「しんぼる」
「大日本人」に次ぐお笑いタレント・松本人志の監督第2作。
一言で言って、“わけの分からん映画”である。
メキシコのとある町で、1人の覆面プロレスラーが、朝家を出て、試合で闘うまでの話と、真っ白い部屋に閉じ込められた男が脱出を試み、悪戦苦闘する話とが並行して描かれる。最後は、誰もが口あんぐりとなる結末が控えている。
別に、難解な、わけの分からない映画はあってもいいと思っている。古くはルイス・ブニュエル監督「アンダルシアの犬」とか、日本では衣笠貞之助監督「狂った一頁」とか(アバンギャルド映画と呼ばれた)、近年ではJ・L・ゴダール監督「東風」、大島渚監督「東京戦争戦後秘話」、この映画でちょっと参考にしたらしいS・キューブリック監督「2001年宇宙の旅」…等々、観客が頭を捻る難しい映画はいくつも作られて来た。私はどれも観ているし、またどれも嫌いではない。
むしろ、脳を刺激され、思考を巡らせ、いろいろ作者の意図を想像してみるのも結構楽しい。「アンダルシアの犬」や「2001年-」などは、観れば観るほど逆にハマってしまう不思議な魅力を持っている。
だが、これらの作品と、松本が作った本作とは決定的な違いがある。
それは、これらを作った監督は、どなたもそれまでに数多くの名作、傑作を作って来た一流監督、だという事である。分かり易い、心に沁みる秀作も作っている。
そういう、名声を残し、映画の事を知り尽くしている作家だからこそ許される冒険なのである。
画家・ピカソの後期の作品(「泣く女」など)も難解だが、若い頃には無数の写実的な、デッサンのしっかりした絵を描いている。
作家としての行き詰まり、苦悩の末に到達した境地とも言えるからこそ、高く評価されているのである。
無論、若い作家でも難解な映画を作る人はいる。大学の映画研究会(映研)の自主制作作品には難解なのが多いし、今年の横浜聡子監督「ウルトラミラクルラブストーリー」もわけが分からんと言われた。
だが、大学映研の作品は、多分作っている本人も分かってないだろうし(笑)、自分たちの資金で、身内だけで観賞するだけだから文句は出ない。「ウルトラミラクル-」は、ストーリーそのものはしっかり作られているし、作者の言いたい事はじっくり観察すれば見えて来る。しかも、ミニシアター系でコアな観客に向け、小規模で公開されている。
こうした作品に比べてみれば、本作の問題点がはっきりして来る。
まず、ちゃんとした映画を作った経験がないのに、奇をてらい過ぎている。絵画で言うなら、デッサンの基礎を勉強してないのに抽象画を描くようなものである。生徒がこんな事をしたら教師に怒られる。
次に、映画というものは、作者が作りたいテーマがあって、そのテーマに向けてストーリーが収斂して行くものである。土台がきちんと構築され、それに枝葉をつけ、幾重にも肉付けされて完成されるものである。土台がしっかりしていれば、少々の事では揺るがない。
そこが、短いコントを並べるだけで終わるテレビ・バラエティ等との根本的な違いである。
本作は、とりとめのないエピソードを乱雑に並べただけの、まさにテレビ・バラエティに毛の生えた程度の出来である。これでは映画とは言えない。
前作の「大日本人」でも感じたが、松本人志監督は、出だしのアイデアは面白いひらめきがあるのだが、風呂敷を広げっぱなしで、畳もうとしない。オモチャを、あれもこれもと並べて、片付けずに帰ってしまう子供みたいなものである。広げたら、風呂敷はきちんと畳むのが常識である。
そして、独りよがりでわけの分からん映画をどうしても作りたいのなら、身内だけで、あるいは熱烈な松本ファンだけを集めて、自宅で上映会を開いたらいい。それなら文句は言わない。
だが、本作は、かなりの製作費をかけ、全国242館で拡大公開されている。それなら観客の共感を呼ぶ、楽しい映画を作るべきである。興行的に厳しい数字が出れば、製作プロは大きなリスクを背負う。金と名声がある松本だから、何をやっても許されるわけではない。不特定多数の観客に、金を払って損した、と思わせる映画を作るのは、将来の映画観客を失う結果にもなる事を、肝に銘じて欲しい。
