「扉をたたく人」
妻を亡くして以来、心を閉ざして生きてきた老大学教授が、たまたま知り合った移民青年と知り合い、その交流を通して、新しい生き方を模索して行く感動の人間ドラマ。
主人公の大学教授を演じたリチャード・ジェンキンスはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。
なお当初は、アメリカでたった4館でしか公開されなかったが、クチコミで評判となり、公開6週目には全米興行収入トップ10にランクイン。最終的には270もの劇場で上映され、6か月間のロングランヒットとなったという。
監督のトム・マッカーシーも、主演のリチャード・ジェンキンスも私はほとんど知らなかったし、あまり話題にもならず、細々と公開されていたが、上記のようなニュースを聞いていたので気になって観に行ったのだが…。
素晴らしかった。観ている時よりも、観終わってしばらくしてから感動が広がって来る秀作である。本年度のベスト上位に入れたい。
大学教授のウォルター(リチャード・ジェンキンス)は、妻にに先立たれてからは無気力になり、講義計画書も前年のものを、年度だけ書き換えて使うありさま。そんな彼が、出張先のニューヨークに借りていた別宅を訪れると、見知らぬ移民のカップルがいた。シリアから移住してきたジャンベ奏者のタレク(ハーズ・スレイマン)と、彼の恋人でセネガル出身のゼイナブ(ダナイ・グリラ)の二人。騙されて二重契約であった事が分かり、二人は出て行こうとするが、気の毒に思ったウォルターは、新しい住居が見つかるまで住まわせる事にする。奇妙な3人の同居生活が始まり、ウォルターは次第に彼らに心を開いて行くが、ある日、タレクは不法滞在が判明して強制収容所に留置されてしまう…。
タレクは、ジャンベ(民族打楽器)の叩き方をウォルターに教え、生きる気力を失っていた彼に、生きる活力を取り戻させて行く。
だが、9.11以降、不法滞在者に厳しい目を向けるようになったニューヨークの街は、そんな若者をも法律で縛り、この街から追い出そうとする。不法滞在と言っても、彼の母親(ヒアム・アッバス)がちょっと手続きを怠っただけなのに…。
ウォルターは、杓子定規な移民局の仕打ちに激しく怒る。無気力に生きて来た彼が、初めてアクティブな意志を示した瞬間である。
ウォルターは、心配になってニューヨークにやって来たタレクの母にも力を貸し、やがて二人の間に心の交流が育まれて行く。が、法律は非情に母と子を引き裂いて行く…。
この映画には、悪人は登場しない。役人たちは職務に忠実で、主人公たちは誰もが心優しく、それぞれに精一杯に生きている。…それにもかかわらず、悲劇は起きてしまう。
生きることはせつない。ウォルターのように、生活には困らないのに、伴侶を失ったりで、生きる意欲を失ってしまった人もいれば、差別、貧困、国籍等の壁にぶち当り、生きる事に絶望する人もいる。
それでも、人は生きて行かなければならない。
結末は悲劇だが、ウォルターは、タレクと出会う事によって、閉ざしていた心を開き、残された人生をどう生きて行くべきかを見つける事が出来た。ラスト、駅のホームで、タレクに教わったジャンベを叩くウォルターの姿に、観客は暗い物語にわずかな光明を見る事が出来る。
現代が抱える、様々な社会問題をバックに、人との触れ合い、生きるとは何か、という普遍的なテーマを問い詰めた、これは感動の力作である。
邦題がとてもいい。原題は"The Visitor"=訪問者 とシンプルなのだが、“扉をたたく”という事は、自分から行動するニュアンスも含まれる。ウォルターの、閉ざしていた心の扉が、タレクや、彼の母親などによって開かれた事をも暗示する。また、ジャンベという叩く楽器に引っかけていると見る事も出来る。うまい。優秀邦題賞があれば進呈したいくらいだ。
この、“妻を失った偏屈な老人が、外国から来た移民の若者と交流する事によって、自分の生き方を見直し、やがて若者を守る為に行動する”という展開は、先頃公開されたクリント・イーストウッドの傑作「グラン・トリノ」とよく似ている。ただし、映画が製作されたのは、本作の方が早い(2007年製作)。似ているのは単に偶然だろう。
しかし、これらといい、ジャック・ニコルソン主演の「最高の人生の見つけ方」といい、老人の生き方を見つめ直すというテーマの作品が、最近(特にアメリカ映画に)増えて来たように思えるが、これはアメリカ映画の一つの成熟なのかも知れない。興味深い傾向である。 (採点=★★★★☆)
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