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2009年4月25日 (土)

「スラムドッグ$ミリオネア」

Slumdogmirioneir (2008年・イギリス/監督:ダニー・ボイル)

第81回アカデミー賞において、最優秀作品賞を含め8部門を制した、愛と涙と感動の話題作。

インド、ムンバイのスラム街に育った貧しい青年ジャマール(デーヴ・パテル)は、人気のクイズ番組に出演する。彼は出される問題を次々とクリア、遂に最高賞金額獲得へあと一問というところまで到達するが、無学の青年が正解を重ねるのは、不正を行っているのではないかと疑われ、ジャマールは警察に逮捕され厳しく尋問される。やがて彼は、その理由となった数奇な人生について語り始める。
ジャマール語る、驚くべき人生とは何か、そして果たして彼は最後の問題の正解に辿り着けるのだろうか…

みのもんたの司会で我が国でも有名な「クイズ・ミリオネア」が、実はイギリス発祥で、世界各地でも放送されているとは知らなかった。

この映画の素晴らしい点は、このスリリングなクイズ番組を舞台に、インドのスラムで育ち、過酷な人生を送りながらも、愛する少女・ラティカと再会する夢を追い求め、最後にクイズの正解と共に、その夢を実現するに至る、愛と夢と冒険と、サスペンスが絶妙に配されたエンタティンメントになっている点である。

構成としてうまいのが、冒頭でいきなりジャマールが警察に逮捕され、その尋問の経過(現在)と、彼が正解を重ねるクイズ番組の進行(中過去)と、尋問されるままにジャマールが語る、彼の子供時代からの人生の歩み(大過去)―の、3つの時間経過を巧みにオーバーラップさせ、観客を物語に引き込んで離さない脚本の見事さである。

この物語には、いくつものスリルとサスペンスが積み重ねられている。
①1問でも不正解だと、それまでに獲得した賞金がすべてパーになるクイズで、テレビを見ている聴衆のみならず、この映画の観客までもがハラハラドキドキ、固唾を飲んで見守るスリル感
②警察に逮捕されたジャマールが、クイズの放送時間までに戻れるだろうかというタイムリミット・サスペンス
③ギャングに囚われたラティカとジャマールは、果たして再会出来るのか…というサスペンス

これらのサスペンス描写に加えて、ジャマールの苦難の人生を描く事によって、何故彼が難しいクイズに正解出来たのか…という謎が次第に明らかになり、観客もそれにつれてジャマールに感情移入して行く事となる。それゆえ、ラストのクライマックスで観客の感情が一気に頂点に達するのである。うまい展開である。まさにエンタティンメントの王道である。

ラストには、最近のインド映画のお約束であるミュージカル・シーンがあり、これも楽しい。

 
脚本
を書いたのが、失業した男たちがストリップに夢を託すイギリス映画の快作「フル・モンティ」のサイモン・ビューフォイと聞いて納得した。貧しい者たちの、どん底からの逆襲と逆転勝利…という点において、両作のテーマは共通しているのである。

疾走感溢れるスラムの描写で、私はブラジル映画の快作「シティ・オブ・ゴッド」(フェルナンド・メイレレス監督)を思い出した。あちらも躍動感溢れるスラムの少年たちの物語であるし、少年の一人がギャングの仲間に入り、最後は凄惨な死に方をする…という展開も、本作における、ジャマールの兄サリームの悲しい最期、とよく似ている。

ただ、クイズの答が、たまたま彼の人生で記憶に残った事と一致していたから…というのはご都合主義に過ぎる。この点で引っかかる人もいるかも知れないが、これは実話というわけでなく、一つの夢のお伽話…として見るべきだろう。難点はあろうとも、それを帳消しにするパワフルな愛の冒険物語に心動かされ、感動出来ればいいのである。

苦難の人生を歩もうとも、どんなに絶望的な状況であろうとも、夢を追い求める事を忘れてはいけない。夢に向かって突き進めば、いつか夢は現実になる。―この映画は、その事を訴えているのである。

低予算でノースター、配給会社(ワーナー・インディペンデント)の撤退により、一時は劇場公開さえ危ぶまれたこの作品が、公開されるや幅広い支持を集め、ついに誰もが予期しなかったアカデミー賞まで獲得してしまった。その事自体が、まさに夢の実現に他ならない。苦難を乗り越えて、夢を実現したこの映画の製作者たちにも惜しみない拍手を送りたい。     (採点=★★★★☆