では本作について、具体的にどこがダメなのかを検証してみよう。(以下、ネタバレあり)
冒頭、メキシコの荒野を自動車が激走して来るシーンから映画は始まる。運転しているのはサングラスに咥えタバコの修道女。
荒野を進む車の姿にタイトル「しんぼる」が重なる。これから何が始まるのだろうかとワクワクさせられる。この出だしは悪くはない。
こういう描き方をするなら、映画文法的には、“この女が後に何らかの重要な働きをし”、“急いでいるのは、何かそれなりの理由があるに違いない”という事になる。誰しもそう思うだろう。
だが、急ぐ理由はまったくなかったし、いかにも意味ありげに登場したこの修道女は、途中からまったく出て来なくなる。ではあの冒頭のシーンは何だったんだという事になる。
プロレスラーが、朝から何か深刻に悩んでいるシーンが何度も出て来る。観客は、“あれだけ悩んでいるのはどんな理由だろうか”、“多分彼は何かの不治の病にかかっている事を知ったのか、あるいは対戦相手が過去に因縁のある、戦いたくない相手なのか”と想像し、そうした要素が物語に絡んで感動のラストが訪れる事を期待する。―が、結局ラストに至っても、そうした要素は何も出て来ない。
こういう思わせぶりで、伏線めいたシーンを随所に登場させながら、後で何の関係もなかった…という肩透かしばっかりを食らわせている。
この、メキシコのパートがかなりのウェイトを占めているので、密室に閉じ込められた松本とどう関係して来るのか、期待していたら…
結局それだけかい、という、しょうもないオチとなる。またしても肩透かしだ。
その後に登場する、同じように松本がアレを押したら起きるヘンな事象…ヘビメタロックバンド、手品師、のエピソードが僅か数分なのに、何故プロレスラーのエピソードだけが無闇に長いのか(しかも退屈だ)。ご丁寧にも、ポスターにも、プロレスラー、ヘビメタバンド、手品師の顔がほぼ均等に描かれている。この3者のエピソードを並行して描くのなら分かるのだが、このアンバランスさはどう説明するのか(それにしても、どの話もダラダラ退屈で面白くも何ともない)。
とにかく、万事この調子で、ギャグは寒く全然笑えない、思わせぶりなだけで中味空っぽのエピソードは冗漫で退屈極まりない、意味ありげに9.11だのオバマ大統領だのと、とりとめのない無駄な映像はタレ流され、観客はおいてけぼりにされる。
脳を刺激される事はついにない。これで映画と呼べるのだろうか。これで観客から金を取れると思ってるのだろうか。
松本が何を考えてこんな映画を作ったのか。その考えを知りたくて、彼の映画評をまとめた「シネマ坊主」(2002年・日経BP社)を図書館で借りて読んだ。
映画評と言うより、単なる感想雑記でどうって事はないのだが、巻末のあとがきを読んで驚いた。
「僕自身は決して映画好きでもなんでもなくて、どちらかと言えば嫌いなほうだということです」、「連載のために映画を見てても、しょっちゅうだるいなと思うし(中略)、多分あまり好きじゃないんやろうな、と思います」、「だから、監督や俳優に対する思い入れも全くないし、ただ2時間かけて見る価値があったのかどうか、ということだけで評価をしています」
何なんだ、この気のない文章は。映画は嫌いだと。だったら見るなよ、文章書くなよ、映画作るなよ。
異業種から参入して映画を作るなら、映画を愛して、とことん惚れ込んで、好きな監督や俳優への思い入れを込めて作るべきではないのか。意余って力は足りずとも、映画に込められたその思いは観客にもきっと伝わるはずである。和田誠さんが監督する映画はそうした思いがぎっしり詰まっているし、水野晴郎さんが監督した映画は、演出も演技もヘタクソだが、映画に対する熱い思いはひしひしと伝わって来る。
“あまり好きじゃない”など、そんな気持で映画を作ってくれるな。この映画が、どことなく投げやりな印象を受けるのは、それで理解した。
今年のワーストワンは、本作で決まりである。作品の出来以前に、取り組む姿勢がダメなのである。
