「劔岳 点の記」
「八甲田山」、「復活の日」、「駅 -STATION-」、「鉄道員(ぽっぽや)」等の、スケール感ある日本映画の名作を撮って来た名キャメラマン、木村大作が、69才にして初監督に挑戦した、本年の日本映画を代表する秀作。原作は新田次郎の同名小説。
明治40年、陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎(浅野忠信)は、軍部より、地図上で空白となっている劔岳の登頂と測量の命令を受け、現地の案内人、宇治長次郎(香川照之)の助力を得て、仲間と共に劔岳に挑む。が、そこには想像を絶する困難が待ち構えていた…。
感動したのは、この映画に映し出される映像は、すべて本物だという事である。先頃公開の「チョコレート・ファイター」ではないが、ノーCG、ノー・ワイヤー、ノー・ブルーバック合成、ノー・ヘリ空撮…俳優には本当に重い荷物を背負ってもらい、本当に数時間かけて山に登り、本物の雪と氷と吹雪の中で演技している。
雪崩に遭うシーンも、ダイナマイトを使って本当の雪崩を起こしたのだそうだ。
冒頭、夏八木勲扮する修験者が吹きすさぶ山の頂上で立っているシーンでは、命綱(ワイヤー)もつけておらず、吹き飛ばされた時の為に、画面に見えない50メートルほど下でスタッフが受け止める用意をしていたという、嘘みたいな逸話がある。
よくまあ死人が出なかったものだ(重傷者は1名出たそうだが)。
そこまで、本物を求めた努力は、確かに画面から感じられる。雄大で美しい自然の風景は、それを見ているだけで崇高な気分にさせられる。
下に雲海を見下ろす、天狗平の山頂で、柴崎と長次郎が夕陽を眺めるシーンの美しさには、感動のあまり、ジンワリ涙が出て来てしまう。そうした、絵になるシーンを撮影する為に、ひたすら何日も、何時間も待ち続けたという、その忍耐力にも感服する。
体感温度・氷点下40度超の劔岳を中心とした撮影は、延べ200日にも及び、ほぼ順撮りで撮影しているので、俳優のヒゲも本当に、徐々に生えて来るのをそのまま撮っている。
その成果は充分出ており、主演の浅野や、香川や、特に測量隊メンバーの松田龍平は、映画の開始直後とラストでは、明らかに顔付きが変わって、精悍になっているのが分かる。
そして、大自然の美しい風景もさりながら、一番感動的なのは、山に登る男たちが、最初はギクシャクしたり、報酬の安さに文句を言っていたのが、物語が進むに連れて、次第に心を通わせて行き、ライバルであった山岳会の人たちも含めて、打算も損得も抜きで、みんなが互いに尊敬し合い、勇気を称え合い、一つの目的を成し遂げた、人間という存在の素晴らしさ、美しさが至福感となって広がるラストである。
人間は、やろうと思えばどんな事でも出来てしまうのである。
この映画の、圧倒的な本物のパワーに比べたら、CGバリバリの最近の「スター・トレック」や「ターミネーター4」や「トランスフォーマー」など、空虚で薄っぺらく見えてしまう。
比較するのも何だが、「チョコレート・ファイター」や、その原点たるサイレント時代のキートンやロイドの諸作品と同様、人間が身体を張って、限界に挑戦する姿は美しく、畏敬の念を感じざるを得ない。
木村大作は、昭和33年、東宝に入社し、黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」から映画キャリアをスタートしている。以後、「悪い奴ほどよく眠る」、「用心棒」、「椿三十郎」、「どですかでん」等の黒澤映画に撮影助手として付き、黒澤から、妥協を許さない、徹底して本物にこだわる映画作りの精神を学んだ。
それが生かされたのが、3年もの歳月をかけ、本物の雪山と自然の脅威をリアルにフィルムに収めた「八甲田山」の成功である(脚本は橋本忍、監督は黒澤作品のチーフ助監督だった森谷司郎、共に黒澤映画のよき協力者である)。
以後も、木村は、しばしば監督やプロデューサーと衝突しながらも、妥協を許さない、本物の絵作りに、頑固にこだわり続けている。
また本作では、クラシックの名曲を随所に使用しているが、黒澤も編集の際には、ヴィヴァルディやチャイコフスキーなどのクラシックを流して、場面音楽のイメージを掴むのだという(本作の音楽監督は、これも黒澤映画でお馴染みの池辺晋一郎)。
黒澤明がこの世を去って10年…映画作りにおいて、黒澤の精神を、心・技・体、共に受け継いでいるのが、木村大作と言えよう。