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(付記)
全編インドが舞台なのに、半分以上の場面で出演者が英語を喋っているのはやや不自然(製作国はイギリスである為か)だが、そのおかげでアカデミー作品賞にノミネートされたのは幸いである。全編外国語だと作品賞の資格がないからである。

もし全編ヒンドゥー語映画だったなら、この作品は外国語映画賞にノミネートされ、おそらくそっちでオスカーを受賞しただろう。

そうなったら、わが「おくりびと」も受賞を逃がしたかも知れない。…なにやら、不思議な運命の巡り会わせを感じざるを得ない。

奇しくも、この映画のコピーは、“運じゃなく、運命だった”である。

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2009年4月19日 (日)

「相棒シリーズ 鑑識・米沢守の事件簿」

Kanshikiyonezawa (2009年・東映/監督:長谷部 安春)

昨年大ヒットした「相棒 -劇場版-」のスピンオフ企画。シリーズのサブキャラクター・鑑識課の米沢守(六角精児)を主人公にして2匹目のドジョウを狙う。

 
テレビで長期人気ヒット・シリーズとなった「相棒」にあやかりたいのは分かるが、まとめると、2つの点で問題がある。

まず、スピンオフはいいとしても、鑑識の米沢は、スピンオフ・キャラクターとしては弱いのではないか。―サブキャラの中で人気が高いのは分かるが、それと主人公の資質とは別問題である。

スピンオフものがよく作られているが、そもそもスピンオフの基本原則は、“元の作品の中で、主人公に匹敵するか、あるいは主人公を食ってしまうくらいの強烈な個性を持っているキャラクターであること”ではないかと私は思う。

最近の例を挙げると、洋画では、「ハムナプトラ2/黄金のピラミッド」からスピンオフしたザ・ロック主演の「スコーピオン・キング」や、「バットマン」シリーズからのスピンオフ「キャット・ウーマン」が有名だし、日本では「デス・ノート」の副主人公・(エル)を主人公とした「L Change the WorLd」がある。

いずれも、副主人公ながら個性豊かで、Lなんか完全に主役の夜神月を食っていた。スピンオフ作品が登場したのも当然のような気がする(この点は「デス・ノート」公開時に作品評で指摘済)。

他にも、「踊る大捜査線」から「交渉人 真下正義」「容疑者 室井慎次」の2本のスピンオフが作られたが、主人公を食うほどのキャラではない。まあギリギリセーフといった所か。

そうした過去のスピンオフ・キャラクターに比べて、米沢守はいかにも線が細い(体は太いが(笑))。本編では毎回ほんの数カット登場するだけで、特に目立っているわけでもない。副主人公ですらなく、単なる脇役
こういうキャラクターを主人公にするのは、ちょっと無理があるのではないか。―これが第1の難点。

 
2番目に、映画にするなら、テレビとは違ったスケール感や、構成や骨組みのしっかりした作り、あるいは、豪華スターのゲスト共演等(テレビでも、往年の大女優・岸恵子がゲスト出演した回はさすがに風格があって堪能できた)…要するに1,800円の金を払っても損しなかったと感じる、中味の充実感が必要である。これが、タダで見るテレビと、足を運んで金を払う映画との違いである。

昨年の「相棒 -劇場版-」は、3万人が走る東京ビッグシティマラソンをクライマックスにしたり、派手な爆破シーンがある等、内容はともかく、映画らしいスケール感は出ていた。

本作は、そうした映画らしいスケール、緻密なストーリー展開もない。ゲスト俳優も市川染五郎程度では豪華とは言えない。

これでは、テレビの2時間スペシャル版並みだ。いや、テレビ・スペシャル版だってもっとマシな作品は多い。今年の元旦の、豪華客船を舞台としたスペシャル版の方が、本作よりずっとスケール感があって楽しめた。

お話の展開も、元妻が殺されたらしいとは言え、相原刑事(萩原聖人)の暴走にはイライラさせられるし、れっきとした犯罪である家宅侵入までやらかすのは行き過ぎ。それを止めずに、一緒に加担する米沢の行動も疑問。

で、ラストの解決も、偶然に頼り過ぎ(フェイントに引っかからなかったらアウトでしょう)。「相棒」シリーズのポイントである、杉下右京お得意の鋭い観察眼や見事な推理展開もなく、行き当たりばったり感が強いのはなんともガッカリである。せめて、米沢お得意の鑑識技術で動かぬ証拠を突きつけ、右京ばりに鮮やかに事件を解明したなら納得なのだが…。

