「ノン子36歳(家事手伝い)」
ほとんど話題にもなっていなくて(上映劇場が少し辺鄙な第七芸術劇場という事もあり)正直観る気はなかったのだが、映画芸術誌が昨年度のベストワンに選んだという事だったので、それほどのお奨めならば…とわざわざ観に行ったのだが…。
主人公はバツイチで、田舎の実家(神社)に出戻りの通称ノン子(坂井真紀)。なんとなく気だるい生活を送っている。そんな時、神社の祭でヒヨコの出店を出す為にこの町にやって来た青年マサル(星野源)と知り合い、やがて二人は恋に落ちるが、そこにノン子の別れた夫も戻って来る。3人のそれぞれの人生は果たして…
坂井真紀は、傑作「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」における遠山美枝子役での好演が忘れ難いが、本作でもオールヌードでのファックシーンを熱演。
だが、相手役の青年マサルの役柄が何とも中途半端。神社で出店するなら、まず露天商組合とかに登録し、管理者の許可を得るのが当然と思うが、何の許可もアポもなしに突然やって来て、元締の親方をノン子に紹介してもらい、ただ頭を下げてお願いするだけ。当然相手にされないのに、地元の親方なら「義理と人情に厚いはず」とワケの分からない思い込みに頼るだけ。ジコチュー以外の何者でもないのだが、当日になってもまだ甘い考えでヒヨコを持参し、結局許可を得られないと知ると逆ギレして、チェーンソー振り回して祭をブチ壊してしまう。
何とも呆れたジコチューの単細胞バカで、観客の誰も感情移入出来そうにない。
町の人間たちがみんな、主人公たちを苛める悪い奴であるなら、ラストの破壊もカタルシスになるのだが、映画を観る限り、町の人たちに非はない。ルールを守らないマサルが明らかに悪い。
こんな人物をヒロインの相手役に設定した事自体、脚本に大いに問題があるのだが、そんな様子を見ているにもかかわらず、ノン子は彼に体を許し、あげくに祭を台なしにした彼と手に手を取って逃避行。何を考えているのやら。
だらしない夫も含めて、これほど登場人物の誰にも共感出来ない映画は珍しい。
閉鎖的で保守的な田舎町=“悪”で、世界に飛び出し自由を求める若者(チェ・ゲバラのTシャツを着ている)=“善”という型に嵌った図式が、なんとも古臭くてガックリ。
ラストで結局マサルとも別れ、ヒヨコから大きくなったニワトリを追いかけるノン子の姿を捉えてエンド。
ヒヨコはニワトリに大きく成長したけど、ノン子は果たして成長したのかどうか。
36歳にもなってるのだから、自分の足でしっかり踏みしめ、新しい自分の生き方を見つけて欲しかった。
舞台となった場所(田舎町)や、人物描写、大胆なファックシーンも含めて、映画自体、どうも昔のATG映画(例えば「祭りの準備」、「サード」、「遠雷」など。いずれも地方都市が舞台である)を観ているようで新しさが感じられず、21世紀の現代において描くべきテーマを持った作品とは、私には思えない。
坂井真紀は裸身をさらけ出しての体当りの熱演で、よく頑張ってはいるのだが、どこか空回りしている気がしてならない。作品が素晴らしければ「実録・連合赤軍」の好演と併せて、「ヴァイブレータ」の時の寺島しのぶのように、昨年度の各映画賞の主演女優賞を総ナメしたかも知れないのに…。
期待しただけに、残念な出来と言うしかない。しかし熊切監督の演出は丁寧で実力の片鱗を感じさせる。次回作には期待したい。 (採点=★★☆)
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コメント
こんにちは。
>「祭りの準備」、「サード」、「遠雷」など。いずれも地方都市が舞台である
うわあ。懐かしいタイトルがいっぱい。
『サード』は苦手でしたが、
残りの2本は好きでした。
でもこれらの映画と大きく違うのは、
マサルに感情移入ができないところ。
あえて、ここまでチャイルディッシュな設定にしたのか、
監督の真意がはかりかねます。
投稿: えい | 2009年4月 6日 (月) 12:30