そう思って観れば、自然を知り尽くした長次郎と、測量士の柴崎の関係は、黒澤の「デルス・ウザーラ」におけるデルスとアルセーニエフの関係によく似ている(本人の談では、実際意識していて、似たシーンがあるのだという)。
あの映画も、本作と同様、“大自然の中では、人間はいかにちっぽけな存在であることか”が重要なテーマとなっている。
その意味からも、この作品はDVDやBLなどではなく、絶対に映画館の大スクリーンで観るべきである。
ちいさなモニター・ディスプレィでは、雪渓の遥か彼方を進む人間の姿は、アリンコのようにしか見えないからである。…いや、そもそも、人間がどこにいるのかすら判別出来ないだろう。
そんな事では、本作品の素晴らしさを、100分の1も体感出来ないだろう。
映画ファンなら、何をおいても、いや、1年に1~2本程度しか映画を観ない人でも、是非映画館で、そして出来るだけ大きなスクリーンで、映画を体感して欲しい。
エンド・クレジットでは、“仲間たち”とのみ表し、一切の肩書なしで、映画に関わった俳優・スタッフの名前をズラリ列記している。これも感動的である。
すべての人たちが仲間であり、映画作りの同志であるという事なのだろう。
細かい難点も無くはないが、そんな事はもうどうでも良い。厳しい自然に立ち向かい、自然を畏れ、かつ敬愛し、頂点を極めた美しい男たちの勇気に、ただ感動すれば良い。
これはまた、木村大作という、最後のカツドウ屋が、無謀な賭けに打って出て、それを多くの人たちの協力や援助を得て遂に成功させた、勇気の記録であり、ドキュメントであると言えるかも知れない。
前人未到の山に挑んだのは、木村大作その人でもあると言えるだろう。
この映画のコピーが、この映画のすべてを語っている。
誰かが行かねば、道はできない。
必見である。 (採点=★★★★★)
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コメント
コメどうもでした
徹底的に本物に拘ってたんですね~
本当によく死人が出なかったと思います
危険と隣り合わせな撮影なので
リアリティーがあったんでしょうか
迫力の映像に圧倒されました
追体験した役者も迫真の演技ができたんでしょうね
久々に凄い映画でした
投稿: くまんちゅう | 2009年6月27日 (土) 19:07
まず間違いなく、後世語り継がれる名画だと思います。
大袈裟ではなく個人的には、今年のベストの1つどころではありませんでした。
なにせ登山シーンはもとより、それ以外も美しく格式高いところが凄いです。
もっと映画を知りたくなる。そんな映画でした。
あと、かなりヒットしているのが嬉しいです。こういう作品が成功するのが健康的な映画界だと思います。
投稿: タニプロ | 2009年6月30日 (火) 23:47
ホント、噂に違わぬ傑作でした。ストーリー立てがどうのこうのより、画面のインパクトが勝る好例。山のシーンだけでなく、どんなに山に登ることが大変でも、出かける前や宿やテントで一生懸命機器を磨いている、いかにも測量という仕事が大好きなんだなーという雰囲気がしっかり出ているのが素晴らしい。それと、夫婦のシーンの、仲むつまじいほんわか感のすごさったら・・・。なのでラストがしっかり胸に迫ってくるのだと思います。「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソンもそうだったのだろうけど、個人の執念から始まった映画って
、映画の神様がちゃんと降りて来てくれるんですね。
投稿: オサムシ | 2009年7月 5日 (日) 07:09
撮影の苦労、映像の凄さは言うに及ばず。素晴らしい脚本とキャストです。最初と最後に、あおいちゃんを効果的に使ったので、感動的なドラマに仕上がってます。
芳太郎「人は何をしたかではなく、何のためにしたかが大事なんだ。そうだよな葉津よ。」
葉津よ「芳太郎さん、あなたがどんなことになろうと葉津よはいつでもあなたの味方です。」というセリフは純情きらりで桜子が「私はいつでも達彦さんの味方だで」と言ったシーンを思い出し、またもや涙があふれました。男の仕事に対する姿勢、夫婦愛、家族愛を見事に表現していると思います。山好き、篤姫、宮崎、木村監督ファンが押し寄せ既に102万人が見ていますよ。来年は日本映画の賞を総なめか?
