「僕らのワンダフルデイズ」
ガンで余命半年である事を知った中年男が、残された人生をどう生きるか苦悶した末に、高校時代に打ち込んだバンドを再結成し、家族に“音”を残そうと奮闘する姿を描くハートウォーミング・コメディ。
このストーリーを聞いた時、「あれ?黒澤明の不朽の名作『生きる』とよく似てるな」と思った人も多いはず。
本人は医者から告知を受けたわけではないが、偶然からそうに違いない、と確信する出だしもよく似ているし、あれこれと悩んだ末に、何か、生きて来た証(あかし)をこの世に残そう、と思い立つプロセスもほとんど同じ。
では「生きる」のように重苦しい展開か、と思いきや、どうも様子が違う。…そう、これは深刻な社会派ドラマではなく、冒頭に記した如く、中高年世代に元気を与えてくれる、心が温かくなる笑いと涙の人情コメディなのである。
(以下、ネタバレがありますので注意)
「家族には告知してある」と医者が言うわりには、主人公・藤岡徹(竹中直人)の妻も子供たちもいたって能天気だし、妻の欠伸による涙や、サービス券の有効期限が切れた事による溜め息、などを徹がいちいち悪い方に誤解したりするシーンがあったりで、これは徹の勘違いだろうと途中でほぼ予想はつく。
徹は、高校時代のバンド仲間と連絡を取り、無理矢理彼らを巻き込んで、高校時代のバンド“シーラカンズ”を再結成し、アマチュア音楽コンテスト『全国ナイスミドル音楽祭』(実在する)出場に向けて猛特訓を開始する。
バンド・メンバーのキャラクター設定がいい。酒屋の栗田(段田安則)は老母の介護、不動産屋の渡辺(斉藤暁)は火の車の事業、広告代理店の営業部長・山本(宅麻伸)は厳しい業界内で激務をこなし…と、それぞれに悩みを抱え、仕事に追われ、何かを見失いかけている。人生も半ばを過ぎれば、誰しもがぶち当る壁である。
最初は徹の熱意に負けて参加したものの、上記のような事情を抱え、みんな本音の所はそれどころではない。いらだち、一時は分裂しそうにもなるが、練習を積み重ねるうちに、自分たちの内部に、かつての青春時代の熱い心がよみがえり、やがて全員一丸となってコンテスト出場を目指して行く展開は、王道パターンながら手堅い。同じ中高年世代である私は胸が熱くなってジーンと来た。
やがて、実はガンで死を宣告されていたのは山本である事が判明する。…ここの所は、徹と山本が同級生で、高校時代のバンド仲間で、同じ病院に同時期に入院し、同じ主治医で、しかも同じ日に退院する、というのはあまりに偶然が重なり過ぎてやや不自然(それでいて病院内で一度も出会わない)。まあこれはお話自体、一種のファンタジーと考えて割り切るべきだろうが、もうちょっと工夫が欲しい所。
この山本が、仕事一筋の“猛烈サラリーマン”(もう死語かも知れない(笑))で、部下にも厳しく、家庭をもあまり顧みなかったタイプの男だったのが、死を宣告された後、残された日々を仲間とバンドに打ち込めた事で、徹に感謝し、心の平穏を取り戻して行くプロセスが泣ける。
黒澤作品「生きる」の渡辺勘治(志村喬)に当るのは、徹ではなく山本だったわけである。
「生きる」を観ている方なら、あの映画を思い出しながら感慨に耽ってもいいだろう。この映画は、“ハートフル・コメディ版「生きる」”であるとも言えるかも知れない。
コンサート当日のアクシデントとハラハラ・ドキドキも、まあお約束のようなもの。笑いながらも、人生について考えさせられ、観終わってちょっぴりハートが温かくなる、ウェルメイドな中年青春コメディの佳作である。
監督の星田良子はテレビ・ディレクター出身で、映画の演出はこれが2作目だそうだが、意外に笑いと泣かせの緩急が自在で、ソツなくこなしている点はお見事。脚本(西村沙月・福田卓郎)も悪くない。今の日本映画ではよく出来てる方だろう。
奥田民生が、この映画の為に書き下ろしたメンバーの持ち歌も、いかにも高校生のアマチュアバンドが作ったようなテイストがあって悪くない。演奏シーンは、それぞれ本当に俳優たちが演奏している。猛特訓したそうで、これも聴き物。竹中はちょっとハシャぎ過ぎのような気もするが、まあ許容範囲。
ただ、アメリカにいる旧メンバーに代ってドラムで参加する稲垣潤一が、セリフも棒読みだし、いま一つ存在感に乏しい。「辛い時ほど、笑っていないと幸せが逃げて行く」などの名文句を吐く、メンバーの精神的支柱となるべきキャラクターであるのだから、もう少し味のある、渋いバイプレイヤーを起用すべきではなかったか。どことなく謎の存在であるから、最後に意外な正体が判明する…といったサプライズがあっても良かったように思う。 (採点=★★★★)
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