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2009年10月27日 (火)

「クヒオ大佐」

Kuhio (2009年:ショウゲート他/監督:吉田 大八)

アメリカ空軍のパイロットなどと偽って、女性たちから約1億円を騙し取ったとされる、実在した結婚詐欺師をモデルにした、吉田和正原作の小説「結婚詐欺師 クヒオ大佐」の映画化。監督・脚本は「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」で注目された新進、吉田大八。

 
この所絶好調の堺雅人が、つけ鼻をした、米軍パイロットと自称する怪しい人物、ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐に扮している。

ハワイ出身で、父はカメカメハ大王の末裔、母はエリザベス女王の妹の夫のいとこ…という経歴自身、充分怪しいのだが、この怪しい人物に、なぜか女性たちが騙される。実在したクヒオ大佐は、1億円を騙し取るほど、詐欺師としては成功?しているが、映画の方は事実とは離れて自由なアレンジを行っている。早い話、主人公クヒオ大佐は結構ドジでカッコ悪いのだ。

吉田監督の前作、「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」も、微妙にツボを外した奇妙なコメディだったが、本作もかなり笑える。

(以下、ややネタバレ)
冒頭から、いきなり「第1部・血と砂と金」というタイトルがまるで「仁義なき戦い」ばりのドギツイ筆書文字で登場し、湾岸戦争の頃の映像が流れ、国際貢献に金しか出さない当時の日本を揶揄する。…つまりこれは、アメリカの言いなりに大金を貢いでしまう日本国そのものが、クヒオに騙される女性のようなものだという痛烈な皮肉なのかも知れない。―そして、「第2部・クヒオ大佐」のタイトルが続く。吉田監督らしいツイストの効いた出だしが快調である。

彼に騙される女性は、弁当屋を経営するしのぶ(松雪泰子)、博物館の学芸員春(満島ひかり)、ホステスの未知子(中村優子)という三人なのだが、それぞれの騙され方も結果も三人三様。

しのぶは一番騙されて何がしかのお金を貢ぐのだが、その額も百万円程度と知れてるし、途中から登場したしのぶの弟・達也(新井浩文)にはクヒオは完全に振り回され、逆に強請られる。流暢な英語を話す達也に、英語が喋れないクヒオが慌てる様がなんともおかしい。「日本語で話してもいいよ、解るから」と言うのが精一杯のクヒオのうろたえ振りには大笑いした。

春もすっかり騙されるのだが、金ではなく心の方を奪われるのが哀しい。絶叫したり、海に落ちたり(吹き替えでなく本人が飛び込んでいる)、傑作「愛のむきだし」に続く満島ひかりのエキセントリックな怪演は見どころ。

未知子はクヒオ以上にしたたかで、逆にクヒオの方が金を巻き上げられそうになる。

女たちを騙す手口として、安アパートでラジカセから航空機の飛行中のエンジン音を流して電話をかけるシーンがあるが、なんとも子供騙しでわびしく、せつない(高速で飛んでる戦闘機のパイロット席から日本に電話をかけられるはずがない)。

結局、クヒオは詐欺師としても二流なわけである。

クヒオの、子供の頃の回想シーンも出てくるが、これも物悲しい。彼が空を見上げるシーンも何度か登場するが、米空軍パイロットに扮したのも、世界のあらゆる地域に飛んで行く事が出来る米空軍への憧れがあったのかも知れない。

ラストに、シュールな展開が待っていて驚かされるが、これは、妄想の中で米空軍兵士になり切る事でしか、自分の出口を見つけられなかった、クヒオという男の悲しい人生を象徴しているのかも知れない。冒頭の政府高官(内野聖陽)がここに唐突に登場するのは、冒頭のテーマの追い討ちだろう。

これは、“面白うて、やがて悲しき”人間コメディなのである。

微妙にズラした笑いを盛り込む事で、人間という存在の悲しさをも描いた吉田大八監督の演出センスは新人離れしている。

これまでの日本人監督にはあまり見られないタッチである。強いて挙げるなら、イギリスのイーリング・コメディ(ややシニックでブラックなテイストを含んだコメディ。例えば、アレクサンダー・マッケンドリック監督の「マダムと泥棒」とか、リチャード・レスター監督「ナック」等)に通じる才気を感じる。…ただ欲を言うなら、大金持ちの有閑マダムなんかをまんまと騙す、爽快な詐欺シークェンスも前半に入って欲しかった気もするが…。

ともあれ、今後の展開が気になる監督である。次回作が楽しみである。    (採点=★★★★

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2009年10月18日 (日)

「空気人形」

Kuukiningyou (2009年:アスミック・エース/監督:是枝 裕和)

「幻の光」「誰も知らない」「歩いても 歩いても」等の秀作を作り続けている是枝裕和監督の最新作は、なんと性欲処理用人形ラブドール(昔はダッチワイフと言っていた)が心を持って動き出す…という不思議なファンタジー。原作は業田良家の短編コミック「ゴーダ哲学堂 空気人形」。