先ほどのあとがきは、次の文章で締めくくられている。
「お笑いでもなんでもそうですけど、中途半端なものが一番つまらんということですね」
松本人志さんよ、その言葉、そのままあんたに返すよ。 (採点=××)
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コメント
>異業種から参入して映画を作るなら、映画を愛して、とことん惚れ込んで、好きな監督や俳優への思い入れを込めて作るべきではないのか。
怒るような話では、ないと思います。その程度の人間なんですよ。個人的には「お笑い」に興味がなければ、「松本信者」でもないので、見る気もなければ、批判的な気持にもなりません。
投稿: 名無しのごんべい | 2009年10月13日 (火) 03:42
お前アホなんじゃないの?何もわかってないでモノを言わない方がいいよ
投稿: きまら | 2010年2月15日 (月) 23:45
あなたは、監督としての名声がある人とか、名作と言われるもの(ここが重要)を残した人がつくる物しか評価できないんですね。
今まで多くの人が(良い)と言ってきた物だけを(良い)とするのはどうでしょう。そういう概念をなくして作品をみるべき。
例えば、骨董屋さんや、画廊で店主に、「これは本物ですよ。」とすすめられて、後で偽者や贋作だとわかり、落胆する人と同じです。
自分の目で見て、本当に(良い)と感じた物なら、偽物でも贋作でもいいはず。
投稿: 山本 | 2010年2月18日 (木) 11:34
◆山本さま
コメントありがとうございます。
で、>あなたは監督としての名声がある人とか、名作と言われるもの(ここが重要)を残した人がつくる物しか評価できないんですね。
についてですが、これは私の過去の採点を見ていただいたら、ご指摘の点については、当たっていない事がお分かりいただけると思います。
例えば、星4.5以上の高評価作品には、「マイマイ新子と千年の魔法」、「牛の鈴音」、「人生に乾杯!」、「重力ピエロ」、「ガチ☆ボーイ」等があります。これらは名声がある監督の作品ではありませんし、批評家筋からも無視されていますが、私にとってはとても感銘を受けた作品ばかりです。
松ちゃんと同じ吉本お笑い芸人の品川ヒロシが監督した「ドロップ」も、私は高く評価しております。
逆に、私は黒澤明監督の大ファンではありますが、「影武者」以降の作品は評価出来ません。「影武者」はカンヌで賞を獲り、評論家も褒めてはいますが、私にはガッカリの出来でした。
森田芳光監督も同じです。「家族ゲーム」「それから」は震えるほど感動し、ずっと応援してましたが、ここ数年は厳しく辛口採点しています。
おっしゃるとおり、>自分の目で見て、本当に(良い)と感じた物…
は高く評価して来ましたし、出来が悪ければ、名声のある監督作品でも厳しい採点をする、というスタンスは守っているつもりです。
一度私の「ガチ☆ボーイ」評、ご覧になってください(星5つです)。私の言ってる事がご理解いただけると思います。
投稿: Kei(管理人) | 2010年2月19日 (金) 01:33
Keiさま
返信ありがとうございます。
無名監督の作品も評価した事があるとの事ですが、僕のコメント少しわかりにくいかもしれなかったですが、言いたかったのは、下記の記事の部分です。
>それは、これらを作った監督は、どなたもそれまでに数多くの名作、傑作を作って来た一流監督、だという事である。分かり易い、心に沁みる秀作も作っている。
そういう、名声を残し、映画の事を知り尽くしている作家だからこそ許される冒険なのである。
画家・ピカソの後期の作品(「泣く女」など)も難解だが、若い頃には無数の写実的な、デッサンのしっかりした絵を描いている。
作家としての行き詰まり、苦悩の末に到達した境地とも言えるからこそ、高く評価されているのである。
では、松本監督が、「大日本人」「しんぼる」の前に、何かオーソドックスなありきたりの皆に評価される「名作」を創っていたら、「しんぼる」も高評価になるということですよね?