投稿: ふっくん | 2009年7月 6日 (月) 14:36
>くまんちゅうさん
コメントありがとうございます。
CGがいくら発達しようと、やはり本物の映像にはかなわないと思います。
観る方も、これは本物だ、と思って観るのと、どうせCGだ、と思いながら観るのとでは、観客の心構えも違って来ると思いますね。
>タニプロさん
興行成績が予想以上にいいらしいですね。
木村大作さんの、真摯な思いが人々の心を揺り動かしたのだとしたら、とてもいい事ですね。その事にも感動させられます。
>こういう作品が成功するのが健康的な映画界だと思います。
その通りだと思いますね。
>オサムシさん、はじめまして。コメントありがとうございます。(手塚治虫さんのファンでしょうか)
>個人の執念から始まった映画って、映画の神様がちゃんと降りて来てくれるんですね。
ちょうど石原裕次郎の23回忌特集のテレビ番組を見ていたら、裕次郎が「黒部の太陽」を企画した時、五社協定に阻まれて大変な苦労をして、何度も製作が危ぶまれながらも、執念が伝わって映画は完成し、大ヒットとなって結果的に日本映画界に風穴を開けた…というエピソードが紹介されておりました。これも、神様が降りてくれたのだ、と言えるでしょう。
その次に裕次郎が作った作品が、4日にテレビ放映された「富士山頂」ですが、原作が本作と同じ新田次郎というのも不思議な縁を感じます(しかも、標高3,776mの山の頂上に測候所を作る大プロジェクト…という、お話まで本作とよく似てます)。
「富士山頂」を見た視聴者が、新田次郎の原作も読んで、相乗効果で「劔岳 点の記」にも関心を持ってくれたら、なおの事うれしいですね。
>ふっくんさん、コメントありがとうございます。
宮崎あおいの起用も成功ですね。面白い事に、本作の製作開始は2007年4月で、まだ「篤姫」の放映は始まっていなかったんですね。まさか木村監督も、製作当初は、宮崎あおいが篤姫でこんなにブレイクするとは夢にも思っていなかったと思います。
これも、映画の神様が降りてきてくれた…と言えるのかも知れませんね。
投稿: Kei(管理人) | 2009年7月10日 (金) 22:43
はじめまして。
私もこの映画は凄いと思いましたが、
あそこまで本物本物と連呼するのであれば、
音楽は西洋クラシック音楽ではなく邦楽、
それも明治四十年前後の曲を探してきて欲しかったです。
あの当時の邦楽に、あの当時の日本人の内面を支えることができる曲は無かったのか?が、とても気になるのですが、おそらく担当者も監督も、思いつかなかったんじゃないかなぁと。
投稿: てんてけ | 2009年7月26日 (日) 23:40
>てんてけさん、はじめまして。
私は、山の雄大さを強調するには、クラシックか、オリジナルで行くにしても交響楽(「砂の器」のような感じ)が似合ってると思います。まあこれは、人それぞれ好みがありますからねぇ。
>明治四十年前後の邦楽…ですかあ。うーん、どんな曲があったかなぁ。
思いつくのは、謡曲、雅楽、長唄、義太夫、小唄、川上音次郎のオッペケペー… うーん、イメージ合わないですねぇ(笑)。
ちなみに木村さんの師匠とも言える黒澤明監督も本物志向の完全主義者ですが、音楽に関して言えば、平安時代が舞台の「羅生門」では早坂文雄にラベルのボレロそっくりな音楽を作らせてますし、江戸時代の「赤ひげ」では佐藤勝さんに依頼して、ブラームスやハイドン等のシンフォニーに似た曲を作らせ、演奏させています。
つまり、映像は本物であっても、音楽は時代に関係なく、その映像に一番マッチしたものを使えばそれでいいんじゃないでしょうか。
投稿: Kei(管理人) | 2009年7月27日 (月) 23:15
僕も、あのBGMが好きですね。壮大な映像にピッタリだと思いました。それと、あおいちゃんは、映画界では有名な演技派女優だったので木村監督も早くからファンだったのではと思います。とはいえ、篤姫があそこまで人気が出るとは誰も予想してなかったでしょうから、監督の先見の目があった。ということでしょうね。浅野さんに「色っぽい宮崎さんが見たいから、巧くやってくれよ」と演技指導???していたらしいです。僕と同じファンなんですよ、きっと(・・;)
投稿: ふっくん | 2009年7月30日 (木) 22:57
本日、日本アカデミー賞で優秀監督賞、優秀脚本賞など総なめにしていましたね。
あおいちゃんは少年メリケンサックで優秀主演女優賞に輝くし、今年はゆっくり休んでたけど来年はエンジン全開で撮影するみたいで、楽しみです。
投稿: ふっくん | 2009年12月22日 (火) 23:21