Itazuralolita こういう話はどちらかと言うとポルノ映画向き。実際、にっかつロマンポルノにも似たような話があった。今をときめく金子修介監督の「いたずらロリータ 後ろからバージン」('86)は、ゴミ捨て場に捨てられていた西洋人形が夜になると人間に変身し、拾ってくれた男の子に恋をする話。
セックスシーンもあるし、まかり間違えると本当にポルノまがいの映画になりかねない。

だが、さすが良質な力作を連打して来た是枝監督(と言ってもこの人、上記のような日常的リアリズム映画を作る一方で、天国を舞台としたファンタジー「ワンダフルライフ」、とぼけたタッチの時代劇「花よりもなほ」も手掛けている。守備範囲の広い、あなどれない人である)、とてもピュアで心に沁みる秀作に仕上がっている。お奨めである。

(以下、ややネタバレです)
独身でファミレスに勤務する秀雄(板尾創路)が愛玩する、“のぞみ”と名付けられたラブドールが、ある日心を持って、メイド服を着て街を歩き出す。やがて彼女はレンタルビデオ店でアルバイトを始め、店員の純一(ARATA)に恋をする。

うっかり腕に穴を開けてしまい、空気が洩れ出した“のぞみ”を助ける為、純一が彼女のお腹に空気を吹き込むシーンでは、息を吹き込む度にのぞみがため息を洩らすのだが、これが何ともエロティックで、セックスシーンよりよっぽどセクシーなのがなんともおかしい。

 
最初は産まれたての赤ん坊のように、何も分からない、無垢な存在だった空気人形が、人間と付き合い、さまざまな事を学んで行き、愛する喜びを知るが、やがて自分を買ってくれたはずの秀雄に裏切られ、街をさまよい、人間という存在の愚かしさ、悲しみをも知って行く。

自分という存在は何なのか、人間はなぜ自分のようなものを作るのか、愛するとはどういう事なのか…。さまざまな寓意が込められた物語は、最後に悲劇的な結末を迎えることとなる。

“性の代用品”として作られた空気人形は、文字通り、血が通っておらず、代わりに空気だけが詰まっている。空気が抜けてしまっては、彼女は生きてゆけないのだが、人間もまた、空気がなくては生きて行けない。目には見えないけれど、確実に人間に取っては、必要な存在である。“本当に必要なもの”とは何であるのか、“生きていること”とは何を求め、何を失う事なのか…。映画はのぞみという存在を通して、様々な事を考えさせてくれる。

物語とは直接絡まないのだけれど、画面を横切る、さまざまな街の人たちの点描も面白い。元国語教師だった老人、交番通いが趣味の未亡人、過食症のOL、うっ屈した浪人生…等々。みんなそれぞれに一人ぼっちで、孤独を抱え、暮らしているように見える。言ってみれば、それぞれに内面に心の空洞を抱えているわけで、生身の人間もまた、空気人形のようなものである…という辛辣なテーマが浮かび上がる。こういう人々に、高橋昌也、富司純子、余貴美子といった味のあるベテラン俳優を配置したキャスティングも絶妙。

ラストも悲しい。愛する純一をも失ったのぞみは、さすらいの果てに、人形としての運命を悟ったかのように、ゴミ捨て場に自身を横たえる。代用品の人形でありながら、人並みに心を持ってしまった、その事自体が罪だと彼女は思ったのかも知れない。あまりにイノセントでピュアな心を持った、のぞみの末路に涙せざるを得ない。

空気人形に扮したペ・ドゥナが素晴らしい。クリクリした、キョトンとした目がまさに人形っぽい。ごく自然に、堂々と裸体を晒した、その役者根性も見事。彼女なくしては本作の成功はなかっただろう。

ファンタジーの形を通して、人間とは寂しく、悲しい存在である事を描ききった見事な秀作である。お奨め。     (採点=★★★★☆

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(久しぶりに、お楽しみはココからだ)
のぞみと純一が働くレンタルビデオ店の壁にかかったポスターに注目したい。

目に付くのが、フランス映画、アルベール・ラモリス監督の「赤い風船」である。

この作品は、風船がまるで生きているように、少年になつくが、悪ガキどもに悪戯され、空気を抜かれて萎んでしまう。やがて無数の風船が集まって来て少年を空に運んで行く…というファンタジーの傑作である。

考えれば、この風船も中味は空気(厳密には水素かヘリウムガスだが)が詰まった子供の愛玩物で、ある日心を持って動き出し、男の子と交流する―といった具合に、本作と構造はよく似ている。