なんかこの辺がおかしいと思います。
ピカソの後期の絵は理解できないけど、初期の本物そっくりに写実的に描かれた絵は理解できるから、後期の絵も理解できると。許されると。
僕が言いたいのは、結局、感性は様々で、好みも千差万別なんですよ。
答えはないんです。
だから好きな映画を「好き」と言うのはいいと思いますが、好きでは無いものを、ネットとかで酷評するのはいかがなものでしょうか。
答えはないはずなのに、あたかも正解のように。
観ていない人に悪い先入観をあたえてしまいます。
その辺考えて、ブログとか書くべきじゃないでしょうか。
以上です。
投稿: 山本 | 2010年2月22日 (月) 03:41
◆山本さま
返信ありがとうございます。
>では、松本監督が、「大日本人」「しんぼる」の前に、何かオーソドックスなありきたりの皆に評価される「名作」を創っていたら、「しんぼる」も高評価になるということですよね?
ちょっと例の挙げ方が不適切だったかも知れません。
要は、作家としてのキャリアを積み重ねれば、それが血肉となって、難解だろうと腰の据わった作品に結実するだろうという事です。
言葉足らずだった点はお詫びします。
>僕が言いたいのは、結局、感性は様々で、好みも千差万別なんですよ。
それはまったく同感です。
だから1つの作品に、絶賛もあれば酷評もあったりするんです。
全員が絶賛したり、全員が非難する…なんてのはおかしいです。マスコミがよってたかって1人の政治家や、1人の冬季オリンピック選手を叩きまくる光景は異様です。いろんな見方や、いろんな意見を公平に取り上げるべきでしょう。
私の作品評は、そんな“いろんな意見の1つ”でしかありません。私の考えが絶対だとか、正解だとか言うつもりは全くないし、考えてもいません(吹けば飛ぶよな私のブログにそんな権威などありません(笑))。
また、この作品を好きな方や誉める方に対し、「あなたは間違っている」等の押し付けをする気も全くありません。
そこを誤解なきように。
>ネットとかで酷評するのはいかがなものでしょうか。
>観ていない人に悪い先入観をあたえてしまいます。
これはちょっと違うと思います。酷評なんて、ネット、マスコミでも無数にあります。雑誌「映画秘宝」の「日本映画縛り首」でも、1つの作品を言いたい放題、クソミソに酷評してます。私の好きな作品が槍玉に挙げられる事もあります。見ていない人にそれこそ悪い先入観を与えかねない文章もあります。
でも、それはあくまで意見の1つであって、結局作品をどう捉えるかは見た人次第、先入観に囚われず、自分の目で見て確かめればいいだけの事です。
本当に言ってる事が正しいか、それとも間違っているかを判断するのは、映画を見た方自身なのですよ。
酷評にも目を通し、また誉める文章も読んで、それらいろんな意見を通して作品を判断すればいいのです。
とにかく、人がいろんな意見や考えを持ち、それを発表する機会は誰にでもあり、誰が何を書こうと(誹謗、中傷でない限り)自由です。
例え私が大好きな作品をクソミソに貶されたとしても、それに抗議する気もありません。それは1つの意見として、尊重したいと思っております。
誰もが自由に物が言え、批判出来る事は、私は健全な社会だと思います。批判を許さない…という空気が頭をもたげて来る方が、むしろ不健全であり、危険ではないかと思います。
山本さまから、こうしていろんな意見を出していただく事は私の勉強にもなり、また時には反省もしたりと、非常にありがたい事だと思っております。
どうぞ、これからもいろんな書き込み、よろしくお願いいたします。
投稿: Kei(管理人) | 2010年2月22日 (月) 23:40
Keiさま
言論の自由はあるんで、ごもっともだと思います。
自分は何も創り上げた事はなくても、人の作品に文句を言ったりする人生もあるでしょう。
『評論家』っていう職業もある位ですから。
自分は絵を描いたり、音楽を創ったりしてるんで、創る側よりの意見になるんだと思います。
但し、自分は人の作品を自分のブログとかで悪く言ったりするのは好きではないのでこれからもやりません。
投稿: 山本 | 2010年2月25日 (木) 00:24
すごく同意します。つまらん映画。映画?
