火」「軍旗はためく下に」等の作品に見るように、兵士は爆撃に怯え、飢餓に苛まれ、やがては手足をもがれ、のたうち、苦しみながら、家族を思い、死んで行ったのである。遺骨は今も遥か南方に残されたままの兵士も数多くいる。

…そうした地獄の中で死んで行った兵士たちに比べれば、とりあえずは戦後の数年間を家族と共に平和に生き、飢える事もなく、生き地獄を味わう事もなく、周囲の善意に包まれ、死んで行った豊松は、まだ幸福な方ではないか。
全ての人間を恨むのは、筋が違っているのではないだろうか。

黒澤明が、「これじゃあ貝にはなれない」と言ったのは、そうした、戦争の愚かしさに対する怒り、人間が歴史の上で犯した過ちに対する深い絶望感―が描けていない…という事ではなかったか、と思えるのである。
(思えば、黒澤は自作の「羅生門」「生きものの記録」「悪い奴ほどよく眠る」等で、人間不信、人間に対する絶望と怒り―を一貫して描いて来た作家である。奇しくも、すべて橋本忍との共作である)

橋本忍は、おそらくは優しすぎる作家なのだろう。「砂の器」では、原作では冷酷な殺人犯である和賀英良を、原作とはガラッと変えて、同情すべき人物にしてしまった事からもその事が覗える。

黒澤の指摘に答えるべく、追加した部分は、人の善意と、妻の献身ぶりがより強調された、やや甘い内容となり、結果として余計黒澤の指摘から遠ざかった「貝になれない」作品になってしまったのだとしたら、皮肉な結果と言わざるを得ない(もっともこれらは私の独断で、黒澤の意図がどこにあったかは誰も判らない)。

と、やや厳しい意見になってしまったが、橋本忍が日本映画界に残した偉大な功績が色あせるわけでは、決してない事は強調しておきたい。    (採点=★★★★

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