そう言えば、本作のラストでは、のぞみが倒れた目の前にあったタンポポの胞子が風に乗って空中に飛び、主要な登場人物の元を訪れる、という結末になるが、これも「赤い風船」のラストの、無数の風船が空を覆うシーンに対比しているのかも知れない(CGで描かれた大きなタンポポの胞子が、風船のようにも見える)。

もう1本、F・フェリーニ監督の「道」のポスターがあった。ジュリエッタ・マシーナが無垢な心を持った白痴の女・ジェルソミーナを演じた、映画史に残る傑作であるが、“純粋無垢な心を持った少女が、まるで男の愛玩物のように扱われるが、最後に少女は眠っているうちに、ボロ切れのように男に棄てられる”…という展開が、本作と通じるものがある。

これらの作品のポスターを目立つ位置に貼ったのは、意識しての事かも知れない。この2本、共にとても心が洗われる素晴らしい傑作である。映画ファンであれば、是非ご覧になる事をお奨めする。

DVD「赤い風船」
F・フェリーニ「道」

金子修介監督「いたずらロリータ 後ろからバージン」

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2009年10月 6日 (火)

「しんぼる」

Symbol(2009年・松竹/監督:松本 人志)

「大日本人」に次ぐお笑いタレント・松本人志の監督第2作。

 
一言で言って、“わけの分からん映画”である。

メキシコのとある町で、1人の覆面プロレスラーが、朝家を出て、試合で闘うまでの話と、真っ白い部屋に閉じ込められた男が脱出を試み、悪戦苦闘する話とが並行して描かれる。最後は、誰もが口あんぐりとなる結末が控えている。

 
別に、難解な、わけの分からない映画はあってもいいと思っている。古くはルイス・ブニュエル監督「アンダルシアの犬」とか、日本では衣笠貞之助監督「狂った一頁」とか(アバンギャルド映画と呼ばれた)、近年ではJ・L・ゴダール監督「東風」、大島渚監督「東京戦争戦後秘話」、この映画でちょっと参考にしたらしいS・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」…等々、観客が頭を捻る難しい映画はいくつも作られて来た。私はどれも観ているし、またどれも嫌いではない。
むしろ、脳を刺激され、思考を巡らせ、いろいろ作者の意図を想像してみるのも結構楽しい。「アンダルシアの犬」「2001年-」などは、観れば観るほど逆にハマってしまう不思議な魅力を持っている。

だが、これらの作品と、松本が作った本作とは決定的な違いがある。

それは、これらを作った監督は、どなたもそれまでに数多くの名作、傑作を作って来た一流監督、だという事である。分かり易い、心に沁みる秀作も作っている
そういう、名声を残し、映画の事を知り尽くしている作家だからこそ許される冒険なのである。

画家・ピカソの後期の作品(「泣く女」など)も難解だが、若い頃には無数の写実的な、デッサンのしっかりした絵を描いている。
作家としての行き詰まり、苦悩の末に到達した境地とも言えるからこそ、高く評価されているのである。

無論、若い作家でも難解な映画を作る人はいる。大学の映画研究会(映研)の自主制作作品には難解なのが多いし、今年の横浜聡子監督「ウルトラミラクルラブストーリー」もわけが分からんと言われた。

だが、大学映研の作品は、多分作っている本人も分かってないだろうし(笑)、自分たちの資金で、身内だけで観賞するだけだから文句は出ない。「ウルトラミラクル-」は、ストーリーそのものはしっかり作られているし、作者の言いたい事はじっくり観察すれば見えて来る。しかも、ミニシアター系でコアな観客に向け、小規模で公開されている。

 
こうした作品に比べてみれば、本作の問題点がはっきりして来る。

まず、ちゃんとした映画を作った経験がないのに、奇をてらい過ぎている。絵画で言うなら、デッサンの基礎を勉強してないのに抽象画を描くようなものである。生徒がこんな事をしたら教師に怒られる。

次に、映画というものは、作者が作りたいテーマがあって、そのテーマに向けてストーリーが収斂して行くものである。土台がきちんと構築され、それに枝葉をつけ、幾重にも肉付けされて完成されるものである。土台がしっかりしていれば、少々の事では揺るがない。
そこが、短いコントを並べるだけで終わるテレビ・バラエティ等との根本的な違いである。

本作は、とりとめのないエピソードを乱雑に並べただけの、まさにテレビ・バラエティに毛の生えた程度の出来である。これでは映画とは言えない。

前作の「大日本人」でも感じたが、松本人志監督は、出だしのアイデアは面白いひらめきがあるのだが、風呂敷を広げっぱなしで、畳もうとしない。オモチャを、あれもこれもと並べて、片付けずに帰ってしまう子供みたいなものである。広げたら、風呂敷はきちんと畳むのが常識である。

そして、独りよがりでわけの分からん映画をどうしても作りたいのなら、身内だけで、あるいは熱烈な松本ファンだけを集めて、自宅で上映会を開いたらいい。それなら文句は言わない。