これは映画じゃなく松本の余興でしょ。
松本ファンにしてみりゃ難癖付けられただけで不快だろうから批判的なコメント多いけど、私はご意見に同意します。
元々松本のギャグは不条理にも足らない不条理で、なんだかよく分からないから面白い、みたいな、無知の為の無知によるギャグで嫌いなんですけどもしかしたら天才かも!?と思いこの似非映画観たら・・・
こんなのが平然と芸能界にいる事ってやっぱこの国ってアホ多いですね。
AKBがどんな曲でも売れて業界が本物が売れないと嘆く様は松本にも共通するのだと思いました。
こんな糞映画、松本ファンが勝手に喜んでりゃいいだけですね。メッセージ性もないし考えさせられる事もない。
こんな物が松本のネームバリューだけで売れてしまう日本・・・
投稿: | 2013年1月10日 (木) 21:45
>投稿: 山本 | 2010年2月25日
但し、自分は人の作品を自分のブログとかで悪く言ったりするのは好きではないのでこれからもやりません。
第三者的に見てkeiさんのこのブログはkeiさん自身の「作品」とも取れると思います。よって山本さんはその意味で自己矛盾されてるのではないのでしょうか?
ネトウヨとそう変らないですよ・・・
今までの松本の活動を見て個人的にはFM東京の「放送室」が1番好きな番組ですが、アホやったあの時代を映画化すればそれこそオーソドックスな「名作」に仕上がるのではと思います。ガキの頃を旧友とゲラゲラしゃべくる松本が1番輝いてます。
それと今までの3作を観て長編は無理なのかなと、ならば1話30分程度のオムニバスで攻めたらいかがかなと・・・
が、次作はエロ・・・泣
オワタかな?
投稿: 志人 | 2013年3月23日 (土) 13:23
◆志人さん
フォローありがとうございます。
そうですよね。オーソドックスに自伝的な話でも作ればいいと思うんですがね。島田紳助や品川ヒロシはまともな青春映画を監督して、ちゃんと評価されてますし。私もこの2人の監督作品はとても好きなんですがねぇ。
次回こそは普通の鑑賞に耐える映画、期待したいんですけど、無理かな?
投稿: Kei(管理人) | 2013年3月24日 (日) 22:55
今更ながら同作品を観て難解だったので評論を探してたどり着きました。
下記評論が凄く参考になったので是非読んでみてくれませんか?