「相棒」シリーズらしいのは、警察の天下り組織の税金無駄遣いぶりへの批判と、意外な犯人像くらいである。

まあ見どころを挙げるなら、米沢の知られざる私生活がいろいろ登場した点は楽しい。街頭ライブが趣味とは思わなかった。特にレパートリーに、高田渡の曲があったのにはニンマリ。自宅室内のおタクぶりも笑えた(これでは嫁さんに逃げられるなぁ(笑))。

そんなわけで、「相棒」シリーズ・ファンで、米沢守ファンならそこそこ楽しめるが、映画ファンには物足りない出来。DVDかテレビ放映待ちで充分である。

次回映画にするなら、杉下右京主演の本編で、かつじっくり脚本を練って、往年の映画スターもゲストに呼んで、映画らしい華やかさと豪華さと、犯人の巧妙で緻密な完全犯罪と、それを鮮やかな推理で解明する右京の活躍ぶり…を見たいものである。    (採点=★★

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2009年4月18日 (土)

3周年を迎えました

気が付けば、早いもので、昨日(17日)で、当ブログも3周年を迎えました。

おかげさまで、アクセスカウントも、126,000件を超えましたし、 ブログランキングのブログランキング(映画カテゴリ)では、皆様の応援のおかげで、ベストテン圏内をキープしております。(下)
(一時は最高で4位まで行きました)

Blogranking_3   

これもひとえに、訪問いただく皆様のおかげです。厚く御礼申し上げます。

また、いつもいろいろと感想コメントをいただく方にも、感謝したいと思います。

更なる応援、よろしくお願いいたします。 m(_ _)m

 

ここの所仕事が忙しくて、アップが遅れ気味で、申し訳ありません。私のクセで、ついついいろんな事を調べ、公式サイトもチェックして…なんてやってるものだから、時間がかかって仕方ありません。
もっと気楽に書こうとは思っているのですが…

 
ともあれ、これからも、気長なお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

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2009年4月13日 (月)

「ドロップ」

Drop (2009年・角川映画/監督:品川ヒロシ)

お笑いコンビ、品川庄司の品川ヒロシが、本人原作の自伝的小説を自ら脚色、初監督した青春映画の快作。

実は私はテレビのバラエティやお笑い番組はほとんど見た事がない。なので、品川ヒロシなんて今回映画を観るまで全く聞いた事がなかった(“品川庄司”と最初聞いた時、1人の名前かと思ってた(笑))。

私は、お笑い芸人が映画を撮ったって構わないと思っている。北野武や、竹中直人のように、堂々映画賞を取り、世界的にも認められている監督がいるくらいだから、才能さえあればどんどん監督して、映画界を活性化してもらえればいいと思っている。島田紳助もかつて、「風、スローダウン」という、真面目な青春映画の佳作を撮っている。ただ、松本人志の「大日本人」は面白くもなんともない駄作。

北野武や竹中直人は、映画を撮る以前から個性的な役者として注目していたから、監督業でも成功すると思っていたし、デビュー作も、予想を上回って素晴らしい秀作だった。…ただ品川ヒロシについては本人をまったく知らなかったので、出来の方はやや不安だった。

で、映画を観てビックリ! 堂々たる出来の見事な佳作だった。いやー、お見逸れしました。

 
不良にあこがれる中学生・ヒロシ(成宮寛貴)は、退屈な日常に飽き足らず、不良のいる公立狛江北中学校に転校。登校早々、ヒロシはイケメン不良の達也(水嶋ヒロ)に目をつけられ、喧嘩上手な達也にコテンパンにされるが、それが元で達也に気に入られ、彼が率いる不良グループの仲間に入り、喧嘩に明け暮れる日々を過ごす事となるが…

見事だと思ったのは、それぞれの人物キャラクターが、脇に至るまでちゃんと個性的に描き分けられている点。自身が不良だった経験を元にしているとは言え、プロのシナリオライターでもヘタな人がいるから、これは立派なものである。キャラがしっかりしているから、物語がはずむ事ともなる。

