「おくりびと」受賞で思うこと― ピンク映画出身である事を何故隠すのか
「おくりびと」がアカデミー外国語映画賞を受賞して、マスコミも映画館も大賑わいである。
暗い話題が多い最近では、大変明るいニュースであるし、古くからのファンである滝田洋二郎監督にも、心から祝福を送りたい。
…であるが、少々文句を言いたい事。
あまりテレビを見ている方ではないので、他ではどうだったか知らないが、TBSの「NEWS23」や「みのもんたの朝ズバッ!」等における、滝田監督の経歴紹介で、いずれも、学校卒業後、“映画製作会社に助監督として入社”の後、いきなり“'85年の「コミック雑誌なんかいらない!」で注目される”と飛んでいるのである。
その間、数多くのピンク映画を監督して来た事は、まるで無視されているのである。無論その映画製作会社が、ピンク映画プロダクションである事も伏せられている。
具体的に言うと、高校卒業後、'74年にピンク映画専門のプロダクション、獅子プロに入社、助監督として多くのピンク映画製作現場で修業の後、81年、「痴漢女教師」で監督デビュー。
以後、85年に「コミック雑誌なんかいらない!」(公開は86年2月)で一般映画(この呼び方も気に入らないが)に進出後も、'87年までの間に、ピンク映画25本、日活にてロマンポルノを2本監督している。
単にエロ映画を撮っていたというだけではない。厳しい条件下で映画作りのノウハウを学び、修業した、そのキャリアの積み重ねが、その後の一般映画で実を結んだ―という事なのである。
滝田監督だけではない、現在一線で活躍している映画作家の中に、ピンク映画を作っていた人が少なからずいるのである。
例を挙げると、
今や作る作品どれもベストワンの、日本を代表する作家・周防正行(デビュー作は小津映画のパロディ「変態家族 兄貴の嫁さん」)、
「光の雨」、「火火」に、今年は「禅 ZEN」で気を吐く高橋伴明(ピンク歴はその数約50本!)、
テレビ「相棒」シリーズが大人気で映画もヒットした和泉聖治(こちらもピンク映画を60本近く量産)、
「パッチギ!」でベストワンを獲得した井筒和幸も、デビュー作は「いくいくマイトガイ 性春の悶々」。
海外でも評価が高く、昨年は「トウキョウソナタ」が評判となった黒沢清も、「神田川淫乱戦争」等のピンク監督作がある。
その他、「感染列島」の瀬々敬久、「がんばっていきまっしょい」の磯村一路、変わった所では、「まんが日本昔ばなし」の文芸担当を経て「出張」、「1万年、後…。」などを監督した沖島勲もピンク出身である。
そうそう、今や映画解説者?のカントクこと山本晋也も無数のピンク映画を監督している(その数は180本を超える!)。「未亡人下宿」シリーズはコメディの傑作。
昨年は「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で話題を呼んだ若松孝二は、ピンク映画界の伝説的巨匠。'63年に「甘い罠」でデビュー後、夥しい数のピンク映画を量産。そればかりか、65年には若松プロを興し、高橋伴明や大和屋竺、足立正生、沖島勲等、多くの人材を育成した。
ざっとこんな所で、これに日活ロマンポルノ出身の金子修介、根岸吉太郎、中原俊…を加えたら、日本映画界の屋台骨を支えているのが、他ならぬこうしたピンク、ポルノ出身監督だという事になる。まさに人材の宝庫である。
だから、ピンク映画を撮って来た事は、誇っていいと思う。隠す事はない。
だが、世間には、いまだ厳然として(特定の職業、人種などにおいても)差別意識が残っている。
かつてロマンポルノがヒットしていた頃、巨匠・小林正樹監督は「ロマンポルノなんてものは、あれは映画じゃない」と言ったそうだ。
それを聞いた当時新進のシナリオ・ライター、桂千穂氏は「絶対小林監督を許さない」と激怒し、進んでロマンポルノの脚本を手掛けるようになった。そしていくつかの傑作ロマンポルノの脚本を残している。
また、ある高名な映画評論家氏は、ロマンポルノに主演した伊佐山ひろ子がキネマ旬報の主演女優賞を受賞した時、「ポルノ女優に主演賞を与えるような映画賞の選考委員は辞退する」と公言したそうである。
(高慢な評論家はいるもので、深作監督の「仁義なき戦い」がキネ旬でベスト2位に選ばれた時、ある評論家は「ヤクザ映画がベストワンにならなくて良かった」と真顔で言ったそうな)
そんな風潮がまだ残っているからこそ、日本の誇りとなった監督が、ピンク映画出身である事を隠そうとしているのだろう。
だから私は、滝田監督がピンクを撮っていた頃、地元に帰省した時、両親も含めて周囲の人がどんな反応を示したか興味がある。是非マスコミは取材して欲しい。
「おくりびと」の中で、広末涼子扮する妻が、「触らないで、汚らわしい!」と言うシーンがあるが、脚本にあるとは思うが、これは案外、滝田監督が若い頃、地元の彼女あたりにひょっとして「ピンク映画作ってるの?汚らわしい」と言われた経験があって、それが反映されているのでは…とふと思ってしまったのである。冗談ですが(笑)。
ともあれ、マスコミは、“ピンク映画こそが人材育成の場になっている”事をもっと取り上げてもいいのではないか。そこから、“人材育成の為には、日本映画の将来の為にはどうすればいいか”をみんなで考えるようになればいいと思っている。
さて、なぜピンク映画から人材が育つのかと言うと、簡単な事で、低予算(1本当り300~500万円と言われている)、タイトなスケジュールの中で苦労しながら、いかに観客を喜ばせる作品を作るか…という経験を経て、映画作りのノウハウを学んで行くからである。先輩監督からも教えられる事があるし、厳しい環境を経験すれば、精神的にもタフになる。場数を踏むほど、娯楽映画作りのコツもマスター出来るわけである。
これはピンクに限らず、例えば深作欣二、降旗康男、佐藤純弥等といった骨太エンタティンメントの秀作を手掛ける監督たちも、かつては厳しい環境の中で無数のB級アクション、ヤクザ映画を撮って来た…という経験が大いに役立っているのである。
外国においても、現在活躍しているフランシス・F・コッポラ、マーティン・スコセッシ、ジョナサン・デミ、ロン・ハワード、ジェームズ・キャメロン、ピーター・ボグダノヴィッチといった監督たちは、ことごとくB級映画の帝王と呼ばれたロジャー・コーマンの元で、低予算、ハードスケジュールでこき使われながら、映画作りを学んでいる。
…洋の東西を問わず、厳しい環境であるほど、人間は鍛えられ、成長するものである。
撮影所システムが機能していた昔は必ず、新人はそうやって数年間の下積みの助監督修業を経験し、うるさい監督にシゴかれ、一本立ちして行ったものである。
今はそういう修業の場がほとんどない。従って、娯楽映画作りの基本が出来ていないから、頭でっかち、少しも面白くない駄作、凡作が氾濫している。そのうち、ピンクやB級映画で育った前述のような職人監督がいなくなってしまったらどうなってしまうのか。…考えたらコワい事である。
これから映画監督を目指す若い人は、滝田監督の成功をならって、ピンク映画で修業してみてはどうか。いやむしろ、出来の悪い監督も、一度ピンク映画現場に放り込んでやればいい。鍛えられると思うよ。いやマジで(笑)。
滝田監督の、日活ロマンポルノ作品(後2本は獅子プロ製作・日活配給)
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (1)
最近のコメント