その上でこの映画の評価が変わるのか管理人様の意見が知りたいです。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20101107061410
誤解なきよう頂きたいのですが、管理人様の評論に文句があるわけではありません。
むしろその他評論もとても参考になるのでお気に入りに登録させて頂きました。
宜しくお願いします。
投稿: 松元 | 2015年9月18日 (金) 12:13
◆松元様
お気に入りに登録していただいたそうで、ありがとうございます。
ご案内いただいたブログにも訪問し、読ませていただきました。
私の、映画批評に対するスタンスは、すでに上に書いている通りで、付け足す事もありません。いろんな意見、考えがあるのはとてもいい事だという思いは変わりません。
その上で、この批評に関する私の意見を知りたいという松元様のご要望ですので、以下率直に書かせていただきます。
まず最初に思ったのは、どこにもプロフィルがないし、ご本人のHNも分からない状況ですね。下のコメントにもそれを指摘した方がいました。
ブログタイトルも「匿名ダイアリー」。名前を出したくないという事なのかも知れませんが、HNくらいは表示して欲しいですね。お呼びしようがありません。
それはさておき、内容そのものは、なかなかよく研究されている、面白い見解だと思います。
ただ正直に言わせてもらうと、書いた方は松本人志(以下松ちゃん)を買いかぶり過ぎてる気がします。松ちゃん自身はとてもそこまで考えてないでしょう。
実は松ちゃんが書いて出版されている「シネマ坊主2」の中に、「しんぼる」の原案になった作品の事が書かれてあります。
ソリッド・スリラーとして有名な「ソウSAW」の感想の中で、松ちゃんはこう書いています。
「この映画でやってる程度の話だったら、僕だってすぐに考えられますよ。たとえば1人の男が目覚めると、どこかに閉じ込められてるんです。周りを見渡すと、ボタンがいっぱいある。その1個を押したら押してる間だけ、向こうにあるドアが開く。それでボタンから手を離してドアから出ようとすると、ギリギリの所でバタンとドアが閉まるんです…」
以下、「しんぼる」の密室エピソードとまったく同じ内容が続きます。つまりこれを書いた頃(2005年)からアイデアはあったわけで、ゲーム感覚の「ソウSAW」から思いついた他愛もないギャグを自分で監督してみたかっただけ、という事が分かります。その程度の発想なんですね。「日本の文化による世界に対する皮肉」を「現代アートの文脈でアイテムを構成」したなんて全く思ってもないでしょう。
また、「アートの文脈を松本人志が知っていたとは思えないので、その文脈を組み込んだのは脚本を共同作成している放送作家の高須氏によるものなんじゃないか」に至っては首をひねりました。高須光聖氏の仕事と言えば、テレビバラエティの台本が主力で、それ以外では、映画で松ちゃん監督作品を除けば、「映画版 未来日記」「明日があるさ THE MOVIE」と、いずれもテレビに毛が生えた程度。アートの欠片も見えません。この方は高須氏のどこにアートを感じたんでしょうか。
私自身も、新作映画を見て、昔の名作から引用されてるのでないか、という文脈で文章を書いたりしてますが、お読みになれば分かるように、それらは本文を締めくくった後のおマケの「お楽しみ」として半分冗談のつもりで書いてます(笑)。この「匿名」の方のように、名作の引用を持ち出して、そこから独断と偏見で、監督はこう考えてるのでないか、というような飛躍した文章は、出来るだけ本文の作品評としては書かないよう心がけています(それでもたまに脱線したりはしますが(笑))。
ついでですけど、3冊も出した「シネマ坊主」自体、批評というより、単なる観客としての感想、あるいはとりとめもない雑談でしかないように感じます。Amazonの書評もほぼそんな感じです。この本を読む限り、松ちゃんに「アート志向」は全く感じられません。
しかも「2」のあと書きで、将来の監督希望を語り「できたものがおもしろくなかったら、自分の映画を★1点とかボロクソに言います」と書いておきながら、「3」における「大日本人」評では自作をベタ褒めして10点満点中9点をつけてます(笑)。
最後に一つだけ、「シネマ坊主2」のP・T・アンダーソン監督「パンチドランク・ラブ」評の中で、これをクソミソに貶した後で「映画監督の基礎が出来てない」「たとえばピカソは、一見グチャグチャの絵を描いているように見えますけど、本当はちゃんとした絵を描ける力があって、それをあえて崩して下手に見える絵を描いている」「遊んだ映画を作りたいなら、もっとちゃんとした映画を何本か撮ってから遊びなさい」という文章がありますが、これ、私が上で書いた事とまったく同じですね。この本を読んだのはつい最近なので、こんな事を書いてたのは知りませんでした。分かってるじゃないですか(笑)。
それなのにやってる事はこの文章とまったく矛盾してますねぇ。松ちゃん、自分で書いた事には、きちんと責任を持ってもらいたいですね。雑談ならともかく、こうして出版して安くない代金で読者に買わせてるわけですから。
長々と書いてしまい、申し訳ありません。以上が私の感想です。こんな所でよろしいでしょうか。また感想お待ちしております。今後ともよろしく。
投稿: Kei(管理人) | 2015年9月21日 (月) 11:20