主人公(ヒロシという名前からして監督自身だろう)のキャラクターが秀逸。不良にあこがれるクセに、実は喧嘩が得意ではなく、相手が強そうだと、ごまかしてなんとか逃げようとする。少々カッコ悪いのである。成宮寛貴がコミカルにヒロシ役を好演(とても中学生には見えない(笑)。まあ「岸和田少年愚連隊」シリーズの竹内力も高校生には見えないのだが(笑))。

冒頭での人物紹介も、アップになった顔にマンガの人物がオーバーラップするのが楽しいし、マンガのページをめくると場面転換となるカッティングが鮮やか。ここだけでもおおっと唸りたくなる。

喧嘩のシーンも、カット割でごまかしたりしてなく、ロングの長回しできちんとアクションを撮っている。その為、殴られても殴られても立ち上がるヒロシに、達也が好感を抱くプロセスに説得力が生まれるのである。いくつかの喧嘩シーンもなかなか迫力があり、アクション映画としても十分見られる出来になっている。

さすがお笑い芸人らしく、笑えるシーンを適度に挿入して、陰惨になりがちな物語を、ユーモラスに明るくしている点もいい。達也の父でヤクザ・タクシーの遠藤憲一と刑事の哀川翔とのトボけた掛け合いは爆笑もの。何度も出て来るセリフ「人間は、簡単には死なねえんだよ」もうまく決まっている。

後半、大人数の軍団に捕まった仲間を救出する為、数の不利を承知で仲間と共に殴り込みに向かうシークェンスが、「ワイルドバンチ」を彷彿とさせるのも楽しい。

そして、単なる喧嘩アクションだけでなく、仲間との友情、捻じ曲がった親子の愛、家族の絆、労働の大切さ…等もバランスよく配置され、そしてラストに至り、自己の青春時代を卒業するかのように、仲間と別れ、一人旅立つヒロシの姿でシンミリさせ、ほろ苦く物語を締めているのも見事である。

何よりもこの映画は、“後から考えればバカバカしく思える事でも、その時には無我夢中で邁進する青春群像”を描いている点で、喧嘩映画の原典であると同時に最高傑作である、鈴木清順監督の「けんかえれじい」の系譜(*後述)に繋がる作品であると言える。あの映画も、バイオレンスと、笑いと、青春のリリシズムが混然一体となった楽しい作品であった。…そこまでの傑作とは言わないが、メリハリの効いた、きちんとした娯楽映画になっているだけでもお見事である。

品川ヒロシ、本年度の新人監督賞に推薦しておきたい。そして第2回監督作品も是非発表して欲しい。そう思わせる、キラリと光るものが、本作には確かに感じられた。

そんなわけで、点数は期待度も込めて大甘に…。     (採点=★★★★☆

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(お楽しみはココからだ―喧嘩映画の系譜)

喧嘩映画の原典が、前述の「けんかえれじい」であるのは異論のない所。映画ファンなら絶対観ておくべき青春映画の傑作である。

以後の作品も、多かれ少なかれ、「けんかえれじい」の影響を強く受けている。梶原一騎の原作を映画化した「愛と誠」(74)は、映像センスで清順監督の影響をモロに受けている山根成之監督だけあって、喧嘩シーンにも影響が感じられた。

これも漫画原作の「嗚呼、花の応援団」(76)は、やはり監督が、こちらは鈴木清順の助監督や脚本協力などで清順監督の直弟子とも言える曾根中生。曾根監督は78年にも、「博多っ子純情」の中で、原作とはかけ離れた派手な喧嘩シーンを登場させている。

81年には、井筒和幸監督が「ガキ帝国」を発表。井筒監督はその後も、本物の喧嘩少年、中場利一原作の「岸和田少年愚連隊」(96)を発表し、「パッチギ!」(2005)で喧嘩青春映画の頂点を極めた。…ただ「パッチギ!」はどちらかと言うと人種、国籍が隔てる「ロミオとジュリエット」日本版的要素のウエイトが高いが。
(「岸和田少年愚連隊」は、むしろ原作の方が「けんかえれじい」の影響を受けているように思える)

そして、2007年、三池崇史監督の「クローズZERO」が登場。やや異端の「パッチギ!」に対して、これぞ喧嘩映画の正統後継者とも言える。なお三池監督は、「岸和田少年愚連隊」の続編、「岸和田少年愚連隊・血煙り純情編」「岸和田少年愚連隊・望郷」を監督しているという点も興味深い。