だが、本作は、かなりの製作費をかけ、全国242館で拡大公開されている。それなら観客の共感を呼ぶ、楽しい映画を作るべきである。興行的に厳しい数字が出れば、製作プロは大きなリスクを背負う。金と名声がある松本だから、何をやっても許されるわけではない。不特定多数の観客に、金を払って損した、と思わせる映画を作るのは、将来の映画観客を失う結果にもなる事を、肝に銘じて欲しい。

 
では本作について、具体的にどこがダメなのかを検証してみよう。(以下、ネタバレあり)

冒頭、メキシコの荒野を自動車が激走して来るシーンから映画は始まる。運転しているのはサングラスに咥えタバコの修道女。
荒野を進む車の姿にタイトル「しんぼる」が重なる。これから何が始まるのだろうかとワクワクさせられる。この出だしは悪くはない。

こういう描き方をするなら、映画文法的には、“この女が後に何らかの重要な働きをし”“急いでいるのは、何かそれなりの理由があるに違いない”という事になる。誰しもそう思うだろう。

だが、急ぐ理由はまったくなかったし、いかにも意味ありげに登場したこの修道女は、途中からまったく出て来なくなる。ではあの冒頭のシーンは何だったんだという事になる。

プロレスラーが、朝から何か深刻に悩んでいるシーンが何度も出て来る。観客は、“あれだけ悩んでいるのはどんな理由だろうか”、“多分彼は何かの不治の病にかかっている事を知ったのか、あるいは対戦相手が過去に因縁のある、戦いたくない相手なのか”と想像し、そうした要素が物語に絡んで感動のラストが訪れる事を期待する。―が、結局ラストに至っても、そうした要素は何も出て来ない。

こういう思わせぶりで、伏線めいたシーンを随所に登場させながら、後で何の関係もなかった…という肩透かしばっかりを食らわせている。

この、メキシコのパートがかなりのウェイトを占めているので、密室に閉じ込められた松本とどう関係して来るのか、期待していたら…

結局それだけかい、という、しょうもないオチとなる。またしても肩透かしだ。

その後に登場する、同じように松本がアレを押したら起きるヘンな事象…ヘビメタロックバンド、手品師、のエピソードが僅か数分なのに、何故プロレスラーのエピソードだけが無闇に長いのか(しかも退屈だ)。ご丁寧にも、ポスターにも、プロレスラー、ヘビメタバンド、手品師の顔がほぼ均等に描かれている。この3者のエピソードを並行して描くのなら分かるのだが、このアンバランスさはどう説明するのか(それにしても、どの話もダラダラ退屈で面白くも何ともない)。

とにかく、万事この調子で、ギャグは寒く全然笑えない、思わせぶりなだけで中味空っぽのエピソードは冗漫で退屈極まりない、意味ありげに9.11だのオバマ大統領だのと、とりとめのない無駄な映像はタレ流され、観客はおいてけぼりにされる。

脳を刺激される事はついにない。これで映画と呼べるのだろうか。これで観客から金を取れると思ってるのだろうか。

 
松本が何を考えてこんな映画を作ったのか。その考えを知りたくて、彼の映画評をまとめた「シネマ坊主」(2002年・日経BP社)を図書館で借りて読んだ。

映画評と言うより、単なる感想雑記でどうって事はないのだが、巻末のあとがきを読んで驚いた。

「僕自身は決して映画好きでもなんでもなくて、どちらかと言えば嫌いなほうだということです」、「連載のために映画を見てても、しょっちゅうだるいなと思うし(中略)、多分あまり好きじゃないんやろうな、と思います」、「だから、監督や俳優に対する思い入れも全くないし、ただ2時間かけて見る価値があったのかどうか、ということだけで評価をしています」

何なんだ、この気のない文章は。映画は嫌いだと。だったら見るなよ、文章書くなよ、映画作るなよ。

異業種から参入して映画を作るなら、映画を愛して、とことん惚れ込んで、好きな監督や俳優への思い入れを込めて作るべきではないのか。意余って力は足りずとも、映画に込められたその思いは観客にもきっと伝わるはずである。和田誠さんが監督する映画はそうした思いがぎっしり詰まっているし、水野晴郎さんが監督した映画は、演出も演技もヘタクソだが、映画に対する熱い思いはひしひしと伝わって来る。

“あまり好きじゃない”など、そんな気持で映画を作ってくれるな。この映画が、どことなく投げやりな印象を受けるのは、それで理解した。

今年のワーストワンは、本作で決まりである。作品の出来以前に、取り組む姿勢がダメなのである。

先ほどのあとがきは、次の文章で締めくくられている。

「お笑いでもなんでもそうですけど、中途半端なものが一番つまらんということですね」

松本人志さんよ、その言葉、そのままあんたに返すよ。     (採点=××

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