「チェイサー」
04年に韓国で実際に起きた連続殺人事件をベースに、猟奇殺人犯と、元刑事の追跡劇を緊迫感溢れるハイテンション演出で描き切ったサイコ・スリラーの傑作。
元刑事のオム・ジュンホ(キム・ユンソク)が経営するデリヘル店から、女たちが相次いで姿を消してしまう。ジュンホは電話番号を手掛かりに、店の客だった青年チ・ヨンミン(ハ・ジョンウ)を追い詰め、ヨンミンは容疑者として警察に逮捕されるが、証拠不十分で釈放されてしまい……。
韓国映画の猟奇サスペンスと言えば、ポン・ジュノ監督の傑作「殺人の追憶」を思い出すが、本作はさらに走る、追いかける…というハードな追跡劇の要素も絡ませ、「殺人の追憶」に勝るとも劣らない緊迫感と完成度を見せる。
これが当年35歳の、新人監督の長編デビュー作だというから凄い。R指定(19歳未満不可)にもかかわらず韓国で観客動員数500万人以上を記録し、大鐘賞の作品、監督、主演男優賞など6部門に輝いたという。
無名の新人監督の、ノースターによる地味な作品でも、出来が良ければ大ヒットする、韓国の映画事情が我が国から見れば羨ましい。
登場人物のキャラクター造形が出色。主人公のジュンホが、元刑事ながら、今はしがない出張売春業を営んでいるというのが面白い。姿を消した風俗嬢を探すのも、多額の前金を渡しているという商売上の理由からだし、刑事時代のクセで、捕まえたヨンミンをボコボコに痛めつけるなど、かなり粗暴な性格である。犯人のヨンミンが、実は恐るべき殺人鬼なのだが、一見やさ男で平凡な人間に見える所が余計怖い。ヒッチコックの傑作「サイコ」の犯人、ノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)を思い起こさせる。
ジュンホが、最初は商売の損得だけで犯人探しをしていたのが、失踪したキム・ミジン(ソ・ヨンヒ)の幼い娘を成り行きから連れて行動するようになってから、この娘の為に、母親のミジンを必死で探すようになる心境の変化が面白い。
(以下ネタバレにつき隠します)
監禁されたミジンが、必死の思いでようやく逃げ出し、観客がホッとしたのもつかの間、ヨンミンに見つかり、惨殺されるという救いのない展開に愕然となる。
このやり切れなさは、デヴィッド・フィンチャーの「セブン」以来ではないだろうか。
しかしその、ジュンホの、ミジンを救えなかった無念さが執念となって、警察でも捜せなかった、独自捜査によるヨンミンのアジト発見に繋がって行くのである。この展開が見事である。
ラストで、ベッドに眠るミジンの娘を見つめるジュンホが、やがて彼女の父親代わりになるであろう事を暗示させる幕切れに、やり切れない物語に対する僅かな救いを見て、観客はようやくホッとするのである。その点、「セブン」や「殺人の追憶」よりは後味は爽やかである。
(ネタバレここまで)
警察の無能ぶりの描き方も容赦ないが、犯人を捕まえても物的証拠が見つからなければ、12時間以内に釈放しなければならない…というシステム上の問題点も炙り出される。殺したと自供しながら、のらりくらりとアジトの住所はなかなか教えないヨンミンのしたたかさに、刑事捜査の限界も感じさせられる。
全編、異様な緊迫感に満ちた、現代社会の底知れぬ闇を描いた犯罪サスペンスの傑作である。素晴らしいデビューを飾った大物新人監督、ナ・ホンジンの今後にも大いに注目したい。必見である。 (採点=★★★★★)
(お楽しみはココからだ)
これを観て思い出すのが、クリント・イーストウッド主演の「ダーティハリー」(1作目)である。
猟奇連続殺人犯、サソリはハリーに捕まるものの、ハリーが自供させるのに暴力を使った事で、違法捜査だと検事局に叩かれ、サソリを釈放せざるを得なくなる。あまつさえ、サソリはわざと自分の顔をボコボコにしてハリーに殴られたと訴え、ハリーは捜査からも外されてしまう。
…犯罪捜査システムの不合理で、犯人である事が分かっているのに釈放せざるを得なくなり、そして結局新たな被害を招いてしまう展開が、本作と良く似ている。ご丁寧にも、ボコボコにされた犯人の、顔の腫れ上がり具合までソックリである。
「ダーティハリー」のストーリーも、実際にあったゾディアック事件をモデルにしており、両作は似通った構造を持った作品であると言える。
(5/10 追記)
思い出した事があるので追加。
本作と「ダーティハリー」とは、もう一つ接点がある。
本作の中で、何度か、夜の坂道の向うに、教会の赤いネオンの十字架が映し出される。ジュンホが使い走りの男に、「あの教会の付近まで、鍵の合う家を探せ」と命令してるし、ラストではその教会が重要な手がかりとなる。
「ダーティハリー」でも、ケバケバしいネオンの、教会屋上の広告塔の下で犯人との銃撃戦があるし、サソリにおびき出されたハリーが、夜の公園でサソリに散々痛めつけられるシーンの背後には、白いコンクリート製の巨大な十字架がそびえ立っているのである。
ついでながら、やはり猟奇女性連続殺人事件が登場する、イーストウッド監督・主演作「ブラッド・ワーク」の冒頭にも、夜の暗闇の中に、白いネオンの十字架が浮かび上がっている。この十字架のネオンは以後も何度か登場する。
“猟奇連続殺人事件と十字架(あるいは教会)”は、イーストウッド映画を解く重要なキーである気がする。
(この点に興味がある方は、中条省平さんの労作「クリント・イーストウッド -アメリカ映画史を再生する男」増補文庫版(筑摩書房・2007年刊/ちくま文庫)をお読みになる事をお奨めする)
これだけ共通点が多いのは偶然ではない気がする。ナ・ホンジン監督は、クリント・イーストウッド監督を密かに敬愛しているのではないだろうか。
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コメント
TBありがとうございました。
確かにあの犯人はノーマン・ベイツの通ずるものがありますよね。
アントン・シガーやハンニバル・レクターなど、彼もまた映画史に残る殺人鬼ですね。
投稿: にゃむばなな | 2009年5月 8日 (金) 15:36
こんにちは。
この『ダーティハリー』との関連はオモシロいですね。
ほとんど気付かなかったです。(汗)
ぼくは映画は「動く」ものをとらえるところから始まったと認識しているので、
この映画のように「走る」映画は大好きです。
始原的な興奮を与えてもらいました。
投稿: えい | 2009年5月11日 (月) 12:10
>にゃむばななさん
>アントン・シガーやハンニバル・レクターなど、彼もまた映画史に残る殺人鬼ですね。
まさしく。ただ、この2人は顔見ただけでも不気味で(笑)ゾッとしますが、チ・ヨンミンは普通の優しい青年にしか見えないから別の意味でコワいんですね。
>えいさん
そう言えば、「ダーティハリー」でも、身代金の運び屋に指名されたハリーが犯人の要求に従って、夜の町を全速力で走らされるシーンが出てきますね。
>映画は「動く」ものをとらえるところから始まったと認識しているので…、
映画黎明期のサイレント映画は、まさに“走る”映画でしたね。警官に追いかけられて、チャップリンも走る、走る、逃げる…、キートンも「セブン・チャンス」で走りまくってました。
「チェイサー」は、まさにそうした原初的映画の流れを汲んでいる作品と言えるのかも知れませんね。
投稿: Kei(管理人) | 2009年5月12日 (火) 01:39