そして品川ヒロシ監督の「ドロップ」に至るわけである。「ドロップ」には三池作品の常連、遠藤憲一や哀川翔が出演している事もあり、「クローズZERO」の影響も少し感じられる。

こうして見ると、一連の喧嘩映画に与えた、「けんかえれじい」の影響は計り知れないと言える。―ただ残念なのは、次第に殺伐とした暴力シーンが多くなり、「けんかえれじい」にあった大らかなバーバリズムや青春のリリシズムが影を潜めてしまっているのは、時代の流れとして仕方のない所なのだろうか。

ちなみに、「けんかえれじい」でも、「ドロップ」と同様、高橋英樹や野呂圭介などの、どう見ても中学生に見えない役者が中学生を演じていた(笑)。

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2009年4月 5日 (日)

「ノン子36歳(家事手伝い)」

Nonko36age (2008年・ゼアリズ/監督:熊切 和嘉)

ほとんど話題にもなっていなくて(上映劇場が少し辺鄙な第七芸術劇場という事もあり)正直観る気はなかったのだが、映画芸術誌が昨年度のベストワンに選んだという事だったので、それほどのお奨めならば…とわざわざ観に行ったのだが…。

主人公はバツイチで、田舎の実家(神社)に出戻りの通称ノン子(坂井真紀)。なんとなく気だるい生活を送っている。そんな時、神社の祭でヒヨコの出店を出す為にこの町にやって来た青年マサル(星野源)と知り合い、やがて二人は恋に落ちるが、そこにノン子の別れた夫も戻って来る。3人のそれぞれの人生は果たして…

 
坂井真紀は、傑作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」における遠山美枝子役での好演が忘れ難いが、本作でもオールヌードでのファックシーンを熱演。

だが、相手役の青年マサルの役柄が何とも中途半端。神社で出店するなら、まず露天商組合とかに登録し、管理者の許可を得るのが当然と思うが、何の許可もアポもなしに突然やって来て、元締の親方をノン子に紹介してもらい、ただ頭を下げてお願いするだけ。当然相手にされないのに、地元の親方なら「義理と人情に厚いはず」とワケの分からない思い込みに頼るだけ。ジコチュー以外の何者でもないのだが、当日になってもまだ甘い考えでヒヨコを持参し、結局許可を得られないと知ると逆ギレして、チェーンソー振り回して祭をブチ壊してしまう。

何とも呆れたジコチューの単細胞バカで、観客の誰も感情移入出来そうにない。
町の人間たちがみんな、主人公たちを苛める悪い奴であるなら、ラストの破壊もカタルシスになるのだが、映画を観る限り、町の人たちに非はない。ルールを守らないマサルが明らかに悪い。

こんな人物をヒロインの相手役に設定した事自体、脚本に大いに問題があるのだが、そんな様子を見ているにもかかわらず、ノン子は彼に体を許し、あげくに祭を台なしにした彼と手に手を取って逃避行。何を考えているのやら。

だらしない夫も含めて、これほど登場人物の誰にも共感出来ない映画は珍しい。

閉鎖的で保守的な田舎町=“悪”で、世界に飛び出し自由を求める若者(チェ・ゲバラのTシャツを着ている)=“善”という型に嵌った図式が、なんとも古臭くてガックリ。

ラストで結局マサルとも別れ、ヒヨコから大きくなったニワトリを追いかけるノン子の姿を捉えてエンド。
ヒヨコはニワトリに大きく成長したけど、ノン子は果たして成長したのかどうか。
36歳にもなってるのだから、自分の足でしっかり踏みしめ、新しい自分の生き方を見つけて欲しかった。

 
舞台となった場所(田舎町)や、人物描写、大胆なファックシーンも含めて、映画自体、どうも昔のATG映画(例えば「祭りの準備」「サード」「遠雷」など。いずれも地方都市が舞台である)を観ているようで新しさが感じられず、21世紀の現代において描くべきテーマを持った作品とは、私には思えない。

坂井真紀は裸身をさらけ出しての体当りの熱演で、よく頑張ってはいるのだが、どこか空回りしている気がしてならない。作品が素晴らしければ「実録・連合赤軍」の好演と併せて、「ヴァイブレータ」の時の寺島しのぶのように、昨年度の各映画賞の主演女優賞を総ナメしたかも知れないのに…。

期待しただけに、残念な出来と言うしかない。しかし熊切監督の演出は丁寧で実力の片鱗を感じさせる。次回作には期待したい。     (採点=★★☆

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